2022年08月25日

「ふうん・・・」という姿勢

長らく旅を続けていて身に付いたことがあります。
それは「ふうん・・・」という姿勢。

旅とは基本的に日常から非日常へ入ることを意味します。
それは言い換えると、
確実が不確実になることであり、
場合によっては常識が非常識になることでもある。

そこで想定しうるさまざまなリスクを減らすために、
事前の情報収集は欠かせません。

しかし、手当たり次第にネットを検索しても、
ただ混乱するか、悪くすると誤った思い込みにはまるだけなのですよ。
そうならないために必要なのはニュースを例にとると、
「事実」と「意見」を混同しないこと。

たとえばキーウで、いついつ空爆があった。
これを伝えているのが報道です。
で、この空爆について国際政治学者のA氏がCということを言った。
これはCという発言そのものが事実だったとしても、
情報の種類としては解説であって報道ではない。

一連の新型コロナウイルスの事案でもお馴染みですが、
ニュースサイトのヘッドラインを見ると、
報道より解説が圧倒的に多い。
(その理由は言わずもがなですが)

旅人として重要なのはこの違い見失わないことなんですよ。
意見は個人の考えであって、
事実とか架空とかの評価には当てはまりませんからね。

更に踏み込むと、ドライに事実を伝える報道ですら、
手放しで受け取るわけにはいきません。
なぜなら断片化した事実の組み合わせでも、
フィクションは構築可能だからです。

たとえば韓国や中国で複数回の反日活動があったとします。
そして同時に、同数の親日的な活動もあったとしましょう。
それをあるメディアがどちらか一方だけを取り上げて連日報道し、
僕らがその報道を「素直に」受け取り続けていたら、
中国や韓国についてどんなイメージを持ちます?

こうしたことから僕は、
「誰が報道しているのか?」にも着目するようになりました。
そして「誰が?」によって、
情報確度の評価もさじ加減を変えるようになったのです。
(もしくは情報ソースとしてもう使わない)

最後に重要なのが、経験と情報を混同しないことです。
たとえば政情不安定な国同士の国境を越えるとしましょう。
とうぜん「不安定」ですから、当該国政府のウェブサイトを見ても、
まともな情報は載っていません。
そこで出会った旅人に訊いてみます。
その人が実際にその国境を越えてきたのであれば(経験)、
情報確度はかなり高いです。
しかし、別の旅人の話を又聞きしただけだとしたら(情報)、
その確度は半分以下と言ったところでしょうか?

同じ意味で「事実」と「推測」や「願望」を混同しないことも大切です。
相手は事実としての経験か、それについての情報を伝えているのか?
それとも何かに関する個人的な推測や願望を述べているのか?

そんなわけで、普段でも僕は情報を収集するときに、
(ニュースのヘッドラインを俯瞰するときでも!)
「ふうん・・・」という姿勢を取るようになってしまいました。
たとえ相手がNHKであろうがBBCであろうが変わりません。

お蔭で情報の収集・分析能力は抜群!

には残念ながらなりませんでした。

オチとして白状しますが、
「事実」というのはそこに居合わせて経験しない限り、
なかなか捕まえるのが難しいのですよ。
ですから僕がアクセスできる限界は、
たいてい「このあたりなんだろうな」という点ではなく円の範囲。
それも結構ゆるい。

こういうのも歯切れの悪い大人になってしまった、
大きな理由のひとつなのでございます。

えーじ
posted by ととら at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記