「あたし、PCR検査を受けてこようかな?」
先日、高崎市の実家に帰る前、
ともこがこんなことを言いだしました。
「そうだね、自覚症状がない場合もあるから、
念のために確認しておくのもいいんじゃない?」
「ウエルシア薬局に行くと無料でやってくれるんだって」
「そりゃいいね。なら都立家政にお店があるよ」
そこで彼女はさっそく電話を取り、
「ええ、そうです。はい。はい。
それじゃ、結果は2日後に出るのですね。
え? ええ!? そうなんですか!
・・・・分かりました。ありがとうございます」
「どうだった?」
「ダメよ」
「なんで? 予約がいっぱいだったの?」
「ううん、スマホからホームページに登録して、
結果はメールを受信してからダウンロードするんだって」
ともこは今でもガラケーなのです。
それで十分、彼女のニーズは満たされておりますので。
「じゃ、僕のを使えば?」
「自分のじゃなきゃダメっていわれちゃった」
「はぁ?」
デジタルディバイドが叫ばれて久しくなりましたが、
その風潮はさらに強まったようですね。
そういえば、しばらく前から義母が通うスポーツクラブで、
各種クラスの予約がネット経由だけになり、
多くの高齢会員が途方に暮れたそうな。
これ、e-TAXやマイナンバーを例に挙げて何度かお話していますけど、
官民問わず、モノありきの思想は根深いですね。
システムは人間が使ってはじめて結果が出ます。
つまり人間側が使えなけりゃ、
せっかく手間暇かけて(官の場合は税金を投入して!)
作った仕組みも、ただのカネ食いオブジェにしかなりません。
スマホだって、
高齢者がいきなり使えと言われても無理な話でしょう?
中にはスマホが買えない所得層の人たちだっているんですよ。
わが家の場合は、娘、息子がいろいろな手続きを代行してますが、
そうした家族が常にいるとも限りません。
では、システムの網の目からこぼれた人たちは、
ネットにさまざまな手続きから買い物までが集約されて行く社会で、
どうやって暮らして行けばいいのか?
新しいものに飛びつくのはアメリカ・アジア型社会の傾向ですが、
目的と結果に目を向けた場合、
ローテクもまた、あながち捨てたもんじゃないのではないか?
ウサギとカメの寓話が教えることは、
今の世の中でもじゅうぶん通用するような気がします。
えーじ