2021年06月12日

待ってくれた人 その2

朝8時半。

僕が出勤するときの野方の街はデンジャーゾーン。

そんなお話をしたことがありましたけど、
先日、ついにこの11年4カ月の間、
起こらなかったことが現実となったのです。
それは・・・

自転車が止まってくれました!

誰もが忙しいこの時間に、
たっぷり踏切で止められていた自動車や自転車は、
そら恐ろしいスピードで細い道路を走り抜けて行きます。

そう、誰もが忙しい。誰もが急いでいる。

にもかかわらず、
自転車に乗っていた30歳前後の女性が止まってくれたのです。

服装と持ち物からして彼女も出勤途中だったのでしょう。
他の人たちと同じように踏切で待たされ、
先を急いでいたに違いありません。

しかし、みんながわき目もふらずに走り抜けて行くなか、
彼女だけが止まって、僕が道を渡る数秒を待ってくれた。

「どうもありがとう!」

そういった僕に彼女は微笑みだけを返し、
また走り出して行きました。

豊かさとは何なのか?

それは高級車や財布の厚みが表すものではなく、
こうした小さな自己犠牲と思いやりなのではないか?

僕はそんなことを、
名も知らない彼女から教えてもらったような気がしました、

えーじ
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2021年06月09日

先の長いお話

新型コロナウイルスワクチンの接種速度が上がってきましたね。

1カ月前なら僕たちの番は早くても年末あたりかな?
くらいに思っていたのですが、今のペースだと中野区の場合、
8月前後には接種できるかもしれません。

実際、お客さまの中にも、
「きのう打ってもらったよ」なんて方がボチボチ出始めました。

高崎市と横浜市に住む親の予約が終わり、
個人的にも一コマ進んだ気分です。

しかしながら、実際に自分で手続きをしてみると、
現場の混乱はさもありなんと思いました。

僕は2件ともウェブ経由で予約したのですけど、
あれを80歳以上の方に自分でやらせるのは、
かなり無理があるでしょう。
わが家の場合、そもそも二人ともスマホすら持ってないし。

効率とコストを優先するならITを使うというのは分かります。

でもね、これ、あの業界にいたときからずっと言っているんですけど、
ITって自律型サイボーグのことじゃないんですよ。
奇怪な横文字を羅列して高尚な印象を与えていても、
一般レベルであれば単なる道具以上でも以下でもありません。
(ノートや鉛筆と変わらない)

つまり人間が使ってはじめて結果が出るものなのです。
このブログだってそう。
パソコンが勝手に書いてくれているのではありません。

だからシステムと同等か、それ以上に大切なのは、
ユーザーである人間なんですね。

しかし、これは今でも変わらないと思いますけど、
開発プロジェクトで肩身の狭い予算しか取れないのが、
ユーザーの教育費。(でしょ?)
マニュアル作りに割けるおカネもまたしかり。
使って覚えろの虎の穴式が業界の伝統ですからね。

で、結果が出ればいいのですが、
それがどうなったのかは皆さんも自身の経験でご存じのとおり。

今回の仕組みに関して言うなら高齢者から打ち始めるのであれば、
まず電話受付にリソースを集中し、
60歳以下になるにつれウェブに移行させてゆく、
ダイナミックなリソース配分が効率、
コストの両面で良かったんじゃないかな?

ともあれ、ITが本当の意味で普及し、
かけたコストと労力がアナログ時代を上回るようになるには、
まだまだ相当の時間がかかると思います。

え、だからデジタル庁が創設されたんだ?

あ〜、あれねぇ・・・

そのお話はまたいずれしましょうか。

えーじ
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2021年06月06日

Think together case2 #3

チャック・ノーランド。
(トム・ハンクスが映画『キャストアウェイ』で演じた主人公)

ヘンリー・D・ソロー。

アレキサンダー・セルカーク。
(ロビンソン・クルーソーのモデルとされる人)

この3人に共通していることとは何か?

それは平等が不必要だったこと。

なぜか?

自分の周りに他者がまったくいなかったから。

そう、他人がいない状況で、
平等というのは不要であるばかりではなく成立すらしないんですよ。

ではなぜ他者がいると必要になるのか?

それは競争が発生するから。

ではその競争とは何なのか?

個人的な幸福を追求するために、
必要かつ限りあるリソースを他者と奪い合うこと。

とどのつまり、その基本ルールの一つが平等なんですよ。
一見、競争とは無縁の、法のもとの平等ですら、
やっぱり個人的な幸福のためですからね。

たとえば先に挙げた3人のように、
無人島や誰もいないウォールデンの森の中で得た食料は、
ぜんぶ自分の胃袋に入りますから競争は起こりえません。
(ある意味、法すらいらない)

しかし人口稠密の現代社会に住む僕たちは、
食料はともかく、学校の定員、企業や役所の採用枠という、
需要が供給を上回るリソースを争って競争しなければなりませんし、
ときには恋人や伴侶を巡っても、
他者と競い合わねばならないことだってあります。

ここで素朴に訊いていいですか?

競争の理由である幸福とは何なのでしょう?

具体的にはおカネ? 安定した職業? 大きな家? 
社会的な地位? 名声? 権力? そして人も羨む素晴らしい家族?
おっと今どきでいえば、いいね!とフォロワーの数?

多分、これらのひとつだけではなく、
僕たちのイメージする幸福とはその複合体なのだと思います。

しかし、水を差すようで恐縮ですが、
これらが揃うと本当に幸せになれるのでしょうか?

だとしたら、ジャンキーになったハリウッドスターや、
自殺した超有名ミュージシャンをどう説明します?
大企業の社長ですらビルの屋上からジャンプする時代ですよ。

まぁ、そういう雲の上の人だけではなく、
僕の周りですら『一流』大学を卒業して、『一流』企業に就職し、
50歳を手前にリストラの憂き目にあった人や、
遊んで暮らせる孤独な大金持ち、
結婚して家族を手に入れても泥沼の離婚調停で苦しんでいる人など、
社会的に認知された幸福のモデルを実現したにもかかわらず、
期待とは真逆の結果に陥った人は、けして稀な存在ではありません。

そしてその逆もまた然り。

暴走族上がりの低学歴にもかかわらず暖かい家庭を築いた人。
凶状持ちでも多くの人に慕われている慈善事業家。
ルックスはモデルとかけ離れていてもやさしい伴侶を得た人。
シングルでも心から仕事と趣味を楽しんでいる人。
こうした幸福のモデルとは一致していないにもかかわらず、
満ち足りた人生を送っている人も少なくない。
(もちろん悩みが一切ないという意味ではなく)

この歩く現実を目の当たりにして、ふと思ったんですけどね、
競争って、ぜったい必須ではないんじゃないかしらん?

別のいい方をすると、
競争の勝者に幸福が約束されていない事実を認めるなら、
それこそ自らの自由意思で競争をしない人生も選び得るのではないか?

それに必要なのはたったひとつ。
人から抜きんでるスキル以上に大切なのは、
自分の幸福とは何なのか?
この問いに正面から向き合うこと。

なぜならアノニマスが囁く幸福のモデルを闇雲にコピペして、
自分のオリジナルだと錯覚すると、
多大な努力と、時間とおカネを投資しても、
結局、得たものはせいぜい束の間の満足しかもたらさないから。

そう、そもそも幸福とは色や形を持つモノではなく、
心の状態ですからね。

閑話休題。

究極的に、僕らはひとりの例外もなく、
不平等という意味においてのみ平等である。

どうやら今の僕の頭では、
これをテーゼとして認めざるを得ないようです。
(どなたか突破できるなら助けてください)

しかし、平等が競争の影としてしか存在しないのであれば、
自分なりの幸福のモデルを持ち、競争を回避することで、
不平等な現実を嘆く動機もまた消しうるのではないか?

確かに、S氏は不幸に見えました。
いや、実際そうだったのでしょう。
でも、談話室の彼女は、
自身の幸福のモデルにおいて、ハッピーだったのかもしれない。

そう、僕に背を向けていた彼女は、
談話室に差し込む日差しを浴びて、微笑んでいたのではないか?

「わたしは幸せよ」

今の僕には、そんな声が聞こえるような気もします。

End

えーじ
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2021年06月04日

Think together case2 #2

僕は16日間に及ぶ入院生活をかなり楽しんでいました。
特に見晴らしのいい談話室で缶コーヒーを飲みながら、
(軟禁状態で唯一の『売店』が1台の自動販売機だったんですよ)
お気に入りの音楽を聴き、
本を読んだり、ものを書いたりする時間は、
さながらちょっとしたバカンス気分。

はぁ〜、いいねぇ、こういうのも。

左足はニーブレイズで棒状に固定されたお荷物ですし、
移動は松葉杖を使わなければできませんでしたけど、
それを補って余りある自由を満喫していたのです。

そうした場違いな入院患者が物珍しかったのか、
談話室にいると、よく他の患者さんや医療関係者から話かけられました。
そこでまた入院よもやま話で盛り上がる。
整形外科病棟は基本的に治る方向へ進む人が多いので明るいんですよ。

しかし、そんなにぎやかな会話の外で、
部屋の隅にひっそりと座っている女性がいました。

いや、正確に言うと、座っているというより、
置かれていると言った方が近いかもしれません。
なぜなら彼女は先天的な形成不全で、
四肢が2歳児程度までしか発育していなかったのです。
ですから自分で移動することはいっさいできず、
談話室に来るのも看護師さんに運んでもらうしかありませんでした。

僕は彼女に気付いてから、
にぎやかな会話には加わらないようになりました。

僕たちは治りつつある。
でも彼女は・・・

ここでも僕は病室と同じように考え始めたのです。

なぜ僕は彼女にできないことができて
なぜ彼女は僕にできることができないのか?

この自問自答は決定的でした。

身体的差異の原因は医学的に説明できても、
当事者が納得するに足る理由とは、
遺伝子異常などという無味乾燥な用語でないでしょう。

そして『現在の自分とは過去の自分の自由選択の結果である』という、
因果律的な説明は、完全に無効ではないものの、
極めて限られた状況でしか適用できない。

彼女の後姿を見ていて、僕はそう認めざるを得なかったのです。

そう、平等とは、スポーツや学力試験など、
特定の条件下で限定的に実現可能な『競争の土台』であって、
それとてまた僕らが無邪気にイメージしているほど、
完璧なものではない。

僕たちは生れてまもなくから様々な種類の競争環境に晒され、
ふるい分けされつつ、能力別グループに分割されてゆきます。
これは記憶に新しい最近のものであればあるほど、
なんだかフェアに見えなくもない。
自分のやった努力を覚えていますからね。

しかし思い出せない原点に遡るにつれてリアルになるのは、
個人の努力はおろか、選択の自由意思すら及ばない、
なまなましい肉体とアプリオリな知的能力の差なんですよ。

そしてこの最初の競争の結果が、
その後の競争と個人の人生に決定的な影響をおよぼす。

ではここでもう一度、問い直してみましょう。

この原初のスタート地点における平等とは何なのか?

僕はレアなケースを持ち出して、
拡大解釈した極論をぶち上げるつもりはありません。
なぜなら個人の意思の及ばない先天的な決定事項は、
肉体的な要素にとどまらず、
たとえば性格を構成する部分にもすそ野を広げているからです。

一般的に、性格とか気質、才能などと呼ばれる、
個人を他者と区別するメンタルな属性は、
個人が意図的に獲得したものではなく、
また、厄介なことに、当の本人が嫌だと思っても、
本人の努力では消し去れないものでしょう?
(そうじゃないなら僕はもっとナイスガイになってますよ)

たとえば、今の日本では、
自己表現が苦手な人が不利になるケースが少なくありません。
こうした人は受験や就職の面接のときに、
(恋愛関係においても!)
並々ならぬ苦痛を味わっていることでしょう。

また行動のペースがゆっくりしている人も、
すべからくスピードが求められる現代社会では苦労が絶えないと思います。

こうした『口下手』とか『のんびり屋』などと言われる性格の属性の差は、
試験や就職における、
平等のパラメータとして取り上げられることはありませんが、
それがさまざまな競争の渦中で大きなファクターとなることは、
皆さんもご存じのとおりです。

そして、繰り返しになりますが、
そうした気質(性格)は、物心つく前に、
本人の意思の彼岸からやってきたものでしょう?
(少なくとも僕は自分で選んだ記憶はないです)

このアンフェアな、しかし、いかんともしがたい要素は、
平等の舞台の上でも、
性格、気質、才能などという言葉に置き換えられると中和され、
反対に、あって当たり前の単なる差異と見なされてしまいます。

そうなると最後に残るのは、
人間の社会は不平等な点においてのみ完全に平等である。

こうした身もふたもない皮肉な結論だけなのではないか?

む〜・・・、
もうちょっと夢のある話はできないのかね?

そこでない知恵しぼって、
もう少しこの平等ってやつを掘り下げてみました。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 14:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2021年06月02日

Think together case2 #1

ちょっと前のお話『旅の記憶のささやき』で背負いこんだ宿題。
やらなきゃなぁ・・・と思いつつも3カ月以上が経ってしまいました。
考えていると、やっぱりどうも気が重くなってしまって、
腰が上がらなかったんですよ。

しかし先延ばしにしてばかりはいられません。
答えが出せたわけではないのですが、
ここまでのプロセスを皆さんとシェアさせて頂きたいと思います。

テーマは『平等』。

本題に入る前に、
まず僕がこの問題の再考を始めたきっかけからお話しましょう。

あれは昨年の10月、2度目の膝の手術で入院していたときのこと。
同室になったトラブルメーカーS氏の話をご記憶の方もいらっしゃると思いますが、
怒りが渦巻く病室の中で、僕は彼を見ながら別のことを考えていたのですよ。
それは・・・

なぜ僕は彼が持っていないものを持っていて、
なぜ彼は僕が持っているものを持っていないのか?

周囲の多大な迷惑にもかかわらず、
彼が必死になって求めているものは単純にして明白でした。
それはたった3つ。

体の苦痛や不快感からの解放。
飲み物を買い、テレビを見るための僅かなおカネ。
シェーバーなどレンタル品に含まれていない日用品。

しかしそのいずれも彼は得ることができなかったのです。
なぜなら知的障害と難聴という精神的かつ肉体的なハンディキャップを背負い、
生活保護を受け、家族から孤立した生活を送っていたから。

つまり支援を得るためのコミュニケーション能力を欠き、
おカネがなく、助けてくれる人もいない。

ここで僕は従前の考え方を持ち出して、
自分が納得するために彼の置かれた現状を説明しようとしました。

現在の自分とは過去の自分の自由選択の結果である。

言い換えると、
S氏と僕は人生における『平等』なスタートを切ったが、
個人的な『努力の差』により、
今日、この日の『持つものと持たざる者』の状況(結果)を作り出したのだ。

なるほど、その通り。
僕が心地よい入院ライフをエンジョイし、
S氏が苦痛と不満にまみれた日々を送るのは当然の帰結なんですね。

以上、判断終了!

にはならねぇじゃねえか、どう考えても。
個人の努力に結果責任をすべて負わせる僕の説明は破綻している。

そしてその行き詰まりを決定づける事実が、
翌日の談話室で僕を待っていたのです。
それは・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年05月31日

幸せのちょっと一振り

時短営業で21時前には店を出ますから、
最近はアパートで夕食を摂ることが多くなりました。
そんな僕らの献立は8割がたが和食です。

レストランをやっていると、
3食すべからく旅の料理を食べていると思われがちですが、
さすがにこの齢なので、寝る前の食事は軽くしているのですよ。

そこで活躍しているのがこれ。
一休堂の京七味。

chillipowder.jpg

京都といえば原了郭の黒七味がよく知られていますけど、
近くでは手に入りにくいので、スーパーで買える京七味が活躍中。

実はこれ、きっかけになったのは昨年10月の入院生活なのです。
入院といえば悩みの種の筆頭が食事。
しかし、しょうがないよねぇ・・・
の一言で運命を甘受する僕ではありません。

新型コロナの影響で病棟に軟禁状態となる16日間。
どうせならなるべく楽しく過ごしたい。
そこでどうすればいいのか?

答えは七味トウガラシでした。

まず病院の名誉のために申し上げますと、
僕が食べていた病院食はけして不味いものではありませんでした。
しかし、ちょっとした工夫で、よりおいしく食べられるのではないか?
そう気付いたのがその前に入院した3月のとき。
キーは味の輪郭にあったのです。

病院食はおしなべて薄味ですが、
これは僕の好みでもあるのでノープロブレム。
しかし何かこう塩味とは異なるパンチが欲しい。
でもって献立のほとんどは油を使わない和食。
となれば七味トウガラシの出番でしょ!

そんなわけで、16日間、
いろんなものにこれを振りかけて食べていたのです。
そうしたらこの風味が忘れられない病院の味となってしまいました。
おいしかったな、うん。

与えられた条件下でいかに楽しむか?

僕はこういうのが得意なんですよ。

えーじ

P.S.
ホントは食べ物の持ち込みはNGです。
よい子の皆さんはまねしないように!

P.S.2
といいつつ、ほかに洋食系アップグレードのための、
マヨネーズやマスタード、
それにトッピング用の常温保存可能なウズラの卵やチーズ、
あとデザートのフィナンシェやパウンドケーキも密輸していました。

ま、整形外科ですからね!
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2021年05月28日

生き残りをかけて

東京都の非常事態宣言は6月20日まで延長・・・か。
やぁ〜っぱり、こうなりましたね。

というより、7月23日のオリンピック開催前に、
僕ら『悪の飲食店』が無罪放免される可能性はほぼなく、
このまま最低でも、
7月20日までは何らかの規制下に置かれるんでしょうね。
(下手をすればパラリンピックが終わる9月5日まで)

そうすれば開催期間中にドカァ〜ンとなったって、
小池さんも「ここまでやってたんですから!」と、
エクスキューズできますから。

ああ、人柱ならぬ店柱。

とまれ僕らのような従業員のいない小規模飲食店は、
保証の範囲内で何とかやって行けますけど、
事業規模の大きいところや、
間接的でも深刻な影響を受けている業界はたまらんでしょう。

今日も小用で出かけた際、
シャッターの落ちた新宿のサブナードを見ていたら、
いたたまれない気分になりました。

ほんと、これどうにかなりませんかね?

やっぱりワクチンを打ちまくるしかないのかな?
でも、接種券を配っても肝心のその先がジャムってるんじゃ、
まだまだトンネルの出口は見えない。
そうなると持久力のないところから消えてゆくのか・・・

ととら亭も実際、防戦一方です。
時短営業プラスお酒ダメでは、手足を縛られて海に放り込まれ、
「さぁ、泳いでみろっ!」ってなもんなんですよ。

というわけでディフェンス第2弾として、
6月2日(水)〜6月22日(火)のあいだは、
以下の営業スケジュールでしのごうと思います。

bsche202106.gif

Let us keep on SURVIVE!

えーじ
posted by ととら at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年05月26日

気持ちは分かるんだけど・・・

東京都が非常事態宣言を延長するそうな。

ん〜・・・気持ちは分かるんですけどね、
こと飲食業に限っていうと、
モロ営業や闇営業する店が地滑り的に増えちゃうと思うんですよ。

野方に限ってでさえ、
現時点でモロ営業する店が増えてきています。

あ、ジャーゴンじゃ分かりませんよね。
『闇営業』は、ひよこの隠れん坊みたいに、
半分シャッターを降ろしたり、
遮光カーテンで店内が見えないようにして20時以降も営業している店。
『モロ営業』は堂々とフツーに営業している店。
もちろん両方とも飲酒OK。

昨年4月の非常事態宣言の時と比べても、
その数はだいぶ多くなっています。

なぜか?

おカネです。

その裏事情はふたつ。

まず言わずもがな、保証してもらえる金額が、
通常の売り上げを下回り、従順に要請(命令)を受け入れると、
経営が行き詰ってしまう場合。
これは5店舗以上のチェーン店展開している事業規模のところや、
銀座、赤坂、六本木など、
高額のキャッシュフローで回している店が該当しやすいですね。

そしてもうひとつが今回目立ってきたケース。
20万円から30万円の過料を払っても、『通常』営業した方が儲かる場合。
これはある意味、通常並みではなく、通常以上に儲かるんですよ。
なぜなら他の競合店がみな休業している中で開けるんですから、
待ちかねたお客さんが大挙して押しかけるので。

するとここで別の連鎖反応が起こり始めます。

おとなしく要請に従って休業している居酒屋Aの隣の居酒屋Bが、
モロ営業した結果、普段はそれほど集客していないにもかかわらず、
連日、満員御礼の大盛況!
で、それを見ていた居酒屋Aの経営者はどう考えるか?

やるでしょうねぇ。

そこで彼、彼女の頭に浮かぶ理由は3つ。

1.あれだけ入れば協力金をふって過料を払っても十分利益が出る。
2.モロ営業してもクラスターが発生していない(ように見える)。
3.オリンピックができるくらい『安全』なんだから心配ない。

こうして『赤信号、みんなで渡れば怖くない』式に、
来月からモロ営業店が増えて行く。

ここでまじめな方は憤慨して言うでしょう。

「けしからん! 東京都はもっと厳しく取り締まるべきだ!」

これもまた仰ることは分かります。
でもね、できないんですよ。

この勝負、明らかに行政の方が分が悪い。

いくら国家規模の防疫が目的とはいえ、
モロ営業をしている店がやっているのは、
そもそもこれまで普通にやってきたことですし、
罪悪感を伴う殺人や窃盗ではありませんから、
感覚的にも悪いことをしているという認識は薄い。
いや、むしろ正しいことをしていると思ってもおかしくない。
経済的にはその通りなんだし。

さらに保証が不十分なケースでは、
行政命令で倒産させるんですから、
行政側も胸を張ってやれる仕事じゃないでしょう。

そしてとどめはやっぱりオリンピック。

命のためにステイホーム!
でもオリンピックはやりますよ〜、安全ですから!

ってダブルスタンダードは、
どう逆立ちしても説得力がない。

「10人しか入れないおいらの店が今まで通り営業しちゃ危険で、
 外国人を何万人も集めた国際運動会は安全だと?
 ふざけんじゃねぇ!」

ってなっちゃいますよ。
いくら毎日PCRテストするとかなんとか言っても。

そんな背景があるからか、
先日、ととら亭にも見回り隊の方がいらっしゃいましたけど、

「ちゃんとやってますか? あ、アクリル板が小さいじゃないですか!
 明日までに指定サイズのものと交換してください。
 消毒薬も最低あとふたつは増やさないとだめです!」

なんて上から目線の方ではありませんでした。
事実は真逆で、

「大変な状況で本当にご苦労さまでございます」
「アクリル板はスペースの都合上、この程度のものしか置けないんですよ」
「いえいえ、もうこれで十分です」
「まぁ、うちみたいな規模の店だとこれくらいしかできなくてね」
「いやもう完璧です! 問題ありません。
 このポスターを併置した消毒薬の置き方なんてすばらしい!
 こういうのが大切なんです。参考例として写真を撮ってもいいですか?」

と、ひたすら低姿勢。
『見回り隊』というより『行政アンケート調査』みたいな感じ。

ん〜・・・ほんと、小池さんには難しい局面になってきましたね。

え? ととら亭はどうするんだ。

うちはモロ営業も闇営業もしません。
ただあんまり無茶を言われるようになったら考えますけどね。
僕もまた羊じゃないもんで。

えーじ
posted by ととら at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年05月24日

善と悪のその先へ

ニュースのヘッドラインに『紛争』の文字があると、
どうしても目に留まってしまいます。

それは僕たちにとって遠い世界の話ではなく、
昨年の暮れから続いたアゼルバイジャンとアルメニアの紛争のように、
かつて訪れた場所であり、
かつ、これからも訪れるであろう場所でもあるから。
(ときには出会った人たちの顔も思い浮かびますし・・・)

そしてもうひとつ気になるのが、
そうした紛争がおしなべて善悪の二元論で語られていること。

たとえば今でいうと、
イスラエルとパレスティナの紛争が連日のように報道されていますが、
そのほとんどが圧倒的軍事力を背景としたイスラエルの『無差別』攻撃の非難か、
『テロリスト集団』である、
ハマス(武装闘争を是とするパレスティナの政党)
の原理主義と暴力性の非難に軸足を置いたものでしょ?

僕は個人的にそのどちらの立場も取ってないんですよ。
いや、正確にいうと取れないのです。

なぜなら、
ハマスがどうして過激な武装闘争をやめないのか?
そのハマスがなぜ選挙でときにパレスティナ自治政府の与党となりえたのか?
アラビア半島を構成する国々はどのようにして『建国』されたのか?
イスラエルとはどういう国なのか?
そしてイスラエルを『建国』したユダヤ人とは、
世界各地で歴史上どのような扱いを受けてきたのか?

ここまでコンテクストを広げると、
む〜・・・と、うならざるを得ないから。

2年前、レバノンを訪れた際、僕は旅をするリスクの説明で、
「あそこはもめ事のデパートなんですよ」と言いましたが、
補足するならそれは何でもあるという意味を超えて、
その何でもあるものが独立しているのではなく、
密接に絡まりあっている、ということなんですよ。

ですから目の前の事実だけを切り取って、
自分たちの価値観に基づいた善悪二元論のジャッジを下したところで、
何も解決しないどころか、
火に油となる可能性が高いと僕は考えているのです。

反対にコンテクストを広げたレベルでの熟考は、
ともすれば他者の問題の解決に貢献できるだけではなく、
たとえば、日韓、日中、日露関係など、
自ら抱えた問題の解決にも役立つのではないか?

意見が対立した時、
暴力的な解決方法を正当化する最もポピュラーな理由(言い訳)が、
相手(加害者)が完全に間違っており、
自分たち(被害者)が完全に正しいという極端な善悪二元論です。

故にこれを携えて紛争に介入すると、
一見、調停が目的のように見えても、結果的には参戦状態に陥り、
泥沼をより深めることにしかなりません。(よね?)

紛争の解決にはどれだけ双方の動機(理由)を掘り下げられるか、
その洞察力と理解力、
そして両者への共感する気持ちがキーなのではないか?

ま、かくいう僕にそのスキルが欠けているから、
む〜・・・と、うなっちゃってるんですけどね。

えーじ
posted by ととら at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年05月22日

ワクチン打ちたいんですけどね・・・

ワクチンを打つにも、
まず越えなければならないハードルが予約取り。

僕らはこういうのに慣れているので何てことはありませんが、
離れて暮らす義母の予約を代行しようとしていた矢先に流れたのが、
ワクチン予約システムのバグについての報道。

その後は官業双方に分かれた非難合戦が繰り広げられていますけど、
元SEの立場から言うとですね、

これはメディアさんがNGですよ。

なぜか?

僕は法律の専門家ではないので違法性うんぬんは分かりませんし、
報道の自由や国民の知る権利について風呂敷を広げる気もありません。

ただ単純に、システム運用をやっていた経験から言うとですね、
ペネトレーションテストを運用側に無断でやるというのは、
システム運用上ありえない話です。

しかもそのテストはサービス提供中に抜き打ちでやっており、
かつ、そのサービスはコンサートやレストランの予約システムではなく、
国家レベルで緊急性の高いものでしょ?

ペネトレーションテストは場合によって、
システムの状態に深刻な影響を及ぼすことがあります。
ですからやる場合は、
運用側、テスト実行側で事前に綿密な打ち合わせを行い、
サービスを提供していない時間帯を選んで、
最悪、システムがダウンした場合の対策(体制も)を準備して、
慎重にやらなければならないものなんですよ。

今回の無断ペネトレーションテストは、
ランダムな番号を入力する程度のものでしたが、
(もしかしたら他にもやったかもしれませんが・・・)
こうした無謀な行為が正当化され、
より危険な攻撃、
たとえばSQLインジェクションや、
バッファオーバーフローなどをしかけるようになると、
場合によっては本当にサーバーがダウンしてしまう可能性があります。

また、これみよがしな情報公開のタイミングも、
公益に反したものだと言わざるをえないでしょう。
なぜならシステム側がパッチを当てる前に攻撃方法を公開してしまうと、
愉快犯が便乗してあれこれ攻撃を仕掛けはじめ、
予測不能の2次的な問題を引き起こす可能性が高まるからです。

ですから抜き打ちペネトレーションテストは論外としても、
バグを見つけた場合はまず運用側にそれを伝え、
パッチを当てた後に、どうしてもやりたいなら情報を公開する。
これがある意味、ネット上のITシステムを扱うルールなのです。

というわけで、今度はいちユーザーの立場で申し上げますと、
今、このワクチン予約システムで大切な作業をしようとしていますので、
メディアの皆さま、そこのところをご承知おきくださいませ。

えーじ
posted by ととら at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記