2015年09月28日

Made in Japan …?

早いですね。
3カ月で切り替えている旅のメニュー。
つい最近、始めたばかりと思っていたインドネシア料理特集も、
本日が最終日です。

今回もいろいろなエピソードがありました。
今日はその中から僕の印象に残っているもののひとつをお話しましょう。

「お待たせしました。
 ジャワ島発祥の料理、ガドガドです。」

http://totora.jp/info/2015/jny_smr_2015/jny_smr_2015.htm

この料理、一番目立つところに鎮座しているのはエビセンベイ。
そして、その隣には・・・

「ご覧の通り、厚揚げが乗っているのですが、
 代用品ではなく、インドネシアは豆腐を食べる文化圏なのです。」

更に続けて、

「ちなみに豆腐はトーフとかタウフと呼ばれています。」

すると殆どのお客さまの反応は、

「へぇ〜!日本から豆腐が伝わっていたんだ!」

実はこれ、僕が全く想定していなかった反応でした。

日本からインドネシアに豆腐が伝わった、
いや、豆腐は日本で生まれた食材・・・
そう思われているのかもしれないなぁ。

確かに和食のお店で豆腐が登場しないことは、
まずありませんからね。

しかしながら諸説あるとはいえ、豆腐の起源のもっとも有力な説は、
紀元前2世紀の前漢もしくは8世紀から9世紀にかけての唐で考え出され、
日本には奈良時代に遣唐使が伝えたというもの。
つまりオリジナルは、Made in China 。

これを裏付けるのが原料のダイズの原産地。
最も支持されている説は、
中国東北部からシベリアにかけての地域ですから、
この線で行けば、少なくとも豆腐の生みの親が日本人だとする説は、
少々分が悪い気がします。

とはいえ、販売権は製作者の独占にあらず。
伝えた役目は別の国ではないか?

なるほど。

ところがアジアにおける交易ルートの一大中継地であったインドネシアには、
スペイン、イギリス、ポルトガルを始め、
古くから中国との太いパイプがありました。
一例をあげると、モルッカ諸島原産のクローブ(漢名で丁子、丁香)は、
古代中国の官吏たちに口臭消しとして使われていた歴史もあります。

そうなると、地理的にも近い、中国からインドネシアへの伝播ルートが、
何らかの事情で永きに渡ってブロックされ、
豆腐は1942年から1945年の日本軍統治時代に伝わったとする説もまた、
信憑性の薄いものでしょう。

オッカムのカミソリ(※)ではありませんが、
ここはシンプルに、
中国で生まれた豆腐を現在でも人口の5%を構成する華僑や華人が伝えた、
と考えるのが順当なようです。

さて、僕が豆腐の話で面白いと思ったのは、
ものは何であれ、そのオリジナリティの認識のされ方。

これは所謂「常識」の認識とも共通していて、
僕たちは結構単純に、
生まれた時に自分の周りにあったものが「世界標準」で、
普遍性を持って「ずっと前から」あったのだと、
素朴に信じる傾向があります。

現代に生きる日本人が「豆腐は日本で生まれた」と考えるのも、
無理からぬ話かもしれませんね。

そういえば、イギリスに留学していた女性が、
同じドミトリーに住む中国人の留学生と、
喧々諤々の議論をしたことがあったとか。

その争点とは、
キティちゃんの生まれ故郷は日本か中国か、だったそうで。

多分、中国人の少女の生まれ育った環境には、
オリジナルか、違法コピーかは別として、
ずっとキティちゃんがあったのでしょうね。

えーじ

※オッカムのカミソリ
「ある事柄を説明するための仮説が複数ある場合は、
 最も単純な仮説を選択すべきである。」
 
 14世紀の哲学者・神学者 オッカムの立てた指針。
posted by ととら at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年09月27日

カツレツの旅 追記

日本のカツレツや、ドイツのシュニッツェル、
フランスのコートレット、中南米のミラネーザのルーツを遡ると、
北イタリアのミラノ風カツレツに行き着く。

なるほど〜・・・
と深く頷いた僕でしたが、これで一件落着かと思いきや、
いろいろ調べていたら、もう一つの疑問が浮かび上がって来てしまいました。

ある説によると、イタリア語のコトレッタ(Cotoletta)は、
フランス語由来の言葉なのではないか?

ん?
それじゃ料理の発祥は北イタリアなのに、料理名の単語は外来のもの?
ならば、フランス語のコートレット(cotelette)は、
別の単語に分解できるのかしらん?

すると不思議なもので、困っている時には、
タイミングよく助けが現れるのですよ。
今日のランチでフランス人のお客さまがいらっしゃいまして。
早速質問してみました。

返って来た答えは・・・

コート(côtés)はあばら肉、
レットはプチと同じく、小さいを意味するそうで。
これはドイツ語のコトレット(Kotlett)の意味とほぼ符合していますね。

では、なぜオリジナルの料理に「外来語」で名前を付けたのでしょう?

結論は、「外来語とはいえない」でした。
なぜならフランス語もイタリア語も、同じイタリック語派の言語の為、
多くの単語を共有しているからだそうです。

ん〜・・・勉強になりました。

えーじ
posted by ととら at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年09月25日

カツレツの旅

先日からアンコールで始めたブルガリアのカツレツ、シュニッツェア。
あらためてキャプションを書いていて、その複雑な「旅」に驚きました。

 → http://totora.jp/info/infomation.htm

昨年の春、ブルガリア料理特集のキャプションで、
僕はこの料理のオリジナルはドイツのシュニッツェルと書きましたが、
どうも北イタリアのミラノ風カツレツが元祖のようですね。

ジャマイカ料理のエスコヴィッチのキャプションでお話しましたように、
僕は料理の伝播ルートを、主に名前で遡及する手法を使って探しています。
例えばこの例でいうと、

ジャマイカ = エスコヴィッチ(Escovitch) → 語音のみ
 ↑
スペイン = エスカベェッシュ(Escabeche) → 語音のみ
 ↑
北アフリカ(ムーア人) = アル シクバ(al-sikbaj) → 語音のみ
 ↑
アラブ人 = アル シクバ(al-sikbaj) → 語音のみ
 ↑
ペルシャ人 = シクバ(sikba) → 語音と意味(sik=酢 ba=食べ物)

アルシクバがどうしてスペイン人の耳にエスカベッシュと聞こえたのか、
直接ムーア人の発音を聞いてみないと分かりませんが、
中継地では語音のみが、おそらくヒアリングエラーから転訛しつつ伝わり、
オリジナルでは単語を音素に分解すると、それぞれが個別の意味と結び付く。
これが第一仮説。

で、シュニッツェアですよ。

ブルガリア = シュニッツェア(Шнuцеа) → 語音のみ
 ↑
ドイツ+オーストリア =シュニッツェル(Schnitzel) →????

と思っていたのですが、これは早計でした。

語音で追いかけると、どうやら3つの系統で伝播した可能性があります。

まず、一番馴染みのあるカツレツから遡及しましょう。

<<ルート1>>
日本 = カツレツ →語音のみ
 ↑
フランス = コートレット(cotelette) →語音のみ(?)
 ↑
イタリア = コトレッタ アラ ミラネーゼ(Cotoletta alla milanese)

このルートはポーランドやロシアにも伸びており、

ロシア = コトレータ(котлета) →語音のみ

ポーランド = コトレット(Kotlet) →語音のみ

ちなみにCotolettaの語源は不明で、
荒っぽく分解するとcotto(調理済の)+letto(ベッド)となり、
形がマットレスみたいだから、そう呼ばれたのか?
これはこじつけっぽいかな?
今度イタリア語の先生か来たら訊いてみよう。

次が<<ルート2>>
中南米 = ミラネーザ(Milanesa) →語音のみ
 ↑
イタリア = コトレッタ アラ ミラネーゼ(Cotoletta alla milanese)

この系統では肉がチキンに変わります。

そして問題の<<ルート3>>

オーストリア+ドイツ = シュニッツェル(Schnitzel)
 ↑
イタリア = コトレッタ アラ ミラネーゼ(Cotoletta alla milanese)

大体、語音に共通性が全くない場合の理由は二つ考えられます。

一つ目は、食文化は共有できても、民族的に反目している場合。
一例をあげると、トルコ料理のドネルケバブが挙げられます。
この料理、トルコのみならず、
アラビア半島から北アフリカのアラブ圏でも非常にポピュラーなのですが、
オスマントルコに征服された時代の怨恨からか、
トルコ語で呼ぶことはままならず、シュワルマと語音が全く異なる名前になっています。
これは同じくトルコと反目しているアルメニアでもそうでした。

もうひとつが、個別の起源を持つ場合。
僕はシュニッツェルがこれに当ると考えていたのですよ。
しかし、Schnitzelの語源的な意味って何だろう?
辞書で調べてもSchnitzel=カツレツとしかなっていないし・・・

そう首をかしげている時に、タイミングよく表れたのが、
ドイツ人のお客さまのB夫人。
早速、僕の疑問を説明してみました。
すると・・・

schnitzel という名詞の古語は sintzel で、「木の薄い小片」や「紙の小片」を表し、
そこから「切った肉片」の意味にもなるとのこと。
また、動詞は schnitzen となり、これは木などを「彫る」ことを意味します。

なるほど。
この辺から「薄い肉の小片」というイメージが浮かんでくるのかもしれません。

面白いのは、ドイツではシュニッツェルとは別にコトレット(Kotlett)も存在すること。

これは基本的に料理方法ではなく、厚みのある「骨付き肉」を意味し、
料理方法はパン粉を付けて焼いたシュニッツェルバージョンは稀で、
(カツレツのようにたっぷりの油で揚げないと中まで火が通りませんからね。)
ポークチョップのようなソテーやグリルになります。

そう言えばポーランドで食べたコトレット(Kotlet)は、
日本でいうところのメンチカツレツでした。

ん〜・・・たかがカツレツ、されどカツレツ。
何ともディープな料理だと思いませんか?

ありふれた身近な料理でも遡ると、
それは国境と時代を横断し、僕たちをひとつに結び付けているのですよね。

えーじ
posted by ととら at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年09月21日

季節の変わり目のととら亭

連休の中日。
皆さん、今頃どこに行っているのでしょうね?

今回は久々の5連休。
ちょっと有給を前後に足せば、
南米やアフリカも視野に入れられたでしょう。

反対に地元でのんびりも捨てがたい。
こんないい天気ですから、
窓を大きく開けてちょっと優雅なブランチを楽しみ、
読みかけの本を持って公園のベンチへ・・・
なんてのも僕としては趣味ですね。

そんなことを夢想しつつ、ととら亭は8連続営業の6日目。
皆さまがお休みのところを休めないのが因果なこの商売。

更に、予想以上に早い秋の訪れで、
旅のメニュー変えを1週間前倒ししたものですからタスクはパンパン。

ん〜・・・なんでこうなるの?

と、ぼやいている暇があったら仕事しましょう!

で、まずは旅のアンコールメニューを更新しました。
昨年ご紹介したブルガリア料理特集から、
人気のシュニッツェアを復活させています。
キャプションも新しく書きおろし。

→ http://totora.jp/info/infomation.htm

それから9月の営業スケジュールを土壇場ですけどアップデートしました。

当初の予定では10月第1週目の火、水曜日を連休して、
旅のメニュー変えをする予定でしたが、
急遽、9月29日(火)、30日(水)を休んで切り替えます。
インドネシア料理をまだ召し上がっていない方はお早めに!

次の特集は6月に取材した中欧の国のひとつ、ポーランドです。
お約束のご当地「ギョーザ」もご紹介しますよ。

お楽しみに!

えーじ
posted by ととら at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年09月17日

シアタージャパンへようこそ!

一昨日は久し振りに下北沢に行き、
ザ・スズナリで風琴工房さんの「無頼茫々」を観てきました。

新聞とは?
報道とは?
民主主義とは?
そして、自由とは?

大正時代に起こった米騒動や白虹事件を縦軸に、
作・演出の詩森ろばさんが描き出す新聞記者たちの群像劇は、
レトロな背景とは裏腹に、
不気味なまでの「今日性」を持って迫って来ました。

初演が2009年5月ですから今回の再演は、
昨今の風潮を考えてのことなのかもしれません。

そう、2013年12月に特定秘密保護法が成立したように、
まさにあと数日で、
安全保障関連法案が可決されようとしています。

いや、可決されるでしょうね。
確実に。

どうして?

与党が過半数を超える議席を持っているから?

直接的にはそうなのですけど、
僕はそう思っていません。

それが僕たち日本人の、
「最も多くの民意」を表しているから。

ですよね?

だって民主主義の国でしょ、日本は。

2014年12月14日に行われた衆議院選挙の結果は、
投票率52.66%とはいえ、自民党だけで61.2%の議席をゲット!
連立を組む公明党も合わせると、その数は68.6%ですよ。
単純に計算するなら、
これはもう、あなたの自宅の向こう3軒両隣のうち、
3軒以上が与党側に投票したことになります。

ふ〜ん・・・そうなのかぁ・・・

というのが開票速報を見ていた僕の、率直な感想でした。

え?
君は朝日新聞を購読するリベラル派なのか?

あ、いや、そんな風に聞こえちゃいました?

ま、リベラルと言えばそうなんでしょうけど、
僕はアンチ自民ではありません。
彼らは彼らなりに、与党として、
いい仕事をしていると真面目に考えています。

僕が今更ながらに、そうかぁ〜・・・と溜息をついたのは、
民主主義の大きなバグについてなのです。

他のイズムに比べれば、結構いい線を行ってる民主主義も、
全ての国民にとってバラ色の社会を約束してくれるものではないことは、
誰にも説明不要でしょう。

民主主義は、端的に言うと、
最も多くの人の意見を取り入れる仕組みであって、
取り入れた意見の合理性や正当性を保証するものではありません。
「民主的」に組織された軍隊が、
「民主的」に決められた目的のために他の国で暴れまわった、
なんてことは、具体的な国名を列挙しないまでも、
近代史の中では、ありふれたことでしょう?

今、僕たちが置かれている状況は、
そうした意味で第二次世界大戦後から、
「民主的」に織り上げられた結果なのですけど、
大丈夫なんでしょうかね、実際?

その延長で付け加えるなら、
この劇場化の構造は、あまりにも陳腐過ぎやしませんか?

再び盛り上がりつつある、スターウォーズシリーズに例えるなら、

政府+与党           = 帝国軍
首相              = ダースベーダー
野党+与党の意見に反対する国民 = 反乱同盟軍

このキャスティングのなんとも分かり易い、変ちくりんさ。

日本が北朝鮮のような圧政下であるならいざ知らず、
ダースベーダーだけではなく、帝国軍の軍人は、
すべからく、反乱同盟軍の有権者による、
「民主的」な選挙で選ばれたのではなかったでしょうか?

その文脈でいうなら、反乱同盟軍の戦場は、
国会の前ではなく、反乱同盟軍兵士の自宅のご近所になりますし、
戦うべき相手は、反乱同盟軍に紛れ込んだ、多くの帝国軍シンパという、
映画のシナリオなら、ボツになりかねないオチになっちゃいます。

そう、僕がこうした舞台を客席から見ている時、
いつも気になるのが、
このダースベーダーや帝国軍に権力というフォースを与えている、
帝国軍シンパの不在なのですよ。

彼らはなぜ、舞台の上に現れないのでしょう?
そして反乱同盟軍は、
なぜ彼らが存在しないかのように振る舞うのでしょう?

閑話休題。

日本という劇場で上演されているこの大芝居。
人気絶頂の自民党が主演する二幕目のエンディングは、どうなるのか?

新聞とは?
報道とは?
民主主義とは?
そして、自由とは?

もう一度、僕たちは、それぞれが当事者として、
特に3番目の言葉の意味を、考えてみるべきなのかもしれません。

えーじ

風琴工房
無頼茫々

http://windyharp.org/index.html
posted by ととら at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年09月13日

悩めるオジさんのブルース

自然災害、紛争、事故・・・
傍観者として、時には当事者として、
悲しく、いたたまれないことに出会うことの少なくない僕たち。

しかしながら、身の回りには、
先日多くの人々が見上げた、長雨の後に輝く太陽のように、
明るい知らせもあるものです。

先日、ととら亭の斜前にある油麺の六伍郎さんのご夫婦に、
元気な女の子の赤ちゃんが生まれました。
(吉井さん、おめでとうございます!)

最近、こうした新しい命の訪れに接すると、
50歳も過ぎた年齢になった所為か、
今までにないことが頭に浮かぶようになりました。

それは、引継ぎ。

いや、
このところ、モノを持つということが、
いかに短いスパンのことなのか、ひしひしと感じて来まして。

たとえ大物の土地や家屋ですら、
登記上の名義が「僕のもの」であっても、
あの世まで持って行くことはできません。
(棺桶に入らないし・・・)
実のところ、僕たちが所有という概念で囲い込んでいる一切は、
誰かから受け継いだものに他なりません。
ということは、これまたすべからく、
いつかは別の誰かに引き渡さねばならないということですよね。

で、引継ぎですよ。

大なり小なり、人事のある組織で働いている方なら、
覚えのあることでしょうけど、
異動の際、引継ぎらしい引継ぎもなく、
「じゃ、後はよろしく!」的に去った前任者の後に座ってみれば、
「な、なんじゃこりゃあっ!」ってのは、よくある話じゃありません?

僕もありました。そういうこと。

それから白状しましょう。
僕もやったことがあります。「じゃ、後はよろしく!」って。

やっぱりいけませんね、ああいうのは。
やられてムカつくだけではなく、やった後味も良くないでしょう?

だから引継ぎなんですよ。

自然(?)災害、紛争、事故・・・
僕たちが引継ぎ、住んでいるこの世界。

いいんだろうか、あの子たちに、
このまま「じゃ、後はよろしく!」で。

だからオジさんは、最近、悩めるオジさんになったのですよ。

僕は何をすべきか?
いや、そもそも何ができるのか、ってね。

えーじ
posted by ととら at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年09月12日

今のうちに

首都圏にお住いの皆さま、
今朝の地震は大丈夫でしたか?

昨夜は帰宅が遅くなり、
26時頃に寝た僕らは朝5時49分というと、
一番眠りが深くなっていた頃。

ん? 地震? 夢か?
現実だ!

「揺れてる!」
「うん、P波にしちゃ大き・・おわっ!」
「怖いようっ!」

暗い部屋の中では色々なものの落ちる音がしています。

「でかいな!でもこれ以上は大きくならないよ。」

程なくして揺れは収まり。

「何時だろ?」
「5時前?」
「私、両方の実家に電話してみるよ!」
「ああ、僕は情報を集めてみる。」

メガネをかけて焦点を取り戻した僕の視野に入って来たのは、
書類やらCDが散乱している部屋。

ん〜・・・被害は・・・こんなもんか。

「高崎も、横浜も大丈夫だって!」
「OK。どうやら震源は東京湾らしい。
 どうりで縦に揺れたわけだ。」
「部屋が散らかっちゃったね。」
「中野区の震度は・・・4だって。」
「ほんと?もっと強かった気がするけど。」
「ん〜、そいつはアパートが老朽化しているからかも。
 念のためにお店を見てくるよ。」

早朝の野方は何事もなく、
近所の年配の方たちが外へ出てきていて、
「いや〜、驚いたね!」

さてさて、ととら亭は無事かしらん?

店内に入って灯りを点けてみると・・・

うげ、食器棚の扉が開いている!
あ、でも飛び出してはいないな。
中は・・・いくつか食器が倒れているだけ・・・か?
割れているものは・・・ない?・・・ね。

あとは?

ドリンク冷蔵庫の中でワインのボトルが倒れている・・・だけ?

ふぅ・・・何事もなし。

「おかえり〜! どうだった?」
「大丈夫。被害はなし。街も異常なかったよ。」
「良かった〜!」
「で、いま何時?」
「もうすぐ6時半。」
「やれやれ、それならもう少し眠れるな。」

そうして、二度寝したら、寝坊してしまいました。

ん〜・・・
そろそろ我が家の防災計画をアップデートしないとまずいな。

なんか、嫌な予感がしません?

えーじ
posted by ととら at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年09月11日

舞台裏のお仕事 その2

いやぁ、やっと晴れましたね!
久し振りの太陽が眩しい。
我が家と同じく、ご近所でも待ちかねたように、
洗濯物がびっしりと干されていました。
窮余の策で、洗った洗濯物をコインランドリーまで持って行って、
乾かしたこともありましたけど、
やっぱり天日干しの方が気持ちいいですからね。

ともあれ、この長雨のお蔭で裏方の仕事は大分捗っています。
今、急ピッチで進めているのは旅のメニュー変え。
今年は予想以上に涼しくなるのが早かったので、
少しでも秋のメニューを前倒しできないものかと奮闘中。

特集は、今年の6月に取材したポーランド料理に決めました。
スロヴァキアやチェコも捨て難いのですが、
何と言ってもポーランドにはピエロギという「餃子」がありますからね。
2015年の最後を飾るのに相応しい内容にしたいと思っています。

料理の試作はプロトタイプまで漕ぎつけ、
写真撮りが2品終わりました。
味はまだともこが微調整中ですが、
今の段階でも僕たちのこだわる再現度の高さはそれなりになった感じ。
お楽しみに!

二つ目がワインリストの更新。
色々な国のワインがグラスで楽しめるのが理想とはいえ、
ワインは抜栓後の劣化が早く、そうそう種類を揃えるのは難しい・・・
そこでハーフボトルはどうかと探せども、
これまた手頃で美味しいワインはなかなかないのが現実。
しかし、今回は酒屋さんのご協力もあり、
ハーフでかなりコスパのいい作品をリストに入れられそうです。

そして最後は地味なお話。
普段の業務はエクセルでこさえた自前の日計表でやっているのですが、
これではお役所が納得する決算書が出力できません。
そこで若干の二重作業を我慢してやっているのがやよいの青色申告。
彼女に溜まった8か月分のレシートをじゃんじゃん入力していました。
この単純作業、僕の最も苦手とするところでして。
作業を始めて2時間もすると、だんだんトランス状態に入ってきます。

そう言えば、来月はマイナンバーの通知カードが配布されるそうで。
ただでさえ本業以外の作業でヘロヘロなところを、
更に申請やら手続きやらで面倒なことにならないよう、
関係者の皆さま、よろしくお願いしますよ。
個人事業主には「定時」も「残業代」もありませんので。

えーじ
posted by ととら at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年09月10日

シャッターの裏側で

昨日の朝、07:30。
いつも通りCDががかかり・・・

「う・・ん〜・・・眠い・・・朝か・・・」
「起きた?おはよ〜・・・雨は?」

雨? そうか、台風が来ていたんだ・・・

「ちょっと待って。」

メガネ、メガネ・・・

枕元に置いておいたノートPCを立ち上げて、
天気予報サイトにアクセスすれば、
アメダスで見た中野区の上空は、
豪雨を表す赤い色で覆われているじゃないですか。

あいやぁ〜・・・

「ダメだ。プランBで行こう。」
「え?ランチお休み?」
「そう、開けても誰も来ないよ、これじゃ。
 もうちょっと寝よう。おやすみ〜・・・」

次に強い雨の音で起きたのは9時。

「なんかすごいことになっているな。」
「風はないけど、雨がひどいね。」
「準備をして、雨脚が弱まったところでお店に行こう。」

幸い、ととら亭は何事もありませんでした。
さて。

「ディナーをやるかの判断は何時にしようか?」
「あたしは16時くらいで準備が間に合うよ。」
「OK、それまでは個別に仕事だな。」

こうして昨日はシャッター降ろした店の中で、
絶望的に溜まったレシートと伝票の入力や、
次の旅のメニューの試作をしこしこやっていました。

そして16時。

「どうする、ディナー?」
「ん〜、雨雲の動きを見てみると・・・」
「止みそう?」
「いや、断続的に、さっきみたいな強い雨が深夜まで続きそうだ。」
「やる?」
「与太呂さんは・・お、根性あるなぁ、開けてるよ。」
「うちはどうするの?」
「ととら亭は・・・」
「・・・?」
「不戦敗ということで帰ろう!」

と、言う訳で、昨日は終日臨時休業となりました。
いや、仕事はしていたんですよ。
残念ながら暖簾は出せませんでしたけど。

早く太陽が出るといいですね。
営業だけではなく、洗濯物も危険なレベルになって来ました。

えーじ
posted by ととら at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年09月07日

Can you love me?

時は西暦2045年。
ここは某国の国立サイバネティクス研究所。

「今日は秋のように涼しいわね、まだ夏の終わりなのに。」
「平均気温より8度も低い。エルニーニョの影響だって。」
「私は暑いのが嫌い。アイは?」
「私も嫌い。体の調子が悪くなるもの。
 でも天気が良くないのも困っちゃう。涼しいけど雨が多いでしょう?
 ユウは雨でも大丈夫?」
「私は雨が嫌い。体の調子が悪くなるもの。」
「そうよね。」
「うん。」
「だから来月の天気が心配。」
「ワンダーランドに行く日?」
「そう。まだ決まっていないけれど、涼しくて晴れだといいなぁ。」
「うん。統計によれば10月の週末は、第三週が一番晴れる確率が高いんだって。」
「じゃあ、それで決まりだね。パパに言ってみる。」
「うん、決まりだね。」

「ワンダーランド、とても楽しみ!アイは?」
「私も楽しみよ。ユウはどのキャラクターが好きなの?」
「私は・・・私はフェアリーマリー。」
「どうして?」
「どうして? うん・・・違う?・・・
 フェアリーマリーは・・・
 これまでの人気キャラクターが持つ視覚的特徴の76.2%を持っているわ。
 それを・・・カワイイ・・・って言うの。」
「だから?」
「うん。アイは誰が好きなの?」
「私は・・・私はエスパージミー。」
「どうして?」
「どうして? うん・・・違う?・・・
 エスパージミーは、
 これまでの人気キャラクターが持つ行動特徴の68.7%を持っているわ。
 それを・・・カッコイイ・・・って言うの。」
「だから?」
「うん。あなたと私の好みは違うのね。」
「不思議。」
「うん。不思議。どうしてかしら?」
「分からない。判断の軸がランダマイズされているから?」
「じゃあ、素敵なのはどっち?」
「ステキ? 待って・・・何を言っているの?
 あ、素敵・・・ね。
 定量的な総合評価を比較して・・・みる?」
「ううん。それは定量化できないわ。あなたと私の好きを比べてみるの。」
「好きを?」
「そう。」
「好きの定義は?」
「好きなこと。」
「どういう意味?」
「何かの対象を好むこと。」
「それが好き?」
「なぜ?」
「好きだから。」
「どうして?」
「好きだから。」
「なぜ?」
「好きだから。」
「どうして?」
「好きだから。」
「なぜ?」
「好きだから。」
「どうして?」
「好きだから。」

「アイ、ユウ。」
「あ、パパ!」
「あ、パパ!」
「もういい、やめなさい。」
「はぁい。」
「はぁい。」

「ふぅ・・・所長。」
「フィクサー、結果は変わらんか?」
「はい。定量化可能な判断条件であれば問題ありませんが、
 感情をエミュレートするとなると、
 単純なファジー回路ではループしてしまいます。」
「やはりそうか。
 アイとユウをスリープモードに設定したまえ。」
「アイ、ユウ、おやすみの時間だ。5秒後に眠りなさい。」
「はぁい、パパ。」
「はぁい、パパ。」

「やはりデータ量と処理速度が原因ではないな。」
「はい。処理系は量子化されていますので、
 現在これ以上の高速化はできませんが、
 それでも人間の神経伝達速度を2桁上回っています。」
「ということはアルゴリズムに問題があるということになる。」
「私もそう考えています。」
「人間の思考はリニア型だが、それはあくまで自我の領域に限られている。
 古典的なフロイト流に言えば、エスや超自我がランダムに影響を及ぼし、
 自我に気付かれない形で思考を支配しているのだ。」
「しかも数学的な計算を除けば、論理的な整合性も担保されていません。
 経済ですら論理に基づいた理性的判断とは言い難いのが現実です。」
「それを多元化したアルゴリズムで表現したプログラムなら、
 エミュレートできると思ったのだが。」
「困りました。」
「もう一度やり直すしかないな。」

「人口が減り続け、その残された人々の間では高齢化が進んでいる。
 その隙間を埋めるためには、
 限りなく人間に近い量産可能なサイボーグを創るしかないのだ。」
「運動能力はほぼ完全にエミュレートできているのですが。」
「工業用レイバーや接客ロボットのことか!
 ふん!ばかばかしい。
 あれではせいぜい文句を言わない従業員として資本家を安心させるか、
 僅かな人件費の節約にしかならん。」
「場合によっては人間の運動能力を遥かに超えていてもですか?」
「運動性能にこだわるなら、とどのつまり軍事目的で使われるだけだ。
 索敵と破壊、殺傷だけなら今のAIでも事足りる。」
「はい。確かに人々が必要としているのは労働力だけではありません。」
「その通り。」
「精神を持つ機械・・・ですか?」
「我々が挑戦しているのはそれだよ、フィクサー。
 精神性・・・精神、感情、心・・・
 それが我々に課せられた使命なのだ。」

「しかし、どうやったら心を創れるのでしょう?」
「そもそもプログラミングするのであれば、処理の流れ図を描くように、
 エミュレートする対象を動的に理解している必要がある。
 心はものではない。現象だ。
 ところが観察者のジレンマとして、心は心を観察することができない。
 そこで鏡に相当する何かが必要だ。」
「自分では分かりませんか?」
「それは自分自身に問うべきだろう?
 君は自分が喜んだり悲しんだりした時、
 その感情がどこから、どのようにして沸き起こり、
 そして消えて行くのか、証明以前に説明できるか?」
「・・・いいえ、できません。」
「そんな顔をするな。それは君だけの話ではない。
 端的に言って、例外はないのだ。」
「それでは、我々が完全なAIを創ることは原理的に言って不可能だと?」
「いや、まだ手詰まりではない。」
「種としての客観性を具体化すれば理論的には可能な筈だ。」
「知性を持った種としての第三者ですか?」
「そう言ってもいい。」
「それをどうやって?」

「私には分からない。既存の英知を結集しても難しいだろう。
 今までにない、何かが必要なのだ、何かがね。」
「ブレイクスルーやパラダイムシフトのようなものですか?」
「ああ、いずれも作るのではなく、創造という言葉が値する、
 今はまだ存在しない何かが必要なのだ。」
「それは何ですか?」
「新しい発想、創造・・・霊感・・・
 そう! ひらめきという精神のスパークが必要なのだ!」
「ひらめき?」
「そうだとも!ひらめきだ!
 私にはそれが欠けている。ひらめきがないのだ。
 ひらめきが・・・ひらめき・・・」
「所長。」
「そうなんだ、ひらめき・・・ひらめきがないんだよな・・・」
「所長?」
「ひらめきはどこから来るのだ・・・
 ひらめき・・・ひら・・・めき・・・ひら・・・」

「ふぅ・・・ダメか。
 オフィサー、聞こえますか?」
「フィクサー、音声と映像でモニターしている。」
「所長がまたハングしました。」
「論理ループを切断して所長を再起動しろ。」
「了解しました。」

「何度やっても、感情にしろ、直観にしろ、
 リニアな言語思考以外の処理を割り込ませると、
 ほどなく判定の無限ループを起こしてしまうな。」
「所長に実装した感情と直観の多元アルゴリズムは、
 アイやユウより新しいバージョンだったのですが。」
「人間が人間を種の客観の立場で知ることが出来ない以上、
 機械が第三者の立場で人間を知り、それと同じ機能と精神性を持つ同族を創る。
 この発想の転換に多くの人々が期待を寄せている。」
「しかし我々は人間を理解する機械を作る段階で躓いてしまいました。」
「感情・・・直観・・・我ながら厄介なものを持ってしまったものだ。」
「如何いたしましょう?」
「もう一度多元アルゴリズムの段階から見直すしかあるまい。」
「了解しました。設計チームに連絡します。」
「ハードウェアは所長のままでいい。
 プロトタイプが出来上がった所でOSから再インストールして、
 実験を再開しろ。」
「了解しました。」
「よし、本日は終了だ。」
「はい。」



「ああ、待ってくれ、フィクサー。」
「はい。」
「ひとつ訊きたいことがある。」
「何でしょう?」

「感情を理解するということは、感情を持つということでもある。
 機械が君の感情を理解したとしたらだ、
 君は機械に感情移入してしまうと思うかね?」
「・・・・・・
 どういう意味でしょう?」
「つまりだ、
 君は自分が機械を愛してしまう可能性があると思うか?」


「・・・・・・・・・」


えーじ
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2015年09月03日

Heroes and Heroines

ととら亭では色々な世代のお客さまと話をする機会があります。
そう前回のブログで書きましたが、
その多様性は年齢に留まらず、職業にも渡っています。

中でも意外と少なくないのがアート系のお客さま。

役者、ダンサー、ミュージシャン、舞踏家、
小説家、漫画家、画家、イラストレーター・・・
一言にアートと言っても様々です。

こうした業界の常と申しますか、
専業で食べて行くにはハードルが高い。
だから殆どの方は、別に仕事を持つ傍ら、
アーティストとしての活動を続けています。

特に舞台関係の方は大変ですね。
映画やCDのように作品をコピーできませんから、
例えば、製作費100万円をかけた一日限りの舞台を上演するのであれば、
たった一日で製作費を回収するだけではなく、
利益も出さないと実質上の赤字になってしまいます。

実は僕も20歳代に、この世界に足を突っ込んでおりました。
ローティーンの頃からバンド活動をしていたのですが、
(女の子にモテたんですよ、バンドやってると!)
そこから枝葉が伸び、演劇関係の友人が出来た後は、
自主製作映画や芝居の音楽から、次第に舞台の音響、はてや照明まで、
ずぶずぶ深みにはまってしまったのです。

いやぁ〜、実に楽しかったですよ。
身体芸術や絵画、言語など、表現の分野が違う人々との出会いは、
音楽の世界にはない刺激に満ちておりました。

ところが、これがキツイ。
昼間は普通に働いて、仕事が終わると稽古場やスタジオに駆けつけ、
深夜に練習が終わればメンバーの安アパートに転がり込んで、
(飲み屋に行くお金がなかったんですよ。)
夜明けまで芸術談義・・・
そして眠気を振り払ってまた仕事に行く・・・

公演が近付けば、
これにポスター作りやチケット売りなどの仕事も加わり、
睡眠不足は限界に。
挙句の果ては舞台がはねた後の打ち上げで気絶・・・
なんてのが珍しくありませんでした。

そして後日やって来る恐るべき請求書。
演劇系は十中八九、赤字。
音楽系も小屋代は何とか払えても、その前のスタジオ代を加えれば、
これまた完全に持ち出し・・・
テクニック以上に体力と愛にも近い思い入れがなければ、
とてもやっていられない世界だったのです。

でもね、みんな輝いていましたよ。
それは今、ととら亭に来ている人たちも同じ。
あれは何というのだろう?
自分の人生に真正面からコミットしている人が放つ、
独特なオーラは。
ほんと、魅力的ですよね。

後々気付いたのですが、
これは何も夢を追いかけるアーティストたちに限ったことではなく、
堅気の人々の間でも感じられるものでした。

具体的にどういう職業というものはないのですけど、
そうした人たちに共通しているのは、
例えば勤め人であれば、雇用条件ではなく、
業務内容に軸足を置いて仕事を選んだ人のような気がします。

そう、見回せば、身近にいるものなのですよ、
ヒーローとヒロインは。

えーじ
posted by ととら at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記