2023年12月31日

この1年を振り返り2023

今朝、起きたら10時を周っていました。
昨夜は目覚ましをセットしなかったのですよ。
こういう朝は年に3回もないので、
コーヒーが一段とおいしく感じられましたね。

気分がすっきりしているのは、
爆睡効果のほかに、
1年を完走した達成感があったからかもしれません。

波乱万丈がフツーの人生を自ら選んだ僕ではありますが、
この1年間は、さすがにその選択を「ちとやり過ぎたか?」
と、ため息が出たことも。

ま、よくある話ですが、
TReP(ととら亭移転計画)の詰めと並行して、
個人的なビッグプロブレムの対応をやっていたのですよ。
ですから営業と同時にそれらが大きな節目を迎えた昨日は、
さながらフルマラソンを、
いや、トライアスロンを完走したかのような気持ちになりました。

もちろん、これらの結果は皆さまのお叱りを待つまでもなく、
いわゆる「完全無欠の100点満点」ではありません。
大小合わせて無数のドジを踏みながら転がり込んだゴールです。

でもね、やったことのない目標に、
マニュアルなしでチャレンジしたのですから、
凡人の僕らにしては上出来じゃないか?
と、自己評価しています。

そう、これ以上やったら死ぬな・・・くらいコミットしたので、
ほんと、後悔はまったくないのですよ。

とはいえ、すべての結果を自力で出したとは、
いかにゴーマンな僕でも考えていません。
重要な局面だけではなく、常日ごろから、
僕は多くの人々に助けられてきました。
そのひとつでも欠けていたら、
今の達成感を噛みしめることはできなかったでしょう。

本当にありがとうございました。

そして何より、これらの結果は、僕一人ではなく、
ワイフであり、仕事のパートナーであり、
旅の相棒でもあるともこと一緒に出したことも忘れてはいません。

今年も苦労をかけたね。
どうもありがとう。

えーじ
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2023年12月30日

仕事納め2023

柴又で初めて1年を通した仕事が終わろうとしています。
初年は7月20日オープンだったので、
営業したのは5カ月余りでしたからね。

この1年間は、もうひとつ大きな前進がありました。
それはコロナ禍を越え、旅に戻れたこと。

1月のバリ島で勘を取り戻した後、
6月のインドネシア、マレーシア、タイ。
そして12月のオーストラリア。

移転も含めてかなりの紆余曲折がありましたけど、
ようやく僕たちのあるべき姿に戻れたと思います。

新しいことでは、元旦営業や、
花火大会での店頭屋台販売なんてのもありましたね。

普段は目の前のタスクにかまけて、
全体を思い浮かべる余裕なんてありませんが、
今日、この1年間の道程を振り返って見えた光景は、
どこか、ウビアの岩山から臨んだ、
アーネムランドの景色に似ているような気がします。

そう、あれは僕らにとって未踏の世界でありました。
まさに人生は旅。
それも冒険の旅なんですよね。

さて、今年もこの後のディナーが最終イニング。
僕たちらしいプレイで締めたいと思います。

えーじ
posted by ととら at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月28日

第21回取材旅行 番外編その2

帰国して10日が経ちました。

頭の切り替えが苦手な僕もすっかり柴又の日常に戻りましたが、
旅のフラッシュバックは続いています。

そこに現れるのは人。

不思議なもので、
おいしい料理や美しい風景以上に思い出されるのは、
たいてい人の印象なのですよ。

旅の途中、クーインダで出会ったマコさんとイバさんについては、
その7」をご覧頂くとして
今日は思いつくまま、
そのほかの記憶に残った人々についてお話しましょう。

まず、出発の羽田空港で。
時間が早すぎてまだ飲食店が開いていないと考えた僕らは、
行きがてらコンビニで買ったパンを持ち込み、
ボーディングゲート近くのベンチでそれを食べていました。
横にあったのはコンビニが運営している自動販売機。
すると20歳代の白人の男性が現れ、何かを買おうとしています。
僕はパンを頬張りながら、
「サンドウイッチとコーヒーかな?」とぼんやり想像していましたが、
なんと彼が手にしたのはおにぎりと緑茶。
そしてやおら床に座り込むなり、
おいしそうにもぐもぐ食べ始めたのです。
日本と和食が気に行ってくれたのかな?

ダーウィン空港では、
市内行きシャトルバスが長らく運航していないことを知り、
タクシーに乗り込んだ僕ら。
そこで初老のドライバー氏に、
「オーストラリアをレンタカーで縦断するんですけど、
 何かアドバイスを頂けますか?」と聞いたところ、
彼は親切に「田舎道では飛び出す動物に気を付けろ」から、
「アリススプリングにはいい博物館がある」など、
観光のアドバイスまでしてくれたのです。

そして話がダーウィンの戦争博物館に及んだとき、
「ああ、あれはすみませんでしたね」
と僕が日本軍の爆撃を詫びると、
「もう終わったことだよ。今では友だちじゃないか!」
こう言いながら、サンタクロースのような笑顔を浮かべていました。

テナントクリークのレストランで、
夕食を食べた僕らが通りを渡ろうとすると、
反対側にはアボリジナルのハイティーンの女の子たちがたむろっていました。
近付く僕らにそのなかの一人が、
「おじさん、あたしお腹空いてるの。それくれない?」
僕が手にしていたのは食べきれなくて持ち帰りにしたフライドライス。
「いいよ。フライドライスだけど、食べるかい?」
「うん!ありがと!」
雷雨が降り始めたので僕らはそのままホテルに入ってしまいましたが、
彼女たちともう少し話をしておきたかったな。

アリススプリングの安宿で。
チェックインの時に挨拶を交わした30歳代後半と思しき白人女性。
その後も買い出しのスーパーでばったり。そしてキッチンでも。

「よく会いますね」
「どちらから?」
「セルビアからです」
「え? それなら行ったことありますよ。
 ベオグラードとスポティザだけだけど」
「あら、それは違う国ですよ」
「え?」
「シベリアです」
「シベリア? ・・・って、じゃあ、ロシア?」

すると彼女は少しばつの悪い表情を浮かべ、

「ええ」

そうか、やっぱり気にしてるんだな。

「ああ、ならサンクトペテルブルグに行きましたよ。
 僕は東京でレストランをやっていてね。
 ロシアの料理を紹介したこともあります。
 お国の料理はおいしいね!
 次はウラジオストックからシベリア鉄道でモスクワまで行きたいな」

ここで再び彼女に笑顔が戻りました。

メルボルンで空港に向かうUBERタクシーのなかで。
ドライバーは30歳後半と思しき、パキスタン人の男性。

「移住したのですか?」
「11年前です」
「これはあなたの車?」
「そう」
「すごいですね。オーストラリアでの生活はどうですか?」
「いいですよ。コロナのときもシャットダウンされたけど、
 ちゃんと保証してくれたし。
 祖国ではこうはいきません。貧しい国ですからね」
 
「メルボルンではアボリジナルの人々をまったく見かけませんが、
 なぜだか分かりますか?」
「ああ、彼らは働かないから都会に住むおカネがないのです」
「僕はノーザンテリトリーのスーパーやショッピングモールで、
 彼らの姿をたくさん見ましたけど、収入はどうしてるのでしょう?」
「政府から生活費が出ているんですよ。2週間で800ドルだったかな?
 でも、学校に行かないから英語も話せないし、
 自分でおカネを稼ぐことはできません」

彼の口調はやや批判的なトーンを帯び、続けて、

「政府は彼らの文化と人権を認めて土地も返しているんですよ」

僕は話題を変え、

「この国でパキスタンからの移民は少数派だと思いますが、
 独自のコミュニティーはあるのですか?」
「いや、ありません。みんないろんな場所に散っています」
「それは寂しいですね」
「はい」
「ご家族は?」
「妻と子供が3人。みんなこの国で生まれました」
「いつか祖国に帰りたいと思っていますか?」

彼は少し考えて、

「いいえ。たまに里帰りするかもしれませんが、
 移り住むことはないでしょう。
 僕も家族もオーストラリアの市民権を持っていますから」

旅は出会い。
そしてその出会いには、それぞれのドラマがあります。
僕の記憶に残るのは、そうした小さな宝石なのかもしれません。

End

えーじ
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2023年12月25日

第21回取材旅行 番外編その1

今回はおまけで取材旅行の舞台裏をご覧に入れましょう。

料理の取材というからには、
対象料理を中心に、とことん食べ歩いているのですが、
「取材対象がない!」街も、ときにはあります。

困りました。

でも白状しますと、これはこれで楽しくもあるのですよ。
フリーで食べたいものが食べられますからね。
で、今回、入っておいしかったのは・・・

darwin_au.jpg
ベトナム料理 ダーウィンにて
1960年代から続いた戦争の難民が多いので、
オーストラリアで生まれた2世、3世も沢山います。
ダーウィンでは気候も近いせいかハーブがたっぷり。
ジャスミンライスもいい香り。

adelaide02_au.jpg
アフガニスタン料理 アデレードにて
中東からの難民、移民も少なくありません。
こういうところは日本と違いますね。
これはギョーザのマント。
本国は入れないので勉強になりました。

adelaide_au.jpg
アルジェリア料理 アデレードにて
難民と一言でいっても戦争のみならず、
政治や経済が原因であることもあります。
まぁ、いずれも情勢が不安定な国が多いですね。

portaugasta_au.jpg
インド料理 ポートオーガスタにて
インド系移民もたくさんいらっしゃいました。
このお店のスタッフさんは英語のアクセントからして、
幼少期に移住してきたか、
オーストラリア生まれだったんじゃないかな?
立ち居振る舞いがぜんぜんインド人っぽくない。
料理も洗練されていてお店は大繁盛。

katharine_au.jpg
中華料理 キャサリンにて
本格的な祖国の料理を出す飲食店が多いなか、
ときには怪しげなところも・・・
汁ソバが食べたかったのでメニューを指さし、
「これはスープヌードルですか?」
と白人系のスタッフに聞けば、
「はい、そうです」とのことでしたが、
出てきたのはご覧のとおりのあんかけ風五目麺。
キッチンはたぶん華人や華僑じゃ・・・なさそうですね。

mtgambia_au.jpg
タイ料理 マウントガンビアにて
ここは白人のシェフが切り盛りするレストラン。
僕らが食べた限り、
オーストリアのエスニック系レストランで共通していたのは、
ナンプラーやベラチャンなどの発酵調味料がほとんど使われていないこと。
やっぱり欧米系のお客さんには臭いが苦手なのでしょうね。
僕はちょっと物足りなかったけど。

alicesprings_au.jpg
朝食 アリススプリングにて
ここではコテージに泊まっていたので朝食は中庭で。
他のバックパッカーとの交流が楽しかったです。
彼らがキッチンで何を作っているのかも興味深かったですし。
いずれもお国柄が現れていました。

alicesprings02_au.jpg
中東料理 アリススプリングにて
物価の高いオーストラリアですが、
テイクアウト(オーストラリアではテイクアウェイ)すれば、
けっこう安く済みます。
おまけに量もこのとおり、普通でスーパーサイズですからね。
僕らはこれひとつでお腹いっぱい。

そしてさらに費用を抑えるとなれば、
自炊です。
これに尽きる。

yulara02_au.jpg
限られた器具で調理中。ユラーラにて

こんな風にスーパーで買い物をして自炊すれば、
かなりコストを下げられます。
(たとえば2リットルのミネラルウォーターが80円くらい)
たいていホテルに冷蔵庫と電気ポットがありましたし、
場合によっては電子レンジまであったところも。

そこで最も物価が高く、
飲食店の選択肢が少ないリゾートタウンのユラーラでは、
IGAというスーパーのチェーン店で買い出しをし、
ご覧のとおりの食事を楽しんでいたのです。

yulara01_au.jpg

おいしかったのはフムス。
これはトウガラシ入りやオリーブ入りなどさまざまなバリエーションがあり、
朝食のパンに塗って食べるとグッド!
また冷凍のミックスベジタブルを温め、フムスをデップにしてもイケますよ。
(中東系が多いのか、ムタバルまであった!)

ディナーのメインはインド系、中東系の電子レンジフード。
これも800円程度で安くてうまい!
お酒だって酒屋で買えばそれほど高くありませんから、
コテージで結構ゴージャスなフルコースを満喫していました。

長い旅では、こうしてたまに外食を「お休み」にして、
市場やデリカテッセンで買ってきたものを宿で食べる。
これはこれでその土地の食文化に触れられますからね。
お試しあれ!

えーじ
posted by ととら at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月23日

ここでもフツーにやってます

野方ではよく知られていましたが、
ここ柴又でも、ととら亭にクリスマスコース料理はありません。

洋食系レストランであるにもかかわらず、
お店にリースやツリーはありませんし、
僕もサンタクロースのコスプレをしていません。

なぜか?

僕らがクリスチャンではないからです。

が、いちばん尤もらしい説明なんですけど、
まぁ、そう固いことは抜きにしても、
感覚的に、もう卒業しちゃっているんですよ。

そりゃ僕だって30歳くらいまでは、
背伸びして彼女を高級フレンチに連れて行ったり、
ときにはお洒落なペンションを予約して、
(当時流行っていたんですよ)
ムフフなクリスマスを過ごしておりましたが、
さすがに40歳以降は・・・ねぇ。

それに、ととら亭が12月24日と25日は、
カップル限定みたいなムードになるのもどうかな?
と思いまして。

それで開業以来、ずっとフツーにやっているのですよ。
まぁ、こんなレストランが、
街に一軒くらいあったっていいじゃないですか。

えーじ
posted by ととら at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月20日

ととら亭再起動202312

早いですね。
柴又でも3度目の取材旅行。
帰ってきて近所のフェローたちやお客さまから、
「おかえりなさい!」と声をかけられると、
僕らもこの街の一員になれたのかな、そうしみじみ感じます。
帰る場所があり、
待っていてくれる人がいるというのは嬉しいものですね。

さて、旅行中はトイレとシャワーを除けば、殆ど一緒にいる僕ら。
しかしながら帰宅した翌朝からは違います。

ともこはそそくさと買い物に行き、
人間業とは思えないスピードで黙々と仕込みを開始。
僕はといえば、そうした彼女をわき目に、
ポストから溢れた郵便物を捌き、
その後は仕事部屋で支払いなどのペーパーワーク。

ランチのときに集まって、今後の予定を決める会議です。
2024年の予定から中短期にミッションをブレイクダウンし、
年末年始の営業予定を決めました。
おっと、これは数日以内にアップしますね。

それにしても毎回感心するのは、ともこの頭の切り替えの早さ。
一夜明けてというより、空港から電車に乗るやいなや、
既に翌日の仕事の段取りを考え始めています。
ま、そうでもしないと準備が間に合わないのでしょうね。

片や僕の担当は取材ノートのまとめや写真データの整理など、
振り返り部分が多いせいか、
なかなか通常モードに切り替わりません。
だから朝、目覚めたときに、
自分がどこにいるのか分からないのもお約束。

これ、「もし自分が××××だったら」、
と考えながら旅をする手法も影響している気がします。
たとえばオーストラリアでいうと、僕がもしアボリジニだったら、
初期の移民だったら、亡命を受け入れてもらえた難民だったら、
から、カンガルーやコアラだったら・・・
なんて想像しながら旅しているのです。
これは見る視線から見られる視線へのシフトであり、
限定的な自分のフレームから抜けて、
未知の世界へ身を投じるテクニックのひとつなんですよ。
どこへ行こうとも必ず付いて回る、
影のような「自分」という厄介なやつから如何にして遠ざかるか。
それに成功しないと、
それこそ地球の裏側にいても柴又にいるのと同じですからね。

さて、そんな戯言は脇において、今日からランチ営業再開です。
コロナ禍が日常化して初めての年末年始はどうなるのか?
この夏もそうでしたが、煩わしい規制から解放されて、
街行く人々の楽しそうな笑顔を見ていると、
なんだかこちらまで嬉しくなってきます。

2年目の柴又の年末。
どんな展開になるかな?

Let's dive into the unknown future!

えーじ
posted by ととら at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月18日

第21回取材旅行 その12 最終回

日本の皆さま、おはようございます!
昨夜22時20分、僕らは無事、柴又に帰ってきました。

一昨日まで暖かかった関東地方も、
昨日からは冬らしい天気に戻ったようですね。
一時は最高気温44度のレッドセンターにいた僕らですが、
最終目的地のメルボルンへ向けて南下するにつれ、
気候は東京の秋に近くなりました。
これなら体の環境適応は、
明後日お店を再起動するまでの2日間で十分かな?

いやはや、やっぱり自宅に帰るとホッとします。
旅の間は予算の都合でどうしても不便が多いのでね。
順番を気にせずトイレやシャワールームを使い、
(共有バス・トイレの宿がよくありまして。
おまけにビッグブラザー型ホテルが2軒も!)
清潔なベッドで大の字になるだけで、
疲れた体が癒される気がします。

この齢にしてなお初挑戦の多い旅でしたが、
最終的に大きなトラブルもなく、
復路の機内では映画を観ながらのんびりしていました。
と申しましても先日お話しましたように、
小さなサプライズは付きものですから、
こういう旅はお勧めできませんけどね。

で、最後に待っていたサプライズは昨日の早朝。
タクシーを6時に予約しておいた僕らは5時半に起き、
最後のメールをチェックしてみると・・・

「おいおい、当日の朝3時に連絡されてもなぁ」
「どしたの?」
「カンタス航空からショートメールが来ていて、
 出発が2時間遅れるってさ」
「え? じゃあタクシーどうする?」
「といっても乗車15分前じゃ、どうにもならない。
 予定通りホテルを出て、空港でゆっくり朝食を楽しむか」

というわけで、
6時半にはメルボルン国際空港に着いていましたが、
さいわいカンタス航空はチェックインが出発3時間前から開いており、
メインの重いバックパックを預けることにしました。
するとカウンターのグラウンドスタッフさんが、

「2時間遅延の件はご存知でしょうか?」
「ええ、ま、そんなこともありますよ」
「ご迷惑をおかけしております。
 お詫びにこれをどうぞ。
 15ドル分のバウチャーで空港内であればどこでも使えます」

捨てる神あれば拾う神あり、ってことか?

「やった〜! 二人で30ドル分もあるよ!」
「身軽になったことだし、それじゃさっそく朝食にしよう!」

復路の機内は8割ほど客席が埋まっていました。
しかし、これまでと違うのは、
往路と同じく日本人の姿が少ないこと。
僕らのようなバックパッカーに至っては、
ターンテーブルの荷物を見ていても、
まったく見当たりませんでした。

まぁ、この物価高を考えれば無理もないでしょう。
空港やコンビニでは500mlの水が最低350円、
ファーストフードでも満腹の価格は概ね1700円前後します。
宿代はドミトリーで6,000円台、
僕らが泊まったホテルでは最低価格が7,000円台、
(この価格帯はたいていバス・トイレ共有です)
観光地や僻地の一軒宿で仕方なく泊まったホテルは、
内容はしょぼくてもダブルが一泊16,000円前後しましたからね。
(泣ける・・・)

それでも旅人には魅力的な自然と文化に恵まれていますし、
僕らが「当たり前」に思っていることの根底を考え直す、
リアルな現実を学べる場所でもあります。
いつか、もう少し旅のハードルが下がることを祈ってやみません。
特に若い旅人たちに行って欲しい国でもありますからね。

さて、今日は旅装を解きつつお店の再起動に入ります。
実はここから年末年始を越えて、
来年の桜が咲くころまで、怒涛のスケジュールとなっておりまして。
ま、これも旅と言えなくもないんでしょうね。
終わりはまた次の始まり・・・か。
それじゃ、ここからまた行ってみますか!

End

えーじ

ururuus_au.jpg
See you on the next TRIP!!
posted by ととら at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月16日

第21回取材旅行 その11

明日は早朝にチェックアウトして空港に向かうため、
今日が実質上のオーストラリア最終日。
締めくくりとして午前中から南半球最大規模といわれる、
クィーンビクトリア・マーケットに行ってきました。

そこで素材と行き交う人々を見回しながら、
僕らが結論したのは、食文化の融合には時間がかかる、ということ。
草の根レベルで食べ歩いても、
まだオーストラリアの食文化は移民の国ごとに独立しており、
アメリカのケイジャン料理やテックスメックスのように、
独自の進化を遂げるレベルには達していなかったのです。
まぁ、オーストラリアの建国は1901年。
片やアメリカは1776年ですから、もう100年ほど経てば、
オージー名物が生まれるかもしれませんね。

実際、その可能性は既に芽生えていて、
白人がアジア系の料理に、アジア系が欧米の料理に馴染んでいる姿は、
街の大小にかかわらず、どこでも普通に見られました。

しかし、僕らが最もフォーカスしたアボリジナル系の食文化は、
食材レベルですら交じり合っていなかったのが残念でしたね。
その想定される理由は長くなるので、ここでは割愛しますが、
オーストラリアだけではなく、
異文化の侵略を受けた世界中の部族社会に共通する、
実に根深いものがあったとだけは言っておきましょうか。

さて、それでは遅ればせながら、
取材した料理のサマリーをお見せしましょう。
まず、アボリジナルの食材を取り入れた料理から。

bushsalad_au.jpg
ブッシュタッカーを使ったサラダ
素材の淡い味わいがバルサミコビネガーに負けて主客転倒に。

loosand_au.jpg
カンガルー肉のサンドウィッチ
シカ肉に近い味と食感。
写真の厚さだと嚙み切れないので、
一口目で肉だけずるっと出てきてしまいます。
だからミンチにしてグリルした方がおいしいと思うな。
味付けもウスターソースみたいに主張が強いものではなく、
ハーブかスパイスで輪郭を付けてはどうかしらん?

crocpizza_au.jpg
クロコダイルピザ
これも臭いが気になるのかウスターソース味なので、
肉そのものの味が分かりませんでした。

御覧のとおり、
いずれも西欧料理の材料を現地の素材と入れ替えただけですから、
目につく変化はありません。
また、どれも日常的な料理ではなく、
観光地的要素が強いものとなっています。

なかにはブッシュタッカーを積極的に用い、
オーガニック路線の創作料理も生まれてはいましたが・・・

croquet_au.jpg
キャッサバとブッシュタッカーのコロッケ
くせがなくジャガイモよりクリーミーな食感。

shellandcake_au.jpg
ローカルバジルとカボチャのケーキ(左)と、
アサリとマカデミアナッツのタマリンド・ガーリックソース和え(右)

まだごく限られた範囲でしかなく、
素材も市場で日常的に入手できるものではありません。

で、やっぱりポピュラーなものはといえば・・・

barger_au.jpg
これですよこれ! 説明不要ですね。
個人的にはアデレード発のチェーン店、Grill'd がお気に入り。
どこで食べてもすんごいボリュームです。

barrabarger_au.jpg
淡水スズキのバラムンディを使ったバラバーガー。
大型フィレオフィッシュの野菜増量版という感じ。

hotsand_au.jpg
ロードハウスでサンドウィッチといえばホットサンド。
バーガー系は重いので、移動中にしばしば食べていました。
僕はハムとチーズのクロックムッシュタイプが好き。

hotdog_au.jpg
これもまたロードハウスでないところなし。
バリエーションはバーガーほどありませんが、
店によって味の差が意外と大きいです。
おいしいところはパンがカリっと焼き立てで、ソーセージも熱々。
写真はハラペーニョとキュウリのピクルスをトッピングしていますけど、
シンプルなマスタードのみが通・・・かな?

ノーザンテリトリーから南オーストラリア州まで南下する間の、
ロードハウスで定番なのは、こうしたシンプルなものが主流。
しかし、レストランでは、より料理らしい料理も楽しめます。
代表的なのは・・・

pie_au.jpg
パン生地のパイは美味しかったですね。
写真は友人のラファエルお気に入りのノースアデレードにある店のもの。
パイはロードハウスでもよくありますけど、
機会があったら専門店でどうぞ、
これならととら亭で再現してもいいかな?

fishandchips_au.jpg
フィッシュアンドチップス
イギリスの移民が多いせいか、
イギリスの国民食ともいえるフィッシュアンドチップスもポピュラーです。
特にグレートオーシャンロードのような海沿いの街はお勧め。
僕は本家のワゴンで買った、
新聞紙包みバージョンしか食べていなかったので、
オーストラリアで食べたのは油っぽくなく、洗練された印象を受けました。

parmigiano_au.jpg
チキンパルミジャーナ
これはチキンカツに生ハムとチーズを乗せ、オーブンでこんがり焼いたもの。
シュニッツェルの呼称でシンプルなチキンカツやビーフカツもあります。
最初は大きさに圧倒されてしまいましたが、
僕らが食べたのは意外と油っぽさがなく、ぺろっと完食。

これらの他に、もちろん韓国、タイ、ベトナム、中国、マレーシア、インドのほか、
イタリア、ギリシャ、スペインの移民が経営する飲食店は数多くあり、
なかにはアルジェリア、エチオピア、
トルコなどの料理を出す店も混じっていました。
おっと、忘れちゃいけない、和食も寿司を中心に大盛況。

きっと、100年後のオーストラリアでは、
こうした要素が独自に融合した料理が生まれていることでしょう。
人間の文化というのは、そうしたものですからね。

それでは次は冬の入り口に戻った東京から!

tomoko01_au.jpg

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月15日

第21回取材旅行 その10

ゴ〜〜〜ル!

本日16時59分、僕らは無事、メルボルンに到着し、
レンタカーを返しました。

16日間の走行距離数は延べ5216キロメートル!
(日本最西端の与那国島から北海道の宗谷岬までの、
列島総延長3500キロメートルより長い!)
平均すると1日326キロメートルですが、
移動しなかった日もあるので1日の最長記録は、
キャサリン、テナントクリーク間の675キロメートルでした。

これはオーストラリア人も驚きの数字のようで、
アデレード以降に「どこから来たのですか?」と聞かれて、
「ダーウィンから走って来ました」と答えると、
皆さん揃って「え”〜っ!」とのけぞります。

ま、ローカルもこういうクレイジーなことはやらないってことなのかな?

それにしても、われながらよく無事に終わったと思いますよ。
いや、昨日までは問題なかったのですが、
最大の山場が、なんと今日の午後に待ちうけていたのです。

先日、オーストラリアは交通量が極端に少ないって話したでしょ?
それは自動車に限らず、人も同様で、
たとえば18時を回ったダーウィンの中心地にあるアーケードなんて、
ほとんどがシャッターを下ろし、気味が悪いくらいでしたからね。
アデレードですら19時に駅に行ったら、飲食店はみな閉店しており、
改札も閑散とした状態。
電車に乗れば1両に乗っている乗客は10人にも満たないのです。

しかし、
その印象のままメルボルンにアプローチしたのが間違いでした。

ポートキャンベルからグレートオーシャンロードの東側始点、
ローンまでは長閑なムードを楽しみながら走っていたのですが、
その先のジーロングからハイウェイに入ったら、
交通量がみるみる増え、シティの直前では、
「ここは東名高速の用賀インターか?」なカオスに。

レンタカー会社まであと5キロに迫ったときには、
複雑な道路と混みあう自動車にもまれ、
若葉マークのドライバーが、
平日朝8時の環八を走っているかのようになってしまったのです!

いやはや肝を冷やしました。
ともこも、googlemapのナビに振り回され、
「次を左ね・・・あ、違う! 変わっちゃった!
 まっすぐ、じゃなくて右! ああ! 過ぎちゃった!」
と隣で叫びっぱなし。

豪ちゃんを実家に帰したときには、
ふたりとも疲れ果ててしまいました。
ともあれ、これでオーストラリアの縦断コンプリート!
明日は市場取材のほか、帰国前にノートまとめです。

はぁ〜・・・今日はもう寝よう。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月14日

第21回取材旅行 その9

日本を出国したときは円安も最悪の150円台後半。
それが3週間も経たずして、
140円台前半に落ちたのはラッキーでした。
(植田さん、さんきゅです)
何といってもオーストラリアの物価高は、
バックパッカーの間でも以前から有名でしたからね。

とりわけノーザンテリトリーのジャビルーやクーインダ、
ユラーラは観光地価格でレギュラーガソリンがなんとリッター280円台!
食費もレストランで一品2,000円以下はまずありません。

キャサリンやアリススプリングなど、
比較的大きな街はともかく、テナントクリークや、
エルドゥンダ、クーバーペディともなると、
物価は日本でいうところの「離島価格」なんですよ。
たとえば1.5Lのミネラルウォーターの値段が、
いちばん高かったエルドゥンダで1本600円!

しかし、それをぼったくりとは言えないことが、
自分で走ってみてわかりました。
「陸の孤島」とは例えではなく、実際そのとおりなんですよ。
小さな町は道路以外に人間の痕跡がない荒野に囲まれ、
最も近い町まで自動車を時速100キロ以上で飛ばして、
1時間はかかるのですからね。

それこそ事故や健康上の緊急事態が発生した場合、
救急車などでは間に合いませんから、
飛行中に医療行為ができるドクターヘリを飛ばすそうな。
場所によっては普段でも学校に通えませんから、
衛星通信でリモート授業が当たり前とか。
なんともスケールの大きな話です。

スケールといえば、今日も時刻変更線を越えました。
マウントガンビアを出て20キロほどで、
南オーストラリア州からビクトリア州に入り、
時計がさらに30分進んだのです。
というわけで、僕らは到着したシドニーと同じく、
日本の2時間先の未来にいます。

さて、アデレードでは、
野方時代の友人、ガビー&ラファ夫妻と夕食をともにしました。
彼女たちは日本に4年ほど住み、SFX関連の仕事をしていましたが、
僕らが野方の店を閉店する1か月前、拠点をアデレードに移していたのです。
旅立ちのときに「会いに行くからね!」と言ってはおいたものの、
さすがに「いまダーウィンにいるよ〜」とのメールには驚いていましたね。

仕事はかなり忙しいらしく、なるほど「最近手がけたのは?」と聞けば、
マーベルの「ソー ラブアンドサンダー」、
なんてメジャーな作品名が飛び出して驚きました。
オーストラリアでのワーキングビザが切れる4年後には、
ロンドンに移る予定とか。
ん〜・・・次はイギリスか・・・
僕らの予定では来年の秋なんですよね、西ヨーロッパを周るのは。
ま、その前にガビィたちが日本に来るかもしれませんけど。

と次の旅の話をする前に、明日はこの旅の最終目的地、メルボルンへ移動です。
今日投宿しているポートキャンベラ周辺のグレートオーシャンロードは、
レッドセンターとはまた違う壮大な美しさです。

gor01_au.jpg

明日の朝の天気はどうかな?
それではおやすみなさい。

to be continued...

えーじ

withangels_au.jpg
With Angels, Gaby and Raf
Thanks guys!
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2023年12月12日

第21回取材旅行 その8

「へぇ〜、オーストラリアに行ってるんだ!
 ん? でも、ここどこ?」

中東やアフリカ、南米の国々と違い、
オーストラリアは日本人にとって身近な渡航国。
ととら亭のお客さまでも「行ったことあります!」という方は、
結構いらっしゃいました。

しかし、たぶん今回のブログの写真をご覧になると、
ウルルを除けば「ここどこ?」な場所が多いかもしれません。
実際、シドニー以降で日本人の姿を見かけたのは、
ユラーラだけでしたからね。
たいてい僕らが旅するルートは一般的ではないのですよ。
料理があるのは中心だけとは限りませんし、
シティ派でもないからかな?

ということは、その逆もまた然り。

2日前、久しぶりの都会、アデレードに近付いたあたりから、
逆にそわそわし始めたのは僕らの方。
赤信号の左折で停まっていたら、
後続のバスからクラクションを鳴らされ、
(日本はこれだと左折NGですが、オーストラリアはオーケー)
駐車するにも「3P 8:30am-6:00pm」ってどういう意味?ってな調子。
そしてフツーに見かけるようになった日本人の姿。
(というか、日本食のレストランがいっぱいある!)

それから毎回お約束のサプライズですが、
初の海外レンタカー走行にもかかわらず、
今のところビッグなトラブルはなし。

え? つまんない?
そんなこと言わないで下さいよ。
孤立無援で対応するのは大変なんですからね。

それじゃ、ここまででいちばん驚いたことをお話しましょうか。
あれはエルドゥンダのモーテルで爆睡していたときのこと・・・

ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!

「おわ! なんだなんだ?」
「何この大きな音?」

ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!

「明かりを点けて!」

ピーッ!ピーッ!

「あ、止まった」
「何が鳴ってたんだ? あんな音を出すものなんて持ってないぞ」
「いま何時」
「2時半だ。まったく!」

ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!

「うわっ! まただ! どこから聞こえる?」
「えっと・・・天井あたりじゃない?」
「天井だって? ってことは・・・あれか!」

見上げた場所にあったのは火災報知器。
温度か煙に反応するタイプです。

「火事なの?」
「ちょっと待った。見てくる」

室内には煙や臭いはなく、熱をもっているものもなし。
ドアを開けて見回してみましたが何の異常もありません。

「誤報か?」

ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!

「うわっ! また始まった!」

見れば火災報知器に付いている赤いLEDランプが点滅しています。

「やっぱりこいつか」
「壊れてるの?」
「らしいな。まったく、早いとこ止めないと寝られやしない」

そこで僕は机を火災報知器の下に移動してその上に上がり、

「どうするの?」
「この騒ぎで誰も駆け込んでこないということは
 こりゃスタンドアローンのバッテリー駆動型だ」

僕はケースを取り外そうとしましたが、なかなかうまくいきません。

ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!

はいはい、いま黙らせてやるからな。

「ちょっと! 壊さないでよ!」
「いや、もう壊れてるのさ」

そうこうしていると、天井に固定しているネジがひとつ落ちました。

そうじゃなくて、カバーが外したいんだけどな。
回すのか? いや、どこかを押すのかもしれない。

そしてまたネジが落ちると、火災報知器が天井から外れてしまいました。
しかしコードが接続されており、天井からぶら下がった状態に。

firealerm_au.jpg

なんだこいつ、スタンドアローンじゃないのか。
でもまだ誰も来ないってことは、その先も機能してないってことだな。

ここでケースのヘリを押し込むと、ようやく蓋がはずれ、
中に12Vの角電池が見えました。

これだ!

ピーッ!ピーッ!ピーゥゥゥ・・・

ふぅ〜・・・やれやれ。

「壊しちゃったの?」
「壊れてたのを止めただけだよ。電池を外してね」
「怒られない?」
「写真を撮っておいて、チェックアウトのときに説明するから大丈夫」

ってわけで再びベッドに戻り、翌朝フロントの女性に説明したら、

「あら、そんなことがあったんですか!
 たいへん申し訳ございませんでした」
「いや、取り合えず自分で解決したからいいのですけど、
 今こんな状態なので、あとはよろしくお願いします」

と写真を見せてクローズ。

これ以外にも、

電車を降りたのはいいけどホームに出口がない!
→ ホームの端に上から見えない塹壕のような階段があって、
  地下通路に繋がっていた!

ホテルにチェックインしようとしたらレセプションがない!
→ レストランの2階がホテルになっており、
  バーカウンターがレセプションを兼ねていた。

朝食を食べにホテルを出ようとしたら閉じ込められた!
→ レストランを抜けて外に出るのですが、
  9時までレストランは閉まっているので通れません。
  しかし掃除の人に聞いたら外へ出る別のルートを教えてくれた。

など、小さなサプライズは毎日なにかしら起こっていますが、
都度、人に聞いたり、表示や周りの状態を観察して、
ひとつずつコマを進めています。

明日はグレートオーシャンロードへの経由地、
マウントガンビアに向けて出発。

ビッグサプライズが起こりませんように。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月09日

第21回取材旅行 その7

平均時速110キロ。
地平線まで真っ直ぐ伸びるハイウェイを走っていると、
ここは島国ではなく、大陸なんだなぁ・・・
そう肌で感じることができます。

そしてその感覚を増幅するのが交通量の少なさ。
オーストラリアの国土は日本のほぼ20倍もありますが、
反対に人口は東京都民の倍程度しかいません。
しかも、そのほとんどがケアンズからシドニーまでの東海岸と、
南東海岸のアデレードとメルボルンに集中している。

なるほど20年ぶりの運転で路上教習レベルだったともこが、
カカドゥハイウェイのクーインダ、キャサリン間を走ったとき、
2時間余りで対向車はたった2台、後続車に至ってはゼロという、
ほとんど国道の「貸し切り」状態。
ここ数日走り続けている動脈のスチュアートハイウェイですら、
1時間で対向車は10台もすれ違わないのです。

この2日間はそんな道をひたすら走り続ける移動の日々でした。
昨日はエルドゥンダからクーバーペディまで487キロメートル、
今日は535キロメートルを走ってポートオーガスタに到着。
ついに大陸縦断達成! スチュアートハイウェイも完走!
ダーウィン以来の海、スペンサー湾はすぐ目の前です。

ああ、大陸の大きさを感じたことがもうひとつありました。
エルドゥンダから100キロほど南下したあたりで、
ノーザンテリトリー州から南オーストラリア州に入ったのですが、
この州境は時間変更線でもあるのですよ。
そう、ここで1時間、時計が進んで、
僕らは今、日本より1時間30分先の未来にいます。

見渡せば360度の地平線。
自動車も、人影もなく、世界の中心にただ僕らだけ。
南へ、南へ、そして南へ。

気候は熱帯からサバンナ、砂漠へと移り変わり、
気温も30度台前半から最高45度へ。
それが温帯のポートオーガスタでは曇りときどき雨ということもあって、
20時過ぎの現在、17度まで下がりました。
このギャップは大きい。
こうなると体調管理が難しいんですよね。
さいわい僕らは今のところ元気ですが。

さて、自動車の旅は移動中ふたりきりですけど、
今回もここまでにいろいろな出会いがありました。
その中のひとつがクーインダのカルチャーセンターで会った、
アボリジニのイバさん(中央)と日本人のマコさん(右側)。

culturecenter_au.jpg

まず驚いたのがチェックインのときです。

「こんにちは! 日本人の方ですよね?」

頭が英語モードになっていた僕は、
ともこ以外の声で突然後ろから話しかけられた日本語にはっとなりました。
振り返ると、そこにいたのはどう見ても旅行者ではありません。

「やぁ、こんにちは。こちらで働いていらっしゃるのですか?」

聞けば、勤務先は隣接するカルチャーセンターですが、
ホテルのフロントにいた男性は彼女のご主人で、
珍しい日本人の来客があったと呼び出されたそうで。

なんでもカカドゥ国立公園に来る日本からの旅行者は少ないらしく、
(まぁ、そうでしょうねぇ・・・)
日本人客はオーストラリア在住者がほとんどとのこと。
僕らの目的を話すと、アボリジニのイバさんが、
敷地内でブッシュタッカーのレクチャーをしてくれることになりました。

bushtacker01_au.jpg
真剣な顔つきで先生の後に続き・・・

bushtacker02_au.jpg
ともこが摘んだブッシュフィグ。甘酸っぱくておいしい!

アボリジニは狩猟採集民。
その発想とスキルは農耕民の末裔である僕らとはかけ離れたもので、
彼女たちにとって自然界はいわばマーケットなのです。
食べられるもの、食べられないもの、食べてはいけないもの、
その識別眼は一度聞いて、
はいそうですか、と真似できるものではありません。
また、季節の読み方も、
天気予報に頼り切りの僕らには想像もできないレベル。
まったくをもって羨ましい限りでした。

マコさんは世代こそ違いますが、僕らと同じ旅人。
長らく東南アジアを旅してオーストラリアにたどり着き、
ワーホリをするうちに日本に帰る気がなくなったとのこと。
自分が何をしたくて、何をしたくないかを知り、
限られたリソースを最大限に活かしながら運命を切り開くスキルは、
まさに手練れの旅人のもの。
短いながらも彼女との対話から、
僕は世代を超えて受け継がれる旅人のリネージを感じました。

明日はいよいよ旅の後半、アデレード。
そこでは野方時代の友人とも会う予定です。
2年ぶりか・・・
メールでやり取りしている限り、ぜんぜん変わっていなさそうですけど、
楽しみだな。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月07日

第21回取材旅行 その6

日本を出て11日目。
この旅も折り返しになりました。

そこで僕らは今、どこまで来ているのかと申しますと、
スチュアートハイウエイとウルルヘ続く、
ラセターハイウェイのT字交差点にあるエルドゥンダというところ。

ここはオーストラリア大陸のほぼ中心。
レッドセンターとも呼ばれる砂漠気候の土地です。
午後2時の気温は44度。
こうなるとエアコンの効いたモーテルの部屋や自動車の中は、
一種のシェルターのよう。
熱風が吹く外は人間が活動できる状態ではありません。
僕らはここに到着するなり、部屋の中へ閉じこもってしまいました。

どこへも行けない理由は他にもありまして。
エルドゥンダは街というより小さな集落なんですよ。
僕らが投宿している一軒宿のほか、
ロードハウスと呼ばれるガソリンスタンドと簡易食堂、雑貨屋、
バーを兼ねた店しかありません。
ここから一番近い街らしい街は200キロ北のアリススプリング。
そう、まさに陸の孤島といった感じ。
とうぜんスタッフの方々も「通勤」などできるはずありませんから、
広いモーテルの敷地内にあるスタッフ棟に住み込んでいます。
ま、ある意味、大陸を感じさせる場所ではありますね。

しかし、料理を探して、
こうした場所ばかり巡っているわけではありません。
「アボリジニの文化と自然環境」をテーマに、
レンタカーを走らせていたのは・・・

antmound01_au.jpg
アーネムハイウェイに散在する巨大なアリ塚

最初は「あのミニチュアガウディ建築」みたいなオブジェは何だ?
と運転しながら思っていたのですが、
これがアリ版のタワーマンションとは!
ともこと比べてどうです? 4メートル前後の高さがありますよ。
ん〜・・・アリの中にも建築家やゼネコンがいるのかしらん?
触ってみたら岩のように硬かったです。

ubirr01_au.jpg
ウビアの岩山から臨むアーネムランド

40度を超える酷暑の中のトレッキングは厳しいものがありましたけど、
岩山の上でこの風景を目にした瞬間、すべての苦痛を忘れました。
僕らは二つの世界観の境界線上に立っていたのです。
ここには写真や言葉では表せない、
美しさと、畏敬の念と、悲しさが満ちていました。
アーネムランドとは、アボリジニの領地。
一般人は許可なくして立ち入ることはできません。
一生忘れられない経験でした。

ubirr02_au.jpg
ウビアの岩山に残るロックアート

正確にはアートではなく、シンボルと物語だと思います。
これが何を表すかだけではなく、
彼らがなぜこれを、ここに描いたのか?
そして誰がいつ、誰に、どのようにして説明したのか?
それを知ることが、この旅のテーマでもあるのです。

yellowriver01_au.jpg 
カカドゥ国立公園 イエローリバー

熱帯地域に広がる広大な河川と湿地帯。
ここには複雑な生態系と、
時計では測れない自然のサイクルがすべてを支配しています。

yellowriver02_au.jpg 
野生動物の宝庫

クーインダからクルージングに参加した僕らは、
さまざまな野鳥から昆虫のほか4メートルを超えるイリエワニまで、
実に多くの動物たちを近くで見ることができました。
5メートル前後のクロコダイルがボートに突進してきたり、
毒ヘビやサソリも普通にいるので、
さすがにここは単独で入れる場所ではありませんね。

devilsmarble02_au.jpg 
デビルズマーブル

テナントクリークから100キロメートルほど南下したと所にある巨石群。
自動車との比較で大きさがお分かりいただけるかと思います。

devilsmarble01_au.jpg

ここにこの巨石があること自体、不思議なのですが、
人為的にやったとしか思えない配置や、
まるでポテトを包丁で切ったかのような切断面を見せる岩石群は、
見れば見るほど分からなくなってきます。
こうしたことを説明するために生まれたのが神話なのかもしれませんね。

ururu01_au.jpg
ウルル(エアーズロック)

そして一昨日から僕らが滞在していたのがここ。
ウルル・カタジュタ国立公園です。
ウルルはこの距離で見ると、美しいとか、大きいとかではなく、
言葉にならない、別の生命体による神殿ともいえるような、
荘厳な雰囲気に包まれていました。

ururu02_au.jpg
ウルルのベースウォーク

サンライズポイントから朝日に輝くウルルを見た後、
僕らは約9キロメートルの外周を歩くベースウォークへ。
これは実に素晴らしい経験となりました。
何といってもウルルに自分の手で触れられますからね。
それに近くで見ると、一枚岩ではなく、
化石化した巨大な生物のような感じもします。
(ナウシカのオームみたいな)
トレックを包む植生も高山植物のようでユニークでした。
(腐海の植物みたいで)

ururu04_au.jpg
ウルルと月

これは合成ではありません。
ベースウォークの途中で偶然カメラに収めたものです。
アボリジニの世界観が感じられた一瞬でした。

katatjuta02_au.jpg
カタジュタ(オルガ岩群)

ウルルから45キロメートルほど西にある巨石群。
ウルルと同じくアボリジニの聖地なので、
撮影不可、立ち入り禁止の場所が広範囲にあります。
撮影に関する彼らの考え方が、世界観を理解する一助にもなりました。
世界を律する聖なるものは、あるべき場所にあらねばならない。
故に写真などで場所が変えられてしまったり、
コピーして分裂したりすると、世界の秩序が崩壊してしまう。
気候変動を目の当たりにする僕らにとって、
実に含蓄のある考え方だとは思いませんか?

katatjuta01_au.jpg
カタジュタの風の谷へ続く道

聖なる場所にあるすべてのものは、
聖なるものたちからのメッセージである。
そう聞かされて踏み込んだカタジュタの風の谷は、
僕らのわからない、
さまざまなコトバで話しかけてきているような気がしました。
自然はつねに僕たちに語り掛けている。
ただ、僕らがそれに耳を貸さないだけ。
僕には風の音や、鳥の声や、虫の羽音しか聞こえませんでしたが、
心を開いたものには、
そこに何かのメッセージを聞き取れるのだろうなぁ・・・

いかがでしょう? ざっとダイジェストになりましたが、
料理取材のコンテクストとして、僕たちがどんな旅をしているのか、
お分かりいただけたのではないか思います。
明日からはアデレードを目指し、まずクーバーペディまで南下します。
旅の後半、ふたたび海が見えるのは何日後かな?

to be continued...

えーじ

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ベースウォークの途上にて
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2023年12月04日

第21回取材旅行 その5

今日はお休み。

長い旅に出ている間は、日本で働き詰めの日々と違って、
移動やお仕事から観光も行わない、のんびりした日を週に1日は設けます。
今回は自動車の運転があり、疲労の蓄積は禁物ですからね。

運転といえば、交通ルールが若干日本と違うところも要注意です。
出発前に先行した旅人たちから頂いたアドバイスのとおり、
「おっと、こりゃなんだ?」が度々現れてきます。

ハードルが低い順に申しますと、
まずはラウンドアバウト。
日本では沖縄の嘉手納と糸満で走ったことのあるロータリー交差点のことで、
右側優先、時計回りで走ります。
これは仕組みさえ分かっていれば、2、3回通過するだけで慣れるかな?

次が信号の色と違う色の矢印。

traficsignal_au.jpg
これは日本でもよくある青矢印バージョン

たとえば昨日、アリススプリング街中の交差点で右折しようとしたとき、
上の写真とは逆に、
青信号の下で赤い右向き矢印が点灯していました。
「・・・?」となっているとすぐに後続車が・・・
とっさの判断で「国際ルール上、青は許可で赤は禁止」ということは、
僕はこのまま停止しているべき! で、正解でした。
ほどなく赤の矢印が消え、青信号のみになって発車。

それからロードトレイン。
これ、道路を列車が走っているのではなく、
多重連結トレーラーのこと。

roadtrain_au.jpg

僕らは4両編成までしか遭遇していませんが、
中には全長100メートルにもおよぶ車両もあるそうな。
これが時速100キロ以上のスピードで走ってくるのですから迫力ありますよ。
追い越しも普通でいうと4台連続ごぼう抜きと同じなので、
長い直線で、かつ対向車に十分注意しながら抜く必要があります。
親切なドライバーが多いのか、トラック側からウインカーで、
「今ならいけるぞ!」と教えてくれることもしばしば。

cows_au.jpg

そしてこれ。
家畜、野生を問わず、動物が道路に出てきます。
この4日間だけで、御覧のとおりの牛のほか、
カンガルーがぴょんぴょん飛び出して来たり、
1メートルくらいのヘビが横切ったり、
自殺志願のトカゲが道路で寝転んでいたりします。
さいわいでかいバッファローやロバの群れは、
道路わきでおとなしくしていましたが、

donkys_au.jpg
道路わきにいたドンキーズ。家畜か?野生か?

連中もいつ気が変わるのかわかりませんから、
制限速度130キロの道路でも、絶えず路肩に注意を配る必要があります。

ともあれ、いちばん危ないのは眠気かな?
午前中はいいのですが、ランチの後に単調な直線を走っていると、
やっぱり欠伸が出てきます。
なので午前中は100〜150キロ間隔で、午後は1時間おきにドライバー交代。
これはオージーも同じようで、長い直線の後のカーブでは、
たいてい道路に色濃いスリップ痕が付いています。
そしてその線は道路の外に向かって消えており、ということは・・・

crushedcar_au.jpg

なるほど時々大破した自動車をブッシュのなかに見かけるわけです。
そして道脇に立つ十字架・・・気をつけねば。

それから運転以上の難易度を想定していたのが取材。
皆さんも今回の話を聞いて「オーストラリア料理?」だったでしょう?
移民の国で各国の文化が融合するにはかなりの年月がかかるものです。
食というのは元来、保守的な傾向が強いですからね。
故にアメリカのケイジャン料理やテックスメックスを除き、
カナダとニュージーランド、オーストラリアで、
固有の料理を探すのは難しいと言われています。

そこで僕らが着目しているのはアボリジニの文化とのフュージョン。
しかし、そこに立ちはだかっていたのが実にディープな問題でした。

街中で目にするアボリジニと白人の関係は、
単一民族幻想が未だ残る日本人にとって、
なかなか理解が難しいことかもしれません。
それというのも、ここには原住民と占領民、狩猟採集文化と農耕文化、
部族社会と国民国家という、複合的な対立構造が入り交じり、
単純な善悪、優劣、正誤等の判断が入る余地なんてまったくないからです。

たとえば、オーストラリアでも、
政府主導で白豪主義(ほとんどアパルトヘイト)の反省から、
1974年に多民族主義が取って代わりましたが、
実際のところは南アの現状と同じく、
微妙なものを僕は個人的に感じ取っています。

根の深さは単純な「人種差別」のレベルにとどまらず、
「文化抹殺」としかいいようがないものなのではないかと、
思えてならないときがあるのですよ。
それはすなわち、欧米の文化こそが人類の頂点であり、
他の文化圏の人々は、これを鑑として精進(模擬)すべし、という、
透明な同化政策の空気をね。

しかし、貨幣や文字、住所、時計が刻む時間という概念がない、
狩猟採集文化圏のアボリジニに、
Made in Europaの文化スキームを力で押し付けても、
よし、ならば白人のように英語を身に着けて、
学校で勉強して、タイムカードを押して働いて、税金を払おう!
とはならないのですよ。(アフリカや中東の部族社会がそうであるように)
だからアボリジニ「経営」の店が見つからないのではないかという懸念が、
出発前から僕らにはあったのです。

有色人種の「白人行動化」に失敗した白人による白人のための政府は、
これからどんな未来に向けて進もうとしているのか?
多民族主義が単純な労働力不足の解消にとどまらず、
価値の多様化とフェアな共存を実現できるのか?

この旅の中で、僕らはそれを自分の目で見ることになると思います。
もちろんそれが、明るい未来であることを心から願いつつね。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月03日

第21回取材旅行 その4

昨日はキャサリンからテナントクリークまで675キロメートルを、
今日はテナントクリークから509キロメートル、
計1184キロメートルを走り、僕らはアリススプリングに着きました。

かなりの長距離移動でしたが、
ともこと交代で運転しているので、それほどしんどくはありません。

car01_au.jpg
オーストラリア取材旅行の相棒、豊田豪ちゃん

car02_au.jpg
20年ぶりの運転でがんばってます!(顔が真剣!)

ここまで走った道路は「ハイウェイ」と名付けられているものの、
日本の高速道路とはまったく違い、

road01_au.jpg
スチュアートハイウェイのキャサリン付近

こんな道が延々と続いています。

北の果てのダーウィンから南のポートオーガスタまで続く、
日本でいえば国道一号線となるスチュアートハイウェイは、
片側一車線でも道幅が広く、意外と走りやすいです。

しかし、支線のアーネムハイウェイやカカドゥハイウェイは、
道幅が狭い上に路肩に段差があり、
制限速度で走るのも場所によっては少々怖い気がしました。
ま、最大の危険は飛び出してくる野生動物なんですけどね。
相手がバッファローや大型のアカカンガルーともなると、
はねたら自動車の方も無事では済みませんから。

出発前に心配していた移動中の給油と食事、
それにトイレはどうにかなっています。
100キロに一か所くらいの割合で小さな集落があり、
そこのガソリンスタンドと雑貨屋、軽食堂を兼ねた店が便利でして。

gasstation01_au.jpg

これがまたロードムービーのセットさながらのレトロな場所で、
雑然とした古臭い店内にたいていたった一人のスタッフ。
気だるいムードが漂うなか、ときおりぽつぽつとお客が入ってきます。
食べられるのはバーガーかサンドウィッチ、ホットドッグの類。
トイレの状態は・・・聞かない方がいいですよ。

gasstation02_au.jpg

さて、アリススプリングは、
ウルル(エアーズロック)へのゲートウェイとなる街。
ここで連泊して移動の疲れを取り、次の取材の戦略を練ります。

夏の入り口にあたる時期のステップ気候や砂漠気候は、
日中40度近くまで気温が上がり、
これを書いている20時過ぎでも外は30度以上あります。
しかし湿度が低いので、からっと乾いた暑さ。
こういうのは以前、インドのブッダガヤで経験しましたが、
水分をこまめに補給するのと、
直射日光をなるべく浴びないようにするのが、
へばらないコツです。

取材は予想どおりの壁に当たっています。
アボリジニが運営している飲食店は、
ここまでまだ見つけていませんし、
ブッシュタッカーを扱ったレストランも、
ダーウィンとクーインダで入っただけです。

まぁ、その辺のディープな話は次回以降に譲るとして、
明日は街の中心部で別の角度から情報を集めてみますか。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月01日

第21回取材旅行 その3

日本を出て5日目。

すでに濃いです。
かなり。

料理は食べてみなくてはわかりません。
だから現地に行く必要があるのですけど、
現地で食べればわかるのかというと、それもまた違うのです。

物事はおしなべてコンテクスト上で初めて意味化します。
それは料理も同じ。

今回のテーマは先住民と植民した人々の文化のフュージョン。
というわけで、僕らが選んだルートは、
アボリジニのテリトリーが多く残る、大陸縦断になったのですよ。

で、手始めにカカドゥ国立公園へ行ってきました。
待ち受けていたのは、五感に訴える自然の洗礼。
まず、ウビアの岩山で40度以上の気温にめまいを起こし、
ほうほうの体でたどり着いたジャビルーでは雷雨でずぶ濡れ・・・
昨夕、クーインダのホテルにたどり着いた頃には、
東南アジアの旅以上に異臭を放つ物体と化していた僕らでした。

それでもアボリジニの人々の環境と文化に触れ、
短いながらも話が聞けたり、
ブッシュタッカー(自然から手に入れる食料)のレクチャーを受けたりと、
かなり勉強になっています。

さて、今回の取材旅行がこれまでと違う点は、
公共の交通機関ではなく、レンタカーで移動していること。
ダーウィンで借りたのはトヨタカローラ。
さっそく「豊田豪(通称ゴウちゃん)」と命名し、
僕らの旅の相棒となりました。

東京で乗っている25年以上前の軽のSUZUKIジムニー(ぐり丸)とは違い、
ゴウちゃんはパワー、安定性ともに十分で、
航続距離も700キロメートル以上と大陸縦断の長旅にぴったり。
ま、ドライバーがマニュアル車専門のロートルですから、
「おわっ! 雨だ、ワイパー、ワイパーはどうやって動かすんだ!」
「ん? ガソリンの給油口を開けるには?」
ってな具合で何かと戸惑うこと少なからずですけど、
3日間乗ってだいぶ慣れてきました。

僕らが今いるのはノーザンテリトリーで3番目の都市、キャサリン。
って言ってもご存じないですよね?
まぁ、日本でなら東海道の宿場町ってところかな?
近くにキャサリン渓谷がありますけど、
それ以外には取り立てて見どころがあるわけではなく、
3番目の大きさといってもこじんまりした街です。

そこで投宿しているのは「いかにも!」って感じの、
オールドファッションなモーテル。
無味乾燥で消毒薬臭い部屋がムード満点。
ロードムービーさながらの僕らの旅に似つかわしい雰囲気です。

明日、明後日はウルルのゲートウェイになるアリススプリングスを目指し、
2日間かけて約1100キロメートルを走ります。
制限速度が130キロのスチュアートハイウェイを、
110キロ巡行くらいで走っていますから、
次はテナントクリークまで行けるかな?
ま、ここは例によって、出たとこ勝負で駒を進めますか。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記