2015年08月31日

遥かなる青春の残像

ハイティーンの頃のバイトも含めると、
今まで色々な仕事をやりましたが、
様々な世代の人と話をする機会の数は、
ととら亭が一番多いかもしれません。

話題はもちろん世代を超えた普遍的なもの。
旬なネタだからといって、
AKBメンバーの氏名を全て知っていますか?
などと僕に訊く無謀な人はいませんからね。

中でも面白いのが恋愛。
特に、僕にとって今のハイティーンの人たちの恋愛のスタイルは、
アフリカや南米に行く以上に、新奇な印象を受けます。

そこで三たび、横浜のお話。

僕が生まれ育ったのは、横浜の本牧という元漁師町。
ホンマキではなく、ホンモクと読みます。
そう、バブルの頃に出来たマイカル本牧の盛衰で、
度々メディアに取り上げられたこともありましたが、
それより、かつては米軍に殆どの部分を接収され、
現在の沖縄を彷彿させる、一種独特な雰囲気で知られていました。

時は1970年代後半から80年代前半。
そんな街のハイティーンたちに恋人が出来ると、
一番最初に行くデートコースが、前回お話した、
元町 → 港の見える丘公園 → 山下公園だったのですよ。

いやぁ〜、思い出しましたね。
あの頃から比べると、随分ポップになった気がします。
以前の大桟橋は殺風景でしたし、
赤レンガ倉庫なんて基本的に一般人は立ち入り禁止。
こっそり潜り込んでも、
しっぽりいいムードの時に、お巡りさんが現れて、
「はいはい君たち、外に出て!」
なんてことがよくありました。

反対に変わってしまって残念だったのは、
いま駐車場になっている山下公園の南端。
あそこは細い遊歩道が見通しの悪い林の中を縫い、
外灯の数も少なく、夕方以降は散策する人も殆どいなくなったので、
恋人たちにはムフフな場所ったのですよ。

夕方になるとベンチは取り合い。
「混雑」する週末などは、
一つのベンチを二組のカップルでシェアすることさえありました。

ここでも可哀想だったのはお巡りさん。

時刻は最も「盛り上がって」いる20時前後。
自転車に乗って懐中電灯でカップルたちを照らしながら、
「みなさ〜ん、明るい所へ行きましょうね〜!」
と巡回してきます。

なんとも「やってられねぇ任務」だったとは思いますが、
今となっては長閑な時代のいい思い出です。

はてさて、横浜の現役ハイティーン諸君。
君たちはいま何処で睦み合っているんだい?

ちなみに、第1デートコースを巡る、
最初の1カ月間で破局にならなかったカップルの次なる行き先は、
鎌倉 → 由比ヶ浜 → 江ノ島でありました。

読んだばかりの小説から引用した気障なセリフを、
江ノ島の向こうに沈む夕陽を見ながらキメるのさ。

ふ・・・

遥かなるわが青春時代のお話でございます。

えーじ
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2015年08月28日

はじまりの街

ひとにはそれぞれ始まりの街が幾つかあります。
生まれた街、育った街、学んだ街、そして働いている街。

今でこそ東京に住み、中野区の野方で働いていますが、
僕には横浜が生まれてから30数年の月日を過ごした場所。
先日の連休の初日に中華街へ行った時、
ちょっと早めに出かけて、思い出の街をぶらついて来ました。

そう、特に元町界隈は、
僕とともこの始まりの場所でもあるのですよ。

1998年、僕たちが一緒に生活を始めたのは、
JR石川町駅から心臓破りの地蔵坂を上った所にある、
山元町の小さなアパート。
あの時の僕は34歳!
日焼けしたロン毛のライダー兼バックパッカーでした。

思えば何とも旅人らしいスタートと申しますか、
とにかく部屋にはなんにもない。
一人用の6畳間とキッチンだけのアパートに、
キャンプ道具を持ち込んでの生活は、サバイバル感満点。
ガスコンロはおろか布団すらありませんでしたからね。
字義通り、最初はバンガローで生活している感じだったのですよ。

さてさて、あのアパートは今どうなっているのかしらん?

みなとみらい線の元町・中華街駅を出て、
元町の中央通りを抜け、石川町側の裏道を通り、地蔵坂を上れば・・・

あ、あったあった!
僕らと同じ、少々老朽化が進んではいますが健在。
どの部屋もみな誰か住んでいます。

近くのこじんまりした商店街は、
昨今の不景気で大分寂しくなっていましたが、
僕たちがよく買い物をした安い市場は、あの頃と変わらず営業中。

そこから休みの度に散歩した山手の丘の道を歩き、
フェリスや雙葉の前を通って港の見える丘公園へ。
ここで大晦日の霧笛を聞いたっけなぁ。

そしてフランス山を下れば山下公園です。
南側には駐車場が出来たり、貨物列車の高架がなくなったり、
僕が子供の頃からは微妙な変化がありましたけど、
氷川丸のすぐ脇に佇めば、数十年前と変わらない潮風が吹いています。

変わるもの・・・変わらないもの・・・

ホテルニューグランドの前で信号待ちをしていた時、
バイクに二人乗りした18年前の僕たちが、
ふと前を通り過ぎて行ったような、そんな気がしました。

港町、横浜。

ととら亭のルーツは、
こんなところにあったのかもしれません。

えーじ
posted by ととら at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年08月26日

2/360000

昨日、東急線で発生した「設備トラブル」による不具合。
影響の範囲は大きく、夕方の帰宅ラッシュ時間と重なったことから、
36万人に影響が出たそうです。

その内の2名が僕たちでした。

昨日は暑気払いで横浜の中華街に行っていたのですが、
19時頃、みなとみらい線の元町・中華街駅に行くと、改札に急報が。

「あ〜!電車止まってるよ!」
「設備故障? 仕方ない、プランBで行こう。」

そうして僕たちはJR石川町駅まで歩き、
京浜東北線、山手線、西武新宿線と乗り継いで野方に帰ったのでした。

そして今朝、ニュースを見てみれば、
「電車に信号を送る設備のコンピュータが接続されている
 電源のブレーカが落ちたこと」が原因だったそうで。

ありゃ〜・・・

こうしたことが起こると、
IT稼業から足を洗って6年余が過ぎても、
業界は変わらんのね〜・・・と思わずにはいられません。

電源。

奇妙に聞こえるかもしれませんが、
実はこれ、あの業界の人々が苦手とする、
最も大きなもののひとつなのですよ。

「優秀な」SEが使用機器の総ワット数から必要なアンペア数を計算できない、
なんてのは珍しくありませんでした。
だからサーバルームの電源が落ちた!
という事案が発生して駆けつけてみると、
そもそもアンペア数が小さ過ぎるじゃん!
はまだしも、時には、
電子レンジや冷蔵庫が数珠つなぎになっている家庭の台所よろしく、
コードを追いかけるのも困難なタコ足配線に、重要なサーバが接続されていた!
そうした眩暈のする光景に出会ったものです。

今回はどうだったんでしょうね?

限られた報道からの情報ですが、
この重要なシステムが設置されていた場所は無人だったそうですから、
教科書的な電源設計であったなら、

1.サーバ           → 電源の二重化
2.サーバが接続されている電源 → UPS(無停電電源装置)
3.サーバルームのアンペア数  → 必要なアンペア数×1.25(安全係数)

これに商業電源がダウンした場合に切り替わる自家発電装置が加わると、
データセンター級の仕組みになるのですけどね。

こうであれば、今回のように商業電源側で起こった何らかのトラブルにより、
停電した場合、電源がシームレスにUPSのバッテリーに切り替わるので、
サーバがダウンすることは基本的に回避できます。
また、その時点で管理者に何らかの形でアラートが上がりますから、
UPSのバッテリーが切れる前に駆けつけて対応することは可能なはずです。

しかし、事故は実際に起こりました。

まさか大手の電鉄さんの基幹ともいえるシステムの電源設計が、
おやおや・・・なんて状態ではなかったこと僕は祈っていますが。

ん〜・・・そう言えば、防災システムのサーバが、
警備員さんたちの机の下で埃だらけになって転がっていた、
しかも使われていたのは堅牢なサーバではなく、パソコンだった!
なんて卒倒しそうな光景も見たことがあったなぁ・・・

それは電気錠を制御するサーバだったのですよ。
メーカさんに確認したら、デフォルトの設定だと、
サーバとの通信が途切れた場合、
端末である各電子錠はロック状態になるとのこと。
つまり中に居た人は缶詰。火事の場合でもね。

話がそれました。

どんなに高価なカラクリでも、それが電気仕掛けであったなら、
電源が切れるとただのオブジェになります。

この単純な真実を、僕たちは手痛い経験を通して学んだはずですよね。
2011年の3月11日に。

覚えてます?

えーじ
posted by ととら at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年08月22日

今年のバースデープレゼント

先日、僕の誕生日の少し前。

「今度のバースデープレゼントは何がいい?」

我が家では誕生日に、
本人希望のものを買ってもらえる習わしがありまして。

例年通り、そんな風に訊かれたものの、さてさて・・・

この年齢になると、今まで持っていなかったものを、
新たに買うということは意外とないものです。
それで最近は、使い古したものを新調する機会にしていたのですが、
それとて物持ちのいい我が家では、そうそう出るものではありません。

ん〜・・・どうしたものでしょうね。
ファッションが趣味の人なら、こんな時にあまり困らないのでしょうけど、
僕らは二人してお気に入りの服や靴を永く使うタイプですから、
ぱっと頭に浮かぶものがないのですよ。

そこで今回はこうしました。
次の定休日をプレゼントにしよう、と。

その日は、今あるもの、今あることのすべてを贈り物として受け取り、
それらにすべからく感謝しようと思います。

ととら亭ひとつをとっても、6年前の今頃、
南米を旅していた時には存在していなかったのですからね。
当然、仕事もないので収入はなし。
それが今では働く場所も、住む場所もある。
自分たちで努力したひとつの結果とはいえ、
思えば有り難いことじゃないですか。

そして当日は、いつものようにあれこれ手を出さず、
野方でのんびり過ごしたらどうだろう。

うん。
こんな誕生日のプレゼントもいいんじゃないかな?

えーじ
posted by ととら at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年08月19日

不幸な食卓

お金というのは不思議なもので、
どのように手に入れても、1,000円なら1,000円、
10,000円なら10,000円として使うことが出来ます。

しかし、使う側の気持ちは固定的な使用価値以上に、
稼いだ方法の影響を受けるものですよね。

棚ボタで転がり込んだお金より、
苦労して稼いだお金の方が、ずっと有難味があるじゃないですか。

そうしたお金を、例えば飲食店で使うなら、
料理の味も実際以上に美味しく感じるかもしれません。
「空腹は最高の調味料である」とはよく言われますが、
僕はそこに「労働」とか、
「苦労」という言葉を追加してもいいのではないかと思うことがあります。

ところが逆もまた然り。

ミシュランの星を取ったレストランに行っても、
悪事で稼いだお金で飲み食いするなら、
美味い料理も高級ワインも、さぞかし味気ないものになってしまうでしょう。

え? 柄にもなく説教めいた話をしている?
まぁ、確かにそうなのですけどね。

でも、年配のお客さまから、

「私だけは大丈夫だと思っていたんだけどね、
 孫のふりをした人からかかってきた電話を信じちゃって、
 貯金を盗られちゃったの・・・」

なんて話を聞くと、憤りと同時に、
人の愛情を逆手に騙し取ったお金で食べる食事は、
どんな味がするのだろう?
と思わずにはいられなかったのですよ。

ととら亭の料理には自信がありますが、
その不幸な悪党が食べたなら、
多分、砂を頬張ったように感じるだろうな。

えーじ
posted by ととら at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年08月17日

もうひとつの物語

7月3日から掲載が始まった「旅の食卓から世界が見える」が、
先日、完結しました。

かもめの本棚 online
旅の食卓から世界が見える

http://www.tokaiedu.co.jp/kamome/contents_i221.html

第1回 料理は歴史を語る
第2回 食べることは世界共通
第3回 「おいしい」を再現する
最終回 ギョウザをめぐる旅

同じ「ととら亭」という対象でも、
語り手が違うとこうも印象が変わるのですね。

インタビュー部分は僕の言葉が文字化されていますが、
距離を置いて見ている所為か、
「へぇ〜、こんな店があるんだ・・・」と、
幽体離脱的な気分になります。

やっぱりリミックスは面白い。

かもめの皆さま、ありがとうございました!

えーじ
posted by ととら at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年08月15日

Intervew with Ewa. Part 4

今日は終戦の日。

僕たち、かつての「戦争を知らない子供たち」は、
「戦争を知らないオヤジたち」となり、
この国では、その実体験を持たない人の方が多数派になりました。

それは換言すると、
戦争がリアルな共同体験から、個々人の隔離されたイメージに入れ替わり、
何を議論するにせよ、
その土台がバーチャルなものになりつつあることも意味しています。

だから、多分、いや、ほぼ確実に、
今これを読んでいるあなたと僕の「戦争」は、
異なるものになっているでしょう。

戦争。
人類による究極的な暴力の姿。

こうした話はマクロになると僕の手には負えませんから、
旅のセキュリティを例にお話したいと思います。

「危ないことがあったでしょう?」

旅の食堂なんて商売をやっていると、
お客さまからしばしばそんなご質問を頂きます。

僕はチープな武勇伝を求めて旅をしている訳ではありませんが、
可能な限り避けてはいても、「危険」は向こうからやってきます。

地震、雷、火事、そして悪党。

これらは何処の国へ行ってもついて回ります。
「平和な国」の日本とて例外ではありません。
基本的に地球人はやさしくて親切ですが、
時には悪意を持った人と遭遇することも避けられないのです。

僕は暴力を好みません。
ですから、困った人と出会った時は、可能な限り衝突を避け、
その場を離れる方法を探します。

時には、はったりをかまして相手が怯んだ隙に、
すたこら逃げたこともありましたが、
幸い、今まで、直接的な暴力沙汰に巻き込まれたことはありませんでした。
しかし、それが何らかのスキルによるものではなく、
単純に、運に救われた結果であることも理解しています。

そう、大なり小なり、危険は現実であることを、
僕は旅を通して、いや、日本での生活も通して、
認めざるを得ません。

ここで思い出すのは、エヴァとの対話です。

18世紀末、ロシア帝国、プロイセン王国、オーストリア帝国によって分割され、
一時は国が消滅し、第一次世界大戦後にようやく復活を遂げても、
その後、ソヴィエト、ドイツに再び主権を奪われたポーランド。

更に第二次世界大戦後は共産化され、
1989年までソヴィエト連邦の傀儡国家のようになってしまった辛酸の歴史を通じ、
彼女たちにとって「主権を奪いに来る何ものか」とは、
まさに僕たちが戦争を論じる時のバーチャルなものではなく、
血と火薬の臭いがするほどリアルなものでした。

「日本は仏教国なの?」
「ん〜・・・数からいえば仏教徒が多いかもしれないけど、
 殆どは日々の生活と一致した信仰というより、
 儀式的なものになっていると僕は思っています。」
「あなたは?」
「僕も仏教徒ですよ。どんな宗派にも属していませんけどね。」
「クリスチャンとの違いは何かしら?」
「これは僕の考えですけど、
 一番大きな違いとしてあるのは、ブッダが神様ではなく、
 あなたや僕と同じ、普通の人間だということでしょうか。」
「ふ〜ん、そうなの。」
「ですから、細かい相違はあるにしても、
 一神教を信仰する人々と、原理的に衝突する理由がないのです。」
「争うことはない?」
「全くないと言ったら嘘になるでしょう。
 しかし教義上の違いが戦争に至ったことはありませんし、
 何よりアヒンサーという非暴力、不殺生の教えを、
 ヒンドゥー教徒やジャイナ教徒とも共有しています。」
「あなたも?」
「僕も暴力には反対です。」

「そう、ではね、攻撃を受けた場合はどうするの?」
「ん〜・・・難しいですね。
 具体的な答えにはなりませんが、
 怒りを持って反応することは避けるという考え方があります。
 怒りは怒りを呼び、やがてそれが終わりのない憎しみに変わりますから。」
「あなたの家族が危険にさらされても?」
「・・・エヴァ、あなたの考えていることは分かりますよ。
 理想で乗り越えられない現実もある。」
「ええ。」

「では僕も正直に答えましょう。
 家族や自分に深刻な危険がおよび、
 それが平和的な方法で回避不能だった場合、
 暴力は現実的な選択肢の一つにならざるを得ないでしょう。」
 
彼女とこんな話をして間もなく2カ月が経ちます。
あの時、僕がそうしたように、エヴァもまた、
僕から何か答えが得られると思っていたのかもしれません。
しかし、この会話の後に訪れた沈黙は、
お互いが同じところで道に迷ってしまったことを、
はっきりと示していました。

そう、だから、僕が今日、こうして考えているように、
彼女も考え続けているのでしょう。

僕たちの戦争とは何かを。

えーじ
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2015年08月13日

暑い街で涼しい国の料理?

いやぁ〜、今日も朝から暑かったですね!

インドネシア料理特集が始まって間もなく1カ月。
予想以上のご好評を頂き、やって良かったと嬉しい限りですが、
なんだかコンセプトにちょっとブレが・・・

そう、暑い季節には熱い国の料理を!
と始めてみたものの、取材地に近いデンパサールの現在の気温は26度。
ジョグジャカルタは28度、で、野方の日中は曇っていたのに30度!
明日、明後日の予報なんか33度から35度じゃないですか!
これじゃ表題の通りになってしまいます。

以前も「避暑に行こう、沖縄へ!」
というタイトルでお話したことがありましたが、
昨今、温暖化の影響か、国内に目を向けても、
この時期は東京より那覇の方が涼しいのですよ。
比熱の大きい海に囲まれているからか、
最高でも32〜33度以上に気温が上がりませんからね。

方や東京でも内陸に位置する中野区や練馬区は、
体温超えも珍しくなくなりました。

ともあれ、こんな時だからこそ、しっかり食べましょう。
アンコールメニューではチュニジア特集から、
スパイシーなラム料理のクシャもやっています。

→ http://totora.jp/info/infomation.htm

それから今週はちょっと珍しいワインのグラス売りもあります。
まずは、アルゼンチンのマルベックとレバノンのロゼで行ってみましょうか!

えーじ
posted by ととら at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年08月10日

違いを知れば

間もなく東京はお盆休み。
猛暑の日本を離れて南の島で「避暑」・・・
なんて羨ましい方もちらほら。
いいですね〜。

ところが、最近はこうした連休の後、お客さまから、
国内、海外を問わず、

「いやぁ〜、何処へ行っても中国人の観光客が多かったな!」

という土産話をよく聞きます。
そして、その言葉の響きには、
微妙に、「やれやれ・・・」といったニュアンスが。

実際、ここ数年、好景気に沸く中国では、
海外旅行を楽しむ人々が急激に増えているようです。
僕らも取材旅行中によく出会いますし、
何より現地の人々から「ニーハオ!」
と声をかけられることが格段に増えました。

確かに中には、
横入りや、パブリックスペースでの大騒ぎなど、
マナーに問題がある人も、見かけたことがあります。

しかし、僕はいいことだと思うのですよ。

中国には中国の文化があり、
それはそれで中国内では普通のこと。
ただ、別の国では、異なる意味を持っているだけ。

ん?
ずいぶん寛容な意見じゃないか?

いや、そうならいいのですけどね。
バブル時代の僕たちを思い出すと、
そうそう偉そうに、
他人を指差すことは出来ないんじゃないか、と思いまして。

僕の個人的な記憶だけでも振り返れば、
日系航空会社の機内で、
「おい!おい!おねぇ〜さん!
 ビールと水割りのおかわり!こっちねっ!」
との大声が機内に響き渡った時のことや、
外資系航空会社の機内で着陸直後の滑走中に立ち上がり、
ヘッドロッカーから荷物を取り出そうとして英語で注意を受けたところ、
「なに言っての〜?あんた?」
と日本人乗客が言い返した現場に居合わせたことは、
そんなに昔の話ではありません。

いずれも他人事とはいえ、
傍から見れば同じ日本人ということで、
うぁ〜、恥ずかし〜!
と冷や汗をかいたのを覚えています。

しかしながら白状しますと、かく云う僕だって、
国内外を問わず、かなりの失敗をしでかしていますし、
しかもそれは過去形ではなく、
習慣が分からない、初めて訪れた国では、現在進行形なのです。
(悪気はないんですよ、いつも!)

これはどの民族でも共通していると思いますが、
こらっ!っと怒られなくても、
周囲の人から妙な視線を向けられれば、
自ずと、「あ、あれ? 僕、何かやりました?」
と気が付くものじゃないですか。

そして嫌われるより、好かれる方がいい、
そう願うことも、ヒト族の間では共通しているでしょう。

多くの人々が旅に出るこの時期、
異なる文化を持つもの同士がその出会いの中で違いを知り、
やがて、おぼろげながらも、
グローバルマナーとも呼べるものが出来上がるのではないか。

僕はそんな風に考えているのです。

えーじ
posted by ととら at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年08月07日

Intervew with Ewa. Part 3

第10回取材旅行のブログで、
幾つか現地の写真をアップしましたが・・・

warsawmem.jpg

このワルシャワの駅前で撮った一葉は、
ポーランド、スロヴァキア、チェコの3か国に共通して、
最も想い出深いもののひとつです。

え?
この地味な写真のどこがいいんだ?

いや、観光名所という訳ではないのですけどね。

僕たちが投宿していた旧市街から駅に向かって新世界通りを南下すると、
古い街並みがだんだん銀座のようになってきます。
そう、道の両脇にひしめくのは、様々なショップ。
その殆どが西側の商品を売っています。

僕たち日本人には見慣れた光景ですけれど、
エヴァのような社会主義時代を知っている人々には、
全く別の光景に映っているのかもしれません。

そこで先の写真。
もう一度見てみて下さい。

これは人類による壮大な社会実験の、ひとつの結果なのではないか?
僕にはそう思えてシャッターを切ったのですよ。

合理的な思想のもと、機能性と効率に軸足を置いた、
キューブ型の無骨はアパートメント。
それを覆い隠すように張り付けられた巨大な広告。

実はこれ、ポーランドが民主化される1989年以前には、
考えられないものだったのです。
(2014年でもキューバには商品の「広告」がありませんでした。)

他者にベクトルを向け、理性の力を象徴するアパートメント。
自己にベクトルを向け、欲望、いや、欲動という力を象徴する広告。
その本来、相反するものが、
放棄された実験室で生まれたキメラのように存在している。

僕にはまるでその広告が、
社会主義の顔に、
資本主義の大きな手によって殴り書きされた、
大きなペケのように見えました。

そして、その後ろに、浮かんで消えたエヴァの笑顔。

「今の方がいいですか?」
「もちろん!」

そうか・・・
そうなんだろうね。

こんな風に話していると、
赤旗の購読者だと思われるかもしれませんが、
残念ながら僕は政治的にはアウトサイダーなのですよ。

ただ、エヴァと話をしていて言葉を失ったのは、
モノがあふれ、個人の自由を持て余している、僕たちの日本が、
彼女たちの理想のひとつなのか・・・と思えてきたからです。

同じようなことが民主化を求める2013年のチュニジアでもありました。

「あなたは何人ですか?」
「日本人ですよ。」
「日本か!素晴らしい!民主主義の国ですね!
 私たちは今まさに、その民主主義を学んでいるのです!」

資本主義と民主主義。
これが僕たちの理想の、夢の終点なのか?

う〜ん・・・

ワルシャワを出発する前日の朝、
エヴァとこんな話をしました。

「去年、キューバを訪れたのですけどね。」
「あそこはまだ社会主義でやっているのよね。」
「ええ、そこでは今でも出発だけではなく、
 結果においても平等が実現されています。
 億万長者はいませんが、物乞いもいません。」
「自由は?」
「細かくは分かりませんが、贅沢品の購入やインターネット接続など、
 日本に比べて制限されていることは少なくないと思います。」
「そうでしょうね。」
「しかし「先進国」と言われる日本やアメリカでは、
 多くの国民が少なからず不安を持つ、教育費、医療費、住宅に関して、
 彼らは思い悩む必要がないようです。」

「エヴァ、僕は彼らのいう、
 One for All, All for One という社会理念は、
 とても美しいものだと思えました。
 しかし、なぜ、結果として、社会主義は上手く行かないのでしょう?」
「それは確かに美しいし、ひとつの理想だとは思うわ。
 でもね。」
「でも?」
「難しい話ではなく、私が食べてもあなたのお腹は膨れないし、
 その逆も然りでしょ?」
「・・・確かにその通りです。」

「えーじ。あなたは別の理想を探しているの?」
「ん〜・・・かもしれません。
 それでどうしようという野心はありませんが。
 行き止まりとは思いたくないのですよ。」
「そう。」
「あなたは?」
「新しい理想がどんなものかは分からない。
 だけどね、たとえ次の何かを誰かが見つけたとしても、
 全ての人々が満足することはないんじゃないかな。」
「どうして?」
「どんな時でも、人は不平を言うもの。
 違う?」
「ああ、そうですね。」

えーじ
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2015年08月03日

Intervew with Ewa. Part 2

翌日も朝食の片付けが終わると、
自然な流れでエヴァとの会話が始まりました。

「ポーランドと日本では大分文化が違うのでしょう?」
「そうですね、僕はまだあなたの国のことをよく理解していませんが、
 違いはいろいろあると思います。」
「政治や経済以外でも違っているのかしら?」
「僕が言うのも変な話ですが、
 日常的にも外国人には戸惑うことが少なくないようです。
 日本人以外の友人が日本に居て困惑した話は、しばしば聞きましたよ。」
「カルチャーギャップということ。」
「まぁ、そうなのでしょう。」
「たとえば?」

「旅行ではなく、日本で仕事をしていたカナダ人の友だちの話です。
 彼女は日系の企業に勤めていたのですが、
 会議でよく失敗したそうです。」
「どうしたの?」
「全てではありませんが、日本の企業の会議とは、
 何かを決める為に議論する場ではなく、
 事前に決まったことをオーサライズする場であることが珍しくありません。
 その事案の意思決定者に事前に説明を行い、了解を得たことを発表する場なのです。
 やり取りを一見すると、議論しているように聞こえることもありますが、
 中身は質疑応答であって、白紙からの議論ではないのです。」
「ふぅ〜ん・・・」
「英語で何というか分かりませんが、この事前調整を根回しと呼びます。」

「それでその人は何を失敗してしまったの?」
「議論してしまったのですよ、単純に。
 発表されたことに関する問題点を指摘し、対案を出してしまったのです。」
「普通、私たちの会議はそうだわ。」
「しかし、ここで彼女は2つのミスを犯してしまいました。
 一つ目は先にお話した、発表の場での議論。
 そして二つ目は発表された案とは、職位の高い人が考えたものだったのです。」
「それがどうしてまずいの?」
「これも全てという訳ではありませんが、日系企業の会議の場で重視されるのは、
 「どんな意見か?」よりむしろ「誰の意見か?」であることが多いのです。」
「内容ではなく?」
「そう、ですから職位の高い人が言った意見をその場で正面から批判したり、
 欠点を指摘することは、まずありません。」
「彼女は欧米流にそれをやってしまったのね。」
「実は僕もよくやってしまったのですよ。
 そもそもそれは前提がぶれていませんか? などという具合に。
 後で上司や同僚から注意されたことが何度もありました。」

「そうした仕事の進め方は初めて聞いたわ。」
「多分そうだと思います。」
「あたしもやってみようかしら!」
「え?」
「それ、いいアイデアじゃない?」
「そ、そうですか?」
「だって、あなたたちはそれで物事を先へ進めているのでしょう?」
「え? ま、まぁ、そうかもしれませんが・・・」
「それが肝心よ!方法はともかく、結果を出すこと。
 民主化された後のポーランドでは、議論は白紙からやるの。
 みな自分の意見を自由に言うし、批判も受ける。」
「いいじゃないですか?」
「そうでもないのよ。」
「どうしてですか? それは議論のあるべき姿でしょう?」
「自由に発言するのはいいのだけれど、結果が出ないの。
 みんなが言いたいことを言うだけで、意見がまとまらない。
 議論は手段であって目的ではないじゃない?」
「なるほど、それでは困りますね。」
「何て言うのだっけ? あ、ネ・マワシね、早速やってみるわ。」

「もうひとつ面白い話があります。
 アメリカ人の友だちに指摘されたのは、
 日本人のイエス、ノーの分かり難さです。
 彼は永らく日本に住んでいて、たまにパーティーを開いていました。
 最初に彼が当惑したのは、日本人の友だちを招いた時のことです。
 料理が趣味の彼は、腕を振るってニューヨークスタイルの凝った料理で、
 友人たちをもてなしました。
 そして料理はとても好評だったそうです。」
「その人もあなたと同業者?」
「いいえ、彼の職業はセラピストです。」
「でも料理が上手なのね。それで?」
「その好評だった料理なのですけどね、大分残っていたのですよ。」
「美味しかったのに?」
「いや、多分、そうではなかったのでしょう。」
「好評だったんでしょう?」
「味はどうですか? との質問の答えはイエスだったのでしょうね。
 しかし、参加者は別の文脈からそう答えていたのだと思います。」
「あなたの話はよく分からないわ。」

「説明しましょう。
 アメリカ人の友人の質問は、「料理の味はどうですか?」でした。
 知りたかったのは字義どおり料理の味についての感想です。
 しかし参加した日本人は、料理の評価より、
 彼らの為に料理を作ってくれた、
 アメリカ人の友人の気持ちに応えていたのです。」
「ああ、なるほど。」
「日本人の参加者にとって、味の良し悪しは二の次で、
 彼らが大切にしたかったのは、
 アメリカ人の友人との友情だったのですよ。」
「やさしいのね。」
「アメリカ人の友人は最初、
 好みではないのに美味しいという日本人が理解できない、
 嗜好が分かれば直せるのに、と嘆いていましたが、
 やがてその理由を知り、
 直接的な評価を面と向かって訊くようなことはしなくなったそうです。」
「日本人のやさしさって、そんなところにも表れているのね。
 表面的な表現と、それより深い意味の違いは私にも分かるわ。
 娘がまだ小さかった時、あの子が何かを作れば、私は褒めてあげたもの。
 たとえそれが使い道のないものでもね。
 こうした思いやりは、大人同士でも大切にすべきよ。」
「まぁ、アメリカ人の友人のやり難さも理解は出来ます。
 物事を進めるには、相手の意思確認が必要ですからね。
 ところがそれを直接的に訊けないのですから。」

「えーじは、ポーランド人にどんな印象を持ったの?
 「率直に」答えてみて。」
「まだワルシャワに来てほんの数日しか経っていませんが、
 皆さんフレンドリーで親切だと思いました。
 それと元社会主義の国で時々感じる「暗さ」がない。
 あなたもね。」
「私も日本人とこうして話をするのは初めてだけど、
 違いより、共通しているところの方が多い気がする。」
「ああ、僕もそう思いますよ。」

お互い、肌の色や国籍の違うもの同士が出会うと、
最初は違いが目にとまるものですが、
名前を名乗り、こうした顔の見える距離で話をすれば、
ほどなくその違和感を親近感が超えて行きます。

そのちょっとしたコツとは、笑顔と挨拶、
そして、各々の違いを尊重する気持ちなのですよね。

えーじ
posted by ととら at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記