いやはや一昨日の晩は参りました。
フルドーピングで寝たものの、朝は体を起こすのもままならず。
さらなる薬で立ち上がれはしましたが、
体の動きは油の切れかかったC3−PO状態。
ま、自力でトイレに行けたのはラッキーでしたけどね。
ここが救急車を呼ぶかどうかの分かれ目なので。
(呼んでも今の状況じゃすぐ来てくれないだろうし・・・)
そんなわけで昨日はすべての予定を延期し、
終日、自宅軟禁となりました。
しかし悪いことばかりじゃありません。
時間ができたおかげで、やっていたのが確定申告。
かつてないペースで進んでおります。
今年は一カ月の執行猶予なしですからね。
さて、今日はといいますと、
昨日よりビミョーに良くなったものの、まだ外出は無理かな?
10分以上、連続して歩くとまた悪化しそうです。
とはいえ、明日の朝までには何とかしなければ。
TReP関係のタスクで、
現場と葛飾区役所に行かねばならんのですよ。
ん〜、そうはいっても、
できることといえば薬を飲んで安静にしているだけ。
つまり何もしないってことか・・・
これ、眠る努力と一緒で、そう簡単な話じゃありません。
やれやれ・・・がんばらねば。
あ、がんばっちゃいけないのか。
難しい・・・
えーじ
2022年02月27日
2022年02月25日
一難去って、また一難
成長不良の寅ちゃんですが、
ここ最近はすくすく育ち始め、次第に家らしくなってきました。
そうなると始まるのが、現場からの呼び出し。
今日も午後イチから大工さん、
電気技師さんとの質疑応答をやっておりまして。
しかし僕の胸中の問題は、建築関連より腰の方。
先日はなんとかタクシーは使わず打ち合わせを済ませたものの、
今回、どうも回復が遅いですね。
姿勢としては寝ているとOK。
座っていても、まぁ問題なし。
ところが立っていると、
危険レベルがじわじわイエローからレッドゾーンへ。
今日も現場の打ち合わせが長引き、
1時間を超えたあたりから体重を移すだけで、
ときどき、はうっ、となり始めたじゃないですか。
かといって主役は僕ですから帰るわけにもいきません。
Oh no....
寒い現場で立ったままの2時間が過ぎようとした頃には、
「むわ〜、救急車に乗っての退場は勘弁してちょうだい!」
なムードに・・・
さいわい柴又駅まで戻ってベンチに座ったら、
危険レベルが下がり出しました。
よ〜し、この調子で小刻みに爆発圧を抜きながら、
なんとかアパートまで戻ろう!
と、ここまでは良かったのですが、
千代田線に揺られている間に痛みが消えたことから、
気を良くしたのが間違いのもと。
まだラッシュが始まるには時間があるな・・・
じゃ、乗り換えの御茶ノ水で、
ちょろっと中古CD屋さんをパトロールして行こう。
で、勘が冴えていたのか掘り出し物があったんですよ!
いや、ではなくて、喜んだのも束の間、
この寄り道が影響したのかは分かりませんが、
西武線に乗るころには先の判断を心から後悔することに・・・
む〜・・・なんか急に具合が悪くなり始めたぞ。
まずいな、爆発寸前のビリビリ感だ。
まず野方に着いて座席から立ち上がるときに気を付けなくちゃ。
ここでやっちまうと、倒れたまま川越まで運ばれちゃう。
そして、なんとか降車に成功したものの、
ホームからは薄氷を踏む思いで改札を抜け、
心を無にしたまま、そろりそろりとアパートへ。
「ただいま〜」
「お帰り〜、お疲れさまでした。どうだった、打ち合わせ?」
「うん、報告の前に靴ひもをほどいてくれる?」
「え? 調子悪いの?」
「ん〜・・・ちょっと屈めなくてね」
「だから寄り道しないで帰ってきてって言ったのに!」
こうして何かと怒られている僕でありました。
えーじ
ここ最近はすくすく育ち始め、次第に家らしくなってきました。
そうなると始まるのが、現場からの呼び出し。
今日も午後イチから大工さん、
電気技師さんとの質疑応答をやっておりまして。
しかし僕の胸中の問題は、建築関連より腰の方。
先日はなんとかタクシーは使わず打ち合わせを済ませたものの、
今回、どうも回復が遅いですね。
姿勢としては寝ているとOK。
座っていても、まぁ問題なし。
ところが立っていると、
危険レベルがじわじわイエローからレッドゾーンへ。
今日も現場の打ち合わせが長引き、
1時間を超えたあたりから体重を移すだけで、
ときどき、はうっ、となり始めたじゃないですか。
かといって主役は僕ですから帰るわけにもいきません。
Oh no....
寒い現場で立ったままの2時間が過ぎようとした頃には、
「むわ〜、救急車に乗っての退場は勘弁してちょうだい!」
なムードに・・・
さいわい柴又駅まで戻ってベンチに座ったら、
危険レベルが下がり出しました。
よ〜し、この調子で小刻みに爆発圧を抜きながら、
なんとかアパートまで戻ろう!
と、ここまでは良かったのですが、
千代田線に揺られている間に痛みが消えたことから、
気を良くしたのが間違いのもと。
まだラッシュが始まるには時間があるな・・・
じゃ、乗り換えの御茶ノ水で、
ちょろっと中古CD屋さんをパトロールして行こう。
で、勘が冴えていたのか掘り出し物があったんですよ!
いや、ではなくて、喜んだのも束の間、
この寄り道が影響したのかは分かりませんが、
西武線に乗るころには先の判断を心から後悔することに・・・
む〜・・・なんか急に具合が悪くなり始めたぞ。
まずいな、爆発寸前のビリビリ感だ。
まず野方に着いて座席から立ち上がるときに気を付けなくちゃ。
ここでやっちまうと、倒れたまま川越まで運ばれちゃう。
そして、なんとか降車に成功したものの、
ホームからは薄氷を踏む思いで改札を抜け、
心を無にしたまま、そろりそろりとアパートへ。
「ただいま〜」
「お帰り〜、お疲れさまでした。どうだった、打ち合わせ?」
「うん、報告の前に靴ひもをほどいてくれる?」
「え? 調子悪いの?」
「ん〜・・・ちょっと屈めなくてね」
「だから寄り道しないで帰ってきてって言ったのに!」
こうして何かと怒られている僕でありました。
えーじ
2022年02月23日
入院日記パート5 その4 最終回
朝の回診で傷の絆創膏を交換してもらい、
マリオネット状態から解放されました。
これ、例えではなく、字義通りのお話で、
昨日の夕方までは、チューブが酸素と点滴の2本、
電線が心電図に3本とパルスオキシメータの計4本。
前回は尿道カテーテルもありましたから、
ちょっと寝返りを打つにも絡まないよう注意が必要だったのです。
これらが全部はずされると、
はぁ〜、すっきりした!
さぁ、ここからエンジョイ入院ライフだ!
なんですけど、今回はこれでおしまい。
あと数時間で退院です。
手術といっても内視鏡を入れて写真を撮っただけですからね。
確かに体のダメージは少なく、
膝の強ばりはあるものの、もう90度以上曲げられます。
歩いても痛みはありません。
せっかくなのでドクターが写真を見せてくれました。
この病院は教育機関でもありますから、
写真は教材用にBefore→After式に並置されており、
分かりやすかったですね。
Beforeは本当に大腿骨の軟骨がクラッシュしていました。
高いところから飛び降りるとか、走ってすっころぶなど、
思い当たる節はまったくないのですが、
経年劣化でもあれくらい派手に壊れるのですね。
で、Afterは見事に軟骨が再生しているじゃないですか!
すご〜い! さすが治験段階の新方式。効果抜群ですね。
ついでにその前の手術で縫い合わせた半月板も確認してくれていて、
そっちもしっかりくっついていたそうです。
めでたし、めでたし。
なんですが、今回のオチは3日間の時差でやってきました。
昨日、目覚めたとき、
ん? 腰の左側に妙な鈍痛が・・・
寝違えたのかな?
ま、これくらい放っておいてもいいだろう。
それから読書中も食事中もぜんぜん問題なかったのが、
10時過ぎ、原稿を書いていると、
ん〜? なんか朝の痛みが強くなってきてるみたいな・・・
そこへ、
ピンポーン!
あ、宅急便屋さんだ。
と立ち上がった瞬間に聞こえてきたのが、
お馴染みミッションインポッシブルのテーマ。
ま、まじか?
ほんの数メートル先のドアまで行った時には、
腰の安全装置が外れただけではなく、爆発寸前の状態に。
な、なぜだ? 僕が何をしたというんだ?
なんとか仕事場の椅子まで戻れはしましたが、そこでゲームオーバー。
動けなくなってしまいました。
それから買い物に行ったともこが帰るまで、
本日2度目のメディテーションタイム。
「ただいま〜」
「おかえり。さっそくだけど水を持ってきてくれる?」
「え? どうしたの?」
彼女は僕の顔色を見るなり、
「やっちゃった?」
「うい」
「あちゃ〜・・・明日の打ち合わせ、大丈夫?」
そう、今日の午後イチに僕が議長の大切なミーティングがあるのです。
さいわいフルドーピングで程よくラリって来ましたから、
タクシーで行けば、どうにかなるかもしれません。
「膝が治ったから、次は腰を診てもらえば?」
「ん〜、そうだね、来週抜糸に行くとき、ドクターに相談してみるよ」
だから言ったでしょ?
僕は整形外科のロイヤルカスタマーだって。
End
えーじ
マリオネット状態から解放されました。
これ、例えではなく、字義通りのお話で、
昨日の夕方までは、チューブが酸素と点滴の2本、
電線が心電図に3本とパルスオキシメータの計4本。
前回は尿道カテーテルもありましたから、
ちょっと寝返りを打つにも絡まないよう注意が必要だったのです。
これらが全部はずされると、
はぁ〜、すっきりした!
さぁ、ここからエンジョイ入院ライフだ!
なんですけど、今回はこれでおしまい。
あと数時間で退院です。
手術といっても内視鏡を入れて写真を撮っただけですからね。
確かに体のダメージは少なく、
膝の強ばりはあるものの、もう90度以上曲げられます。
歩いても痛みはありません。
せっかくなのでドクターが写真を見せてくれました。
この病院は教育機関でもありますから、
写真は教材用にBefore→After式に並置されており、
分かりやすかったですね。
Beforeは本当に大腿骨の軟骨がクラッシュしていました。
高いところから飛び降りるとか、走ってすっころぶなど、
思い当たる節はまったくないのですが、
経年劣化でもあれくらい派手に壊れるのですね。
で、Afterは見事に軟骨が再生しているじゃないですか!
すご〜い! さすが治験段階の新方式。効果抜群ですね。
ついでにその前の手術で縫い合わせた半月板も確認してくれていて、
そっちもしっかりくっついていたそうです。
めでたし、めでたし。
なんですが、今回のオチは3日間の時差でやってきました。
昨日、目覚めたとき、
ん? 腰の左側に妙な鈍痛が・・・
寝違えたのかな?
ま、これくらい放っておいてもいいだろう。
それから読書中も食事中もぜんぜん問題なかったのが、
10時過ぎ、原稿を書いていると、
ん〜? なんか朝の痛みが強くなってきてるみたいな・・・
そこへ、
ピンポーン!
あ、宅急便屋さんだ。
と立ち上がった瞬間に聞こえてきたのが、
お馴染みミッションインポッシブルのテーマ。
ま、まじか?
ほんの数メートル先のドアまで行った時には、
腰の安全装置が外れただけではなく、爆発寸前の状態に。
な、なぜだ? 僕が何をしたというんだ?
なんとか仕事場の椅子まで戻れはしましたが、そこでゲームオーバー。
動けなくなってしまいました。
それから買い物に行ったともこが帰るまで、
本日2度目のメディテーションタイム。
「ただいま〜」
「おかえり。さっそくだけど水を持ってきてくれる?」
「え? どうしたの?」
彼女は僕の顔色を見るなり、
「やっちゃった?」
「うい」
「あちゃ〜・・・明日の打ち合わせ、大丈夫?」
そう、今日の午後イチに僕が議長の大切なミーティングがあるのです。
さいわいフルドーピングで程よくラリって来ましたから、
タクシーで行けば、どうにかなるかもしれません。
「膝が治ったから、次は腰を診てもらえば?」
「ん〜、そうだね、来週抜糸に行くとき、ドクターに相談してみるよ」
だから言ったでしょ?
僕は整形外科のロイヤルカスタマーだって。
End
えーじ
2022年02月21日
入院日記パート5 その3
入院歴7回目にして手術歴は今回で5回。
それもこの病院ではこの2年間で3度目ですから、
さすがに相手の出方は分かってきました。
しかしこれまでと違うのは、
当日の手術前に採血だけではなく、
MRIやレントゲン撮影がブッキングされていたこと。
これには治験に関係した理由がありまして、
僕と主治医のスケジュールを合わせた日にちが、
プログラム上の検査期日ぎりぎりだったのですよ。
詳しくいうと、前回の検査から60日後に次をやる場合、
59日後ではNGなのですが、
手術日がちょうど60日目に当たってしまったのです。
本来であれば暇な前日に検査を済ませ、
当日は手術に集中するのが一般的なんですけどね。
というわけで、
前日の24時から(正確には夕食が終わった19時から)固形物はなし、
朝6時からは水もなしというラマダン状態で、
僕は検査室をハシゴすることとなったのです。
病室に戻ったのは10時半ごろ。
ここで朝食代わりの点滴を受け、あとは手術室が空くのを待つのみ。
予定では11時半でしたがコールがあったのは12時ちょうど。
手術着に着替え、
看護師さんと一緒に歩いて手術室に向かうのはこれまでと同じ。
大繁盛病院のせいか、手前の清潔区域で説明を聞いているとき、
手術が終わった患者さんたちが次々と運び出されて行きます。
皆さん手際がいいですね。
5つある手術室の今回は5番。
以前は3番でしたが中に入ってみると違いは分かりませんでした。
50インチ級の壁掛けモニターに僕の情報が映されています。
手術台は幅が狭いのでちょっと窮屈。
でも暖かいエアブランケットで包まれるとすごく気持ちいいです。
今回の麻酔科医の先生は、
麻酔のオペレーションを逐一説明しながら進めてくれました。
「これは酸素なのでゆっくり吸っていてください。
次に眠くなる薬を点滴に混ぜますよ」
針が入っている左腕がすっと冷たくなるので、
薬が入り始めたのが分かります。
何秒で落ちるかな?
壁の時計を見ると時刻は12時20分。
僕はカウントを始めました。
1、2、3、4、5・・・なんともない。
6、7、8・・・お〜、視界がぐらっとしてたぞ。
9、10、11、1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「久保さ〜ん、終わったよ。きれいに治ってるね」
主治医の先生の声が聞こえてきました。
「ああ、どうも、ありがとうございます」
気分はたっぷり寝た日曜日の朝という感じ。
「すぐ終わりましたよ。15分かからなかったかな」
もう一度時計を見ると13時20分。
ちょうど1時間、記憶が飛んでいます。
ってことは、術前術後の処置で45分かかったのか。
僕は手術台からベッドに移され、そのまま病室まで帰って来ました。
意識はもうはっきり戻っています。
「2時間後に先生が来ますからね。
それまでに何かあったらナースコールしてください」
ひとりになって、僕はさっそくセルフチェックを開始。
手術した左足は・・・足首は回せる・・・腿の筋肉も・・・動かせる。
で、膝は・・・少しなら曲げられるな。
包帯が厚く巻かれているのでこれ以上は無理だ。
さいわい前回、前々回のような痛みはない。
僕はほっと息を吐き出し、
よ〜し、いい感じだ。
今回は内視鏡を入れて写真を撮るだけだったからな。
1時間ほど経ったのち、ベッドを20度まで起こし、
両腕を使って体を引き上げてみました。
うん、術後の鈍痛が始まってるけど、これは無視できる。
さて、ここで一番大事なチェックだ。
僕はそっと布団をどけました。
や〜っぱり。
パンツを脱がされてオムツを履かされてる。
最初にこれを見た時はグレゴール・ザムザだって真っ青だと思うよ。
やれやれ・・・でも股間の違和感がないぞ。
と思っていた矢先、看護師さんが入ってきました。
「久保さん、トイレ自分で行ける?」
「このいろんなチューブやコードを外してくれたらね」
「じゃ、18時には酸素が外れるから、それまでは尿瓶を使ってください」
お〜、今回は尿道カテーテルを突っ込まれてなかったのか!
ラッキー!
あいつを初対面の女性に抜かれるのは、3回目とはいえ勘弁して欲しいからな。
これは今回の嬉しいサプライズNo2でした。
18時には酸素マスクが外され、
体も60度まで起こせたのでだいぶ自由が利くようになった後は、
再びPCを使って仕事もOK。
ここからは水も飲めるようになりました。
そして病棟が静かになった22時。消灯時間に看護師さんが現れ、
「久保さん、着替えちゃう?」
「ぷり〜ず」
僕は一刻も早くこのビッグベイビー状態から脱出したかったのですよ。
分かるでしょ?
そこで下半身を指さしつつ、彼女に訊いてみました。
「ねぇ、君はこの経験ってある?」
「ん〜・・・ないです」
「こいつは結構ショックだぜ、特に初めての時はね」
「でしょうね〜」
こうして僕は看護師さんに手伝ってもらい、
ようやく「大人」に戻れたのです。
ふぅ〜・・・長い一日だったな。
今日はもうあれこれやらず、さっさと寝ちまおう。
まもなく点滴に入れた痛み止めと睡眠薬の効果で、
僕は本日2度目の気絶となったのでありました。
to be continued...
えーじ
それもこの病院ではこの2年間で3度目ですから、
さすがに相手の出方は分かってきました。
しかしこれまでと違うのは、
当日の手術前に採血だけではなく、
MRIやレントゲン撮影がブッキングされていたこと。
これには治験に関係した理由がありまして、
僕と主治医のスケジュールを合わせた日にちが、
プログラム上の検査期日ぎりぎりだったのですよ。
詳しくいうと、前回の検査から60日後に次をやる場合、
59日後ではNGなのですが、
手術日がちょうど60日目に当たってしまったのです。
本来であれば暇な前日に検査を済ませ、
当日は手術に集中するのが一般的なんですけどね。
というわけで、
前日の24時から(正確には夕食が終わった19時から)固形物はなし、
朝6時からは水もなしというラマダン状態で、
僕は検査室をハシゴすることとなったのです。
病室に戻ったのは10時半ごろ。
ここで朝食代わりの点滴を受け、あとは手術室が空くのを待つのみ。
予定では11時半でしたがコールがあったのは12時ちょうど。
手術着に着替え、
看護師さんと一緒に歩いて手術室に向かうのはこれまでと同じ。
大繁盛病院のせいか、手前の清潔区域で説明を聞いているとき、
手術が終わった患者さんたちが次々と運び出されて行きます。
皆さん手際がいいですね。
5つある手術室の今回は5番。
以前は3番でしたが中に入ってみると違いは分かりませんでした。
50インチ級の壁掛けモニターに僕の情報が映されています。
手術台は幅が狭いのでちょっと窮屈。
でも暖かいエアブランケットで包まれるとすごく気持ちいいです。
今回の麻酔科医の先生は、
麻酔のオペレーションを逐一説明しながら進めてくれました。
「これは酸素なのでゆっくり吸っていてください。
次に眠くなる薬を点滴に混ぜますよ」
針が入っている左腕がすっと冷たくなるので、
薬が入り始めたのが分かります。
何秒で落ちるかな?
壁の時計を見ると時刻は12時20分。
僕はカウントを始めました。
1、2、3、4、5・・・なんともない。
6、7、8・・・お〜、視界がぐらっとしてたぞ。
9、10、11、1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「久保さ〜ん、終わったよ。きれいに治ってるね」
主治医の先生の声が聞こえてきました。
「ああ、どうも、ありがとうございます」
気分はたっぷり寝た日曜日の朝という感じ。
「すぐ終わりましたよ。15分かからなかったかな」
もう一度時計を見ると13時20分。
ちょうど1時間、記憶が飛んでいます。
ってことは、術前術後の処置で45分かかったのか。
僕は手術台からベッドに移され、そのまま病室まで帰って来ました。
意識はもうはっきり戻っています。
「2時間後に先生が来ますからね。
それまでに何かあったらナースコールしてください」
ひとりになって、僕はさっそくセルフチェックを開始。
手術した左足は・・・足首は回せる・・・腿の筋肉も・・・動かせる。
で、膝は・・・少しなら曲げられるな。
包帯が厚く巻かれているのでこれ以上は無理だ。
さいわい前回、前々回のような痛みはない。
僕はほっと息を吐き出し、
よ〜し、いい感じだ。
今回は内視鏡を入れて写真を撮るだけだったからな。
1時間ほど経ったのち、ベッドを20度まで起こし、
両腕を使って体を引き上げてみました。
うん、術後の鈍痛が始まってるけど、これは無視できる。
さて、ここで一番大事なチェックだ。
僕はそっと布団をどけました。
や〜っぱり。
パンツを脱がされてオムツを履かされてる。
最初にこれを見た時はグレゴール・ザムザだって真っ青だと思うよ。
やれやれ・・・でも股間の違和感がないぞ。
と思っていた矢先、看護師さんが入ってきました。
「久保さん、トイレ自分で行ける?」
「このいろんなチューブやコードを外してくれたらね」
「じゃ、18時には酸素が外れるから、それまでは尿瓶を使ってください」
お〜、今回は尿道カテーテルを突っ込まれてなかったのか!
ラッキー!
あいつを初対面の女性に抜かれるのは、3回目とはいえ勘弁して欲しいからな。
これは今回の嬉しいサプライズNo2でした。
18時には酸素マスクが外され、
体も60度まで起こせたのでだいぶ自由が利くようになった後は、
再びPCを使って仕事もOK。
ここからは水も飲めるようになりました。
そして病棟が静かになった22時。消灯時間に看護師さんが現れ、
「久保さん、着替えちゃう?」
「ぷり〜ず」
僕は一刻も早くこのビッグベイビー状態から脱出したかったのですよ。
分かるでしょ?
そこで下半身を指さしつつ、彼女に訊いてみました。
「ねぇ、君はこの経験ってある?」
「ん〜・・・ないです」
「こいつは結構ショックだぜ、特に初めての時はね」
「でしょうね〜」
こうして僕は看護師さんに手伝ってもらい、
ようやく「大人」に戻れたのです。
ふぅ〜・・・長い一日だったな。
今日はもうあれこれやらず、さっさと寝ちまおう。
まもなく点滴に入れた痛み止めと睡眠薬の効果で、
僕は本日2度目の気絶となったのでありました。
to be continued...
えーじ
2022年02月19日
入院日記パート5 その2
予定どおり、先ほど退院してアパートに戻りました。
いやはや外は寒いですね。
病棟内は常夏状態なので、
このギャップは、
冬に赤道から南半球側を旅して帰ったときを思い出します。
まぁ、毎回なんらかのサプライズがあることも、
どこか旅に似ていなくはない気がしますね。
今回も出だしの入院手続きで・・・
「久保さんの病室は・・・7階の個室ですね」
「え? 違いますよ、大部屋を希望しておきました」
受付の女性は書類を見直し、
「いえ、個室をご用意しております」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 大部屋は空いてないのですか?」
「・・・そうですね・・・満床です」
まじか。前もって言っておいたのに。
はぁ〜・・・この出費はイタイね。
仕方ない。
「で、差額はお幾らでしょう?」
「費用はかかりません。ドクターから指示が出ておりますので」
はぁ? どうしたこっちゃ?
そうか、僕は整形外科のロイヤルカスタマーだから、
マイルが溜まってたのかも?
そのうち診察券がブラックカードになりそうだし。
僕は首を傾げながらも貸し出し用品の手続きをして、
病棟のナースセンターへ。
心配だったので、ここでも確認したら、
さっきと同じ答えが返ってきたではないですか。
そしてドアを開ければ、
Oh,That's awesome!
テーブルとソファーに冷蔵庫・・・トイレまで付いてる!
部屋の広さは東横インのシングル程度ですが、
入院歴7回目にして初の個室デビューは感動です。
で、初日は何もタスクがないのでランチの後は、
夕方のシャワーまでのんびり・・・
していませんでした。
そそくさと仕事の環境を整えて、
先日オファーを頂いたウェブ記事の原稿書き。
(ちゃんと宿題やってますよ〜、Mさん)
ここで半月余りお世話になったのは1年4か月前。
まったくと言っていいほど変わっていなかったので、
旅先の定宿に戻ったような気がしました。
さて、今回こうしていられるのはここまで。
明日は朝から検査が続き、昼過ぎには3度目の手術台に上がります。
今日のサプライズは歓迎だったけど、
そうでないのが来なけりゃいいなぁ・・・
と淡い期待を抱きつつ、眠りに落ちた僕でありました。
to be continued...

病室から臨む新宿の夜景
えーじ
いやはや外は寒いですね。
病棟内は常夏状態なので、
このギャップは、
冬に赤道から南半球側を旅して帰ったときを思い出します。
まぁ、毎回なんらかのサプライズがあることも、
どこか旅に似ていなくはない気がしますね。
今回も出だしの入院手続きで・・・
「久保さんの病室は・・・7階の個室ですね」
「え? 違いますよ、大部屋を希望しておきました」
受付の女性は書類を見直し、
「いえ、個室をご用意しております」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 大部屋は空いてないのですか?」
「・・・そうですね・・・満床です」
まじか。前もって言っておいたのに。
はぁ〜・・・この出費はイタイね。
仕方ない。
「で、差額はお幾らでしょう?」
「費用はかかりません。ドクターから指示が出ておりますので」
はぁ? どうしたこっちゃ?
そうか、僕は整形外科のロイヤルカスタマーだから、
マイルが溜まってたのかも?
そのうち診察券がブラックカードになりそうだし。
僕は首を傾げながらも貸し出し用品の手続きをして、
病棟のナースセンターへ。
心配だったので、ここでも確認したら、
さっきと同じ答えが返ってきたではないですか。
そしてドアを開ければ、
Oh,That's awesome!
テーブルとソファーに冷蔵庫・・・トイレまで付いてる!
部屋の広さは東横インのシングル程度ですが、
入院歴7回目にして初の個室デビューは感動です。
で、初日は何もタスクがないのでランチの後は、
夕方のシャワーまでのんびり・・・
していませんでした。
そそくさと仕事の環境を整えて、
先日オファーを頂いたウェブ記事の原稿書き。
(ちゃんと宿題やってますよ〜、Mさん)
ここで半月余りお世話になったのは1年4か月前。
まったくと言っていいほど変わっていなかったので、
旅先の定宿に戻ったような気がしました。
さて、今回こうしていられるのはここまで。
明日は朝から検査が続き、昼過ぎには3度目の手術台に上がります。
今日のサプライズは歓迎だったけど、
そうでないのが来なけりゃいいなぁ・・・
と淡い期待を抱きつつ、眠りに落ちた僕でありました。
to be continued...

病室から臨む新宿の夜景
えーじ
2022年02月16日
入院日記パート5 その1
明日からまた入院することになりました。
え? 今度はどうしたんだ?
いや、僕はすこぶる元気です。
昨日もレギュラーコースをジョギングしてたくらい。
実はこのシリーズパート4の時、治験に参加していたのですよ。
膝軟骨を再生させる新しい手法のね。
そこで記念撮影のために入院するのです。
といっても残念ながら看護師さんとセルフィーじゃありません。
(それもいいんだけど・・・)
軟骨の写真を撮るために膝関節に内視鏡を入れるので、
三度、同じ手術台の上の人となるわけです。
そこで今度は2泊3日のショートステイ。
看護師さんに訊いたら、
入院中のルールは1年4か月前と同じだそうで。
つまり面会&外出禁止の軟禁状態。唯一の売店はBOSSの自販機一台のみ。
それから食事中のお茶の提供もなし。
ま、僕はこれでもそんなに不自由は感じませんけど、
働いている方は大変ですね。
人数が減り、仕事は増え、この状態がかれこれ2年になりますから。
前回お世話になった方々はまだいるかな?
ちなみに一昨日受けたPCRテストの結果は陰性でした。
これを受けるプロセスもこの前と同じ。
いきなり「え? 陽性ですか!?」にならなくて良かったです。
オミクロン株は自覚症状なしのケースが多いと言われていますからね。
それじゃ、この続きは土曜日の退院後に。
えーじ
え? 今度はどうしたんだ?
いや、僕はすこぶる元気です。
昨日もレギュラーコースをジョギングしてたくらい。
実はこのシリーズパート4の時、治験に参加していたのですよ。
膝軟骨を再生させる新しい手法のね。
そこで記念撮影のために入院するのです。
といっても残念ながら看護師さんとセルフィーじゃありません。
(それもいいんだけど・・・)
軟骨の写真を撮るために膝関節に内視鏡を入れるので、
三度、同じ手術台の上の人となるわけです。
そこで今度は2泊3日のショートステイ。
看護師さんに訊いたら、
入院中のルールは1年4か月前と同じだそうで。
つまり面会&外出禁止の軟禁状態。唯一の売店はBOSSの自販機一台のみ。
それから食事中のお茶の提供もなし。
ま、僕はこれでもそんなに不自由は感じませんけど、
働いている方は大変ですね。
人数が減り、仕事は増え、この状態がかれこれ2年になりますから。
前回お世話になった方々はまだいるかな?
ちなみに一昨日受けたPCRテストの結果は陰性でした。
これを受けるプロセスもこの前と同じ。
いきなり「え? 陽性ですか!?」にならなくて良かったです。
オミクロン株は自覚症状なしのケースが多いと言われていますからね。
それじゃ、この続きは土曜日の退院後に。
えーじ
2022年02月13日
おうちでととら
寒いですね。
関東地方はこれからまたしても雪が降ってきそうです。
せっかくの3連休最終日ですが、
こうなると皆さん家でのんびりかな?
在宅勤務が一般化し始めて早2年。
家といっても帰って寝るだけだからねぇ・・・派の人も、
住環境の見直しをされた方が多いと思います。
そこで僕らはと申しますと、ご存知ただいま在宅失業中。
少しでも居心地よくしようとしたものの、
所詮2Kのアパートで大したことはできません。
しかし安宿を渡り歩いた僕らは、
限られた条件下で最大限の心地よさを引き出すプロでもあります。
これまでもバックパックすら置き場のない部屋から、
LCCの狭いシートスペースまで、
何とかくつろげるよう知恵を絞って来ましたからね。
そんなわけで取り組んだのが、ととら亭のミニチュア化。
まず音楽です。
閉店間際、次々と機材が壊れはじめて、
アンプも自宅のものを移設していましたが、これを元に戻しました。
さらにインピーダンスマッチングを取るため、
CDプレーヤーとアンプの間にアッテネータを挿入。
これでボリュームを落としても、
ん〜・・・ボトムの締まったいい音じゃん?
次がいちばん肝心の料理。
この11年余の間、ほとんどまともに使っていなかったキッチンも、
ともこがあれこれ位置を変えてかなり使いやすくなりました。
それからこの状況を見越して持ってきたのがこれ。

そう、見覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。
業務用JURAのコーヒーマシンです。
これが狭いキッチンの中心に鎮座しているのですね。
おかげでボタン一つ押せば、ととら亭で出していたのと同じ、
おいしいコーヒーが楽しめます。
まぁ、さすがに生ビールサーバまでは持って来れませんでしたが、
オーブン代わりの小型トースターも入れ、
これだけでも食事はかなりお店っぽくなりました。

(とある日の朝食はパンケーキ)

(とある日のディナー。フィスクソッパとカマンベールチーズ入りサラダ、
それとエジプトのラムシチュー、カバブハッラ)
え? で、営業しないのか?
そうですねぇ・・・
一日一組限定の隠れ家レストランってのも考えましたが、
アパートじゃ保健所さんが許可してくれないだろうなぁ・・・
いろんな意味で春が待ち遠しい僕らでございます。
えーじ
関東地方はこれからまたしても雪が降ってきそうです。
せっかくの3連休最終日ですが、
こうなると皆さん家でのんびりかな?
在宅勤務が一般化し始めて早2年。
家といっても帰って寝るだけだからねぇ・・・派の人も、
住環境の見直しをされた方が多いと思います。
そこで僕らはと申しますと、ご存知ただいま在宅失業中。
少しでも居心地よくしようとしたものの、
所詮2Kのアパートで大したことはできません。
しかし安宿を渡り歩いた僕らは、
限られた条件下で最大限の心地よさを引き出すプロでもあります。
これまでもバックパックすら置き場のない部屋から、
LCCの狭いシートスペースまで、
何とかくつろげるよう知恵を絞って来ましたからね。
そんなわけで取り組んだのが、ととら亭のミニチュア化。
まず音楽です。
閉店間際、次々と機材が壊れはじめて、
アンプも自宅のものを移設していましたが、これを元に戻しました。
さらにインピーダンスマッチングを取るため、
CDプレーヤーとアンプの間にアッテネータを挿入。
これでボリュームを落としても、
ん〜・・・ボトムの締まったいい音じゃん?
次がいちばん肝心の料理。
この11年余の間、ほとんどまともに使っていなかったキッチンも、
ともこがあれこれ位置を変えてかなり使いやすくなりました。
それからこの状況を見越して持ってきたのがこれ。

そう、見覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。
業務用JURAのコーヒーマシンです。
これが狭いキッチンの中心に鎮座しているのですね。
おかげでボタン一つ押せば、ととら亭で出していたのと同じ、
おいしいコーヒーが楽しめます。
まぁ、さすがに生ビールサーバまでは持って来れませんでしたが、
オーブン代わりの小型トースターも入れ、
これだけでも食事はかなりお店っぽくなりました。

(とある日の朝食はパンケーキ)

(とある日のディナー。フィスクソッパとカマンベールチーズ入りサラダ、
それとエジプトのラムシチュー、カバブハッラ)
え? で、営業しないのか?
そうですねぇ・・・
一日一組限定の隠れ家レストランってのも考えましたが、
アパートじゃ保健所さんが許可してくれないだろうなぁ・・・
いろんな意味で春が待ち遠しい僕らでございます。
えーじ
2022年02月09日
D.I.Y. as usual. その5
それでは河原で拾った流木が、
どのようにしてととら亭の看板になるのか?
今日はその制作過程を一挙にお見せしましょう。
今回作るのは英語表記の看板です。
ととら亭は外国からいらっしゃるお客さまも少なくないので、
今まで使っていた日本語表記のものだけだと分かりにくいですからね。

まず、ともこがTOTORATeiの各ラテン文字を半紙に筆で書きます。
書くときに全体のバランスは考えていません。
とにかく自由に何通りか書いてもらい、
イメージにあったものをピックアップします。

次はそれをスキャナーでPCに取り込み、
さらにビットマップデータを扱いやすいベクトルデータに変換して、
ロゴとしてのバランスを取ります。
この時に各文字をさらに変形させますので、
オリジナルとは微妙な違いもあるんですよ。
ここまでは10年以上前、英語のロゴを作ったときにやっていました。
ですから今回はこのデータをもとに始めています。

さきの文字画像を分解し、板の大きさに合わせて拡大したものを印刷します。
それを再度板上でバランスをとってから、養生テープで固定。
今回はロゴマーク入りですよ。

ここからは手先の細かいテクが必要です。
彫刻刀で文字とロゴの輪郭に傷を入れながら転写します。
この流木はよく乾いていて堅いですね。

最も難しいのがここからの作業。
輪郭の内側を彫って行くのですが節があるところはとても堅く、
割れやすくもあるので慎重に進めなくてはなりません。
流木のスペアはありませんからね。
特に細かい線の多いロゴは難易度高です。
でも作業が進むにつれて、看板らしくなって来たでしょう?

このハードルを超えたら最後の仕上げ。彫った部分のペンキ塗りです。
ここも焦ってはいけません。
ペンキが他に垂れないよう、ゆっくり筆を進めます。
お〜、イメージが形になってきた、ワクワクしてきますね!

じゃあ〜ん! できましたぁ〜っ!
どうです? いい感じでしょ?
今まで使っていた看板や営業中のサインボードも、
こうやって作ったのですよ。
今回はこの他に、トイレのドアにつける表示や、
物販スペースにディスプレイするロゴも作る予定。
手作りなのは料理だけではないととら亭でございます。
えーじ
どのようにしてととら亭の看板になるのか?
今日はその制作過程を一挙にお見せしましょう。
今回作るのは英語表記の看板です。
ととら亭は外国からいらっしゃるお客さまも少なくないので、
今まで使っていた日本語表記のものだけだと分かりにくいですからね。

まず、ともこがTOTORATeiの各ラテン文字を半紙に筆で書きます。
書くときに全体のバランスは考えていません。
とにかく自由に何通りか書いてもらい、
イメージにあったものをピックアップします。

次はそれをスキャナーでPCに取り込み、
さらにビットマップデータを扱いやすいベクトルデータに変換して、
ロゴとしてのバランスを取ります。
この時に各文字をさらに変形させますので、
オリジナルとは微妙な違いもあるんですよ。
ここまでは10年以上前、英語のロゴを作ったときにやっていました。
ですから今回はこのデータをもとに始めています。

さきの文字画像を分解し、板の大きさに合わせて拡大したものを印刷します。
それを再度板上でバランスをとってから、養生テープで固定。
今回はロゴマーク入りですよ。

ここからは手先の細かいテクが必要です。
彫刻刀で文字とロゴの輪郭に傷を入れながら転写します。
この流木はよく乾いていて堅いですね。

最も難しいのがここからの作業。
輪郭の内側を彫って行くのですが節があるところはとても堅く、
割れやすくもあるので慎重に進めなくてはなりません。
流木のスペアはありませんからね。
特に細かい線の多いロゴは難易度高です。
でも作業が進むにつれて、看板らしくなって来たでしょう?

このハードルを超えたら最後の仕上げ。彫った部分のペンキ塗りです。
ここも焦ってはいけません。
ペンキが他に垂れないよう、ゆっくり筆を進めます。
お〜、イメージが形になってきた、ワクワクしてきますね!

じゃあ〜ん! できましたぁ〜っ!
どうです? いい感じでしょ?
今まで使っていた看板や営業中のサインボードも、
こうやって作ったのですよ。
今回はこの他に、トイレのドアにつける表示や、
物販スペースにディスプレイするロゴも作る予定。
手作りなのは料理だけではないととら亭でございます。
えーじ
2022年02月06日
D.I.Y. as usual. その4
江戸川に続き、懐かしの荒川まで遠征したものの、
残念ながら新しい看板に適した流木は拾えませんでした。
ん〜・・・12年前は1回でゲットできたんだけどな。
そこで気を取り直してもう一度江戸川へリベンジ。
今度は前回きり上げた京成本線江戸川駅から北上し、
柴又まで戻るショートコース。
しかしここもまた収穫なし。
どうしたもんだろ?
考えるに、流木は上流の方がよりあるんじゃないかしらん?
というわけで4度目の挑戦は、新葛飾橋の袂からスタートし、
西岸側をつくばエクスプレスの三郷中央駅まで北上するというもの。
おっと、その前に腹ごしらえは、
JR金町駅南口から西へ少し行ったところにある、
沖縄・中華料理の琉華さんへ。
久しぶりの本格的なそーきソバとラフテー丼がとてもおいしかったです。
なんか24年前に行った沖縄・八重山諸島の旅を思い出してしまいました。
こういうお店が近くにあるのは嬉しいですね。
さて、体が温まったところで出発です。

江戸川もここまで来るとご覧の通りの風景に。
歩きはじめて2キロも進めばそこはもう埼玉県です。
そうか、葛飾区は東京都と千葉県、埼玉県の3つが接する、
ゴールデントライアングルに位置するのね!
思えば遠くへ来たもんだ・・・(Reprise)
ほどなくして川岸にはグラウンドがなくなり、
人影もまばらになったなか、
カラスたちの鳴き声だけが風に乗ってかぁかぁと・・・
む〜、今日も無駄足かしらん?
そんな不安が頭をよぎった時、流れ着いた木々のたまり場が・・・
お? こりゃどうだ?
折り重なる枝木をどけると、そこにはいい感じの古びた板材が・・・
あ、あった!
大きさ、厚み、質感、どれをとってもイメージ通りじゃないか!
こうしてようやく僕らは、
新しい看板の材料を手に入れることができたのです。
さて、次はいよいよ制作でですね。
えーじ

(ゲットしたのはいいんだけど、この格好で電車に乗るのはねぇ・・・)
残念ながら新しい看板に適した流木は拾えませんでした。
ん〜・・・12年前は1回でゲットできたんだけどな。
そこで気を取り直してもう一度江戸川へリベンジ。
今度は前回きり上げた京成本線江戸川駅から北上し、
柴又まで戻るショートコース。
しかしここもまた収穫なし。
どうしたもんだろ?
考えるに、流木は上流の方がよりあるんじゃないかしらん?
というわけで4度目の挑戦は、新葛飾橋の袂からスタートし、
西岸側をつくばエクスプレスの三郷中央駅まで北上するというもの。
おっと、その前に腹ごしらえは、
JR金町駅南口から西へ少し行ったところにある、
沖縄・中華料理の琉華さんへ。
久しぶりの本格的なそーきソバとラフテー丼がとてもおいしかったです。
なんか24年前に行った沖縄・八重山諸島の旅を思い出してしまいました。
こういうお店が近くにあるのは嬉しいですね。
さて、体が温まったところで出発です。

江戸川もここまで来るとご覧の通りの風景に。
歩きはじめて2キロも進めばそこはもう埼玉県です。
そうか、葛飾区は東京都と千葉県、埼玉県の3つが接する、
ゴールデントライアングルに位置するのね!
思えば遠くへ来たもんだ・・・(Reprise)
ほどなくして川岸にはグラウンドがなくなり、
人影もまばらになったなか、
カラスたちの鳴き声だけが風に乗ってかぁかぁと・・・
む〜、今日も無駄足かしらん?
そんな不安が頭をよぎった時、流れ着いた木々のたまり場が・・・
お? こりゃどうだ?
折り重なる枝木をどけると、そこにはいい感じの古びた板材が・・・
あ、あった!
大きさ、厚み、質感、どれをとってもイメージ通りじゃないか!
こうしてようやく僕らは、
新しい看板の材料を手に入れることができたのです。
さて、次はいよいよ制作でですね。
えーじ

(ゲットしたのはいいんだけど、この格好で電車に乗るのはねぇ・・・)
2022年02月03日
節分のトラウマ
さっきスーパーに行ったら、
特設コーナーで売られている豆や恵方巻が目に入りました。
季節は啓蟄。
春はもうすぐそこまで来ているんだなぁ・・・
という気持ちになりましたけど、
それと同時に蘇ったのがハイティーンの頃の記憶。
今を去ること40年ほど前、
世の中はまだまだフィジカルに荒っぽい時代でございました。
なかでも僕が在籍していたラグビー部はその悪しき例の筆頭。
当時はやっていた漫画、
どおくまん氏の「嗚呼!!花の応援団」そのものともいえる部活では、
きつい練習以外にも、
さまざまな試練が若者たちを待ち受けていたのです。
たとえば今日、節分では練習終了後、
恒例の豆まきが行われていました。
もちろん、普通の豆まきとは違います。
先輩から指名された名誉ある不運な部員は、(たいてい二人)
酷寒の日没後、ラグパン一丁の姿で紙製の鬼のお面をかぶり、
鉄棒ならぬモップか箒を持って部室棟の外に出されます。
そして「うおぉ〜!」「がおぉ〜!」と、
雄たけびを上げて部室に戻ってきたところへ、
残る部員からスナップの効いた豆の全力投球による、
集中砲火を浴びせられるわけですね。
これが露出している部分に当たるとすこぶる痛い!
これだけでも今どきの若い衆なら十分ココロが折れることでしょう。
しかし僕らの時代はまだまだこんなレベルじゃ勘弁してもらえません。
場合によっては女子ホッケー部や女子テニス部の部室まで、
出張豆まきに出動することがありました。
哀れな鬼たちは半裸のまま再び「うおぉ〜!」「がおぉ〜!」とやりますが、
それに続くのは「きゃあ〜っ!」という女の子たちの悲鳴。
そしてその悪役を成敗しに現れる正義のラグビー部員。
どおりで県大会では常敗チームだったわけです。
練習以上にこんなことばかりやっていたのですから。
え? で、僕は鬼と正義の味方のどっちだったのかって?
そりゃあ、もちろんねぇ・・・
ちょんわちょんわ〜!
えーじ
特設コーナーで売られている豆や恵方巻が目に入りました。
季節は啓蟄。
春はもうすぐそこまで来ているんだなぁ・・・
という気持ちになりましたけど、
それと同時に蘇ったのがハイティーンの頃の記憶。
今を去ること40年ほど前、
世の中はまだまだフィジカルに荒っぽい時代でございました。
なかでも僕が在籍していたラグビー部はその悪しき例の筆頭。
当時はやっていた漫画、
どおくまん氏の「嗚呼!!花の応援団」そのものともいえる部活では、
きつい練習以外にも、
さまざまな試練が若者たちを待ち受けていたのです。
たとえば今日、節分では練習終了後、
恒例の豆まきが行われていました。
もちろん、普通の豆まきとは違います。
先輩から指名された名誉ある不運な部員は、(たいてい二人)
酷寒の日没後、ラグパン一丁の姿で紙製の鬼のお面をかぶり、
鉄棒ならぬモップか箒を持って部室棟の外に出されます。
そして「うおぉ〜!」「がおぉ〜!」と、
雄たけびを上げて部室に戻ってきたところへ、
残る部員からスナップの効いた豆の全力投球による、
集中砲火を浴びせられるわけですね。
これが露出している部分に当たるとすこぶる痛い!
これだけでも今どきの若い衆なら十分ココロが折れることでしょう。
しかし僕らの時代はまだまだこんなレベルじゃ勘弁してもらえません。
場合によっては女子ホッケー部や女子テニス部の部室まで、
出張豆まきに出動することがありました。
哀れな鬼たちは半裸のまま再び「うおぉ〜!」「がおぉ〜!」とやりますが、
それに続くのは「きゃあ〜っ!」という女の子たちの悲鳴。
そしてその悪役を成敗しに現れる正義のラグビー部員。
どおりで県大会では常敗チームだったわけです。
練習以上にこんなことばかりやっていたのですから。
え? で、僕は鬼と正義の味方のどっちだったのかって?
そりゃあ、もちろんねぇ・・・
ちょんわちょんわ〜!
えーじ
2022年02月01日
書架を眺めて思うこと
最近、図書館通いを始めて痛感したこと。
それは「知の偏り」。
僕らの来館目的は主に取材前の下調べですから、
うろつく書架は主に歴史や地理、旅行、それに料理。
そこには地域ごとの蔵書量に驚くほどの差があるのですよ。
まず目に入るのはおかしなカテゴリー。
アメリカ、フランス、イタリアなどと同じ階層に、
アフリカや中東、南米があるじゃないですか。
国と大陸(地域(州))が同列にされちゃってる。
そして圧倒的なのはそのボリュームの差。
アフリカには54の主権国家があるにもかかわらず、
書籍量はフランスやイギリスの1/10程度しかない。
料理に関してならその差はもっと大きくなります。
試しにフランス料理と、
たとえばモザンビーク料理の文献数を比較してみて下さい。
たぶん100対1くらいの比になるんじゃないかな?
ま、これは今に気付いた話ではなく、
取材前の資料探しが難航する原因でしたからね。
コーカサス地方なんて、専門書はなきに等しい状態だったし。
今回、あらためて危うさを感じたのは、
その数少ないアフリカや中東などに関する本の著者が、
おしなべて欧米人か日本人であること。
これって、よくよく考えると怖いことだと思いません?
なぜなら、僕らが持っている知識やイメージは、
当該文化圏から直接発信されたものではなく、
そのほとんどが別の文化圏のフィルターを通したものなのですから。
そして権威に従順な優等生である僕らは、
それを事実・真実として疑うことなく受け入れている。
これは立場を変えるといかに違和感の強いものであるか、
お分かりいただけると思います。
たとえば日本とは、日本文化とはなんぞや?
という世界に向けた情報が日本から日本人が発信したものではなく、
アメリカ人やドイツ人が外国からしたものばかりだとしたら?
そしてそれを受け取った他の外国の人が、
「なるほど日本とは、日本文化とはそういうものなのか。
分かった!」
となっていたとしたら・・・
どう思います?
僕はこの透明化したバイアスは書籍に限ったことではなく、
テレビや新聞などのメディアから、
ネット空間に飛び交う情報まで遍く行き渡っているように見えます。
その結果の代表例が、
「イスラム教徒 = テロリスト(怖い)」というイメージでしょう。
ハリウッド映画でも「ムスリム = 悪役」は定番ですしね。
僕らが自らを賢いと自負しているのであれば、
まず知っておくべきは、判断材料の情報確度ではないか?
そして物事を多角的に見るパースペクティブは、
歴史や英単語の丸暗記以上に大切なのではないか?
中東に限って言うなら、
たとえば古くは十字軍を、近代でいえばアラビアのロレンスを、
アラビア半島に住んでいる人たちはどう考えているのか?
スレイマン・ムーサの『アラブが見たアラビアのロレンス』や、
マアルーフ・アミンの『アラブが見た十字軍』は、
数少ない日本語で読める、視野を広げるきっかけになると思います。
どちらが正しいか?
という二元論的ジャッジのためではなくてね。
えーじ
それは「知の偏り」。
僕らの来館目的は主に取材前の下調べですから、
うろつく書架は主に歴史や地理、旅行、それに料理。
そこには地域ごとの蔵書量に驚くほどの差があるのですよ。
まず目に入るのはおかしなカテゴリー。
アメリカ、フランス、イタリアなどと同じ階層に、
アフリカや中東、南米があるじゃないですか。
国と大陸(地域(州))が同列にされちゃってる。
そして圧倒的なのはそのボリュームの差。
アフリカには54の主権国家があるにもかかわらず、
書籍量はフランスやイギリスの1/10程度しかない。
料理に関してならその差はもっと大きくなります。
試しにフランス料理と、
たとえばモザンビーク料理の文献数を比較してみて下さい。
たぶん100対1くらいの比になるんじゃないかな?
ま、これは今に気付いた話ではなく、
取材前の資料探しが難航する原因でしたからね。
コーカサス地方なんて、専門書はなきに等しい状態だったし。
今回、あらためて危うさを感じたのは、
その数少ないアフリカや中東などに関する本の著者が、
おしなべて欧米人か日本人であること。
これって、よくよく考えると怖いことだと思いません?
なぜなら、僕らが持っている知識やイメージは、
当該文化圏から直接発信されたものではなく、
そのほとんどが別の文化圏のフィルターを通したものなのですから。
そして権威に従順な優等生である僕らは、
それを事実・真実として疑うことなく受け入れている。
これは立場を変えるといかに違和感の強いものであるか、
お分かりいただけると思います。
たとえば日本とは、日本文化とはなんぞや?
という世界に向けた情報が日本から日本人が発信したものではなく、
アメリカ人やドイツ人が外国からしたものばかりだとしたら?
そしてそれを受け取った他の外国の人が、
「なるほど日本とは、日本文化とはそういうものなのか。
分かった!」
となっていたとしたら・・・
どう思います?
僕はこの透明化したバイアスは書籍に限ったことではなく、
テレビや新聞などのメディアから、
ネット空間に飛び交う情報まで遍く行き渡っているように見えます。
その結果の代表例が、
「イスラム教徒 = テロリスト(怖い)」というイメージでしょう。
ハリウッド映画でも「ムスリム = 悪役」は定番ですしね。
僕らが自らを賢いと自負しているのであれば、
まず知っておくべきは、判断材料の情報確度ではないか?
そして物事を多角的に見るパースペクティブは、
歴史や英単語の丸暗記以上に大切なのではないか?
中東に限って言うなら、
たとえば古くは十字軍を、近代でいえばアラビアのロレンスを、
アラビア半島に住んでいる人たちはどう考えているのか?
スレイマン・ムーサの『アラブが見たアラビアのロレンス』や、
マアルーフ・アミンの『アラブが見た十字軍』は、
数少ない日本語で読める、視野を広げるきっかけになると思います。
どちらが正しいか?
という二元論的ジャッジのためではなくてね。
えーじ