長らく旅を続けていて身に付いたことがあります。
それは「ふうん・・・」という姿勢。
旅とは基本的に日常から非日常へ入ることを意味します。
それは言い換えると、
確実が不確実になることであり、
場合によっては常識が非常識になることでもある。
そこで想定しうるさまざまなリスクを減らすために、
事前の情報収集は欠かせません。
しかし、手当たり次第にネットを検索しても、
ただ混乱するか、悪くすると誤った思い込みにはまるだけなのですよ。
そうならないために必要なのはニュースを例にとると、
「事実」と「意見」を混同しないこと。
たとえばキーウで、いついつ空爆があった。
これを伝えているのが報道です。
で、この空爆について国際政治学者のA氏がCということを言った。
これはCという発言そのものが事実だったとしても、
情報の種類としては解説であって報道ではない。
一連の新型コロナウイルスの事案でもお馴染みですが、
ニュースサイトのヘッドラインを見ると、
報道より解説が圧倒的に多い。
(その理由は言わずもがなですが)
旅人として重要なのはこの違い見失わないことなんですよ。
意見は個人の考えであって、
事実とか架空とかの評価には当てはまりませんからね。
更に踏み込むと、ドライに事実を伝える報道ですら、
手放しで受け取るわけにはいきません。
なぜなら断片化した事実の組み合わせでも、
フィクションは構築可能だからです。
たとえば韓国や中国で複数回の反日活動があったとします。
そして同時に、同数の親日的な活動もあったとしましょう。
それをあるメディアがどちらか一方だけを取り上げて連日報道し、
僕らがその報道を「素直に」受け取り続けていたら、
中国や韓国についてどんなイメージを持ちます?
こうしたことから僕は、
「誰が報道しているのか?」にも着目するようになりました。
そして「誰が?」によって、
情報確度の評価もさじ加減を変えるようになったのです。
(もしくは情報ソースとしてもう使わない)
最後に重要なのが、経験と情報を混同しないことです。
たとえば政情不安定な国同士の国境を越えるとしましょう。
とうぜん「不安定」ですから、当該国政府のウェブサイトを見ても、
まともな情報は載っていません。
そこで出会った旅人に訊いてみます。
その人が実際にその国境を越えてきたのであれば(経験)、
情報確度はかなり高いです。
しかし、別の旅人の話を又聞きしただけだとしたら(情報)、
その確度は半分以下と言ったところでしょうか?
同じ意味で「事実」と「推測」や「願望」を混同しないことも大切です。
相手は事実としての経験か、それについての情報を伝えているのか?
それとも何かに関する個人的な推測や願望を述べているのか?
そんなわけで、普段でも僕は情報を収集するときに、
(ニュースのヘッドラインを俯瞰するときでも!)
「ふうん・・・」という姿勢を取るようになってしまいました。
たとえ相手がNHKであろうがBBCであろうが変わりません。
お蔭で情報の収集・分析能力は抜群!
には残念ながらなりませんでした。
オチとして白状しますが、
「事実」というのはそこに居合わせて経験しない限り、
なかなか捕まえるのが難しいのですよ。
ですから僕がアクセスできる限界は、
たいてい「このあたりなんだろうな」という点ではなく円の範囲。
それも結構ゆるい。
こういうのも歯切れの悪い大人になってしまった、
大きな理由のひとつなのでございます。
えーじ