明日で8月も終わり。
2年続けて花火の音はなく、海や山も寂しい夏となりました。
そこでかわいそうなのがハイティーンたち。
大人は幾つか過ごしたうちのひとつですが、
彼、彼女たちには一生のうちで限られた時期の夏ですからね。
これがもし僕の時代だったらと思うと、
まったく同情を禁じ得ませんよ。
なぜなら、僕が生まれ育った横浜では、
うぶな恋人たちにとってクリスマスと並ぶ一大イベントが、
山下公園の花火大会だったのです。
僕らリビドーボーイズにとって、
そこへ浴衣を着た彼女を連れて行くのは、
勉強の成績や部活の試合の勝敗以上に重要な、
まさしくプライマリミッションでした。
あれが中止されたら・・・
悲しいだろうな。
そんなことを思い浮かべながら、久しぶりのジョギングに出た昨夕。
日が暮れた平和の森公園に近づくと、何やら懐かしいにおいが・・・
やがてそれに子供たちの嬌声が混じり、
僕は家族連れが花火で賑わう一角に入り込んでいたのです。
10組ほどの家族が花火を囲んでいる光景は、
さながら巨大なカレイドスコープを髣髴させる美しさがありました。
いいですね、こういうの。
恋人を探すにはまだ早いけど、
この夜の花火が、
あの子たちの夏の思い出のひとつとなりますように。
そう思いながら、
僕は東の出口に向かって再び走り始めました。
えーじ
2021年08月30日
2021年08月27日
夏の夜のシンクロニシティ
(ネタバレが含まれています。
これから1Q84を読もうとしている方はご注意を)
と、カッコつきで切り出した今回の舞台は、
僕が住んでいる野方5丁目にあるアパートの寝室。
夏の夜のベッドタイムストーリーは、
これまた冒頭で挙げた村上春樹さんの『1Q84』です。
実は僕、村上さんの作品を読むのはこれが初めて。
で、なぜこの作品を選んだのかというと、
深い意味はありませんでした。
ただ、なんとなく・・・という感じ。
(相変わらずの乱読ですので)
それゆえ内容についての予備知識もまったくなし。
タイトルからジョージ・オーウェルの1984のもじりかな?
くらいに思ってページを繰り始めました。
へぇ〜・・・ノーベル文学賞候補と言われているけど、
ずいぶんポップな文体で書く人なんだな。
ヤナーチェクのシンフォニエッタ?
どこかで聴いた気が・・・
そうだ、あれはエミール・ヴィクリッキー・トリオのCD。
クラシックではなくジャスだけど・・・
確かまだ持っていたはずだ。あとで聴いてみよう。
で、主人公の女性は殺し屋かい?
アイスピックで急所を一刺し?
なんか現代版必殺仕置人みたいじゃないか。
ふ〜ん、そういうお話なのね。
てな具合にぐいぐい引き込まれ、
気が付けば毎晩1時間以上のお付き合いに。
そして、ある雷雨の夜、
2巻目の中盤に差し掛かっていたときのこと。
深田絵里子が買い出しに行ったスーパーの名前を目にした途端、
僕もまた1984年ならぬ1Q84の世界へスリップアウトしてしまったのです。
マルショウだって?
それって野方にもあるスーパー丸正のこと?
そういえば、もう一人の主人公、川奈天吾が住んでいるのは高円寺。
そしてスーパーマルショウは彼のアパートから200メートルほどの距離。
ってことは・・・
この小説の一部は、僕がいまこれを読んでいるアパートから、
直線で250メートル程度の場所を舞台にしているんじゃないか!?
外はいつしか雷雨が止んでいました。
小説1Q84は完全なフィクションであり、
その時間設定ですら今から37年も前のことです。
しかし、僕は全身で奇妙なリアリティを感じ始めていました。
小説は主人公の一人、
青豆雅美が首都高速の非常口を徒歩で出るところから始まります。
それは異次元へ通じるゲートウェイのアナロジーでもあり、
首都高速上は1984年ですが、
下りた先は似て異なる現実が支配する1Q84年だった。
青豆が最初に感じた異質感って、こんな風だったのかも・・・
だとしたら、いま外へ出ると、
僕が筋トレで訪れる公園の滑り台の上で、
天吾が二つの月を見上げており、
通りを隔てて隣接する6階建てのマンションの3階のベランダからは、
青豆が彼を探しているのかもしれない。
そして天吾にWIZの公衆電話から電話をかけた深田絵里子が、
スーパーマルショウに入り、
ロータリーのバス停から牛河がそれを監視している。
確かめに行ってみようか?
僕がこのまま本を閉じれば、
これは紙に印刷されたフィクションのまま終わってしまいます。
でももしいま、外に出て公園へ向かったら、
僕にも月が二つに見えるのではないか?
そう、1984年が1Q84年になったように・・・
よし、服を着替えて行ってみよう!
「んごっ・・・」
僕を夢想の世界から2021年8月の夜に引き戻したのは、
NHK集金人の天吾の父が叩くドアの音ではなく、
横で寝ていたともこの一発いびきでした。
んなわけないよね?
長引く非常事態宣言の影響で本の虫が目を覚ましたせいか、
僕は最近、
支離滅裂なアドベンチャー風の夢をよく見るようになりました。
ときにはこうして、それが現実の世界にちょっかいを出すのも、
無理からぬことなのかもしれませんね。
やれやれ・・・
僕は本を閉じ、読書灯を消しました。
えーじ
P.S.
小説を読み終わった後、
ちょっと気になったので街を歩いてみると、
やっぱり1Q84の舞台の一部になったのは、
僕が住む野方5丁目のアパートのすぐ近くだと確信しました。
まず、その根拠となるキーワードは『マルショウ』です。
作家が一般名詞のスーパーマーケットではなく、
マルショウという実在の固有名詞を使うからには、
リアリティを求める以上の意図があったとみていいでしょう。
そしてわざわざ天吾の住むアパートから200メートルという、
具体的な距離感まで示している。(2巻P208,8行)
そうなると場所は高円寺というより、
大和町2丁目7番地から8番地が該当するんですよ。
(僕が住むアパートから直線で約150メートルの距離)
しかしこれと矛盾する記述が後で出てきます。
牛河が天吾を尾行して行った公園から天吾のアパートへ戻るとき、
彼は高円寺駅に向かいつつ、小学校の前を通り、
もう少し先まで進んでいる。(3巻P409,15-16行)
後述しますが、舞台となった公園が中野区立大和公園だとすると、
高円寺駅と公園を結ぶ直線上の小学校は、
中野区立啓明小学校しかありません。
ところがここはマルショウから直線で500メートルはある。
これは2巻P208,8行と矛盾しています。
(ちなみにスーパー丸正は高円寺にはない)
単身世帯を対象としたアパートが密集しているという点では、
どちらの地域も条件を満たしています。
しかし、天吾の通勤ルートが高円寺駅であり、
青豆が潜伏するマンションとの距離感を考えると、
(これも後述します)
どうも後者の方がぴったりくるような気がするんですよ。
さて、物語後半のハイライトとなる場所の公園ですが、
先に天吾のアパートの候補地となった大和町2丁目7番地から、
西に50メートルほど行ったところに中野区立大和公園があります。
なるほど東の児童館前には小説のとおり、(第3巻P392,8〜9行)
滑り台とブランコ、小さなジャングルジムに砂場、水銀灯、
けやきの木がありました。
ここは啓明小学校からも直線で200メートルしか離れていません。
耳をすませば環七の音だって聞こえます。(第3巻P549,15行)
近隣にこれ以上の条件が合致する公園はないため、
大和公園が舞台となったとみていいでしょう。
しかし作品に水を差すようですが、
重要な舞台装置である滑り台には少々無理があるようです。
と申しますのも、滑り台は子供用ですから、
上部は大人がひとり腰かけるスペースしかないのですよ。
従いまして感動的なラストシーンにあるように、(第3巻P550,5行)
天吾に青豆が寄り添って手を握りながら座るのは不可能です。
次に青豆が隠遁するセーフハウス(ルーム?)のある、
6階建てのマンションを探してみましょう。(第2巻P550,14行)
残念ながら公園の滑り台に登っても見当たる建物はありません。
しかし東に80メートルほど行ったところにはあるんですよ、
まさしく6階建てのマンションが。
これまた小説とは違って新築ではありませんけど、
条件からするとこのマンションがモデルになった可能性が高い。
また、ここは天吾のアパートが大和町2丁目7番地付近と仮定した場合、
直線でたった50メートル程度しか離れていません。
これではいくら何でも近すぎるというのが、
啓明小学校近隣説をとった理由です。
ちなみに、
もしかしたら小説に出てくる公園は、
明正寺川を挟んで対岸側にあった沼栄橋公園がイメージとして、
混ざっているかもしれません。
(ここは現在、環状七号線地下広域調節池工事のため撤去されました)
そこであればその6階建てのマンションからよく見えるんですよ。
しかし遊具はいっさいありませんでしたし、
天吾が住む大和町2丁目からは、
最短だと騒々しい環七を通って行かなければならないため、
物思いにふける彼があえてそこへ行くとは考えにくい。
結論として、作家は中野区立大和公園のすぐ近く(東側)に、
古い6階建てのマンションを新築にして配置したと考えるのが順当な気がします。
次に深田絵里子がマルショウの前から天吾に電話をかけるシーン。
(2巻P208,7行)
マルショウやロータリーに公衆電話はありませんが、
正面にあるWIZの区役所出張所前にはありました。
そこからは確かにマルショウが目の前に見えます。
彼女はここから電話をかけたのでしょう。
そして深田絵里子がマルショウに買い物に入ったところを、
牛河が監視するシーン。(3巻P316,4行)
なるほどロータリーのバス停に並んでいれば、
風景に溶け込んでマルショウの入り口を見張ることができます。
しかし、小説では入り口はひとつしかないとなっていますが、
実際はアーケード内の通路に面してスーパーは3つのセクションに分かれており、
ロータリーから監視しているセクションも、
ロータリー側と通路側それぞれに出入口があります。
これでは簡単に逃げられてしまいますね。
ですからここは作者の創作でしょう。
とまぁ、こうして物語をベースに現実の世界をトレースしたのですが、
12年近く住んでもなお感じたことのない、不思議な感覚を味わえましたね。
さながらこれもまた1Q84の世界に一歩踏み込んでいたからかもしれません。
そのうち営業中に1984年に戻った天吾と青豆がふらりと入ってくるかも。
ふたりとも年齢は70歳近く。
え? リトルピープルは?
そ、そいつはちょっと・・・
P.S.2
いま一度、大和公園の写真を検索してみました。
それも過去のものです。
とういうのも公園では昨年リニューアル工事が行われ、
一部の遊具が交換されていたのですよ。
そこで問題の滑り台を確認してみると、
今のものより大型で、
上部にはカゴ状の子供が滑り待ちするスペースがあります。
とはいえ大柄な柔道選手の天吾と一緒に座るのは、
いかにスリムな青豆とはいえきつかったかな?
いや、20年振りの待ち焦がれた再会ですから、
ムギュっていうのも、まぁいいかもしれません。
季節は真冬ですし。
ちなみに当時の滑り台の設置方向は東を背中に西側の砂場に向いています。
(今はやや南向き)
ということは滑る方向に向かって座ると、
80メートルほど東にある6階建てのマンションに背を向ける格好となり、
これは距離は別とすれば小説どおりですね。
これから1Q84を読もうとしている方はご注意を)
と、カッコつきで切り出した今回の舞台は、
僕が住んでいる野方5丁目にあるアパートの寝室。
夏の夜のベッドタイムストーリーは、
これまた冒頭で挙げた村上春樹さんの『1Q84』です。
実は僕、村上さんの作品を読むのはこれが初めて。
で、なぜこの作品を選んだのかというと、
深い意味はありませんでした。
ただ、なんとなく・・・という感じ。
(相変わらずの乱読ですので)
それゆえ内容についての予備知識もまったくなし。
タイトルからジョージ・オーウェルの1984のもじりかな?
くらいに思ってページを繰り始めました。
へぇ〜・・・ノーベル文学賞候補と言われているけど、
ずいぶんポップな文体で書く人なんだな。
ヤナーチェクのシンフォニエッタ?
どこかで聴いた気が・・・
そうだ、あれはエミール・ヴィクリッキー・トリオのCD。
クラシックではなくジャスだけど・・・
確かまだ持っていたはずだ。あとで聴いてみよう。
で、主人公の女性は殺し屋かい?
アイスピックで急所を一刺し?
なんか現代版必殺仕置人みたいじゃないか。
ふ〜ん、そういうお話なのね。
てな具合にぐいぐい引き込まれ、
気が付けば毎晩1時間以上のお付き合いに。
そして、ある雷雨の夜、
2巻目の中盤に差し掛かっていたときのこと。
深田絵里子が買い出しに行ったスーパーの名前を目にした途端、
僕もまた1984年ならぬ1Q84の世界へスリップアウトしてしまったのです。
マルショウだって?
それって野方にもあるスーパー丸正のこと?
そういえば、もう一人の主人公、川奈天吾が住んでいるのは高円寺。
そしてスーパーマルショウは彼のアパートから200メートルほどの距離。
ってことは・・・
この小説の一部は、僕がいまこれを読んでいるアパートから、
直線で250メートル程度の場所を舞台にしているんじゃないか!?
外はいつしか雷雨が止んでいました。
小説1Q84は完全なフィクションであり、
その時間設定ですら今から37年も前のことです。
しかし、僕は全身で奇妙なリアリティを感じ始めていました。
小説は主人公の一人、
青豆雅美が首都高速の非常口を徒歩で出るところから始まります。
それは異次元へ通じるゲートウェイのアナロジーでもあり、
首都高速上は1984年ですが、
下りた先は似て異なる現実が支配する1Q84年だった。
青豆が最初に感じた異質感って、こんな風だったのかも・・・
だとしたら、いま外へ出ると、
僕が筋トレで訪れる公園の滑り台の上で、
天吾が二つの月を見上げており、
通りを隔てて隣接する6階建てのマンションの3階のベランダからは、
青豆が彼を探しているのかもしれない。
そして天吾にWIZの公衆電話から電話をかけた深田絵里子が、
スーパーマルショウに入り、
ロータリーのバス停から牛河がそれを監視している。
確かめに行ってみようか?
僕がこのまま本を閉じれば、
これは紙に印刷されたフィクションのまま終わってしまいます。
でももしいま、外に出て公園へ向かったら、
僕にも月が二つに見えるのではないか?
そう、1984年が1Q84年になったように・・・
よし、服を着替えて行ってみよう!
「んごっ・・・」
僕を夢想の世界から2021年8月の夜に引き戻したのは、
NHK集金人の天吾の父が叩くドアの音ではなく、
横で寝ていたともこの一発いびきでした。
んなわけないよね?
長引く非常事態宣言の影響で本の虫が目を覚ましたせいか、
僕は最近、
支離滅裂なアドベンチャー風の夢をよく見るようになりました。
ときにはこうして、それが現実の世界にちょっかいを出すのも、
無理からぬことなのかもしれませんね。
やれやれ・・・
僕は本を閉じ、読書灯を消しました。
えーじ
P.S.
小説を読み終わった後、
ちょっと気になったので街を歩いてみると、
やっぱり1Q84の舞台の一部になったのは、
僕が住む野方5丁目のアパートのすぐ近くだと確信しました。
まず、その根拠となるキーワードは『マルショウ』です。
作家が一般名詞のスーパーマーケットではなく、
マルショウという実在の固有名詞を使うからには、
リアリティを求める以上の意図があったとみていいでしょう。
そしてわざわざ天吾の住むアパートから200メートルという、
具体的な距離感まで示している。(2巻P208,8行)
そうなると場所は高円寺というより、
大和町2丁目7番地から8番地が該当するんですよ。
(僕が住むアパートから直線で約150メートルの距離)
しかしこれと矛盾する記述が後で出てきます。
牛河が天吾を尾行して行った公園から天吾のアパートへ戻るとき、
彼は高円寺駅に向かいつつ、小学校の前を通り、
もう少し先まで進んでいる。(3巻P409,15-16行)
後述しますが、舞台となった公園が中野区立大和公園だとすると、
高円寺駅と公園を結ぶ直線上の小学校は、
中野区立啓明小学校しかありません。
ところがここはマルショウから直線で500メートルはある。
これは2巻P208,8行と矛盾しています。
(ちなみにスーパー丸正は高円寺にはない)
単身世帯を対象としたアパートが密集しているという点では、
どちらの地域も条件を満たしています。
しかし、天吾の通勤ルートが高円寺駅であり、
青豆が潜伏するマンションとの距離感を考えると、
(これも後述します)
どうも後者の方がぴったりくるような気がするんですよ。
さて、物語後半のハイライトとなる場所の公園ですが、
先に天吾のアパートの候補地となった大和町2丁目7番地から、
西に50メートルほど行ったところに中野区立大和公園があります。
なるほど東の児童館前には小説のとおり、(第3巻P392,8〜9行)
滑り台とブランコ、小さなジャングルジムに砂場、水銀灯、
けやきの木がありました。
ここは啓明小学校からも直線で200メートルしか離れていません。
耳をすませば環七の音だって聞こえます。(第3巻P549,15行)
近隣にこれ以上の条件が合致する公園はないため、
大和公園が舞台となったとみていいでしょう。
しかし作品に水を差すようですが、
重要な舞台装置である滑り台には少々無理があるようです。
と申しますのも、滑り台は子供用ですから、
上部は大人がひとり腰かけるスペースしかないのですよ。
従いまして感動的なラストシーンにあるように、(第3巻P550,5行)
天吾に青豆が寄り添って手を握りながら座るのは不可能です。
次に青豆が隠遁するセーフハウス(ルーム?)のある、
6階建てのマンションを探してみましょう。(第2巻P550,14行)
残念ながら公園の滑り台に登っても見当たる建物はありません。
しかし東に80メートルほど行ったところにはあるんですよ、
まさしく6階建てのマンションが。
これまた小説とは違って新築ではありませんけど、
条件からするとこのマンションがモデルになった可能性が高い。
また、ここは天吾のアパートが大和町2丁目7番地付近と仮定した場合、
直線でたった50メートル程度しか離れていません。
これではいくら何でも近すぎるというのが、
啓明小学校近隣説をとった理由です。
ちなみに、
もしかしたら小説に出てくる公園は、
明正寺川を挟んで対岸側にあった沼栄橋公園がイメージとして、
混ざっているかもしれません。
(ここは現在、環状七号線地下広域調節池工事のため撤去されました)
そこであればその6階建てのマンションからよく見えるんですよ。
しかし遊具はいっさいありませんでしたし、
天吾が住む大和町2丁目からは、
最短だと騒々しい環七を通って行かなければならないため、
物思いにふける彼があえてそこへ行くとは考えにくい。
結論として、作家は中野区立大和公園のすぐ近く(東側)に、
古い6階建てのマンションを新築にして配置したと考えるのが順当な気がします。
次に深田絵里子がマルショウの前から天吾に電話をかけるシーン。
(2巻P208,7行)
マルショウやロータリーに公衆電話はありませんが、
正面にあるWIZの区役所出張所前にはありました。
そこからは確かにマルショウが目の前に見えます。
彼女はここから電話をかけたのでしょう。
そして深田絵里子がマルショウに買い物に入ったところを、
牛河が監視するシーン。(3巻P316,4行)
なるほどロータリーのバス停に並んでいれば、
風景に溶け込んでマルショウの入り口を見張ることができます。
しかし、小説では入り口はひとつしかないとなっていますが、
実際はアーケード内の通路に面してスーパーは3つのセクションに分かれており、
ロータリーから監視しているセクションも、
ロータリー側と通路側それぞれに出入口があります。
これでは簡単に逃げられてしまいますね。
ですからここは作者の創作でしょう。
とまぁ、こうして物語をベースに現実の世界をトレースしたのですが、
12年近く住んでもなお感じたことのない、不思議な感覚を味わえましたね。
さながらこれもまた1Q84の世界に一歩踏み込んでいたからかもしれません。
そのうち営業中に1984年に戻った天吾と青豆がふらりと入ってくるかも。
ふたりとも年齢は70歳近く。
え? リトルピープルは?
そ、そいつはちょっと・・・
P.S.2
いま一度、大和公園の写真を検索してみました。
それも過去のものです。
とういうのも公園では昨年リニューアル工事が行われ、
一部の遊具が交換されていたのですよ。
そこで問題の滑り台を確認してみると、
今のものより大型で、
上部にはカゴ状の子供が滑り待ちするスペースがあります。
とはいえ大柄な柔道選手の天吾と一緒に座るのは、
いかにスリムな青豆とはいえきつかったかな?
いや、20年振りの待ち焦がれた再会ですから、
ムギュっていうのも、まぁいいかもしれません。
季節は真冬ですし。
ちなみに当時の滑り台の設置方向は東を背中に西側の砂場に向いています。
(今はやや南向き)
ということは滑る方向に向かって座ると、
80メートルほど東にある6階建てのマンションに背を向ける格好となり、
これは距離は別とすれば小説どおりですね。
2021年08月24日
Just for fun!
アンナちゃんは小学生の女の子。
ある日、帰り際になにやらもじもじと・・・
そこでお母さんが、
「ほら、自分で言ってみなさい」
・・・?
「どしたの?」
アンナちゃんは、はにかんだままです。
僕は彼女と目線を合わせるためにしゃがみ込み、
「ん? なぁに?」
そこでようやく意を決したのか、
「えいごを勉強しています!」
なるほど。
どうやら僕が他のお客さんと英語で話しているの聞いて、
自分も話せると言いたいようです。
そこで、
"That's great! My name is Eiji. What is yours?"
と、ゆっくり教科書どおりに訊いてみれば、
"My name is Anna."
"Oh,how cute! Nice to meet you,Anna."
"Nice to meet to you too."
それ以来、来店する度に、
ワンフレーズを英語で話すようになりました。
この前は頑張ってお父さんとお母さん、
そして自分のオーダーに挑戦。
"I want Turkey.He want Turkey.She want Bolivia,"
(ランチタイムのメニューがトルコ行きとボリビア行きだったもので)
"Okay then,Turkey for you,
Turkey for him and Bolivia for her,right?"
"Yes!"
よくできました〜!
もちろん普通はこういう言い方はしません。
でも大人たちは訂正しなかったのです。
え? それじゃ間違った言い方を覚えちゃう?
確かに。
しかし、これでいいんですよ。
学ぶ順番は、まず自分から話すこと。
その後で『正しい』文法やら発音を覚えればいい。
それにそもそもこれは勉強じゃありません。
Just for fun!
実はこれ、
大人の僕たちが最も苦手とするところなんですよね。
えーじ
ある日、帰り際になにやらもじもじと・・・
そこでお母さんが、
「ほら、自分で言ってみなさい」
・・・?
「どしたの?」
アンナちゃんは、はにかんだままです。
僕は彼女と目線を合わせるためにしゃがみ込み、
「ん? なぁに?」
そこでようやく意を決したのか、
「えいごを勉強しています!」
なるほど。
どうやら僕が他のお客さんと英語で話しているの聞いて、
自分も話せると言いたいようです。
そこで、
"That's great! My name is Eiji. What is yours?"
と、ゆっくり教科書どおりに訊いてみれば、
"My name is Anna."
"Oh,how cute! Nice to meet you,Anna."
"Nice to meet to you too."
それ以来、来店する度に、
ワンフレーズを英語で話すようになりました。
この前は頑張ってお父さんとお母さん、
そして自分のオーダーに挑戦。
"I want Turkey.He want Turkey.She want Bolivia,"
(ランチタイムのメニューがトルコ行きとボリビア行きだったもので)
"Okay then,Turkey for you,
Turkey for him and Bolivia for her,right?"
"Yes!"
よくできました〜!
もちろん普通はこういう言い方はしません。
でも大人たちは訂正しなかったのです。
え? それじゃ間違った言い方を覚えちゃう?
確かに。
しかし、これでいいんですよ。
学ぶ順番は、まず自分から話すこと。
その後で『正しい』文法やら発音を覚えればいい。
それにそもそもこれは勉強じゃありません。
Just for fun!
実はこれ、
大人の僕たちが最も苦手とするところなんですよね。
えーじ
2021年08月21日
トラブルシューターの憂鬱
IT稼業で火事場に投入されたとき、
トラブルシューターとしての評判を危うくする要素とは何か?
冷静でいることです。
では逆に、
頼りになる、信頼されるトラブルシューターの条件とは?
現場でざっと状況を把握したら携帯電話を取り出し、
当該システムのベンダーさんに向かって
「これはいったいどうなっているんですか!
すぐにサーバーの状態を確認してください!」
とオフィス中に聞こえるくらいの声で怒鳴ること。
これは即効性がありました。
現場の方々の僕を見る目は、
「ああ、頼りになる人が来た!これでもう安心だ」
そしてダメ押しは、
ぶつぶつベンダーさんを罵倒するセリフをつぶやきつつ、
「ほんと、みなさん大変ですね。この状況はまったくひどいですよ」
と同情を示す。
これでラポール形成は完璧です。
そして僕はこれがとてもつらかった。
なぜならこうしたジェスチャーは問題解決にならないばかりか、
反対に状況を悪化させるだけだから。
で、ほどなくこうした三文芝居に嫌気がさして、
ドライに仕事をしはじめたのです。
すると、
「この人、やる気があるのかな?」
「ぼそぼそ電話したきり、ただ待ってるだけじゃないか」
っと、まぁこの通り。
結果的に、これが解決への最短距離だとしても、
スタンドプレイなくして現場の満足もまたなかったのでした。
昨今の行政の新型コロナウイルス対応を見ていると、
あの頃の自分をよく思い出します。
こうした芝居にはヒールが欠かせません。
僕の場合はベンダーさんでしたが、
コロナ騒動ではまずパチンコ店、次が僕ら飲食業者、そのまた次が風俗店、
で、今回は百貨店か・・・
「まったくこの人たちが感染源になっているから!」
このジェスチャーで多くの人々が納得し、
ターゲットに押し付けた難題のハードルが高いほど、
「ああ、行政(報道)はしっかりやっている!」
と、ひとまず安心したりする
でも、その安心が束の間のものであり、
期待どおりの結果に結び付かないことは
この1年8カ月の経験で明らかですよね?
で、ご相談なのですけど、
そろそろこの『とりあえずスケープゴート』はやめにしませんか?
パチンコ店を、飲食店を、風俗店を、そして百貨店を、
すべて潰しても、感染爆発を止めることはできないでしょう。
なぜか?
それはいわずもがな、
パンデミックの要因はそんな単純なことじゃないからです。
今日も百貨店の人数制限オペレーションは、
とてつもない業務負荷を現場に与えているでしょう。
しかもコストがかかって売り上げは下がる。
よしんば結果が出たにせよ、それを検証する手段もない。
言うだけ言って、あとは知らない。
とりあえず・・・とりあえず・・・
またターゲットを変えて、とりあえず・・・
僕がこの風潮にどっぷり漬かって思い出したのは湾岸戦争の報道でした。
バグダッドの夜空に向かい、
曳光弾が花火のように軌跡を描いていた、あの映像です。
あれはイラク軍が敵を撃っていたのではないのですよ。
なぜなら彼らには飛来するトマホークや、
ステルス戦闘機を検知する仕組みがなかったから。
ただ漠然と、「空爆を受けている!だから敵は空にいる!」
この直観から、不安と恐怖に駆られて無駄弾を撃ち続けていただけ。
これ、今の僕らとそっくりだと思いません?
なんかパチンコ店が、飲食店が、風俗店が、そして百貨店が怪しそうだ。
だから何かやらせよう!
こと飲食店の一現場から申し上げますと、
正直、行政から言われてやっていることに、
「ああ、これは重要な意味がある。どんなに手間でもやるべきだ」
と真面目に思っている対策が、どれくらいあると思います?
特に換気を悪くするアクリル板の設置とか、
おカネのやり取りだけトレーでやるとか・・・
そしてこれは業界業種を超え、
多くの人々が思っているのではないでしょうか?
それこそホンネは『やっちまったときのエクスキューズ』。
違います?
僕はここで今さらノーガード戦法で行こうと言っているのではありません。
コロナ禍も1年以上続いていることですし、
この辺で冷静に対策の棚卸しをして、
空に向かって無駄弾を打つようなことは、
いや、撃たせるようなことをするのはやめにしませんか?
デルタ型はこれまでのシナリオを書き換えました。
クールにワーストシナリオに備えたカードを用意し、
限られた人的、物質的リソースを有効に使うときです。
そして少なくとも僕らはトラブルシューターである以上、
トラブルメーカーになることは避けるべきでしょう。
ね、小池さん?
えーじ
トラブルシューターとしての評判を危うくする要素とは何か?
冷静でいることです。
では逆に、
頼りになる、信頼されるトラブルシューターの条件とは?
現場でざっと状況を把握したら携帯電話を取り出し、
当該システムのベンダーさんに向かって
「これはいったいどうなっているんですか!
すぐにサーバーの状態を確認してください!」
とオフィス中に聞こえるくらいの声で怒鳴ること。
これは即効性がありました。
現場の方々の僕を見る目は、
「ああ、頼りになる人が来た!これでもう安心だ」
そしてダメ押しは、
ぶつぶつベンダーさんを罵倒するセリフをつぶやきつつ、
「ほんと、みなさん大変ですね。この状況はまったくひどいですよ」
と同情を示す。
これでラポール形成は完璧です。
そして僕はこれがとてもつらかった。
なぜならこうしたジェスチャーは問題解決にならないばかりか、
反対に状況を悪化させるだけだから。
で、ほどなくこうした三文芝居に嫌気がさして、
ドライに仕事をしはじめたのです。
すると、
「この人、やる気があるのかな?」
「ぼそぼそ電話したきり、ただ待ってるだけじゃないか」
っと、まぁこの通り。
結果的に、これが解決への最短距離だとしても、
スタンドプレイなくして現場の満足もまたなかったのでした。
昨今の行政の新型コロナウイルス対応を見ていると、
あの頃の自分をよく思い出します。
こうした芝居にはヒールが欠かせません。
僕の場合はベンダーさんでしたが、
コロナ騒動ではまずパチンコ店、次が僕ら飲食業者、そのまた次が風俗店、
で、今回は百貨店か・・・
「まったくこの人たちが感染源になっているから!」
このジェスチャーで多くの人々が納得し、
ターゲットに押し付けた難題のハードルが高いほど、
「ああ、行政(報道)はしっかりやっている!」
と、ひとまず安心したりする
でも、その安心が束の間のものであり、
期待どおりの結果に結び付かないことは
この1年8カ月の経験で明らかですよね?
で、ご相談なのですけど、
そろそろこの『とりあえずスケープゴート』はやめにしませんか?
パチンコ店を、飲食店を、風俗店を、そして百貨店を、
すべて潰しても、感染爆発を止めることはできないでしょう。
なぜか?
それはいわずもがな、
パンデミックの要因はそんな単純なことじゃないからです。
今日も百貨店の人数制限オペレーションは、
とてつもない業務負荷を現場に与えているでしょう。
しかもコストがかかって売り上げは下がる。
よしんば結果が出たにせよ、それを検証する手段もない。
言うだけ言って、あとは知らない。
とりあえず・・・とりあえず・・・
またターゲットを変えて、とりあえず・・・
僕がこの風潮にどっぷり漬かって思い出したのは湾岸戦争の報道でした。
バグダッドの夜空に向かい、
曳光弾が花火のように軌跡を描いていた、あの映像です。
あれはイラク軍が敵を撃っていたのではないのですよ。
なぜなら彼らには飛来するトマホークや、
ステルス戦闘機を検知する仕組みがなかったから。
ただ漠然と、「空爆を受けている!だから敵は空にいる!」
この直観から、不安と恐怖に駆られて無駄弾を撃ち続けていただけ。
これ、今の僕らとそっくりだと思いません?
なんかパチンコ店が、飲食店が、風俗店が、そして百貨店が怪しそうだ。
だから何かやらせよう!
こと飲食店の一現場から申し上げますと、
正直、行政から言われてやっていることに、
「ああ、これは重要な意味がある。どんなに手間でもやるべきだ」
と真面目に思っている対策が、どれくらいあると思います?
特に換気を悪くするアクリル板の設置とか、
おカネのやり取りだけトレーでやるとか・・・
そしてこれは業界業種を超え、
多くの人々が思っているのではないでしょうか?
それこそホンネは『やっちまったときのエクスキューズ』。
違います?
僕はここで今さらノーガード戦法で行こうと言っているのではありません。
コロナ禍も1年以上続いていることですし、
この辺で冷静に対策の棚卸しをして、
空に向かって無駄弾を打つようなことは、
いや、撃たせるようなことをするのはやめにしませんか?
デルタ型はこれまでのシナリオを書き換えました。
クールにワーストシナリオに備えたカードを用意し、
限られた人的、物質的リソースを有効に使うときです。
そして少なくとも僕らはトラブルシューターである以上、
トラブルメーカーになることは避けるべきでしょう。
ね、小池さん?
えーじ
2021年08月18日
外国という鏡、日本の顔
僕らが旅をするときの大前提、
それは『ここは外国だ』という認識です。
で、ここでいう『外国』とは、
言葉だけではなく社会構造と価値観が異なる場所のこと。
え? そんなの当たり前?
と仰るなかれ、
ことはそう簡単じゃないケースが多いんですよ。
それにこの大前提、
僕ら無学のバックパッカーのみならず、
優秀な政府や官庁のお歴々もまた例外ではありません。
これを見誤ったために犯した大失敗、
古くは植民地統治(皇民化政策とか)、
近代では緑の革命などいくらでもあります。
旬な話ではアフガニスタンの民主化。
結局また20年前に戻っちゃったでしょ?
莫大な予算を投下し、多くの人命が失われたにもかかわらず。
僕はこの流れを傍観していて、
(事実上、入国できなかったもんで)
レバノンとそっくりだな・・・と思っていました。
あそこも、もめごとのデパートになって収拾がつかないし。
これと似ているのが南アフリカ。
エチオピアやスーダン、ソマリアもそう。
じゃ、何がその共通点なのか?
それは富と権力の分配システムが、
資本主義を導入した民主主義国家とは根本的に違うということ。
部族社会とは、
小は家族、中は親族、大は部族の入れ子構造になっており、
このヒエラルキーに沿って、
(レバノンでは宗教宗派ごとに)富と権力が分配され、
それがそのまま個人の社会的なアイデンティティのレイヤーを構成しています。
(就職や結婚も一般的にこのフレーム内で行われますし)
彼らには僕らにとって自明の『日本と日本人』みたいな、
国民国家という概念がないか、あっても希薄なんですよ。
ですからアフガニスタンでも、
パシュトゥーン人であるとかタジク人であるという意識はあっても、
アフガニスタン人というのはだいぶぼやけた概念なんじゃないかな?
そうなると、いわゆる『お国のために』というような、
挙国一致のイデオロギーは成立しにくい。
だから数と装備の質で優位だったにもかかわらず、、
タリバンを前にした正規軍の逃亡兵が後を絶たなくなってしまった。
で、そのまた逆も然り。
たとえばケープタウンで、
タウンシップに入るスタディツアーに参加した時のこと。
アパルトヘイトのレガシーともいえるタウンシップは、
治安が悪く、一般的に僕らのようなよそ者が入れる場所ではありません。
そこでガイドは当然、タウンシップの住人に限られます。
僕らがケープタウンで最大級のタウンシップ、ニャンガに入るとすぐ、
住民が次々とガイドに挨拶してきました。
「へぇ、君は知り合いが多いんだね」
「え? ああ、あいつは弟の友だちで、さっきのは従妹の夫ですよ」
この調子でほんの10分ほどの間に声をかけてきたのは、
3〜4人じゃ済みません。
それもちょっとした知り合いという雰囲気ではなく、
彼らは明らかに『とても親しい』間柄でした。
これが僕らの社会とどれくらい違うか、
皆さんご自身の生活と比べてみればはっきりするでしょう。
たとえば今朝、家を出てから学校や職場に着くまでの間で、
いったい何人と挨拶を交わしました?
次に僕は悲惨なスラムであるタウンシップを垣間見て、
ガイドの若者にこう訊いてみたのです。
「君は英語が堪能でガイドのスキルも高い。
収入もそれなりにあるだろう。
そこでここから出て、街の中心に住もうとは思わないかい?」
この時の彼の反応は予想外のものでした。
「え? 引っ越す? ここから?
あり得ないですよ。だってそんなところへ行ったら、
ひとりぼっちになってしまうじゃないですか!」
「そうか、なるほど。タウンシップは部族ごとにあるんだね」
「そうです。だから街の中心だけではなく、
別のタウンシップに移ることもまずありません」
彼と話していた時も、
南アフリカ人としてのアイデンティティの希薄さを、
僕は感じていました。
彼らはあくまでズールー人やコーサ人やソト人であって、
南アフリカ人ではないんですよ。
こうした文化圏に構造矛盾を起こす、
欧米型の近代国民国家や民主主義というフレームを力づくで押し付けても、
期待した結果が出ないのは当たり前じゃないでしょうか?
8月15日は過ぎてしまいましたが、
欧米型統治の成功例として持ち出される76年前の日本と、
部族社会がほとんどを占めるアラビア半島、
アフリカの国々は社会の基本構造がまったく違う。
そして正直なところ、物質主義の魅力には反応していても、
彼らが僕らと同じ社会構造を望んでいるとはとても思えない。
アフガニスタンが、南アフリカが、
これからどこへ行こうとしているのか?
僕らもまた、
民主主義と資本主義が世界で最も優れた社会システムであるという、
頑なな優性思想の殻を破り、
もう一度、他の文化の在り方に目を向けるべき時が来てるのかもしれません。
(単純に数がモノを言う民主主義は人口構成に偏りのある多民族国家では、
結果的に封建主義のような状態にならざるを得ないし・・・)
それはけして民主主義と資本主義を捨てろという意味ではなく、
異質性を師としてそこから率直に学ぶことが、
僕らの社会をあるべき未来へ導く、
一条の光になるのではないか・・・
と僕は考えているのです。
アフガニスタンという鏡に映った日本の顔が、
僕らひとりひとりに、どう見えているのか?
僕がまず知りたいのは、そこなんですよ。
えーじ
それは『ここは外国だ』という認識です。
で、ここでいう『外国』とは、
言葉だけではなく社会構造と価値観が異なる場所のこと。
え? そんなの当たり前?
と仰るなかれ、
ことはそう簡単じゃないケースが多いんですよ。
それにこの大前提、
僕ら無学のバックパッカーのみならず、
優秀な政府や官庁のお歴々もまた例外ではありません。
これを見誤ったために犯した大失敗、
古くは植民地統治(皇民化政策とか)、
近代では緑の革命などいくらでもあります。
旬な話ではアフガニスタンの民主化。
結局また20年前に戻っちゃったでしょ?
莫大な予算を投下し、多くの人命が失われたにもかかわらず。
僕はこの流れを傍観していて、
(事実上、入国できなかったもんで)
レバノンとそっくりだな・・・と思っていました。
あそこも、もめごとのデパートになって収拾がつかないし。
これと似ているのが南アフリカ。
エチオピアやスーダン、ソマリアもそう。
じゃ、何がその共通点なのか?
それは富と権力の分配システムが、
資本主義を導入した民主主義国家とは根本的に違うということ。
部族社会とは、
小は家族、中は親族、大は部族の入れ子構造になっており、
このヒエラルキーに沿って、
(レバノンでは宗教宗派ごとに)富と権力が分配され、
それがそのまま個人の社会的なアイデンティティのレイヤーを構成しています。
(就職や結婚も一般的にこのフレーム内で行われますし)
彼らには僕らにとって自明の『日本と日本人』みたいな、
国民国家という概念がないか、あっても希薄なんですよ。
ですからアフガニスタンでも、
パシュトゥーン人であるとかタジク人であるという意識はあっても、
アフガニスタン人というのはだいぶぼやけた概念なんじゃないかな?
そうなると、いわゆる『お国のために』というような、
挙国一致のイデオロギーは成立しにくい。
だから数と装備の質で優位だったにもかかわらず、、
タリバンを前にした正規軍の逃亡兵が後を絶たなくなってしまった。
で、そのまた逆も然り。
たとえばケープタウンで、
タウンシップに入るスタディツアーに参加した時のこと。
アパルトヘイトのレガシーともいえるタウンシップは、
治安が悪く、一般的に僕らのようなよそ者が入れる場所ではありません。
そこでガイドは当然、タウンシップの住人に限られます。
僕らがケープタウンで最大級のタウンシップ、ニャンガに入るとすぐ、
住民が次々とガイドに挨拶してきました。
「へぇ、君は知り合いが多いんだね」
「え? ああ、あいつは弟の友だちで、さっきのは従妹の夫ですよ」
この調子でほんの10分ほどの間に声をかけてきたのは、
3〜4人じゃ済みません。
それもちょっとした知り合いという雰囲気ではなく、
彼らは明らかに『とても親しい』間柄でした。
これが僕らの社会とどれくらい違うか、
皆さんご自身の生活と比べてみればはっきりするでしょう。
たとえば今朝、家を出てから学校や職場に着くまでの間で、
いったい何人と挨拶を交わしました?
次に僕は悲惨なスラムであるタウンシップを垣間見て、
ガイドの若者にこう訊いてみたのです。
「君は英語が堪能でガイドのスキルも高い。
収入もそれなりにあるだろう。
そこでここから出て、街の中心に住もうとは思わないかい?」
この時の彼の反応は予想外のものでした。
「え? 引っ越す? ここから?
あり得ないですよ。だってそんなところへ行ったら、
ひとりぼっちになってしまうじゃないですか!」
「そうか、なるほど。タウンシップは部族ごとにあるんだね」
「そうです。だから街の中心だけではなく、
別のタウンシップに移ることもまずありません」
彼と話していた時も、
南アフリカ人としてのアイデンティティの希薄さを、
僕は感じていました。
彼らはあくまでズールー人やコーサ人やソト人であって、
南アフリカ人ではないんですよ。
こうした文化圏に構造矛盾を起こす、
欧米型の近代国民国家や民主主義というフレームを力づくで押し付けても、
期待した結果が出ないのは当たり前じゃないでしょうか?
8月15日は過ぎてしまいましたが、
欧米型統治の成功例として持ち出される76年前の日本と、
部族社会がほとんどを占めるアラビア半島、
アフリカの国々は社会の基本構造がまったく違う。
そして正直なところ、物質主義の魅力には反応していても、
彼らが僕らと同じ社会構造を望んでいるとはとても思えない。
アフガニスタンが、南アフリカが、
これからどこへ行こうとしているのか?
僕らもまた、
民主主義と資本主義が世界で最も優れた社会システムであるという、
頑なな優性思想の殻を破り、
もう一度、他の文化の在り方に目を向けるべき時が来てるのかもしれません。
(単純に数がモノを言う民主主義は人口構成に偏りのある多民族国家では、
結果的に封建主義のような状態にならざるを得ないし・・・)
それはけして民主主義と資本主義を捨てろという意味ではなく、
異質性を師としてそこから率直に学ぶことが、
僕らの社会をあるべき未来へ導く、
一条の光になるのではないか・・・
と僕は考えているのです。
アフガニスタンという鏡に映った日本の顔が、
僕らひとりひとりに、どう見えているのか?
僕がまず知りたいのは、そこなんですよ。
えーじ
2021年08月15日
みんなの願い
旅をしているときのお気に入りの場所。
そのひとつが空港です。
行き交う乗客たち、さっそうと列をなすキャビンクルー、
その間を縫うように働く空港職員の方々・・・
フードコートやボーディングゲート前で、
ぼ〜っと人々を眺めていると、
思わず口に出る、Oh,It's a small world!
さっと見回しただけでも国籍、人種、性別、年齢の違う、
さまざまな人たちがいるでしょ?
ある意味、僕にとって最も身近で人間の多様性に富んだ場所。
それが空港なんですよ。
そんな場所から離れて1年8カ月が過ぎました。
コロナ禍の影響で外国人のお客さまが多いととら亭ですら、
この間にいらっしゃったのは、ほとんど日本在住の方だけ。
それでも時々、
ふと、あの雰囲気が蘇ることがあります。
たとえば昨日。
インドネシア、タイ、フランス、アメリカ、
それぞれの国籍のお客さまがいらっしゃいました。
(それも個別に!)
「やぁ、渡航回数が一番多いのはタイなんですよ」
「インドネシア料理は美味しいですよね。
いつかスマトラ島のパダン料理を取材しようと思っています」
こんな話をしたと思えば、
モロッコ系フランス人のお茶目なお客さんは席を立つ前に、
「La cuenta,por favor!」
ほう、
「L'addition, s'il vous plaît.」か、
「الحساب(アルヒサーブ)」じゃなくてスパニッシュできましたか。
そのくらいは南米仕込みの怪しい記憶をたどり、
「Si,senor.Muchos gracias!」と返せば、
ニヤリと笑みを浮かべて「Merci beaucoup!」で元通り。
日本在住歴4年になるアメリカ人のキュートなカップルは、
この秋にオーストラリアのアデレードに移住するそうで、
「労働ビザの取得には指紋採取だけではなく、
本国FBIへの犯罪歴照会まであるんですよ!」
なんて興味深い話まで聞けました。
いつしか僕は東京に居ながらにして、
気分はどこか外国の空港へ・・・
これが現実になるのはいつなのかな?
そう思っているのも僕だけではなかったようです。
なぜなら皆さん、お帰りになるとき異口同音に、
「早くまた旅に出たいですね!」
そう、次はどこか他の国で会いましょう!
えーじ
そのひとつが空港です。
行き交う乗客たち、さっそうと列をなすキャビンクルー、
その間を縫うように働く空港職員の方々・・・
フードコートやボーディングゲート前で、
ぼ〜っと人々を眺めていると、
思わず口に出る、Oh,It's a small world!
さっと見回しただけでも国籍、人種、性別、年齢の違う、
さまざまな人たちがいるでしょ?
ある意味、僕にとって最も身近で人間の多様性に富んだ場所。
それが空港なんですよ。
そんな場所から離れて1年8カ月が過ぎました。
コロナ禍の影響で外国人のお客さまが多いととら亭ですら、
この間にいらっしゃったのは、ほとんど日本在住の方だけ。
それでも時々、
ふと、あの雰囲気が蘇ることがあります。
たとえば昨日。
インドネシア、タイ、フランス、アメリカ、
それぞれの国籍のお客さまがいらっしゃいました。
(それも個別に!)
「やぁ、渡航回数が一番多いのはタイなんですよ」
「インドネシア料理は美味しいですよね。
いつかスマトラ島のパダン料理を取材しようと思っています」
こんな話をしたと思えば、
モロッコ系フランス人のお茶目なお客さんは席を立つ前に、
「La cuenta,por favor!」
ほう、
「L'addition, s'il vous plaît.」か、
「الحساب(アルヒサーブ)」じゃなくてスパニッシュできましたか。
そのくらいは南米仕込みの怪しい記憶をたどり、
「Si,senor.Muchos gracias!」と返せば、
ニヤリと笑みを浮かべて「Merci beaucoup!」で元通り。
日本在住歴4年になるアメリカ人のキュートなカップルは、
この秋にオーストラリアのアデレードに移住するそうで、
「労働ビザの取得には指紋採取だけではなく、
本国FBIへの犯罪歴照会まであるんですよ!」
なんて興味深い話まで聞けました。
いつしか僕は東京に居ながらにして、
気分はどこか外国の空港へ・・・
これが現実になるのはいつなのかな?
そう思っているのも僕だけではなかったようです。
なぜなら皆さん、お帰りになるとき異口同音に、
「早くまた旅に出たいですね!」
そう、次はどこか他の国で会いましょう!
えーじ
2021年08月12日
僕のトラシュー人生 番外編
前々回のお話で、
トラシューはシステム系ばかりと思いませんでしたか?、
ところがその対象は機械だけじゃないんですよ。
リアルタイムな話題でいいますと、
昨日か今日、ランチにいらっしゃった方はご存知のとおり、
ととら亭は、ともこのワンマンショーでした。
なぜか?
そう、久しぶりにやっちまったのでございます。
火曜日の夕方、
アパートで掃除中にゴミ箱を取ろうと屈んだら、
はぅっ!
・・・と、あ、危ねぇ・・
ここ数日、腰の右側にイヤな感じがあり、
念のため、断続的にロキソニンを飲んでいたのですが、
ちょっと油断したら安全装置が外れてしまいました。
僕はそぉ〜っと床に腰を下ろし、
瞑想よろしくロータスポジションで座り直して、
ふぅ〜・・・電話のトラブルの次はこれかい。
じゃ、まずお約束どおり、体のスキャンから始めるか。
(慣れっこなもので、こんな時も慌てず騒がず・・・)
危険のレベルは・・・爆発寸前・・・ってわけじゃない。
でも腰の感じはゆるゆるだ。
肉離れしたような鈍い痛みがあるけど・・・
ふん、押しても痛みは強くならない。
ってことは、これは椎間板ヘルニアのブラフだな。
それには引っかからないぜ。
となると次のアクションは薬を飲むこと。
この程度の危険レベルなら立ち上がって、
水と薬を取りに行っても大丈夫だろう。
アパートの狭さが幸いして、
僕は必要なものをすぐ揃えられました。
よし、初動対応完了だ。
次はともこに連絡して・・・ん? お店の電話は出ないな。
買い物に行ったのかしらん?
じゃ、携帯にかけてみよう。
するとすぐ隣の寝室でともこの携帯電話が鳴り始めました。
はぁ〜・・・そういうことね。
いつも僕のスマホは固定電話だって怒るくせに、
人のこと言えないじゃん、まったく。
僕は再び仕事部屋の床に座り、薬が効き始めるのを待っていました。
室温は35度。
トレーニングに行くつもりで、
スポーツウェアに着替えていたからサウナ状態も気になりません。
汗がしたたり落ちてきます。
そうして待つこと40分。
「ただいま〜! あれ?」
「さぷら〜いず」
「何してるの? トレーニングはもう行ったの?」
「いや、頼みがあるんだけどさ」
「・・・?」
「仕事部屋の掃除は終わったから寝室の方をやってくれる?」
「どうしたの?」
「動けないんだよ」
「え〜っ! やっちゃったの?」
「あたり〜。重症じゃないけどね。
あと20分くらいで薬が効いてくるから、
そうしたらシャワーを浴びてくるよ」
あれから間もなく48時間。
まだコルセットを付けていますが、
体はだいぶ動かせるようになってきました。
この分なら明日から現場に戻れそうです。
やれやれ・・・
壊れるのは機械だけにあらず。
ポンコツ人生にはこんなトラシューもあるのでございます。
えーじ
トラシューはシステム系ばかりと思いませんでしたか?、
ところがその対象は機械だけじゃないんですよ。
リアルタイムな話題でいいますと、
昨日か今日、ランチにいらっしゃった方はご存知のとおり、
ととら亭は、ともこのワンマンショーでした。
なぜか?
そう、久しぶりにやっちまったのでございます。
火曜日の夕方、
アパートで掃除中にゴミ箱を取ろうと屈んだら、
はぅっ!
・・・と、あ、危ねぇ・・
ここ数日、腰の右側にイヤな感じがあり、
念のため、断続的にロキソニンを飲んでいたのですが、
ちょっと油断したら安全装置が外れてしまいました。
僕はそぉ〜っと床に腰を下ろし、
瞑想よろしくロータスポジションで座り直して、
ふぅ〜・・・電話のトラブルの次はこれかい。
じゃ、まずお約束どおり、体のスキャンから始めるか。
(慣れっこなもので、こんな時も慌てず騒がず・・・)
危険のレベルは・・・爆発寸前・・・ってわけじゃない。
でも腰の感じはゆるゆるだ。
肉離れしたような鈍い痛みがあるけど・・・
ふん、押しても痛みは強くならない。
ってことは、これは椎間板ヘルニアのブラフだな。
それには引っかからないぜ。
となると次のアクションは薬を飲むこと。
この程度の危険レベルなら立ち上がって、
水と薬を取りに行っても大丈夫だろう。
アパートの狭さが幸いして、
僕は必要なものをすぐ揃えられました。
よし、初動対応完了だ。
次はともこに連絡して・・・ん? お店の電話は出ないな。
買い物に行ったのかしらん?
じゃ、携帯にかけてみよう。
するとすぐ隣の寝室でともこの携帯電話が鳴り始めました。
はぁ〜・・・そういうことね。
いつも僕のスマホは固定電話だって怒るくせに、
人のこと言えないじゃん、まったく。
僕は再び仕事部屋の床に座り、薬が効き始めるのを待っていました。
室温は35度。
トレーニングに行くつもりで、
スポーツウェアに着替えていたからサウナ状態も気になりません。
汗がしたたり落ちてきます。
そうして待つこと40分。
「ただいま〜! あれ?」
「さぷら〜いず」
「何してるの? トレーニングはもう行ったの?」
「いや、頼みがあるんだけどさ」
「・・・?」
「仕事部屋の掃除は終わったから寝室の方をやってくれる?」
「どうしたの?」
「動けないんだよ」
「え〜っ! やっちゃったの?」
「あたり〜。重症じゃないけどね。
あと20分くらいで薬が効いてくるから、
そうしたらシャワーを浴びてくるよ」
あれから間もなく48時間。
まだコルセットを付けていますが、
体はだいぶ動かせるようになってきました。
この分なら明日から現場に戻れそうです。
やれやれ・・・
壊れるのは機械だけにあらず。
ポンコツ人生にはこんなトラシューもあるのでございます。
えーじ
2021年08月10日
モーリスのギターとiphone
最近、買い物してます?
いや、必要に迫られて行く、
スーパーマーケットやドラッグストアでの買い物ではなく、
『欲しいから買う』場合のことです。
このメンタリティは『必要だから買う』ケースと、
まったく違いますよね?
自分が欲しいものをショーウィンドウ越しに眺め、
「あ〜、素敵だな・・・いいなぁ・・・」と憧れ、
それを手に入れることを夢見ながらお金を貯める。
そしてまるで試験にパスするとか、
試合に勝つとかした時のような達成感をもって、
「これを下さい!」とお店で宣言する。
僕にもそんな経験がたくさんあります。
古くはモーリスのフォークギター。
小学生のころ、
クラシックやジャズ畑の多かった母方の影響で、
僕はフルートを吹いておりました。
ところが中学生になり、最初のクリスマスパーティーで、
友人がフォークギターを弾いているのを目の当たりにしたとき、
僕は自分の人生が音を立てて(字義どおりに!)、
変わって行くのを感じたのです。
なぜなら・・・
フルート → もてない・・・
フォークギター → もてる!
そう、
フォークギターを弾きながら歌う友人を見る女の子たちの眼差し。
こ・・これだぁ〜っ!
僕の人生でいま最も必要なもの、
それは教科書でもバスケットボール(当時バスケ部でした)でもない。
フォークギターだ!
しかし、人生とは常に困難を伴うもの。
中学生の子供とて例外ではありません。
僕に伴っていたのは、おカネを伴っていないという逆説でした。
(両親はこうした要望に不寛容だったのでございます)
とはいえ、そんなことで諦めるほど、
僕の意思とリビドーは軟弱なものではありませんでした。
高校生と年齢を偽ってバイトし、
(同年齢の中では背が高かったのに加え、
今につながる口八丁手八丁の才能のおかげで)
僕は2万5千円の現ナマをゲットし、楽器屋さんに飛び込んだのです。
そして手にしたのはモーリスのフォークギター。
(YAMAHAにするか迷いましたがモーリスの方がちょっと安かったので)
僕の熱意に押されてケースとストラップ、ライトゲージの弦、
カポタストにピックからチューニング用の音叉までオマケしてくれました。
よ〜し、あとはFコードとアルペジオをマスターして、
『なごり雪』がプレイできれば完璧だ!
(そうしたシンプルな時代だったのです)
これは今を去ること44年前の話。
それでもあの時、
楽器店を出た時の感動は昨日のことのように覚えています。
それからオートバイやカメラ、キャンプ道具など、
ああ、いいなぁ・・・欲しいなぁ・・・
と思って買ったものがたくさんありました。
ところがここ20年くらい前から、
それまでにはないメンタリティで買い物をすることが始まったのです。
それは、
ふぅ・・・しょうがねぇなぁ・・・買うとするか・・・
というもの。
これは憧れて楽しみにしながら、
遂に手にした喜びを噛みしめるものではなく、
どちらかというと損をしたような気になるもの。
そう、それはデジタルからくりです。
ととら亭の独立資金の大半を、
IT企業で稼いだ僕が言うのは噴飯ものだと思いますが、
あえて言わせて頂きますと、
僕は新しいPCも最新のOSやソフトウェアも要りません。
若い方には信じられないでしょうけど、
スマホも欲しくて買ったんじゃないんですよ。
(未だにLineはやらないしSNSのアカウントも持ってないし・・・)
ではなぜ大金をはたいて要らないものを買っているのか?
それは使い慣れた、
何の不満もないものが『使えなくさせられてしまうから』です。
ことOSに限っていえば、
さすがにSTOPコードを吐きまくるWindowsNT4.0はご勘弁ですが、
次にリリースされたWindows2000で僕は十分満足していました。
そこから後続のOSは要らない機能ばかりで重くなり、
買わずに済むのなら、そうしたかったんですよ。
スマホも航空会社や宿とのやり取りでどうしても必要となり、
仕方なく買いました。
だから今でも使っているのは、
6年前の2015年に初めて買ったiphone 6sPlus。
え? iphone12に乗り換えないのか?
しません。
今の機種で十分僕のニーズは満たされていますから、
使える限り6sPlusのままでいい。(10年後でも!)
でもね、メーカーさんは、そう言わないでしょ?
こういうところが息の長い仕事をするBMWなんかとぜんぜん違う。
(僕がバイクメーカーでYAMAHAやHONDAよりBMWを選んだのは、
外車趣味だからではなく、サポートの長さからなんですよ)
6sPlusはまもなくサポートを切られてアップデートはおろか、
修理すら受け付けてくれなくなるでしょう。
(というか、IT企業は会社そのものの寿命が短いので、
メーカー自体がなくなっちゃうことも)
そうしたら僕はどうするのか?
買わされるんでしょうね、新しいスマホを。
大金を払って・・・
え? それじゃ今は前向きな買い物はないのか?
そんなことはありません。
以前に比べたら割合は少なくなりましたけど、
いいなぁ〜・・・欲しいなぁ・・・
と指をくわえているものはあります。
たとえばエレクトリックベースの Spector Euro 4 LX NATURAL GLOSS。
Police時代のStingや、
今は亡き元ELPのGreg Lakeが使っていたことでも知られるこのベース。
小柄なボディで扱いやすく、
それでいてジャジーな指引きからゴリゴリのピック弾き、
そしてスラッピングまで幅広くバランスの取れたトーンを弾き出します。
え? で、そりゃいくらするんだ?
あ、いや、その・・・このブログは社長(ともこ)も読んでいるので、
お値段はちょっと・・・
ま、夢は大きい方が実現した時に嬉しいものじゃないですか!
えーじ
いや、必要に迫られて行く、
スーパーマーケットやドラッグストアでの買い物ではなく、
『欲しいから買う』場合のことです。
このメンタリティは『必要だから買う』ケースと、
まったく違いますよね?
自分が欲しいものをショーウィンドウ越しに眺め、
「あ〜、素敵だな・・・いいなぁ・・・」と憧れ、
それを手に入れることを夢見ながらお金を貯める。
そしてまるで試験にパスするとか、
試合に勝つとかした時のような達成感をもって、
「これを下さい!」とお店で宣言する。
僕にもそんな経験がたくさんあります。
古くはモーリスのフォークギター。
小学生のころ、
クラシックやジャズ畑の多かった母方の影響で、
僕はフルートを吹いておりました。
ところが中学生になり、最初のクリスマスパーティーで、
友人がフォークギターを弾いているのを目の当たりにしたとき、
僕は自分の人生が音を立てて(字義どおりに!)、
変わって行くのを感じたのです。
なぜなら・・・
フルート → もてない・・・
フォークギター → もてる!
そう、
フォークギターを弾きながら歌う友人を見る女の子たちの眼差し。
こ・・これだぁ〜っ!
僕の人生でいま最も必要なもの、
それは教科書でもバスケットボール(当時バスケ部でした)でもない。
フォークギターだ!
しかし、人生とは常に困難を伴うもの。
中学生の子供とて例外ではありません。
僕に伴っていたのは、おカネを伴っていないという逆説でした。
(両親はこうした要望に不寛容だったのでございます)
とはいえ、そんなことで諦めるほど、
僕の意思とリビドーは軟弱なものではありませんでした。
高校生と年齢を偽ってバイトし、
(同年齢の中では背が高かったのに加え、
今につながる口八丁手八丁の才能のおかげで)
僕は2万5千円の現ナマをゲットし、楽器屋さんに飛び込んだのです。
そして手にしたのはモーリスのフォークギター。
(YAMAHAにするか迷いましたがモーリスの方がちょっと安かったので)
僕の熱意に押されてケースとストラップ、ライトゲージの弦、
カポタストにピックからチューニング用の音叉までオマケしてくれました。
よ〜し、あとはFコードとアルペジオをマスターして、
『なごり雪』がプレイできれば完璧だ!
(そうしたシンプルな時代だったのです)
これは今を去ること44年前の話。
それでもあの時、
楽器店を出た時の感動は昨日のことのように覚えています。
それからオートバイやカメラ、キャンプ道具など、
ああ、いいなぁ・・・欲しいなぁ・・・
と思って買ったものがたくさんありました。
ところがここ20年くらい前から、
それまでにはないメンタリティで買い物をすることが始まったのです。
それは、
ふぅ・・・しょうがねぇなぁ・・・買うとするか・・・
というもの。
これは憧れて楽しみにしながら、
遂に手にした喜びを噛みしめるものではなく、
どちらかというと損をしたような気になるもの。
そう、それはデジタルからくりです。
ととら亭の独立資金の大半を、
IT企業で稼いだ僕が言うのは噴飯ものだと思いますが、
あえて言わせて頂きますと、
僕は新しいPCも最新のOSやソフトウェアも要りません。
若い方には信じられないでしょうけど、
スマホも欲しくて買ったんじゃないんですよ。
(未だにLineはやらないしSNSのアカウントも持ってないし・・・)
ではなぜ大金をはたいて要らないものを買っているのか?
それは使い慣れた、
何の不満もないものが『使えなくさせられてしまうから』です。
ことOSに限っていえば、
さすがにSTOPコードを吐きまくるWindowsNT4.0はご勘弁ですが、
次にリリースされたWindows2000で僕は十分満足していました。
そこから後続のOSは要らない機能ばかりで重くなり、
買わずに済むのなら、そうしたかったんですよ。
スマホも航空会社や宿とのやり取りでどうしても必要となり、
仕方なく買いました。
だから今でも使っているのは、
6年前の2015年に初めて買ったiphone 6sPlus。
え? iphone12に乗り換えないのか?
しません。
今の機種で十分僕のニーズは満たされていますから、
使える限り6sPlusのままでいい。(10年後でも!)
でもね、メーカーさんは、そう言わないでしょ?
こういうところが息の長い仕事をするBMWなんかとぜんぜん違う。
(僕がバイクメーカーでYAMAHAやHONDAよりBMWを選んだのは、
外車趣味だからではなく、サポートの長さからなんですよ)
6sPlusはまもなくサポートを切られてアップデートはおろか、
修理すら受け付けてくれなくなるでしょう。
(というか、IT企業は会社そのものの寿命が短いので、
メーカー自体がなくなっちゃうことも)
そうしたら僕はどうするのか?
買わされるんでしょうね、新しいスマホを。
大金を払って・・・
え? それじゃ今は前向きな買い物はないのか?
そんなことはありません。
以前に比べたら割合は少なくなりましたけど、
いいなぁ〜・・・欲しいなぁ・・・
と指をくわえているものはあります。
たとえばエレクトリックベースの Spector Euro 4 LX NATURAL GLOSS。
Police時代のStingや、
今は亡き元ELPのGreg Lakeが使っていたことでも知られるこのベース。
小柄なボディで扱いやすく、
それでいてジャジーな指引きからゴリゴリのピック弾き、
そしてスラッピングまで幅広くバランスの取れたトーンを弾き出します。
え? で、そりゃいくらするんだ?
あ、いや、その・・・このブログは社長(ともこ)も読んでいるので、
お値段はちょっと・・・
ま、夢は大きい方が実現した時に嬉しいものじゃないですか!
えーじ
2021年08月07日
僕のトラシュー人生 その5 最終回
電話の障害対応がユーザーの僕から支線のCEへ、
そしてついに基幹側に渡ってしまいました。
こうなるともう僕の出番はありませんから、
後はひたすら連絡を待つだけ・・・
そして約束の2日後。
外出先から野方駅に戻ると駅前にNTTの工事車両が停まっています。
ん? あれはもしやうちの件の修理部隊?
そこでお店の前に行くと、
立哨さんの後ろでマンホールの蓋が開いており、
中では何やらエンジニアさんが奮闘中。
そうか、ととら亭の電話線は電信柱からではなく、
地中のケーブルから伸びてるんだな。
う〜ん、これで直るといいんだけど・・・
そう願いつつ、自宅に戻り、
僕は別のペーパーワークをやっておりました。
そこへ携帯が鳴り・・・
「NTTの者ですが、
修理が終わりましたのでテストしていただけますでしょうか?」
「すみません、いま現場にはおりませんので、
30分後くらいになります」
「わかりました。多分これで大丈夫だと思いますが、
何かありましたら再度ご連絡ください」
「原因は何でしたか?」
「ケーブルの不具合です」
「予備線に分岐する前のところの?」
「そうです」
「暑い中、どうもありがとうございました」
しばらくしてお店に戻り、受話器を上げると・・・
「どう? 直った?」
「お〜、クリアだ。なんのノイズもない」
そのあと1時間ほどネットにアクセスしていましたが、
ADSLのリンクダウンも起こりません。
ふ〜・・・一件落着か。
さて、こんなことを年中やっているもので、
度重なる転職もあながち悪いもんじゃなかったな、
と思うことがよくあります。
と、申しますのも、皆さまご存知のとおり、
僕とともこは転職の達人。
(失業の常習犯ともいいますが・・・)
それも同業ではなく、
たいてい未経験の業種に飛び込んでおりました。
そんなことを繰り返していると、見識のある方々からしばしば、
「キャリアを無駄にするべきではない」と忠告を受けたものです。
しかし、少なくとも僕らの経験では、
過去のスキルが完全に無駄になったことはまずありませんでした。
事実こうして、一見まったく無関係の、
IT稼業と飲食業が結びつくこともありますし、
マーケティングやデザイン、
はてや駄文のもの書きまで役に立つことだってあるのです。
とりわけトラブルシューティングを行う場合は、
(特に孤立無援の外国の旅先で!)
それまでに身に着けたすべてのスキルを総動員!
なんてことも珍しくありません。
そういえばこういう通信系のトラシューは、
安宿のしょぼいWi-Fi環境だとお約束なんですよ。
こういう時にYahooあたりのメジャーなサーバに向かってtracertを打ち、
名前解決がされているか、障害のポイントがAPか、ゲートウェイか、
その先かの切り分けをして、
ゲートウェイから手前ならホテルのフロントへ、
その先だったら諦めて別の場所からやってみるなんてのも、
あの業界にいたからこそ身についたスキルでした。
あ、そうか。
IT稼業ってのは、
トラシューそのものが仕事だったりするんですよね。
次は何が起こるんだろう?
いや、実はもう起こっているんですよ。
「えーじ、給湯器がまたエラーコードを出してるよ!
表の電源をリセットしてきて!」
はいはい。
End.
えーじ
そしてついに基幹側に渡ってしまいました。
こうなるともう僕の出番はありませんから、
後はひたすら連絡を待つだけ・・・
そして約束の2日後。
外出先から野方駅に戻ると駅前にNTTの工事車両が停まっています。
ん? あれはもしやうちの件の修理部隊?
そこでお店の前に行くと、
立哨さんの後ろでマンホールの蓋が開いており、
中では何やらエンジニアさんが奮闘中。
そうか、ととら亭の電話線は電信柱からではなく、
地中のケーブルから伸びてるんだな。
う〜ん、これで直るといいんだけど・・・
そう願いつつ、自宅に戻り、
僕は別のペーパーワークをやっておりました。
そこへ携帯が鳴り・・・
「NTTの者ですが、
修理が終わりましたのでテストしていただけますでしょうか?」
「すみません、いま現場にはおりませんので、
30分後くらいになります」
「わかりました。多分これで大丈夫だと思いますが、
何かありましたら再度ご連絡ください」
「原因は何でしたか?」
「ケーブルの不具合です」
「予備線に分岐する前のところの?」
「そうです」
「暑い中、どうもありがとうございました」
しばらくしてお店に戻り、受話器を上げると・・・
「どう? 直った?」
「お〜、クリアだ。なんのノイズもない」
そのあと1時間ほどネットにアクセスしていましたが、
ADSLのリンクダウンも起こりません。
ふ〜・・・一件落着か。
さて、こんなことを年中やっているもので、
度重なる転職もあながち悪いもんじゃなかったな、
と思うことがよくあります。
と、申しますのも、皆さまご存知のとおり、
僕とともこは転職の達人。
(失業の常習犯ともいいますが・・・)
それも同業ではなく、
たいてい未経験の業種に飛び込んでおりました。
そんなことを繰り返していると、見識のある方々からしばしば、
「キャリアを無駄にするべきではない」と忠告を受けたものです。
しかし、少なくとも僕らの経験では、
過去のスキルが完全に無駄になったことはまずありませんでした。
事実こうして、一見まったく無関係の、
IT稼業と飲食業が結びつくこともありますし、
マーケティングやデザイン、
はてや駄文のもの書きまで役に立つことだってあるのです。
とりわけトラブルシューティングを行う場合は、
(特に孤立無援の外国の旅先で!)
それまでに身に着けたすべてのスキルを総動員!
なんてことも珍しくありません。
そういえばこういう通信系のトラシューは、
安宿のしょぼいWi-Fi環境だとお約束なんですよ。
こういう時にYahooあたりのメジャーなサーバに向かってtracertを打ち、
名前解決がされているか、障害のポイントがAPか、ゲートウェイか、
その先かの切り分けをして、
ゲートウェイから手前ならホテルのフロントへ、
その先だったら諦めて別の場所からやってみるなんてのも、
あの業界にいたからこそ身についたスキルでした。
あ、そうか。
IT稼業ってのは、
トラシューそのものが仕事だったりするんですよね。
次は何が起こるんだろう?
いや、実はもう起こっているんですよ。
「えーじ、給湯器がまたエラーコードを出してるよ!
表の電源をリセットしてきて!」
はいはい。
End.
えーじ
2021年08月05日
僕のトラシュー人生 その4
ふ〜・・・やれやれ。
炎天下のアパート、店舗間3往復を楽しんだ僕は、
汗を拭きながら116番へコール。
状況を伝えると修理チームから折り返しとなりました。
そこで僕は携帯電話の番号を伝え、
再びとぼとぼお店へ歩き出したのです。
IT稼業時代に思い知りましたが、
ネットワーク系のトラシューとは、
まさしくこうした肉体労働の上に成り立っているのですよ。
なぜなら『通信が繋がらない!』となると、
まず机の下から始まり、床下、天井裏を這いずり回る、
ケーブルトレースが待っているからです。
(特にダムHUBで中継されたネットワークは最悪でした)
さて、そんな悪夢の過去を思い浮かべつつお店に戻ると、
ほどなくNTTさんから入電。
さすが大手は対応が早いですね。
そこでもう一度、こちらの状況を説明。
「それでは折り返しテストを行いますので、
一度電話を切らせて頂きます」
A点とB点の2点間における通信トラシューを行う場合、
基本は両端からどこまで通信できるかをテストすることです。
今回の場合、
1端の僕が終端の子機から壁のモジュラージャックまでを切り分け、
ここからNTTさんが、中継局から建屋の保安器
(家の外壁に取り付けられているベージュ色の長方形のケース)
に向かって回線テストを始めるってわけですね。
して、3分も経たないうちに携帯が鳴り、
「回線テストでも異常が検知されました。
ここからは現地で調べないと分からないのですが、
ただいま大変混みあっておりまして、
最短で明後日の対応となりますが、よろしいでしょうか?」
「結構ですよ」
「また、調査の結果、お客さまの建屋内の障害だった場合は、
出張費用と、さらに部品の交換が発生した場合は、
その費用もご負担いただくことになってしまいますが、
それもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。ちなみに概ね幾らぐらいですか?」
「ケースにもよりますが、2万円前後となる場合が多いです」
「分かりました」
「それでは作業員が伺う前に連絡をさせます」
そう、修理作業は時間の確約ができないんですよ。
順番に終わり次第、次へ回ってきますので。
さて、そして当日。
意外と順番が早かったようで、10時半ごろに携帯が鳴り、
その後15分もすると若手のCEコンビが汗だくで現れました。
この酷暑の中、長そでの作業着姿は、
いかに換気システム付きジャケットとはいえ同情を禁じえません、
「そのファンシステムは効果あります?」
「いや、外気温が30度くらいまでですね」
だろうね。
当日は酷暑日一歩手前の34度。
玉の汗をしたたらせたCEコンビは屋内チェックも早々に、
外のポールを確認しに出て行きました。
そして10分もしないうちに戻ってきて、
「どうでした?」
「予備線も全部ダメでした。
まだ場所は特定できませんが、より上流に問題があると思います」
「なるほど、となると少なくとも建屋内の問題ではない?」
「そうです」
よかった! とりあえず実費負担はなしね。
「大変申し訳ないのですが、
今日のところはこれ以上の調査ができません。
日にちをあらためての対応となりますが、よろしいでしょうか?」
「仕方ないですよ。いつ頃の対応になります?」
「最短で明後日です」
「じゃ、それで行きましょう。こちらの立ち合いは?」
「ありません。ポールより先になりますので」
そしてCEチームが撤収し、
「どう? 直った?」
「いや、まだ切り分け中。どうやらポールから局側の問題みたい」
「え〜っ、大ごとね!」
「うん。でも不思議なのはネットワークの枝じゃなくて、
幹に近いところの障害なのに、
なんで今まで表面化しなかったんだろう?」
「・・・?」
「ほら、そうなると使ってる人も僕らだけじゃないだろう?」
「そうね」
「なのに近所で電話が使えないって話は聞いてなかったじゃん?」
「ともあれおカネはかからないでしょ?」
「うん」
「あたしはそれだけ聞ければ満足よ!」
というわけで、
お店の電話の復旧は、後日に持ち越しとなったのでありました。
to be continued...
えーじ
炎天下のアパート、店舗間3往復を楽しんだ僕は、
汗を拭きながら116番へコール。
状況を伝えると修理チームから折り返しとなりました。
そこで僕は携帯電話の番号を伝え、
再びとぼとぼお店へ歩き出したのです。
IT稼業時代に思い知りましたが、
ネットワーク系のトラシューとは、
まさしくこうした肉体労働の上に成り立っているのですよ。
なぜなら『通信が繋がらない!』となると、
まず机の下から始まり、床下、天井裏を這いずり回る、
ケーブルトレースが待っているからです。
(特にダムHUBで中継されたネットワークは最悪でした)
さて、そんな悪夢の過去を思い浮かべつつお店に戻ると、
ほどなくNTTさんから入電。
さすが大手は対応が早いですね。
そこでもう一度、こちらの状況を説明。
「それでは折り返しテストを行いますので、
一度電話を切らせて頂きます」
A点とB点の2点間における通信トラシューを行う場合、
基本は両端からどこまで通信できるかをテストすることです。
今回の場合、
1端の僕が終端の子機から壁のモジュラージャックまでを切り分け、
ここからNTTさんが、中継局から建屋の保安器
(家の外壁に取り付けられているベージュ色の長方形のケース)
に向かって回線テストを始めるってわけですね。
して、3分も経たないうちに携帯が鳴り、
「回線テストでも異常が検知されました。
ここからは現地で調べないと分からないのですが、
ただいま大変混みあっておりまして、
最短で明後日の対応となりますが、よろしいでしょうか?」
「結構ですよ」
「また、調査の結果、お客さまの建屋内の障害だった場合は、
出張費用と、さらに部品の交換が発生した場合は、
その費用もご負担いただくことになってしまいますが、
それもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。ちなみに概ね幾らぐらいですか?」
「ケースにもよりますが、2万円前後となる場合が多いです」
「分かりました」
「それでは作業員が伺う前に連絡をさせます」
そう、修理作業は時間の確約ができないんですよ。
順番に終わり次第、次へ回ってきますので。
さて、そして当日。
意外と順番が早かったようで、10時半ごろに携帯が鳴り、
その後15分もすると若手のCEコンビが汗だくで現れました。
この酷暑の中、長そでの作業着姿は、
いかに換気システム付きジャケットとはいえ同情を禁じえません、
「そのファンシステムは効果あります?」
「いや、外気温が30度くらいまでですね」
だろうね。
当日は酷暑日一歩手前の34度。
玉の汗をしたたらせたCEコンビは屋内チェックも早々に、
外のポールを確認しに出て行きました。
そして10分もしないうちに戻ってきて、
「どうでした?」
「予備線も全部ダメでした。
まだ場所は特定できませんが、より上流に問題があると思います」
「なるほど、となると少なくとも建屋内の問題ではない?」
「そうです」
よかった! とりあえず実費負担はなしね。
「大変申し訳ないのですが、
今日のところはこれ以上の調査ができません。
日にちをあらためての対応となりますが、よろしいでしょうか?」
「仕方ないですよ。いつ頃の対応になります?」
「最短で明後日です」
「じゃ、それで行きましょう。こちらの立ち合いは?」
「ありません。ポールより先になりますので」
そしてCEチームが撤収し、
「どう? 直った?」
「いや、まだ切り分け中。どうやらポールから局側の問題みたい」
「え〜っ、大ごとね!」
「うん。でも不思議なのはネットワークの枝じゃなくて、
幹に近いところの障害なのに、
なんで今まで表面化しなかったんだろう?」
「・・・?」
「ほら、そうなると使ってる人も僕らだけじゃないだろう?」
「そうね」
「なのに近所で電話が使えないって話は聞いてなかったじゃん?」
「ともあれおカネはかからないでしょ?」
「うん」
「あたしはそれだけ聞ければ満足よ!」
というわけで、
お店の電話の復旧は、後日に持ち越しとなったのでありました。
to be continued...
えーじ
2021年08月03日
僕のトラシュー人生 その3
僕の人生はトラブルシューティングの連続。
こう言いますと、
『一難去ってまた一難』なんて言葉が思い浮かびますけど、
実際は『一難去る前にまた一難』なんですよね。
いや、大小さまざまなトラブルが同時進行、
と言った方がいいかもしれません。
その一例をお話ししました『その1』と『その2』。
実は並行して似て異なる別のトラシューもやっていました。
それは・・・
「えーじ、
電話の雑音がひどくて相手の声がほとんど聞こえないよ!」
お店の準備中にともこが渋い顔をしています。
「え? まだNTTさんが設定を変えていないと思うよ。
だから市外通話は相手の電話番号の前に1220033をいれてかけて」
「違うよ、それおうちの電話でしょ。お店の電話がおかしいの!」
「ととら亭の?」
そういえば、ここ暫く通話中にノイズが聞こえていたような・・・
「どんな風に?」
「お客さんから電話がかかってきてもガリガリいって話ができないの」
「そりゃまずいね」
僕は子機を取り上げて耳をすましてみました。
発信音に問題はない。
ん? なんだこのノイズは?
ガリガリいうオーディオケーブルの接触不良に似た音が、
波を打ったように増減しながら聞こえ始めました。
「ともこの携帯にかけるから出てみてくれる?」
「もしもし?」
「ガリガリいってて何んにも聞こえないよ」
ん〜・・・子機と親機の通信に問題があるのかな?
僕は切り分けのために親機の受話器を上げてみました。
すると子機と同じようにノイズが聞こえます。
「あちゃ〜、どうやら電話が壊れたみたいだよ」
「え〜っ!」
「ま、かれこれ5年以上、このひどい環境で使っているからな」
「すぐ直せる? お客さんからの電話だけじゃなくて、
発注のファックスも使えないんでしょ?」
「うん。取り急ぎ、アパートのファックスを持ってきて交換するよ」
そして酷暑の炎天下にアパートまでファックス電話を取りに行き、
「よし、交換完了。繋がったよ。テストしてみよう。
またともこの携帯にかけるからね」
しかし受話器を上げるとまたノイズが・・・
ん? おかしいぞ。まだノイズが聞こえる。
「えーじ、またそっちの声が聞こえないよ!」
・・・? まさか・・・
「もう一回アパートへ帰って、テスト用のシンプルな電話を持ってくるよ」
汗びっしょりになりつつ、僕は戻るなり電話の配線を調べ始めました。
ファックス電話は、
ADSLモデムを経由して壁のモジュラージャックに接続されている。
ん? そういえば最近ADSLがやたらとリンクダウンしていたな。
もしかしてモデムが不具合を起こしているのかも?
なら、こいつをバイパスして、
テスト用電話をモジュラージャックに直結してみよう。
するとノイズが消えた!
と思いきや、相変わらず発信音には波打つようなノイズが乗っています。
「どう?」
「変わらない。直結にしてもひどいノイズだ」
「何が原因なの?」
「分からない。少なくとも、ここまでの切り分けで、
モジュラージャックから子機までの間に問題がないことは分かった」
「直らない?」
ふ〜・・・やれやれ・・・
まったくいい運動になるね。
僕は三度アパートへ戻り、116番に電話をかけました。
(携帯電話から116番はかけられないんですよ)
to be continued...
えーじ
こう言いますと、
『一難去ってまた一難』なんて言葉が思い浮かびますけど、
実際は『一難去る前にまた一難』なんですよね。
いや、大小さまざまなトラブルが同時進行、
と言った方がいいかもしれません。
その一例をお話ししました『その1』と『その2』。
実は並行して似て異なる別のトラシューもやっていました。
それは・・・
「えーじ、
電話の雑音がひどくて相手の声がほとんど聞こえないよ!」
お店の準備中にともこが渋い顔をしています。
「え? まだNTTさんが設定を変えていないと思うよ。
だから市外通話は相手の電話番号の前に1220033をいれてかけて」
「違うよ、それおうちの電話でしょ。お店の電話がおかしいの!」
「ととら亭の?」
そういえば、ここ暫く通話中にノイズが聞こえていたような・・・
「どんな風に?」
「お客さんから電話がかかってきてもガリガリいって話ができないの」
「そりゃまずいね」
僕は子機を取り上げて耳をすましてみました。
発信音に問題はない。
ん? なんだこのノイズは?
ガリガリいうオーディオケーブルの接触不良に似た音が、
波を打ったように増減しながら聞こえ始めました。
「ともこの携帯にかけるから出てみてくれる?」
「もしもし?」
「ガリガリいってて何んにも聞こえないよ」
ん〜・・・子機と親機の通信に問題があるのかな?
僕は切り分けのために親機の受話器を上げてみました。
すると子機と同じようにノイズが聞こえます。
「あちゃ〜、どうやら電話が壊れたみたいだよ」
「え〜っ!」
「ま、かれこれ5年以上、このひどい環境で使っているからな」
「すぐ直せる? お客さんからの電話だけじゃなくて、
発注のファックスも使えないんでしょ?」
「うん。取り急ぎ、アパートのファックスを持ってきて交換するよ」
そして酷暑の炎天下にアパートまでファックス電話を取りに行き、
「よし、交換完了。繋がったよ。テストしてみよう。
またともこの携帯にかけるからね」
しかし受話器を上げるとまたノイズが・・・
ん? おかしいぞ。まだノイズが聞こえる。
「えーじ、またそっちの声が聞こえないよ!」
・・・? まさか・・・
「もう一回アパートへ帰って、テスト用のシンプルな電話を持ってくるよ」
汗びっしょりになりつつ、僕は戻るなり電話の配線を調べ始めました。
ファックス電話は、
ADSLモデムを経由して壁のモジュラージャックに接続されている。
ん? そういえば最近ADSLがやたらとリンクダウンしていたな。
もしかしてモデムが不具合を起こしているのかも?
なら、こいつをバイパスして、
テスト用電話をモジュラージャックに直結してみよう。
するとノイズが消えた!
と思いきや、相変わらず発信音には波打つようなノイズが乗っています。
「どう?」
「変わらない。直結にしてもひどいノイズだ」
「何が原因なの?」
「分からない。少なくとも、ここまでの切り分けで、
モジュラージャックから子機までの間に問題がないことは分かった」
「直らない?」
ふ〜・・・やれやれ・・・
まったくいい運動になるね。
僕は三度アパートへ戻り、116番に電話をかけました。
(携帯電話から116番はかけられないんですよ)
to be continued...
えーじ
2021年08月01日
朝のサウダージ
僕の出勤時刻は大体8時20分前後。
今朝、すでに日差しが強くなり始めたころ、
見慣れた野方の道を歩きながら大きく息を吸うと、
何やら懐かしい感覚が蘇ってきました。
あ〜・・・気持ちいいなぁ。
穏やかな南風、焼けたアスファルトの匂い、
強烈な日差し、せり上がる積乱雲・・・
これって何だったっけ?
そうか、南国の安宿を出て、
朝食を食べに行くときの感じだ。
それじゃ、ここはどこだろう?
バリ島のウブド?
プノンペンのモニボンストリート?
それともサマルカンドのレギスタン広場?
カフェに入るときの挨拶とオーダーは現地の言葉でします。
そうすると見慣れない外国人も、
たいてい2日目で顔を覚えてくれるんですよ。
一杯目のコーヒーを飲みながら、
忙しなく行き交う市井の人々をぼんやり眺め、
頭がはっきりしてきたところで、
「すみません、コーヒーのおかわりを。
それからトーストとフルーツのサラダをお願いします」
今日の予定は何だったっけ?
隣国のビザの申請は明日でもよかったな。
両替は?
うん、まだ今日つかう分の現地通貨はある。
それじゃ、午前中は宿で取材ノートのまとめでもするか。
頭上では天井の大きなファンが、
ゆっくり温風をかき混ぜています。
気だるい物売りの声が通り過ぎて行きました。
僕は今どこにいるんだ?
コルカタのサダルストリート?
ベイルートのハムラストリート?
マプトのメルカド?
それともマラケシュのメディナ?
ああ、そうか、ここは東京なんだ。
みんなどうしているかな?
そう遠くないうちに会いに行くからね。
最後の旅から1年8カ月が経ちました。
野方での日常もまた、
楽しんでいないわけではありませんが、
僕の心はこうしてそわそわと、
次の旅を夢見ているのです。
Saudade da viagem.
えーじ
今朝、すでに日差しが強くなり始めたころ、
見慣れた野方の道を歩きながら大きく息を吸うと、
何やら懐かしい感覚が蘇ってきました。
あ〜・・・気持ちいいなぁ。
穏やかな南風、焼けたアスファルトの匂い、
強烈な日差し、せり上がる積乱雲・・・
これって何だったっけ?
そうか、南国の安宿を出て、
朝食を食べに行くときの感じだ。
それじゃ、ここはどこだろう?
バリ島のウブド?
プノンペンのモニボンストリート?
それともサマルカンドのレギスタン広場?
カフェに入るときの挨拶とオーダーは現地の言葉でします。
そうすると見慣れない外国人も、
たいてい2日目で顔を覚えてくれるんですよ。
一杯目のコーヒーを飲みながら、
忙しなく行き交う市井の人々をぼんやり眺め、
頭がはっきりしてきたところで、
「すみません、コーヒーのおかわりを。
それからトーストとフルーツのサラダをお願いします」
今日の予定は何だったっけ?
隣国のビザの申請は明日でもよかったな。
両替は?
うん、まだ今日つかう分の現地通貨はある。
それじゃ、午前中は宿で取材ノートのまとめでもするか。
頭上では天井の大きなファンが、
ゆっくり温風をかき混ぜています。
気だるい物売りの声が通り過ぎて行きました。
僕は今どこにいるんだ?
コルカタのサダルストリート?
ベイルートのハムラストリート?
マプトのメルカド?
それともマラケシュのメディナ?
ああ、そうか、ここは東京なんだ。
みんなどうしているかな?
そう遠くないうちに会いに行くからね。
最後の旅から1年8カ月が経ちました。
野方での日常もまた、
楽しんでいないわけではありませんが、
僕の心はこうしてそわそわと、
次の旅を夢見ているのです。
Saudade da viagem.
えーじ