2024年01月31日

第22回取材旅行 その5

日本を出て9日が経ちました。
マイナス15時間の時差があるメキシコは、まだ1月30日。

僕らが今いるのはメキシコ湾に面した海沿いの街、ベラクルス。
1519年、エルナン・コルテスが、
メキシコで最初に建設した植民都市としても知られ、
スペインの影響が最も色濃く残っているといわれています。
そのせいか、
海沿いはどことなくキューバのハバナに似ていなくもないような。

昨日は午前中から夜までバスに缶詰でした。
10時発のはずが出発したのは11時過ぎ。
その後も渋滞や途中下車などで遅れに遅れ、
結局、ベラクルスに到着したのは2時間半遅れの20時30分。
車窓の景色を眺めつつ、
スペイン語吹替版映画が4本も楽しめる一日となったのでございます。

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メキシコにも鉄道は細々とありますが、
都市間の移動となれば長距離バスが主流。
トイレが後部に付いており、シートの座り心地が良く、
快適な旅を楽しめます。
とはいえ、今回のように遅延があったり、
乗車時間が6時間を超えると、けっこう疲れますね。

昨夜、ベラクルスのバスターミナルに到着したころにはもうくたくた。
次の目的地、パパントラまでのチケットをゲットした僕らは、
そそくさとタクシーカウンターに急ぎ、ホテルを目指しました。
早くしないとレストランが閉まってしまいますからね。

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一夜明けて、近くのカフェで朝食を済ませた後は、
ホテルから歩いてすぐの港まで朝の散歩で腹ごなし。
メキシコ湾の海は2014年のジャマイカ以来です。
潮の香りが旅情を誘いますね。
ここではオアハカと違って外国人観光客をほとんど見かけませんが、
メキシコシティからバスで5時間ほどということもあって、
ローカルたちがちらほらと。

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今回選んだホテルの立地は抜群で、
取材の中心となるソカロもまた歩いて3分とかかりません。
周囲には歴史を感じさせるレストランやカフェがいっぱい。

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ここで投宿しているのはオールドファッションなこういうホテル。
その歴史は1910年まで遡り、
建て替えられた建物でさえ僕より年上ではないかしらん?
いかにも中南米にありそうな風情で、御覧のとおりですが、
ツインが一泊4,400円弱ですからね〜。
ランクは安宿の上ってところでしょうか?
英語はビミョーに通じるスタッフがひとりいました。

一夜明けた今日は、午前中から市場で取材開始。
ローカルパワー全開で、すんごい盛り上がりでしたけど、
他の国々と同じく、メキシコもまだコロナ禍の傷跡が残っていますね。
飲食店は閉店して入れ替わったところが目立ち、
生き延びた店も軒並み営業時間を短縮しているし。
タクシードライバーの話では、政府によるロックダウン中の収入保証はなく、
ワクチンも自費のため、彼も含めて打つ人は少なかったとのこと。

経済的な繋がりが細いからか、
ウクライナ紛争の影響はアジアの国々ほど見られません。
しかしガソリン代は日本円でレギュラーがリッター200円前後もしますから、
メキシコ人の平均収入から考えると、かなり高いといえるでしょう。

さて、ベラクルスではシーフードの取材が目的です。
これまではメキシコ高地しか周っていなかったので、
肉料理がほとんどでしたからね。
それでのっけからトライしたのがペルーでも何度か食べたセビッチェ。

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これは魚介類をさっと湯通しし、サルサ・メヒカーナで和え、
アボカドを添えたバージョン。
ライムの酸味とシラントロの香りが食欲をそそります。

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冷菜系ではコクテルもスキップするわけにはいきません。
タコやエビを貝のスープとトマトジュースでマリネし、
クラッカーと一緒に頂きます。
セビッチェと合わせてビールや白ワインのお供にばっちり。
フォアグラ状態で疲れた胃がしゃきっとしました。

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取材リストで漏れていたのがこれ。
偶然みつけたシーフードをプランターノ(調理用バナナ)で包んだもの。
ソース代わりのフリホーレスのケソ(チーズ)添えが、
完璧なハーモニーを奏でていました。
ん〜・・・こんな料理もあるのですね。
これは他の店のバージョンも試してみなくては!

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市場でもの凄い呼び込みを振り切り、「お淑やかな」店で試したのがこれ。
エビのエンパナーダです。
エンパナーダといえば、スペイン発祥の小麦粉の生地で具を包んだパイですけど、
メキシコのご当地バージョンは、トルティージャで包んで揚げたもの。
エビがたっぷり入り、熱々にサルサベルデを添えて食べると絶品でした。

この後、別のカフェに行き、
ポストレ(デザート)のフラン・ナポリターノを試したところでギブアップ。

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パンパンのお腹を抱えてホテルに退却した僕らでした。
しかし今日の仕事はこれで終わりじゃありません。
このブログを書き終わったら、
筋トレやってお腹を空かし、夜の取材の準備です。
ベラクルスでの食事はあと5回。
まだまだ食べねばならない料理がいくつもあります。
がんばらねば!

to be continued...

えーじ

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posted by ととら at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月29日

第22回取材旅行 その4

プエブラから南東へ約340キロメートル。
僕らは今、オアハカのセントロ(中心部)に滞在中です。
ここまでは長距離バスで概ね4時間。
標高が700メートル下がり、地形が盆地のせいか、
日中は気候が東京の9月後半、朝晩は12月初旬に変わりました。
日差しは相変わらず強烈ですが、
乾期で風が乾いているため、とても爽やかです。

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オアハカ盆地

ここに来て観光客がかなり増えた気がします。
なるほどオアハカは先住民の文化が色濃く残り、
モンテ・アルバンやミトラなど、サポテカ文化の遺跡もあるので、
内外から観光客が集まって来ますからね。

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モンテアルバン

とはいえ、どうしたわけかアジア勢はほとんど見かけません。
春節にもかかわらず、中国人ツアー客もゼロ。
バックパッカーに至っては白人勢ばかりで、
自ずと僕らは浮いた存在に・・・

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人通りが絶えないソカロへの道

それでもローカルはみなラブリー&フレンドリー。
15年を振り返ると大きな変化は、
観光地ならば英語の話者が微増したように思います。
それからクレジットカードもカフェですら使えるようになりました。

しかし、旅人にとって最大の変化はインターネットの普及でしょう。
若い方には想像もつかないかもしれませんが、
当時の僕らはスマホもPCも持たずに旅をしていたのですよ。

それは現在に比べると実に効率が悪く、不便な行程でした。
でも、アナログな知恵と工夫で進める旅は、
さくさく流れるデジタルな旅にはない、達成感と充足感があったのですよ。

その理由はね、
僕らの前には、小さな液晶画面ではなく、いつも人間がいたから。

流暢な英会話力なんて必要ありません。
伝えようとする熱意と、理解しようとする思いがあれば、
地球人同士なら、たいてい分かり合えるものです。

今日も市場の雑然としたローカル食堂で取材していたときのこと。

「どちらからですか?」

相席の正面に座っていた家族連れの男性が、
片言の英語で話しかけてきました。

「僕らは日本から来ました」

そこで簡単に目的とととら亭での仕事を説明すると、
10歳と16歳のお嬢さんたちは興味津々。

ここでともこが例の「ともこ語」で話に加わり、

「ハウ イングリッシュ スタディ?」

こんな調子で盛り上がっているうちに、
お父さんが再び、

「オアハカはカカオが名産ですが、ショコラーテは飲みましたか?」
「ええ、シナモンの香りとアーモンドのコクで、
 とても美味しいですよね!」

なんて話していたら、僕らの前にショコラーテが並び、

「これにパンを浸して食べるのがオアハカ流です」
「いやはや、僕らはもうお腹いっぱいでして」

とお断りしている僕にお嬢さんが、

「これ、おいしいですよ!」

とパンが差し出され、
さらに、「昆虫も食べましたか?」

「ああ、それもオアハカ名物ですよね。
 残念ながら、それはまだです」

そう応えれば、

「これもいかがです?」

と手渡されたのはイナゴの炒め煮。

ええい、こうなりゃこっちも日本代表だ、
出されたものは何でも食べますよ!

こうして日墨親善ランチが終わり、

「お会計お願いします」

とホールの女性を呼べば、

「ここは私たちにご馳走させてください」
「え? いや、そういうわけには・・・」
「お話ができて、とても楽しかったです。
 それにメキシコの料理を日本で紹介して頂けるのも、
 すごく嬉しかったものですから」
「わかりました。
 それではお言葉に甘えさせていただきます。
 でも次は僕らがご馳走する番ですからね!」

こうして名刺を渡し、僕らは市場を後にしたのでした。

僕らはこの店をネットで探して入ったのではありません。
市場内の小さな飲食店は、
Trip AdvisorやGoogle Mapに表示されませんからね。
そして意思疎通に翻訳アプリも使いません。
先のともこ語やお嬢さんたちの片言の英語で、
十分な会話を楽しむことができました。

これがととら流、古い旅人の新しい旅。

次は海沿いの街、ベラクルスへ移動します。

to be continued...

えーじ

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Gracias amigos!
posted by ととら at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月26日

第22回取材旅行 その3

僕らがプエブラで投宿しているのは、
中心部のソカロにほど近い、取材に便利なHotel Victoria。

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この辺では古株の、一泊ツインが2,500円くらいで泊まれる安宿で、
フロントはこんな感じ。スタッフで英語を話す人はいません。
でも皆さんラブリーですよ。
僕らのなんちゃってスパニッシュでも理解してくれます。

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入り口は小さいのですが中に入ると意外と広く、
中抜けの空間を囲むように3階まで部屋があります。
日中は柔らかい光が差し込んで、コロニアル風のいい雰囲気。

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このbooking.comでは顧客評価6.5と、
厳しい数字が付いてるところになぜわざわざ泊まっているのかというと、
実は15年前に投宿したのも、ここだったからなのですよ。

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この写真は15年前のもの。

あの時は1階の奥にある108号室でした。
で、今回は2階の中ほどの210号室。
基本的に部屋の内容は同じです。

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15年前のともこさん。
市場で買った新品のトルティージャプレスを得意げに持っています。

いやぁ〜、懐かしいというか、前に立った時は嬉しかったですね。
古い友人と久しぶりに会ったようで。
まったく変わっていなかったし。
僕がいわゆるネット上の評価を信用しない理由は、
こんな経験から来ていまして。

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確かに部屋は御覧のとおり、殺風景でやや暗く、
お世辞にも掃除が行き届いているとはいえませんし、
景色を楽しむ窓もない。
ベッドはボヨヨんベッドの上、シャワーは使い勝手がすこぶる悪い。
でもね、値段相応と申しますか、
僕ら標準では、ごく普通の安宿なんですよ。
厳しい意見のほとんどは、要求とコストのバランスが妙な気がするな。
たとえばマックに入って、
ミシュランの星付きレストランの内容を求めても・・・ねぇ?
安宿で髪の毛が落ちていたとか、
トイレが汚いなんて文句を言っちゃいけません。
安宿なんですから。

あ、でもここにだってテレビはあるんですよ。
それもレトロなブラウン管型!
映るのかな? と思ってスイッチを入れてみたら、
なんと画面に浮かび上がったのがドラゴンボール!
スペイン語を喋る孫悟空や亀仙人がシュールでした。

さて、明日はさらに南部のオアハカに移動します。
次の宿はどんなところかな?
こういうのも僕らにとっては、旅の楽しみのひとつなんですよね。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月25日

第22回取材旅行 その2

おはようございます!
と言っても、日本は間もなく午前零時ですね。

僕らは到着翌日から取材を始め、
昨日の午前中に長距離バスでプエブラまで移動しました。

気候は日中が東京の10月中旬、朝晩は11月下旬くらいでしょうか。
メキシコ高地は緯度こそ台湾よりやや南ですが、
標高が平均して2000メートルを超えているため、
1年を通して過ごしやすいといえるでしょう。
そのせいか、ホテルの部屋には暖房もエアコンもありません。
これは安宿だからというわけではなく、
どの建物にもエアコンの室外機が見当たらないのです。
まぁ、ヒルトンやリッツなら話は別でしょうけどね。

さて、メキシコは15年ぶり。
数ある渡航国の中でも思い出深い国のひとつです。
と申しますのも、料理取材で訪れた最初の国ですし、
3か月を超える南米の旅の出発地でもあったからです。
そしてその後の15年とは、
まさしく、ととら亭の歴史でもありますからね。

街中を歩いていると、いろいろな思い出が鮮やかに蘇ってきます。
たっぷり寝て高度適応も済んだ翌日、
エンジン全開で20キロほど歩きながら、
5か所の市場をハシゴしましたが、
今のところ大きな変化はないように見えます。
経済は相変わらず苦しそうで、ホームレスの数、物乞いとの遭遇頻度、
街の衛生環境から察するに、なるほど国民の約半数が、
貧困線以下の生活を強いられていることが実感できます。

しかし、幸福度や人生の達成感に関する統計データの数字は、
「豊かな」国、僕らの日本を超えているのですよ。
その理由を掘り下げるのが、今回のテーマでもあります。

料理は前回のオーストラリアと違った意味で調べるのが大変です。
そう、対象料理があり過ぎるのですよ。それも街ごとに。
おかげで初日から詰め込んでいるので、早々に胃薬のお世話になる始末。
今いるプエブラは個性的なモーレ・ポブラーノや、
僕らの独立記念料理としてご紹介している、
チレス・エン・ノガーダの発祥地でもあり、
還暦バックパッカーとしては、
ほとんどフードファイトのようになってしまいました。

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チレス・エン・ノガーダ

とまれ、フランス料理と並び、
世界で初めて料理の文化が世界遺産に登録されただけあって、
とにかく、とにかくおいしいです。
それも日本料理とは真逆の、香り、甘味、苦み、辛味、
酸味のすべてが絶妙なバランスを保つ究極の足し算的メソッドは、
アートと言っても差し支えないでしょう。
昨日調べた3種のモーレのエンチラーダなんて、
芸術品級の料理でしたからね。
ピピアンベルデ、ピピアンロッホ、
モーレポブラーノを同時に味わえる一皿は、
言葉で説明しろと言われても、僕の語彙では輪郭さえ描き切れません。

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エンチラーダの3種のモーレ添え

今日は再び市場を巡り、新しい料理を探しに行きます。
これまでの取材旅行で培った手法で、
あらためて調べなおすプエブラの料理は新鮮です。

あ、でも15年が経って、
老朽化が進んだ胃腸の具合も考慮しなくては。
旅はまだ始まったばかりですからね。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月23日

第22回取材旅行 その1

Buenas noches!(こんばんは!)

僕らは無事、現地時間8時30分ごろ、
メキシコシティ国際空港に到着しました。
日本との時差はマイナス15時間。
前回のブログで「未来の過去へ」と結びましたが、
その理由がこれだったのですよ。
出発が1月22日(月)12:00。
で、到着が同じく1月22日(月)の8:30ですからね。
ちょっと不思議でしょ?

というわけで、今の日本は1月23日(火)の13:38で、
Buenas dias!(こんにちは!)ですが、
僕らがいるメキシコはいまだ1月22日(月)の22:38なので、
Buenas noches!(こんばんは!)になるのです。

今回お世話になったのは、
前回のカンタス航空に次ぐ初搭乗のアエロメヒコ。
出発は6年ぶりの成田空港、
それもSkyTeamが入るレアなエアラインの多い第1ターミナルでした。
いやぁ〜、懐かしかったですよ。
先月、帰国は成田空港でしたが、入国してすぐ電車に乗ってしまったので、
ほとんど何も見れませんでしたからね。

第1ターミナルは全体的にあまり変わっていなかったかな?
11月の羽田と違って10時ごろにも拘わらず、かなり空いていたけど。
インバウンドが復活しても、
コロナ禍のダメージはまだ回復していないのかな?
飲食店はおしなべて営業時間をマスキングしたままだし、
(スタッフが確保できないのだろうなぁ・・・)
仮囲いの空きテナントスペースがまだ幾つかありました。

フライトは7割くらいの搭乗率。
僕らの周りは日本人のツアーの方たちが多く、
皆さん隣り合わせで「はじめまして」からお話が盛り上がっていました。
ラッキーだったのは、当初13時間弱だったフライトタイムが、
追い風で11時間強まで短縮されたこと。
おかげで映画を2本見て寝ていたら、「あれ? もう着陸?」って感じ。
まぁ、そのせいか結構派手に揺れましたけどね。
それでも揺れをものともせず、サーブを続けるキャビンクルーはすごい。
さすがは鷲の戦士(※)がロゴマークになっているだけのことはあります。

さて、細かいディティールは覚えていませんでしたが、
15年ぶりのメキシコ国際空港は、
あまり変わっていなかったような気がします。
入国はあっさりしたもので、入出国カードが廃止され、イミグレも質問なし。
ただパスポートをスキャンして、スタンプを押しただけでおしまい。

バゲッジクレームでは5分も待たずにバックパックが現れ、
税関は一応エックス線検査こそあるものの、
インスペクターは見ているような見ていないような・・・

市の中心にあるホテルまではチケットタクシーで移動しました。
渋滞がひどいので、10キロメートルほどの移動で45分くらいかかります。
それで310ペソ(約2670円)は安いかな?

そんなこんなで11時前にはホテルに着いた僕らでしたが、
アーリーチェックインできたのはラッキーでした。
僕らがいるのは手持ちの高度計で2110メートル。
いきなりポンと放り出されると、軽い高山病の症状が出ることもあります。
僕らも頭が少し重く、体もふわふわした感じだったので、
今日は無理をせず、環境適応に徹していました。

食事は近くのタケリア(タコスの屋台)。
道を歩いていてアドリブで入りましたが、これが大当たり!
いやぁ〜、やっぱり本場のタコスはおいしいですね。

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具もさることながら、香ばしいトルティージャが絶品。
それにサルサがつけ放題とくれば、
これだけでも「ああ、来てよかった!」となるじゃないですか?
それに物価が上がったとはいえ、
ふたりでお腹いっぱい食べて日本円で800円也!
スタッフもラブリーでとてもいいスタートになりました。

明日からいよいよ取材も本番開始です。
まずは市場巡りからですね。

to be continued...

えーじ

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おいしくて楽しいタケリア

※ アエロメヒコのロゴマーク
鷲の戦士はジャガーの戦士と並び、アステカ王国の戦士の象徴でした。
posted by ととら at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月22日

第22回取材旅行の準備 その4

ここ柴又でも、
「旅の食堂」というのがどういうものなのか、
だんだん認知されてきたようです。

ウェブサイトは特集ページよりも、
営業スケジュールの方がアクセス数も多いですし、
店頭に張り出した予定表をスマホで撮って行く方も、
よく見かるようになりました。

まぁ、飲食店が数週間も休んでしまうなんて、
まずありませんからね。

それから「いってらっしゃい!」と声をかけてくれる方も、
お客さま、街のフェローを問わず、
野方時代のように増えてきたような気がします。
ほんと、嬉しいですよ。地の果てまででも行って、
「おいしい料理を探して来よう!」という気合が入ります。

今日の東京地方は晴れ。
空港も成田なので予定通り出発できそうです。
二人とも体調は良好。

それでは次は15時間先の未来の過去、
メキシコシティ―から。

行ってきます!

えーじ
posted by ととら at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月20日

第22回取材旅行の準備 その3

出発まであと2日。

今回は出がけのイレギュラーが少なかったおかげで、
概ね準備が整いました。
最後に大切なのが健康管理ですね。
ここで体調を崩したら厄介なので。

とまれ先日もお話しました身体能力の件。
僕も「還暦バックパッカー」ですから、
これを維持するのはけっこう骨が折れます。

今のところ、
幸いにして40歳代の身体能力(本人比)はキープしていますが、
目下のワークアウト内容、週2〜3回のジョギングと、
同じく5〜6回の筋トレがいつまで続けられるかはビミョーだなぁ。

ま、これがやれる間に、
アフリカや南米の旅を片付けておこうと思っています。
高地や酷暑、酷寒の国をフル装備で旅するのは、
今でさえしんどいので。

今回もメキシコシティの標高は2240メートルありますから、
着いた早々重いバックパックを背負ったまま、
あんまりうろちょろするのは避けなければ。

ご心配をおかけしておりました整形外科系の故障、
腰部椎間板ヘルニアと左膝軟骨損傷の経過は良好です。
ヘルニアはさすがに13年を越える付き合いなので、
だいぶいい関係になっていますし、膝の方は完治しました。

あと、イエローサインといえば、
先日の区民検診で初めて大腸がん検診で引っかかり、
内視鏡検査まで受けましたけど、
良性のポリープをひとつ取られただけで、
「もう来なくていいです」とのこと。
取りあえず、この年齢にして常時服用している薬もなく、
「健康優良ハーフおじいさん」ということですね。

そんなこんなで進めております取材旅行の準備。
最後に気になるのが出発日の天気ですが、
明日は冬の嵐だけど、
22日(月)の東京は・・・晴れ・・かな?

このまま何も起こりませんように!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月18日

成長のものさし

人の成長はどのように計れると思います?

年齢?
体格?
それともテストの結果?

これは先日のディナータイムでのこと。

奥のテーブルに家族連れで来ていた、
ひとりの少年が僕の目に留まりました。
いや、騒いでいたのではありません。
むしろ大人に囲まれて、ひっそり静かにしている。

それにもかかわらず、なぜ注意を引いたのかというと、
その子は黙っていても、家族の輪に入っていたからです。
そう、携帯ゲームやスマホに没頭するのではなく、
視線は話している家族に向けられて。

へぇ・・・今どき珍しいな。

年齢は中学生くらいでしょうか。
口数こそ少ないけれど、料理についての好奇心は旺盛のよう。
どの皿も真剣な面持ちで、一番最初に平らげていましたからね。

そしてデザートの前。
僕は食器を片付け始めたのですが、
テーブルの奥にあったカトラリーには手が届きません。
皆さんご歓談に忙しく、誰も気付きそうにない。

ま、後で下げればいいか。

と思った矢先、その少年がおもむろに、
奥に寄せられていた食器をテーブルの中央に移し、
カトラリーを僕に手渡し始めたではないですか。

「やぁ、どうもありがとう」

ここで大人たちは、
ようやくこの小さなドラマに気付きました。

自分の殻に閉じこもるのではなく、
周囲を漠然と傍観するのでもなく、
静かに気を配り、助けが必要であれば、そっと力を貸す。

Hey, you got heart, kid.

僕は彼の目を見ながら微笑み、心の中でそう語りかけました。

人間の成長というのは、身長計や答案用紙の上ではなく、
こんなところに現れるのではないか?

僕はそんな風に考えています。

えーじ
posted by ととら at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月15日

第22回取材旅行の準備 その2

何ごともすんなり進まない。
だからプランAはいつもコケる。

これがマイライフであるが故に、
いつしか僕は自他ともに認めるミスタープランBとなりました。

今回の旅もまたその例外ではありません。
最初の行き先はメキシコではなかったのですよ。
そう、プランAの渡航先は中東。
サウジアラビア、バーレーン、クウェートでした。

で、航空券のブッキングを始めようとした矢先に勃発したのが、
イスラエルとパレスティナの戦争。

当初はアラビア半島の西側なので影響は少ないかな?
と、希望をもっていましたが、
案の定、イランが静観しているはずはなく、
レバノン、シリアとイエメンの反イスラエル勢力がそれに呼応するとなれば、
こりゃもう、中東全体がレッドゾーン。

と、いうわけで、プランAはあっさりボツになったのでございます。

しかし、ここでへこむ僕らではありません。
ミスタープランBとしては、いつものことですからね。
そこで掘り下げるべき食文化があり、政情が安定している場所はといえば、
カリブ海の島々、ミクロネシアの島々、
はてやカーボベルデにアルジェリアを絡めるのはどうか?
なんて白紙から再検討しつつ、
そうだ、メキシコの取材をやり直そう! となったのです。

ルートは前回ご覧いただいたマップのとおり。
最初にメキシコシティの南東側、次が北西側を周る予定。
ですが! これまたプランAなので、きっと何か起こるでしょう。
そこでメキシコ内でのプランBはどうなるか?

それはその場で臨機応変に対応したいと思います。
こういう旅で一番大切なのは、柔軟な発想と決断力、
そして瞬発的な突破力なのですよ。

まぁ、こうした身体能力をいつまでキープできるか?
それが問題だ。

ん〜・・・もってあと5、6年かなぁ?
というわけで時間も限られていることですし、
今年からハードな旅を立て続けに計画している次第でございます。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月12日

第22回取材旅行の準備 その1

オーストラリアの旅から戻ってまだ一カ月足らずですが、、
次の旅へ出ることになりました。

夏からの遠征が控えている今年は、
予定もこれまでとは大きく変わり、
その調整のために、
ここの期間が短くなってしまったのですよ。
年末年始やメニュー替えも重なってしまったことから、
いやはやかなり煽られております。

が! 気合の入り方は過去最大級。
何といっても渡航先がメキシコですからね。
実は正式に料理の取材で行った初めての国がメキシコだったのですよ。
あれはととら亭を開業する前年、2009年6月のことでした。

ま、当時それなりに下調べはして行ったものの、
いかんせんやったことのない旅でしたので、
その内容たるや稚拙な限り。
あ〜、あれをもっと調べればよかった!
とか、どうしてもっと写真を撮っておかなかったんだろう?
など、反省点はてんこ盛りだったのです。

というわけで、15年後のリベンジ。
期間は1月22日(月)から2月13日(火)まで。
ルートはメキシコシティを起点に南ルートが、
プエブラ → オアハカ → ベラクルス → パパントラ。
北ルートが、モレリア → グアナファト → サンミゲル・デ・アジェンデ。

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(画像をクリックすると大きくなります)

15年かけて培った料理取材のノウハウを活かし、
実り多い旅にしたいと思います。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月09日

僕のニュービジネス・・・?

先日、とあるお客さまからこんなお話が・・・

「あなたたち、この前、旅行に行ってたでしょ?
 それで予約したくても電話に出ないから、
 店の前に貼ってある営業予定を見に来たのよ。
 そしたらね、シャッターのすぐ前に人が立ってたの。
 で、近付いてみたら、何してたと思う?」

「合掌しながら、お辞儀してるじゃない!」

「あたし、びっくりしちゃってさぁ。
 で、何してるんですか? って聞いたら」
 
「駅前で宝くじを買ったんで、
 当たるようにお願いしてるんですって!
 ここを神社だと思ったのよ!

「だからあたし、言ってあげたの。
 ここはレストランですよって」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

驚きました。

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シャッターが降りた状態ってこうですよ。

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で、そこに取材中はこれが貼ってあったわけです。

だけど、その方には神社に見えたのですね。

なんて話を別のお客さまとしていたら、
その人も神社に見えなくもない、となっ!

そこでビジネスマンの僕はひらめきました。

賽銭箱を作ろう!

で、取材中、それを置いておけば、
帰国すると飛行機代くらいのお賽銭がたっぷり・・・

ないかな?

ところで、ととら亭で願をかけて何のご利益があるんだろう?
少なくとも金運は・・・ねぇ。

えーじ
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2024年01月06日

The other side of European taste

旅行とは短時間で散財する高価な娯楽。

うん、確かにそうですね。
でも、考えようによっては、かなりお得と言えるかもしれません。
なぜなら旅は計画の段階から始まりますし、
(地図やガイドブックを見ているだけでワクワクしてくるでしょ?)
帰ってからもその思い出をずっと楽しむことが出来る。

メニュー替えの度に僕はそれを実感しています。
キャプションを書くために取材ノートを読み返したり、
メニューやポスターに使う写真を探していると、
まるで今もその旅の途上にいるような気がしてきますからね。

そして、それには「いつ行ったか?」も関係ありません。
今回、引っ張り出した資料は2017年のハンガリー旅行のもの。
短いながらもセゲドやブダペストで過ごした日々が、
鮮やかに蘇ってきました。
とりわけ12年ぶりに訪れたブダペストは、
たくさんの思い出がありましたからね。

華やかなウィーンと違って、どこか影のある街。
それでいて地味な魅力に満ちているのは、
オスマン帝国に占領されていた時代の影響や、
古くは元々モンゴロイドだったと言われる、
マジャール人の出自が関係しているのかもしれません。
言語もレアなフィン・ウゴル語のグループですし。

ともあれ、この国の食文化を堪能するのに、
歴史の蘊蓄は必ずしも必要ないでしょう。
ただ一口、グヤーシュを啜れば、
ハンガリーがヨーロッパの中でも異色の存在であることが、
お分かりいただけるかと思います。
特にヨーロッパといえばフランスやイタリアの料理を思い浮かべる方には、
ちょっとしたサプライズになるかもしれません。

ハンガリー料理特集

文化の多様性と複雑な関係が一皿の上で表現されています。
この冬はヨーロッパの意外な側面が見える、
東欧の味を楽しんでみませんか?

えーじ
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2024年01月04日

ゴールからのスタート

一般的に、今年は今日が仕事始めのようですね。

ととら亭は帝釈天に合わせて元旦が初日。
このスタートは柴又でも早2回目になりますが、
今回は今までにない特別なものとなりました。

と申しますのも、去年こそが10年以上前から水面下で進めていた、
遠大なプロジェクトのゴールだったのです。

そう、2010年に中野区の野方で独立し、
3年ほどかけて今に通じる「旅の食堂」のスタイルを確立したものの
それは同時に、
出来ることと出来ないことが分かった節目でもありました。

そこで僕らが突き当たった壁はふたつ。

1.経営条件上、1回半月を越える旅に出るのは難しい。
2.通常の労働時間を一人400時間/月以下にするのも難しい。

その理由は?

固定費です。

そう、東京23区内で賃貸住宅にお住まいの方には説明不要ですが、
家賃の高さがハンパじゃないのですよ。
ことそれが商業物件(テナント)だったりすると、
場所によっては「いったい誰が払えるんだろう?」なお値段。

そして僕らのように住む場所も賃貸だったりすると、
ダブル家賃は恐るべき重さで経営(と生活)にのしかかってきます。

そこで行き着いた答えはただひとつ。
自分たちの物件、すなわち、
店舗付き住宅を手に入れるしかない!

ところが皆さまご存知のとおり、
僕らは資金が乏しい上に、個人事業主は銀行に信用がないため、
いろいろ回り道をしなければならず、
それでこのプロジェクトの期間が、
足かけ10年以上になってしまったのです。

ともあれ、とてつもない紆余曲折を経たこの企みも、
自己ベストの形に収まり、
僕らは家賃のための労働からついに解放されました。
そこで発表したのが今月の営業スケジュールです。

今年から月曜日のディナーを休みにすることで、
都合、皆さんと同じ「週休二日」が実現します。
また、ディナー営業の開始時間を18時に統一することで、
週末の準備にも余裕が生まれました。

はぁ〜、やっとここまで来れたか。

ようやく人間らしい生活に戻れたことを、
心から喜んでいる僕らでございます。

えーじ
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2024年01月01日

Happy new year 2024

あけましておめでとうございます。

20代の頃、
一生旅をして行くにはどうしたらいいのだろう?
と真剣に考えていました。

いま、その方法を考えて、
実行してくれたえーじに感謝しています。

今年は、
これまで以上に私たちらしい生き方をして行けそうで、
ワクワクしています。

夢を持てたこと、
夢を実現するためのパートナーを見つけることができたことを、
幸せに思います。

広い世界を見てみたい!

ともこ
posted by ととら at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記