2018年11月02日

旅の自由と責任と

何年もいろいろな土地を、職場を彷徨って、
40歳前後に気付いのは、
僕にとって大切なのはおカネや社会的な地位よりも、
人間としての自由だということ。
だから独立して旅を続ける今の自分は一大決心の結果ではなく、
こうした生き方を続けた成り行きなんですよ。

自由。
それはなにものにも代えがたい。

しかし僕の言う自由とは、
手放しで好き勝手に振る舞うことを意味していません。
ととら亭の仕事では経営責任が重くのしかかって来ますし、
取材や研修も個人旅行ですから、すべての結果は自分に返って来ます。

そう、自由とはただそれだけで成り立つ『権利』ではなく、
その結果の質量に比例した『責任』を伴っているのです。

で、責任です。

責任とれますか?

というのは日常的にもよく飛び交うフレーズですけど、
どういう意味で使っています?

辞書を紐解けば、
『立場上当然負わなければならない任務や義務』
とか
『自分のした事の結果について責めを負うこと』
なんて書いてありますけど、
目の前の具体的な事案に当てはめると実は漠然としているんですよね。

だから何かしでかして、
「どうすんのよ!」って詰問されると黙っちゃう。

自由主義者を標榜する僕としては、
『好ましからざる何か』が起こった時、
切るべきカードを持っていることが責任だと考えています。
(残念ながら関係者全員を納得させられるものではありませんけど)

そんなわけで今も来年の取材旅行のブッキングを始めていますが、
渡航先の選択もこのポリシーに照らして決めているのです。

旅の中で『カードを持つ』というのは、
置かれた状況をコントロールすることを意味します。

換言すると『何か』が起こった場合、
お手上げになる場所には行かないし、そうしたこともしない。

先に言いましたように、個人で取れる責任が限定的であるならば、
『自己責任』は勝手な旅の免罪符とはなり得ません。
ことそれが外国の場合、
状況によっては想像を超えた範囲の人や組織を巻き込み、
次元の異なる問題にエスカレートすることが考えられるからです。

そして最後に付け加えるなら、その旅の目的は、遊びも仕事も関係ない。
なぜなら『好ましからざる何か』を引き起こす相手は、
人間にしろ自然にしろ、
そもそも旅人の目的など関知していませんから。

『話せばわかる』は理想であって、
現実に適用できるケースは極めて少ない。

これは僕が旅で学んだことのひとつです。

えーじ
posted by ととら at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記