2020年05月25日

メンタル筋トレ

健全な体に健全な精神が宿る

しばらく前から、
この言葉が正しくないことに僕は気付いていました。

だって格闘家やスポーツ選手の不祥事は珍しくないし、
かくいう僕だって、スポーツ歴は半世紀近いんですよ。
なにの現実はねぇ・・・

じゃ、勉強ができれば健全な精神が宿るのかというと、
これまただいぶ怪しい。
もしそうなら名門校出身のインテリは、
すべからく聖人君子になってるはずなのに、
絵にかいたようなエリートが、その『優秀さ』ゆえに、
世界規模の大迷惑をしでかすのも珍しくないでしょう?

ここから帰納されるのは、
『健全な精神』とスポーツやお勉強は、あんまり関係ない、
という、教育業界では禁句の事実です。

いや、僕は別に教育システムを批判するつもりも、
個人的に偉人賢人のたぐいになろうという企てもありません。
ただ、もうちっとましな人間になりたいと思って、
長らくこの相関関係を考えていたのですよ。
なにせ20歳代の頃は、
横浜のデスラー総統かラオウみたいな若僧でしたからね。

ふふ、みんな燃やしてやる・・・

幸い、そういう自己チューの破滅的な性格が問題だと悟るのに、
それほど時間はかかりませんでした。
なぜならブッダの教えの通り、
良くも悪くもすべての行為はブーメランのように、
やった本人へと戻って来るからです。

で、戻って来ました。
それもどっさりと。

そうなりゃ、いかに僕のような凡人でも学習するものです、

そこで仏教にとどまらず、
哲学やら心理学、はてや怪しい自己啓発本まで読み漁り、
コテコテに理論武装したものの、
何年やってもぜんぜん芳しい結果が出ないどころか、
なんだか悪化してきたような気がしなくもない。

Why?

思えばこのビッグミステイクに気付くのに、
50年以上かかってしまいました。
(不器用ですから)
そう、強い人間のモデルが完全に間違っていたのですよ。

人間の強さとは、
スタローンやシュワルツェネッガー演ずるところの、
マッチョガイヒーローが象徴するものではありません。

むしろ身近にいる、
物ごとに動じず、思いやりを持ち、
他者に寛容な人こそ、あるべき強き人のモデルだったのです。

OK、それじゃトレーニングメニューを変えてみよう。
名付けて『メンタル筋トレ』!

スポーツのトレーニングは基本的に多かれ少なかれ苦痛が伴います。
さいわい、これに耐えるのは僕の得意とするところ。
(マゾヒストじゃありませんが・・・)
で、メンタル筋トレはこの特性を応用し、
ネガティブな感情、たとえば、怒りやイライラ、悲しみ、苦しみ、
嫌悪感などが沸き起こった時、それをエクササイズとして捉え直すのです。

初級編は、『焦りとイライラ』対策用に『走らない』を始めました。
そう、電車が来た! 信号が変わっちゃう!
エレベーターのドアが閉まっちゃう!
こんな時に走らない。
これは「待つ」という僕の最も苦手とするところを直すのが目的。
ですから走ったら負けですね。

中級編は、意見の不一致に出くわした時。
たとえ「そりゃあり得ないね!」と思っても反論しない。
ここではなぜ相手が自分とまったく違う意見を持っているのか、
興味を持って質問できたら僕の勝ち。
否定的な感情に支配されて、
口論してしまったら結果の如何を問わず負けです。
これはちょっと手強かった。

上級編はさらに難しいですよ。
それは非難や敵意を向けられた時ですから。
最初はすぐ反撃してしまいました。
そう、いきなりゲームオーバーです。
しかし負けを繰り返すうちに、
ぼんやりと勝てるチャンスが見えてきたのですよ。
それは怒りに気付くこと。
「あ、僕はいま怒り始めたな」と気付けば勝機があります。
気付かないとネガティブな感情に飲み込まれておしまい。

こうして僕は最近、ダークサイドの感情がこみ上げる度に、
心の中で「Let's exercise!」とつぶやけるようになりました。
すると不思議なことに、
以前は「ユー、サナバビ〜ッチ!」だった相手が、
トレーニングコーチのように見えてきたじゃありませんか。
こうなるとそうそう負けません。

「ふ、そんなんで僕を怒らせようったって無駄さ。
 さぁ、心の腕立てと腹筋100回いくぜ!」

というわけで、
56歳のおじさんが目指すのはマッスルマッチョではなく、
メンタルマッチョなのでございます。

えーじ
posted by ととら at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記