2020年03月31日

入院日記 パート3 その2

昨日、「予定通り帰って参りました!」
と言ったものの、
これは残念ながら「元通りになりました!」
を意味するわけではありません。

そう、この長いストーリーの第1章が終わったに過ぎないのです。
それを今から1時間半ほど前に、僕は身をもって体験しました。

アパートからお店まで松葉杖を使いながら来たのですけどね、
普段なら5分もかからない道程に実測14分40秒もかかったのですよ。
加えて疲労は3倍ならぬ10倍以上!
さながら湿った雪の平地を、
スケーティングで同じ時間すべったのと同じくらいへたりました。
ですからこの寒さにもかかわらず、お店に着いた頃には額に流れ落ちる汗。
どおりで病院ですら松葉杖をつく年配の患者さんを見かけなかったわけです。
これで100メートル以上移動するのは現実的じゃありませんね。

さて、今朝のお話はこれくらいにして、
昨日の続きを始めましょうか。

________________________________

翌日は手術。

時間は前の手術が終わり次第ってことで、
はっきり決まっていません。
とはいえ2番目らしく、たぶん11時半頃ではないか、との説明。

僕は朝から絶食です。
8時を過ぎたら水も飲めないので、
早くやってくれないかしらん? と思っていましたが、
9時頃から始まった点滴のせいか、空腹も喉の渇きも感じません。
やがて時計が10時を回ったころ、看護士さんが現れ、

「11時10分開始になりました。10分前に迎えに来ますね」

OK。
それまでに僕がやるのは手術着に着替え、
加圧ソックスを手術しない方の足だけ履き、
トイレに行っておく・・・だけだな。

ともこが手術前に間に合いました。

「がんばってね」
「ああ、大丈夫だよ。
 今回は気楽なもんさ、僕は寝ているだけだからね」

ほどなくして看護士さんが戻り、

「では行きましょう!」

・・・? って歩いて行くの?

そう、見送るともこをエレベータホールに残し、
僕は点滴を片手に看護士さんと2階の手術室へ降りました。
ドアが開くそこは、SF映画に出て来る、
マッドサイエンティストのラボのような空間。
いろいろなライトがピカピカし、
機械の動作音が独特なリズムを刻んでいます。

お〜、なんかサイボーグに改造されそうだな。
盛り上がって来たぜ。

麻酔科医や看護士の紹介を受けるとすぐ僕は手術台へ。
横になったらすぐ、
体の上に薄いエアマットのようなものを被せられました。
これがほんのり暖かくて気持ちいい。

ほえ〜、なんか近未来エステみたいじゃん。
オイルマッサージが始まりそうだ。
ってなどうでもいい妄想はここまでにして、

「麻酔はどうやるのですか?」
「点滴からの麻酔で意識がなくなります。
 それ以降はマスクからの麻酔でその状態を維持するのです」

へぇ〜、なるほど。

なんて思っているとマスクが付けられ、

「これは酸素です。ゆっくり深く吸って下さい」

以前手術された時もこうだったっけ。
なんかアルコールっぽい臭いのするガスを吸っていたら、
2回目に吸った息を吐いた記憶がなかった。

今回はどうだろう?

1回・・・、2回・・・、3回・・・あれまだ効かないね。

4回・・・、5回・・・、6・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月30日

入院日記 パート3 その1

お待たせしました!

手術は無事に成功し、
僕は予定通り今日の昼過ぎ、アパートに帰って参りました。

いやはや今回もこの『予定通り』ってのが大変だったんですよ。
ま、その辺は恒例(?)の入院日記の中でお話するとして、
まずは時計を入院した3月24日(火)に巻き戻しましょうか。
_________________________________

「まるで取材旅行に行くみたいだな」

僕はバックパックを背負い、駅に向かって歩き始めました。
スタイルも山シャツとトレッキングパンツですから、
まさにこれから『成田空港へ』という感じ。
しかし今回の行き先は違います。

病院はアパートから1時間弱のところ。
アクセスは悪くありません。
今日は診察で行っていた新しい総合外来センターではなく、
古い病棟の方に直接行きます。
なるほど入ってみるとロビーは薄暗く人けもまばら。
僕は表示に従って入院の手続きに入りました。

こういうのも自分だけではなく、
何度も家族で経験していますから、さらっと流して行きます。
ここで気になっていたのはただひとつ・・・

「病室は決まりましたでしょうか?」
「はい。718号室です。7人部屋ですから予納金はありません」

良かった〜!

いや、手術の内容以前に入院が決まって以来、
僕らの最大の心配事は入院費用!

だってね、1カ月以上も前に予約したのに、
「大部屋で空きがなかった場合は2人か4人部屋になります」
なんて脅かされていたのですよ。
差額ベッド代はなんと最大1日1万円超!

おいおい、
取材旅行だってそんなにリッチなホテルは泊まってないぜ!

胸をなでおろした僕はそのまま7階のナースセンターへ。
建物だけではなく病室もオールドファッションです。
アテンドしてくれた看護士さんの説明を受けた後、
僕は自分のスペースでバックパックを降ろしました。

広さは概ね2.5メートル四方・・・ってとこかな。
ふむ、冷蔵庫はなし。
テレビはあるけど見ないから関係ないね。
読書灯は使いやすそうだ。

ざっと設備をチェックしたあとで看護士さんに、

「壁のコンセントから電源を取ってパソコンを使ってもいいですか?」
「ええ、もちろん」

よしよし、これで仕事ができるぞ。

検査はすべて終わっているので、
ここから明日の手術まで何もすることはありません。
彼女が戻ってしまうと僕はコンセントにテーブルタップを繋ぎ、
パソコンや本、資料を取り出してテーブルに並べました。
こういうのも取材旅行で仕事場を作る時とそっくりです。

まもなく夕方、
ともこときれいな総合外来センターの方で待ち合せしました。
持ってくるのを忘れた仕事の資料を受け取り、
しばらく飲めなくなるだろう美味しいコーヒーを飲みにカフェへ。

入院中の食事は8時、12時、そして18時。
して、肝心な料理ですが・・・

量はちょっと少ないけど悪くないじゃないですか!
うん、けっこう美味しいよ。

と褒める前に、
ここでも僕の基準点をお話しなければなりません。

2.5メートル四方のスペースを良しとし、
ここの料理をうまいというその比較対象とは・・・

エコノミークラスの長時間フライトです。

あれを基準にするとですね、
僕のベッドはフルフラット!
しかも電動調節機能付き!
ラゲッジスペースも広々してるし電源もスマホも使える。
食事だって全部熱々でサーブされるんですよ。
こりゃもう航空機でいったらビジネスクラス級じゃないですか?

音だって機内ほどうるさくないし、
隣のベッドにいるチューバッカのいびきや寝言だって、
(ほんとに声だけ聞いてるとチューイとしか思えない)
イヤフォンで音楽を聴くか耳栓をしていれば気になりません。
こういうのもドミトリーに泊る時はフツーです。

と安心したところで、入院前の疲れがたまっていた僕は、
消灯時間前にぐっすり眠り込んでしまったのでした。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月23日

3月末までの営業について

僕が入院中、
ととら亭はランチ、ディナー共に、ともこのワンオペとなります。

つきましては状況次第で、
空席があってもご入店できない場合がございますので、
できれば事前にご予約、
もしくは電話でお問い合わせ頂けますと助かります。

それから当然のことながら、
通常よりスピードが全体的に落ちることもご了承くださいませ。

ご理解とご協力をお願い致します。

僕はたぶん、今月29日(日)前後に退院し、
ギリシャ料理特集パート2が始まる4月2日(木)に復帰します。
(・・・たぶん)

ちなみに病院内にはWi-Fi環境がありませんので、
このブログも退院するまでお休みとなります。

とまぁ、『予定』は以上の通りですが、
最近は何がどうなるか、ふたを開けてみなければ分かりません。
この治療が僕らの普段の旅のようにならないことを祈りつつ、
出かけたいと思います。

それでは行って来ます!

えーじ
posted by ととら at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月21日

自分の旅のために その9

先日、病院で最終的な打ち合わせがあり、
予定通り手術することになりました。

まぁ、一般的には入院して手術なんていうと、
そりゃ大変だ!
となるかもしれませんが、
何かと基準点の低い僕としては、
ちょっと長い人間ドックに入るくらいの気分です。

と申しますのも、
入院するのはこれで6回目。
手術は3回目になるんですよ。

いやはや見ての通り病弱な体でして・・・

とジョークはさておき、
楽な気分のその訳は、これが初めての計画入院だからです。

振り返ると、第1回目は中学生のころ。
急性の膵臓炎で4、5日入院したのですが、
今から思えばこれが一番まともでした。
たしか母に連れられてタクシーで病院に行ったのですからね。

それ以降はその後の僕の人生を象徴しているようなケースばかり。

ってわけで、2回目はバイクの事故です。
お約束ですな。
夜間、路肩から急発進した別のバイクをよけきれずに接触。
僕はバイクから投げ出されて宙を舞い、
気が付けば中央分離帯を枕に寝ていました。
脳震盪プラス体の左側を強打して感覚がなくなっていたのですが、
「このまま寝てたら後続車に轢かれちゃう!」と気合を入れて立ち上がり、
壊れたターミネーターのように歩きながら路肩へ。
なんとか辿り着いてそのまま前のめりに倒れると、
きゃあ〜っ!と聞こえる通行人の悲鳴。
そして間もなく到着した救急車で病院にレッツゴー。
この時は左鎖骨と左手の甲の骨が折れていました。
手術で鎖骨を金属製の釘で繋ぎ、1カ月間の別荘生活。
3カ月後の釘抜きで2回目の手術。

3回目は1996年の秋、
初めてネパールを訪れて帰国してから4、5日経ったころ。
風邪のような症状で近くの病院に行き、
薬を処方してもらって飲んだのですが、
熱は下がるどころか急上昇。
(今だったら旬なネタでヤバいですよね?)
そこで先の病院に電話すると救急車を呼んで下さいとのアドヴァイス。
そう言われたものの、なんとかまだ動けたので、
歩いて近くのもっと大きい病院へ。
しかし、この判断はマズかった!
ロビーは沢山の患者さんで混んでおり、受付はしたものの、
待てども待てども名前は呼ばれず。
じゃ、プランBで行くことにして、
立ち上がった僕は2,3歩歩いてそのまま冷たい床へ前のめりにバタリ・・・。
きゃあ〜っ!と聞こえる患者さんたちの悲鳴。
そして間もなく到着したストレッチャーで救急処置室にレッツゴー。
この時は体温が41度を超えており、そのまま3日間入院していました。
え? コロナじゃありませんでしたよ。
診断はつきませんでしたけど。

4回目は皆さまご存知、ととら亭を始めてからのこと。
2012年1月に腰部椎間板ヘルニアで裸のまま救急車で運ばれた一件です。
(詳しくはこのブログで『入院日記パート1』をご参照ください)

そして5回目は2018年8月にこれまた腰部椎間板ヘルニアで、
お店から救急車で運ばれた一件。
(詳しくはこのブログで『入院日記パート2』をご参照ください)

そんなわけで、こうした泣ける過去があると、
今回のような計画入院は、ほんとぉ〜〜〜に、
楽だなぁ・・・と思えるのですよ。

ま、例によって予期せぬ何かが待っているかもしれませんけどね。

そういうの期待しないで下さいよ!

えーじ
posted by ととら at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月19日

ととら亭という旅

16日の月曜日で独立10周年のお祝いも終わり。

休み明けの昨日、
いよいよ11個目のだるまの片目を入れました。

darumato2011.jpg

ととら亭の新しい旅の始まりです。

普段の旅で僕たちが行き先を決める際、
『行ったことがないところ』を重要な基準にしています。

それと同じように、
10年目のととら亭が9年目とは違っていたように、
11年目は10年目とも9年目とも違う旅になるでしょう。

もしかしたらそれは、
一部のお客さまにとって残念なことも含まれるかもしれません。
たとえば初年から比べると、
洋食メニューはほとんどフェードアウトしてしまいましたからね。

しかし、この10年間、変わらなかったこともあります。

それは、『僕らの旅の経験をみなさんとシェアする』という、
ととら亭のコンセプト。

これは独立後の10年を超え、
12年前の準備期間からまったく変わっていません。

そう、『旅の食堂ととら亭』とは、
僕らにとって日々の糧を得るための仕事ではありますが、
同時にパーソナルな生き方でもあり、
おそらく人生で最大最長の旅でもあるのでしょう。

さぁ、先を続けましょうか。

えーじ
posted by ととら at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月16日

話のツボ

僕は今までいろいろ雑多な仕事をしてきましたが、
ととら亭ほど職業、生活ともにバックグラウンドの違う人たちと、
接する機会はありませんでした。

そこで気付いたことのひとつに『話のツボ』があります。

これ、心のスイッチともいえるもので、
一見、寡黙に見える人でもツボにはまると、
別人のように話し始めるんですよね。

そこで僕はときどき、
ひとりでカウンターに座ったお客さまのツボを探すことがあります。

この話題でどうだ・・・
ん・・・ノッてこないね。
んじゃ、これは?

という具合に。

このツボ、旅の食堂だからといって、
旅行ばかりとは限りません。
料理、音楽、アート、演劇、小説、スポーツなどのソフトなものから、
哲学や政治、宗教などディープなものまで、
人によってほんとにさまざま。

時にはノッてきた専門家から即席レクチャーを受けることがあり、
たいへん勉強になることもあります。

ただいずれも共通しているのは、
ツボにはまって話す人は、みなさんキラキラしていますね。
(もちろんポジティブな話題の場合ですけど・・・)

しかしながら場合によっては、
あえてそのツボを避けることもあります。

たとえばわが家の場合、
ともこにスーパーマーケット系の話を振ろうものなら、さぁ、大変。
くたくたに疲れはてた週末の深夜ですら、
突然V8エンジンがかかり、

「そうそう! 今日ね! ノガーダ用のピーマンを探しに行ったらさ。
 (ここでギアが2ndに入ります)
 サカガミさん(野方にあるやや高級なスーパー)で289円のピーマンが、
 丸正さん(同じく在野方の庶民派スーパー)で198円だったのよ!
 (3rdにシフトアップ!)
 それも量と質はおんなじ! 得しちゃった!
 ねぇ? ちょっと! えーじ! 聞いてる?」

最後はギアがトップに入り、
たたみかけるような演説が始まるのですよ。

ふ〜・・・

話のツボ。
皆さんも、ご使用上の注意をよくお読みいただいてから押してくださいね。

えーじ
posted by ととら at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月13日

好奇心に魅入られて

2018年11月に研修旅行で行ったインドネシアのバリ島。
その時の現地レポートで、
この写真をお見せしたのを覚えてます?

it_3monkeys.jpg

そう、皆さまご存知、
『見ザル言わザル聞かザル』の猿トリオ。

これがなんでウブドのモンキーフォレストにあるのかしらん?
日本の文化は、こんなものまで伝わっていたのか!

なんて驚いていたら、
後日、このブログを読んだ若手の旅人が、

「えーじさん、三猿って日本発祥ではないそうですよ」

とな?
三猿って made in Japan じゃないの?

で、調べてみれば、どうもその起源は諸説扮分らしく、
定説はない・・・みたいですね。
誰か本を書いてないかな?
と、探してみたらありました。

『世界の三猿―その源流をたずねて』
 著者:飯田 道夫

飯田氏は学者ではありませんが、
ケニアで見かけた三猿に疑問を持ち、
以来、座学のみならず、世界各国でフィールドワークを行い、
三猿の起源を追いかけて行きます。

そして彼が到達した場所は・・・

エジプト!

三猿はエジプト文明に起源をもつだって?

その詳しい説明は本に譲るとして、
ちょうどエジプト取材に行く前だった僕らは、
さっそく現地で探してみました。
すると・・・

おお、あるじゃないですか!
しかもそこいら中に!

最初に訪れた街、
ルクソールの土産物屋に並ぶ三猿を見た時は、
ほんと、驚きましたよ。
しかし2軒で、なぜここに三猿があるのかと訊いても、
店主の答えは、

「ん〜・・・昔からあるね」

じゃ、わからん。

ともあれ、僕らはこれが本業ではありませんから、
三猿探しはすぐ切り上げてしまいましたが、
飯田氏の著作を思い出して奇妙なシンパシーを感じたのですよ。

思わぬところで思わぬものと出会い、
そこから生まれた素朴な疑問。
そして、その答えを求めてさまよう旅・・・

おいおい、これってどこかで聞いた話じゃないか?

そう、三猿をギョーザに置き換えると、
まるで僕らの旅じゃないですか。
自分の仮説を持って巨大な山に徒手空拳で挑み、
想定外の結果からまた仮説を練り直してやり直すところなど、
調査メソッドまでそっくり。

手段でも目的でもなく、
知りたいという好奇心に魅入られて旅に出る。

いるんですね、こういう人が。

なんか嬉しくなってしまいました。

えーじ
posted by ととら at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月10日

火事場のルール

ととら亭ではお馴染みの、
Let's dive into the unknown future.
(未知の未来へ飛び込もう!)

僕らが仕組んだわけではありませんが、
これが世界規模になってまいりました。

そこで今なら、
僕らが取り入れている『火事場のルール』をご紹介するのも、
あながち無駄ではないかと思いまして。

実はこれ、
IT稼業時代からしばしばやっていることなのですよ。

と申しますのも、セキュリティを担当していた頃、
(不本意にも・・・)
もっとも遭遇したのがコンピュータウイルス事案。
偶然クリティカルなインシデントを対応して以来、
ビョーキの事件とあらば「久保を呼べ!」となりまして。
(さらに不本意にも・・・)

そんな時、緊急対応チームをキックするにあたり、
最初にやっていたのが基本ルールの説明と確認です。
それを今回のなまウイルス事案に応用しますと・・・

1.感染者と犯罪者は同義語ではない。
僕たちが意図せずして風邪を引いてしまうように、
コロナウイルスの感染者も自ら望んでなった訳ではありません。
しかもコンゴのジャングルの奥地で、
ゴリラ肉のハンバーガーを食べてきた結果ではなく、
あくまで日本における普通の日常生活を送っていて感染してしまった人が、
今や圧倒的に多いのです。
僕とあなたがそうであるように、
感染した彼、彼女も社会的な懲罰が必要な犯罪者ではなく、
助けが必要な同胞に他なりません。

2.企業や組織から感染者を出すことは不祥事ではない。
あなたの家族のひとりがインフルエンザに罹った途端、
新聞記者が押し寄せて家族や自宅の写真を撮り、
3面記事を飾ることがないように、
企業や他の組織で感染者が出たからといって、
社会的制裁を加える必要はありません。
ひとりの感染者と同様に、
その組織に必要なのはさまざまな形での支援です。

3.電子商業サイトはブラックマーケットではない。
amasonや楽天などの電子商業サイトは、
ショッピングモールや商店街と同じく、
売り手と買い手が共に利益を享受する場であって、
人の弱みに付け込んで暴利をむさぼる人たちの、
ブラックマーケットではありません。

4.SNSは基本的に報道システムではない。
facebookやtwitterなどのSNSは、さまざまな使い方が出来ますが、
発信源が個人の場合(もしくは不明確な場合)は、
基本的にパーソナルなコミュニケーションツール以上でも以下でもありません。
それらを行政機関や新聞社等が発信した情報と同列に受け取ってしまうと、
現実とフィクションの区別がつかなくなる恐れがあります。

5.火事場の責任論はノイズ以外のなにものでもない。
毒矢が体に刺さったとき、
愚か者は矢が刺さったまま「誰がやったんだ!」と叫ぶそうです。
賢者は、いや、普通の人だってそんな時は、
まず毒矢を引き抜きますよね?
僕がコンピュータウイルス事案を担当していた時、
もっとも状況を悪化させた要因のひとつが『火事場の責任論』でした。
こういうのは全てが終わってから、好きなだけおやり下さい。

6.われ先にとわれを失うことが自分の損失を最大化する。
ミクロな話ではマスクや消毒薬を必要以上に買い占めて、
ほんらい必要な人に行き渡らなくしたり、
マクロなケースでは、
国境を直ちに封鎖すれば(特に中国との)、
ウイルスを遮断できるなどと喧伝することは、
現状を正しく理解していないばかりか、
必要以上に被害を大きくする可能性があります。
この両者に共通する『自分さえ守れば大丈夫』という自己チューな考えは、
まさしく『われ先にわれを失う』心理状態に他なりません。
これは言うまでもなく、結果的に自分自身の損失を最大化します。

7.優先順位の過ちが社会主義に後れを取る。
僕は社会主義の国に住みたいとは思っていませんが、
その機能を全面的に否定しているわけではありません。
特に意思決定と行動の速さは民主主義国家の及ぶものではないでしょう。
(日本では移動の自由を保障する憲法第22条があるので都市封鎖はできない)
この点において、民主主義国家ができる最良の対抗策は、
優先順位の過ちを避けることです。
国政から地方まで議員バッジを付けている方は、
議会でいま何を議論すべきか、自分たちの時間をどう使うべきか、
優先順位を念頭に仕事をすることが社会主義のスピードに追い付く、
重要なキーポイントになるでしょう。

8.医療リソースを守れるかが勝敗を分ける。
人類史上最大最悪のパンデミックとなった1918〜19年のスペイン風邪。
被害を大きくした最大の要因は医療体制の崩壊だったといわれています。
武漢での死亡率が他の地域と比較して大きいのも、
この説の正しさを裏付けているでしょう。
これは今回も変わらず、医療体制の維持が、
予防ワクチンと治療薬の開発同様、
人類とウイルスの戦いにおける最も重要な要因のひとつだと思います。

と、こんな話をしつつ、いま僕が一番心配しているのは、
ととら亭の売り上げではなく、南半球の状況です。

COVID19に対抗する予防ワクチンや治療薬がないまま、
医療体制が脆弱な南半球の国々で感染が広がった場合、
その被害は高度な医療システムを持つ北半球の国々に比べて、
想像を絶するものになる可能性があります。

また中東など政情が不安定な国々で権力の中枢がダウンした場合、
感染症とは別の混乱が起こり、
それが周辺国を巻き込むことも十分想定できるでしょう。

それらが現実となる前に、何としても直接的な対抗手段が欲しい。

そうした意味では、先の8項目でお話しましたように、
いまや政府だけではなく、
僕たちひとりひとりが危機対応チームのメンバーです。

そこで僕たちが再認識すべきは、
ウイルスが最も恐れるのは予防ワクチンや治療薬以上に、
僕たち人類の結束力だということ。
やれることは、ひとりひとりにあるんですよ。

ONE TEAM

いま、ここで、一緒にやりましょう。

えーじ
posted by ととら at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月07日

無謀な企て

何ごとも『知らない』というのは怖いものです。

しかしながら、
物事というのは、すべてが本に書かれているわけではなく、
されとて教えてくれる人がいるとも限りません。
つまり、ものによっては自分の行動を通してしか知ることができない。

ととら亭という存在は10年前の僕たちにとって、
まさに『やってみなくちゃ分からない』ことの連続でした。

振り返ってみると、
よくもまぁ、あんなことをやったもんだ・・・
ということが沢山あります。
今日はその無謀な企てともいえる一部をお話しましょうか。

1.徒歩で来るには遠い場所に住んでいた。
僕たちは2010年〜2012年の間、練馬区の中村南に住んでいたのですが、
これは店の近くに予算内の家賃で住めるアパートがなかったからでした。
ま、自転車で来ればいいと、安易に考えていたのですけどね。
ところが雨や雪の日のことまでは頭にありませんでした。
で、結果として天気の悪い日は帰れなくなってお店に泊ることに・・・

2.引っ越しを自力でやってしまった。
そこで引っ越そう! ということになったのですが、
これまた予算上の都合からすべて自力でやることに。
ランチが終わると僕は近くのスーパーでダンボールをもらい、
そのままアパートに帰って荷造りに励む日々。
そして繁忙期の年末年始でぼろぼろに疲れた後、
レンタカーを借りて引っ越したのはいいのですが、
その無理が祟って、1週間後に腰部椎間板ヘルニアの洗礼を受け、
真冬に裸で救急車に乗る破目となったのでございます。

3.食器をビジュアルだけで選定していた。
仕事も今より過酷でしたね。その原因のひとつがこれ。
食器を見た目のセンス一発で選んでいたのですが、
タンブラーを喫茶店並みの小ささにしてしまったため、
ぐいっと一回あおれば空になってしまいます。
加えて都度ウォーターディスペンサーでサーブしていましたから、
僕は「すいませ〜ん、お水下さい!」の集中砲火を浴びておりました。

4.真夏もビジネスシャツで仕事をしていた。
まがりなりにもレストランなんだから! という気負いで、
酷暑の時期でも僕はビジネスシャツで仕事をしていました。
しかし、こまねずみのように店内を右往左往していたものですから、
これがもう暑いこと暑いこと・・・
で、ランチが終わるとアパートまでシャワーを浴びに帰ったわけですが、
これまた遠いので店に戻って来ると元通りの汗だく。
今はクールビズにあやかってTシャツやポロシャツでやっています。

5.食器洗浄機がなかった。
ハイティーンの頃に飲食店でバイトした時は、手で食器を洗っていましたから、
今回もそれで行けると楽観していました。
ところが蓋を開けてみると、ランチやディナーの営業が終わってから、
1〜2時間は皿洗いをする日々が待っていたのです。
特に夜はつらかったですね。
24時くらいに一度休憩して夕食を食べ、
そこからまた25時過ぎまでお皿やグラスを黙々と洗っていると、
マジで悟りを開きそうな気分になってきますよ。
今はもう食器洗浄機なくして僕の人生はないと思っています。

6.仕事納めの翌日に大掃除を予定していた。
スケジューリングも無謀でした。
固定観念で、大掃除はその年の最後にやるものだ!
と決めてかかっていたのですが、12月は繁忙期。
しかもフィナーレの翌日ともなれば、
ふたりとも「おやっさん、燃え尽きたぜ。真っ白にな・・・」の状態。
(あしたのジョーの最終回より)
にもかかわらず、大掃除をブッキングしていたのですからね。
さらに床のワックスがけまで追加したとあってはなにをかいわんや。
結果は・・・ともこが途中で熱を出してダウンし、
僕はひとりで自分の判断を呪いながら掃除を続けたのでありました。

7.すべてのお客さまを満足させようとしていた。
デビュー当時は本当に気合が入っていました。
お客さまは、せっかく来てくれたのだから、
どんな人であろうと必ず満足して帰って頂こう!
と心に誓っていたのですよ。
いやはや、やってみると、
これは高尾山程度にしか登ったことのない人が、
エベレストに挑戦するようなものでした。
お客さまの求めるものは多様です。
時にはそれがお客様同士で相反することも多く、
この小さな店で、
かつ、たった二人のマンパワーで、かつ、この低予算では、
物理的に不可能なことが山のようにありました。
今は美しい理想は理想として、
身の程をわきまえた目標設定をするようにしています。

とまぁ、ざっと思い浮かんだだけでもこれくらいはありますが、
いずれも凡人の僕たちには、やってみなくちゃ分からないことでした。

こうした経験から身をもって学習し、最近はちっとましになったかな?

でも、お勉強はまだ終わっていません。
僕らの仕事は、いや、旅は、
きっといつまでもトライアルアンドエラーが続くのかもしれませんね。

えーじ
posted by ととら at 16:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月04日

不確実性の達人

この先、仕事はどうなるんだろう?
収入はどうなるんだろう?

こんな不安に駆られている方が多いと思います。

ならば僕たちはどうか?

不安はないです。

いや、正確に申しますと、
この先、仕事はどうなるんだろう?
収入はどうなるんだろう?
というのは個人事業主の場合、しごくフツーの状態なのですよ。

そうした意味では、直接的な原因が伝染病であろうと、
ととら亭にお客さまがぜんぜん来なくなる、
フィギュアスケートや国政選挙、はてや酷暑や台風などと比べても、
『売り上げが落ちる』という結果においてはみな同じ。

あ、さらに言うとですね、
労働時間がひとり400時間/月の状態が10年間続いても、
厚生労働省さんは「それはあんたの勝手でしょ?」ですし、
ちょっと風邪気味なので仕事を休もうかな? も同じく、
休めば休むほど給料が減っても、
これまたお上は「それはあんたの勝手でしょ?」。

日本の行政が張っているセーフティーネットは、
基本的にプロレタリアート向けであって、
僕らのようなプチブルはいわゆる『サポート外』。
自己責任で Have a nice life.

だから昨日今日になって、僕らがあらためて慌てることはない。
先日お話しましたように『いつもと同じととら亭』なのですよ。

というわけで、これまで通り、不確実な未来に飛び込んで、
11年目も初日からお約束で行きます!

ととら亭独立10周年記念 野方でノガーダ!

ん? そういえば、
この料理を探しに訪れた2009年春のメキシコは、
前回のパンデミックとなった豚インフルエンザの爆心地だったなぁ。

仕事だけでなく、
僕らの旅では珍しくないんですよ、こういうの。

えーじ
posted by ととら at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月03日

10回目のありがとう

ともこです。

無事に独立10周年を迎えることができました。
目の前のことを必死にやるだけで精一杯の毎日でしたけど、
どうにか続けてこれました。

たくさんのお客さまに来て頂けたことはもちろん、
野方の周りのお店の仲間たちやパートナーの業者の方々、
それから離れていても、
いつも心配してくれる家族に支えられてやってこれました。

自分の無力さに落ち込む日や失敗の連続で泣きそうな時、
旅先で見上げた青空を思い出して、また歩き出せた気がします。

いつも一緒に前に進む力をくれたえーじには、本当に感謝しています。
明日、地球が消えてしまうと言われても、
いつも通り、えーじと二人、
ととら亭での一日を過ごせれば、私は幸せです。

これからも全力で前に進んで行きたいと思いますので、
応援して下さいね!

10thanniversary.jpg
posted by ととら at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月02日

Ten years in Nogata

2010年3月2日。

翌日は独立して初めての仕事が始まる日。
僕らは業者さんと親族のレセプションを終え、
オープンに向けた最終調整に入っていました・・・

なんていうと、もっともらしく聞こえるかもしれませんが、
実情は仕込みやメニュー作り、その他の雑務の山に埋もれ、
気が付けば、もうろうとした意識の中、開店時間が迫っていた・・・
というのが正直なところ。

あれから今日で丸10年。
この日が来たのをいちばん信じられないのは、
とうの僕たちだと思います。

ととら亭の旅立ち。
それは開業前の準備に費やした2年間も含め、
まさしく『地図のない旅』でありました。

とにかく、すべてが分からないことだらけ。
しかも訊ける相手がぜんぜんいない。
どうやったら『旅の食堂』なんていう飲食店が作れるのか?
そして、それをどうやって運営して行けばいいのか?
リソースは資金もマンパワーもしょぼい限りでしたし、
(今も変わりませんが・・・)
時間も潤沢に使えるわけではありません。
(これも変わってませんね・・・)

そんな僕らが持っていた唯一の武器は、
それまでに行った数々の旅の経験でした。
特に独立の前年に行った、中南米3カ月間の旅は、
11年後の今に至るまで、
僕らを支えてくれる頼もしい柱となっています。

出発後の航海も時化の海が多かったですね。
とりわけ独立してからの2年間は、
トライアルアンドエラーの日々が続いていました。
そのエラーの部分だけでも本が数冊書けるくらいですよ。
ほんと、あちゃあ〜・・・なことが沢山ありました。
でも、いちいち落ち込んでる余裕すらない。
次がすぐにやってきましたので。

この10年を振り返ってみて、
客観的に採点すると、もちろん100点満点ではありません。
僕らはただの凡人ですからね。
しかし、ふたりとも、これだけは言える、ということがあります。
それは・・・

この結果が僕たちのベストだった。

ということ。

最後に、ふたつの感謝をもって、
この記念すべき日のブログを締めくくりたいと思います。

東京で、日本で、世界で僕たちを理解してくれた皆さま。
正直、10年前のこの日、僕はここまでたくさんの人々が、
僕たちの仕事を理解してくれるとは思っていませんでした。

もしかしたら、いや、確実に、
僕たちが得た最高の勲章は、10年分の売り上げではなく、
皆さんのご理解だったと思います。
嬉しかったです。
本当に、どうもありがとうございました。

そしてもうひとつ。

僕の厳しい要求に応え、どんな時も僕を支えてくれた、
妻にして旅の相棒であり、最高の旅の料理人でもある、
智子に。

どうもありがとう。

えーじ
posted by ととら at 14:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記