2019年07月28日

ととらな夏のマイブーム

関東地方でも遅ればせながら夏本番となりました。

そうなると、キッチンの温度は35度を超え、
今年も『フィットネスととら』の開店でございます。

いいですよ〜、
仕事をしながら無料でトレーニングもできちゃう。
砂漠や熱帯地方の取材に備えた体作りは、
こんな風にしてやっているのですね。

しかしながら問題もあります。

こう暑いとスタ丼みたいなコテコテ系を食べるのはちとつらい。
それからなるべく手間もかけたくないので、
さっと出来るものがいい。

で、頭を捻った最近のマイブームは・・・

「暑い時には熱い国の料理がいいよね!」

の、エジプト料理!

というのはコマーシャル。

舞台裏の賄いはなんとタイ料理です。

なかでも登場頻度が高いのは、ととら風カオマンガイ。
これ、海南鶏飯を祖とするタイの屋台飯の定番で、
簡単スピーディにできるわりに美味しくて栄養満点なのですよ。
今日はそのレシピをちょろっとご紹介しましょうか。

【材料(2人前)】

 鶏もも肉    2枚
 ネギ      青い部分 2本
 ショウガ    薄切り20グラム
 ナンプラー   適量
 ライム     1個(レモンでもOK)
 青トウガラシ  1本を薄くスライス(お好みで)
 日本酒     50cc
 水       1.5カップ

【作り方】
1。鍋に水、日本酒、ネギ、ショウガ、鶏もも肉入れて煮立てます。
2.沸騰したら弱火にしてそのまま15分煮ます。
3.火を止めて冷まします。
4.鶏もも肉を取り出し、食べ易い大きさにスライスします。
5.煮汁をもう一度火にかけ、沸騰したら火を止めてナンプラーで味を整えます。
6.小鉢にライムを絞り、同量のナンプラーと混ぜ、
  好みで青トウガラシの薄切りを入れます。
7.平皿にご飯とチキンを盛り、項番6のタレを添えてサーブします。
  もちろん項番5で作ったスープも忘れずに!

いかがです?
失敗しようがないくらい簡単でしょ?
実はこの脇役のタレが絶妙でね、
暑さでげんなりしている時でも食欲が出ること請け合いです。

きちんと栄養バランスを取るなら簡単なサラダを作り、
その上にスライスしたチキンを盛ってパクチーを散らすといいですね。
実際、僕らはそんな風にして食べています。

この簡単なタレ、いろいろ応用がききまして、
たとえばタイ風カルパッチョなんかも簡単に出来ます。

1.玉ねぎを薄切りにして水にさらします。
2.買ってきた刺身と項番1のオニオンスライスをボウルに入れ、
  先のタレで和えます。
3.パウチ―を散らして出来上がり。

これなら作るのに10分もかかりませんよ。
ご飯のおかずによし、ビールのつまみにもまたよし。
ぜひお試しを!

えーじ
posted by ととら at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月24日

最初の一杯と最後の一杯

2010年3月3日17時55分。

あの日、あの時は、
僕たちにとって忘れられない時間でした。

「外に誰かいるよ」
「え!? もう?」

旅の食堂ととら亭がいよいよ5分後に船出します。

僕たちにとって、最初のお客さんは誰だろう?
そして最初に注文を頂く料理は?

あれから9年余が経っても、
あの思い出は色褪せることがありません。

そして多分、最初のお客さまと同じように、
最後のお客さまもまた、忘れることがないのでしょう。

今日、僕たちのフェロー、『喫茶ハレの日』が閉店します。
7年に渡り、野方で共に荒波を越え続けた仲間を見送るのは、
同じ独立した経験を持つ経営者として、
言葉にならないものがあります。

それは多分、店が違っても、
自分の夢が形になっていったときの喜びや、
地図のない世界を旅する不安を共有していたからなのでしょう。

しかし旅人としては、また別の思いもあります。
ひとつの旅の終わりは、次の旅の始まりでもありますから。

けんちゃん。

最初に淹れた一杯のコーヒーと同じように、
最後に淹れる一杯の思い出を持って、
君の新しい旅が始まるんだね。

いってらっしゃい。
次もまた、君らしい、いい旅を。
またどこかで会おうぜ!

ともこ & えーじ
posted by ととら at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月23日

旅と政治

この両者は一見、無関係のようですが、
実は僕らのようなバックパッカーの場合、
訪れる国の気候や為替相場以上に、無視できない繋がりがあるのですよ。

と申しますのも、
各種入出国手続きに始まり、現地での移動から宿泊、飲食まで、
すべからく現地政府の『見えざる掌』の上で行わざるをえないのですから。

その『見えざる掌』とは法。
これが気を付けないと実に厄介でして。

こちらの感覚でいうと、
それがいかに不合理かつ理不尽なことでも、
僕らはそれに従わなければならない。
違反には想像を超えた厳しい罰則が待っていたりします。

そこで僕が旅の準備段階から入念に調べるのは、
現地政府の独裁性のレベル。

一党独裁型政治体制のベトナムやキューバ、中華人民共和国、北朝鮮だけではなく、
たとえ『民主主義』を謳う国でも、
事実上、野党の活動が不当に制限されていたり、
大統領や首相が三権の長の人事権を掌握したりしている国の場合は、
権力が一部に集中し、政府の活動が不透明化しているので要注意なのです。

また、そうした国の政府は、おしなべて本当の自分を知られることを嫌い、
かつ、自己イメージ以外のイメージを強く否定してきますから、
街中で写真を撮るにも、カフェで雑談するにも、
日本でならしなくていい注意を払わなければなりません。

でもね、
それが『旅先』であり続ける限り、
僕らにとって、どんな不便や不都合も一時の我慢でやり過ごせるのですよ。

しかし、これが『訪れる国』ではなく『帰る国』となると、
話が大きく変わって来ます。

そう、ロン毛の若僧だった頃はあまり気になりませんでしたが、
社会人となり、
何かといろいろな名目で税金を払わなければならない立場になったら、

ん? それってなんか変じゃない?

だけではなく、

年金問題みたいに、
おいおい、そりゃひどいじゃないか!

なことが、みるみる目につき始めたじゃないですか。

小さなレストランを営む一人の旅人が、選挙公報を読み込み、
ブログで時に堅苦しい話をするのも、そんな理由があったからなのです。

昨日も参議院選挙の泣ける投票率を取り上げましたが、
たとえ民主主義が導入されていても、
特に立法府への白紙委任状はヤバイ。

自分の意見を代弁する候補者がいないのであれば、
自分で立候補するのは難しくても、せめて白票を投じなくちゃ。
戦略的に政党バランスを変えるって方法だってある。
『政治不信』は選挙に行かないことの理由にはならないと僕は思う。

僕たち個々人が、
自分の頭で考えることを止め、
沈黙した先に待っていたのは何だったのか?
その答えを知るには、
この国の近代史を振り返るだけでも十分でしょう?

と苦言を呈しつつも、僕は今回の選挙だけではなく、
先般行われた統一地方選挙における中野区の結果は、
一定の前進があったと思っているのですよ。

それは政党バランスの改善です。

自民党だけで定数の半数を超える議席を持たせるのは、
日本の民主主義がまだ未成熟な50パーセント+1型に留まる限り、
独裁性を高めてしまうので公共の利益に反してしまいます。

他党との連立による政権は、そのリスクを減らし、
政治の透明性を確保するだけではなく、
与党を構成する政治家を謙虚にするという意味でも、
一定の効果が期待できるでしょう。

できれば3党で連立するくらいのバランスが、
日本の民主主義の成長過程では好ましいのではないか?
くらいに僕は考えているのですよ。
国会の議論は時に小学校のホームルームレベルになることがありますからね。
(ホント、ヤジを飛ばしたり、人の話を遮るのはやめましょう)

最後に偉そうなことをひとつ加えさせて頂きますと、
新しい参議院で議席につく政治家さんたちに取り組んで頂きたい課題は、
『妥協』という言葉の意味を、あらためて議論することかな?

これは避けて通るべき思想的、政治的敗北のラベルではなく、
価値観を異にする人々が、国々が、共存して行く上で必要な、
人類の叡智のひとつなのだから。

えーじ
posted by ととら at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月22日

民主主義の先輩として

昨日行われた参議院選挙の投票率は・・・

48.80パーセント・・・か。

世界では民主主義を勝ち取ろうと命がけで戦っている国もあれば、
与えられた選挙権を有権者の半数以上が自主的に放棄する国もある。

「あんたは日本人かい?
 日本は民主主義の国なんだろう?
 我々はいま、その民主主義を取り入れようとしているんだ!」

こう言われて苦笑するしかない僕の気持ち、
お分かり頂けますでしょうか?

えーじ
posted by ととら at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月20日

50パーセント+1の先へ

「あんたは日本人かい?
 日本は民主主義の国なんだろう?
 オレたちはいま、その民主主義を取り入れようとしているんだ!」

2013年2月。
ジャスミン革命の発端の地、チュニジアのチュニスで、
道行く人から唐突にそんな言葉を投げかけられました。
それも別の機会に別の人から2度も。

「みなさんなら出来ますよ。頑張って下さい!」

僕は握手に応えながらそう言ったものの、
実のところ、心中、微妙なものがありました。

確かに、一部の特権階級が支配する社会より、
民主主義の社会の方がいい。
でもね、それは即座に社会全体の幸福を約束するものではないんだよ。

僕は喉まで出かかったこの言葉を、
ぐっと飲みこんでその場を後にしたのです。

そう、改革に燃えるチュニジア人が言ったように、
日本は70年以上前から民主主義を導入しています。
しかし、今さら僕が言うまでもなく、
日本人がこの社会システムを使いこなしているとは、
お世辞にも言えないでしょう?

多数決で意思決定を行う。
この原則は正しい。

しかし全員一致などという結果は滅多にありませんよね?
ですから議決の後にはほとんどの場合、
意見を受け入れらず、取り残された少数派がいる。
そして僕たちのやっている民主主義は、それを無視して憚らない。
さながらひとつの勝敗型ゲームのように。

だってしょうがないじゃない?
あの人たち負け組なんだから。

そうかな?

ここに欠けているのは、自分たちとは違う意見を持つ人々への、
共感と敬意なのではないか?

これは国会審議の中でも具体的に見て取れます。

感情をむき出しにした与野党の対立と攻防。
飛び交うヤジ。
メディアまで参戦した揚げ足取り。

ここで忘れられているのは、日本は代表民主制の国であり、
国会議員はいずれも多くの有権者の代表であり、
また僕たちの希望や意見の代弁者でもあるということです。

ですから、
「xxxヤメロ!」とか「打倒xxx!」というのは、
xxxに誰の名前が入るにせよ、そのxxx議員を国会に送り込んだ有権者、
つまり、同じ同胞に向かって「お前たちの意見になんか聞く耳もたん!」
というのと同じことなのですよ。

ここでも欠けているのは、国会議員同士の敬意なのではないか?
お互い一個人ではなく、有権者に選ばれた責任ある代表者なのですから。

もうひとつ、僕が外国で歯切れ悪くなるのは、
有権者としての行動です。
もうそろそろ、

学校の先輩だから、とか、

同じ町内に住んでいるから、

うちの地域に利益をもたらしてくれるから、

ではなく、国政選挙であれば、

日本のあるべき姿とは?
世界の中でどのように振る舞うべきなのか?

という視点に立ち、
自分で考えて、自分の意見を持って投票する。

選ぶ者、そして選ばれる者が、たったこれだけでも変われれば、
いま、ここにある問題の、多くが解決へ至るレールに乗るのではないか?

僕はそんな思いで、
昨日、期日前投票に行って来ました。

少しは、この国が変わるかな?

うん、その可能性はあると思います。
これを読んでいるあなたが明日、投票所へ行けば。

えーじ
posted by ととら at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月17日

第18回取材旅行 その14 最終回

あいやぁ〜・・・今年もやっとここまで来ました!

僕たちの1年間の仕事の波は、
11月上旬に行く研修旅行に始まり、そこから年末年始の繁忙期、
冬のメニュー変え、冬の取材旅行、決算、春のメニュー変え、
ゴールデンウィーク、夏の取材旅行、夏のメニュー変え・・・

絶え間なく続くビッグイベントを乗り越え、
この7月の連休が終わったところで、
はぁ〜・・・ようやく今年も上期が乗り切れたな・・・
と、ひと区切りつくのです。

ここから9月の連休までが、
年間を通じて最も時間的な余裕のできる時期。
今はあれこれ予定を詰め込まず、
とりあえず、読書の時間をもう少し取ろうかな?
くらいに考えています。

さて、その前に、ここまでの締めくくりとして、
夏の取材旅行をまとめておかなければなりませんね。

今回訪れたのは中国の東北部とモンゴル。
準備編でお伝えしたミッションその1は、
『日本ギョーザの源流を探る』でした。

取材地はハルビン、長春、瀋陽、北京の4都市。
そこで胃袋の限界まで餃子を食べ続けて分かったのは、
瀋陽で食べた煎餃(チェンジャオ)が、焼くという加熱方法、
焼いた面を上にする盛り付け方の点で、
日本ギョーザに最も近かった、ということです。

しかしながら、ここで一足飛びに、
『日本ギョーザは瀋陽タイプが伝わったのだ!』とは言えません。
なぜなら、
煎餃は餃子を主に売り物とする専門店以外では見かけておらず、
主流は圧倒的に茹で型の水餃(シュイジャオ)だったからです。
煎餃の通時的な位置づけがはっきりしない限り、
確率的にもなんとも言えないでしょう。

では、最も一般的に食べられている水餃に起源を求めるなら、
皮の厚みの点でハルビン型が最も近いのですが、
ここでも時間的なギャップの問題は避けて通れません。

なぜなら、
もし日本ギョーザが中国の東北部に展開していた、
関東軍や満州開拓団の引揚者が伝えたのだとしたら、
その時期は太平洋戦争が終わった1945年前後が中心となるので、
約74年もの時間差がありますからね。

ん〜・・・
この辺はいずれも水餃と煎餃の通時的な変化をどのように調べるか?
その方法を考えることが次の課題でしょう。

次はミッションその2、
『モンゴルギョーザと中国餃子の関係を調べる』です。
取材対象はボーズとバンシ。
このふたつ、ボーズの方は料理名からして、
包子(パオズ)と呼ばれていた頃の餃子が伝わった可能性が高いのではないか?
これは中央アジアにギョーザとして伝わった饅頭(マントゥ)が、
変名後の中身のない肉まん状態であることからも、
裏付けられているではないかと考えられます。

しかし、では『モンゴルのギョーザはすべて中国起源のものである』
と言いきれるかというと、これまた断言するには材料が足りません。
その不足した材料とは、もうひとつのギョーザであるバンシの出どころ。

バンシという料理名にはモンゴル語としての意味がなく、
かつ中国語(北京語)にも該当する語がないと分かった次の疑問は、
その語はいったいどこから来たのか? です。

そこで、その手掛かりは中国餃子が生まれたとされる華北平野、
そこに多く住んでいた満州族が持っているのではないか?
次はそこをつついてみる価値がありそうですね。

こうして駒を進めた今回の取材旅行。
例によってひとつの答えがふたつの疑問を生み出してしまいましたが、
そもそも2週間の旅で答えが見つかるとは考えていませんでした。

僕らの旅は、まだこの広大な星の上で点を打つ程度のものなのですよ。
その点と点がどんな線で結ばれるのか?
そしてその線が描く絵は、いったいどんなものなのか?

残された次の課題に取り組みつつ、
探し続けて行きたいと思っています。

mn_us.jpg

See you on the next trip!!

ともこ & えーじ
posted by ととら at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月12日

第18回取材旅行 その13

昨夜はエジプト料理特集の初日。

取り上げた4種類の料理それぞれにご注文を頂き、
お客さまの反応を見て二人ともほっとしました。
絞り込んだ料理の再現にはいつも以上に自信がありましたけど、
僕たちの自己評価と皆さんの客観的な感想は別ものですからね。

今回はその料理だけではなく、
店内でディスプレイしている現地の写真にも手応えを感じています。
実は旅行に出る前に作った取材計画には、料理以外に撮影も含まれていまして。
メニューやディスプレイで使うために、
どこでどのような写真を撮るのか、あらかじめある程度は決めているのですよ。

しかしながら、天候や現地の治安状況などで、
考えていたような写真が撮れない場合も少なくありません。
エジプトもまた例外ではなく、
場所によってはカメラそのものが取り出せないような状況もありました。
まぁ、結果的にはシャッターチャンスに恵まれ、
僕たちの旅の雰囲気が、よく描写できたのではないかと思っています。
特にカウンターにディスプレイした市場の人々の写真は自信作なのですよ。
____________________________________

さて、メニュー変えが一段落したところでまたしても頭の切り換えです。
エジプトとモンゴルは文化的にも気候的にもかけ離れていますからね。
それじゃ、ちょいと精神を集中して・・・行ってみましょうか!

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ウランバートルは大きな市街地ですが、
(大都市・・・ではないと思う)
それでも自動車で30分も走れば周囲の景色が一変します。
僕たちが向かっているのはテレルジという郊外の地域。

mn_camproad.jpg

ここでの目的のひとつはゲルに泊ること。
そこで訪れたのがツーリストキャンプです。
ウランバートルから東北東へ50キロメートほどの距離なので、
バスでも行けるかしらん?
と最初は考えていたのですが、
イヤな予感があってピックアップサービスをお願いしました。
現地まで来てみるとその予感は的中。
テレルジは街というより、まさしく地域で、
広大な丘陵地帯にキャンプサイトが点在しているのですよ。
で、バス停から僕らが予約したところまでは、
ゆうに5キロメートル以上の距離がありました。
幹線道路からさらに写真に写っているような道の奥だったのです。

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おお、これこれ!
せっかくモンゴルまで来たのだから、
こういうトラディショナルなゲルに泊ってみたかった。
最近のトレンドはなんとバス、トイレ、バルコニー付きなのですけど、
それでは僕たちにとって意味がありません。
やっぱりこうでなくちゃ!

mn_geru02.jpg

入った内部はご覧の通り。思いのほか広いですね。
中央部では僕が立ち上がっても頭上に余裕があります。
中心に薪ストーブが置かれ、
ローテーブルが一つあったので仕事をするにも便利。
照明は、さすがに電気が来ていました。
まぁ、これは遊牧民のテントも最近は発電機やソーラーパネルで、
ある程度の電化はされているそうですから同じかな?
テントの材質は羊毛のフェルトです。
トレッキングやツーリングでよくテント泊していた僕らからすれば、
これはもう限りなく家に近いですね。
それもそのはず、ゲルとはモンゴル語で『家』の意味ですから。

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キャンプサイトは小高い丘を背にしており、
荷物を置いた僕らは誰もいない道なき道で、
ショートトレッキングを楽しみました。
そこで見つけたのが『オボー』。
これは日本の道祖神にも近いもので、
丘の上や峠道に石を積み、土地の守護神を祀ったもの。
チベット仏教が伝来する以前からある古い信仰のひとつです。

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ここでのもうひとつのミッションはクッキングクラス。
これ、本来は研修旅行で参加するものなのですが、
今回は一般的な飲食店だと、
調理関係者に英語でインタビューするのが難しかったので、
ここならうまく情報が引き出せるのではないか、と考えたわけです。
場所はキャンプサイト併設レストランのキッチン。

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先生はモンゴル人の女性シェフ。
彼女は英語を話さないので右の青年が通訳してくれました。
といっても、彼のスキルも怪しく、
頼みの綱はやっぱりスマートフォン・・・か。
時代は変わりましたね。

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で、こちらからリクエストした料理は、
もちろんモンゴルギョーザのバンシとボーズ。
お〜、さすがギョーザを作り慣れているともこ料理長。
余裕の笑顔じゃないですか。

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出来ました〜!
左がバンシ、右がボーズ(ブーズと聞こえます)。
中身の肉は一般的にラムが主流ですが、今回はビーフ。
それに玉ねぎのみじん切りと塩とブラックペッパー、水のみのシンプルな具。
両者の違いは大きさのみ。
加熱方法はバンシが基本的に茹で、ボーズは蒸します。
予想通り、ボーズは中国の包子(パオズ)が伝播したものだとのこと。
語音からしてこれはその通りでしょう。

しかし新たな謎になってしまったのがバンシ。
これはモンゴル語で意味がないとのことでした。
ということは借用語。
英語が堪能なキャンプサイトのマネージャーは、
バンシもまた中国から伝わったものではないかと言っていましたが、
それをととら亭に来ている中国人のお客さま2名(漢族)に確認すると、
バンシに対応する北京語はないそうで。

ん〜・・・どこからどう借りて来たんだ?
もしかしたら餃子発祥の地域と考えられる華北平野に多く住んでいた、
満州族の言葉かもしれませんね。
宿題になってしまいました。

mn_restaurant03.jpg

今回、僕たちがモンゴルで取材していた場所の多くは、
こうしたローカルレストラン。
ウランバートル駅の北側には、こうしたお店がたくさんありました。
中にはオーナーが日本贔屓で碁に詳しく、
来日経験があった方も。

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バンシやボーズは幾つかのバリエーションがあり、
他のギョーザ文化圏で見かけなかったものの一つがこれ、
バンシタイツァイ。
なんとミルクティーにバンシが入っているのです。
一瞬、うげ・・・と思いましたが、
砂糖が入っているわけではなく、茶の味も薄いので、
ミルクスープギョーザに近いかな?
やさしい味で温まります。

mn_friedbuuz.jpg

これはモンゴル版煎餃(チェンジャオ)とも言えるシャルサンボーズ。
ボーズを焼いたものです。食べ方としては明らかに亜流でした。
ローカルしか来ないような飲食店では、僕らが見た限り、
焼きタイプは見かけませんでした。
でも、ボーズ屋は至る所にあったので、偶然かもしれませんが。

mn_huushuur.jpg

そして国民的な料理ともいえるホーショール。
これは2ミリほどの厚さに伸ばした小麦粉の生地で、
ラムの叩き肉(挽肉ではありません)を包み、油で揚げたもの。
熱々でかぶりつくと肉汁がじゅわっと出てきます。
中身の材料は基本的に先のバンシやボーズと同じ。

それにしても困ったのはボリュームでした。
これね、ひとつに入っている肉の量が80グラム前後はあるのですよ。
それが『1人前』で5個でしょ?
他の料理も食べなければならなかったので、
ともこがひとつ、僕がふたつでギブアップ。
え? 現地の人たちはどうなんだって?
もちろん彼、彼女らは完食ですよ。
同じモンゴロイドとは思えない食べっぷりでした。

mn_noodle.jpg

モンゴルでは麺もよく食べられています。
この麺、種類としては日本でいう『うどん』に近いですね。
写真は中でもポピュラーなツォイワン。
中国の炒麺(チャオミェン)が伝わったものと言われています。
最初、中央アジアのラグマンに近いのかな?
と思いましたが、スパイス感はまったくなく、
シンプルなラム肉、野菜入り焼うどんという感じ。
これも美味しかったのですが、量が多すぎて・・・

mn_griash.jpg

ギョーザと並んで重要な取材対象だったゴリヤシ。
なんとハンガリーのグヤーシュが伝わったものだと言われています。
もしかてハンガリー人(マジャール人)がかつてウラル山脈の南西部に住み、
遊牧生活を送っていた時にモンゴル人と接点を持ったのか?
と思いましたが、ことの真相は、ぜんぜん新しく、
社会主義時代にハンガリーに留学した人々が伝えた可能性が高いとか。

で、どんな風にローカライズされていたかというと、
肉がビーフからラムに、パプリカがトマトに置き換わり、
グヤーシュで基調となるスパイスのキャラウェイが完全に抜かれていました。
そして供し方は、ライスとガロニの野菜が加わり、
一種の定食となっていたのです。
いまではランチタイムの定番だそうで。
オリジナルとは似ても似つかないものになってたものの、
これはこれで悪くなかったですね。

mn_schnizzel.jpg

もうひとつ面白い料理をご覧に入れましょう。
これ、なんだと思います? カツレツなんですよ。
正確にいいますとシュニッツェルです。

日本でもほぼ和食と化したカツレツ。
そのルーツはイタリアのミラノ風カツレツ(Cotoletta alla milanese)
に遡るという説があり、僕もその線で調べています。
これがイタリアの北方で国境を接するオーストリアを経由した際に、
シュニッツェル(Schnitzerl)という名で語変換が起こり、
この名前で広がったルートがあるのですね。

そのひとつがブルガリア。
ととら亭でも紹介したことがあるブルガリアのシュニッツェア
これはオリジナルどころかウィンナーシュニッツェルとも違っており、
なんとチキンの挽肉のピカタになっていたではないですか。

そこでモンゴルです。
先のゴリヤシと同じく、社会主義時代のパイプから、
モンゴルはブルガリアとも関係がありました。
その文化的交流を裏付ける物証のひとつがこの料理かもしれません。
モンゴルではブルガリアのシュニッツェアの肉がチキンからビーフに置き換わり、
ヨーグルトではなく、グレービーソースが添えられていたのです。
同じ政治的なつながりでも、ソビエトバージョンにはならなかったのですね。
ソビエト、ポーランドでは Cotoletta alla milanese の語の前半で伝わり、
(日本も同じですね)
ソ連型コトレットは、日本でいうメンチカツレツになっていたのですから。

mn_restaurant01.jpg

さらにローカル色が濃い場所として市場の食堂にも行ってみました。
しかし、これは探すのがちょっと難しい。
ナラントールザハの外周部を歩いていると、なにやらいい匂いがしてきたのですが、
飲食店と思しき店はどこにも見当たりません。
そこでくんくん匂いの元を辿って行けば、どうやらこの奥に飲食店がありそうです。

mn_restaurant02.jpg

そこで狭い通路に入ってみると・・・
ありました! 字義通り、鼻で探したローカル食堂。
もちろん英語のメニューはなく、イングリッシュスピーカーもゼロですが、
壁に写真入りメニューがあったので一安心。
「サイバイノー(こんにちは)!」の挨拶以降はボディランゲージで注文完了です。
人気店なのか、お客さんがひっきりなしに出入りし、テイクアウトも盛況でした。

mn_lunch.jpg

僕がオーダーしたのはゴリヤシ、バンシュタイシュル(ギョーザスープ)、
ニースレル・サラート、マントゥのセット。
まだ紹介していないものを説明するとですね、
ニースレル・サラートは直訳すると首都サラダ。
これはソビエトからサラート・オリヴィエを端とする、
サラート・ストリーチヌィが伝わったものと考えられます。
かつてはレストランエルミタージュの看板料理と言われた、
幻のサラダだったようですが、
いまでは普通のポテトサラダになってしまいました。
で、興味深いのはマントゥ(写真右下)です。
これは中身のない中華まんじゅうのようなものですが、
ここにモンゴルへ中国から餃子が伝播した時期を見定めるキーがあるのですよ。

なんと、中国の餃子(ジャオズ)はかつてマントゥと呼ばれていました。
この古い時期にトゥルク系の人々に伝わったと思われ、
トルコを始め、ウズベキスタンなど中央アジアの国々から、
アルメニア、モルドバではマンティ、マンティーヤなど、
マントゥ系の名前で根付いています。(詳しくは拙著をご参照くださいませ)

興味深いのは、
中国でマントゥと呼ばれた食べ物が包子(パオズ)と変名したこと、
さらに饅頭(マントゥ)という言葉が消えたのではなく、
中身のないパン状の食べ物を指すようになったことです。
つまり、この語変化を念頭に置くと、
モンゴルにギョーザが伝播したのは、
トゥルク系よりも遅れた語変化後の時期ということになるのではないか?
市場のローカル定食の一皿が、その仮説を裏付けているとは。
ん〜、盛り上がって来たぜ!

mn_airport.jpg

と、俄然エンジンがかかってきたところで時間切れ。
この気持ち、分かります?
あらたな謎とそのヒントを前にして撤収しなければならないのですからね。
でも、だから旅には終わりがないのですよ。

ウランバートルのチンギスハーン国際空港は、
街の中心から南西に自動車で20分ほどの場所。
ボーディングゲートが4つしかない小さな空港でした。

mn_aprest.jpg

早朝のフライトだったので、朝食はチェックイン後にカフェで摂りました。
ここで残りのトゥグリクを全部使い切り、
僕たちは帰途についたのです。

そうそう、帰りの機内で僕の頭にあったのは、
帰国して始めるととら亭の再起動ではなく、
次回のモンゴルの取材計画でした。

to be continued...

えーじ


mn_airmeal.jpg

おまけです。
これは・・・イマイチ。
ミアットモンゴルさん、次回に期待しています!
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2019年07月10日

エジプト料理特集が始まります!

僕にとって頭脳労働の種類は、ふたつしかありません。

それは反復的なルーチン作業か、
ゼロから何かを創り出すクリエイティブな作業か。

子どもの頃から得意なのは後者の方なのですが、
だからと言って、
いつでもどこでもすいこら出来るわけではありません。

まず睡眠時間をしっかり取って頭のコンディションを整えることが大切。
寝不足で疲れていると、いくら考えても出てくるのはノイズばかりですからね。

そしてコーヒーでメインシステムを起動させて、
静かな環境にお気に入りのチルアウト系かジャズのBGMが流れると、
ようやく心の白紙にイメージが浮かび上がって来るのですよ。

まさにこうした状態で、
昨日の朝からシャッターを下ろしたお店にこもっていました。

やっていたのは旅のメニュー変え。

ところが、時々、先の条件が満たされていても、
この仕事が難しくなることがありまして。

その難関とは頭の切り換え。

やるとなれば、対象に感情移入するほど深くダイブするのは、
ある意味、旅と同じでして。
ほら、先日もなかなか頭がウランバートルから東京に切り替わらないって、
お話をしていたでしょう?

今回は旅から帰ったばかりでしたし、
おまけにビジュアルレポートも書いていたので、
東京にいても頭をちょくちょくモンゴルにリンクさせていました。
そこから2日間でエジプト料理特集に切り替えねば!
というのは、帰国しての精神的な環境適応以上に難しい。
モンゴルとエジプトは文化的にも気候的にもかけ離れていますからね。

で、昨日の午前中は、どうにも調子が上がらず、
エジプト関連の資料や写真を見返しながら、
意識のベクトルをなんとか変えようと、じたばたしておりました。

え? リリースが遅れる伏線を張ってるのかって?

違いますよ〜!
その遅れを深夜で取り戻し、なんとかここまでまとめてみました。

エジプト料理特集

ほんの半年前の旅でしたが、
いま振り返ってみても、ホント、感慨深い日々だったなぁ、
としみじみ思います。
エジプトもまた、
未だ消化しきれない、たくさんのことを教えてくれましたから。

今回、再現した料理は気張って4つ。
この一皿一皿を通して皆さんと旅の記憶をシェアできたら幸いです。

えーじ
posted by ととら at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月08日

第18回取材旅行 その12

ん〜・・・
ザミンウードからの夜行列車移動に続き、
後半のビジュアルレポートモンゴル編は1回でまとめようとしたのですけど、
やっぱり無理がありました。

なにせ肝心の写真が絞り込んでも43枚あったもので。
(実際に撮影したのはモンゴルだけで856枚)

そこで2回に分割し、
今日はウランバートルを中心にお伝えしようと思います。

mn_citycentre.jpg

とその前に、
モンゴルの概略からお話した方がいいかもしれません。
意外と近くて遠い国ですからね。
面積は日本の約4.1倍、しかし人口は東京都民の約1/4(約324万人)という、
日本とはかけ離れた人口密度の薄い国です。
確かに前回ご覧いただいた大草原の風景を思い起こすと、
なるほどそうだろう、という気がしてきますよね?
ところがその人口の約1/3以上に相当する約1300万人が、
ここウランバートルに住んでいるとなると、
これまた首都の事情は変わってきます。
中心となるスフバートル広場の周囲はこんな風に、
ビルが立ち並んでいました。

mn_traffic.jpg

当然、ところによって道路は大渋滞。
プリウスなどのハイブリッド車がだいぶ走ってはいましたが、
これらの排気ガスに加え、暖房で使われる化石燃料の煤煙で、
冬のウランバートルの大気汚染は深刻なレベルになっているそうです。

mn_ubstationrain.jpg

しかしながら新宿のような高層ビル群に埋め尽くされているかというと、
そういうわけでもなく、スフバートル広場周辺を除けば、
人口と経済規模に応じた社会主義時代のレガシーが広がっていました。
僕らが到着したウランバートル駅は街の南西のはずれにあり、
周辺はどちらかというと所得の低いローカルタウンです。

mn_hotel01.jpg

で、予約していたホテルが消滅していたため、プランBで泊ったのがここ。
駅の北側200メートルくらいのところにあります。
1泊朝食付きのダブルルームが日本円で約3,560円也。
窓枠やシャワールームのドアが壊れていましたが、
居心地はけっこう良かったです。

mn_money.jpg

通貨はトゥグリク。(TgもしくはMNTで表します)
物価はウランバートルで東京相場の1/4程度でした。
それもそのはず、モンゴル人の平均月収は約81,500円。
これは日本人の23.8パーセントに相当します。
でも収入格差は日本より少ないのですよ。

mn_apart.jpg

ホテルの周囲には、
こうした社会主義時代からある古いアパートがたくさん残っていました。
いずれも老朽化が進み、ご覧のような外観です。
何年も修繕していないのでしょうね。
夜になると外灯が少なく初日はちょっと怯みましたが、
僕らが行動した範囲で治安に不安を感じることはありませんでした。

mn_street01.jpg

昨年は6.9パーセントもの経済成長率をマークしているとはいえ、
こうした路地が錯綜する街を見ていると、
実体経済の中身は伴われていないような気もします。
あ、これは日本も同じでしたね!
(でしょ? 麻生さん!)

mn_toyokoinn.jpg

建築途中のビルと言えば、平和通りで東横インを見かけました。
走る車の9割が日本製と言われ、
ちょっと洒落たレストランでは日本人ビジネスマンの姿もあったことから、
日本との経済的なパイプは細くないのでしょうね。

mn_corporate.jpg

しかしながらこうしたボードを見ていると、
両国関係の軸足はハードよりソフトのような気もします。
貿易は輸出入ともに大きく中国に依存し、
日本は輸入相手としてはロシアに次ぐ第3位。
JICAさんの支援内容を見てみると、
鉱物資源の開発やインフラ整備より、
環境、医療、教育にポイントを置いていることが分かります。
ODAのあり方も変わって来ましたね。

mn_temple.jpg

翌日は再建されたガンダン寺へ行って来ました。
これ、僕も取材が決まって下調べをするまで知らなかったのですけどね、
モンゴルはソビエトに次ぐ、史上2番目の社会主義国だったのですよ。
ということは・・・『宗教は毒』ということになりまして、
当時の寺院はことごとく破壊されてしまっただけではなく、
僧侶たちも粛清の対象となってしまいました。
なので今あるこうした寺院は1992年に民主化されて以降、
再建されたものがほとんどなのです。

mn_mani.jpg

その弾圧された宗教とはチベット仏教。
これはネパールなどでも寺院で見かけるマニ車です。
側面にマントラ(真言)が刻まれており、右回りに回転させると、
回転した数だけお経を唱えたのと同じ功徳があると言われる便利もの。
実はモンゴルとチベット仏教の関係は深く、
ダライ・ラマという称号は、モンゴルのアルタン・ハーンから、
チベットで1543〜88年に在位したスーナム・ギャツォ、
(ダライ・ラマ3世)に贈られたものなのですよ。
で、なるほどその意が、
ダライ(大海(モンゴル語))+ラマ(師(チベット語))となったのですね。
さらにダライ・ラマ4世となったユンテン・ギャツォは、
アルタン・ハーンの曽孫にあたるモンゴル人。

mn_panda.jpg

閑話休題。
真面目なお話が続いたのでクイズです。
上の写真のキリル文字はなんと書いてあるのでしょう?
答えは文字の右側に・・・

mn_zaha02.jpg

さて、飲食店に次いで僕たちの取材場所と言えば市場。
民主化されてショッピングモールなども増えたとはいえ、
やはり庶民の生活を支えているのは大小さまざまな市場です。
これはウランバートル最大級のナラントール・ザハの入り口。

mn_zaha01.jpg

この市場は生鮮というより衣料品から家具などの生活雑貨が中心です。
中にはモンゴルならではの商品を扱うエリアがありました。
そう、馬具や放牧用品です。
あ、なぜか西洋式のキャンプ用品もたくさん売っていたな。
ゲルがあるのにナイロンテントなんて使うのかしらん?

mn_market01.jpg

生鮮系は市内中央に近いメルクーリ・ザハの担当ですね。
規模はそれほど大きくありませんが、食料品はひと通り揃っています。

mn_vegetable.jpg

新鮮な野菜や肉がところ狭しと並んでいました。
質、鮮度ともに抜群。買って帰りたい!
しかし野菜の殆どは中国から輸入しているのですよ。
そもそもモンゴル人は今でも野菜はあまり食べないので。
その反面、肉食う人ゆえに、
ラムを中心とした肉類のグレードはさすがでした。
この辺は『地球でオオカミの次に肉を食べているのは自分たちだ!』
と豪語するカザフ人とも共通していますね。

mn_market02.jpg

おっと、日本とのパイプはこんなところにもありました。
中国、韓国とならんで日本の食材もけっこう充実しています。
これなら長期滞在も苦になりませんね。

mn_fish.jpg

少ないながらも鮮魚の取扱いだってあります。
と言っても内陸国ですから基本は淡水魚。
ん〜・・・ちょっと種類は・・・分からないな。

mn_frozenbuush.jpg

最近は一人暮らしや忙しい共働きの家庭が増えたのか、
日本と同じく、冷凍食品も一般的になっていました。
で、やっぱりありましたね。
ボーズとバンシ。

mn_cheese.jpg

しかし、モンゴルらしさを一番感じる食品は、
なんと言ってもチーズでしょう。
遊牧民が持つ乳を使った食品製造技術は極めて高いレベルなのですよ。
ウシだけではなく、ヒツジ、ヤギ、ウマそしてラクダまで、
その採乳時期と成分特性に合わせた様々な乳製品が作られています。

mn_milkseller.jpg

そしてこと乳製品に関してなら、
工場ではなく各家庭、つまり遊牧民のゲルで作られているので、
街角にはこうした『即席直販所』が現れます。
これはミルクではなく、馬乳酒かもしれないな。

mn_cheeseguy.jpg

市場でチーズのサンプルを買おうとしていたら、
片言の英語が話せる親切なお兄さんが、各種類を少しずつ分けてくれました。
で、お代はどうなるのだろう?
明らかに相場を知らない外国人なのだからふっかけて来るかな?
と思ったら、値段からしてまったくのローカルプライス。
こういうところもモンゴリアンらしいですね。
バイラルラ(ありがとう)!

さて、次回はゲルに泊ったテレルジのキャンプと、
ととら亭ならではのチョイスで取材した、モンゴル料理をご紹介します。

お楽しみに!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月05日

第18回取材旅行 その11

取材旅行から戻って4日が経ちました。

不思議なもので、
ようやく旅人モードが日常モードに変わったと思ったら、
今度は、

「え? 5日前はまだウランバートルにいたのか?」

そんな具合に旅の経験が、
実際に流れた時間以上の彼方に行ってしまったような気がしています。
ま、これも毎度のことで、
渡航地と東京の文化的、気候的ギャップが大きいと仕方がないのですよ。

それでいて、現地で目の前にしていたにもかかわらず、
気付かなかったことが、じわっと思い浮かんで来る。

ああ、あれはそんな意味だったのかもしれないな・・・

こうした旅のフラッシュバックは、
人間の記憶のメカニズムを解明する、
いい手掛かりになるのではないかしらん?
そんな風に思えてなりません。

特にこうして写真を整理しながらブログを書き始めると、
なおさら奇妙な気分になってきます。

では頭が10日ちょっと前の時間にシンクロしたところで、
ザミンウードからウランバートルへ至る、
鉄道の旅に戻ってみましょう!

mn_zustation01.jpg

ひやひやしながら中国・モンゴル間国境越えた僕ら。
ザミンウード駅横の駐車場でバスを降ろされて、
やっと肩の力が抜けました。
駅舎は中国と大きく違い、バスターミナル?
と見紛いかねない佇まい。
でも、どこかほっと安心できる雰囲気がここにはありました。

mn_zutown01.jpg

この小さな駅が中心の、それこそゲートウェイでしかない街なので、
駅前もまたご覧の通り。観光地的な要素はまったくありません。
でも食堂やスーパーマーケット、ATMなど、
旅人に必要なものはあらかた揃っているのでけっこう便利。

mn_zustation03.jpg

駅舎の隣には不釣り合いにモダンな建物が。
これはモンゴル鉄道の事務所で1階が待合室、
2階にチケット売り場があります。
駅舎より広く、居心地がいいので、雨の時の待機場所にはいいかもしれません。
僕はここでダウンロードしたe-チケットが本当に使えるのかを確認。
と申しますのも、
ウランバートルに住む、会ったこともないモンゴル人ベンダーに、
ウェブ経由で購入してもらったものなのですよ。
結果はOK。

mn_banshitaisyul.jpg

出発まで2時間近くあるので、ちょっと早い夕食に行きました。
入ったローカル食堂はファーストフードっぽい作り。
カウンター上にある写真入りのメニューを見ながら先払いで注文します。
分かり易いからモンゴル語が読めなくても心配ありません。
さっそく取材を始めて頼んだのがバンシタイシュル。
これは直訳するとギョーザスープです。
バンシとはモンゴル語でやや小ぶりのギョーザのこと。
エレンホトで食べた水餃とほぼ同じものでした。
思えばあの店もモンゴル系でしたしね。
これが濃厚なラムのスープに入っています。
でも、モンゴルらしさを感じたのはバンシ以外の具から。
ラムのコマ切れ肉がどっちゃり入ってるのですよ!
もうスープというよりシチューのような感じ。
ん〜、まさしく肉食う人たちの料理なのね。
ボリューム満点です。

mn_food01.jpg

もう一品は細切り肉を炒めたシャルサン・マフタイ・ホールガ。
ちょんもり野菜とライスが付いて定食風になっています。
肉はラムが主流ですが、バンシと被るのでこれはビーフバージョンです。
味付けは塩のみのシンプルテイスト。
以上の2品でお代は日本円にすると450円くらい。
中国に比べても物価がぐんと下がりました。
それもそのはず。日本と平均収入で比較すると、
モンゴルは4分の1強くらいなのですよ。
ですから僕らに安い食事も彼らには普通の価格になります。

mn_zustation02.jpg

うう・・・お腹がパンパンになったところでスーパーに行き、
車内で食べるパンと水を調達。
ホームに行くと列車が来ており、乗客もぼちぼち集まって来ていました。
みなさんかなりの荷物。ほとんどがモンゴル人だと思います。
パッと見渡して欧米系、もしくはバックパッカーの姿はゼロ。

mn_zustation05.jpg

これ、なんて書いてあるか分かります?
キリル文字をラテン文字に変換すると『Zamin uud - Ulaanbaatar』、
つまり『ザミンウード ー ウランバートル』。
行き先表示がこうなので、読めないと、どこ行きなのか分かりません。
事前のお勉強が必要な理由のひとつです。

mn_zustation04.jpg

さて、乗車時間はまだですが、
20両以上もある長い車列で迷うのは避けたい。
そこで今のうちに自分のコーチを探しておきましょう。
僕らが乗るのは7号車。
目の前にあるのは・・・9号車か。
で、右側は・・・10号車、ということは左に行けばいいんだな。

mn_tarain03.jpg

出発は18時4分。
30分前にコーチのドアが開き、
たくましい体格の女性の車掌さんが降りてきました。
彼女を一目見て思い出したのは、
アゼルバイジャンからジョージアへ行く夜行列車で会った車掌さん。
同じたくましい体格&社会主義フェイスの女性で、
命令調の話し方からロッテンマイヤーさんと呼んでいました。
でも、今回はやさしかったな。怒られませんでした。
列車に乗り込んだら今度は11番コンパートメントを探します。

mn_tarain01.jpg

おお! いいじゃん!
北京西からウランチャブまで乗ったものとは雲泥の差。
僕らのベッドは Lower なので4人コンパートメントの下ふたつ。
これが使い勝手最高なのですよ。ですから Upper は人気がありません。
ともこは早速くつろいでのんびり。
国境越えは疲れましたからね。
同室だったのは、ウランバートル在住の20歳代前半の新婚さん。
言葉は通じませんでしたけど、あまりのラブラブさ加減で分かりました。
お幸せに!

mn_tarain02.jpg

車両の端にはこんな給湯器があります。
いつでも熱湯が使えますからお茶のほか、
カップラーメンを食べている人の姿も。
そういえばこの仕掛け、アゼルバイジャンやカザフスタンなど、
他の旧社会主義国で乗った鉄道にもあったな。
ソビエト標準なのかしらん? 便利でいいです。

mn_trainview03.jpg

ほぼ定刻に列車は発車し、10分も走ると車窓から見える風景はご覧の通り。

mn_trainview02.jpg

草原、そして草原、また草原。真っ直ぐな地平線。
日本では北海道ですら見られない光景でしょう。
単調と言えばそうですが、見ていて飽きません。
この大地の標高が1200メートル前後もあるとは、
まさに地球の大きさが感じられますね。
あれ、新婚さんは抱き合って眠っちゃった!

mn_trainview04.jpg

時折、こうした小さな街で停車します。
でも荷物の上げ下げや人の乗降の気配はなし。
単線の通過待ちかもしれません。

mn_trainview01.jpg

列車は20両以上の長さ。これは7号車から先頭方向を見たところ。
後はカーブだと最後尾が見えないくらいです。

mn_sunset02.jpg

時刻はまもなく20時。
はるかな地平線に太陽が沈んで行きました。
雲の下から抜けた光が神秘的な直線を描いています。

mn_sunset01.jpg

美しい。
いや、そんな平坦な言葉じゃ言い表せない感動がここにはありました。
ホントはね、料理や文化以上に、
皆さんとシェアしたいのは、こうした瞬間なのですよ。
この星に生まれてよかった。
そしてちっぽけな僕らもまた、広大なこの星の一部であり、
果てしない宇宙の一部でもある。
その一体感が感じられます。

mn_windmil.jpg

この寝台列車の寝心地は格別でした。
朝まで爆睡して目覚めれば、外は青空と緑の草原が。
街が近いのか風力発電の風車が見えます。

mn_ubview02.jpg

時折、遊牧民のゲルがありました。
時代を感じるのは自動車の存在。
街まで家畜を売りに行く足は、
今や馬車ではなく、ピックアップトラックなのですね。

mn_ubview01.jpg

時刻は8時。天気は快晴。
終点のウランバートルはもうすぐです。
乗客たちが荷物をまとめ始めました。
進行方向をみれば草原の先にビル群が。

mn_ubstation.jpg

8時45分。
僕らを乗せた夜行寝台列車は定刻にウランバートル駅へ到着。
首都にもかかわらず小ぶりで可愛らしい駅舎です。
さぁ、忘れものをしないように気をつけて、
列車を降りたら駅で朝食を食べましょうか。

mn_ubstcafe.jpg
___________________________________

いかがでしたか?
モンゴルのローカル鉄道の旅。
ダイジェスト版なので、うまく伝わらなかったかもしれませんが、
こういうところに僕らの旅の本質があるような気がしています。

それがまた旅人モードから日常モードへ戻る、
大きな妨げにもなっているのですけどね。

僕が普段見上げる空は狭いからなぁ・・・

それでは次はウランバートルとテレルジの風景をご覧いただきましょう。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月02日

ととら亭再起動 201907

ただいま〜!

帰って参りました、梅雨真っ只中の東京。
昨日の13時30分。
僕らを乗せたミアットモンゴルOM501便は、
定刻より10分早く成田空港に着陸。
新宿までの乗り継ぎも良かったので、
僕らは16時半頃、無事に野方へ戻りました。

飛行機を出るなり感じたのは空気の湿度。
ウランバートルは標高が1300メートル前後あり、
大陸性気候ということもあって、
体感的には東京でいうと4月上旬くらい。
からっと乾いていましたから、この空気感の違いは大きいですね。

早朝4時起きの帰路でしたが、時差が1時間しかなく、
温度差もあまりなかったので環境適応はすんなり行っています。
昨夜はあまり片付けや再起動準備には手を付けず、
早めに休んだので二人とも元気いっぱい。
今朝は8時ごろお店に来てコーヒーを飲んだ後、
怒涛の再起動に突入しました。

こういう時のともこは頭の切り換えが早いので、
もうすっかり野方での仕事モード全開です。
今もキッチンで仕込みをやりまくっています。
こういう時は無口なんですよ。信じられないでしょ?

僕はというと、対称的なスロースターター。
コーヒーを啜りながら、
1時間ほどの読書とメディテーションで頭の回転を上げつつ、
ビジネスメールのチェックからスタート。
ランダムにタスクを書き出し、
優先順位を判断して、ひとつずつ潰し始めました。
前半が頭脳労働系で昼食の後、頭がへたったら肉労に切り替えます。

ま、こうして頭と手は動かし始めたものの、
やっぱり例によって、気持ちというか、感覚というか、
旅人モードはなかなか日常モードに戻らないんですよね。
今回、比較的に気候風土は近かったのですけど、
やはり文化はまったくと言っていいほど違っていましたから。

モンゴル人は僕らと同じ人種でありながら、
その精神的バックグラウンドに遊牧文化を持ち、
近代化への第一歩は社会主義でした。

中国は香港、北京、上海など、
一般的な観光地に多くの日本人が訪れているとはいえ、
素顔の街を移動して感じた率直な印象は、
古来、関係の深い隣人とはいえ、
アフリカや南米以上に異質なものだったのです。

この辺はぜひ皆さんとシェアしたいと思っていますので、
またあらためてお話しますね。

さぁ、営業は明日のランチから再開です。
モンゴルのビジュアルレポートも、もう少々お待ちを。

えーじ
posted by ととら at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記