2019年07月12日

第18回取材旅行 その13

昨夜はエジプト料理特集の初日。

取り上げた4種類の料理それぞれにご注文を頂き、
お客さまの反応を見て二人ともほっとしました。
絞り込んだ料理の再現にはいつも以上に自信がありましたけど、
僕たちの自己評価と皆さんの客観的な感想は別ものですからね。

今回はその料理だけではなく、
店内でディスプレイしている現地の写真にも手応えを感じています。
実は旅行に出る前に作った取材計画には、料理以外に撮影も含まれていまして。
メニューやディスプレイで使うために、
どこでどのような写真を撮るのか、あらかじめある程度は決めているのですよ。

しかしながら、天候や現地の治安状況などで、
考えていたような写真が撮れない場合も少なくありません。
エジプトもまた例外ではなく、
場所によってはカメラそのものが取り出せないような状況もありました。
まぁ、結果的にはシャッターチャンスに恵まれ、
僕たちの旅の雰囲気が、よく描写できたのではないかと思っています。
特にカウンターにディスプレイした市場の人々の写真は自信作なのですよ。
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さて、メニュー変えが一段落したところでまたしても頭の切り換えです。
エジプトとモンゴルは文化的にも気候的にもかけ離れていますからね。
それじゃ、ちょいと精神を集中して・・・行ってみましょうか!

mn_road01.jpg

ウランバートルは大きな市街地ですが、
(大都市・・・ではないと思う)
それでも自動車で30分も走れば周囲の景色が一変します。
僕たちが向かっているのはテレルジという郊外の地域。

mn_camproad.jpg

ここでの目的のひとつはゲルに泊ること。
そこで訪れたのがツーリストキャンプです。
ウランバートルから東北東へ50キロメートほどの距離なので、
バスでも行けるかしらん?
と最初は考えていたのですが、
イヤな予感があってピックアップサービスをお願いしました。
現地まで来てみるとその予感は的中。
テレルジは街というより、まさしく地域で、
広大な丘陵地帯にキャンプサイトが点在しているのですよ。
で、バス停から僕らが予約したところまでは、
ゆうに5キロメートル以上の距離がありました。
幹線道路からさらに写真に写っているような道の奥だったのです。

mn_geru.jpg

おお、これこれ!
せっかくモンゴルまで来たのだから、
こういうトラディショナルなゲルに泊ってみたかった。
最近のトレンドはなんとバス、トイレ、バルコニー付きなのですけど、
それでは僕たちにとって意味がありません。
やっぱりこうでなくちゃ!

mn_geru02.jpg

入った内部はご覧の通り。思いのほか広いですね。
中央部では僕が立ち上がっても頭上に余裕があります。
中心に薪ストーブが置かれ、
ローテーブルが一つあったので仕事をするにも便利。
照明は、さすがに電気が来ていました。
まぁ、これは遊牧民のテントも最近は発電機やソーラーパネルで、
ある程度の電化はされているそうですから同じかな?
テントの材質は羊毛のフェルトです。
トレッキングやツーリングでよくテント泊していた僕らからすれば、
これはもう限りなく家に近いですね。
それもそのはず、ゲルとはモンゴル語で『家』の意味ですから。

mn_oboe.jpg

キャンプサイトは小高い丘を背にしており、
荷物を置いた僕らは誰もいない道なき道で、
ショートトレッキングを楽しみました。
そこで見つけたのが『オボー』。
これは日本の道祖神にも近いもので、
丘の上や峠道に石を積み、土地の守護神を祀ったもの。
チベット仏教が伝来する以前からある古い信仰のひとつです。

mn_cclass03.jpg

ここでのもうひとつのミッションはクッキングクラス。
これ、本来は研修旅行で参加するものなのですが、
今回は一般的な飲食店だと、
調理関係者に英語でインタビューするのが難しかったので、
ここならうまく情報が引き出せるのではないか、と考えたわけです。
場所はキャンプサイト併設レストランのキッチン。

mn_cclass04.jpg

先生はモンゴル人の女性シェフ。
彼女は英語を話さないので右の青年が通訳してくれました。
といっても、彼のスキルも怪しく、
頼みの綱はやっぱりスマートフォン・・・か。
時代は変わりましたね。

mn_cclass02.jpg

で、こちらからリクエストした料理は、
もちろんモンゴルギョーザのバンシとボーズ。
お〜、さすがギョーザを作り慣れているともこ料理長。
余裕の笑顔じゃないですか。

mn_cclass01.jpg

出来ました〜!
左がバンシ、右がボーズ(ブーズと聞こえます)。
中身の肉は一般的にラムが主流ですが、今回はビーフ。
それに玉ねぎのみじん切りと塩とブラックペッパー、水のみのシンプルな具。
両者の違いは大きさのみ。
加熱方法はバンシが基本的に茹で、ボーズは蒸します。
予想通り、ボーズは中国の包子(パオズ)が伝播したものだとのこと。
語音からしてこれはその通りでしょう。

しかし新たな謎になってしまったのがバンシ。
これはモンゴル語で意味がないとのことでした。
ということは借用語。
英語が堪能なキャンプサイトのマネージャーは、
バンシもまた中国から伝わったものではないかと言っていましたが、
それをととら亭に来ている中国人のお客さま2名(漢族)に確認すると、
バンシに対応する北京語はないそうで。

ん〜・・・どこからどう借りて来たんだ?
もしかしたら餃子発祥の地域と考えられる華北平野に多く住んでいた、
満州族の言葉かもしれませんね。
宿題になってしまいました。

mn_restaurant03.jpg

今回、僕たちがモンゴルで取材していた場所の多くは、
こうしたローカルレストラン。
ウランバートル駅の北側には、こうしたお店がたくさんありました。
中にはオーナーが日本贔屓で碁に詳しく、
来日経験があった方も。

mn_milkbansh.jpg

バンシやボーズは幾つかのバリエーションがあり、
他のギョーザ文化圏で見かけなかったものの一つがこれ、
バンシタイツァイ。
なんとミルクティーにバンシが入っているのです。
一瞬、うげ・・・と思いましたが、
砂糖が入っているわけではなく、茶の味も薄いので、
ミルクスープギョーザに近いかな?
やさしい味で温まります。

mn_friedbuuz.jpg

これはモンゴル版煎餃(チェンジャオ)とも言えるシャルサンボーズ。
ボーズを焼いたものです。食べ方としては明らかに亜流でした。
ローカルしか来ないような飲食店では、僕らが見た限り、
焼きタイプは見かけませんでした。
でも、ボーズ屋は至る所にあったので、偶然かもしれませんが。

mn_huushuur.jpg

そして国民的な料理ともいえるホーショール。
これは2ミリほどの厚さに伸ばした小麦粉の生地で、
ラムの叩き肉(挽肉ではありません)を包み、油で揚げたもの。
熱々でかぶりつくと肉汁がじゅわっと出てきます。
中身の材料は基本的に先のバンシやボーズと同じ。

それにしても困ったのはボリュームでした。
これね、ひとつに入っている肉の量が80グラム前後はあるのですよ。
それが『1人前』で5個でしょ?
他の料理も食べなければならなかったので、
ともこがひとつ、僕がふたつでギブアップ。
え? 現地の人たちはどうなんだって?
もちろん彼、彼女らは完食ですよ。
同じモンゴロイドとは思えない食べっぷりでした。

mn_noodle.jpg

モンゴルでは麺もよく食べられています。
この麺、種類としては日本でいう『うどん』に近いですね。
写真は中でもポピュラーなツォイワン。
中国の炒麺(チャオミェン)が伝わったものと言われています。
最初、中央アジアのラグマンに近いのかな?
と思いましたが、スパイス感はまったくなく、
シンプルなラム肉、野菜入り焼うどんという感じ。
これも美味しかったのですが、量が多すぎて・・・

mn_griash.jpg

ギョーザと並んで重要な取材対象だったゴリヤシ。
なんとハンガリーのグヤーシュが伝わったものだと言われています。
もしかてハンガリー人(マジャール人)がかつてウラル山脈の南西部に住み、
遊牧生活を送っていた時にモンゴル人と接点を持ったのか?
と思いましたが、ことの真相は、ぜんぜん新しく、
社会主義時代にハンガリーに留学した人々が伝えた可能性が高いとか。

で、どんな風にローカライズされていたかというと、
肉がビーフからラムに、パプリカがトマトに置き換わり、
グヤーシュで基調となるスパイスのキャラウェイが完全に抜かれていました。
そして供し方は、ライスとガロニの野菜が加わり、
一種の定食となっていたのです。
いまではランチタイムの定番だそうで。
オリジナルとは似ても似つかないものになってたものの、
これはこれで悪くなかったですね。

mn_schnizzel.jpg

もうひとつ面白い料理をご覧に入れましょう。
これ、なんだと思います? カツレツなんですよ。
正確にいいますとシュニッツェルです。

日本でもほぼ和食と化したカツレツ。
そのルーツはイタリアのミラノ風カツレツ(Cotoletta alla milanese)
に遡るという説があり、僕もその線で調べています。
これがイタリアの北方で国境を接するオーストリアを経由した際に、
シュニッツェル(Schnitzerl)という名で語変換が起こり、
この名前で広がったルートがあるのですね。

そのひとつがブルガリア。
ととら亭でも紹介したことがあるブルガリアのシュニッツェア
これはオリジナルどころかウィンナーシュニッツェルとも違っており、
なんとチキンの挽肉のピカタになっていたではないですか。

そこでモンゴルです。
先のゴリヤシと同じく、社会主義時代のパイプから、
モンゴルはブルガリアとも関係がありました。
その文化的交流を裏付ける物証のひとつがこの料理かもしれません。
モンゴルではブルガリアのシュニッツェアの肉がチキンからビーフに置き換わり、
ヨーグルトではなく、グレービーソースが添えられていたのです。
同じ政治的なつながりでも、ソビエトバージョンにはならなかったのですね。
ソビエト、ポーランドでは Cotoletta alla milanese の語の前半で伝わり、
(日本も同じですね)
ソ連型コトレットは、日本でいうメンチカツレツになっていたのですから。

mn_restaurant01.jpg

さらにローカル色が濃い場所として市場の食堂にも行ってみました。
しかし、これは探すのがちょっと難しい。
ナラントールザハの外周部を歩いていると、なにやらいい匂いがしてきたのですが、
飲食店と思しき店はどこにも見当たりません。
そこでくんくん匂いの元を辿って行けば、どうやらこの奥に飲食店がありそうです。

mn_restaurant02.jpg

そこで狭い通路に入ってみると・・・
ありました! 字義通り、鼻で探したローカル食堂。
もちろん英語のメニューはなく、イングリッシュスピーカーもゼロですが、
壁に写真入りメニューがあったので一安心。
「サイバイノー(こんにちは)!」の挨拶以降はボディランゲージで注文完了です。
人気店なのか、お客さんがひっきりなしに出入りし、テイクアウトも盛況でした。

mn_lunch.jpg

僕がオーダーしたのはゴリヤシ、バンシュタイシュル(ギョーザスープ)、
ニースレル・サラート、マントゥのセット。
まだ紹介していないものを説明するとですね、
ニースレル・サラートは直訳すると首都サラダ。
これはソビエトからサラート・オリヴィエを端とする、
サラート・ストリーチヌィが伝わったものと考えられます。
かつてはレストランエルミタージュの看板料理と言われた、
幻のサラダだったようですが、
いまでは普通のポテトサラダになってしまいました。
で、興味深いのはマントゥ(写真右下)です。
これは中身のない中華まんじゅうのようなものですが、
ここにモンゴルへ中国から餃子が伝播した時期を見定めるキーがあるのですよ。

なんと、中国の餃子(ジャオズ)はかつてマントゥと呼ばれていました。
この古い時期にトゥルク系の人々に伝わったと思われ、
トルコを始め、ウズベキスタンなど中央アジアの国々から、
アルメニア、モルドバではマンティ、マンティーヤなど、
マントゥ系の名前で根付いています。(詳しくは拙著をご参照くださいませ)

興味深いのは、
中国でマントゥと呼ばれた食べ物が包子(パオズ)と変名したこと、
さらに饅頭(マントゥ)という言葉が消えたのではなく、
中身のないパン状の食べ物を指すようになったことです。
つまり、この語変化を念頭に置くと、
モンゴルにギョーザが伝播したのは、
トゥルク系よりも遅れた語変化後の時期ということになるのではないか?
市場のローカル定食の一皿が、その仮説を裏付けているとは。
ん〜、盛り上がって来たぜ!

mn_airport.jpg

と、俄然エンジンがかかってきたところで時間切れ。
この気持ち、分かります?
あらたな謎とそのヒントを前にして撤収しなければならないのですからね。
でも、だから旅には終わりがないのですよ。

ウランバートルのチンギスハーン国際空港は、
街の中心から南西に自動車で20分ほどの場所。
ボーディングゲートが4つしかない小さな空港でした。

mn_aprest.jpg

早朝のフライトだったので、朝食はチェックイン後にカフェで摂りました。
ここで残りのトゥグリクを全部使い切り、
僕たちは帰途についたのです。

そうそう、帰りの機内で僕の頭にあったのは、
帰国して始めるととら亭の再起動ではなく、
次回のモンゴルの取材計画でした。

to be continued...

えーじ


mn_airmeal.jpg

おまけです。
これは・・・イマイチ。
ミアットモンゴルさん、次回に期待しています!
posted by ととら at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記