2025年12月09日

第27回取材旅行 その26

タブリーズから始まり、テヘランで取材を終えた僕らは、
昨日の午前中、東部の街、マシュハドに着きました。
これでイランの北部を西から東へ横断したことになります。

とにかく情報が少ない国なので、
毎回「しばらく音信不通になるかも・・・」と結んでいますが、
とりあえずマシュハドまでは何とかなったようですね。

メディアが伝える一部の情報が拡大解釈され、
「圧政に牛耳られた好戦的なイスラム国家」という、
ステレオタイプのイメージが定着してしまったイラン。
しかし、一歩足を踏み入れれば、
それが現実と一致していないことが、すぐにわかる気がします。

とはいえ気を使わねばならないのは、イランは「戦時国」であるという事情。
イスラエルとは「停戦」したもの、パレスチナを見れば明らかなように、
この言葉は絵に描いた餅なんですよ。
街行く人の表情から緊張感こそ読み取れませんが、
モサドの暗躍を警戒する当局は、かなり神経質になっているはずです。

そこで注意すべきは、スパイと勘違いされるような行動をしないこと。
いつもなら到着したときに駅やバスターミナルで写真を撮りますが、
交通インフラは兵力の移動を測る情報にもなるので、
見つかったが最後、洒落にならないことが起こるでしょう。
国境も含め、他にもそうしたレッドゾーンがそこかしこにあります。

現地に不慣れな旅人が困るのは、
そうした場所に必ずしも「撮影厳禁」という表示がないこと。
そこで一番無難な対策が、「周囲の人がやっていないことはやらない」です。
また、撮影が問題ないと思われる場所でも、
一眼レフでバシバシ撮るのは目立ちすぎでしょう。
そんなこんなで、イランでは写真の撮影枚数がぐんと減りました。

なぁんて話をしつつ、先日テヘランで地下鉄に乗った際、
考えられないような事件が発生。

「お、珍しいな」

僕らの斜前に東洋系と思しき20歳代のカップルが座っています。
中華系か? それとも韓国系か? 少なくとも日本人ではなさそうです。
ふたりは仲良く1台のスマホに目を落とし、なにやらひそひそおしゃべり中。

数分経った後、再びふと視線を向けると、
ちょうど顔を上げた二人と目が合いました。
双方ともににっこり。
だったのですが、ここで唐突に、
彼女がスマホのディスプレイをこちらに向けたじゃないですか。

・・・?

そこには何やら動画が再生中。

・・・? 何を見せようとしてるんだ?
あ、ああ、そうね、そこに映ってるのは・・・オレだ、オレだよ。
うん、オレ。

え? なんでオレが映ってんの!

わが目を疑うとはまさにこのことです。
僕は状況が理解できず、一瞬頭がハングしてしまいました。
なぜならディスプレイに映っているのは対面に座っている僕らではなく、
どこか別のところで撮られた僕らの動画なのです。
それもかつてテレビやユーチューブで収録されてものではありません。
つい最近の恰好をしていますから。

な、なんだありゃ?
あの動画のオレは何をやってんの?
いや、ともこまで映ってる!
あ、ああ、あれはまさか!

ともこの登場シーンで、
僕らはそれがいつどこで撮られたものかがわかりました。
あれはタブリーズの市場で取材中、
いきなりローカルの若い女性二人から声をかけられたのですよ。
それも早口のペルシャ語で。
見ればひとりの子が一眼レフカメラを、もうひとりはなぜか花束を持っています。

「あ、ああシャッターを押して欲しいんだね?」

しかしカメラを僕に渡そうとせず、しきりに何かを訴えてきます。

「ん? 違うの? そうか、僕らと一緒に写真が撮りたい?
 え? それも違う? ん〜・・・わからん、何を言っているんだろう?」

そこへ取材で入ったレストランの英語を話すスタッフが現れました。

「やぁ、ちょうど良かった! 彼女たちが何を言っているか通訳してくれる?」
「ええ、いいですよ」

そこでローカル同士が話を始め・・・

「彼女たちはあなたがたお二人を撮りたいそうです」
「僕らを? あ、そうだったのか。僕らをねぇ・・・まぁ、いいですよ」

するとまた話が始まり、

「では奥さまは、この花束を持ってください」
「え? あたし? これを持つの?」
「いや、違います。彼女(カメラを持っていない方)が花束を渡しますので、
 それを受け取ってください」
「はぁ・・・」
「ん? 動画を撮ろうとしているのかい?」
「よくわかりません」と通訳さん。
「なんだかテレビの収録みたいだな。まぁいいや。じゃ、キューを出して」
「ご主人はちょっと後ろに下がってください」
「はいはい」
「じゃ行きますよ」

ここでともこに花束が渡され、アドリブでお礼を言っています。

「では次です」
「ほぇ、まだなんかやるの?」
「今度は二人で並んでください」
「こう?」と僕ら。
「そう、奥さまは花束を持って。もうちょっと上に。そうそう。
 で、ご主人は体をもっと斜めに。手はパンツのポケットに入れて」
「こう?」とふたたび僕ら。
「あ、いいそうです。では撮ります」

今度は静止画で数カット撮られ、

「メルシー、メルシー(どうもありがとう!)」

で解放されたのです。

「何だったんだろう? 今の?」
「わからないな。外国人の僕らは確かに珍しいけど、
 なんてったってこの歳だ。フォトジェニックにはほど遠いよ」
「それはえーじの場合でしょ!」
「年齢からしても、あの子たちなら孫にだってなりうる」
「それもえーじの場合!」
「おいおい、一方的にひどいこというなぁ」
「う〜ん、でも確かに謎ね。
 大きなカメラだけじゃなくて小道具まで持ってたし。
 花束はくれるのかと思ったら持って行かれちゃった」

そう、その花束で、僕らは動画の撮影場所がわかったのです。

「ということは、タブリーズのあの子たちが動画をアップして、
 それをテヘランの地下鉄で対面に座ったふたりが見て、
 偶然その前にあたしたちが座ってたってこと?」
「む〜・・・そうなる・・・かな? 確率はめちゃ低いけど」

ほんと、摩訶不思議な事件でございました。

さて、明日からイランより、さらにガチな某国へ向かいます。
今度こそ本当に1週間ほど音信不通になるかも。
ま、ブログは休みでも、
またどこかで撮られた動画が流れてわかるかな?
ひゃあ〜。

to be continued...

えーじ

tabrizgirls_ir.jpg
謎の撮影ガールズ 有名人なのかしらん?
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2025年12月07日

第27回取材旅行 その25

今日のテヘランは晴れ。
中東とはいえ、標高が1105メートルありますから、
最低気温が6度、最高は15度と朝晩少し寒いくらいです。
あ、わかってますよ、そんなことより皆さんが一番気になっているのは、

大丈夫か?

ですよね?
それはもちろん、僕らも出発前のルート選定時からずっと気になるところでした。
とりわけ、「さぁ、もうすぐ出発だ」となった今年の春ごろ、
イスラエルとミサイルの撃ち合いになりましたしね。
で、結論を申し上げますと、

大丈夫です。

あくまでも僕らが移動した範囲に限っての話ですが、
治安上「なんかおっかねぇな・・・」と不安を感じたことは一度もありません。
強いて言えば最大の脅威は自動車とバイク。
少なくともテヘランでハンドルを握る気にはなれないな。
でも、ヨーロッパのように電動キックボードが歩道を爆走していない分、
安心して歩けると思います。
もちろんバイクはどこでもお構いなしで走ってきますが、音がしますからね。

取材を始めて驚いたのは経済です。
バザールに行くとモノが溢れ、狭い路地はお客さんで溢れているじゃないですか。
40年以上に渡って経済制裁を受けている国とは思えないくらい。
確かに商品の質はお世辞にもいいとはいえません。
しかし、同じ境遇のキューバに比べると、あきらかにものがある。

そして最大の特徴は、バザールの光景がさながら昭和の日本を彷彿させる点です。
そう、僕が子供のころはまだ大手資本や外資に市場が牛耳られておらず、
商店街には元気な個人経営の店が軒を並べていました。
また、「買い替え」「使い捨て」ではなく、
「直して使う」手わざ職人の文化が色濃く残っていたものです。

たとえば自転車。
僕が小学生の頃は、当時の価格で5万円前後はしていましたから、
とうぜん、とても高価な買い物です。
そこで日頃の手入れもさることながら、壊れたら直すのが当たり前。
それが現在の価格で1万円を切る商品が普及し始めたとたん、
簡単に乗り捨てられるようになってしまったでしょう?

タブリーズやテヘランのバザールにはバイクから家電品まで、
さまざまな修理屋がたくさんあります。
だから街中に新品は見当たらなくても、使い込まれた製品が溢れている。
そう、ものを大切にする文化が、まだ残っているのですよ。

「やぁ、どこから来ました?」

食材より、そんな光景に感心しながら歩いていたとき、
後ろから、たどたどしい英語で声をかけられました。
振り返ると、そこには小柄な初老の男性が柔和な笑みを浮かべています。

「日本からですよ」
「やぁ、そうですか、イランへようこそ!
 私はすぐそばで店をやっておりまして。お茶でもいかがですか?」

僕らはすかさず警戒モードに入りました。
こういうケースはたいてい物売りです。
場所がら高価なペルシャ絨毯のセールスでしょう。

「いや、お誘いはありがたいのですが先を急いでいるもので」
「お時間はとらせません、
 すぐそこなんですよ、ぜひお見せしたいものがあるのです」

ほぉ〜ら、始まった。

「本当にすみませんが、行かなければならないところがあるのです」
「ではここで、小さなお願いがあるのです、
 すぐに戻ります、ちょっと待っててください!」

ふぅ、やれやれ。

こんな僕らでも異国の地では「日本代表」。
物売りが相手とはいえ失敬な態度はとるべきではありません。
そこで待つこと数十秒。男性は急いで戻ってきました。
手にしているのは一冊の使い込まれたノート。

「これにメッセージを書いていただきたいのです」

・・・?
ノートを開くと、そこにはさまざまな言語でメッセージが書かれているではないですか。
ほんの2日前には日本語のものまである。
ざっと内容に目を通した限り、彼は怪しい人ではなさそうです。

「ああ、では書きましょう」
「ならばここではなんですから、私の店へどうぞ」

彼の店は、本当にすぐ近くでした。
2坪ほどの小さな店の正面には使い込まれたミシンが数台並べられています。
そしてカウンターの壁には、これまた年季の入った工具がずらり。

「修理がお仕事なのですね」
「ええ、そうです。なんでも直します。でもどこかで習ったわけではありません。
 技術も、ペルシャ語の読み書きも、こうして話している英語も、
 10歳のころから少しずつ独学で身につけました」
「それはすごい」
「しかし、私の生きがいはこれです」

彼が指差したのは工具の棚の下にある中くらいの箱。
その中には僕らが手渡されたものと同じようなノートが何冊も入っていました。

「たくさんの人と出会い、話をして、メッセージを頂く。
 私はここで、とても幸せなのです」

僕らはだんだん警戒モードに入っていた自分が恥ずかしくなってきました。

「数えきれないくらいの人々と出会ったのですね。それは素晴らしい」
「私はアリといいます」

彼はメッセージを書くともこを満足そうに眺めています。

「では僕からもお願いしていいですか?」
「なんでしょう?」
「僕のノートにアリさんのメッセージを書いていただけませんか?」
「もちろん、喜んで!」

彼はペルシャ語(文字はアラビア文字)で右から左へ向かって、
丁寧に書き始めました。

「あなたたちのお名前は?」
「僕はえーじ、ワイフはともこです」
「ではえーじとともこの幸せを祈って、と書きましょう。
 あなたたちが幸せであれば、私もまた幸せだからです」

遠く離れた中東の街。
昭和の香りがする小さな修理屋。
そして、令和の日本人が忘れてしまった心をもつ人。

僕らはまるで過去にタイムスリップしたような気持になって、
アリに別れを告げました。

さて、今はイラン時間18時30分。
僕らは24時発の夜行列車で東部の街、マシュハドに移動します。
通信環境が不安定で、また音信不通になるかもしれません。
しかし10日もすれば、たぶんネットに入れるところまで行けるでしょう。
心配しないでくださいね。

to be continued...

えーじ

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Thanks Ali.
posted by ととら at 00:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年12月05日

「自由な旅のレシピ」最終回がアップ!

今年の2月から「かもめの本棚Online」で連載中のエッセイ、
「自由な旅のレシピ」がフィナーレを迎えました。

最終回「自由な旅人になって」

振り返ると、この仕事のオファーを頂いたのは、去年の長い旅の途上。
たしか第1回の「旅の扉を開ける鍵」を書いたのが、
モルドバの首都、キシナウだったと思います。
そして東京で書き続け、
ときにはブルネイで第8回「おいしい料理にありつくこつ」を執筆し、
最終回は北マケドニアのスコピエで結んだのです。
そう、まさにこの作品は、僕らの旅そのものでありました。

しかし、いつも結びでいいますように、ひとつの旅の終わりは次の旅の始まり。
実際、最終回の本文のとおり、僕らはいまイランのテヘランに滞在し、
中央アジアへのルートを模索しています。
どこまで行けるかわかりませんが、
地平の果て、心の彼方を目指し、旅を続けましょう。

最後になりましたが、
「世界まるごとギョーザの旅」以前から、
懲りずにお付き合いいただいている村尾編集長、
そして今回、
ともすれば脱線しがちな僕をいつも正しいルートに導いてくれた尾高編集に、
心からお礼申し上げます。

ありがとうございました!

久保えーじ
posted by ととら at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年12月03日

第27回取材旅行 その24

سلام!(サラーム(こんにちは!)
僕らは今、イランの首都テヘランに滞在しています。

ユーラシア大陸を横断するにあたり、
コーカサス地方からどういうルートで東へ向かうか?
カスピ海を前にして選択肢は3つ。
陸路は北へ進むロシアルートと南へ進むイランルート。
あとは空路で中央アジアへジャンプ。
そこでいかにリスクを回避しながら取材を行うか、ぎりぎりまで検討した結果、
つい先日、外務省が危険レベルを下げたイランルートに決定しました。

ところがこのルート、情報が少ない上に、その内容の確度もビミョーでして。
国境で門前払いの最悪シナリオもカードに入れつつ、
まずエレバンでタブリーズ行きのバスチケットを手配したのです。

越えるのはアルメニア南部と接するノルドゥズ国境。
イランと言えばサウジアラビアと双璧をなすガチなイスラム国家です。
強権政治の有無を言わさぬ統治の噂は以前からかなり耳にしています。
そこで陸路でも15日以内の滞在期間ならVISAなしで入国できるか、
在日イラン大使館に照会し、タブリーズのホテルの予約書を用意、
事前に入手が困難なイランレアルもゲットし、
さらにともこはドレスコード対応用スカーフを購入。
通信は検閲回避に使うVPNを実装し、
スマホにはイラン用のe-SIMをインストール。
イミグレでの想定問答も暗記して、いざ国境へ!

で、夜のノルドゥズで待っていたのは、
強面のインスペクターによる、ともこの服装のダメ出し、執拗な質問攻め、
厳密な荷物のチェック・・・

ではありませんでした。

まず、アルメニアの出国。
入国の時と同じシナリオで吹きさらしの戸外ブースに並ぶと、
インスペクターは笑顔で「トモコ?」と聞いただけ。
そして次はにっこり笑って「バイバイ!」

あ、そうね、バイバイ・・・ね。

やや拍子抜けした僕らは暗い橋を500メートルほどとぼとぼ渡り、
とりあえず明かりのついている小さなブースへ。
なかにはうら若い女性のインスペクターがひとりだけ。
ここからは完全にアドリブです。

「サラーム、パスポートコントロールですか?」

彼女はにっこり笑みを浮かべ、

「ここはご婦人だけですよ」

ともこがパスポートを出し、

「スカーフを巻いてくださいね」
「あっ、ちょっと待ってください!」

彼女が慌てて新品のスカーフを巻くと、

「うん、キュートよ!」

これだけで次へ。どうやら女性のドレスコードチェックだけのよう。
なんだか校門前の風紀の先生みたいですね。
で、大型トレーラーが雑然と並ぶ埃っぽい工事現場のようなところを抜け、
きょろきょろしながら先へ進むと、トラックの間から現れた軍服の男性が、
「あっちだよ」と前方左側の建物を指差しています。

なるほど中はパスポートコントロールでした。
さぁ、いよいよ本番だ! と気合を入れてブースへ。
ともこはシナリオどおりパスポートを提示し、にっこり笑って「サラーム!」。
さぁ、インスペクターはどう出るか?

30歳くらいの人の良さそうな男性インスペクターは、
「あ、はいはい、サラーム・・・で、日本人ね、えっと・・・ビザは・・・」
ここで僕が入り、
「滞在日数は15日以内なので、日本人はビザなしでいいですよね?」
「あ、そうそう、そうでした」

あとは写真を撮り、入国スタンプを握って、
「押す?」
ともこが僕を振り返り、目線で「どうするんだっけ?」
僕が勘違いして「いいよ」サインを送ったら、
驚いたインスペクターが「え? 押しちゃっていいの?」と再確認。
「え、あ、いや、スタンプは押さないで下さい!」

そう、イランの入国スタンプがあると、イスラエルはともかくとして、
EUを含む一部の欧米諸国に入国できなくなる恐れがあるんですよ。
インスペクターは気を使ってくれたわけですね。(いい人でした)
次の荷物検査もバックパックをX線検査装置に入れましたが、
税関職員は画面を見ておらず、同僚と何やら楽しそうに談笑中。

こんな調子で両国の出入国でかかった時間はほんの30分ほど。
僕らはあっけなくアルメニアを抜けてイランに入国したのでありました。

実はこのノリ、国際バスチケットを買ったイラン人経営の旅行代理店や、
(ここで50ユーロ分のイランリアルをゲットしたのですよ)
ほぼイラン人が乗客の国際バスの中でも感じていましたが、
メディアが伝えるイラン人の印象とは裏腹に、
彼、彼女たちはとてもフレンドリーなのですよ。
それも民間人だけではなく、制服組も含めてね。

想定どおりだったのはインターネットとATM、
クレカのような電気技がほとんど使えないこと。
決済は完全にキャッシュのみ。しかもこれが実にわかり難い。
為替が銀行系と実勢系の2種類あり、双方は4倍以上の差があります。
変動も激しく、朝と夕方で10パーセント以上も上下するのは当たり前。
さらに通貨単位が貨幣で使われるリアルと口頭で使われる一桁少ないトマンがあり、
紙幣の桁数は最低でも10,000リアル。
コーヒー1杯が1,250,000リアルというハイパーインフレーション状態です。

exchange_ir.jpg
100米ドルを両替するとこうなります 人生ゲームのお金を思い出しました

ダメ押しの表示がアラビア文字。
(僕らはとりあえず1から10までは覚えました)
おカネのやり取りは本当に疲れます。

そして懸案のインターネット。
中国同様の厳しい検閲があると聞いていましたが、
タブリーズ滞在中はGoogle、Whatupのみならず、LINEですら使えるじゃないですか。
ところがテヘランに移動したらトラフィックがひどいだけではなく、
(道路のトラフィックもほぼカオス)
かなめのVPNがブロックされているは、ブログや一部のサイトが表示できないはの、
さまざまな問題が続発し始めたのです。

こりゃ当分ブログのアップデートはできないな・・・
と半場投げ出しかけましたが、ご存じ僕は「諦めの悪い男」。
いろいろ試した結果、バックドアを発見。キーはe-SIMのチェックの甘さです。
スマホのWi-Fiを切ってe-SIM経由でVPN接続を確立し、PCとUSBテザリングで接続。
この方法を使い、そこかしこに仕掛けられたブロックを回避できました。
ま、スピードは落ちますから写真をいくつもアップするのは無理ですけどね。

さて、イランは僕たちも初めてです。
入国してまだほんの4日間ですが、実にいろいろなサプライズと出会いがありました。
どこからお話すればいいものやら・・・それが目下の悩みです。

to be continued...

えーじ

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この旅も折り返しましたが元気です!
(グレー柄のスカーフはエレバンで約1,200円でゲット)
posted by ととら at 23:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月29日

第27回取材旅行 その23

日本を出発して67日目。旅の折り返しとなりました。

そこで偶然か、寝しなに読んでいた本もちょうど昨日の夜で読了。
タイトルはジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」です。
今回はこの他、J・D・サリンジャーやパウロ・コエーリョなど、
青春時代に読んでいた本を読み返しているのですよ。
40年も経つと感じ方がだいぶ変わりますからね。

なかでも「オン・ザ・ロード」は僕のような古い旅人にとって、
バイブルのような存在。
バックパッカーはおろかヒッピーという言葉すらまだ生まれていなかった、
1950年代後半に書かれた本です。(僕もまた生まれてない)
もはや古典の域に入った作品なのですが、
半世紀以上を経てなお古びていないのは、
そのスピリッツが普遍的なものだからでしょうか。

初めてこの本を読んだ頃に比べると、スローラーナーな僕ですら、
ずいぶん後先のことを考えるようになりました。
しかし、50歳も過ぎて鏡に映っていたのは、
後先しか考えていない自分だったのですよ。
そう、そこには肝心の「今」がない。

これは大変ショックでした。
なぜなら若造のころの僕の定番フレーズは、

「人生はマラソンじゃねぇ。100メートルダッシュだ!」

だったのですから。
つまり、明日があるのを前提にちんたら生きるのではなく、
日々全力で駆け抜ける。
これを繰り返してある日、完全に燃え尽きて死ぬのさ。
こんなことを本気で言っていたのですよ。

ところが分別がつき始めると同時に、
明日を気に病み、昨日を悔やみ、
考え込んでいることがやたらと増えてしまいました。
いちばん大切な目の前のことにフォーカスできずにね。

しかし、旅に出たときは、あの頃に戻ることができるのです。
ととら亭にいると常にタスクリストが頭の中にあり、
これをやったらあれ、あれを片付けたらそれ、それを仕上げたら・・・
という無限ループにはまっていますからね。
ところが、こうして旅先にいたら、柴又での仕事はやりたくてもできません。
それが幸いして、かつてのように「今、ここ」に集中できる。

「オン・ザ・ロード」の登場人物たちはそれぞれ非常に個性的ですが、
(何といっても主人公サル・パラダイスのモデルがケルアック本人ですし、
他はギンスバーグやバロウズですからねぇ・・・)
共通しているのは「今しか生きられない」という愚直な不器用さ。
ディーンなんて若かりし頃の僕そっくりじゃないですか。
ほんと、読んでいて40年くらい過去に戻ったような気がしました。

さて、ベッドタイムストーリーだけではなく、
現実もまた原点に戻ろうとしています。
明日は午前中にエレバンを出発し、未経験の世界へ踏み出します。
事前にかなり調べたつもりですが、最後は行ってみなければわかりません。
そこでもしかしたら、2週間くらい音信不通になるかも・・・
しかし、心配しないでくださいね。
出たところ勝負は僕らの十八番。
電気仕掛けがなかったころの原点に戻り、どうにか切り抜けますから。

to be continued...

えーじ

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廃墟になった子供鉄道の駅で
posted by ととら at 05:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月27日

第27回取材旅行 その22

僕らは一昨日の午前中、
12人乗りのマルシュルートカで首都のエレバンに移動しました。

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エレバン駅脇のバスターミナルに到着

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社会主義デザインの駅は威風堂々としたものですが
肝心の鉄道は細々としか運行していません

この街はトビリシやバクーと同じく11年ぶり。
共和国広場は何も変わっておらず、懐かしかったです。
天気は晴れ。気温は最低がマイナス2度で最高が7度。
東京の1月くらいの気候でしょうか。

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エレバンの中心 ピンク色の石造りが美しい共和国広場

アルメニアは北海道の約1/3くらいの面積に、
京都府の人口よりちょっと多い約280万人の国民が暮らす小さな内陸国ですが、
エレバンはさすがに都会ですね。
一昨日までいたギュムリとは規模も雰囲気もだいぶ違います。

armenianplatou_am.jpg
都市間には標高1500メートルを超えるこうした風景が広がっています

物価はジョージアに近く、東京のおおむね1/3くらいかな?
輸入品はそれなりの値段になりますけど、
国産品なら、円安の今でさえ割安に感じます。
経済的な面ではバルカンから東は出費がかなり下がりました。
去年の西ヨーロッパはインフレがひどくて泣けましたからね。

armenianmarket_am.jpg
日用品が揃うエレバンのアルメニアンマーケット
経済指標より物価が一目で分かります

コーカサスの国々を旅していて物価以上に驚かされるのは、
その文化的多様性。たとえば日本に置き換えると、
青森から名古屋までの地域は、3つの異なる言語圏に分かれており、
それぞれの文字もまったく違う。で、共通語が日本語、だとしたら?
つまり東北や中部の人がととら亭に来ると、
僕とともこが共通語を使わない限り何を話しているのかわからないし、
メニューも読めない。すごいでしょ?

さらに人種構成も複雑です。
社会主義は原則差別を禁止していましたから、
崩壊後の今でもその思想的レガシーが残っています。
先日、グバのエピソードで触れた赤町ほど大きくはありませんが、
そこかしこにユダヤ人のコミュニティ−があるのは、
街中で見かけるシナゴーグやダビデの星でわかりますし。
そうした意味では同じ旧社会主義圏でも、
民族対立が先鋭化したバルカン半島とかなり違いますね。

synagog_ge.jpg
トビリシのメイダン広場近くにあるシナゴーグ(左側の茶色の建物)
前にはダビデの星をあしらったハヌッキーヤが建てられています

ポピュリズムが世界的に蔓延しつつある昨今、
民族主義者が自国第一主義を鼻息荒く喧伝していますが、
コーカサスのような地域を旅していると、
そうした人々は何をもって自国民を定義しているのか、
首を傾げたくなることがあります。

つい数日前、ホテルで朝食を食べていたときに相席したのは、
モスクワに住むウクライナ系ロシア人のご夫婦。
エレバンにいる息子さんを訪ねた序にギュムリまで来たそうです。
出身を聞いたときから、当たり障りのない話題に舵を切っていたのですが、
彼は聞いてくれ、とばかりに、
なぜ息子がエレバンにいるのかを語り出しました。
その理由はいわずもがなウクライナ紛争。
もし息子さんがそのままモスクワに留まっていたら、
戦場に駆り出された可能性は高かったでしょう。
そしてそれは本人の命の問題だけではなく、
彼が武器を向けるのは国籍の違う自民族なのです。
僕はかけるべき言葉が見つからず、
ただ黙って彼の言葉に耳を傾けていました。

もともとソビエト連邦の一部分だったコーカサス地方には、
今でも多くのロシア人が訪れ、また住んでもいます。
ステパンツミンダからの戻りのバンでは、
僕らと話すとき以外、ジョージア人のドライバーが話していたのはロシア語。
わかってはいましたが、隣席の男性に「どちらから?」と聞いたとき、
彼はちょっと間をおいてから「ロシアです」と答えたのです。

この「微妙な間」は、
2年前のオーストラリア横断中に出会った女性にもみられたものです。
何より彼女は僕の質問に「シベリアから来ました」と答えましたけどね。
彼、彼女は知っているのですよ、祖国が何をしており、
多くの西側の国々がそれをどう見ているのかを。
だからこそ、バンで一緒だった男性が補助シートを倒すの手伝ってくれた際、
僕が「スパシーバ(ありがとう)」とロシア語でお礼を言ったら、
驚くと同時にそれまで見せていなかった笑顔になったのでしょう。
続けて、

「僕はあなたの国に行ったことがあるのですよ。
 サンクトペテルブルグだけですけどね」
「ああ、そうだったんですか!」
「ぜひまた行きたいと思ってますよ。だからその日が来るのを待っているのです」

言外の意味を汲んだであろう彼は少し悲しげな笑顔で応えてくれました。
コーカサスには戦争を避けて国を出たロシア人が少なくないそうです。
そして中には単純に観光で来ている人もいます。
こうした複雑な事情は。
「ロシア人」という一言で彼らをくくれない現実を現していました。

アルメニアもまた、
内容こそ違いますが、複雑な苦境に置かれている点は同じです。
2023年9月、
ナゴルノカラバフの領有権をめぐるアゼルバイジャンとの戦いに破れ、
CSTO(集団安全保障条約機構)に加盟しながらも守ってくれなかった、
ロシアへの恨みを募らせつつも、
エネルギーや食糧供給の依存度の高さから縁を切れず、
トルコとの因縁の対決も勝てる見込みはまったくなし。
これぞ絵にかいたような四面楚歌なんですよ。

しかし、クリスマスを前にデコレーションの進む共和国広場を見ていると、
人々の間に残るかすかな希望が感じられたような気がしました。
それはまるで、
薄氷の上を渡りつつも、いつか必ず対岸にたどり着いてみせる。
そして封印されたブランデーのアララトの栓を抜き、ともに祝杯をあげるのだ。
そんな思い映されているかのように。

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もちろん、その日が来ることを、僕も祈っています。
しかし目指すべき対岸とは、新たな戦争に勝利することではなく、
本心から握手できる共存の道をみつけること。
そう、若者に銃を取らせる未来ではなく・・・ね。

今日はカスケードからアララト山が見えるな?

to be continued...

えーじ

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ティグラン・メッツ通りから見た聖グレゴリー・イルミネーター大聖堂
posted by ととら at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月24日

第27回取材旅行 その21

Բարև ձեզ! (バレフ・デゼス(こんにちは!)
僕らは今、この長旅12番目の渡航国、
アルメニアのギュムリに滞在しています。

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到着! マルシュルートカがひしめくギュムリのバスステーション

気がかりだったアルメニア入国は、シナリオ通りの対応であっさりパス。

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右の緑色のスタンプがアゼルバイジャン 左がアルメニア

僕らが抜けたのはサダフロ ー バグラタシェン国境

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ジョージア側

まずジョージア側は「はいはい、また来てね〜」という感じで、
さらっと抜けました。
で、アルメニア側では荷物を全部持ってイミグレのブースへ。

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アルメニア側

待ち構えていたのは眉間にしわを寄せた、40歳くらいの女性インスペクター。
ともこを先に行かせると案の定、何やら質問が始まりました。
そこへ僕がニカっと笑顔を浮かべながら割って入り、

「バレフ・デゼス! 
 僕のワイフはあまり英語を話さないので、代わりに答えましょう」

インスペクターはちらっと僕を見て質問を再開しました。

「アゼルバイジャンへの渡航目的は?」
「ああ、観光ですよ」
「滞在期間は?」
「そうっすね、1週間くらい」
「アルメニアへの渡航目的は?」
「同じく観光です。僕らはツーリストですから!」

インスペクターはまだ硬い表情を崩しません。
対照的に僕らはニコニコ。わぁ〜、楽しいなぁ〜!って感じ。

「アルメニアでの宿泊先は?」
「ギュムリのセシルホテルです」
「予約書を見せて」

僕はスマホでbooking.comのアプリを開き、

「はい。あ、日本語表示でわかんないっすよね?
 でも、ほら、ここ、Sesil Hotelってあるでしょ?」
「では携帯電話の番号をここへ書いて」
「はいはい」

この辺でインスペクターの表情がだんだん緩み始め、
ともこのパスポートにスタンプをがしゃん。
続いて終始ごきげんな僕の番。
最後は彼女もつられたのか、妙な笑みを浮かべ、

「Welcome」
「シュノールハカルチュン!(どうもありがとう)」

実はこれ、すべて想定どおりでした。
ともこが先に行ったのは、僕が先に抜けてしまうとフォローができないため。
そしてニカニカした表情と軽いノリは、
「僕たちは無害でのんきなノンポリ観光客」というキャラの演出。
そこで作戦は、

1.インスペクターがともこパスポートのアゼルバイジャンスタンプに気付く
2.質問を受けたともこがわからないふりをして振り返る
3.そこで僕が割って入り質問に答える
4.あとは相手の表情に反応せず、終始能天気に振舞う

インスペクターの質問内容も事前に調べておいたとおりでした。

アルメニアとアゼルバイジャンは因縁のハイパー宿敵関係。
先だってアメリカの仲介で「和平協定」を結びましたが、
あれが経済的なご褒美とロシアとの距離を取るためのジェスチャーであることくらい、
国際政治学者でなくてもわかります。現実は何ら変わっていないのですよ。
隣のブースではアゼルバイジャンスタンプがなかった外国人でさえ、
「アゼルバイジャンへの渡航歴はありますか?」と聞かれていましたし。

なんてやりとりはあったものの、
表情を読むとインスペクターも仕事でヒールを演じているだけの気もします。
本当はいい人なのに、無理に怖い顔をしているようなね。
実際、アルメニアの人たちはとてもフレンドリーなんですよ。

トビリシを出発した15人乗りのポンコツバンに乗っていたのは、
僕ぐらいの年齢のドライバーと6人の乗客だけ。
発車して間もなく停まったので何だろうと思ったら、
ドライバーと2人のお客さんが道脇の店に入り、パンを買って戻りました。
そして通路を挟んで反対側に座っていた男性がともこにそれを差し出し、
「おいしいよ、ひとつどうぞ!」
見ればロシアから伝わったピロシキの大型変種、カルカンダクじゃないですか。
まだ揚げたてで温かい。こちらもそんな心遣いに心が温かくなりました。

次に停まったのはフルーツ売りの露店が並ぶところ。
ここでは僕ら以外の全員が車を降り、買い物を始めたのですよ。
(あとでカキをもらっちゃいました)

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アルメニア人はフルーツが大好き 
何人家族ですか? と聞きたくなるくらいの量を買っていました

さらにこの先ではスーパーにも立ち寄って皆さん買い出し中。
これ、一応「国際バス」なんですけど、買い物ツアーみたいな感じ。
降りるときはみんなで買い出しした荷物を出すのを手伝います。
長閑ですな〜。

さて、アルメニア第2の都市といわれるギュムリですが、
観光客はまったく見かけず、ローカル色がめっちゃ濃いです。

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教会の鐘の音が響く、夕暮れのヴァルダナンツ広場

そのせいかバスターミナルで「どこへ行くんだい?」
と声をかけてくるマルシュルートカのドライバーたちもシャイですね。
ホテルを目指しつつ、最初のミッションは軍資金の調達。
これはヴァルダナンツ広場近くのATMから現地通貨のドラムを引き出しました。
暴利なコミッションはなし。(こうでなくっちゃね)
そして中心から近く地の利のいいホテルはこんな感じ。

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ここのコスパがすごい。

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郷土料理満載の朝食 食べきれませんでした

こんな手作り朝食がついて、広くて居心地のいいダブルの部屋が、
ふたりで14,025ドラム(約5,800円)!
家族経営で皆さんとてもフレンドリーです。

そしてさっそく始めた仕事も大ヒットでした。
実はこれもリベンジで、2014年の取材ではまったく見つからなかった、
アルメニアギョーザのマンティがあったのですよ!

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調理済みの具材を小麦粉の皮で包み、キャセロールに入れてオーブンで焼いたもの
ヨーグルトソース、もしくはトマトソースを添えて頂きます
ギョーザの概念が変わる一品

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形もユニーク 小さいので1人前を作るだけでも大変ですね

どうです? ギョーザっぽくないでしょう?
アルメニアン・マンティは僕らの取材歴でも飛び抜けた異端児で、
加熱方法が茹で、蒸し、揚げ、焼きのいずれでもなく、
ベークド(オーブン焼き)なのですよ。だから食感がカリッとしてる。
さらにギョーザの定義を揺るがす上部開放型。
この口を開けたタイプはこれまでもモンゴルのボーズ以外、見たことがありません。
しかし、名前からして中国餃子の饅頭の名を引いていることはあきらかでしょう。

これ、料理の進化論の中ではけっこう大きなインパクトがあって、
僕らもギョーザを含む包餡料理を、

「無発酵の小麦粉の生地を用い、
 何らかの具材を2重以内に包んで密閉し、加熱調理したもの」

と定義していますが、その前提となったのが中華料理の分類。
餃子と焼売、春巻き、包子を区別できる条件として考えたものでした。
たとえば春巻きは無発酵の生地でも2重以上に生地を巻きますし、
包子は発酵生地を使うので、簡単に餃子と分けられます。
極めて紛らわしい焼売も、「密閉し」で除外できますよね?

ところが厄介なのが「例外」の存在です。
モンゴルのボーズは蒸し型で、上部が開いたままなのですよ。
名前からして餃子の子孫である可能性が高いにもかかわらず。
(餃子は饅頭→包子→餃子と変名しているのです)
では特例として入れてしまえばいいかというと、
それなら焼売は餃子だね? っと突っ込まれてしまう。
ん〜・・・
と悩んでいたところに追い打ちをかけてきたのがアルメニアン・マンティです。
しかもこれはバリエーションがあって、スープバージョンもあるじゃないですか。

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ヨーグルトスープに入ったマンティ これが実にうまい!

ここでもアルメニアン・マンティは特殊で「煮て」いません。
オーブン焼きしたものがポイっと入っているだけ。
だから食感はカリカリのまま。

前回のヒンカリのところでも触れましたけど、
料理って法則や定理がないだけではなく、なんとかまとめようとすると、
たいていこうした例外が飛び出してくる。
家政学や栄養学、発酵学はあっても、
料理学や調理学が成立しない理由がここにあるような気がします。
「学」は何らかの形で正誤の判定がつく構造が前提ですが、
(じゃないとテストが作れないでしょ?)
近付けば近付くほど、捉えどころがなくなってしまうのですね。

とエクスキューズしながらも、
ギュムリではフードファイトに近い状況で取材を続けています。
興味深い郷土料理がたくさんあるのですよ。
これからちょっと外を歩き、何とか腹を空かせてディナーに行ってきます。
がんばらねば!

to be continued...

えーじ

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アルメニアも量が多い! 牛のように胃袋が4つあればなぁ・・・
posted by ととら at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月22日

第27回取材旅行 その20

გამარჯობა! (ガマルジョバ(こんにちは!)
僕らは4日前の夕方、ジョージアのトビリシに空路で戻りました。

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戻ってきました、夕暮れのトビリシ国際空港

ここからジョージア取材の後半です。
で、到着翌日に行ったのが、
ヒンカリ発祥地にほど近い山岳部のステパンツミンダ(旧名カズベギ)。
ここが前回お話しました2014年のリベンジなのですよ。
ギョーザ本でも触れていますが、あの時は出発直前に腰の爆弾が小爆発し、
キャンセルせざるを得なくなってしまったのです。

そこで今回は慎重に行動し、無事、ステパンツミンダに行ってきました。
まずご報告しなければならないのが取材対象のヒンカリ。
僕らの旅のパターンと申しますか、アゼルバイジャンのグバでもありましたけど、
せっかく念願の場所まで行ったのに、結果は空振り。
シーズンオフで飲食店が軒並みクローズしており、
現地での確認はできなかったのです。
しかし、ほど近いパサナウリやトビリシのレストランで、
原型に近いといわれる山ヒンカリをチェックしました。

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パサナウリて食べたヒンカリ 見かけは街ヒンカリと同じ

で、肝心の結論は・・・
よけいわからなくなりました!

というのも現場で料理の歴史を調査した方なら肌で知っていると思いますが、
発祥地やオリジナルの特定は極めて困難なのですよ。
(ねぇ塚田さん、塩崎さん)
その理由は料理が常に変化し続けているものであること。
正確な記録がほとんどなく、
インタビューすると人の数だけ違う答えが返ってくること。
そして変化はA→B→Cのように単純な一方方向ではなく、
相互に干渉し合いながら波及していること、などなど。
とどのつまり、料理には物理の法則や数学の定理のような、
不変のルールがないのですよ。
ヒンカリは山間部の縁に当たるパサナウリが発祥地との説がありますけど、
その根拠は曖昧で、異論もたくさんありますしね。

ただ都会ではなく地方でスパイスやハーブを使わない、
シンプルなバージョンが生まれ、
トビリシやクタイシなど商業地域で複雑化していった痕跡は認められました。
その根拠は、かつて経済が貧弱で物流も限定的だった時代に、
限られた素材でヒンカリは生まれ、その後、素材の選択肢が増えるにつれ、
次第にレシピが複雑化していったという仮説は説得力があります。

但し、更なる謎は、「ヒンカリ」がジョージア語で意味がないこと。
アゼルバイジャンの麺料理、ハンギャルと音が似ていること、
ハンギャルもまた、アゼリー語で意味がないこと。

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アゼルバイジャンのハンギャル

そしてギャ、ギュ、ギョという音は、トゥルク系言語で顕著に見られることから、
中央アジア北部のトゥルク系民族がキャリアとして、
粉ものの総称であるヒンカル/ヒンカリ/ハンガル/カンガルという言葉と文化を伝え、
それがローカライズされ、固有名詞を持つ固有の料理になったのではないか?
そんな仮説も立てられるかと思いますが、
む〜・・・調べるたびに話がマクロになってしまう。

なんて頭をひねりつつも、
ま、そうまじめに考え込むなよ! と背中を叩いてくれたのがこの景色。

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標高5,033mのムツヴァリ(カズベギ山)

そう、ステパンツミンダまで来てトレッキングしないって手はありません。

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教会が経つ頂の直下はこんな道を歩きます

正直に言うと、ヒンカリ以上にこの11年間思い続けていたのが、ここでした。
一般的には自動車でゲルゲティ三位一体教会までさっと登ってしまいますが、

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頂上で僕らを迎えてくれた、天国に一番近いと言われるゲルゲティ三位一体教会

高低差約400メートル、距離片道約3キロほどの山道は人影もなく、
ほぼ僕らの貸し切り。
そして夕方はツアー客で混みあう教会も、午前中ならひっそりとしています。
まさに「ここまで来て良かった!」なひとときでした。

さて、感傷にふけっているのもここまでです。
明日はアルメニアのギュムリに移動ですからね。
無事に国境を越えられるかどうか、微妙なんですよ。
そう、僕らのパスポートには、宿敵アゼルバイジャンのスタンプが押されています。
僕のパスポートはスタンプがごちゃごちゃで見落とすかもしれませんが、
ともこのは今年の4月に更新したばかりで、
緑のアゼルバイジャンスタンプが目立ちまくっておりまして。
2014年のときは出国時に気付かれて、
それまでフレンドリーだったインスペクターからギロっと睨まれた一幕がありました。
「敵の友は敵」ルールが今回は採用されていませんように!

to be continued...

えーじ

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ゲルゲティタワーの前で もうすぐゴールだ!
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2025年11月18日

第27回取材旅行 その19

僕らは一昨日の昼過ぎ、長距離バスでバクーに戻りました。

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社会主義チックなデザインのグバのバスターミナル

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こんなマイクロバスに揺られて2時間半

結果から申し上げますと、グバでの取材は空振り。
イスラエルを除いて唯一といわれるユダヤ人の街、
通称「赤い町」にクルツなるギョーザのような料理があると聞き、
はるばる行ってはみたものの、ギョーザどころか飲食店そのものがない。

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独特な様式の邸宅が並ぶクルムズ・ガサバ(赤い街)

いや、生活臭さえ希薄なんですよ。食料品店すらないのですから。
そこで捜索範囲を広げ、グバの中心地にある飲食店をいろいろ調べたのですが、
これまた見つかるのはギューザやダシュバラなど、かつて知ったものばかり。
む〜・・・どうしたことかしらん? ともう少し掘ってみたら、
赤い町とグバの市街地は大きなクディヤルチャイ川で隔てられており、
双方の住民は橋を渡っての行き来をほとんどしていないそうな。

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荒涼としたクディヤルチャイ川

確かに地域のみならず、各家々は高い塀に取り囲まれ、
敷地内は一切見えない構造になっています。
そう、見るからに閉鎖的な感じ。

なのですが、出会った人々は真逆のキャラクター。
東洋人は珍しいのか、とにかく目が合うと話しかけられますからね。
僕も片言のアゼリー語で挨拶を返していました。
40歳以上の人はあまり英語が通じませんけど、
「たぶん、こう言っているのだろう」という直感コミュニケーションで、
「ヤポンです、ヤーポン!」
「そうか、日本人か、よく来たな!」こうしてときには握手まで。
取材はできませんでしたが、心やさしいローカルたちに囲まれていると、
それだけで来て良かった、と思えてきます。

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ケバブ屋のスタッフとセルフィー

また、バクーとのコントラストはアゼルバイジャンを理解するのに、
たいへん役に立ったことも触れておかねばなりません。
人間だってよそ行きの顔だけではわからないでしょ?
物価ひとつをとっても中央と地方では倍近い開きがありましたし。

そう、アゼルバイジャンは産油国ですが、湾岸諸国とはだいぶ違っています。
オイルマネーは主に公共事業等に投資され、国民は納税の責を負っているのですよ。
よって普通に働いていますから、肉労も外国人任せではなく、
移民労働者はあまり見かけません。
そうした意味で、経済は地に足が着いている感じ。

また、ムスリムが多いとはいえ、
ソビエト時代に宗教を否定した過去があるので、
民族的に近いトルコのように、アザーンが聞こえても音は小さめ。
結婚も父権的に決められるのではなく、基本的に自由恋愛だそうな。

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バクーのシンボル、フレームタワーに隣接するシャヒドラー・メスジディ
超広角レンズで撮ったので歪んでます

前回触れた街の変化は、
やはり新型コロナのパンデミックが大きく影響したようです。
ロックダウンによる収入減で多くのホテルや飲食店が廃業を余儀なくされ、
その空席を利用して再開発が加速。そして国家のショーケースとなる、
きらびやかな旧市街や繁華街が生まれたのです。

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イルミネーションがまぶしいネザミ通り界隈

しかし、再開発が進み、街が華やかになれば、
多様性と画一化が入れ替わるトレードオフは避けられません。
今回僕らが入った飲食店の幾つかは、さながらチェーン店のように、
内装から料理、サーブの仕方まで、驚くほど多くの共通点が見られました。
そうなると、最初はフレンドリーに感じていた接客も、
どこかマニュアル的な臭いがしてきて・・・

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旧市街の再開発されたレストラン通り

もちろんこれはバクーに特化した現象ではなく、
日本でも全国的に見られる傾向ですけどね。
ととら亭のある葛飾区も区役所の移転に伴って立石の再開発が進み、
ごちゃっとした商店街の個性ある個人店が姿を消そうとしています。
そう、地権者を除き、再開発ともなればテナントの賃料が上がり、
さまざまな新しい規制も重なって、
もはや個人が出店するのは現実的ではなくなってしまいますからね。
で、結果的に開発が終わると、そこは大手企業のチェーン店が並んでいる。
ほら、日本全国、駅前の風景はどこも大同小異でしょ?

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確かに11年ぶりのバクーは以前に比べて繁栄していると思います。
しかし、同時に所得格差が広がり、多様性が失われつつある。
社会の発展とは何か? それに紐づく、僕ら個人の幸福とは何なのか?
いや、消費文化の本質って何なのだろう?
夕暮れのカスピ海に面した臨海公園を歩きながら、
僕らはそんなことを話し合っていました。

さて、今日は午後の便でジョージアへ戻ります。
これまた2014年のリベンジとなるステパンツミンダ(カズベギ)へ。
かの地はジョージアのギョーザ、ヒンカリの発祥地なんですよ。
トビリシやクタイシバージョンとの違いはいかに?
今回は腰の爆弾を爆発させないよう、気をつけねば!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月15日

第27回取材旅行 その18

Salam! (サラーム(こんにちは!)
少々日にちが開いてしまいましたが、
僕らは11月11日、今回の旅11番目の渡航国、
アゼルバイジャンの首都、バクーに空路で入りました。
日本との時差はジョージアと同じくマイナス5時間。

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45分のフライトタイムで降り立ったヘイダル・アリエフ国際空港
お世話になったのはアゼルバイジャン航空

ちょっと変則的なルートですよね?
ジョージアの取材を中断してジャンプしましたから。
当初は「準備編」でお伝えしましたように、ジョージアの取材をすべて終えたのち、
トビリシから鉄道でバクーに入るという計画でした。
ところが新型コロナパンデミックでアゼルバイジャンの陸路国境が封鎖されて以来、
今でもそのままなのですよ。つまり空路以外では入出国できない。
そこでトビリシから「行って来い」とならざるを得なくなってしまったのです。

ともあれ、空路でのアゼルバイジャン入国はスムーズでした。
未だVISAが必要とはいえ、アライバルビザが取れるようになりましたし。
しかもこれ、VISAというより、入出国カードを専用端末で申請する程度のもの。
キーボードがちょっと変わっていて、@マークを入力する際、
ん? シフトキーはどれ? と戸惑った以外、操作も簡単。
で、最後は入力内容のサマリーがレシート状に印刷されておしまい。
それを持ってパスポートコントロールへ行けば、
あっさりスタンプを押してくれます。

11年ぶりのバクーは祭日の夜だったこともあって、その盛り上がりの激しいこと。
以前は「石油がある分、まぁジョージアやアルメニアより元気かな?」
程度の印象だったのが、ウクライナ紛争の石油特需と、
アルメニア紛争における劇的な勝利もあって、
景気は絶好調! という羨ましい状況。
街は去年のアルバニアを超える「イケイケムード」に満ちていました。

ところが翌日の昼の取材でレストランに入ったとき、
「・・・?
 ここはメニューだけではなく、内装が昨夜入った店とそっくりだな」
料理が出てきたら、盛り付けやホール担当のサーブの仕方まで、
奇妙なほど、昨夜の店と似ているじゃないですか。

もしかして、チェーン店?

と思って調べてみたら驚きました。
僕らが投宿したホテルのあるイチェリ・シェヘル(旧市街)はいわずもがな、
バクーの中心部に入っている大箱の店は、業種にかかわらず、
ほとんどが政府系企業の運営だそうな。
どおりで客数を超えるような人数のスタッフがいるわけです。

気になったのは、それが新規出店ではなく、従来の店が買収されて、
経営が入れ替わったという情報。
そこで2014年の取材で通った店に行ってみたら・・・

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Before Kafe ARAZ

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After ARAZ Terrace

ありゃ〜・・・ご覧のとおり、まったくの別物になっていました。
あのときはいかにもコーカサスの老舗、という佇まいだったのが、
内装はコンテンポラリーに、メニューはファミレス風に、

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スタッフの振る舞いはマニュアル的に様変わりしているじゃないですか。
そしてそれは、入った3店すべてに共通しているとは。

なんでも、原油価格が暴落した2010年代初頭から、
政府の肝いりでバクーは国家のショーケースとして再開発が進み、
今ではディスニーランドのようになってしまったそうで。

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ピカピカに磨きこまれていますが これはホテルのロビーではありません
道路を渡るためのアンダーパスです

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2014年のバクー港

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11年の後のバクー港 写真ほぼ中央のタワーや奇抜な建築物を見ると、
なんだか湾岸諸国っぽくなってきました

この辺のディープなネタはまたいずれお話しましょう。
ただ、料理取材の観点では歓迎すべき変化もありました。
かつては取材前にいろいろ調べても、
いざ現地に行くと「あれもない、これもない」で、
メニューのバリエーションが乏しく、困ったね〜・・・だったのが、
今ではメニューブックが分厚い豪華なレシピ本風に様変わり。
なかでもちょっと離れたシェキの料理まで、
バクーで食べられるようになったのは、うれしい驚きでした。

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スウィートドルマ
牛肉とドライフルーツをキャベツの葉で巻いて煮込んだもの
干しブドウがいいアクセント

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グバ風ギューザ
グバではギューザも中身の肉がさらに上乗せされてボリューム満点
これにヨーグルトを添えていただきます

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ビレッジチキン・ガバルマ チキンのザクロソース煮
フルーツを使った料理がかなり増えました
いずれも見た目に反して甘みが抑えられ、上品な酸味と塩気のバランスがグッド!

さて、僕らは今、バクーから190キロほど北上したところにある、
QUBA(グバ)に滞在中。ここは首都のけれん味とは無縁の、
素顔のアゼルバイジャンが感じられます。人も素朴ですんごくいい感じ。
僕らはこういう街が大好きです。

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市場の取材で この後、ザクロ売りのおじさんがともこにチュッ!

今日はこれから川向うにあるユニークなユダヤ人街で、
クルツ(クルツェ)なるギョーザを取材予定。
ところがどこで食べられるのか、情報がかなり限られておりまして。
はてさて、どうなることやら。
ま、いつものことですが、結局、足を使って探すしかないんですよね。
それでは行ってきます!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記