2019年07月20日

50パーセント+1の先へ

「あんたは日本人かい?
 日本は民主主義の国なんだろう?
 オレたちはいま、その民主主義を取り入れようとしているんだ!」

2013年2月。
ジャスミン革命の発端の地、チュニジアのチュニスで、
道行く人から唐突にそんな言葉を投げかけられました。
それも別の機会に別の人から2度も。

「みなさんなら出来ますよ。頑張って下さい!」

僕は握手に応えながらそう言ったものの、
実のところ、心中、微妙なものがありました。

確かに、一部の特権階級が支配する社会より、
民主主義の社会の方がいい。
でもね、それは即座に社会全体の幸福を約束するものではないんだよ。

僕は喉まで出かかったこの言葉を、
ぐっと飲みこんでその場を後にしたのです。

そう、改革に燃えるチュニジア人が言ったように、
日本は70年以上前から民主主義を導入しています。
しかし、今さら僕が言うまでもなく、
日本人がこの社会システムを使いこなしているとは、
お世辞にも言えないでしょう?

多数決で意思決定を行う。
この原則は正しい。

しかし全員一致などという結果は滅多にありませんよね?
ですから議決の後にはほとんどの場合、
意見を受け入れらず、取り残された少数派がいる。
そして僕たちのやっている民主主義は、それを無視して憚らない。
さながらひとつの勝敗型ゲームのように。

だってしょうがないじゃない?
あの人たち負け組なんだから。

そうかな?

ここに欠けているのは、自分たちとは違う意見を持つ人々への、
共感と敬意なのではないか?

これは国会審議の中でも具体的に見て取れます。

感情をむき出しにした与野党の対立と攻防。
飛び交うヤジ。
メディアまで参戦した揚げ足取り。

ここで忘れられているのは、日本は代表民主制の国であり、
国会議員はいずれも多くの有権者の代表であり、
また僕たちの希望や意見の代弁者でもあるということです。

ですから、
「xxxヤメロ!」とか「打倒xxx!」というのは、
xxxに誰の名前が入るにせよ、そのxxx議員を国会に送り込んだ有権者、
つまり、同じ同胞に向かって「お前たちの意見になんか聞く耳もたん!」
というのと同じことなのですよ。

ここでも欠けているのは、国会議員同士の敬意なのではないか?
お互い一個人ではなく、有権者に選ばれた責任ある代表者なのですから。

もうひとつ、僕が外国で歯切れ悪くなるのは、
有権者としての行動です。
もうそろそろ、

学校の先輩だから、とか、

同じ町内に住んでいるから、

うちの地域に利益をもたらしてくれるから、

ではなく、国政選挙であれば、

日本のあるべき姿とは?
世界の中でどのように振る舞うべきなのか?

という視点に立ち、
自分で考えて、自分の意見を持って投票する。

選ぶ者、そして選ばれる者が、たったこれだけでも変われれば、
いま、ここにある問題の、多くが解決へ至るレールに乗るのではないか?

僕はそんな思いで、
昨日、期日前投票に行って来ました。

少しは、この国が変わるかな?

うん、その可能性はあると思います。
これを読んでいるあなたが明日、投票所へ行けば。

えーじ
posted by ととら at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記