2019年09月28日

よくいうフレーズのディープな理由

ふたつ前のブログで、
ともこのよく言うフレーズをお話しましたが、
その背後にあったディープな理由がわかりました。

それは・・・

「今年の区民検診はいつ行くの?」
「ん〜・・・」
「僕は来週の定休日に行って来るよ。
 この後いろいろ忙しくなるかもしれないから、
 なるべく今月中に受診しといた方がいいよ」
「だって・・・」
「なにか予定でもあるの?」
「べつに・・・」
「じゃ、僕と同じ日に行っちゃえば?」
「それは困るよ」
「なんで?」
「だって・・・」
「だって?」

「減ってないから・・・」
「なにか?」
「体重」
「・・・? 別にいいじゃん」
「よくないよ!」
「なんて?」
「どうしよう?」
「なにを?」
「・・・・・・」
「黙ってちゃわからないよ」
「ど〜せ、えーじにはわからないよ!」
「おいおい、そりゃ藪から棒だね。
 なんにも言わないで決めつけられちゃかなわんよ」

「・・・・メタボって言われちゃったらどうしよう?」
「はぁ?」
「メタボって言われたら恥ずかしいじゃん!」
「ともこの体形でそれはないと思うよ」
「そうかな?」
「うん」
「じゃ、行っても平気かな?」
「平気じゃない?」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃ、行って来る!」

で、いそいそ出かけて行きました区民検診。
その結果は・・・

「やった〜っ! 平気だったよ! メタボって言われなかった!」

で、ぐるっと回って振り出しに戻り、その日の晩は・・・

「ビールちょうだい!」

・・・か。

乙女心とは、げに不可解なるものでございます。

えーじ
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2019年09月25日

「おめでとう!」と言える日

「今日は記念日なのです」

そう仰られるお客さまが度々いらっしゃいます。

誕生日、結婚記念日、
ときには『出会いの日』や『付き合い始めた日』などなど・・・

ここ、ととら亭では、
それを一緒に祝う方々もまたさまざまです。

異性同士だけではなく、男性同士、女性同士、
もしかしたら、僕に分からないだけで、
男性でも女性でもない性をもつ方たちだっていたかもしれません。

先日も、付き合い始めて10年になる、
男性同士のカップルがお祝いでいらっしゃいました。

パントリーから眺めた彼らのテーブルは、とても幸せそう。

いろいろな所で、いろいろな人が、
いろんなことを言っていますが、
僕にしてみれば、いずれも人が人を愛している、
ただそれだけのことです。

人と人の幸せに、
おめでとうと言える人、
おめでとうと言える場所、
そして、おめでとうと言える社会。

僕たちは進むべき方向へ進んでいる。

ゆっくりとだけどね。

えーじ
posted by ととら at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月22日

よくいうフレーズ in ととら亭

誰にでも『よくいうフレーズ』というのがありますよね?
で、朝から体重計に乗ることが日課のともこさんの場合・・・


「今日からぜったいダイエットする!」

から始まり・・・


「あ〜、食べすぎちゃった! 今夜は軽くしとこ!」

と続き、
夜、営業が終わると・・・

「ビールちょうだい!」

で、幕を閉じます。

そして翌朝また、

「今日からぜったいダイエットする!」

・・・・・・・・・・・
はいはい。

えーじ
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2019年09月19日

選択のコスト

突然ですが、質問です。

もっともコスパの優れた飲食店とは、
どんな店でしょう?

そう、
「この値段でこんな料理が楽しめちゃうなんて!?」
という、ある意味、理想的な店とは?

え? お得なクーポン連発の店?

違います。
そういうところにパフォーマンス(質)は期待できないでしょう?

物価の安い国で高級レストランに行く?

それじゃ旅費が上乗せされちゃいますよ。
条件は『国内で』です。

思い浮かばない?

正解は・・・

完全予約制で『おまかせ』料理の店!

なぜか?

食材のロスがないだけではなく、
労働力の究極的な最適化がはかれるからなのですよ。

この双方、いずれもおカネに換算すると、
バカにならない数字になります。
つまり、仕入れと人件費ですからね。
このロスを織り込まないのであれば、
「そのぶん儲けちゃおう!」でない限り、
価格はだいぶ安くできます。

そこで次の質問です。

ではなぜ、この『理想の飲食店』が見当たらないのか?

これはお分かりになるでしょう?
皆さんマターのことですから。

え? 分からない?
こりゃちょっと意外ですね。

この仕事をしていて今更ながらに気付いたのですけど、
飲食店に求められているのは、味と値段以上に、
「好きな時に、選んだものが食べたい」という、
利便性と選択肢なのではないかしらん?

この前者の要望は食事のタイミングや、
行動の予定などから十分理解できるのですが、
よくよく考えてみると、
選択というのは奇妙な話のような気がしないでもありません。

なぜなら、お腹に入るのは1品であるにもかかわらず、
『食べないその他』が必要なのですからね。

一般的に、お客さまはメニューの数が多ければ多いほど、
「わぁ〜!」っとなります。
反対に、たとえば、ランチでご来店され、2種類しか料理がないと、
(ととら亭のことです)
「なぁ〜んだ・・・これしかない」ってなっちゃう。

だから飲食店は長い時間営業し、
専門店を除けば、多くのメニューを揃えているのですよ。

ところがこれには、目に見えないコストが含まれています。

さっきの例で続けると、
たとえば5種類用意して3種類しか売れなかった場合、
残った2種類はロスとして、よくて賄い、最悪は廃棄されてしまいます。
つまり店にとっては損失ですね。

え? それはその店が被っているんだから関係ない?
いやいや、そうとも限らないのですよ。

もし、その店の経営が続いているのであれば、
それは収支のバランスがとれているということですよね?
(業績の良し悪しは別として)

ではどうやって、その損失を埋めているのか?

ロスの発生は突発的なものではなく、構造的な問題ですから、
常に起こることが前提となります。
そこで、そもそもの価格にロスの補填分が転嫁されているのですよ。

とりわけ素材の共通性が低く、
メニュー数が多ければ多いほどロスの確率が上がります。

冷凍食品を多用すれば、ある程度のリスクはヘッジできますけど、
それとてゼロでない限り、
名目を変えて価格に含まれるのは避けられません。

そう、高価な食材以上に、実は高くついているかもしれないのが、
「好きな時に、選んだものが食べたい」という、
利便性と選択肢のコストなのですね。

同業者にはこの意見に異議を唱える方もあると思いますが、
飲食店の売り上げが基本的にお客さまの財布だけに依存し、
ロスがビジネスの構造上、避けられない現実であることを鑑みると、
意図の有無は別として、
結果的に損失は価格の中で調整されていることになる。

選択とは常に選択されない何かを伴い、
そのコストは按分率に差こそあれ、
直接的、間接的に、すべてのプレーヤーで負担するしかありません。
思った以上に贅沢なことなのですよ。

あ、だから先進国ほど、さまざまな分野で選択肢があるのか。

えーじ
posted by ととら at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月16日

商店街のババ抜き

今日は3連休の最終日。

「すみませんが、細かいの、ございませんでしょうか?」

ということは・・・

負けちゃいましたね、ババ抜き。

毎回、商店街で繰り広げられているこのゲーム、
通常のトランプでやるババ抜きとは、ちと違います。

ジョーカーに相当するのは1万円札。

それぞれのお店が連休、つまり書き入れ時に入る前、
商売の内容に応じた釣銭を用意していますが、
予想以上に1万円札で支払いがあると、
とうぜん最後は底をついてきます。

やば・・・あと1枚出されたらゲームオーバーだ!

普段ならここで銀行へ行けばいいのですが、
連休となるとその手は使えません。

そこで負けないためには、
どこかの店で『両替』するしかない。

「あれ〜? 細かいのなかったんだ。
 ゴメンね〜、大きいのでいい?」

なんて、くさい芝居を打たれても、イヤとは言えないのが商店街。
しかし、これでは1店で1枚しか両替できないので、
買い物を小分けにしてハシゴすることになりますが、
あからさまにやり続けていると、さすがに嫌な顔をされます。

そこで同じ店を避けるものの、
結局、いろんなお店が同じことをしていますから、
一万円札が商店街をグルグル回る、
まさしくババ抜き状態になるのですよ。

え? ととら亭の戦績はどうなんだ?

ふふ、うちは常勝です。

なぜなら、
ランチタイムに1万円札を出されることが少ないだけではなく、
なんと逆に、
『チェンジマネー』してくるお客さままでいるからなのですよ。
ほんと、助かってます。

この3連休もありがとうございました!

えーじ
posted by ととら at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月13日

時計を見ないで

今週は火曜日から僕らも遅ればせながらの夏休み。
ほんの3.5日ですが、のんびりしました。

といっても例によってやっていたのは、
溜まった仕事のリカバリーでしたけどね。

それでも普段のように時間に追われていませんから、
気分的にはだいぶ違います。
別の要件に割り込まれることもないので集中できますしね。

こういう仕事の仕方はお勧めできませんが、
営業のある日だと、
僕はいろいろなタスクを細切れにしてやっているのですよ。、
コンピュータ用語で申しますと、マルチタスク、
いや、ハイパースレッディングかな?

たとえばこのブログ。
椅子に座ってじっくり書いていることはまずありません。
「こういう話をしようか?」
なんてネタはよく掃除をしながら考えています。
そして実際に書くのは、
営業中が多いですね。ヒマな日でお客さまが途切れた時とか。
つまり3分の2は立って書いているというわけです。

まぁ、すべからくそんな調子なもので、
かりにやっているのが退屈なペーパーワークだとしても、
それひとつに集中してやれると、気分も疲れ方もぜんぜん違うのですよ。
ましてやそれが好きな読書だったりすれば、気分はもうバケーション!

思えば僕はオンの日に、何回、時計を見ているんだろう?
それはいつも時間を気にしている、ってことですよね。
いや、正確に言えば、時間に追われてるってことか。

ん〜、なんとしても、こいつから自由を取り戻したいですね。

あれ? もうこんな時間か!
今夜はディナー営業があるんだった。
掃除しなくちゃ!

えーじ
posted by ととら at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月10日

ありがたき屋根の下

一昨日の台風はすごかったですね。
あの日は僕らも早々に店じまいしてアパートに帰ったのですが、
夕食を食べる頃になると、だいぶ風雨が強くなってきました。
そこでちゃぶ台を囲んだ僕たちが顔を見合わせて言ったのが、

「あ〜、僕らは幸せだねぇ!」

え?
いや、この歳になってのろけているわけではありません。
心から喜んでいたのは以下の4点です。

1.嵐の夜に雨風をしのげる部屋にいる。
2.しかもその部屋はエアコンが効いている。
3.僕らはシャワーを浴びてさっぱり。
4.そして美味しい食事(冷たいビール付き!)が目の前にある。

え? それがどうした?
別に当たり前のことじゃないか?

ん〜・・・かもしれませんね。
でも、僕らの物差しでは、そうとも限らないのですよ。

その評価基準といえば、
起業家の中でも志の低さでは定評のあるととら亭、
バックパッカーのビンボー旅行がベースになって・・・

いません。

僕らの生活水準のベースになっているのは、
もしかしたらそれ以下の・・・

キャンプです。

そう、いつぞやお話したと思いますが、
僕もともこも、国内を旅していた時の宿泊はキャンプが基本。
特に僕は登山ライダーだったので、荷物はバイクに積めるだけ。
山に登る時はバックパックに入るだけでしたから、
装備はいつも必要最低限だったのです。

そこでもし、一昨日のような夜をテントで明かすとなると、
そりゃもう、涙なくしては語れない話になるのですよ。

たとえば、あれは稚内の近くにある、
クッチャロ湖のほとりでキャンプしていた時のこと。
夜半に寒冷前線が近付き、強風と共に大粒の雨が降り始めました。

その時、僕が使っていたのはクロスドーム型のテント。
ジュラルミン製のポール2本を交差させて、
概ね横1メートル×縦2メートルの空間を作り出す構造になっています。

これは入り口のある短辺方向からの力には強いのですが、
長辺から受けると、形がひしゃげてしまい、
1メートルの幅があった空間が半分くらいなっちゃうんですよね。
風向きが変わってからというもの、
中にいる僕はポールを折られないよう、
両手で支えていなければならなくなりました。
もう寝るどころではないのですよ。

しかし本当の悲劇はこれからです。

ひとり、風に耐えていた僕は、
ほどなくしてテントの下部を囲うグランドシートの異変に気付きました。
内側に向かって妙な湾曲のしかたをしています。
触ってみると、なんかタプタプしてる。

大変だ! 水没している!

そう、テントの周りにはあらかじめ排水用の溝を掘っておきましたが、
降雨量がそれを上回って、
テントは今や水たまりの中に浮かぶ島のような状態となっていたのです。

脱出しなくちゃ!

僕は狭いテントの中でレインウェアを着込み、
ブーツを履いてから外に出ました。
叩きつけてくる風、全身を打つ大粒の雨。
テントは直径6メートルほどの水たまりの中に浮かんでいます。

まずやらなければならないのは、重い荷物の移動です。
雨が当たらない公衆トイレの中までピストンで荷物を運び、
次はテントを地面に固定しているペグを抜いて、
飛ばされないようにしっかり掴んだまま、
公衆トイレの風下側に移動しました。

ようやく一息ついてトイレに入ってみると、
手洗い場には同じように避難したずぶ濡れのキャンパーが数人。
中には移動中、強風にあおられ、
テントが湖上を去っていった悲劇に見舞われた人も。

結局、嵐がやむまで、まんじりともせず、
僕らはそこで臭い仲となったのでありました。

南でも安心はしていられません。

あれは石垣島の米原キャンプ場でのこと。
サンゴの砂のビーチでキャンプなんてステキ!
と皆さんは思うかもしれませんが、その実情は・・・

この時はともこも一緒だったので、
テントはより大きい3〜4人用のものを持って行きました。
(といっても3人で使うのは厳しい)
ところが訪れたのが6月下旬の南の島となると、
締め切ったテントの中はもうサウナ状態。
とても寝るどころではありません。

かと言って、少しでも風を入れようと入り口を開けたが最後、
ジーンズの上からでも平気で刺してくるマッチョな蚊の集中攻撃を受け、
ふたりとも献身的なブラッドドナーになってしまいます。

そこで僕らはビーチまで出て、砂の上にマットをひいて寝ていたのです。
ここならずっと海風が吹いているので涼しいし、
蚊も近寄れませんでしたから。

しかし、砂浜で風が吹いているということは、
砂が飛んでくるということでもあります。
そう、朝になると髪も体もじゃりじゃり。
さいわい水シャワーが近くにありましたけどね。

とまぁ、これくらいのお話でも、
僕らの生活基準がどんなレベルか、ご理解頂けたかもしれません。

いま、僕らが住んでいるのは月家賃7万5千円の狭い2Kアパート。
それでも雨風がしのげるだけではなくエアコンがあり、
お湯の出るシャワーだってついてる。
そう、刺されると厄介な虫だって入ってこない。

だから、幸せだねぇ!

なのでございます。

えーじ
posted by ととら at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月08日

サラリーマンホテルで嵐の夜に

関東地方は台風15号が接近中。
ここ東京でも空模様がだいぶ怪しくなってきました。
これから明日未明にかけてだんだん荒れて来るそうですね。

こりゃ今夜のディナー営業はアーリークローズかな?

とまぁ、ととら亭の営業ではこういうのもよくあることですが、
不思議なことに、今まで外国を旅していて、
天候理由で予定を変更したことは一度もないのですよ。
成田を飛び立った直後に大雪で空港閉鎖、
なんて、おっと危ねぇ! なケースもありましたけどね。

ところが国内では足止めを食ったことがあります。

あれは10数年前、会社員をやっていた頃のこと。
6月の蒸し暑いとある日、僕はチームメンバーのJ君を連れて、
名古屋に出張していました。
その時、進路を変えた台風の影響で、
思ったよりも早く上りの新幹線が運休になってしまったのですよ。
名古屋駅は足止めされた乗客たちで大混乱。

「J君、東京に帰るのは無理だ。プランBで行こう」

そこで駅近辺のビジネスホテルを梯子するも、
みな既に満室状態。

出遅れたか・・・

と周囲を見回す僕の目に入ったのが、
開発された駅前で沈み込んだように佇む古ぼけたビル。
褪色した電光看板から読み取れる文字は、

『サラリーマンホテル』

なんだありゃ?
やってるのかな? ダメもとで行ってみよう。

入り口を入るとそこは椅子すらない小さな部屋で、
銭湯の番台のようなフロントに、
およそホテルマンらしからぬおじさんがひとり。
僕は自分の入ったところが何なのか、すぐに理解しました。

駅前にこんな簡易宿泊所があるとは・・・

お値段はシングルで1700円也。
にもかかわらず冷房完備と書いてあります。

「今夜はここに泊ろう」

そう言って振り返った僕の目に入ったのは、
引きつった表情で途方に暮れるJ君。

「こ、ここに泊るんですか?」
「そうだよ」
「ここだけはやめましょうよ!」

彼はすがるような調子で哀願してきました。

「でも駅近辺で空いているホテルはもうないと思うよ。
 近隣も同じ状況じゃないかな。
 ここがいやならプランCは連絡通路でのダンボーラーだけど、
 それでもいいかい?」

彼もようやく運命を悟ったようです。

料金を前払いして入った部屋は、ベッドがひとつ、ぽつんとあるだけ。
風呂とトイレはもちろん共用。

「風呂に行こうぜ」

隣の部屋に顔を出してみれば、
J君はさっきにもまして落ち込んだ様子です。

ま、ひとっ風呂浴びてさっぱりすれば元気になるさ。

ところが地下に降りて入ったのは、浴室というより薄暗いボイラー室。
脱いだ服の置き場にも困るような部屋の中央に、
ひとりしか入れない大きさの風呂桶が僕らを待っていました。

あいやぁ〜・・・

安宿に慣れている僕にはよくあることでしたが、
育ちのいい、きれい好きなJ君には大きなショックだったようです。

さらに追い打ちをかけるように、
22時になったらエアコンが止まってしまいました。
どうしたわけだと廊下に出て、
そのフロアに冷気を供給している大型エアコンの前まで行ってみれば、
操作ノブに触れられないようパネルが塞がれているだけではなく、
ご丁寧にも鎖を巻いて南京錠までかけているではないですか。

おいおい、こりゃどうしたこっちゃ?

とフロントに行けども誰もいません。
で、宿直室とかかれた部屋をノックしてみれば、
さっきのおじさんが・・・

「あの、エアコンを動かして欲しいのですけど」
「エアコンは22時で止めるんです」
「だってフロントに冷房完備って書いてあるじゃないですか」
「そう言われても決まってるんです」
「でも22時で止めるなんて書いてありませんよ」
「俺だって決められたことをやってるだけなんだよ!」

逆ギレか、こりゃダメだ。

さいわい僕らの部屋は南に面していなかったので、
窓を開けていても雨は吹き込んで来ません。
外から風の唸り声が聞こえてきます。

扇風機もない部屋のベッドに寝ころんで天井を見上げていると、
東南アジアの安宿を思い出すな。

いつしか僕は眠りに落ちていました。

翌朝、隣の部屋を見てみるとJ君の姿がありません。
携帯電話にかけてみたら近くのファミレスにいるとのこと。

なんと憐れな彼は一睡もできず、未明のうちにチェックアウトして、
ファミレスで時間を潰していたそうです。

そんなJ君がどうしたわけかバックパッカーとなり、
今ではソロで東南アジアの国々を旅しているというのも、
嵐の夜の数奇な運命を感じます。

もしかしたら彼は僕とは逆に、
タイやラオスの安宿で、
あのサラリーマンホテルを思い出しているのかもしれませんね。

えーじ
posted by ととら at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月05日

たかが食材、されど食材

八百屋さんでトマトを手に取り、

「ああ、これはアンデス山脈南部の高地で生まれ、
 エルナン・コルテスがメキシコからヨーロッパに持ち帰って、
 世界中に広がったんだなぁ・・・」

なんて思いを馳せる人は殆どいないでしょうが、
ととら亭では料理だけではなく、
素材のひとつである個々の食材もまた取材の対象にしているのですよ。

それというのもこの食材、
あらためて向き合うと想像以上にディープなものでして、
時には遠い昔の話ではなく、
現代の、国際紛争の原因にすらなっていたりします。

その火種と言えば、
僕たち日本人にとってオレンジや牛肉以上にくすぶっているのは、
クジラではないでしょうか?

これ、僕もずいぶん前から気になっていたのですよ。

今年6月末、日本がIWC(国際捕鯨委員会)を脱退したのは、
耳目に新しいところですが、
この件、なにをそんなにもめてるの? 
と今さらながらに調べてみれば、
主食でもない、ひとつの食材(兼素材)から始まった議論が、
もめごとのデパートみたいになっちゃってるじゃないですか。

そこで発端から流れをざっと追ってみますと・・・

クジラの無秩序な捕獲が世界的に問題視されはじめ、
1931年のジュネーブ捕鯨条約、
1937年の国際捕鯨取締協定などが結ばれた後をうけ、
1948年に国際捕鯨委員会が設置されます。
その主たる目的は、
『国際捕鯨取締条約に基づき鯨資源の保存及び捕鯨産業の秩序ある発展を図る』

ふむふむ、それはご尤もな話じゃないですか。

だったのですが、その後は捕獲枠を決める基準が二転三転し、
結局、現時点で科学的に根拠のある基準を策定するのは難しい。
よって、しばらく捕鯨はやめましょう!
という方向に進んじゃった。

くわえて面倒なことに、この議論、計算式上のドライな話ではなく、
1972年にアメリカが国連人間環境会議で
商業捕鯨の10年間一時停止を提案したあたりから、
なんとなく外交カードの臭いがしはじめ、
やがてテーマが『鯨資源の保存及び捕鯨産業の秩序ある発展を図る』から、
『捕鯨をやめるか続けるか』という二元論的議論ならぬ、
論争にシフトしてしまいます。

このころになると舞台に上がる役者も政府・水産関係者だけではなく、
グリーンピースなどの環境NGOや宗教団体まで加わって、
さながらバトルロイヤルの様相を呈して来てしまいました。

僕がこの泥仕合を見ていて溜息をついたのは、
『野蛮』とか『残酷』という、
本来の議論上は関係のない言葉が飛び交いはじめたからです。

そしてその根底で見え隠れしているのが、
『われわれこそが人類のスタンダード!』と信じて疑わない、
オールドファッションな自民族至上主義とあっては、
あんまりお付き合いするのもなんだかなぁ・・・
という気がしていました。

僕は政治家でも文化人類学者でもありませんが、
旅の食堂という仕事で世界をうろついているうちに学んだことがあります。

文化というのは個々の要素で比較こそできても、
その結果は単なる差異であって、
定量化して順位を決められるようなものではない。

つまり文化に『先進』も『野蛮』もない。

これは取り立てて目新しい考え方ではなく、
社会人類学者・民俗学者のクロード・レヴィ・ストロースが、
(僕のアイドルのひとりです)
1962年の著書『野生の思考』の中で文化を構造という言葉で言い換えながら、
上から目線の西洋中心主義をけちょんけちょんにしていました。

そう、個々の人間に、人種に、民族に優劣がないように、
人間の産物である文化にもまた優劣はない。

『残酷』という言葉も、こと相手が人間以外の生物に対して使われると、
僕には場当たり的な人間中心主義の臭いが感じられるのですよ。

だってクジラを殺すのは残酷だけど、
先進国のスーパーマーケットで並んでいる牛、豚、鶏はノープロブレムって、
どんな理屈で正当化できます?
食肉工場の屠殺現場で繰り広げられている光景は、
残酷という表現に値しないのでしょうか?

人間の食とは、基本的に他の生物の命を奪うことによって成り立っており、
その対象は文化によってさまざまです。

たとえば僕の知る限り、日本では犬を食べませんが、
韓国、中国、ベトナム、インドネシアでは食べます。
だからと言って、日本が進歩的な文明国であり、
他の4カ国はかわいい犬を残酷にも食べる野蛮な国だと、
僕は思わない。

そこにあるのは単なる食文化の差異であり、
優劣、善悪、先進と野蛮のような、二元論的対立が入り込む余地はない。

生物資源としてのクジラを論じる時、この文化の本質を離れると、
そこには国家的、または民族的視野狭窄というコワイ落とし穴が待っています。
その意味では、
仮にIWC加盟国による多数決で『民主的』に決めたことであっても、
それが文化優劣論の土台の上にあったのであれば、
その結果も、その決定プロセスを続けることも、
長期的に見て、人類全体の利益にはあまり貢献しないでしょう。

たかが食材、されど食材。

すべての関係国がもう一度おなじテーブルにつき、
外交カードのひとつとしてではなく、
文化の本質を直視した上で継続的資源の使用と保全、
そして配分の議論をすることを、
僕は願ってやみません。

えーじ
posted by ととら at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月02日

僕の労働観 その3

アルバイト、派遣社員、契約社員、正社員。

雇用形態こそ違いますが、どんな働き方をしても、
僕のメンタリティーはいつも同じだったというお話をしました。

では、9年半前からやっている個人事業主はどうかというと・・・

完全に違います。

何がどう違うって、
もう何もかもが根底からしてまったく違う。

まず、労働は誰かのためにするものではなく、
直接的に、自分自身のためにするものとなりました。
もちろんおカネは頂きますけど、
雇用主という特定の人物からではありません。
だから社長や上司という人事権を持つ一握りの人物に、
人生の運命を握られることはない。

この解放感は実に大きい。

そうなると『割り切り』が限りなく減りました。

本意ではなくても、
「お仕事だからね・・・」と自分に言い聞かせて、
別の人格を演じるような必要はもうありません。

だからいま僕は、いわゆる素で仕事をしているのですよ。

たぶん、そのおかげで9年以上、月に400時間前後を働いても、
体は疲れこそすれ、気持ちがバテることがないのかもしれません。
サザエさんだって好き。(見れないけど・・・)

ここで不思議なことが起こりました。

それまでは仕事一色のひとを、
「あれしかやることがなくて可哀想だな」なんて憐れんでいた本人が、
朝から晩どころか定休日にだって働いている。
それでいてなんか楽しい。

そんな自分を見ていてふと思い出したのは、
『労働は人間の本質である』というマルクスの言葉でした。

これ、いろいろな文脈で使われていますけど、
人間の行動が太古の『食』を得る時代から、
現代の『職』を得る時代に変わったとしても、
みんなが寝転がっていたら飢え死にしてしまうという現実がある以上、
『労働は人間と対立しない』というのが僕の素直な解釈なのですよ。
(働かざる者食うべからず、という選民的な意味じゃなくてね)

とはいえ、独立というパンドラの箱を開けて飛び出して来た、
雑務の大群にはほとほと手を焼いています。
お店の営業だけではなく、
経理からトイレ掃除、はてや壊れた機材の修理まで、
なんでもやらなくちゃならない。

やれやれ、労働は人間の本質と言えども、
今度は孔子さまの言う
『過ぎたるは及ばざるがごとし』を絵に描いたような生活になってしまいました。

む〜・・・困ったもんだ。

それでも僕らの場合だって箱の底に残っていたものがあるんですよ。

それは『希望』ではなく、『自由』でしたけどね。

えーじ
posted by ととら at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記