『コロナ慣れ』といえば、
悪い意味の文脈で使われる言葉ですけど、
僕はちょっと違う角度で考えています。
それはそれで『進歩』なのではないか?
と申しますのも、去年の今頃を思い出すと、
出所の怪しい情報に振り回されっぱなしだったじゃないですか?
それが1年も経つと情報の確度が上がった以上に、
リスク評価の材料が情報から経験に置き換わりつつあることが、
とても大きな前進だと思うのですよ。
今や多くの人々が、
平凡な日常、つまり出勤して、他人と仕事をし、ランチを食べ、
また仕事をした後で(夕食を買って)帰宅する、
この小さな経験の積み重ねの中から、
何が危険で、何が危険ではないかを学習し始めています。
こうした素人判断が危険なのだという意見もありますけど、
アノニマスの情報を裏どりすることなく鵜吞みにして、
それをあたかも自分の考えであるかのように信じ込むより、
まず経験に軸足を置き、それを補う形で情報を利用する方が、
個人に限らず公益にも寄与するのではないか?
と僕は考えているのですよ。
というわけで、この1年間無事だったんだから、
その経験に則って、これまでやってきたことはみなOK!
とは残念ながら思ってません。
僕が個人的に、また経営者として、
ハザードレベルを変える基準にしているのが医療リソースの状態。
分かりやすい数字が東京都の『入院・療養等調整中』の人数です。
なぜか?
ここで僕のルールをお話しましょう。
それは、
Hope for the best. Plan for the worst.
以前、在籍していた会社の社長が、
『悲観的に対策し、楽観的に実行する』
と言っていたのとほぼ近い意味ですが、
僕も生活や仕事、そして旅に至るまで、
これをファーストルールにしています。
そこでコロナ禍における Plan for the worst. はといえば、
それはいわずもがな、
自分が感染し、重症化するというシナリオです。
この観点で『入院・療養等調整中』の人数を読めば、
自ずとやるべきことと、やるべきではないことが分かってくるのですよ。
実はこれも情報ではなく、自分の経験から考えています。
あれは2012年1月27日の23時40分ごろ。
僕は最初の腰部椎間板ヘルニアの激痛に襲われ、
凍り付くような真冬の夜に真っ裸で救急車に乗せられました。
(詳しくはこのブログで2012年の『入院日記 その1』をご参照ください)
今回と共通するのは、その乗せられた直後の状況です。
救急車に乗ったら病院へ即急行!
じゃないんですよ。
車内で救急隊員の方が携帯電話で搬送先を探すのです。
ところがその日は前日に関東地方で大雪が降り、
転倒した人々で整形外科のベッドはほぼ満床状態。
僕の横で救急隊員が何件も病院に電話をかけ続けています。
そして20分以上かかって、ようやく空きを見つけ、
救急車が出発したのでした。
(実際はその病院の救急処置室に「先客」がおり、
その人が入院にならなければ入れる、との条件で行ったのです。
もしNGだった場合は、病院でまた病院さがし・・・)
あの時は、搬送先こそ見つからない状態でも、
僕は救急車の中でほっと一息ついていました。
なぜならアパートでは風呂上がりの裸で床に倒れていましたし、
(寒さで震えていました)
ストレッチャーに乗せてもらうだけでも、
悲鳴を上げなければなりませんでしたから。
ところがこれをコロナ禍のワーストシナリオに置き換えると、
高熱と呼吸困難に陥った状態では、
救急車の中もけして心地よい場所ではないでしょう。
ましてや現在の関西地方のように、
搬送先さがしに数時間以上もかかったらと思うと、
絶対に避けたいシナリオと言わざるを得ません。
そしてここにはもうひとつの経験に基づいた判断材料があります。
それは僕があの時に専有した救急車と救急隊員の時間。
僕が裸で倒れていたのはキッチンと隣の部屋のちょうど引き戸のところ。
ストレッチャーを体と平行に置いて乗せるにはスペースが足りません。
またちょっとでも体を動かすと、
激痛のため、10秒くらい息もできない状態になってしまいます。
それでも何とか僕を運び出さなくてはならない。
あれこれ方法を模索しているうちに、10分、20分と時間は過ぎて行きました。
結果的に、僕のために重要な医療リソースを占有してしまったのは、
合計で2時間くらいだったのではないでしょうか。
ご承知のように、彼らはけして閑職についているわけではありませんし、
救急車も潤沢にあるわけでもありません。
(1400万人都市の東京都に救急車がたった236台しかない!)
ましてや救急隊員の会話から、彼らが一番近い野方署からではなく、
阿佐ヶ谷署から来ていることが分かっていたのです。
つまり手が回っていない。
この時の僕の頭には、いま、ここにある危機とは別に、
30年以上前の経験が思い浮かんでいました。
あの時はオートバイの事故で、
アパートの床ならぬ夜の道路の路肩で、
左鎖骨と左掌の骨が折れたまま倒れていたのです。
(さんざんな人生でございます)
僕はこれまで救急車に3回のせられたことがありますけど、
そのいずれもコールから8分以内に駆けつけてくれています。
しかし、もし僕のように誰かが長時間にわたって救急車を占有してしまったら、
救急件数が急増して全ての救急車が出払ってしまったら、
僕はあのまま路肩で倒れたままになっていたでしょう。
そしてもし、その時のダメージが単純骨折ではなく、
脳内出血など緊急処置が必要なものだったら、
僕が今こうして皆さんとお話することはできなかったでしょう。
累積数から計算した東京都民の新型コロナウイルス罹患率は、
今日の時点で0.0099123パーセント。おおむね100人に一人です。
これを生徒数1000人の学校に置き換えると、
約1年の間で1000人に10人の選抜選手に選ばれる確率と同じ。
また現在の陽性者数と重症者数から計算した、
ざっくりとした重症化率は0.00887393パーセント。
おおむね陽性者1000人に9人の確率です。
これを個人的にリスク評価すれば、
「いますぐ食料を買い込んで
ワクチンを接種するまで自宅にこもらなければ!」
という結論には至りません。
しかし、Hope for the best. Plan for the worst.と、
過去の救急搬送された経験に照らし合わせると、
救急車や病床などの医療リソースを無視するわけにもいかない。
これが『入院・療養等調整中』の人数を注視して、
ハザードレベルを変えている理由なのです。
本日現在の東京都の『入院・療養等調整中』の人数は1453人。
これはもし僕が次の自宅療養以外の陽性者となった場合、
待合室の番号札は1454番ということを意味しています。
この数字を念頭に置いたとき、
あなたはご自身の経験と集めた情報をもとに、
どうリスク評価されますか?
まぁ、僕なら、
闇営業の店に行くようなことはしませんけどね。
えーじ
2021年04月30日
2021年04月27日
リズムを変えて
いくつになっても初めてのことというのは新鮮なものです。
ここ野方で11年余の間、ととら亭の仕事をしていても、
『お酒の提供なし』で『ランチのみの営業』というのは、
未経験のことでした。
ランチタイムが終わってシャッターを降ろすと、
さながらナイトフライトで取材旅行に出るかのような気がしてきます。
今までこのパターンはこれしかありませんでしたからね。
また、明るいうちに物販店より早く閉めて帰宅するのも、
今までありそうでなかったことです。
昨日も斜前の花屋のオリーブさんに、
「お疲れさま〜、お先に〜」と声をかけて帰ったときは、
なにか不思議な感じがしました。
しかしながら根本的な生活はあまり変わっていません。
現に定休日の今日もいつもどおり、
僕らはシャッターの下りた店内で個別にお仕事中。
ともこは仕込みと掃除に取り掛かり、
僕は例によって溜まったデスクワーク。
まぁ確かに締め切りに追われることからは解放されたので、
時間的な余裕ができたのは嬉しいですね。
(確定申告と旅のメニュー変えが終わったし!)
そういえばコロナ禍が始まって以来、
読書量が会社員時代にほぼ戻りました。
しかもこれまで取材旅行の資料系がほとんどだったところに、
小説まで読めるようになったのですから。
いまベッドタイムのお供は、
トルコの作家オルハン・パムクの『私の名は紅』。
オスマン帝国時代を背景とした一種の推理小説なのですけど、
プロットの構造がユニークでおもしろいですよ。
時間ができた分、リハビリを兼ねたトレーニングも順調です。
先日まではランチとディナーの合間に、
急いでダイジェストバージョンをこなしていたのですが、
今はストレッチもフルセットでやれるようになりました。
おかげでひざの柔軟性が回復し、
風呂の中でなら正坐もできるようになったんですよ。
こうしてみると、いろいろ状況が変わっても、
僕らはリズムを変えて、同じ曲をプレイしているような気がします。
こういうのをスタイルというのかもしれませんね。
えーじ
ここ野方で11年余の間、ととら亭の仕事をしていても、
『お酒の提供なし』で『ランチのみの営業』というのは、
未経験のことでした。
ランチタイムが終わってシャッターを降ろすと、
さながらナイトフライトで取材旅行に出るかのような気がしてきます。
今までこのパターンはこれしかありませんでしたからね。
また、明るいうちに物販店より早く閉めて帰宅するのも、
今までありそうでなかったことです。
昨日も斜前の花屋のオリーブさんに、
「お疲れさま〜、お先に〜」と声をかけて帰ったときは、
なにか不思議な感じがしました。
しかしながら根本的な生活はあまり変わっていません。
現に定休日の今日もいつもどおり、
僕らはシャッターの下りた店内で個別にお仕事中。
ともこは仕込みと掃除に取り掛かり、
僕は例によって溜まったデスクワーク。
まぁ確かに締め切りに追われることからは解放されたので、
時間的な余裕ができたのは嬉しいですね。
(確定申告と旅のメニュー変えが終わったし!)
そういえばコロナ禍が始まって以来、
読書量が会社員時代にほぼ戻りました。
しかもこれまで取材旅行の資料系がほとんどだったところに、
小説まで読めるようになったのですから。
いまベッドタイムのお供は、
トルコの作家オルハン・パムクの『私の名は紅』。
オスマン帝国時代を背景とした一種の推理小説なのですけど、
プロットの構造がユニークでおもしろいですよ。
時間ができた分、リハビリを兼ねたトレーニングも順調です。
先日まではランチとディナーの合間に、
急いでダイジェストバージョンをこなしていたのですが、
今はストレッチもフルセットでやれるようになりました。
おかげでひざの柔軟性が回復し、
風呂の中でなら正坐もできるようになったんですよ。
こうしてみると、いろいろ状況が変わっても、
僕らはリズムを変えて、同じ曲をプレイしているような気がします。
こういうのをスタイルというのかもしれませんね。
えーじ
2021年04月24日
ととら亭という場の本質
南米料理特集が始まります!
と発表した3日後に、
またしても非常事態宣言が発出されました。
予想はしていたので驚きはありませんが、
今回の条件では僕らにきれるカードも限られています。
そこで、明日から営業条件が緩和されるまで、
当面のあいだ、
酒類提供なしのランチ営業のみに絞ろうと思います。
ディナーも時短で継続しようとシミュレートしたのですが、
これはどうやっても難しいとの結論に至りました。
その第1の理由は・・・
スピードの壁。
このお話を始める前に、まず同じ飲食店といっても、
軸足をスピードに置くかサービスに置くかで、
舞台裏と仕組みがまったく異なることを説明しなければなりません。
分かりやすく言えば、
ととら亭にマクドナルドやモスバーガーの真似はできませんし、
その逆もまた然りでしょ?
そしてそこにはメニュー構成も大きく影響しているのです。
なかでも最も大きい存在がお酒。
たとえばととら亭のディナータイムの場合、
通常ですと概ね7割前後のお客さまがお酒も召し上がります。
(アルコールマストという意味ではありませんよ)
そうした方はお酒を楽しみつつの食事となるため、
比較的に食べる速度がゆっくりしていて滞在時間も長め。
片やお食事のお客さまの場合、自ずと食べることが中心なので、
そのスピードが速く、滞在時間は短めとなります。
さて、ここで問題のキッチンです。
二組の別のお客さまが同じ料理を同じ数オーダーされた場合でも、
すべてを1時間以内に提供すればいいケースと、
30分以内に提供しなければならないケースとでは、
調理業務への影響がまったく違うことをお分かり頂けると思います。
実際、ととら亭の場合、飲酒あり7対なし3のバランスで、
人間も含めた現在の調理システムがチューニングされているので、
これが0対10になると、今でいう医療崩壊ならぬ、
調理崩壊が起こってしまうのです。
さらに組数と内容にかかわらず、
1時間以内に最初のオーダーをすべて提供しないければならないという、
時短のハードルまで加わると、責任をもって仕事をするには、
一日のディナータイムでご入店いただける組数を、
2組か3組に絞らなければなりません。
そうなると、ここで負の連鎖が起こるのですよ。
1日に人数にして4人から6人のお客さましか入店していただけない。
にもかかわらず、メニューブックには、
主菜だけで10種類以上の手作りの料理が並んでいる。
(これらが冷凍食品やレトルトでないことはご存知の通りです)
これが何を意味するのか?
ロス、つまり用意したけど売れなかった料理を廃棄するという、
経営的にもメンタル的にも厳しい結果が待ち受けているのです。
これを回避するにはメニュー数を絞り込むしかありませんが、
そこで質問です。
ゆっくりできず、お酒も飲めず、選択肢も限られた状態で、
皆さんはととら亭に来ますか?
「それでも行きます!」
と言っていただける方が少なくないのは僕らも知っています。
(Thank you guys!)
でも、そう思っていただけるだけに、
僕らとしてはディナーをやめようと判断したのですよ。
なぜなら、
それはもう本来のととら亭ではなくなってしまうから。
せっかく来ていただいたのに、
それがととら亭のイミテーションではお互い意味がありません。
ほどなく規制が解除される日を待ちましょう。
みんなが力を合わせれば、
来月中旬には南米料理特集もリブートできると、
ともこも僕も信じています。
えーじ
と発表した3日後に、
またしても非常事態宣言が発出されました。
予想はしていたので驚きはありませんが、
今回の条件では僕らにきれるカードも限られています。
そこで、明日から営業条件が緩和されるまで、
当面のあいだ、
酒類提供なしのランチ営業のみに絞ろうと思います。
ディナーも時短で継続しようとシミュレートしたのですが、
これはどうやっても難しいとの結論に至りました。
その第1の理由は・・・
スピードの壁。
このお話を始める前に、まず同じ飲食店といっても、
軸足をスピードに置くかサービスに置くかで、
舞台裏と仕組みがまったく異なることを説明しなければなりません。
分かりやすく言えば、
ととら亭にマクドナルドやモスバーガーの真似はできませんし、
その逆もまた然りでしょ?
そしてそこにはメニュー構成も大きく影響しているのです。
なかでも最も大きい存在がお酒。
たとえばととら亭のディナータイムの場合、
通常ですと概ね7割前後のお客さまがお酒も召し上がります。
(アルコールマストという意味ではありませんよ)
そうした方はお酒を楽しみつつの食事となるため、
比較的に食べる速度がゆっくりしていて滞在時間も長め。
片やお食事のお客さまの場合、自ずと食べることが中心なので、
そのスピードが速く、滞在時間は短めとなります。
さて、ここで問題のキッチンです。
二組の別のお客さまが同じ料理を同じ数オーダーされた場合でも、
すべてを1時間以内に提供すればいいケースと、
30分以内に提供しなければならないケースとでは、
調理業務への影響がまったく違うことをお分かり頂けると思います。
実際、ととら亭の場合、飲酒あり7対なし3のバランスで、
人間も含めた現在の調理システムがチューニングされているので、
これが0対10になると、今でいう医療崩壊ならぬ、
調理崩壊が起こってしまうのです。
さらに組数と内容にかかわらず、
1時間以内に最初のオーダーをすべて提供しないければならないという、
時短のハードルまで加わると、責任をもって仕事をするには、
一日のディナータイムでご入店いただける組数を、
2組か3組に絞らなければなりません。
そうなると、ここで負の連鎖が起こるのですよ。
1日に人数にして4人から6人のお客さましか入店していただけない。
にもかかわらず、メニューブックには、
主菜だけで10種類以上の手作りの料理が並んでいる。
(これらが冷凍食品やレトルトでないことはご存知の通りです)
これが何を意味するのか?
ロス、つまり用意したけど売れなかった料理を廃棄するという、
経営的にもメンタル的にも厳しい結果が待ち受けているのです。
これを回避するにはメニュー数を絞り込むしかありませんが、
そこで質問です。
ゆっくりできず、お酒も飲めず、選択肢も限られた状態で、
皆さんはととら亭に来ますか?
「それでも行きます!」
と言っていただける方が少なくないのは僕らも知っています。
(Thank you guys!)
でも、そう思っていただけるだけに、
僕らとしてはディナーをやめようと判断したのですよ。
なぜなら、
それはもう本来のととら亭ではなくなってしまうから。
せっかく来ていただいたのに、
それがととら亭のイミテーションではお互い意味がありません。
ほどなく規制が解除される日を待ちましょう。
みんなが力を合わせれば、
来月中旬には南米料理特集もリブートできると、
ともこも僕も信じています。
えーじ
2021年04月21日
南米料理特集が始まります!
最後の取材旅行から、はや1年5カ月が経ちました。
「新しい料理を調べに行けないから大変ですね」
とのお言葉をしばしば頂戴しています。
しかし、ご心配には及びません。
実のところ、料理の引き出しは、あと1年分以上あるのですよ。
特集ごとにご紹介しているのは平均的に3品ですが、
現地ではそれ以上の数の料理を取材しています。
最終的においしかった順ではなく、
料理同士のバランスを考えて絞り込んでいるので、
惜しくも先発から漏れたスーパーサブが結構あるのですよ。
そして『隠し玉』的な企画もあります。
そのひとつが今回ご紹介する、
『南米料理特集』!
これは僕らにとって最も思い入れ深い旅のひとつでした。
なぜなら、初めての料理取材を目的とした旅であり、
かつ最遠、最長期間の旅でもあったからです。
(加えて最も困難な旅でもありました)
今回、メニュー作成に当たって当時の写真を選別していたら、
思わず手が止まってしまいましたよ。
一枚一枚に思い出がありましたからね。
ルートはメキシコに始まり、
エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、
ウルグアイ、ブラジルの9カ国ですが、
今回は大陸南部に焦点を当て、
ペルー、チリ、アルゼンチンからそれぞれ一品を再現しました。
いすれも近代国家の枠を超え、
先住民族の食文化まで遡る歴史を持った料理です。
これを機に、なじみの薄い地球の裏側の国々に、
興味を持っていただけたら幸いです。
あ、それから恒例のヴィーニョヴェルデフェアも始めますからね。
野方で小さな旅に行きませんか?
えーじ
「新しい料理を調べに行けないから大変ですね」
とのお言葉をしばしば頂戴しています。
しかし、ご心配には及びません。
実のところ、料理の引き出しは、あと1年分以上あるのですよ。
特集ごとにご紹介しているのは平均的に3品ですが、
現地ではそれ以上の数の料理を取材しています。
最終的においしかった順ではなく、
料理同士のバランスを考えて絞り込んでいるので、
惜しくも先発から漏れたスーパーサブが結構あるのですよ。
そして『隠し玉』的な企画もあります。
そのひとつが今回ご紹介する、
『南米料理特集』!
これは僕らにとって最も思い入れ深い旅のひとつでした。
なぜなら、初めての料理取材を目的とした旅であり、
かつ最遠、最長期間の旅でもあったからです。
(加えて最も困難な旅でもありました)
今回、メニュー作成に当たって当時の写真を選別していたら、
思わず手が止まってしまいましたよ。
一枚一枚に思い出がありましたからね。
ルートはメキシコに始まり、
エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、
ウルグアイ、ブラジルの9カ国ですが、
今回は大陸南部に焦点を当て、
ペルー、チリ、アルゼンチンからそれぞれ一品を再現しました。
いすれも近代国家の枠を超え、
先住民族の食文化まで遡る歴史を持った料理です。
これを機に、なじみの薄い地球の裏側の国々に、
興味を持っていただけたら幸いです。
あ、それから恒例のヴィーニョヴェルデフェアも始めますからね。
野方で小さな旅に行きませんか?
えーじ
2021年04月18日
熱く語れる何か
趣味が服を着ているような僕らがやっているせいか、
ととら亭にはいわゆる同好の士の方々がよく集います。
話題は旅にとどまらず、
音楽や演劇、映画、アニメ、陶芸、アート、写真などの文系から
オートバイ、ダイビング、登山などの体育会系まで、
その幅は実に広いですね。
しかし多種多様な話題にもかかわらず、
すべてに共通していることがあります。
それは『キラキラ感』。
そう、年齢性別を問わず、
自分が好きなことを語っている(やっている)人々は、
えてしてまぶしく輝いているものです。
たとえば60歳を過ぎてなお青年のように、
「これがいいんだ!」「あれが素晴らしいんだ!」
と熱く語る人を見ていると、
本当に幸せそうだな、と思います。
もしかしたら、こうした瞬間が、
その人を最も魅力的に見せているのかもしれませんね。
そしてその対象を持つことが、
幸福の条件という意味で大切なのかもしれない。
では、どうやってそれを手に入れるのか?
これが場合によっては少々難しい。
なぜなら『熱く語れる何か』は、
学校で先生が与えてくれるものではありませんし、
amasonで売っているものでもない。
自分で、自分だけのものを、
自分なりに探して手に入れるしかないのです。
かくいう僕はどこで見つけたのかしらん?
あんまり昔のことなのではっきり覚えていませんが、
グラウンドか、ライブステージか、はたまた図書館か?
それともやっぱり旅の途上?
ん〜・・・たぶん、あれこれ手を出しているうちに、
(浮気者なもので)
知らず知らず、心の中心に残っていたような・・・
そんな気がします。
えーじ
ととら亭にはいわゆる同好の士の方々がよく集います。
話題は旅にとどまらず、
音楽や演劇、映画、アニメ、陶芸、アート、写真などの文系から
オートバイ、ダイビング、登山などの体育会系まで、
その幅は実に広いですね。
しかし多種多様な話題にもかかわらず、
すべてに共通していることがあります。
それは『キラキラ感』。
そう、年齢性別を問わず、
自分が好きなことを語っている(やっている)人々は、
えてしてまぶしく輝いているものです。
たとえば60歳を過ぎてなお青年のように、
「これがいいんだ!」「あれが素晴らしいんだ!」
と熱く語る人を見ていると、
本当に幸せそうだな、と思います。
もしかしたら、こうした瞬間が、
その人を最も魅力的に見せているのかもしれませんね。
そしてその対象を持つことが、
幸福の条件という意味で大切なのかもしれない。
では、どうやってそれを手に入れるのか?
これが場合によっては少々難しい。
なぜなら『熱く語れる何か』は、
学校で先生が与えてくれるものではありませんし、
amasonで売っているものでもない。
自分で、自分だけのものを、
自分なりに探して手に入れるしかないのです。
かくいう僕はどこで見つけたのかしらん?
あんまり昔のことなのではっきり覚えていませんが、
グラウンドか、ライブステージか、はたまた図書館か?
それともやっぱり旅の途上?
ん〜・・・たぶん、あれこれ手を出しているうちに、
(浮気者なもので)
知らず知らず、心の中心に残っていたような・・・
そんな気がします。
えーじ
2021年04月15日
会費制の社会だから
今年も確定申告が終わりました。
これは経営者として年に最大のイベントのひとつですから、
納税を済ませると肩の荷が下りた気がします。
さて、通常はe-taxを使っているため自宅から申告していますが、
今回、別件があって中野税務署を訪れた時のこと。
確定申告は会場が別なので窓口に来ていたのは15人ほどの納税者。
それほど混雑してはいません。
受付札を引いたら僕は5人待ちでした。
そこで本を読み始めて数分。
僕の隣に座っていた40歳前後と思しき男性の順番が来て窓口へ向かうと、
「ふざけんな、いつまで待たせるんだ!」
と、いきなり怒り大爆発。
そこから段取りの悪さをすごい剣幕でまくしたて始めたのです。
窓口で対応していた20歳代の小柄な男性職員は、
ひたすら謝り続けています。
ん〜・・・そんなに待たされてたのかしらん?
それにしても謝ってるんだから、
そこまで言うことはないと思うけどな。
納税証明書を手渡す時もさんざん罵倒された彼に、
僕は同情を禁じえませんでした。
ところが男性職員の不運はそれで終わりません。
「次の方どうぞ」
進み出たのは70歳代の女性。
「おカネは今日はらわなくちゃいけないの?」
「所得税は4月15日までに納付していただければ結構です」
「だから今日はらわなくちゃいけないの?」
「4月15日までに納付していただければ大丈夫です」
「なにわかんないこと言ってんのよ!
だ・か・ら・今日はらわなくちゃいけないの?!」
ここから女性はだんだんエキサイトしはじめ、
ほどなく怒り心頭に達したご様子。
ありゃ〜、これはキツイね。
日本語レベルでコミュニケーションが成立してない。
「なにをお知りになりたいのでしょう?」
彼はどう対応したらいいものやら、途方に暮れて聞き直しました。
しかしこれがまた火に油。
「あんた何いってんの!? いいかげんにしてよ、もう!」
結局、またさんざん怒られた挙句、
ようやく解放された後に呼ばれたのが僕です。
そこでにっこり笑い、
「こんにちは」
と声をかけてみました。
うつむいていた彼は、はっとして僕と視線を合わせ、
「こ、こんにちは」
「納税証明書をお願いします」
「はい、少々お待ち下さい」
先の二人は税金でもめたことがあったのかもしれないな。
まぁ、なにかと嫌われ者の税務署だからね。
こんな風に怒りの矛先を向けられることもあるんだろう。
とはいえ、さっきの連続攻撃はかわいそうだった。
確かに僕もどっさり納税した時(会社員のころ)には、
「けっこう持っていかれるな〜」とため息が出ましたし、
使われ方についても「民間じゃありえないね」と思うことがままあります。
しかし、『税イコール必要悪』説に立っているわけではありません。
高税率でも幸福度の高い社会を成立させている北欧の国々がありますし、
徴税の仕組み作りに失敗して郵便局が『倒産』してしまった、
ジョージアのような国もあります。
ここで求められているのは、
『一緒に生きている』という共同意識なのではないかしらん?
そうした視点に立つと、
税務署というのはいわばパーティの幹事さんみたいなもので、
みんなから会費を集めて支払いをする人たち。
そんな風に思えてきません?
彼、彼女たちはわかりやすい勧善懲悪ドラマに出てくる、
悪の手先ではないんですよ。
そして僕らも時には申告した数字が変なこともありますが、
そのほとんどの理由は単純に計算や認識が間違っていただけであって、
納税者がすべからく潜在的脱税容疑者ではない。
敵対する理由はないと思うんですよ。
仲良くやりましょう。
会話は紳士的に。
お互いの立場を理解して。
えーじ
これは経営者として年に最大のイベントのひとつですから、
納税を済ませると肩の荷が下りた気がします。
さて、通常はe-taxを使っているため自宅から申告していますが、
今回、別件があって中野税務署を訪れた時のこと。
確定申告は会場が別なので窓口に来ていたのは15人ほどの納税者。
それほど混雑してはいません。
受付札を引いたら僕は5人待ちでした。
そこで本を読み始めて数分。
僕の隣に座っていた40歳前後と思しき男性の順番が来て窓口へ向かうと、
「ふざけんな、いつまで待たせるんだ!」
と、いきなり怒り大爆発。
そこから段取りの悪さをすごい剣幕でまくしたて始めたのです。
窓口で対応していた20歳代の小柄な男性職員は、
ひたすら謝り続けています。
ん〜・・・そんなに待たされてたのかしらん?
それにしても謝ってるんだから、
そこまで言うことはないと思うけどな。
納税証明書を手渡す時もさんざん罵倒された彼に、
僕は同情を禁じえませんでした。
ところが男性職員の不運はそれで終わりません。
「次の方どうぞ」
進み出たのは70歳代の女性。
「おカネは今日はらわなくちゃいけないの?」
「所得税は4月15日までに納付していただければ結構です」
「だから今日はらわなくちゃいけないの?」
「4月15日までに納付していただければ大丈夫です」
「なにわかんないこと言ってんのよ!
だ・か・ら・今日はらわなくちゃいけないの?!」
ここから女性はだんだんエキサイトしはじめ、
ほどなく怒り心頭に達したご様子。
ありゃ〜、これはキツイね。
日本語レベルでコミュニケーションが成立してない。
「なにをお知りになりたいのでしょう?」
彼はどう対応したらいいものやら、途方に暮れて聞き直しました。
しかしこれがまた火に油。
「あんた何いってんの!? いいかげんにしてよ、もう!」
結局、またさんざん怒られた挙句、
ようやく解放された後に呼ばれたのが僕です。
そこでにっこり笑い、
「こんにちは」
と声をかけてみました。
うつむいていた彼は、はっとして僕と視線を合わせ、
「こ、こんにちは」
「納税証明書をお願いします」
「はい、少々お待ち下さい」
先の二人は税金でもめたことがあったのかもしれないな。
まぁ、なにかと嫌われ者の税務署だからね。
こんな風に怒りの矛先を向けられることもあるんだろう。
とはいえ、さっきの連続攻撃はかわいそうだった。
確かに僕もどっさり納税した時(会社員のころ)には、
「けっこう持っていかれるな〜」とため息が出ましたし、
使われ方についても「民間じゃありえないね」と思うことがままあります。
しかし、『税イコール必要悪』説に立っているわけではありません。
高税率でも幸福度の高い社会を成立させている北欧の国々がありますし、
徴税の仕組み作りに失敗して郵便局が『倒産』してしまった、
ジョージアのような国もあります。
ここで求められているのは、
『一緒に生きている』という共同意識なのではないかしらん?
そうした視点に立つと、
税務署というのはいわばパーティの幹事さんみたいなもので、
みんなから会費を集めて支払いをする人たち。
そんな風に思えてきません?
彼、彼女たちはわかりやすい勧善懲悪ドラマに出てくる、
悪の手先ではないんですよ。
そして僕らも時には申告した数字が変なこともありますが、
そのほとんどの理由は単純に計算や認識が間違っていただけであって、
納税者がすべからく潜在的脱税容疑者ではない。
敵対する理由はないと思うんですよ。
仲良くやりましょう。
会話は紳士的に。
お互いの立場を理解して。
えーじ
2021年04月12日
It's Okay.
ケンカが弱くてもIt's Okay.
相手を許す大きな心があればIt's Okay.
スポーツが苦手でもIt's Okay.
困っている人の手助けができればIt's Okay.
ひとりでランチをするのもIt's Okay.
おいしく食べられればIt's Okay.
偏差値が低くたってIt's Okay.
「こんにちは」と「ありがとう」と、
「ごめんなさい」が言えればIt's Okay.
試験に落ちてもIt's Okay.
広い視野があればIt's Okay.
スタイルが良くなくてもIt's Okay.
スマイルが素敵ならIt's Okay.
恋人がいなくたってIt's Okay.
誰かを好きといえる勇気があればIt's Okay.
お洒落な靴が買えなくてもIt's Okay.
歩き方が美しければIt's Okay.
流行おくれの服でもIt's Okay.
着こなせているならIt's Okay.
仲間はずれにされてもIt's Okay.
間違いは間違いだといえるならIt's Okay.
スマホを握りしめていなくてもIt's Okay.
待っていてくれる人がいればIt's Okay.
1万人のフォロワーがいなくてもIt's Okay.
ひとりの親友がいるならIt's Okay.
口下手でもIt's Okay.
目で語れるならIt's Okay.
声が魅力的じゃなくてもIt's Okay.
言葉が素敵ならIt's Okay.
面接に落ちてもIt's Okay.
自分のできることに自信があればIt's Okay.
年収が低くてもIt's Okay.
おカネに使われなければIt's Okay.
おんぼろアパート住まいでもIt's Okay.
小さな自由を楽しめるのならIt's Okay.
海外旅行に行けなくたってIt's Okay.
近所で羽を伸ばせるならIt's Okay.
出世しなくてもIt's Okay.
分かってくれてる人がいるならIt's Okay.
リストラされてもIt's Okay.
自分の可能性を信じられればIt's Okay.
異性愛じゃなくてもIt's Okay.
人が人を愛するのならIt's Okay.
シングルライフだってIt's Okay.
幸せのかたちにこだわらなければIt's Okay.
限界にぶつかってもIt's Okay.
限界を自分で作らなければIt's Okay.
競争に疲れたってIt's Okay.
人生をゲームにしなければIt's Okay.
100人にこきおろされてもIt's Okay.
ひとりが理解してくれればIt's Okay.
失敗したってIt's Okay.
そこから学べばIt's Okay.
全部がOkayじゃなくてもIt's Okay.
ひとつを丁寧にできればIt's Okay.
Not Okay でも It's Okay.
鏡をまっすぐ見れればIt's Okay.
えーじ
相手を許す大きな心があればIt's Okay.
スポーツが苦手でもIt's Okay.
困っている人の手助けができればIt's Okay.
ひとりでランチをするのもIt's Okay.
おいしく食べられればIt's Okay.
偏差値が低くたってIt's Okay.
「こんにちは」と「ありがとう」と、
「ごめんなさい」が言えればIt's Okay.
試験に落ちてもIt's Okay.
広い視野があればIt's Okay.
スタイルが良くなくてもIt's Okay.
スマイルが素敵ならIt's Okay.
恋人がいなくたってIt's Okay.
誰かを好きといえる勇気があればIt's Okay.
お洒落な靴が買えなくてもIt's Okay.
歩き方が美しければIt's Okay.
流行おくれの服でもIt's Okay.
着こなせているならIt's Okay.
仲間はずれにされてもIt's Okay.
間違いは間違いだといえるならIt's Okay.
スマホを握りしめていなくてもIt's Okay.
待っていてくれる人がいればIt's Okay.
1万人のフォロワーがいなくてもIt's Okay.
ひとりの親友がいるならIt's Okay.
口下手でもIt's Okay.
目で語れるならIt's Okay.
声が魅力的じゃなくてもIt's Okay.
言葉が素敵ならIt's Okay.
面接に落ちてもIt's Okay.
自分のできることに自信があればIt's Okay.
年収が低くてもIt's Okay.
おカネに使われなければIt's Okay.
おんぼろアパート住まいでもIt's Okay.
小さな自由を楽しめるのならIt's Okay.
海外旅行に行けなくたってIt's Okay.
近所で羽を伸ばせるならIt's Okay.
出世しなくてもIt's Okay.
分かってくれてる人がいるならIt's Okay.
リストラされてもIt's Okay.
自分の可能性を信じられればIt's Okay.
異性愛じゃなくてもIt's Okay.
人が人を愛するのならIt's Okay.
シングルライフだってIt's Okay.
幸せのかたちにこだわらなければIt's Okay.
限界にぶつかってもIt's Okay.
限界を自分で作らなければIt's Okay.
競争に疲れたってIt's Okay.
人生をゲームにしなければIt's Okay.
100人にこきおろされてもIt's Okay.
ひとりが理解してくれればIt's Okay.
失敗したってIt's Okay.
そこから学べばIt's Okay.
全部がOkayじゃなくてもIt's Okay.
ひとつを丁寧にできればIt's Okay.
Not Okay でも It's Okay.
鏡をまっすぐ見れればIt's Okay.
えーじ
2021年04月10日
Let's get win TOGETHER!
はぁ〜・・・今度はマンボーですか?
(泣けるネーミングだ)
振り返ると昨年11月下旬からなんらかの営業時間短縮規制を受け続け、
かれこれ4カ月以上、普通に仕事をしたことがありません。
(その前もご存じの通りですが・・・)
特に20時閉店だと、できることが本当に限られるのですよ。
やれやれ・・・
と、ため息をつきつつも、
緊急事態宣言明けから急に解放されるとは思っていませんでした。
ワクチン接種のスピードを考えると、
今年いっぱいはこうしてあれこれ規制を受けつつ、
しのいで行く他ないのでしょうね。
僕ら飲食業のほか、観光業、輸送業、舞台のエンタメ系など、
長いトンネルを走っている皆々さま。
なんとかこのサバイバルレースを生き残り、
来年あたり、
「あの時は大変でしたね」と笑いながら話しましょう。
できればひとりの脱落者も出さずに。
えーじ
(泣けるネーミングだ)
振り返ると昨年11月下旬からなんらかの営業時間短縮規制を受け続け、
かれこれ4カ月以上、普通に仕事をしたことがありません。
(その前もご存じの通りですが・・・)
特に20時閉店だと、できることが本当に限られるのですよ。
やれやれ・・・
と、ため息をつきつつも、
緊急事態宣言明けから急に解放されるとは思っていませんでした。
ワクチン接種のスピードを考えると、
今年いっぱいはこうしてあれこれ規制を受けつつ、
しのいで行く他ないのでしょうね。
僕ら飲食業のほか、観光業、輸送業、舞台のエンタメ系など、
長いトンネルを走っている皆々さま。
なんとかこのサバイバルレースを生き残り、
来年あたり、
「あの時は大変でしたね」と笑いながら話しましょう。
できればひとりの脱落者も出さずに。
えーじ
2021年04月07日
古いやつとお思いでしょうが・・・
「いらっしゃいませ」
とある日のランチタイムで。
25歳前後の男性のお客さまがご来店されました。
「おひとりさまですか?」
「・・・・ハ、はイ」
そしてカウンターにご案内すると、
しばしディナーメニューのご案内を手に思案中。
そこで、
「ランチメニューは黒板の2種類からお選びいただけます」
「・・・・は、ハい」
ん・・・この間と発音は?
と思って英語でメニューを説明すると、
彼はすらっとよどみなく応えてきました。
なるほどね。
このパターン、ここ数年では珍しくないんですよ。
旅行者ならともかく、滞在歴の長いモンゴロイド系外国人の方は、
ファッションセンスも近いので、
一見しただけでは国籍が分からないことが珍しくありません。
そう、僕らの違いはソフトウェアだけで、
ハードの部分はほぼ一緒ですからね。
そこで食事が終わったときに、
「どちらからいらっしゃったのですか?」
「香港です」
「そうですか、僕も何度か行ったことがありますよ。
今回はお仕事ですか?」
「そうです。IT系の会社で働いています」
この受け答えは示唆的でした。
こうしたやり取りをした場合、
大陸側から来た方は、たいてい「中国から来た」と答えてきますが、
香港の方がそういうことはまずありません。
2016年に香港でクッキングクラスに参加したとき、
講師のジョイスは自分は香港人であり、
食材も Made in Hong Kong だと言っていたのを思い出します。
そこかしこで感じたのは、
「われわれは中国人ではない」という、
香港人としてのアイデンティティの主張。
「香港ですか、いまは厳しい状況ですね」
「・・・・・・・ええ・・・」
僕の言葉を受けた彼は英語の会話であるにもかかわらず、
来店したときと同じか、それ以上の間をおいて応えてきました。
「僕はあなたたちの主張にシンパシーを感じていますよ。
香港に自由を」
彼らと僕ら。
人間としては同じですが、
ソフトウェア、つまり文化の部分は大きく異なります。
そして僕はその違いを基本的に認めている。
自分と同じではないからという理由だけで否定はしません。
しかし、認めつつも近寄らないものがあります。
それは『無謬の存在』。
高名なところでは君主、教祖、政治家から身近な社長や家長まで、
批判から完全に免責された存在とそのお取り巻きには、
可能な限り距離を取るようにしています。
理由はいわずもがな、
自由を標榜する僕にとって、
近寄っていいことはひとつもないから。
いや、僕のミクロな理由に限らず、
人類史に刻まれた大惨事の中心には、
たいていこの『無謬の存在』とその盲信者がいるでしょ?
これは右派か左派かのようなイデオロギー上の問題じゃないんですよ。
(だってヒトラーとスターリンは思想的に対極でも、
しでかした結果はほとんど同じじゃないですか?)
立場が逆だったら、僕はどうするだろう?
彼を見送りながら、
僕は旅してまわった香港や中国の街々を思い出していました。
僕らの違いは文化的な面だけ・・・なのか?
それとも・・・
批判されない人、批判が許されない組織。
それは外国の個別の事情ではなく、
僕らの身近な存在でもあるんじゃないのか?
いや、もしかしたら、
僕らはすでに、その当事者の一人なのかも?
思えば75年前のこの国は、
現代の中国や北朝鮮とあんまり変わりませんでしたからね。
社会は自由であるべきだ。
ではその自由とはなにか?
このメタレベルの議論は、今でも政治の場に限らず、
学校や家庭でやっても無駄ではないような気がします。
え? 哲学なんてのはもう流行らない?
なんですけどね。
えーじ
とある日のランチタイムで。
25歳前後の男性のお客さまがご来店されました。
「おひとりさまですか?」
「・・・・ハ、はイ」
そしてカウンターにご案内すると、
しばしディナーメニューのご案内を手に思案中。
そこで、
「ランチメニューは黒板の2種類からお選びいただけます」
「・・・・は、ハい」
ん・・・この間と発音は?
と思って英語でメニューを説明すると、
彼はすらっとよどみなく応えてきました。
なるほどね。
このパターン、ここ数年では珍しくないんですよ。
旅行者ならともかく、滞在歴の長いモンゴロイド系外国人の方は、
ファッションセンスも近いので、
一見しただけでは国籍が分からないことが珍しくありません。
そう、僕らの違いはソフトウェアだけで、
ハードの部分はほぼ一緒ですからね。
そこで食事が終わったときに、
「どちらからいらっしゃったのですか?」
「香港です」
「そうですか、僕も何度か行ったことがありますよ。
今回はお仕事ですか?」
「そうです。IT系の会社で働いています」
この受け答えは示唆的でした。
こうしたやり取りをした場合、
大陸側から来た方は、たいてい「中国から来た」と答えてきますが、
香港の方がそういうことはまずありません。
2016年に香港でクッキングクラスに参加したとき、
講師のジョイスは自分は香港人であり、
食材も Made in Hong Kong だと言っていたのを思い出します。
そこかしこで感じたのは、
「われわれは中国人ではない」という、
香港人としてのアイデンティティの主張。
「香港ですか、いまは厳しい状況ですね」
「・・・・・・・ええ・・・」
僕の言葉を受けた彼は英語の会話であるにもかかわらず、
来店したときと同じか、それ以上の間をおいて応えてきました。
「僕はあなたたちの主張にシンパシーを感じていますよ。
香港に自由を」
彼らと僕ら。
人間としては同じですが、
ソフトウェア、つまり文化の部分は大きく異なります。
そして僕はその違いを基本的に認めている。
自分と同じではないからという理由だけで否定はしません。
しかし、認めつつも近寄らないものがあります。
それは『無謬の存在』。
高名なところでは君主、教祖、政治家から身近な社長や家長まで、
批判から完全に免責された存在とそのお取り巻きには、
可能な限り距離を取るようにしています。
理由はいわずもがな、
自由を標榜する僕にとって、
近寄っていいことはひとつもないから。
いや、僕のミクロな理由に限らず、
人類史に刻まれた大惨事の中心には、
たいていこの『無謬の存在』とその盲信者がいるでしょ?
これは右派か左派かのようなイデオロギー上の問題じゃないんですよ。
(だってヒトラーとスターリンは思想的に対極でも、
しでかした結果はほとんど同じじゃないですか?)
立場が逆だったら、僕はどうするだろう?
彼を見送りながら、
僕は旅してまわった香港や中国の街々を思い出していました。
僕らの違いは文化的な面だけ・・・なのか?
それとも・・・
批判されない人、批判が許されない組織。
それは外国の個別の事情ではなく、
僕らの身近な存在でもあるんじゃないのか?
いや、もしかしたら、
僕らはすでに、その当事者の一人なのかも?
思えば75年前のこの国は、
現代の中国や北朝鮮とあんまり変わりませんでしたからね。
社会は自由であるべきだ。
ではその自由とはなにか?
このメタレベルの議論は、今でも政治の場に限らず、
学校や家庭でやっても無駄ではないような気がします。
え? 哲学なんてのはもう流行らない?
なんですけどね。
えーじ
2021年04月04日
もう一度、一年生から
学ぶことの第一歩は、
『自分はできない』『自分は知らない』という自覚から。
入学式や入社式で時おり耳にするこの言葉、
確かに、『自分はできる』『自分は知っている』という認識では、
学ぶ以前に学ぶ動機が生まれません。
ルーキーたちはこの訓示を胸に新しい日々を歩み始めますが、
実のところ、これが当てはまるのは、
僕ら中年・実年世代なのではないかしらん?
と、申しますのも、
僕が今さら言うまでもなく、
『できる、知ってる、分かってる』の自意識3拍子が揃っているのは、
若手よりむしろ僕らの世代ですよね、ご同輩?
これはあらためて聞く立場で耳を傾けると、
ドキンとするような気がします。
そんなことを考えていたある日のディナーで。
ご来店されたのは60歳代の男性のお客さま。
以前、趣味でトロンボーンを吹いていると聞いたことがあったので、
「最近はどんな曲をプレイをしているのですか?」と声をかけたところ、
「いやぁ〜、イチから出直しですよ」とな?
訊けば、なんでもプロの先生について、
呼吸法や音の出し方など、初心者レベルからやり直しているとのこと。
社会人バンドだけではなく、
ライブハウスでプレイするスキルがありながら、
なぜまた初心者コースから?
「ちょっと縁があって教えていただくことになったのですが、
自分がこれほど吹けていなかったとは思いませんでした。
まずは姿勢や呼吸法からやり直しです」
そんな彼の話を、僕は「これだ!」という思いで聞いていました。
歳を取って自明となった『できる、知ってる、分かってる』を見直すこと。
このリセットした出発点が、
おっさんになった自分の視野と可能性を広げてくれる。
そう『できない、知らない、分からない』というのは、
けして恥ずかしいことじゃない。
現にトロンボーンを学び直している彼の口調は、
新しい世界に触れた驚きと喜びに似た響きに満ちていたじゃないですか。
もう一度、一年生から始めることに、時間切れはありません。
そのために必要なのはただひとつ。
『自分はできない』『自分は知らない』という自覚。
それを上から目線で誰かに向かって言うのではなく、
自分の耳で聞くこと。
ん〜・・・
僕もあれこれ手を出して、荒っぽくやってきましたからね。
謙虚に見直してみると、どうも怪しいことがいろいろありそうです。
それじゃ、何から始めようかな?
まずは英語の勉強から始めようかしらん?
えーじ
『自分はできない』『自分は知らない』という自覚から。
入学式や入社式で時おり耳にするこの言葉、
確かに、『自分はできる』『自分は知っている』という認識では、
学ぶ以前に学ぶ動機が生まれません。
ルーキーたちはこの訓示を胸に新しい日々を歩み始めますが、
実のところ、これが当てはまるのは、
僕ら中年・実年世代なのではないかしらん?
と、申しますのも、
僕が今さら言うまでもなく、
『できる、知ってる、分かってる』の自意識3拍子が揃っているのは、
若手よりむしろ僕らの世代ですよね、ご同輩?
これはあらためて聞く立場で耳を傾けると、
ドキンとするような気がします。
そんなことを考えていたある日のディナーで。
ご来店されたのは60歳代の男性のお客さま。
以前、趣味でトロンボーンを吹いていると聞いたことがあったので、
「最近はどんな曲をプレイをしているのですか?」と声をかけたところ、
「いやぁ〜、イチから出直しですよ」とな?
訊けば、なんでもプロの先生について、
呼吸法や音の出し方など、初心者レベルからやり直しているとのこと。
社会人バンドだけではなく、
ライブハウスでプレイするスキルがありながら、
なぜまた初心者コースから?
「ちょっと縁があって教えていただくことになったのですが、
自分がこれほど吹けていなかったとは思いませんでした。
まずは姿勢や呼吸法からやり直しです」
そんな彼の話を、僕は「これだ!」という思いで聞いていました。
歳を取って自明となった『できる、知ってる、分かってる』を見直すこと。
このリセットした出発点が、
おっさんになった自分の視野と可能性を広げてくれる。
そう『できない、知らない、分からない』というのは、
けして恥ずかしいことじゃない。
現にトロンボーンを学び直している彼の口調は、
新しい世界に触れた驚きと喜びに似た響きに満ちていたじゃないですか。
もう一度、一年生から始めることに、時間切れはありません。
そのために必要なのはただひとつ。
『自分はできない』『自分は知らない』という自覚。
それを上から目線で誰かに向かって言うのではなく、
自分の耳で聞くこと。
ん〜・・・
僕もあれこれ手を出して、荒っぽくやってきましたからね。
謙虚に見直してみると、どうも怪しいことがいろいろありそうです。
それじゃ、何から始めようかな?
まずは英語の勉強から始めようかしらん?
えーじ
2021年04月01日
それぞれの最初の日
入学、就職、転職、異動・・・
今日はその最初の日の方がたくさんいらっしゃいます。
今でこそ、そうした変化と無縁になってしまった僕らですが、
こと『転職』に関しては、やたらと経験して参りました。
そんな記憶が積み重なっているせいか、
新しいスーツや制服で街行く人を見かけると、
「いってらっしゃい。いい一日を」
という気持ちになるのですよ。
なんか、シンパシーを感じますね。
それはたぶん、未知の世界に飛び込むという意味で、
それぞれの人が、ガイドブックのない、
ひとり旅に踏み出したように見えているからかもしれません。
あなたの最初の日は、どんな一日でしたか?
あなたが選んだ旅。
あなたが選んだ日。
その本当の意味を教えてくれるのが、
今日から始まるあなたの旅なんですよ。
僕がそれを知ったのは、
出発してから30年以上が経った後でした。
凡人なのでだいぶ時間がかかりましたけど、
それなりの価値はあったと思っています。
なぜなら、
おっさんになった僕を今でも支えてくれているのは、
社会的な地位や銀行預金の残高ではなく、
その旅が教えてくれたものでしたから。
えーじ
今日はその最初の日の方がたくさんいらっしゃいます。
今でこそ、そうした変化と無縁になってしまった僕らですが、
こと『転職』に関しては、やたらと経験して参りました。
そんな記憶が積み重なっているせいか、
新しいスーツや制服で街行く人を見かけると、
「いってらっしゃい。いい一日を」
という気持ちになるのですよ。
なんか、シンパシーを感じますね。
それはたぶん、未知の世界に飛び込むという意味で、
それぞれの人が、ガイドブックのない、
ひとり旅に踏み出したように見えているからかもしれません。
あなたの最初の日は、どんな一日でしたか?
あなたが選んだ旅。
あなたが選んだ日。
その本当の意味を教えてくれるのが、
今日から始まるあなたの旅なんですよ。
僕がそれを知ったのは、
出発してから30年以上が経った後でした。
凡人なのでだいぶ時間がかかりましたけど、
それなりの価値はあったと思っています。
なぜなら、
おっさんになった僕を今でも支えてくれているのは、
社会的な地位や銀行預金の残高ではなく、
その旅が教えてくれたものでしたから。
えーじ