2022年01月13日

ペイしない犯罪

年末年始にはお馴染みとなった、
ファーストフードやコンビニでの強盗と立てこもり。

以前はこうしたニュースを聞くと、
容疑者はいったいどんな経済観念を持ってるんだろ?
そう訝ったものです。

だって牛丼屋やコンビニを叩いても、
せいぜい30万円前後にしかならないでしょ?
しかも今どき防犯カメラが当たり前ですから、
逃げ切れる可能性はほとんどない。
まさに超ハイリスク&超ローリターン!

センスないね。
どんな人なんだろ? なに考えてんだろ?

更に首をかしげたのは、
たいていの容疑者が市井に暮らす普通の人だった、ということ。
犯罪を犯したからといって、
ダースべイダーやサノスみたいなヴィランとは限りません。
そもそも根っからの悪党なら、銀行や億万長者の金庫など、
もうちょっと気の利いたターゲットを狙うでしょう?
それが普段使ってるに違いないファーストフードとコンビニですよ。
なんとも小市民的発想じゃないですか?

ではなぜ僕やあなたと何ら変わらない人が、
まったくペイしない犯罪を自主的に犯すのか?

それを考え始めたとき、
僕の中で長い付き合いとなった「豊かさとは何か?」という問いと、
この問題がパラレルのような気がしてきました。

僕らが疑うことなく抱いている「豊かさの定義」。
いや、人生における「成功の定義」といい換えてもいいかな?
そしてそれを有言無言で押し付けてくる社会圧。

いつしかこの生涯つづくゲームが、
透明なベールとなってこの国を覆い、
僕らはといえば、
あたかも自由意思で参加したような顔をして(そう固く信じて!)、
プレイヤーのひとりになりきっている。

ここでこのマスゲームが勝ち負け型になっている点に着目すると、
ペイしない犯罪に身を染めた人々は、
どちらのグループに属していると思います?

行き先のない敗者。
孤独、そして最後に待ち受ける貧困。
ここからペイしない犯罪までの距離は、
それほど遠くないでしょう。

ここで僕の自問自答はループします。

もし僕らがこのゲームの勝ち組だとしたら、
それは持って生まれた才能や容姿、親の年収とは関係なく、
100パーセント自分で努力した結果だといいきれるでしょうか?

もっといえば、「優秀な」僕らなら、
新聞の3面記事に載った人と同じ境遇に陥っても、
彼、彼女とは違う選択ができるのでしょうか?

いや、僕はここで犯罪者を庇護し、
すべてを自己責任型社会のせいだと主張しているのではありません。

社会のバグをデバッグせよとアジっているのでもない。

世界でプレイされているのは、たったひとつのゲームではない。
だからひとつのゲームで負けても、
別のゲームでなら勝てる可能性があるし、
勝ち負けのないゲームに参加する(自ら始める)自由だってある。

そう言いたいだけ。

そして究極的には、
ゲームに参加せず生きる選択肢だってあるのではないか?

僕らの社会が本当に「豊か」であるなら、
溢れかえったモノだけではなく、
価値観と生き方にも多様性があったっていい。

少なくとも、僕はそう信じたいです。

えーじ
posted by ととら at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記