2026年01月18日

第27回取材旅行 その39

「どちらから来たのですか?」
「インドのゴアです」

2011年9月、ポルトガルのリスボンで取材中、
僕は安ホテルのリビングで会った、
南西アジア系と思われる人と話していました。

「インドから? お仕事ですか?」
「いえ、観光です。ポルトガルは入国しやすいですからね」
「そうなんですか? 旧宗主国のイギリスならわかりますが、ポルトガルも?」
「ゴアはかつてポルトガルの植民地だったのですよ」

ゴアへの興味が湧いたのはこのときです。
そして2016年2月に南アのケープタウンでペリペリチキンを調べ、
その流れで同年11月のマカオでアフリカチキンを取材。
ここでキーになったのが、この文化のキャリアとなったポルトガルの存在です。
実際、マカオではポルトガルチキンなる、
ポルトガルでは見たことも聞いたこともない、土鍋入りチキンカレーがありました。
ポルトガルにないポルトガルチキン、
そして共通性の見えないペリペリチキンとアフリカチキン。
あれらはいったいどこで生まれ、どのように伝わり、どう変化していったのか?

以来、そのミッシングリンクを探し、2017年にはオマーンへ、
2018年にはモザンビークでオリジナルと言われるフランゴ・ピリピリを確認し、
2024年にマレーシアのマラッカとペナンで取材、
僕らは点状に散らばる大航海時代のポルトガルの交易地を線で結び始めたのです。
なかでも「カリル(カレー)」のキーワードで重要なのがゴアでした。
そこで僕らは一昨日、ムンバイからカルマリを経由してゴア州のパナジへ。
鉄道で725キロメートルの距離を8時間30分かけて移動し、
ついに15年越しの念願の地を踏んだのです。

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今回は短時間(?)だったので椅子席です 車内はローカルで満席
座席背面のアトラクションシステムは数年前から故障中・・・かな?

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真夏のカルマリ駅に到着 暑い!

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こじんまりした駅舎
駅前の埃っぽいロータリーから市内まではオートリキシャで

電車を降りて僕らを迎えたのは強い日差しと36度の気温。
ムンバイですでに真夏日となっていましたが、
さらに南北で約400キロメートルも南下したせいか、
車窓から見えていた風景も、ほとんどジャングルの密林。

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ラテライトの痩せた土壌 水辺まで押し迫る緑 厳しい自然の姿でした

ここでさらに気分を盛り上げてくれたのが、
いかにも南国の安ホテルといった風情のここ。

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手動でドアを開閉するエレベータから部屋に至る通路は開放型で、

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かごが来たら建物側木製ドアを開け、次にかご側の蛇腹ドアを開けて中に入ります
希望階に着いたらその逆の手順で外へ セルフサービスエレベーター

大きなファンが天井で回り、古臭い部屋の臭いも相まって、
お〜、これこれ!って感じ。オールドファッションなんでねぇ・・・

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殺風景ですが清潔で必要最低限の機能はしっかり
ゴアは観光地のせいか宿相場が高かったのですが、それでもここは1泊4,110円

それに今回の長旅はネットこそ活用していますが、
先はあまり決めず、基本的に出たとこ勝負で進める、まさに僕らのスタイル。
こうなると行程は過酷なことが多くても、反対にやりやすいのですよ。

さて、ゴアと言えばかつてヒッピーの聖地のひとつでしたが、
名を馳せていたのはもっと北にあるバガやアンジュナなどのビーチ。
僕らの目的は料理取材なので、よりローカル色の強いパナジへ。

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こうした様式の小さな教会がそこかしこにあります
フランシスコ・ザビエルもここを経由して日本へ

至る所にポルトガル時代の面影が残り、
ちょっとマカオやマラッカに似ている気もします。
実際、東部にはシンガポールのカトン地区を彷彿される、
カラフルなコロニアル調の街並みも残っていました。

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きれいなのは建物の色だけではなく、道路がまた非インド的なのですよ。
アムリトサルやデリーでお伝えしましたが、
インドの道路は自動車と人の往来だけではなく、
ゴミ捨て場や公衆トイレとしての「機能」も持っています。
ですからただ歩くだけでも、
自動車とバイクが至近距離をかすめて走るスリルを取るか、
息を止めてゴミと排泄物の脇で、
肺活量テストを受けるかの選択を迫られるのです。
それが意外にもムンバイでかなり減り、
ここパナジでは結構普通に歩けるようになったではないですか。
この変化は旅人として実にありがたい。
(もちろんジャパンスタンダードと比べちゃいけませんが)

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こんな意味深のウォールアートも

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ホテルのすぐ近くにはヒンドゥー寺院があり、祈りの歌が聞こえます

料理の面では知っているようで知らなかったインド料理の奥深さに驚いています。
たとえばムンバイのパルシー料理。
これはイスラムの東進に追われてペルシャから移住したゾロアスター教徒の料理で、
僕らがイランで調べたものの延長線上だけではなく、
インドの影響を受けて変化したものもあり、実に興味深いです。

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チキン・ベリー・プロフ
イランでもたびたび食べたフルーツ入りのプロフ
甘みと酸味、ほのかなスパイスの香りが絶妙なバランスです

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チキン・コトレット
一見メンチカツ風ですが中身はかなりスパイシー
カレー風のグレービーソースを添えるバージョンもあり

また、パナジでは、ポルトガルの影響を受けた料理があり、
ペリペリチキンやフェイジョアーダなど、原型を知っていると、
料理がいかにローカライズされて行くのかが舌で感じられます。

ちなみにかつて西欧人が押し寄せたゴアは、今やインド人の観光地。
やはり東アジア人は珍しいのか、ここでもそこかしこで声をかけられました。
昨日もマンドーヴィ川の河口で夕焼けを見ていたら、
ローカルの年若い女性たちが近付いてきて、

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靄で不思議な色になった夕焼け ちょっと幻想的でした

「インドの他にどこか行きましたか?」
「僕たちは長い旅の途上でね、ここの前はキルギスにいました」
「キルギス? まぁ! 今まで何か国を旅したのですか?」」
「ん〜、いろいろとね。でも世界は広いから、ごく浅く半分程度だよ」
「私なんかインドから出たことはありません」
「いいじゃないか、インドは広大だから。北と南で全然違うし。
 それに僕が君と同じくらいの年齢のころは、日本を旅していたんだ。
 インドよりずっと小さな国だけどさ」
「いつか日本に行ってみたいです」
「ああ、ならばその日は必ず来るよ、君が望むのであれば」

インドから日本への旅は、その逆にはないハードルがいくつもあります。
しかし、若い世代には、いつもそれを乗り越える希望と情熱がある。

May the road be kind to you.

僕らは旅人の卵たちに別れを告げ、夕闇の迫る道をホテルに帰りました。
乾いた涼しい南風が、とても気持ち良かったです。

to be continued...

えーじ

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ケララ州から旅行で来た人々と いつかどこかでまた会おう!
posted by ととら at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2026年01月15日

第27回取材旅行 その38

・・・?
夜が明けてる。8時か。ここはどこだ?

マップは・・・GPSのシグナルが拾えない。
アムリトサルは、ほぼ定刻の9時に出発したけど、
ニューデリー駅に着いたのは1時間遅れの21時。
あれから11時間か・・・今どのへんを走っているんだろう?
途中で何度も長く停まったからな。

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濃霧に包まれた肌寒いアムリトサル駅を出発

外は30メートル先も見渡せない濃い霧に包まれ、
かろうじて読み取れた駅の看板にはDauraの文字が。

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インド中央平原で見た朝焼け
窓ガラスを通した色が幻想的でしたので色補正しないままの画像です

ダウラだって? ここまでの走行距離はざっと1020キロメートル。
23時間かかってようやく半分か。やれやれ・・・先は長いな。

それでも緯度を750キロ近く南へ移動したせいか、
暖房のない車内がだいぶ暖かくなりました。
外の植物にも変化が見られ、ソテツやヤシの木が増え始めています。

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乾いた大地が広がるサバンナ 標高は280メートルほど

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2日目にはホームにブーゲンビリアが咲いていました

僕らが乗ったのはアムリトサル発ムンバイ行き11058号。
約2000キロメートルを39時間かけて走る長距離列車ですから、
AC2段寝台車に乗りました。

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インド鉄道名物 車内販売のチャイ 売り手によって味が違います

ニューデリー駅まで車内はがらがら。
そこから乗客が一気に増え、ムンバイまでの旅の道連れは、
8歳のお嬢さんを連れた30歳代のご夫婦と、同じく30歳代のムスリムの男性。

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僕らに興味津々 隣のコンパートメントから何度も顔を出すシャイな女の子

とにかく外国人が珍しいのか、僕らは注目の的でした。
みなさん英語はビミョーでしたが地球人同士のコミュニケーションでOK。
難しいことはありません。
合掌しつつ「ナマスカー(こんにちは)」
と、スマイルだけで友好関係を築けますからね。
以降は途中でヒンドゥー語を教えてもらったり、
こちらは日本語の文字と書き方を講義したり、
お互い「へぇ〜、そうなんだ!」と頷くことしきり。
そうそう、頷くといっても、これもインド式は僕らと逆なんですよ。
「イエス」で首を横に振り、「ノー」でうんうんとなる。
ほんと、おもしろいですよね、文化の違いは。

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よそ者には秩序がわかりにくいインドの駅 線路内もひとが歩き回り

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さらに住んでいるような人々も・・・
インドは変わった、という向きもありますが、それは所得の上位だけ
25年前から底辺に変化が見られたとは僕には思えないな

ほぼ丸2日間の移動ともなると次に重要なのが食事。
どうやら食堂車はないらしく、となれば事前調達しかないか?
とはいえ2日間常温で保存できる食料は限られています。

ん〜・・・ずっとパンばかり齧っていてもねぇ・・・
車内販売は衛生的に不安が残るし・・・

と悩んでいたときの救世主が、
鉄道アプリIXIGOでみつけたレストランのウェブオーダー。
これは駅ごとにある飲食店にウェブ経由で料理をオーダーし、
停車時間に作りたてを席までデリバリしてもらえるという優れもの。
決済も事前にクレカでできるんですよ。

しかし、何ごとも「インド」なので、手放しで喜んではいられません。
保険である程度のパンやジャムなどを持ち込み、
デリバリー駅で待ってみました。
すると、昼と夜それぞれ2回ずつ、計4回オーダーしてキャンセルは1回のみ。
成功率75パーセントでおいしい料理にありつけたのです。

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黄色がパニール(チーズ)カレー、赤茶色がチャナ(豆)マサラ
ボリューム満点 二人でお腹いっぱいになって約600円くらい

ここで織り込み忘れたのは列車の遅延。
2日目の20時に食べるはずだった夕食が届けられたのは何と24時!
車内はみんな寝ているので照明がつけられず、
ふたりで深夜の闇カレーパーティに。

そんなわけで食事の問題は解決し、ベッドの寝心地も良く、
二人とも朝までぐっすり。めでたし、めでたし・・・

にはならないのがお約束。

食事の次といえば・・・そう、ただでさえヤバイ、インドのトイレ事情。
それが39時間に及ぶ客車内の状況ともなると、どうなるか?
ここで例によってビジュアルにお伝えしようと思いましたが、
この前、恐怖のダルバザ型トイレの写真を載せたら不評でしたので、
ここはご想像にお任せしましょう。
言い添えるとしたら、発車後、1日経過した後は、
僕らでさえドアを開けると、究極の選択を迫られる状態だった、
という結末。

長い乗車時間、僕らは取材のノートをまとめたり、読書したり。
また変わり行く車窓からの風景を見ているだけでもまったく飽きませんでした。
今回はほぼインド亜大陸を南北に縦断。

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人の営みがぎゅっと凝縮された街並み 
左は洗濯もの 右はゴミが散乱したどぶ川

植物が変わるだけではなく、人々の装いも大きく変わりましたからね。
アムリトサルからデリーを経由してアグラーまで南下する間、
暖房のない車内は寒くて僕らは冬の服装のまま。
それが翌日の昼を境に一枚ずつ上着を脱ぎ始め、
ムンバイで降りたときはシャツ1枚に。
冷たく乾いた空気が湿った暖かい南風に変わり、体も気分も一気に南国へ。

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ときには大きな河を渡り 雨季と乾季で景色が大きく変わります

とどのつまり、狭いベッドの上で寝たり起きたりしていただけですが、
さすがに40時間を超える鉄道移動は疲れました。
顔も満足に洗えませんしね。
ムンバイ駅にほど近いホテルにチェックインしたのはまだ暗い朝の5時半ごろ。

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早朝にもかかわらず多くの人々が行き交うムンバイ駅

3日ぶりにシャワーを浴びた僕たちは暖房ならぬ冷房のスイッチを入れ、
ベッドで体を伸ばしたのでした。
この長い旅も残すところ21日。ここから最終フェーズの始まりです。
今日はまず、激変した気候への適応に集中して、取材は明日からがんばります!

to be continued...

えーじ

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5時間遅れて出発2日後の朝5時にムンバイ駅へ到着
乗車時間は合計44時間にのぼり、僕らの旅歴で最長記録を更新しました
(うげげ、偶然ペアルックみたいになってしまった!
 趣味ではありません。念のため。)
posted by ととら at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2026年01月11日

第27回取材旅行 その37

今回の旅も110日目になりました。ふたりとも「奇跡的に元気」です。
これまでで調子を崩したことは何度かありましたけど、
前回のように病院に行ったことはありませんからね。

とはいえ、ほどよくボロボロになっているのも事実です。
ことインドでは健康管理がなかなか難しいのですよ。
とにかく衛生環境が悪いのと、大気汚染も場所によって深刻。
そして今回は寒さと空気の乾燥が加わり、僕らも慎重に行動しています。

ボロボロといえば、外見も結構ヤバイかな?
考えてもみてください、同じ服を100日以上も着続けるとどうなるか?
ともこが裁縫道具で修理してくれてはいるものの、
もはや日本で着れる状態ではありませんね。

加えてインドで公共の交通機関を使った陸路移動は、
とにかく「Oh,No!」の連続ですから、バックパックもさることながら、
僕らの靴や服は「触らない方がいいですよ」になっておりまして。
特に履き続けている靴はハイターに一晩漬けておきたいくらい。

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ダラムサラ発のローカルバスのラゲッジスペース
写真中央の黄緑色がともこのバックパック 僕のはその下敷きで悲惨な状態に
ハッチの汚れ具合から中がどうなっているかご想像いただけるかと思います
イヤなら写真左のはしごを登って屋根の上 ある意味 究極の選択でしょう

それから長い料理取材に伴う自分の好みとは異なる食生活も、
ボディブローのように効いてきています。
やわな日本人にとって、インドで非加熱食品はご法度ですから、
生野菜が食べられないでしょ?
ビタミンはサプリメントで補っているものの、
二人とも完全に食物繊維不足なんですよ。
スパイシーな料理は大好きとはいえ、朝からこういうのばかりじゃあねぇ・・・

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今朝食べたアルー・パラタ チャイもおいしいです

そういえば以前もインドを含む南西アジアを旅して帰国したときは、
空港に着くなりレストランに駆け込んで、
メニューに載っていたサラダを全種類オーダーしたっけ。

それでも以前に比べて楽しめることが増えました。
それはコーヒーの普及。これ、タイにも共通していて、
日本で当たり前のおいしいコーヒーにありつくことは、
夢のまた夢だったのですよ。
それがエスプレッソマシンまで置いている店が現れ始めたとは。
しかし、コーヒー自体がまだ一般的ではありませんし、
価格もチャイの5〜10倍はするので庶民の飲み物とまではいきませんけどね。

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アムリトサルのお洒落なカフェで こういうのは昔ありませんでした

それからかつて見なかったのは中華料理。
ダラムサラでもインディアン・チャイニーズはそこかしこの飲食店にあり、
焼きそばのChoumenに至っては、
Made in Indiaと謳ったインスタントが食品雑貨店で並んでいるくらい。

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ダラムサラで食べたChoumen 醤油もソースも感じられないマサラ風味

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同じく四川風チャーハン
ピリ辛チャーハンにピリ辛の麺入りあんがかかっている

ところが今のところ中華系の飲食店や食材店は目にしていません。
それどころか中華系の人すら見かけていないので、
中央アジアのように「ニーハオ!」と声をかけられたこともなし。
こうしたイメージのひとり歩きは、
どうやら20年ほど前から一般化し始めたようですね。
いずれも換骨奪胎され、完全にインディアン・チャイニーズになっています。
こういうのも食文化の特徴としておもしろい。
日本の街中華だって、同じようなプロセスを経ていると思いますし。

さて、僕らは昨日の午前中にダラムサラからアムリトサルに戻ってきました。

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ダラムサラのバスターミナルを出発したのは5時9分
パタンコットを過ぎたあたりで朝霧にかすむ幻想的な朝焼けが見れました

滞在しているのは駅に近い安宿横丁のどん詰まりにあるこんなホテル。

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知らないと少々腰が引けるこんな路地の奥に・・・

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典型的なインドの安ホテル

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ホテルの裏はこんな感じ 表通りの一歩裏側は貧しい住宅ばかり

例によって気温5度にもかかわらず暖房がないので、
(部屋の中で息が白い)
このブログも外出着のままベッドに入って書いています。

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まぁ、ダブルルームが1泊約2,550円ですからね〜。多くは望めません。
電気給湯器のシャワーが使えるだけラッキーかな?

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タンク内の水が電気で温められる仕組み
お湯が少なくなると急に湯温が下がり、ほどなく水になってしまいます
素早く髪を洗うのが悲鳴を上げないコツ
ここのは小型なので、ひとりが使ったら次は20分待ち

駅周辺は良くも悪くも「もろインド」な地域なので、
さすがに外国人の姿は見かけませんが、
終日聞こえる列車の警笛が旅情を誘います。

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アムリトサル駅 待合所では寝台車用の毛布が売っていました

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駅前の道路はさながらインドの縮図のよう

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歩道橋の上で 道は歩くだけではなくゴミ箱でもあるので 誰も片付けませんが

「もろインド」といえば、道の渡り方もそう。
心を無にして流れを横切る、いわゆる「ベトナム式」なんですけど、
ベトナムより自動車やバイクのスピードが速く、
少しでも前に割り込もうとするドライバーが殺気立っているので要注意。
「今だ!」というタイミングを見計らい、ゆっくり泰然と目立つように渡ります。
「怖い!」と感じても、けして立ち止まったり走ったりしてはいけません。
ドライバーにこちらの動きを予測させることが大切なのです。

アムリトサル駅はデリー駅と違い、ある程度の秩序がありました。
チケット売り場の様子を見たら、あれなら外国人でも並んで買えるかな?
明日は午前中にここから長距離列車で、
2000キロメートル以上離れたムンバイに向かいます。
所要時間は39時間。遅れがお約束なので、
たぶん45時間くらいかかるのではないかしらん?
ってことは、ムンバイ到着は1月14日の早朝かな?
これまた僕らの旅歴で最長となります。
はてさてどうなることやら。
とりあえず2日分の水と食料をどうにかせねば。

to be continued...

えーじ

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閑静な住宅地にある、ちょっと高級なレストランで
posted by ととら at 23:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2026年01月08日

第27回取材旅行 その36

今日のダラムサラは快晴。
気温は最高が15度で最低が5度。
日本との時差はだいぶ短くなって3時間30分です。

今日はあまり知られていない、この地域のお話をしましょうか。
一般的にダラムサラという地名で括られていますが、
ここは大きく4つに分けられるのですよ。

まずそのダラムサラ。チベット人はあまり住んでおらず、
インド人が中心の山間にある小さな地方の街という感じ。
交通の起点となるバスターミナルはここにあります。

そこから250メートルほど標高を上げた稜線上にあるのが、
僕らが今滞在しているマクロードガンジ。
南端のダライ・ラマ法王庁から、
北に900メートルほど行くと小さなロータリーがあり、
これを結ぶ2本の細い道を中心にホテルや飲食店、土産物屋、
その他の商店がぎゅっと建ち並んでいます。
街行く人もモンゴロイドのチベット系が多く、
インドらしからぬ雰囲気の街。

僕らが投宿しているホテルは、
その中心から南東に伸びた細い枝道の先にあり、
更に120段の石段を下りたところなのですよ。

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画面左の細いパイプのスパゲティは水道管

というわけで、何をするにも外出するからには、
これをえいえい登らねばならない。
標高が高いこともあって、ほとんど高地トレーニング状態です。

前回お話した安宿はあまりの寒さに1泊で引っ越しました。
こうしたケースもあるので、
インドで宿泊する場合はむやみに連泊予約はせず、
取りあえず一日泊まって様子を見ることが大切です。
次はざっとネットで探した後、
実際に行って部屋を見せてもらい、条件のチェックが必須。
今回欠かせなかったのは暖房です。
ところが困ったことに冬季はオフシーズンなので、それなりの値段のホテルでも、
暖房を完備しているところはほとんどないじゃないですか。
と落胆しつつも、じっくり探したらありました。
それも最初に泊まったホテルの路地を挟んですぐ反対側。
さっそく行って、

「今日泊まれますか?」
「ええ、もちろん」
「部屋を見せてもらえます?」

案内されたのは4階にあるこんな部屋。

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明るく、ベランダがあり、窓から雪を頂く山並みが見渡せます。
しょぼい電気式ですが温水もOK。Wi-Fiはぼちぼち。寝具も清潔です。
ところが肝心の暖房が見当たりません。

「暖房はないのですか?」
「ありますよ、後でヒーターを持って来ましょう」
「いいですね、では一泊いくらですか?」
「2,000ルピーと市税で合計2,100ルピー(約3,800円)です」
「では泊ります。これから荷物を持ってきますね」

と、順調に話は進んだものの、夕暮れにオーナーが持ってきたのは・・・

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こ、これか。
こんなんで大丈夫かしらん?

そう不安になりましたが、これが使ってみると予想以上の効果が。
おかげでベッドから出ても普通にしていられる環境が手に入りました。
しかし、何ごともただでは済まないのがインド。
連泊を申し込み、
3,800円を3,500円に値引きしてくれたのに気をよくしていた僕らですが、
さぁ、そろそろ寝ようか、というときに、

「ん? 何か臭いぞ」
「え? あ、ほんとだ」
「これはプラスチックが焦げる臭い・・・ヤバイ!

ヒーターから順番に点検を始めた僕は、
電源プラグの変換コネクタから煙が出てることに気付きました。
慌てて抜こうとすると、触れないくらい熱くなっています。

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熱で溶けて変形した変換コネクタ 
ちなみにヒーター、変換コネクターともにインド製

「あと30秒遅かったら発火していたかもしれない」
「怖いね。寝てたときじゃなくて良かった」
「まったくだよ」

そう、もし就寝中だったら、ニュースネタになっていたでしょう。
インドのホテルは煙感知器やスプリンクラーがなく、
部屋も防炎素材で作られているわけではありません。
こうした電気系統による火災が発生した場合、
あっという間に燃え広がってしまいます。
翌朝、事情をオーナーに説明し、
新しい別機種の変換コネクタを貸してもらえましたが、
寝る前に電源コンセントを抜くようにしたのはいうまでもありません。

ともあれ、これに気をつければいいホテルなので、
あれからずっと泊まっています。
再度延泊を相談したら、さらに値段を3,150円まで下げてくれましたしね。

さて、話を他の地域に戻しましょう。
マクロードガンジから100メートルほど標高を上げたところに、
ダラムコットという集落があります。
ここは中心の道が細くて自動車が入れないせいか、
マクロードガンジに比べてかなり静か。
そのため瞑想センターやヨガ教室などが集まっています。
飲食店もベーガンやオーガニックが中心。
スピリチュアルな目的の西欧人はここに滞在することが多いそうで。

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ダラムコットに下る尾根沿いの交差点

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ダラムコットの路地

また、標高はほぼそのままで、東に2キロほど行くと、ナグの滝に近い、
バグスという集落があります。

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水がきれいなナグの滝

ここはある程度の平地があり、行きやすいこともあって、
土産物店や飲食店がマクロードガンジと同じように並んでいました。
インド系の観光客でけっこう賑わっています。

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バグスの風景

総じて典型的な観光地の風情で、
スピリチュアルな要素を期待して行くと、がっかりするかもしれません。
実際、僕も想像していたイメージとはかなり違い、驚いたのも事実ですし。
亡命政府や難民キャンプも60年以上たつと、すっかり新しい土地に馴染み、
落ち着いているんだなと思ったくらい。

しかし、チベット人が経営しているチベット料理店を取材していて、
ふと、料理以外に気になったことがひとつ。

彼らのビジネスは儲かっているのだろうか?

そう、亡命の地で店を構え、場合によっては、
インド人従業員を雇うまで成長してはいるものの、
その内実はどうなのだろうか・・・と。

そこで経済の面から調べた結果は、残念ながら明るいものではありませんでした。
店舗はチベット人が経営していても、物件を所有できない仕組みなんですよ。
なぜならインドでは外国人が土地を購入することができませんから。
では僕がマクロードガンジで接しているチベット人の国籍とは?

それがなんと、国籍上は、
「中国籍と見なされている」チベット人だったのです。

とはいえ亡命した身の上ですから、
当然のことながら、中国政府が発行した身分証明書は持っていません。
代わりにインド政府から難民として「一時的居住許可」が与えられ、
中国パスポートの代わりに「Tibetan Refugee Travel Document」、
通称イエローブックが発行されるのです。

では、これで僕らと同じような生活の基盤が整ったのかというと、
そういうわけでもありませんでした。
インド人ではないので健康保険や年金など、
主要な行政サービスの適用外なのですよ。運転免許証は取れますけどね。
だからセイフティーネットとして機能しているのは、
民間保険、NGO医療、寺院支援、家族・親族の援助など。

む〜・・・

一見すると、観光地で安定した生活を営んでいるように思えても、
その舞台裏では、常に不安定な緊張にさらされている。
努力を積み重ねても、それが報われる環境が整っていない。
難民という立場は、たとえテント生活から解放されても、
世代を超えて付きまとってくるのか・・・
それに気づいてから、道行く人々の顔が違って見えるようになりました。

ここで僕らにできることとは何だろう?
まず帰国したら、パレスチナの旗の横に、これをディスプレイしようと思います。

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チベットの国旗 通称「雪獅子旗(せっししき)」

そして、ここで食べた料理の経験を皆さんとシェアすることで、
チベットだけではなく、
国を追われた、国なき人々のことを一緒に考えられれば・・・

小さな一歩ですが、そんな風に考えています。

to be continued...

えーじ

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posted by ととら at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2026年01月05日

第27回取材旅行 その35

日本は今日から仕事始めの方が多いそうですね。
僕らは1月3日にアムリトサルから路線バスで、
インドの北西部の小さな街、ダラムサラに移動しました。

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標高1680メートル、冷え込んだ20時30分のバスターミナルに到着

この移動が「もろインド」。
まずアムリトサルのバスターミナルがこんな感じ。

amritsarbusstand_in.jpg
周辺はオートリキシャとタクシーがひしめき合うカオス
デスメタル並みのクラクションで話し声も聞こえず

とにかく路線図や時刻表、案内板がほとんどないので、
いろいろ人に聞きながら出発プラットホームにたどり着き、
チケットをゲットしたのです。ひとり400ルピー(約695円)也。
そして待っていたのがこのバス。

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やぁ、君はもしや僕と同世代? の博物館級バス
こいつが実にがんばってくれました

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乗ってさらに驚き こりゃ本当に動くのかしらん?
しかも車内は掃除と修理の2語とは生涯無縁の状態
ヒンドゥーの神々のご加護は大したもんですな

これに揺られて7時間30分の移動は、ほとほと疲れました。
暖房はなく窓は割れ、風が吹き込んで全身埃っぽく、くすんだ感じに。

antthingontheroad_in.jpg
道路はこうして何でも走ってます ときには牛、馬、ロバ、犬もね

しかし生のインドを知るにはいい機会だったと思います。
車窓を流れる市井の風景のみならず、
たとえば無秩序に停めてある自動車がバスの通行を妨げてしまったとき、
車掌のお兄さんがバスを降り、
通行人を集めて人力で自動車を持ち上げて移動させたり、
混んだ車内に2歳くらいの子供2人を連れたお母さんが乗ってきたものの、
動きようがなかったので、僕らがとっさに子供を抱き上げ、
しばらく膝の上に座らせていたり・・・
言葉はほぼ通じませんでしたが、肌でこの国の生活が感じられましたからね。

そして「ようやく着いた!」と転がり込んだ安宿は、

「今日は混んでいて空きは一部屋しかありません。
 湯沸し器が壊れているのでシャワーが使えない部屋です
 
さんきゅう、べりまっち。

ま、シャワーはともかく、ここも暖房がなく、部屋の中で息が白い。
室温は5度。仕方なく、温かい食事でお腹から温め、
重ね着してベッドにもぐり込みました。

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一泊約1,650円の安宿は110段の細い階段を降り、さらに奥まった所にありました
下りはいいのですが、登りは・・・

ダラムサラと聞いてピンと来た人はチベットに関心を持っていますね。
そう、中国による侵略からダライ・ラマたちが亡命し、
インド政府(ネルー首相当時)の計らいで難民キャンプが作られた場所です。
地形は山の斜面で、ホテルの部屋からも雪を頂くダウラダー山脈が見えます。

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ホテルの部屋から見た、夕焼けに染まるダウラダー山脈
こういう風景を見ながら、ぼ〜っと過ごすのも旅の醍醐味のひとつでしょう

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山の斜面に張り付くように形成された街 平地はほとんどありません

実際、チベット亡命政府の施設があるのは、
ダラムサラよりさらに8キロほど上がったところにあるマクロードガンジ。

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チベット亡命政府の建物 この奥に御年90歳のダライ・ラマが住んでいます
残念ながらお会いできませんでしたが・・・

ここのロータリーでバスターミナルから乗ったタクシーを降りて驚きました。
ホテルやレストラン、土産物や密集し、
さながらカトマンドゥのタメヤン通りそっくりの、
もろツーリストタウンじゃないですか!
映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の印象からは、かけ離れた場所です。

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平地がほとんどないので中心のロータリーもこれくらいの広さ

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アップダウンとワインディングが繰り返す路地 ちょっとした散歩も体力勝負です

なんでも、60年前に難民キャンプが作られてから、
チベット人が経済的に自立するため、食堂や手工芸品店、宿泊所をつくり始め、
それが拡大し、現在のような姿になったとか。

そうそう「セブン・イヤーズ・イン・チベット」といえば、
主人公ハインリヒ・ハラーと親友ペーター・アウフシュタイナーの、
別れのシーンでバター茶が登場しますよね。
皆さん、飲んだことはありますか?
僕は30年近く前にネパールで一度試したので、ここで再度トライ。
で、その味なんですが、
ん〜・・・ここはハインリヒの言葉を引用しましょう。

「Ugh! Butter tea, it was never my cup of tea.
 (うぇ、これだけはどうも苦手なんだよ)」

残念ながら僕も同意見なんですよ。
本来はヤクのバターを使いますが、身近な素材で再現するなら、
牛乳にセイロンなどのタンニンが濃い茶葉を使って濃厚なミルクティーを淹れ、
それにバターと塩を少々加えて分離しなくなるまで攪拌します。

この塩味紅茶、カトマンドゥでホームステイ中、
お腹を壊したときに、その家のお母さんが作ってくれたのが初体験。
一口飲んで吹き出しそうになり、最初は何かの間違いか?
と思いましたが、脱水症状を防ぐための電解質を補給する効果があるそうな。
まさしく薬のつもりで飲み干したのも、今では懐かしい思い出です。

しかし今回、久しぶりに飲んだら、やっぱり「うぇ・・」。
で、砂糖を入れると飲みやすくなりましたが、これは邪道だそうで。
ともあれ、映画のあのシーンは心に残りましたね。
嫌がるハインリヒをしり目にピーターは2杯目を注ぎ、こう言うのです。

「伝統に従って、愛する者が旅立つときはバター茶をふるまうんだ。
 でも2杯目は今飲むんじゃない。
 その人が戻ってくるまで、ここにこのまま置いておくんだよ」

さて、ダラムサラまで来たのは、
まさしくここにチベット文化の一部が再現されているからです。
今回の取材のテーマはインド料理と他文化の融合。
ダラムサラでは亡命の地で変化したチベット料理のほか、
インドとヒマラヤ山岳文化、
交易路の影響を受けたヒマーチャリー料理を調べる予定。
まず、とっかかりとして、
日本で知られるチベット料理と言えば、モモでしょう。

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加熱方法は蒸し型で、
系統は中国のジャオズよりモンゴルのボーズに近いと思われます。
そういえばモンゴルは仏教の文脈でチベットと縁が深く、
そもそもダライ・ラマという言葉からして、
モンゴル語のダライ(海のように広大な)+チベット語のラマ(師)の合成語。
チベットの精神的指導者を16世紀モンゴルのアルタン・ハーンが、
そう呼んだところから始まったそうな。
指導者の制度からすると前任者が2人いたので、
初めて呼ばれたにもかかわらず、ダライ・ラマはその時点で3世。

閑話休題。
大陸の文化は近隣の文化からの影響を受けやすく、
チベットもまた例外ではありません。その一例が麺料理のトゥクパ。

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塩味ベースのあっさりしつつも出汁のきいたスープに太麺が入り、
ちょっとタンメンに似た一品です。
これが凍えて疲れた体にじわ〜っと染み入りました。
場所柄ベジタリアン料理が多く、ここでも注文したのは豆腐バージョン。

うまいといえば、ここまで自分の文化に近い料理を食べたのは、
この長い旅で102日ぶり。
インディアンもおいしいんですけど、やっぱり刺激が強く、脂っぽいですからね。
毎日食べ続け続けるにはちょっと・・・
この街で気持ちと体、特に消化器系を休め、
残りの1か月を充実したものにしたいと思います。

to be continued...

えーじ
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2026年01月01日

第27回取材旅行 その34

नया साल मुबारक हो !
(ナヤー・サール・ムバーラク・ホー(新年おめでとうございます!)
国外で初めて迎える年末年始は、
インド北東部の街、アムリトサルになりました。

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デリーから50分のフライトで着いたアムリトサル空港

しかも投宿しているのは、
ダブルルームが1泊2,419円のオールドファッションな安宿。
さらにホテルのある駅周辺の雰囲気は、
列車の警笛が響き、雑然とした半世紀前の昭和の香り。
到着するなり原点に立ち返った僕らは、
いやがうえにも盛り上がったのでありました。

いやぁ〜、いいですね、ほんと趣味です、こういうの。
昨夜はちょろっと雨がぱらつき、
気温も11度とあって暖房のない部屋は少々肌寒かったのですが、
それがまた昔の旅を思い起こさせるじゃないですか。
南米を旅したときなんて、真冬の高地にもかかわらず、
暖房のある部屋には一度も泊まれませんでしたからね。
(さすがにぬるい電気シャワーは勘弁してもらいましたが・・・)

原点に返るといえば、
昨日、鉄道チケットを買いに行ったニューデリー駅。

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ひしめき合う自動車とトゥクトゥクとリキシャ、
終わりのないクラクションの狂騒曲、客引き、意味不明の叫び声、
物乞い、悲し気な顔の犬、小便とどぶの臭い・・・

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昨今BRICSやらIT大国やらと騒がれてはいるようですが、
4半世紀ぶりに訪れた駅前は、何も変わっていませんでした。
強いて違いを言えば、トゥクトゥクの動力がLPG化か電動化され、
2サイクルエンジンの白煙が消えたことくらいでしょうか。

delhistreet01_in.jpg

そうそう、2001年に訪れたときはソロでしたので、
インドデビューのともこはといえば、

「いいじゃん! こういうの大好き!」

と余裕の表情。

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ジョージアの古着屋で買った280円の工事作業服・・・
じゃなくて、ウインドブレーカーを着て

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こんな両替屋で交渉して軍資金のインドルピーをゲット

僕から前情報をさんざん吹き込まれていたのに加え、
アフリカや南米で免疫をつけていたせいか、
汚物だらけで足の運びどころに困る道も何のその。
今後は走るサーカスのような長距離列車移動も待っていますが、
結構はまりそうですね。

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ここにもノラ牛が・・・ノラなのでごみ溜めでお食事中 お腹大丈夫?

ところで年末年始のアムリトサルの様子はというと、

普段と何も変わらないようです。

さっきバスターミナルまでチケットを買いに行きましたが、
街は取り立ててクリスマスやニューイヤーという感じがなく、
お店もフツーに営業しています。
確かに首都のデリーでさえ、そうした雰囲気はほぼゼロ。

peopleontheroad_in.jpg
ゴールデンテンプルの近くはこのとおりの人出

その理由は市民生活がグレゴリオ暦で回っていないから。
お役所系は外国とシンクロしなければならないので、
僕らと同じ暦で動いていますが、
一般的にはヒンドゥーの暦が中心なのですよ。

おかげで昨日は大晦日にもかかわらずやっていた旅行代理店で、
鉄道のチケットをゲット。
更に今日は元旦ですが、
3000円分ほどあった使い残しの古いルピーを、
銀行で新札に交換までしてもらえました。

そうそう、変わらないといえば、インド人気質というんでしょうか、
あの人懐こさと好奇心旺盛なところもあの頃のまま。
英語がかなり通じることもあって、外に出るたび、誰かに話かけられます。
とりわけこの時期のアムリトサルで外国人は珍しいですからね。
なんでもシーズン中でさえ日本人は珍しいとな。

さぁ、この旅も最終フェーズに入りました。
気持ちも新たに未踏の地を旅したいと思います。

to be continued...

えーじ

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シーク教の聖地 アムリトサルのゴールデンテンプル
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2025年12月31日

第27回取材旅行 その33

नमस्ते! (ナマステー(こんにちは!)
僕らは昨日の未明、
「予定どおりの想定外」でインドのデリーに到着しました。

cow_in.jpg
朝、ホテルを出たらさっそく野良ウシのお出迎えが・・・

いやはや前回の締めくくりに「これまた不確定要素だらけでして」
と言いましたが、お約束のようにやってきましたハプニング。
想定していたのは、
インデラ・ガンジー国際空港での乗り継ぎトラブルだったのですよ。
しかし、実際に待っていたのは別のこと。

プランAはビシュケクから国際線で到着し、
入国後、国内線に乗り換えてアムリトサルまで行く予定でした。
トランジットタイムは3時間半。そのうち使えるのは、
国内線のチェックイン締め切りを除いた2時間30分のみ。
一般的には十分な時間でも、インドですよ、ここは。
そこで少しでも時間を稼ごうと、
先日えらい苦労をしてウェブでe-VISAを取得しておいたのです。
(このインドらしいドタバタ劇の話は、またいずれ)

「もうすぐ着陸?」
「ああ、でもちょいと遅れてるな」
「どれくらい?」
「10分前後。だから2時間20分以内に、
 国内線のチェックインカウンターまで行けるかどうか、ってゲームさ」
「早く着陸するといいね」

フライトマップと窓の外を見比べつつ、
僕らはやきもきしながら待っていました。
そして着陸3分前になって妙なことに気付いたのです。

変だぞ、フライトマップの高度は800メートル。
にもかかわらず、窓の外に街の明かりが見えない。
着陸まで2分切ってるじゃないか。システムに遅れが反映されてないのか?

そこへ機外灯の光が厚い雲を照らし出しました。

なるほど、雲の中を降下中か。でも、それにしては揺れないし、
こんな低くまで雲の底が届いているはずもない。
いったいどうなって・・・

どかんっ!

なんだこりゃ!? 着陸した? 

窓の外には滑走路のエッジライトや進入灯がぼやけて見えます。

・・・? 温度差で窓が曇ってる?
いや、違う、ものすごい濃霧だ。視界が30メートルもない。
これじゃ目視操縦は無理だ。計器着陸したんだな。たいしたもんだ。
それで着陸が少し遅れたのかも。とりあえず、よしってところかな。
じゃ、シナリオどおり、
国内線のチェックインカウンター目指してタイムレースと行くか。

僕はスマホの機内モードを解除し、ネットに繋ぎました。
そこへさっそくメールの着信が・・・

「な、なんだって!」

「びっくりした、どしたの?」
「どうしたもこうしたも、アムリトサル行きが欠航だって」
「え〜っ!」

メッセージには「by weather」となっていましたが、
僕はその詳細をリアルタイムで見ていたことになります。

はぁ・・・そりゃそうだ、これじゃ空港は封鎖だろう。
思えばよくまぁこの状況で着陸したもんだよ。
デリーに無事着いただけでもラッキーか。

結局、僕らはほぼ徹夜。
忍耐力テストのようなアルマトイでのトランジットに続いて、
デリーの入国でへろへろの上、今度は朝4時の空港で取り急ぎの宿探し。
毎度こんな話をしていると、
僕を中心に旅が進んでいるように思われそうですが、
こういうトラブルシューティングも後方支援があってこそできること。
ととら亭での仕事と同じように、
この旅でもともこが毎日がんばってくれています。
料理取材の主体は彼女ですしね。
ほんと、お疲れさまでした。
では、今年のブログの締めくくりは、彼女にバトンを渡しましょう。

ともこです。

今回の旅に出て今日で99日目。
ちょうど100日目で新年を迎えます。
昨年から続くユーラシア大陸横断の旅のパート2も、
残すところあと1か月ちょっとになりました。
1年の半分を旅に出て、また半分をととら亭で過ごせることを、
本当に幸せに思っています。

「ずっと旅をして生きて行くにはどうすればいいんだろう?」
20代のころ、思い描いていた夢を現実にしてくれたえーじに感謝しています。
そして戻る場所があり、待っててくれる人がいて、
やりがいのある毎日だと思える日々があることにも感謝しています。
ときには大変で逃げ出したくなることもあるけど、
自分で選んだ自由な生き方ができる今が一番だと思っています。

私にとって本当に必要なことって、すごく少なくて、
それを手に入れて笑顔で過ごせる日を、この先、一日でも長くしていきたいな。
私たちの旅はまだまだ続いて、さらにワクワクが増えていく感じです。
来年も自分らしく生きて行こう!

to be continued...

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Let dive into the unknown future
posted by ととら at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年12月28日

第27回取材旅行 その32

Салам алейкум!(サラーム・アレイクム(こんにちは!)
今朝9時過ぎ、僕らはこの旅18番目の渡航国、
キルギスのビシュケクに到着しました。

manas_kg.jpg
ビシュケクのランドマーク マナスの像

旅人も長らく続けていると、
「旅慣れていますね」なんて言っていただけることがありますが、
確かにある程度は慣れているものの、
「何もかもお見通し」というわけではありません。
これは本人が言っていることなので本当ですよ。
今回のタシュケント、ビシュケク間の夜行バス移動なんて、
その典型ともいえる内容でしたからね。

はじまりはまさしく「慣れた」バスチケットの購入から。
ウェブではアカウントが作れず、ホテルのツアーデスクで買ったのですが、
席を選ぶ画面に表示されたのは、見慣れた1、2階構成のシート図。
値段もひとり365,000ソム(約4,741円)と妥当な金額です。
そこでガラ空きだった2階の中央付近を確保しました。
そして異変の前兆は、バスターミナルで出発ホームを確認しに行ったとき。

えっと、18番ホームか・・・
ここは15番でその先が16ってことはもうちょい先だな。

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あった、ここだ。お、もうバスが来てるぞ。
行き先は、Ташкент Бишкекとなってる。18時発も間違いない。
ドライバーは・・・準備中か。まだ出発まで1時間ちょっとあるしな。
あ、きたきた。おや、何をやってるんだ?

ドライバーは入り口付近から60センチ四方の板を取り出し、道路に置きました。
続いて、それを踏み台に靴を脱いで乗車したのです。

はぁ? 土禁なの? バスが? そんなわきゃないだろう・・・
あ、そうか、車内をきれいに掃除したので、汚さないようにしてるんだな。

ところが乗車時になって、ことの真相が明らかになりました。
手渡したチケットをチェックしたあと、
紫色の大きなビニール袋を配っていてですね、
何と乗客はさっきの四角い板の前で靴を脱ぎ、袋に入てるじゃないですか。
そう、あの板は「玄関」なんですね。どおりでミニ絨毯が貼ってあったわけです。
そして車内に入ってすぐ次のサプライズが待っていました。

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そう、2階建てじゃありません。2段寝台だったのです。
このタイプ、以前メキシコか南米のどこかで見かけたことがありましたが、
乗るのはこれが初めて。座席指定画面の図は椅子のアイコンでしたし、
どう見てもダブルデッカー仕様だったのでふたりともびっくり。

interbus_kg.jpg
上のベッドによじ登ってごきげんなともこさん

残念ながら、こうしてはしゃいでいられるのも数分のことでした。
酷寒の車外と対照的に、車内はドライサウナ級の暑さなんですよ。
5分もすると暑いのを通り越して息苦しくなってきたくらい。
それでも皆さん耐えています。
とはいえ僕らまで付き合う必要はありませんから、
翻訳アプリをロシア語にセットし、ドライバーに直訴。
これで車内温度問題は解決。

やれやれと胸をなでおろしたいところですが、
僕はまだ少々ブルーな気分でした。
どうしたわけか、バスルートがカザフスタンを通過するのですよ。
ということはギョーザ本でも触れた、
ジベク・ジョリ − ギシュト・クプリク国境を抜けねばなりません。
僕は2016年の悪夢を思い出していました

ところがまもなくマップを見ると、バスはもう少し西に向かっています。
時刻は出発して1時間15分経った18時30分。
僕らが着いたのはカプランベク − ナヴォイ国境とは。

「ともこ、荷物を持って降りるよ。忘れ物に気を付けて」

ここは初めてだな。勝手がわからない。
外はすごい人だし、何かイヤな予感がする。
(これが残念ながらよく当たりますからねぇ・・・)

この不安に追い打ちをかけたのが、ドライバーのロシア語による早口の説明。
僕が聞きとれたのは「トアレット」という単語ひとつのみ。
全員が忙しい国境で一から質問をしている暇はありません。
僕は乗客を見回して、英語が話せそうな人を探し始めました。
すると、ともこの斜め下の寝台には20歳代後半と思しき白人の男性が・・・

「やぁ、ドライバーが何を言っていたかわかりましたか?」
「ええ」
「どちらから?」
「ロシアです」

ナイス!

「僕はえーじ、こっちはワイフのともこ、君は?」
「アレキサンダーです」
「じゃ、アレックスだね」

彼は聞きやすい発音の英語で答えてきました。
さっそく車外に出たところで挨拶をかわし、即席ガイドを頼むことに。

さぁ。頼りになる援軍を見つけたぞ。

と気を取り直して建物に入りましたが、中はがらがらでいきなり拍子抜け。
どうやら混雑していたのはカザフスタンからウズベキスタン方向への流れで、
逆は空いていたようです。
前回は倒れるかと思った恐るべきウズベキスタン出国はあっけなく終わり、
カザフスタンもほぼスルー。
レギストラーツィア(滞在登録)の確認、
面倒な入出国カード、税関申告書もすべてなし。
両方合わせて20分程度で抜けられるとは、まったく予想していませんでした。

しかし、国境が改善されたわけではないのが分かったのは、
カザフスタンを出国する人々を反対側から見たとき。
まさに2016年のウズベク側で繰り広げられた悪夢が再現されていたのです。
国境の敷地は広いのですが、イミグレに続く通路は金属製の柵で細長く狭められ、
そこに次々と出国者が入り込んできます。ところが元旦の明治神宮同様、
イミグレ手前30メートルくらいのところにある柵で交通規制されているのですよ。

さぁ、ここから惨劇の始まりです。
前が詰まっているにもかかわらず、出国者はどんどん到着し、
その数が増えると同時に全員が前に向かって詰め寄って行く。
結果、最初は余裕だったスペースも次第に狭まり、
やがて平日朝8時の山手線状態に。
しかも出国者の多くが手持ちでどうやって運ぶのか見当もつかない、
椅子や什器などをわっしょいわっしょい運んでいるじゃないですか。

ここで明暗を分けるのがインスペクターの処理速度。
(これが実にまったりスピードでねぇ・・・)
速ければ何とかなりますが、遅いと渋滞内部での圧力が無限大に高まり、
また滞留時間も伸びるので、子供は泣き叫び、
お年寄りは倒れ、怒号が飛び交う阿鼻叫喚の地獄絵図に。

2016年はこれに40度近い高温も重なり、僕らもフラフラになったのです。
それゆえ、ゲートが開いたときのスタンビートが凄まじい。
限界まで圧縮されたエネルギーが解放されるように、先頭から皆が猛ダッシュ!
さながらヤマトの波動砲を発射したような感じ。
あそこで転ぼうものなら背中は足跡だらけにされるでしょう。

あ〜・・・気の毒に・・・

と、人ごとに思っている余裕はありませんでした。
さらっと国境を抜けたのはいいものの、
アレックスは暗く雨と雪でぬかるんだ泥道をずんずん進んでいきます。
両替所やタクシーだまりを抜けても止まりません。

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カザフスタンの国境

いったい、どこまで行くんだ?

彼は国境の先150メートル付近のロータリーまで進み、
そこを右折してさらに進んで行きます。

まさか勘違いしているんじゃないだろうな?

これまで何度も国際バスで国境を抜けたことがありますが、
乗り換えならともかく、同一バスをこんなに国境から離れて探したことはありません。
右折して100メートルほどいったところでようやくアレックスが振り返り、

「ここで待ちます」

そこはバスターミナルというより、路肩のバス停。
それも2台も停まればいっぱいのスペースしかない。待合所やベンチもなし。
あったのは有料のダルバザ(地獄の門)型トイレのみ。

「アレックスについてきて正解だったね」
「こりゃ自力でたどり着くのは無理だよ。マップにも載ってないし」

と胸をなで下ろしたのも束の間、待てど暮らせどバスが来ません。
気温はほぼ氷点下。
結局、乗客一同、道路わきでじっと立ったまま45分ほど待つ破目に。

それでもバスに乗れば、
後はカザフスタン、キルギス国境まで6時間以上横になって眠れます。
僕らは暖かい車内で一息つき、あっという間に眠りに落ちてしまいました。
そして早朝のシパタイ・バトゥル国境も両国そろってほぼスルー。
最後はめでたしめでたしで、ビシュケクに・・・

着きませんでした。

ビシュケクの中央まで24キロほどの地点でバスが路肩に停まったのです。
僕はマップで位置を確認し、

まだ30分くらい寝られるな。

ところがしばらく経ってもバスが発車しません。
外を見ると、そこはバス停ではない、ただの路肩。

そのうち動くだろう。

「えーじ、起きて、何か変だよ」
「時間調整じゃないか? でなければ誰か降りるのかな?」
「ほら、どんどん降りて行くよ、荷物を持って」

車内を見ると乗客の2/3がいません。途中下車にしては多すぎる。
それに降車時には車内灯がつくはずです。
いや、照明だけではなくエンジンまで止まり、
ヒーターが動きませんから車内がしんしんと冷えてきました。
外を見ると、乗客はラゲッジスペースから荷物を出しているものの、
別のバスやタクシーに乗り換える気配はなく、ドライバーまで外に出ています。
アレックスも寝ぼけまなこで起きてきました。
そこへ乗客の一人が車内に戻り、大きな声で何か言っています。

「アレックス、何が起こってるんだ?」
「ガス欠です。ここで降りましょう。別のバスが来ると言っています」

ガス欠? 以前、タクシーでやられたことがありましたが、
バス、それも国際バスでこの状態は僕らの旅歴でも初めてです。
そこで僕らは再び氷点下の路肩で佇むことに。
さいわい10分もすると救援のバスが到着し、
最終的に予定していたバスターミナルまで行けましたけどね。

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国境で忘れちゃいけない現地通貨の両替

いかがでしょう、出たところ勝負の旅では旅歴にかかわらず、
サプライズが次々とやってくるものです。
僕らはそれをひとつずつ乗り越えて行くだけ。
そして本日の最後のオチは・・・

「えーじ、ちょっとここ見てくれる? すごくかゆいの」

ともこの首の横には何かに刺された跡が。

「ありゃ〜、こりゃ痒そうだな。跡からしてダニだよ」
「えーじは大丈夫?」
「僕も足首と手首を何か所か刺された、かい〜っ!」

そう、あの寝台に寝たときからイヤな予感はしていたのです。
床に敷かれた絨毯、湿った敷布団、毛布に枕。
いずれもきちんと殺虫・殺菌しているとは思えない状態でしたから。
ま、これは予想の範囲でしたけどね。

さて、年末も差し迫ってきました。すでに仕事納めをした方も多いでしょう。
そこで僕らもいつ年の瀬の挨拶をしようかと考えていたのですが、
もしかすると、これが今年最後のブログになるかもしれません。
明後日からこの旅の最終フェーズに入るべく、
空路で大きくジャンプする予定なのですよ。
ところがこれまた不確定要素だらけでして。

それでも初めて迎える旅先での年末年始は楽しみです。
次はどこからお話しできるかな? 僕らの旅は続いてゆきます。

皆さまも良いお年を。

to be continued...

えーじ

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ビシュケクのローカル食堂で 30時間ぶりのまともな食事にありつきました
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2025年12月25日

第27回取材旅行 その31

Merry Christmas!

僕らの旅歴で初めて外国で迎えるクリスマス。
その場所はお洒落なドイツやフランスではなく、
ウズベキスタンのサマルカンドになりました。

arrival02_uz.jpg
今回の旅で2回目の到着

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サマルカンド駅前のイルミネーション

chickenshashlik_uz.jpg
というわけで、ディナーはターキーではなくチキンのシャシリク
ま、ととらっぽいクリスマスですな これがめっちゃうまい!

今朝がたタジキスタンのドゥシャンベを出発し、
国境を越えてサマルカンドに着いたのは15時30分ごろ。

来た道を戻っただけとはいえ、内容は往路とだいぶ違いました。
まずは市内から13キロメートルほど離れた、
シェアードタクシー乗り場まで行ったとき。

バンバンバンバン!

「さぁ、着いた」という間もなく、まだ自動車が停まっていないのに、
二人の男性が駆け寄り、窓ガラスを激しく叩きながら何か叫んでいます。
断片的に聞こえる単語からシェアードタクシーの客引きのよう。

さぁ〜て、お出ましだ。

と、シナリオどおりに対処しようと思ったら、どっと6人に取り囲まれ、

「*%^:”$#@!*&^%$^!!!!」
「!@#$%&(*^%:”:”?><>?!!!」
「あ、ちょっと・・・」
「*%&^%$^?><>?&^%$^!!!!」
「いや、サマルカンドに・・・」
「*%^:”$#@!*&^%$^!!!!」
「ちょ・・お、オレの話を聞け〜っ!

という飽和攻撃を食らいました。
そこで迎撃に苦戦しているところへ、

「えーじ、ひとり180ソムニで交渉成功したよ!」
「え? でかした! それで行こう!」

こうして第1波をかわし、指さされた自動車に飛び込むも、
一息つく間もなく突然若い男がドアを開けて僕の隣に乗り込み、

「!@#$%&(*^%:”:”?><>?!!!」
「なんだなんだ、君は誰だ?」
「!@#$%<>?&%:”:”?><>?!!!」
「えーじ! 大変! 荷物を出してるよ!」

後ろを振り返るとトランクが開けられ、
二人の男が僕らのバックパックを運び出そうとしています。

「おい、ちょっと待った! 何やってんだ? 待てったら!

飛び出した僕の前に隣に滑り込んできた男が回り込み、
何やら「落ち着け」とジェスチャーで言っているようです。
そして別の自動車のトランクに僕らのバックパックを入れ、
ドアを開けて「乗れ!」・・・と言っているような・・・

「えーじ、あっちの車でもう話を付けてるよ!」
「わかってる、でもこいつら話を聞かないんだ!」

ほとんど拉致されるような雰囲気になってきました。
そして次の車に半場押し込まれ、こいつはまずい、と顔を見合わせたところへ、
同乗者と思しき40歳代の男性が案内されてきたのです。
見たところ、彼は落ち着いています。

「あ、サラーム、英語話します?
 え? ダメ? パルースキー(ロシア語)? ハラショー(OK)」

僕はスマホを取り出し翻訳アプリを起動してロシア語に切り替え、

「このタクシーはジャルタパ国境に行きますか?」

彼はにっこり頷いて「ダー(はい)」。

「僕は外にいるジャージ姿の男に二人分360ソムニを払いました。
 これでいいのでしょうか?」

彼は再びにっこりしながらサムアップ。

まじ? 本当にこれでいいの?

まだ疑心暗鬼のまま周囲を見回しているところへ、
今度は70歳代中ごろのお婆ちゃんが案内されてきたのです。
彼女も見たところ、取り乱した様子はありません。
まるでこの大騒ぎが「いつものこと」のよう。

このままここに座っているべきか? それとも出て荷物を取り戻すべきか?
答えを出す前にまた別の若い男が運転席に乗り込み、
素早く自動車を発車させてしまったのです。

結果的にこのカオスがあそこの秩序であることが薄々わかり始め、
最後は安心して4日前に越えた国境に戻ったのでした。

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今度はこんなシェアードタクシー
例によって言葉は通じませんでしたがお茶をご馳走になったり
運賃や行き先の確認を手伝ってもらったり
とても親切にしていただきました

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往路とは変わってまぶしい青空が広がりました
こんな山脈に囲まれた道が続きます

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一番高い標高2,300メートル付近は雪が深く

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ときどき小さな集落があるだけ

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険しい風景が続きます

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標高を下げても荒涼とした感じ

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しかし所々で人々の生活が垣間見え

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国境の手前にある街 ペンジケントの市場

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タジキスタン側の国境入り口

この一件でさっそく免疫ができたのか、
ウズベキスタン側での待ち伏せはさらりとかわし、
往路より値切ってさらに離れたサマルカンド駅まで、
貸し切りのマルシュルートカで移動したのです。

不思議なもので、こういうのも慣れると楽しむ余裕が生まれてきます。
ウズベク側ではさらに多い8人ほどに取り囲まれましたが、
落ち着いてみていると面白かったですよ。
たとえば、「もうちょい安い人いない?」と聞いて競りのように煽り、
「それじゃ君に頼もう!」となったら、
周りからそのシンデレラボーイにすごいブーイングが。
知っている単語から勝手に翻訳しますと、

「てめぇ、抜け駆けしやがって!」
「お前、タクシーじゃねぇだろ! マルシュのくせに横取りかよ!」

そんなこんなで駅前のホテルにチェックインしたときは、
ほとほと疲れていましたが、市場の取材で気力は復活。
というのも、最後の力を振り絞って食材の調査をしていると、
ハーブ売り場の前にふたりの小さな女の子が。
僕らを見るなりにっこりしているので、

「サラーム、ヤポン、ヤポンスキー(こんちは、日本、日本人だよ)」

そう話しかけると何やら急いでハーブを摘みはじめたではないですか。
そして僕らに駆け寄り、差し出した小さな手にはミントの葉が。
瑞々しい香りがあたりに広がりました。

「ラフマット(ありがと)」

彼女たちは照れ笑い。

こんなひとときが、世界遺産や壮大な風景より、僕らの旅の原動力になるのですよ。
さて、明日は8時の便でタシュケントに移動します。
あの街も9年ぶり。何が待っているかな?

to be continued...

えーじ

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Thanks Sweet Angels!
posted by ととら at 04:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年12月23日

第27回取材旅行 その30

Ассалому алайкум!(アッサラーム・アライクム(こんにちは)
日本を出発して90日、僕らはこの旅16番目の渡航国、
タジキスタンのドゥシャンベに滞在しています。

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暮れなずむ郊外のバスターミナル

天気は雪。最高気温は2度、最低はマイナス1度。
標高740メートルと、昨日までいたサマルカンドと気候はほぼ同じ。
さいわい停電はしていません。(むこうはどうなりましたかね?)

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ホテルの部屋から見た今朝の光景 粉雪が舞い、見るからに寒そう
左に見えるのは、なぜか中華風の塔があるインド大使館

奇しくも先日、中央アジア諸国の代表が東京に集まっていましたが、
いずれも日本ではあまり知られていませんよね?
僕らも実のところトルクメニスタンとタジキスタンは初めてなので、
少々緊張しての国境越えとなりました。

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タジキスタン側の国境 ゲート前に集まっているのは
ほとんどがタクシーの客引きと闇両替屋

と申しますのも、先日訪れたトルクメニスタンほどではありませんが、
タジキスタンもまた内戦や長期独裁政権で、
いろいろ物騒な話が耳に入っていたからです。
しかし楽だったのは、30日以内であれば、日本人はVISA免除で入国できること。
そこで取りあえず国境に行ってみると、警備の物々しさも人々の緊張感もなく、
インスペクターだってフレンドリーじゃないですか。
空いていたこともあって、ウズベキスタンの出国からタジキスタンの入国まで、
20分ほどで終わってしまいました。
しかも税関は完全スルー、両替は建物内の銀行窓口で完了。
(正規レートのぼったくりなし)

ちょっとしたオチは国境を出たところにあった公衆有料トイレです。

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ダルバザとは違いますが、これも一種の「地獄の門」でしょう。
いや、底を覗き込んでみたら、ダルバザ以上の恐ろしさが・・・
ここで転んだら一生カウンセリングを受けることになりますからね。

ジャルテパ国境からドゥシャンベまでは乗り合いタクシーで移動します。
一般的にはセダンに4人の乗客を乗せ、席が埋まったら出発。
そこで僕らが当たったのはこれです。

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この普通車に4人ならぬドライバーを除いて6人がムギュっと詰め込まれ、
250キロメートルの山道を5時間かけての冒険旅行。
英語の話者は一人もおらず、
僕の怪しいロシア語+タジク語と「ともこ語」でビミョーな「会話」を楽しみました。
はらしょ〜。

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峻厳な雪山に囲まれた道路を疾走しました
窓にフィルムが張られていたので写真はブルーに

ドライバーはとても気のいいローカル。
しかし、ハンドルを握ったら恐るべき追い抜きマニアに変身したのです。
雪道だろうが、霧で視界が悪かろうが、ブラインドコーナーだろうが、
前に自動車がいることをけして許さないタイプ。
おかげで予定より30分以上早くドゥシャンベに着きましたが、
ガードレールがない断崖に張り付いた道をラリーカーのように走られたときは、
62年間の過去が走馬灯のように脳裏をよぎりました。

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路面がこんな状態の山道を時速90キロ以上で走ります
それもときに片手でスマホを持ちながら話をしつつ

とうわけで、冒頭のバスターミナルに着いたときは、肩の力が一気に抜けました。
ここで自動車を普通のタクシーに乗り換え、
中心部までは約11キロメートルのドライブ。
どんな街かと思いきや、モルドバのキシナウと、カザフスタンのアルマトイ、
トルクメニスタンのアシガバートを足して割ったような雰囲気。

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夜はブレードランナー風のムードになりました
こう見ると少々不気味ですが治安はいいです

さらに気分を盛り上げるのが投宿したホテル。

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ホーンテッドマンションさながらの邸宅風で、部屋のなかも照明はシャンデリア。
残念ながら幽霊は出ませんでしたけどね。
また、独裁政権といえば気になる通信規制ですが、
トルクメニスタンほどはきつくありませんでした。
SNS、YouTube、ChatGPT、Wikiなどは問題なく、
ブロックされていたのはブログ系だけ。
そこもVPNで抜けましたから、こうしてお話できているわけです。

タジキスタンには主だった観光資源がないせいか外国人が珍しく、
そのおかげで場も人もスレていません。
だから僕らのようなよそ者にも、皆さんとてもフレンドリーです。
入国以来、何処へ行っても親切にしていただいておりまして。
まぁ、その分、英語はなかなか通じませんけどね。
それでも何とかなるところが、相手の思いやりに負うところでしょう。

そんな中で取材を進めています。
今回、興味深い結果が出たのは示準料理のラグマンの比較。
ウイグル発、手延べ麺の原点との説もあるスパイシーな料理ですが、
これが西に伝わるにつれて、スパイス感が減り、シンプルになって行くのですよ。
実際、サマルカンドではスターアニスとディルの風味が効いて、
非常に複雑な香りがしていましたが、ブハラに行くとスターアニスが消え、
ヒヴァではトマトも使われず、素朴なラム肉うどんになっていました。
そしてこれは、すぐ南に位置するトルクメニスタンのダシュオズでも同じ。
どうやらウイグル系の人々の人口密度と符合しているような気もします。
となると、よりウイグル自治区に近いドゥシャンベではどうなったか?
この仮説を裏付ける結果が待っていました。
過去に例がないくらいスパイシーなんですよ。店によっては辛みだけではなく、
山椒の風味まで加わって、キルギスですら味わったことのないバージョンを発見。
そこでご報告したいのがガンファンです。

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僕らがかつてカザフスタンやキルギスで食べたバージョンは、
ご飯にラグマンの汁と具をかけた、いわゆる「ぶっかけ飯」でしたが、
ドゥシャンベでは一見「酢豚ライス」風になっていた店も。
さらにこれが、かつてないくらい辛いじゃないですか。
僕は平気ですが、ともこはギブアップしたくらい。
実はこの料理、今回の旅のなかでも、辛さは断トツだったのです。
そう、ユーラシア大陸の料理は、
香り、辛みなど、味の輪郭は西低東高の傾向があるみたいですね。
ここはちょいとディープなテーマなので、またあらためてお話しましょう。

もうひとつご紹介しなければならないのが、
タジキスタンの国民食ともいえるクルトップ。

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これはパンをちぎり、ヨーグルトソースをかけ、
茹でた肉とニンジンの漬物などを乗せ、コリアンダーとディルを散らしたもの。
まったりした味わいに漬物の酸味とハーブの香りがミックスされ、
中央アジアの他の国では今のところ似たものがない個性派。
これがハイパー特盛サイズで出てきます。
1人前で吉野家の牛丼の特盛2杯分くらいはあるかな?
でも、皆さんそれを一人で一皿平らげてしまうのです。女性もね!
さらにユニークなのがその食べ方。
たとえば4人で食べるときは4皿出てくるのではなく、
冗談のような大皿に4人前が盛られて運ばれ、
それを各々が取り皿を使わず、直接スプーンだけで食べるじゃないですか。
今日の昼に取材した店は大繁盛店で、
100人くらいのキャパが満席になっていましたが、
スーツ姿の人々がそんな風に豪快なランチを楽しんでいる光景は、
なかなか壮観なものがありました。さすがは遊牧民の末裔ですね。

さて、明日は天気が回復しそうなので、ちょっと足を延ばして市場まで行く予定。
どんな食材が並んでいるのか、とても楽しみです。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 03:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記