2022年09月09日

悲しき定量評価 後編

僕がなぜ、
今さら人間の定量評価に疑問を投げかけているのか?

それはこの価値観を取り込んだ結果、
悩んでいる人がとても多いからなのですよ。
ととら亭で話をしていても、
とりわけ30歳から40歳前後にかけて、
それぞれのランキングの狭間で、
揺れ動いている方が少なくありません。

共通しているのは、このランキングレースが、
遠い雲の上の存在をライバル視したものではなく、
身近な人と自分を比較するところから始まること。

職業、職位、年収から住環境、家族構成、
はてや何らかのスキルにファッション、容姿など、
対象はさまざまです。

で、自分はAさんより上だけど、Bさんより下だと自己評価する。
となるといったい何位?

そしてこれを拡大解釈し、単純に極論化したものが、
いわゆる「勝ち組・負け組」というグルーピングです。

僕はこうした話を聞くたびに、素朴な疑問を持つのですよ。

前編でもお話しましたけど、
ひとりの人間というのはとても複雑なものです。
それが先に挙げた一尺度だけで、
私は何点、あの人は何点という具合に、
定量評価できるものでしょうか?

一例をあげると、
学歴や仕事のスキルと人格というのは、
ほとんど関係ないんじゃないかしらん?
もしそうした一般的な認識が正しいのであれば、
それこそ霞が関や永田町は聖人君子で溢れ返っているはずでしょ?

その意味と残酷さを承知の上でランキングに飛び込むのであれば、
それはそれで生き方の問題です。
しかし、この本質を事前に理解するのは少々難しい。

故に、オリンピックなどで年端もいかない若者が、
このレースにしのぎを削っているのを見ると胸が痛むのです。
いや、結果は関係ありません。
なぜなら敗北は言わずもがな、
たとえ勝ったにせよ、スキルを維持するプレッシャーは、
精神的な訓練を受けていない若者にとって耐えがたいものでしょうし、
若さは当然限界がありますから、
遅かれ早かれ「落ち目」と呼ばれる敗北は避けられません。

社会には競争的な要素がある。
需要と供給が比例しない限り、この現実は否定できません。
そしてそれがイコールになる日は永遠に来ないでしょう。

しかし、競争がすべてではないし、
競争の勝利が必ずしも幸福を約束しているわけでもない。
これもまた事実なんですよ。(でしょ?)

話をミクロに戻しましょう。
僕は個人事業主として、12年以上に渡ってととら亭を運営しています。
その結果、精神的にはかつて携わったどの職業のときより楽になりました。
(肉体的にはややハードになっちまいましたが・・・)

なぜか?

それは競争という選択肢を取らなかったからです。

僕は他のお店の集客数や売上高に興味がありませんし、
孫正義さんの社会的地位や年収を羨ましいとも思わない。
グルメサイトの星の数に至っては、まったく関心がない。

僕らはととら亭という場で僕ら自身のプレイをし、
旅を続けていられれば、それだけでいい。

そう、シンプルに生きているのでございます。

えーじ
posted by ととら at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記