2020年07月31日

旅に出なくても旅

え? 
電気カラクリを使ったオンライントリップじゃありませんよ。
リアルでマジな旅です。

え? この状況で出かけるのか?

いや、もうとっくに出かけているんですよ。

え? いまどこにいるんだ?

もちろん野方です。

ずいぶん前にお話したかもしれませんが、
僕らにとって、ととら亭そのものがひとつの長い旅。
出発したのはたぶん、
独立に向けて具体的な行動を起こした2007年あたりじゃないかな?

あれからずっと、僕らの旅は続いています。
それもバックパッカーそのもの旅が。

ま、場所やルートにもよりますが、
この旅は何かとすんなり進みません。
とにかく次から次へとトラブルがやって来る。
ときには同時にじゃんじゃん起こることもある。

たとえば独立1周年を迎え、
やった〜っ!
と喜んでいた8日後にやって来たのが東日本大震災。
そしてその後に続く放射性物質騒動。

最近では独立10周年を迎え、
これまたやった〜っ!
と喜んでいた翌月に突入したコロナ騒動の営業自粛。
こりゃもう1年目とは比べものにならない10倍返しのインパクト!

それでも活路を見つけて前に進むのが、僕らの旅なのですよ。

来月3日(月)からまた、
21時オーダーストップで22時閉店の営業時間規制が始まります。

そしておそらく、いや、ほぼ確実に、
自粛と呼ばれる営業停止状態も近々やって来るでしょう。

それでも大丈夫。
慣れているんですよ、こういうの。

目的地に向かってルートと方法を検討する。
作戦を立案したら必要なタスクを漏れなくダブリなく洗い出す。
実行してプランAがスタックしたらプランBに切り替える。
プランBもスタックしたらプランCに切り替える。

地球の裏側にいても、野方にいても、
僕らの旅の基本は変わりません。

そして同じように変わらないのは、
その紆余曲折のプロセスを思いっきり楽しむこと。

旅ってのは、そういうもんじゃありません?

えーじ
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2020年07月29日

レバノン料理特集が始まります!

この2日間は旅のメニュー変えで僕も流行りの『在宅勤務』。

と言っても午前中は『出社』しているから半々かな?

こういう日の僕の生活リズムは、9時半頃お店に行って、
コーヒーを飲みながら読書とメディテーション。
11時頃からぼちぼち仕事を始めて13時がランチ。
そして肉労系を片付けたらアパートに戻ります。
ウェブ系やDTP系のお仕事はB5ノートPCじゃつらいですからね。
自宅のデスクトップPCに切り替えてやってるんですよ。

んが!

今回もお約束と申しますか、
早めにキャプションが書き終わってレイアウトもまとまり、
さぁ、前倒しで印刷だ!
と意気込んでA4プリンターの電源を入れたら、
見慣れぬタイミングで各種LEDが点滅し始めたじゃないですか!

・・・? こりゃなんだ?

そこで表示されたポップアップには、
『修理が必要なエラーが発生しました』とのメッセージが・・・

はぁ〜・・・せっかく早く終わると思ったのに。
仕方ない、プランBだ。

で、ポスター印刷用のA3プリンターに切り替えたんですが、
A4系印刷物は色味の調整が必要なので、
あれこれ試し刷りしているうちにどんどんロスタイムが伸びて、
結局こんな時間になってしまいました。

レバノン料理特集

今回は一挙にアンコールメニューも替える気合の入り振り。

で、食事以外は別行動のともこは、
どっぷりキッチンにこもって怒涛の仕込みです。

今日はその様子をお見せしましょうか。
あ、おっかないからこっそりちょびっとだけですよ。

makingkibbeh01.jpg

これ、製作途中のキッベです。
レシピは完成しているのですが、
これをイメージした生産ラインに乗せる詰めが難しい。
ゴルフのパターみたいなもんですな。
トレードオフの関係にある質と効率のバランスをどう取って解決するのか?
このへんはホント、職人技です。

で、気難しい職人ってのは、
往々にしてお天気屋さんでもあります。
ほら、仕事がうまく行った途端、

makingkibbeh02.jpg

ご覧の通り。
この笑顔からすると、
どうやら明日から問題なくスタートできそうですね。

乞うご期待!

えーじ
posted by ととら at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月26日

おいしい料理と好きな人

ある人にはとてもおいしく感じられる料理が、
別の人にはまずくて食べられない。

味覚の違いというのは不思議なものです。

さらに不可解なのは、
うまい、まずいという味の評価に意識が関与できないこと。

なにを食べるのかは基本的に自分(意識)が決められますけど、
それをどう感じるかについては完全に受け身でしょう?
どう頑張ったって、「うまい!」を「まずい!」とは感じられませんし、
その逆もまた然り。

加えて、なにが味覚の判定基準を作り出すのか、
それも分からない。

これ、一般的には、
所謂『おふくろの味』がベースになっていると言われていますが、
それでは兄弟姉妹間の好みの違いを説明できません。

不思議だなぁ・・・

なぁんて、いつものように、
そんなつまらないことをつらつら考えていたら、
味の好みは恋愛にも似ていることに気付きました。

だって意識的に人を好きになったり嫌いになったりできないでしょう?

食べ物だけでなく、
人の好き嫌いもまた、自分(意識)は関与できないんですよ。

気が付いたら好きに『なってしまって』いるし、
いつのまにか嫌いに『なってしまって』いることもある。
その後で意識が「こりゃイカン!」とばかりに逆をやろうとしても、
まず勝ち目はありません。

それを決めているのは、
たぶん心のいちばん深いところにある何か、なんでしょうね。

おいしい料理と好きな人。

人生においてとても大切なこのふたつの対象は、
考えて分かるものではなく、
素直に感じることで、はっきり意識できるようになる。

ということは、子供には簡単で、
大人にはけっこう難しいことなのかもしれないな。

できます?

えーじ
posted by ととら at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月23日

追加御免!

いえ、ととら亭の追加オーダーのことではございません。

『東京都の感染者1万人突破』

このヘッドラインがニュースサイトで表示されたら、
皆さんはどう感じます?

うわぁ〜、
東京都には新型コロナウイルスの患者が1万人もいるんだ!

って、そう思いません?

正確には、『東京都の感染者が累計で1万人突破』なのであって、
同日における感染者数は1976人なんですけどね。

この差は大きい。

昨日、こういう誤解をまねきかねない表現を、
僕が気付いただけで報道大手3社が使っていました。
もちろん、ニュースの本文を読めば、
それが累計だと分かりますが、
ポータルサイトで表示されるのはヘッドラインだけです。

最近、気になっているのはこれだけではなく、
数字でいうと、
新規感染者数は『×日連続で×百人以上』のような表現を用い、
多くのメディアが連日報道していますけど、
退院者数を取り上げることは、まずありません。

つまり悪い話題はじゃんじゃん伝えても
いい話題は見て見ぬふり・・・?

素朴な疑問なんですけど、これ、どうしてでしょうね?

偏った報道は公益に利するよりむしろ、
視聴者の適切なリスク評価を妨げ、
いたずらに恐怖心を煽るだけではないかしらん?

その点でいうとインフォデミックなんて言葉まで生まれましたが、
報道各社がどこからか『専門家』なる人物を探し出し、
さまざまな自論怪論を流布させまくるというのも、
市井の混乱した状況を見る限り、公益に利しているとは思えないんだけどな。
(そういうのはもうyoutubeやSNSだけで十分だと思いません?)

たとえ事実という素材を使っても、
編集や表現を誤れば、
結果は現実と乖離したフィクションになりかねない。

そしてそのフィクションとは楽しいコメディではなく、
たいていダークなホラーになってしまう。

伝える側、それを受け取る側ともにそのリスクを理解しておくことは、
今のご時世、特に価値のあることではないかと僕は思ってます。

新型コロナウイルスだけではなく、
地震に気象変動、水害・・・

世界はもうじゅうぶん混乱しているんですよ。

これ以上、人間が努力して追加しなくたっていいでしょ?

ね?

えーじ
posted by ととら at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月21日

Here came a Saint.

新品の商品やライフラインに比べると、
ゴミや汚水など、捨てるもの、捨てることに関して、
僕らは一般的に冷淡です。

実際は廃棄系のシステムを1日、いや、1時間止めただけでも、
都市機能の多くが麻痺するのですけどね。

たとえば下水。

平日の朝8時に新宿駅のトイレが全部つまったら、
どうなると思います?

え? いま食事中だ?

失礼しました。
ま、そう食欲のなくなる事態が広範囲で起こるわけですよ。
それだけ大切なんですね。

で、その生活に欠かせない下水管の交換工事が、
今、ととら亭のある野方5丁目で行われています。

ありがたいですね。

え? 迷惑? 音がうるさい? 道路が通れない?

ま、下水工事に限らず、ガス、電気、通信など、
道路工事系はおしなべて白眼視されるもの。

そんな渦中で工事PR(工事の説明)に現れたのが齢70歳代のM氏です。
前職を引退された後、声を掛けられて再就職されたそうな。
たぶん、その経験と温厚な人柄を買われてスカウトされたのでしょう。

「梅雨空のもとで工事は大変ですね」

そういうと、

「いやいや、私の仕事は謝ることですから平気です」

とはにかみながら仰る。
謝る? ・・・とな?

その数日後、商店街を回る彼を見かけましたが、
なるほど遠くから聞こえてきたのは、

「すみません、ご迷惑をおかけします」
「すみません、よろしくお願い致します」

商店街の店舗や住宅を1軒ずつ回りながら、
彼は工事の説明をして行きます。
そして工事が始まれば、道行く人に頭を下げ、

「すみません、ご迷惑をおかけしています」
「ああ、すみません、そちら、お気をつけてお通り下さい」

ん〜・・・そういうことか。

そしてある晩、雨で工事が中止になった時、
工事個所を見回るカッパ姿の彼を見かけたので、

「こんばんは、こんな雨じゃ仕事になりませんね」
「ええ、でも私はいいんですよ。固定の月給ですから。
 かわいそうなのは彼らでね」

そう言ってM氏が視線を向けたのは、
機材を片付けて撤収しようとしている他の工事関係者たちでした。

「彼らは日給ですから今夜はたらけないと収入もない」

今日の野方は曇り。

彼は今も、
その工事によって最も恩恵を受ける人たちに向かって、
腰を折り、頭を下げ続けているのでしょう。

そして空を見上げ、仲間たちを気遣いながら。

えーじ
posted by ととら at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月18日

Little HEROES

ある日、ある時、幼稚園で。

ケンタ君はちょっとおっちょこちょいだけど、
いつも元気でみんなの人気者。

サヤカちゃんは同い年なのに気持ちは少しお姉さん。
ときどき先生やお母さんの代わりになってしまったり。

そこでほら、
またケンタ君が張り切り過ぎて転んでしまいました。

「うわぁ〜ん!」

ありゃ〜、ひざをすりむいちゃったのかな?
君は泣き声も元気だね。

その声にいち早く反応したのは、やっぱりサヤカちゃん。
すばやく駆け寄ると、

「ケンタくん、だいじょうぶ?」
「いたいよぅ」

サヤカちゃんは残念ながら、
まだファーストエイドの知識はありません。
でも、泣いているケンタ君をなんとかしてあげたい。

そこでハンカチを取り出すと、
やさしくケンタ君の涙をふきながら、

「だいじょうぶよ、すぐなおるよ」

こんなことがしばしばあったのか、
やがてケンタ君は心の中に、
今まで感じたことのない、
不思議な気持ちがあるのに気付きました。

そしてある日。
彼は彼女を目の前にして、

「サヤカちゃん、オレとけっこんしよう!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このお話、
実は幼稚園児のお子さんを持つ、
とあるお母さんから聞いたんですけどね。

その時、僕は心の中で「完璧だ!」と叫びましたよ。

困った人がいたら助けようとする思いやり。
大切なことは目を見て言う勇気。

これってまさしくヒーローの条件じゃないですか?

ん〜・・・ヒーローの不在を嘆いていたら、
まさか幼稚園にいたとは!

ん?

で、僕ら大人の中には?

んん?

えーじ
posted by ととら at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月15日

HOW to be a HERO.

ヒーローとは、
人々がピンチに陥った時、どこからともなく現れるもの。

そうした意味でなら、
今の日本はどこもかしこもピンチだらけ。
登場チャンスには事欠きませんよね?

しかし、待てど暮らせどヒーローが現れないのはなぜだ?

ん〜・・・それは多分、
僕らの認識に誤解があるからではないか?
と近ごろ思えてきたのですよ。

そしてその誤解とは、
ヒーローになるための条件。

おそらく皆さんもヒーローとは、
改造人間手術を受けたり、
インドの山奥にこもって修行しないとなれないもの・・・
(ちと古いか?)

そう思っていません?

そこで自らビッグピンチの渦中にいる僕も、
ない知恵しぼって考えてみました。
それも費用はゼロ。時間も5分とかからない方法を!

まずですね、目を閉じて、こう想像してみるのです。

僕は飲食業か、風俗業か、医療関係か、
エンターテイメント系の仕事をしている。

そして共働きで家計を支えているパートナーが、
新型コロナウイルスに感染してしまった!

くわえて僕たちには幼稚園と小学校低学年の子供の他に、
遠くでひとり暮らしの親もいる。

OK?

次にグーグルでもヤフーでもいいですから、
ニュースのポータルサイトにアクセスして、
ヘッドラインを一瞥してみて下さい。

いかがです?

ヒーローとして、
いま、何をすべきか?
そして何をしないべきか?
はっきり見えてきたと思いません?

で、僕はですね、
まずこれからはじめました。
それは・・・

他人の身になって考えること。

Let's save the World!

えーじ
posted by ととら at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月12日

とっておきのプレッシャー

ある日のディナータイムで。

4組のお客さまのうち、
偶然にも3組がバースデーのお祝いでご来店されていました。

仕事帰りにふらっと立ち寄り、
グラスワインを傾けながら旅の料理でリフレッシュ。
こうした方が多い中でも、
バースデーのほか、結婚記念日や卒業、就職など、
なんらかのお祝いでご来店されるお客さまは珍しくありません。

安普請にもかかわらず、
そうした特別な場として、ととら亭を選んでいただけたことを、
僕らはとても光栄に思っています。

また、時には20歳代前半のお客さまがご来店し、
会計の時に取り出したのはしわくちゃの千円札が数枚。
ととら亭の価格帯は、彼、彼女たちにとって、
けして安くはないでしょう。
受け取ったお札を見ていると、
節約してお金を貯めて来た雰囲気がいやがうえにも伝わって来ます。

とっておきの場所として見ていただけたととら亭。

仕事を続けて行くうえで売り上げは不可欠ですが、
僕らの気持ちの支えになるのは、数字の大小より、
こうしたお客さま側のモチベーションなのかもしれません。

しかしそれは励みとなる反面、
営業中だけではなく、
準備中でさえも大きなプレッシャーになることがあります。

たとえば多忙にかまけて、
「こんなもんでいいかな?」そう気が抜けそうになった時、
励みとなった方々の顔が思い浮かぶと、

「い、いや、やっぱりやり直そう」

となるのですよ。

とっておきのお店ゆえの、とっておきのプレッシャー。
これは怠惰な僕にも実によく効きます。

いい仕事をしなくては!

えーじ
posted by ととら at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月09日

to be a Hero.

小説や映画に登場する人物はどこかデフォルメされていて、
現実にいることはまずありません。

極端な勧善懲悪ものの例では、
善は多少おっちょこちょいでも基本的に善ですし、
悪は何をするにもとことん悪ですよね?

まぁ、そうしないと物語が分かり難くなってしまう。

でも、僕は最近MARVEL映画などを見ていて、
登場するさまざまなキャラクターは、
ホントのところ、
ひとりの人間を別の角度で表したものではなかろうか?
と思えてきたのですよ。

そこでちょっと時代は異なりますが、
次の絵を見ていただけます?

botticelli.jpg

これは『ヴィーナスの誕生』等で有名な、
初期ルネサンスのフィレンツェ派画家、サンドロ・ボッティチェッリが描いた、
『アペレスの誹謗』(1494〜96年頃)です。

この意味深な群像は何を意味しているのか?
なんでも登場人物は、それぞれの以下の概念を表しているそうで・・・

引きずられている若者          無実
松明を持って無実の若者を引きずる女   誹謗
誹謗の髪を整える二人の女        欺瞞と嫉妬

王座に座る男              不正
不正に手を伸ばすフードを被った男    憎悪
不正に囁く二人の女           無知と猜疑

左端で天を指さす女           真実
その右隣でフードを被った人物      後悔

この絵についてはさまざまな解釈がありますけど、
僕には王座に座る男が、
フロイト爺いうところの自我のように思えるのですよ。
そしてその他の登場人物は、
男のエスや超自我に相当するさまざまな感情と心理的な傾向。

ほら、よく見ると王座に座る男は、薄目を開けているものの、
その眼差しはどこにも向けられていません。
つまり自我は催眠術にかかったように判断を放棄している。
そして自分を取り巻くネガティブなエネルギーに身をゆだねた結果、
自らが『不正』を体現することなってしまったのではないか?

ひとりの人間の心の中で行われる葛藤を個別に擬人化して描き出した、
この舞台の構造は、
そのまま現代に生きる僕たち一人ひとりの心にも当てはまります。

真実から目を背け、無知と猜疑の声を聴き、
憎悪の差し出す手を握るのであれば、
たとえその結果が王座に座る富と権力を約束していても、
やがては後悔が待っている・・・

しかし、MARVEL映画に出て来るサノスのような、
独断的悪役に立候補しなければならないという義務はありません。

もう一度ボッティチェッリの絵でたとえると、
僕らが自分から最も離れたところにいる真実に目を向け、
近くで囁くお取り巻きを振りほどいて無実に手を差し伸べるなら、
一人ひとりがアイアンマンや、
キャプテンアメリカになることだって不可能じゃない。

そう、今の自分を選んだのが過去の自分自身であったように、
僕らは今、ここで、未来の自分を選ぶことができる。

そしてその未来とは、10年先のことではなく、
ほんの10秒先の世界なのですよ。

to be a Hero.

え? 
ああ、僕はとりあえず、
ハッピー・ホーガン役くらいから始めたいと思います。

えーじ
posted by ととら at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月06日

雨の記憶

関東地方は梅雨まっただなか。
曇りがちな空の下、断続的に雨が降り続いています。

こんな季節は晴耕雨読を地で行きたいものですが、
旅をしている時はそうとも言っていられません。

僕のレインモードは、
旅のスタイルによっていくつかありまして、
バックパッカーが基本の今は、
傘+ザックカバーのコンビネーションが主体。

それにトレッキングが加わる場合は、
ゴアテックスのレインウェア+ザックカバーに変わります。

いちばん重装備になったのはライダーだったころ。
ここ20年近くご無沙汰になっていますが、
今でもこんな天気の時は思い出すことがよくあります。

当時はレインウェア+ブーツカバー+レイングローブの、
3点セットが基本でした。
このスタイル、当然ヘルメットも被っていましたから、
バイクから降りると、
なんだかオールドファッションな潜水服みたいだったな。

さらに材質がゴアテックスではなく、
ハイパロンなどの安っぽいビニール製ので、
夏場は蒸れることこの上なし。
お世辞にも快適とは言えないしろものでしたね、

それからライダーってのは基本的に孤独なんですよ。
走行中は会話も音楽もありません。
聞こえてくるのは風切り音とエンジンのエグゾーストノイズ、
そしてシールドを打つ雨音だけ。
休憩を除けば何時間もこの状態が続くのです。

え? それじゃつまらなかっただろう?

ところが、そんなこともないのですよ。

走り始めてしばらくすると、
バイクと体が一体化し、頭の中が真っ白になってきます。
いま、ここにあるのは、僕と世界だけ。

やがてその境界線すらぼやけてきて、
世界は僕であり、僕は世界になる。

この感覚、うまく言葉に出来ないんですけど、
一種のトランス状態みたいな感じかな?

コロナ騒動でとうぶん海外に出られそうもありませんが、
今日みたいな日に思い浮かぶのは、
ととら亭として旅をしている異国の情景ではなく、
ロン毛の若僧だったころ、
バイクで雨の国道を走っていたシーンなんですよ。
(特に北海道の・・・)

思えばああいうのが、僕の旅の原点なのかもしれませんね。

えーじ
posted by ととら at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年07月03日

選挙で訓練

今日は東京都知事選挙の期日前投票に行って来ました。

今回に限ったことではありませんが、
選挙公報を読んでいると、
実にいろいろな考えの人がいるなぁ・・・と思います。

なかには、うんうん、そうだよね〜、から、
そりゃありえないでしょ! まで、
ほんと、違いの幅は実に広い。

そこで敬意を払うべきは、
それが僕にとっていかに荒唐無稽な主張であろうとも、
候補者の方は真面目に言っていらっしゃる、
という点。(供託金は300万円もするし!)

これに気付いてからは、一方的に批判するのではなく、
僕は別のアプローチをするようになりました。

たとえば、その候補者がご近所さんや、職場の同僚、
ひいては家族だったとしたら、僕はどうすべきか?
と考えてみること。

そのとっかかりとしてやるべき第一歩は、
自分が正しく、相手が間違っており、
優れた自分が劣った相手を悟す、
というようなスタンスに立っていないかのセルフチェックです。

逆に考えれば明らかなように、
相手がこうした上から目線のゴーマン野郎だったら、
そもそもお話にならないでしょう?

その上で、まず聞き手に回り、
自分とかけ離れた真意の理解を試みてみます。
目的は理詰めで相手を論破することではありません。
お互いが納得できる妥協点を探すことなんですよ。

その点に立って目指すのは、相手に妥協点を探す、
共同作業のパートナーになってもらうことだと思います。
考え方が違っても見ている方向が同じになれば、
活路が見いだせる可能性も生まれるでしょう。

実はこれ、一種の知的ゲームではなく、
異文化圏を旅する時に必要なテクニックを磨く練習なのですよ。

文化的な差異には、
優劣、善悪などの二元論が入り込む余地はありません。
純粋に『違い』だけがあるのです。

僕は可能な限り現地の文化に合わせますけど、
それでも、こいつはちょっと勘弁だよな・・・
と思ったことも稀にはあります。

たとえば、アジスアベバの空港に深夜到着し、
ホテルのピックアップにすっぽかされて、
ロビーで一夜明かした時のこと。

翌朝、タクシーでそのホテルに着き、
事情を話したら、フロントの女性いわく、
「あら、無事にここまでこれて良かったじゃないですか」

日本的な考えならクレーム大爆発だと思いますが、
アフリカや南米、南西アジアでは、
『終わりよければすべてよし』的な考え方の方がポピュラーなのですよ。

ですからここで怒っても仕方ありません。
相手は本気で悪いと思っていないのですから。
しかし、かといって予約までキャンセルされていたことまでは、
はい、そうですかとは言えないですよね?

そこで僕は紳士的に、
僕らがロングフライトの後にロビーで一夜を明かし、
どれだけ疲れているか、
ゆえに今いちばん必要なのはシャワーとベッドであり、
それも1分でも早くチェックインするのが望ましい、
という意見を伝えたのです。
(君だって同じ立場だったらそうだろう? という具合に)

その結果、落としどころは、
僕らが食堂で朝食を食べている間に部屋を用意する、
ということになりました。

こうした意見の相違と、
それに起因するトラブルの妥協点の模索は、
僕らの旅の場合、非常にポピュラーなのですよ。
(悲しいことに!)

それに比べれば、選挙公報での交渉シミュレーションは、
難易度がそれほど高いとは思えません。

ん〜・・・それでも神がかり系となると・・・

ちょいとビミョーかな?

えーじ
posted by ととら at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記