2021年09月19日

仕事と旅のリハビリテーション

2カ月ぶりにディナー営業を再開しました。

といっても、まだ非常事態宣言の規制下で、
お酒なし&20時閉店のままですが・・・

それでも少しだけ本来の形に戻れたようで、
モチベーションは上がりますね。

特集も南米&エジプト料理特集パート2!

ここはちょっと難しい判断だったのですよ。
通常であれば3カ月ごとに旅のメニューを変えていますが、
南米料理は度重なる規制の影響で、
まだトライしていない方が沢山いらっしゃいました。
しかしながら夏のメニューとして企画したエジプト料理特集は、
リリースできないまま季節は秋の入り口に・・・

ん〜・・・どうしたもんだろ?

と、頭をひねったところで思いついたのがハイブリッド作戦。

地域と文化は大きく違いますけど、
メニューの流れとしては同時にやっても違和感なし。
実際、一昨日からやってみて受けたお客さまの感触は、
予想以上にいいものでした。

特に初登場のダウッド・バシャとバミア・ビ・ラハマは、
一昨年のパート1でリリースなかった隠し玉です。

そういえば今回特集しているエジプトやペルー、チリは、
今どうなっているのでしょうね?
久しぶりに懐かしい料理の香りをかいでいたら、
旅の思い出が蘇ってきました。

海外への扉が開かれるのも、そう遠くないような気がします。

台風一過の秋空の下、
まずは近場の旅から始めましょうか。

えーじ
posted by ととら at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年09月16日

旅人の特効薬

「な、なんでこうなるの?」

と、絶句することってありません?

え? ない? ホントに?

僕なんざアフリカや南米を旅しているときだけではなく、
日本にいてもしょっちゅうですよ。
(特にコロナ禍が始まってからというもの・・・)

で、場合によっては、

「がっで〜む、さなばびっち!」

と心の中で毒づくこともしばしば・・・
(もっとむかついた時はF系で!)

しかし、短気は損気。
怒ったところで、怒鳴ったところで状況は良くなりません。
そこでそんな時のために、頭を冷やす仕掛けを作っておきました。

scsv202109.jpg

僕のPCの壁紙は旅先で撮った写真です。
それもベストショットのスクリーンセーバー。
(写真は2019年のレバノン)

これを見ると、なんていうんでしょうかね、
人生のパースペクティブを取り戻せるんですよ。
だいたいにして激怒するようなことがあっても、
1カ月もすれば大した問題ではなくなっているでしょ?
それこそ1年も経ったら思い出すことだって難しくなるし。
(少なくとも僕の場合はね)

旅の写真、それも自分が撮ったものだと、
ただ見るだけで、その時の情景が思い浮かんできます。
すると、肩の力がすっと抜けて、
本来の、旅人としての自分に戻れるんですよ。

この目の前のトラブルは、
僕の次の旅にとって何の影響があるのか?
いま必死にしがみついていることが、
次の旅で何の役に立つのか?
シビアに受け止めている問題は、
旅先で出会ったホームレスや難民の問題と比べても、
大きいものなのか?

そう考えているうちに、
僕は野方に居ながらにして旅の空の下にいる。

そしてはっとわれに返って、
もう一度、目の前の問題を見ると、

「ふ〜ん・・・ま、いいんじゃない?」

旅人の特効薬。
こいつは効くんですよ。

えーじ
posted by ととら at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年09月13日

ととらな戦略

さて、どうしたもんだろ?

僕らが何かの問題に直面したとき、
まず検討するのが対応の方向性。
基本的に、ここで二つに分かれるんですよ。

オプションAは教科書的に『ベストを目指す』ので、
リゾートオペレーションと呼んでいます。
オフのときは投資した時間とおカネから、
最大限の楽しさを引き出そうとするでしょう?

しかし、僕らの仕事や旅は、
常にそうした好条件に恵まれているわけではありません。
いや、むしろ逆のケースの方が断然おおい。

そこで現実的なオプションBは、
身も蓋もなく『ワーストを避ける』というもの。
名付けてアフリカオペレーション!

これ、僕らの経験から考えたネーミングでして、
とにかくアフリカでは何ごともすんなり進みませんでしたからね。
(ま、南米や南西アジアも同じようなものでしたけど・・・)

で、当然のことながらコロナ禍におけるととら亭のプランAは、
オプションB、
すなわちアフリカオペレーションタイプとなっています。

去年の今ごろはもうちょっと楽観的で、
ワクチンができれば何とかなるだろう?
くらいの展望を抱いていたのですけどね。
ところがデルタ株の出現でシナリオが変わってしまったでしょ?

これはインフルエンザにたとえると、
さまざまな型のインフルエンザが同時に、
年中無休で流行るようなイメージだと思います。
真面目に予防するならワクチンもタイプを変えて、
打ち続けなくてはならなくなってしまう。

む〜、こりゃ現実的じゃありませんね。

そこで次なるシナリオは治療薬。
インフルエンザも型こそいろいろあれ治療薬はタミフルのように、
共通して使えるものがあります。

そこでワクチンと治療薬のBefore After作戦で、
新型コロナウイルスの脅威をかぜ程度まで低減し、
当面は共存して行く。

現実的な落としどころはその辺じゃないのかな?
と僕は考え直し始めました。

となると、次なる問題は時間です。
そう、この新しいゴールまでは少なくとも、
あと2、3年はかかるかもしれません。

そこで僕らは今どうすべきか?

ん〜、とりあえず、
いきなりマクロな予想からミクロなアクションに話が飛びますけど、
この週末からディナー営業を再開することにしました。
特集は南米&アフリカ料理のパート2です。
もちろん酒なし20時閉店のないないづくしですけどね。

それでもベストを目指すリゾートオペレーションにこだわって、
まともな仕事ができないまま時間を浪費するよりマシなんじゃないか?

うん、ここはいつものように、
柔軟な発想でアフリカオペレーションを進めよう。

僕らはそもそも少人数のゲリラ部隊のようなものですから、
実は正攻法より、
こういうHit and Awayの方が得意だったりするんですよ。

そこで17日(金)から、
南米料理&エジプト料理の2本立てで奇襲をかけます。

さて、そろそろ反撃開始といきますか!

えーじ
posted by ととら at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年09月10日

簡単そうで難しいこと

ととら亭のお客さまは比較的に年齢層が高く、
特に平日のランチタイムは、
皆さん僕より年上の日も珍しくありません。

そんな先輩方と接していて、
先日、驚いたことがありました。

「今が一番いいな!」

過去の経験談を、こう結んだ方がいらっしゃったのです。
御年は88歳。

「年寄にゃ、この暑さはこたえる」とか、
「歯が悪いんで固いものは噛めん」とおっしゃいつつも、
加齢をネガティブに受け取ることなく、
飄々と人生を楽しまれている。

この「今が一番いい」という言葉は、
実にディープな含蓄があるんですよ。

ぱっと聞くと、
一昨日より昨日が、昨日より今日がいいと言っているみたいでしょ?
たとえば昨日より今日の方が銀行残高が増えたとか、
健康になったとか、昇進したとか・・・

ところがこの言葉の本質は、
そうした俗な『進歩主義』ではないのですよ。

これは言い換えると、
『今を生きる』ということなんですね。

え? みんな生きているのは現在しかない?
そうですか?

少なくとも僕なんざ、体は現在にあっても、
頭の中は昨日の失敗を思い出して「あちゃ〜・・・」、
月末の支払いを思い浮かべて「う〜ん・・・」、
万事この調子ですけどね。

それで20年近くメディテーションを続けているのですが、
「お、僕は『いま、ここ』にフォーカスしているぞ!」となっても、
あっという間に「え〜っと、今日のご予約は何時だっけ?」
ってな具合にあっちへふらふら、こっちへふらふら・・・
なかなか先輩のように今この瞬間を楽しむのは難しい。

そんなことを考えていた矢先に、(そう、またしても考えてる!)
先日、また別の先輩から、
「私の人生は今が一番」って言われちゃいました。

The past is already gone, the future is not yet here.
There's only one moment for you to live.

子供の頃には、
体でこれが分かっていたはずなんですけどね。

えーじ
posted by ととら at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年09月07日

楽観論者の悲観論

東京の新型コロナウイルス感染者数がだいぶ落ちてきましたね。
この分だと9月12日は無理でも月末には規制が緩むかな?
めでたし、めでたし・・・

なんですけど、
毎日このグラフとにらめっこしていて、
最近、妙な違和感を覚え始めているんですよ。
とりわけこうしたタイミングで、
「対策が奏功して」なんてフレーズを聞いたりすると。

僕は構造主義者の仏教徒なので、
ものごとを因果律でとらえがちなのですが、
感染者数の推移の説明は、どうも釈然としません。

これってね、
毎回やり玉に挙げられる悪の組織、
僕ら飲食業界や風俗業界、
イベント業者の跋扈でグラフが上がり、
正義の行政が諸悪の根源を規制することでグラフが下がる・・・

本当にそうなのかしらん?

僕が素朴にそう思い始めたきっかけは、
同業者によるモロ営業と闇営業でした。

確かに生活がかかっているとはいえ、
社会的責任を顧みない連中は困ったものです。
しかし見方を変えると、
彼らは疫学的人体実験のボランティアなんですよね。
なぜなら感染力がアップグレードされたデルタ株が蔓延するなか、
やっちゃならねぇ3禁を実践しているのですから。

僕も最初は「あちゃ〜、あれじゃクラスターは避けられないね」
と思っていたのですよ。

ところが!

1週間、いや1カ月が過ぎ、2カ月が過ぎても、
彼らは営業し続けられているじゃないですか!?
それも闇営業の店なんて、
外から見えないようにシャッターを下ろし、
風通しの悪い狭い店内で盛り上がっているんですよ!

もちろん、すべての店が無事に済んでるわけではありません。
野方でも「やっちまった」ところは何軒か聞いています。
しかし、それは要請拒否組全体からみれば、ごく一部なんですね。

なぜ感染しないんだ?
いや、感染しても経路不明にしているだけなのか?

とも考えましたが、お客さんはこれで済んでも、
最も感染リスクの高い店舗スタッフが集団感染した場合、
当然、お店は臨時休業とならざるを得ませんから、
黙っていたってすぐ周囲に知れ渡ります。

しかし、野方、都立家政、高円寺など、
僕らのお膝元を実際に歩いてみた限り、
やっているところは、概ねやり続けられている。

ここで僕は、
「それじゃ、もうみんなで赤信号を渡っちまおう!」
と言っているのではありません。

話を戻すと、感染者数が増減する要因は、
僕らが素朴に信じているシナリオではないんじゃないか?
そう思えてきたんですよ。
つまり、ウイルスは人間の抵抗など意に介さず、
彼ら独自の理由、つまり僕らから見たファクターXに従って、
増減を繰り返している。

これは一見、反対の立場をとる、
懐疑的な陰謀論者にも共通しているのですけど、
僕にはどちらも人間の力を過大評価しているように、
思えてならないんですよ。

人類はウイルスの蔓延を制御できていない。
そして世界規模の陰謀を実行できるほどの技術力と組織力、
資金力を持った組織もまた存在しない。

僕は基本的に楽観主義者ですが、
こと感染者数の増減グラフを見ている時は、
今のところ上のような悲観論しか思い浮かびません。

しかし、どんな状況でも逆転と反撃のチャンスはあるものです。

己の無知と非力を認め、
そこからもう一度やり直してみよう。

僕は個人的にコケた時、よくこのリセット作戦で脱出を試みます。
そしてこれ、意外とうまく行くんですよ。
ま、あくまで実績があるのはミクロな問題だけですけどね。

えーじ
posted by ととら at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年09月04日

困った広告

「ちょっとぉ〜、なに見てんの?」

む〜・・・やっぱり言われたか。

「いや、これを見てるんじゃないよ。
 勝手に表示されてるだけ!」

ま、ともこに呆れ顔で言われるのも仕方ありません。
僕はノートPCでニュースを読んでいただけですが、
画面の1/4に表示されているのは、

女性の下着。

それもむっちりバストや下半身のアップばかり。
これはどう見ても下着の宣伝というより、
下着フェチサイトへの誘導バナーに近いエロさ。

ってことは、
cookieの閲覧履歴からリコマンドされているんですけど、
元リビドーボーイの僕でも、そういう趣味はありません。

ったく、困ったもんだね。

そこでキャッシュをクリアしたら、
『うふん』系は表示されなくなりましたが、
またしばらくすると・・・

「あ〜、またそんなの見てる!」
「違うって!」

しつこいね〜・・・
しかしなんだってこう同じ系統ばかり表示されるんだろ?
リコマンドエンジンの定義がおかしいんじゃないかしらん?

amasonのリコマンド機能は結構いい線いってると思うんですけど、
その他は精度がだいぶ怪しいですね。
加えて最近はえぐい美容系の広告(グロな写真付きの)が増えましたし。

ま、無料サイトですから広告は仕方ありませんが、
僕はこういうのが嫌で、
ブログやウェブサイトにアフィリエイトを貼り付けていないんですよ。

駄文とはいえブログも僕の表現のひとつ。
そこに本人のあずかり知らない広告が表示されるのはねぇ・・・

バナー広告って、
紙媒体では考えられないくらい正確な効果検証ができるんですけど、
あれで『うふんな下着』はいったいどれくらい売れるんだろ?

わからん。

えーじ
posted by ととら at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年09月01日

悲しきブラックボックス

IT稼業から足を洗って10数年が経ちました。

それでもトラブルシューターの悲しい性(さが)ともうしますか、
システムダウン系のニュースが流れると、
つい目が行ってしまうんですよ。

そう、またやっちまいましたね、みずほさん。

1年で6回目ともなると、
さすがの執行部も重苦しい空気に包まれているでしょう。

そしてみずほさんや関係IT企業だけではなく、
長い社歴を持つ他企業の情シスも、
多かれ少なかれ同じ不安を抱えていると思います。

なぜなら明日はわが身の話だから。

みんなこの原因が分かっているんですよ。
そしてその大筋は自社にも十分当てはまると。

その不安の元とは『ブラックボックス』。

長い社歴と前置きしたのは、そこに大きな意味があるからです。
とりわけITではなく、
OAという略語を知っている情シスメンバーがいるような古い組織では、
ブラックボックスの脅威は相当なものになっているはず。

すなわち、
自社で稼働しているシステムの不明部分がそれだけ大きく深い、
ってことなのですから。

で、なぜ大人の組織でこんなことが起こっているのか?
答えはシンプル。

まず、紙とペンの文化からOA化の御旗のもと、
黒船よろしく電算機が会社にやってきました。
そのときはまだ分り易い。
箪笥のように巨大な電算機は聖櫃よろしく電算機室に鎮座し、
そこに入れるのは技術者という限られた神官のみでしたから。

ところがまもなくイントラネット上にクラサバシステムが構築され、
社員ひとりにパソコン1台の時代が到来します。
この辺から今日のブラックボックスに至る悪夢が始まったのですよ。

たとえば最初にシステムAがあったとしましょう。
そこに別のシステムBが連結されます。
そして次はシステムCが、さらにシステムDが繋げられ、
こうして20年もすると社内システムは、
A+B+C+D+E+F+G+・・・
様々なシステムが合体したキメラのようになってしまうのです。
こうなるともはや全体が分かる人は誰もいません。

同じベンダーがすべてのシステムを担当していたなら、
社内の窓口も情シス一本に絞られていたなら、
ここまでひどくならなかったでしょう。

ところが実際はシステムAはA社が、システムBはB社が作っており、
基本的に両社は相手のシステムがよくわかりません。
もちろんひとつのプロジェクトを、
複数のベンダーが分担するのは普通の話ですが、
別の時期に行われた別のプロジェクトのシステムは、
同業者といえどもまさしくブラックボックスなんですよ。

さらに社内でも各部門が勝手にベンダーと話をはじめ、
作ったシステムを既存のシステムとこっそり繋げてしまう。
IPアドレスだって勝手に割り振っちゃう。
力の弱い情シスは指をくわえてただ見ているだけ・・・

こうして悪夢は膨らみ続ける。

みずほ銀行は2002年に第一勧業銀行、富士銀行、
日本興業銀行の分割、合併によって生まれました。
ということは、そこで各行のシステムの統合が行われたとみていい。
これだけでも特大のブラックボックスが生まれる条件を、
十分満たしているでしょう?

ITシステムの黎明期ならともかく、
今のシステムはゼロから開発されるケースなんてまずありません。
先行するシステムを改修するか連結して巨大化するのです。
金融業界で今も古参のCOBOL使いが仕事をしている理由は、
この辺にあるんですよ。

そんなこんなで現場の現実を知る同業者にしてみれば、
みずほさんの事故は起こべくして起こったことであり、
反対に、起こってないところは「よく無事だな・・・」
なんですね。

ではどうしたら、この惨事を未然に防ぐことができるのか?

答えはプログラムならコメント、システムには仕様書など、
第3者が見てわかるレベルのドキュメントを残すこと。

これしかありません。

そんなのジョーシキ、みんなが知っている。
なのになぜできないのか?

理由はふたつ。
お客さんがドキュメント制作費用を渋るから。
(実際けっこうするんですよ)
そしてベンダー側にドキュメントを作る時間がないから。
たいてい少人数で納期ぎりぎりの仕事をやっているので、
ドキュメントはおろかマニュアルすら作るのが厳しい。

こうした悪しき、
いや、悲しき伝統がまだ続いているんだろうなぁ・・・

だから僕は、ITからくりをあまり信用しないんですよ。

えーじ
posted by ととら at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年08月30日

過ぎゆく夏に

明日で8月も終わり。
2年続けて花火の音はなく、海や山も寂しい夏となりました。

そこでかわいそうなのがハイティーンたち。
大人は幾つか過ごしたうちのひとつですが、
彼、彼女たちには一生のうちで限られた時期の夏ですからね。

これがもし僕の時代だったらと思うと、
まったく同情を禁じ得ませんよ。
なぜなら、僕が生まれ育った横浜では、
うぶな恋人たちにとってクリスマスと並ぶ一大イベントが、
山下公園の花火大会だったのです。

僕らリビドーボーイズにとって、
そこへ浴衣を着た彼女を連れて行くのは、
勉強の成績や部活の試合の勝敗以上に重要な、
まさしくプライマリミッションでした。
あれが中止されたら・・・
悲しいだろうな。

そんなことを思い浮かべながら、久しぶりのジョギングに出た昨夕。
日が暮れた平和の森公園に近づくと、何やら懐かしいにおいが・・・
やがてそれに子供たちの嬌声が混じり、
僕は家族連れが花火で賑わう一角に入り込んでいたのです。

10組ほどの家族が花火を囲んでいる光景は、
さながら巨大なカレイドスコープを髣髴させる美しさがありました。

いいですね、こういうの。

恋人を探すにはまだ早いけど、
この夜の花火が、
あの子たちの夏の思い出のひとつとなりますように。

そう思いながら、
僕は東の出口に向かって再び走り始めました。

えーじ
posted by ととら at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年08月27日

夏の夜のシンクロニシティ

(ネタバレが含まれています。
 これから1Q84を読もうとしている方はご注意を)

と、カッコつきで切り出した今回の舞台は、
僕が住んでいる野方5丁目にあるアパートの寝室。

夏の夜のベッドタイムストーリーは、
これまた冒頭で挙げた村上春樹さんの『1Q84』です。

実は僕、村上さんの作品を読むのはこれが初めて。
で、なぜこの作品を選んだのかというと、
深い意味はありませんでした。
ただ、なんとなく・・・という感じ。
(相変わらずの乱読ですので)

それゆえ内容についての予備知識もまったくなし。
タイトルからジョージ・オーウェルの1984のもじりかな?
くらいに思ってページを繰り始めました。

へぇ〜・・・ノーベル文学賞候補と言われているけど、
ずいぶんポップな文体で書く人なんだな。

ヤナーチェクのシンフォニエッタ?
どこかで聴いた気が・・・
そうだ、あれはエミール・ヴィクリッキー・トリオのCD。
クラシックではなくジャスだけど・・・
確かまだ持っていたはずだ。あとで聴いてみよう。

で、主人公の女性は殺し屋かい?
アイスピックで急所を一刺し?
なんか現代版必殺仕置人みたいじゃないか。
ふ〜ん、そういうお話なのね。

てな具合にぐいぐい引き込まれ、
気が付けば毎晩1時間以上のお付き合いに。

そして、ある雷雨の夜、
2巻目の中盤に差し掛かっていたときのこと。
深田絵里子が買い出しに行ったスーパーの名前を目にした途端、
僕もまた1984年ならぬ1Q84の世界へスリップアウトしてしまったのです。

マルショウだって?
それって野方にもあるスーパー丸正のこと?

そういえば、もう一人の主人公、川奈天吾が住んでいるのは高円寺。
そしてスーパーマルショウは彼のアパートから200メートルほどの距離。
ってことは・・・

この小説の一部は、僕がいまこれを読んでいるアパートから、
直線で250メートル程度の場所を舞台にしているんじゃないか!?

外はいつしか雷雨が止んでいました。

小説1Q84は完全なフィクションであり、
その時間設定ですら今から37年も前のことです。
しかし、僕は全身で奇妙なリアリティを感じ始めていました。

小説は主人公の一人、
青豆雅美が首都高速の非常口を徒歩で出るところから始まります。
それは異次元へ通じるゲートウェイのアナロジーでもあり、
首都高速上は1984年ですが、
下りた先は似て異なる現実が支配する1Q84年だった。

青豆が最初に感じた異質感って、こんな風だったのかも・・・

だとしたら、いま外へ出ると、
僕が筋トレで訪れる公園の滑り台の上で、
天吾が二つの月を見上げており、
通りを隔てて隣接する6階建てのマンションの3階のベランダからは、
青豆が彼を探しているのかもしれない。

そして天吾にWIZの公衆電話から電話をかけた深田絵里子が、
スーパーマルショウに入り、
ロータリーのバス停から牛河がそれを監視している。

確かめに行ってみようか?

僕がこのまま本を閉じれば、
これは紙に印刷されたフィクションのまま終わってしまいます。
でももしいま、外に出て公園へ向かったら、
僕にも月が二つに見えるのではないか?
そう、1984年が1Q84年になったように・・・

よし、服を着替えて行ってみよう!

「んごっ・・・」

僕を夢想の世界から2021年8月の夜に引き戻したのは、
NHK集金人の天吾の父が叩くドアの音ではなく、
横で寝ていたともこの一発いびきでした。

んなわけないよね?

長引く非常事態宣言の影響で本の虫が目を覚ましたせいか、
僕は最近、
支離滅裂なアドベンチャー風の夢をよく見るようになりました。

ときにはこうして、それが現実の世界にちょっかいを出すのも、
無理からぬことなのかもしれませんね。

やれやれ・・・

僕は本を閉じ、読書灯を消しました。

えーじ

P.S.
小説を読み終わった後、
ちょっと気になったので街を歩いてみると、
やっぱり1Q84の舞台の一部になったのは、
僕が住む野方5丁目のアパートのすぐ近くだと確信しました。

まず、その根拠となるキーワードは『マルショウ』です。

作家が一般名詞のスーパーマーケットではなく、
マルショウという実在の固有名詞を使うからには、
リアリティを求める以上の意図があったとみていいでしょう。
そしてわざわざ天吾の住むアパートから200メートルという、
具体的な距離感まで示している。(2巻P208,8行)
そうなると場所は高円寺というより、
大和町2丁目7番地から8番地が該当するんですよ。
(僕が住むアパートから直線で約150メートルの距離)

しかしこれと矛盾する記述が後で出てきます。
牛河が天吾を尾行して行った公園から天吾のアパートへ戻るとき、
彼は高円寺駅に向かいつつ、小学校の前を通り、
もう少し先まで進んでいる。(3巻P409,15-16行)
後述しますが、舞台となった公園が中野区立大和公園だとすると、
高円寺駅と公園を結ぶ直線上の小学校は、
中野区立啓明小学校しかありません。
ところがここはマルショウから直線で500メートルはある。
これは2巻P208,8行と矛盾しています。
(ちなみにスーパー丸正は高円寺にはない)

単身世帯を対象としたアパートが密集しているという点では、
どちらの地域も条件を満たしています。
しかし、天吾の通勤ルートが高円寺駅であり、
青豆が潜伏するマンションとの距離感を考えると、
(これも後述します)
どうも後者の方がぴったりくるような気がするんですよ。

さて、物語後半のハイライトとなる場所の公園ですが、
先に天吾のアパートの候補地となった大和町2丁目7番地から、
西に50メートルほど行ったところに中野区立大和公園があります。
なるほど東の児童館前には小説のとおり、(第3巻P392,8〜9行)
滑り台とブランコ、小さなジャングルジムに砂場、水銀灯、
けやきの木がありました。
ここは啓明小学校からも直線で200メートルしか離れていません。
耳をすませば環七の音だって聞こえます。(第3巻P549,15行)
近隣にこれ以上の条件が合致する公園はないため、
大和公園が舞台となったとみていいでしょう。

しかし作品に水を差すようですが、
重要な舞台装置である滑り台には少々無理があるようです。
と申しますのも、滑り台は子供用ですから、
上部は大人がひとり腰かけるスペースしかないのですよ。
従いまして感動的なラストシーンにあるように、(第3巻P550,5行)
天吾に青豆が寄り添って手を握りながら座るのは不可能です。

次に青豆が隠遁するセーフハウス(ルーム?)のある、
6階建てのマンションを探してみましょう。(第2巻P550,14行)
残念ながら公園の滑り台に登っても見当たる建物はありません。
しかし東に80メートルほど行ったところにはあるんですよ、
まさしく6階建てのマンションが。
これまた小説とは違って新築ではありませんけど、
条件からするとこのマンションがモデルになった可能性が高い。
また、ここは天吾のアパートが大和町2丁目7番地付近と仮定した場合、
直線でたった50メートル程度しか離れていません。
これではいくら何でも近すぎるというのが、
啓明小学校近隣説をとった理由です。

ちなみに、
もしかしたら小説に出てくる公園は、
明正寺川を挟んで対岸側にあった沼栄橋公園がイメージとして、
混ざっているかもしれません。
(ここは現在、環状七号線地下広域調節池工事のため撤去されました)
そこであればその6階建てのマンションからよく見えるんですよ。
しかし遊具はいっさいありませんでしたし、
天吾が住む大和町2丁目からは、
最短だと騒々しい環七を通って行かなければならないため、
物思いにふける彼があえてそこへ行くとは考えにくい。
結論として、作家は中野区立大和公園のすぐ近く(東側)に、
古い6階建てのマンションを新築にして配置したと考えるのが順当な気がします。

次に深田絵里子がマルショウの前から天吾に電話をかけるシーン。
(2巻P208,7行)
マルショウやロータリーに公衆電話はありませんが、
正面にあるWIZの区役所出張所前にはありました。
そこからは確かにマルショウが目の前に見えます。
彼女はここから電話をかけたのでしょう。

そして深田絵里子がマルショウに買い物に入ったところを、
牛河が監視するシーン。(3巻P316,4行)
なるほどロータリーのバス停に並んでいれば、
風景に溶け込んでマルショウの入り口を見張ることができます。
しかし、小説では入り口はひとつしかないとなっていますが、
実際はアーケード内の通路に面してスーパーは3つのセクションに分かれており、
ロータリーから監視しているセクションも、
ロータリー側と通路側それぞれに出入口があります。
これでは簡単に逃げられてしまいますね。
ですからここは作者の創作でしょう。

とまぁ、こうして物語をベースに現実の世界をトレースしたのですが、
12年近く住んでもなお感じたことのない、不思議な感覚を味わえましたね。
さながらこれもまた1Q84の世界に一歩踏み込んでいたからかもしれません。

そのうち営業中に1984年に戻った天吾と青豆がふらりと入ってくるかも。
ふたりとも年齢は70歳近く。

え? リトルピープルは?

そ、そいつはちょっと・・・

P.S.2
いま一度、大和公園の写真を検索してみました。
それも過去のものです。
とういうのも公園では昨年リニューアル工事が行われ、
一部の遊具が交換されていたのですよ。

そこで問題の滑り台を確認してみると、
今のものより大型で、
上部にはカゴ状の子供が滑り待ちするスペースがあります。

とはいえ大柄な柔道選手の天吾と一緒に座るのは、
いかにスリムな青豆とはいえきつかったかな?
いや、20年振りの待ち焦がれた再会ですから、
ムギュっていうのも、まぁいいかもしれません。
季節は真冬ですし。

ちなみに当時の滑り台の設置方向は東を背中に西側の砂場に向いています。
(今はやや南向き)
ということは滑る方向に向かって座ると、
80メートルほど東にある6階建てのマンションに背を向ける格好となり、
これは距離は別とすれば小説どおりですね。


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2021年08月24日

Just for fun!

アンナちゃんは小学生の女の子。
ある日、帰り際になにやらもじもじと・・・
そこでお母さんが、
「ほら、自分で言ってみなさい」

・・・?

「どしたの?」

アンナちゃんは、はにかんだままです。
僕は彼女と目線を合わせるためにしゃがみ込み、

「ん? なぁに?」

そこでようやく意を決したのか、

「えいごを勉強しています!」

なるほど。
どうやら僕が他のお客さんと英語で話しているの聞いて、
自分も話せると言いたいようです。
そこで、

"That's great! My name is Eiji. What is yours?"

と、ゆっくり教科書どおりに訊いてみれば、

"My name is Anna."
"Oh,how cute! Nice to meet you,Anna."
"Nice to meet to you too."

それ以来、来店する度に、
ワンフレーズを英語で話すようになりました。
この前は頑張ってお父さんとお母さん、
そして自分のオーダーに挑戦。

"I want Turkey.He want Turkey.She want Bolivia,"
(ランチタイムのメニューがトルコ行きとボリビア行きだったもので)

"Okay then,Turkey for you,
Turkey for him and Bolivia for her,right?"
"Yes!"

よくできました〜!
もちろん普通はこういう言い方はしません。
でも大人たちは訂正しなかったのです。

え? それじゃ間違った言い方を覚えちゃう?

確かに。

しかし、これでいいんですよ。
学ぶ順番は、まず自分から話すこと。
その後で『正しい』文法やら発音を覚えればいい。

それにそもそもこれは勉強じゃありません。

Just for fun!

実はこれ、
大人の僕たちが最も苦手とするところなんですよね。

えーじ
posted by ととら at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記