2024年02月28日

原点回帰2024

ヤドカリ人生の僕にも、故郷と呼べる場所があります。
ひとつは生まれ育った横浜。
次が独立して人生が大きく変わった中野区の野方です。

昨日は1年振りにその第2の故郷へ行ってきました。
毎年一度は初心に返るべく、
決算の最終チェックをして頂く税理士さんは、
変えずにいたのですよ。

僕にとって野方は、職場というより、
学校に近かったような気がしています。
それは多分、仕事以上に学ぶプロセスが多かったからでしょうか。
独立という、地図もマニュアルも相談相手もない旅は、
まさしく日々が手探りの状態でしたからね。

もちろん事業計画はありましたよ。
それも相当マニアックなものが。
加えて机上にとどまらず、2年間に渡る、
出店候補地40カ所のフィールドリサーチも忘れてはいませんでした。

しかし、そこまでやっても、
2010年3月3日という独立の向こうで待っていたのは、
事前のイメージとはかけ離れた現実だったのです。
だから、学校は例えではなく、
本当に毎日が新しいことに直面して学ぶ、
その繰り返しだったのですよ。

そんなわけで、他の商店主さんたちはライバルというより、
同じ学校の生徒、とりわけ同時期にデビューした店の方は、
同級生のような存在でした。

1年ぶりに西武新宿線野方駅の改札を出たときの気分は、
さながら母校を訪れたOBのそれだったかな?
懐かしいフェローたちにも会えて良かったです。

まもなく、ととら亭は14周年。
お店は柴又に移転して新しくなり、
僕らの体は年相応に老朽化が進みましたけど、
あの、2010年の原点は、いつまでも変わらず、
僕らの心の中にあります。

そう、かけがえのない、宝物として。

えーじ

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2010年3月 生まれたてのととら亭
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2024年02月25日

気が付けば絶滅危惧種 その2

このお話を進める前に、今更ながらですが、
ここで旅人の「定義」をしたいと思います。

旅人とは、
自由を愛し、好奇心を持ち、ビンボーでも旅に出る人。

実際、これまで僕が出会った旅人で、
この条件を満たしていない人はひとりもいませんでした。

次に国内旅行を例にとって、旅人種族を分類すると、
以下のようになります。

まず、マジョリティはやはりJRer(ジェアラー)。
鉄道やバスなど、公共の交通機関を使って旅する種族で、
鉄ちゃんや道ちゃんはそのコアな構成メンバーですね。
見かけは小奇麗でオフの一般人と変わりません。
しかし、ことあるごとに、
バイブルたる交通新聞社の時刻表を見る行動特性から、
JRerだと簡単に分かります。
女性の比率が最も高いのもこの種族。
アクセスが悪いため、キャンプ場ではあまり見かけません。

次が僕らライダー。
いわずもがなオートバイで旅をします。
ヘルメットで髪がぺちゃっとなるため、
降車中はキャップを被っていることが多く、
ブーツとグローブですぐ分かります。
大浴場で出会っても、
手と肩を除く二の腕だけが日に焼けているので、
あ、ライダーだ、と簡単に見分けがつきます。
キャンプ場では最大多数派。
女性比率はぐっと下がって5パーセント未満ですから、
たまに女性ライダーがキャンプ場に現れるとお姫さま扱いに。

当時は自転車で旅するチャリダーも大勢いました。
彼、彼女たちは二の腕だけではなく、顔と腿から脛にかけて、
かなり日焼けしているところからすぐ分かります。
体形も痩せた上半身と太い腿が特徴。
行動特性は大飯食らいです。
女性比率はさらに下がって3パーセント未満。

さらなる強者も少なくありませんでした。
歩いて旅するトホダーは、一見チャリダーに近い風貌ですが、
腿も細く、さながらマラソン選手のような体形。
大飯食らいも共通しています。
当然のことながら荷物が最も少ないです。
残念ながら女性は出会ったことがありません。

レアなケースでは、
ヒッチハイカーやローラースケーターなんてのもいましたが、
これは割愛しましょう。

移動手段によって行動や体形の違いこそあれ、
各種族に共通しているのは、「変な人」が多いこと。
JRerは堅気がほとんどでしたけど、
(まとめて休みが取れる看護師、郵便局員が多かったな)
その他の種族は僕も含めて、まずフツーじゃありませんでした。

どれくらい変かと申しますと、
普段浮きがちな僕が彼らの中にいると、
自分がまっとうに感じられるくらい、変人が多かったです。
とにかく似た人が二人といない個性派ぞろい。
たいていドロップアウト組でしたしね。

国内ですら、こうした連中が30年かけて減って行き、
今では絶滅危惧種となったくらいですから、
外国にその場を移したバックパッカーは何をかいわんや。

愛すべきブラザー&シスターよ。
みんなどこへ行っちまったんだ?

to be continued...

えーじ

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1991年 日本最北端ノシャップ岬にて
posted by ととら at 14:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月22日

気が付けば絶滅危惧種 その1

「君たちは後輩の指導をしとるんかね?」

20歳代の後半、
僕は毎年のようにオートバイで北海道を旅していたのですが、
しばしば安宿のオーナーさんからこう言われていました。
さらに彼は続けて、

「旅人の高齢化が進んでるぞ!」

パスポート取得率の低下や、有給休暇取得率の世界的な低さ、
アウトバウンドの減少が報道されて久しくなりましたが、
実はこれ、今に始まったことではありません。
旅人の減少傾向は、今から30年も前に萌芽が見られたのです。

当時、僕がまず気付いたのは、ソロライダーが減り始めたこと。
北海道への旅は、当時住んでいた横浜から国道4号線や、
7号線、45号線などの所謂「下道」を使い(高速代がなかったもので)、
3〜4日かけて下北半島まで走るルートがポピュラーでした。
その道中では同じく北を目指すソロライダーと、
何人も出会ったものです。

ところが次第にその数が減りはじめ、最後に走った28年ほど前には、
ほんの2〜3人しか会わなくなっていたのです。
それでもツーリンググループはいましたから、
ライダーの総数は、まだキープできていたのかもしれません。

しかし、安宿やキャンプ場で出会う旅人たちの年齢は、
あきらかに「高齢化」が進んでいました。
僕が20歳代前半の頃は、JR、バイク、自転車、自動車、徒歩(!)など、
移動手段の差こそあれ、
旅人の中心年齢は、まさしく僕らの世代だったのです。
男女比は概ね男性7割、女性3割くらいでしょうか。

それが、僕らの年齢が上がるにつれ、
どうしたわけか、中心世代もそのまま上にシフトし始めたのですよ。
それはまさしく安宿オーナーのいう「高齢化」そのものでした。

そう、1970年以降に生まれた人々は、
確実に旅への興味を失い始めていたのです。
それも往時は7割を越えていた男性に、その傾向が顕著になるとは。

やがて僕が40歳に近付き、
ロン毛を切ってネクタイを締め始めたとき、
(ああ、「いちご白書をもう一度」だねぇ・・・)
会社のルーキーたちと旅の話をしても、
彼らのほとんどが安宿はおろか、ユースホステルを知りませんでした。
国内の多くのユースが閉所に追い込まれたのも、無理からぬ話です。

そして今、その傾向がさらに強まり、
ピークから比較すると、男性激減、女性微増というのが、
僕の概括した印象です。
実際、海外の安宿街で、たま〜に見かける日本人バックパッカーは、
ほとんどが女性ですし、
沈没型にいたっては、まず男性と会うことがありません。
まさしく、旅人の男女比は完全に逆転したと言えそうです。

なぜでしょうね?

興味深いことに、
旅人が多い、ととら亭のお客さまの性別構成にしても、
女性7割、男性3割という数字なのですよ。

次回は僕なりにこの理由を掘り下げてみたいと思います。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月19日

旅から戻ると

団体ツアー、個人旅行を問わず、
旅というのは疲れるものです。

その理由はいわずもがな、
移動距離と手段、環境の変化が大きなファクターとなりますが、
3週間にわたるメキシコの旅は、
いずれの点においても「疲れる」典型でした。

まずエコノミー座席空間に閉じ込められた、
13時間を超えるフライトタイム。
次に待っているのが15時間の時差、
2000メートルを超える標高の急激な変化と、
1日に起こる2度から29度までの寒暖の差。
そして連続するバス移動。

さらにフードファイトさながらの料理取材は、
毎度のことながらしんどかったです。
メキシコ料理は基本的に一品の量が多く、
レストランのメインは、ととら亭の量と比較しても倍はあるのですよ。

これらは僕らの体調に極めて大きく影響します。
と申しますのも、普段の食生活とはかけ離れていますからね。
たとえば僕らは腹八分目タイプですし、
肉食がっつり型でもありません。(30歳代までは違いましたが)
23時ごろ食べている夕食なんか、
豆腐とサラダに魚を少々・・・ってまるで老人食!

それが毎食、肉系でエネルギー充填120パーセントでしょ?
モーレなんか、こってりで油もたっぷりだし・・・
メキシカンは好きでも、さすがにこれを3週間も続けていれば、
消化器系が疲れるのも当たり前。

そこで帰国すると、まず熱い風呂に入り、
(これがすこぶる気持ちいい! 生き返った感じがします)
自分のベッドで体を伸ばして筋肉系の疲れを癒し、
翌日からは内臓系のケアで、ほとんど精進料理ばかり。
そして旅行中、疎かになっていたトレーニングを再開すると、
5日ほどで、ようやく体調が元に戻ります。

今日で帰国してちょうど1週間が経ちました。
スローラーナーの僕も日常モードに切り替わり、
次の旅を視野に入れつつ、目前のタスクに取り組んでおります。

えーじ
posted by ととら at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月16日

ととら亭再起動202402

「ここは何という駅だっけ?」
「駅名見える?」
「いや、暗くてよく分からないな。
 でもみんな降り始めたぞ。終点なんだ」
「じゃ、私たちも降りなきゃ!」
「ああ、ここで乗り換えらしい。
 でも、どこなんだろう? どうやって乗り換えるんだろう?」

「えーじ! 大変! ゴミを収集しに来てないよ!」

「はぁ?」
「ゴミよゴミ! どうしよ、仕込みで出たのがいっぱいなのに!
 風で飛んで行っちゃって、片付けなくちゃ!」

いきなり何を言ってるんだ?
まったく、また寝ぼけて寝言でも言ってるんだろう。
旅先でゴミの収集の話をしてるんだからな。

「ちょっと! 分かってるの?」

って、分かってるよ。
ここはメキシコの・・・メキシコの・・・

あれ?

「ここ日本?」
「もう!ダメだこりゃ!寝ぼけちゃってる!」

ってな調子で起こされた今日。
相変わらず旅の後遺症は続いていますが、
目覚めれば仕事はしっかりやっております。
何といっても決算ですからね。

帰国した翌日からともこはキッチンで怒涛の仕込み。
片や僕はホールの端のテーブルに、
領収書と銀行からの支払い記録を広げてチキチキ入力。
日本のリアルな現実は、こんなふうに始まりました。

そして今日のディナーから営業再開。
ととら亭の仕事というのは、ギアの入れ替えが極端でして、
取材旅行中のみならず、日常でも営業中と準備中では、
内容も僕らのメンタリティも大きく異なるんですよ。

まぁ、野方時代は時間の余裕がなく、
帰国した翌日から営業再開というウルトラCが普通でしたけど、
柴又では2日間くらいかけられるようになったのが幸いです。
さすがにこの齢になると、難易度はAにしたいですからね。

というわけで、お店の再起動はぼちぼち完了。
頭と体を切り替えて、次の旅を目指し、
新しいフェーズに入りたいと思います。

えーじ
posted by ととら at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月13日

第22回取材旅行 その12

ただいま〜!

メキシコとの時差はマイナス15時間。
往路では出発より過去に着きましたが、
復路はその逆の、
出発が2月11日(日)23:50で、到着は13日(火)06:15。
単純計算だとフライトタイムが30時間25分になります。
ところが時差のマジックと風に恵まれて、実際は14時間1分。
僕らは予定どおり、今朝9時ごろに柴又へ戻ったのでした。

メキシコシティ国際空港のボーディングゲート前では、
次々と日本人の乗客が集まり始め、
さながらリトルトウキョウの様相に。
僕らのルートではグアナファトとサンミゲルを除き、
ほとんど同胞人に会わなかったので、
離陸前から、はぁ〜帰ってきたなぁ・・・
という気分になりました。

こうしていろいろな旅行者を見ていると、
旅を人生になぞらえるのは、まさにそのとおりだと思います。
人それぞれに旅の目的とスタイルがありますからね。
僕らの座席は偶然、ツアー旅行のグループに囲まれ、
隣りあった僕より少し年上の男性から、
いろいろ興味深いお話を聞けました。

長時間フライトで皆さんお疲れでしたが、
とても楽しい旅行になったようですね。
成田空港のバゲッジクレームでも、
別れを惜しむ姿がそこかしこで見られました。
ツアコンさんも、そんな様子にほっと一息。

で、僕らはといえば・・・

やっぱり浮いていました。

バックパッカーは持ち物だけではなく、
風体ひとつをとっても、ちょっと違うんですよ。

いや、目立とう精神が旺盛というわけではありません。
反対に、いかに目立たなくするかが身上ですから。
(目立つとろくなことがないんですよ、僕らの場合)

これは言葉にするのが難しいのですけど、
全体的に埃っぽいというか、草臥れているというか、
きれいさっぱりな服を着ている方々とは明らかに違いまして。

たぶん、同じ服を着続けているからだと思います。
バックパッカーは荷物が少ないので、
着替えは下着を除くとせいぜいスペアが1枚くらい。
(人によってはスペアもなし)
実際、僕らもシャツと山パンはスペアが1枚だけですから、
ひどく汚れない限り、
今回も同じものを10日間以上、着続けたことになります。

加えて、それが新品であることもない。
身に付けているものは大抵10年以上も使い古したもの。
実はともこが着ていたTシャツや僕の山シャツと山パンなんて、
15年以上も前のものです。
だから写真の格好だけ見ても、
いつ、どこへ行った旅なのか全然わかりません。
3シーズンか冬仕様以外に違いがないものでね。

ともあれ、これもまたひとつの旅のスタイル。
いや、人生のスタイルなのかな?

というわけで、次回も同じ格好で出発するでしょう。
それではまた!

End

えーじ

montearban_mx.JPG
See you on the next TRIP!!
posted by ととら at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月12日

第22回取材旅行 その11

いよいよ、この旅もフィナーレ。
僕らは昨日の午後、再びメキシコシティに戻ってきました。

そういえば、今回は大きなトラブルがありませんね。
え? がっかりした?
そんなことを言わないでくださいよ。
小さなトラシューでも続くと大変なんですから。

ま、小さいのなら、
メキシコに着くなり空港のATMでペソを引き出そうとしたら、
払い出し額ゼロのレシートと国際デビッドカードが吐き出され、
どの端末でやっても結果は同じ。
おいおいこりゃなんだ? と思って別のカードでやりましたが、
これまた一方的にキャンセルされておしまい。

ん〜・・・こんなことは今までなかったぞ。
いったい何が起こってるんだ?
通信障害か?
とにかくペソを入手しないと移動もできないじゃないか。

そうして手がかりを得るべくワンモアトライ。
するとスペイン語の文章が表示され、
そのなかに tarjeta invalido という単語が・・・

え? tarjetaはカード。 
で、invalido って invalid? つまり無効?
そんなわきゃ・・・

と思ってカードをよく見ると、

げげっ! 有効期限が先月で切れてる!
もう一枚の方は・・・これも2か月前に切れてるじゃん!

はぁ〜・・・デビッドカードって、
クレカみたいに自動更新じゃないのね。
知らなかった。

というわけでプランBは日本円からの両替。
レートは・・・聞かないで下さい。(泣ける)

その他は、
ベラクルスのホテルで22時過ぎにシャワーを浴びようとしたら、
生ぬるいお湯しか出ずに震え上がったり、
(安宿は電気タンク式給湯器なので、
 早く浴びないとこういう目に遭います)

それから昨日、サンミゲルから乗った長距離バスが、
出発50分後に事故渋滞に巻き込まれ、
ドライバーが迂廻路に向かったのはいいけれど、
気が付いたら「Bienvenido San Miguel de Allende」の門が・・・
そう、なんと振出しに戻って、そこからケレタロ経由でやり直し。
おかげで到着は1時間半遅れとなりました。

強いて言えば、こんな程度でしょうか。
まぁ、これくらいはよくあることなので、
トラブルとはいえませんけど。

出発前に気になった治安の悪化は、
僕らが周った範囲なら、15年前と同じくぜんぜん問題ありませんでした。
もちろんメキシコシティなどではタクシーで通過した際、
不気味な場所もありましたが、
(細くて街灯のない道路に廃車が延々と廃棄されて・・・)
そんなところに用はありませんからね。

今日のフライトは23時58分発。
成田までのフライトタイムは15時間越えとな。
ま、取材のノートをまとめたり、映画を楽しんだりで、
のんびり過ごすとしますか。
日本にいると、こういう時間はまずありませんからね。

それでは次は真冬の東京から!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月10日

第22回取材旅行 その10

時差や僕が書いている日にちのずれもあって、
タイムラインがやや混乱してきましたが、
昨日からサン・ミゲル・デ・アジェンデに滞在しています。

ここはグアナファトから直行バスで1時間30分ほど。
先日と同じく世界遺産に登録されたコロニアル都市のひとつで、
小ぶりながらもお洒落さでは今回訪れた街の中でも群を抜いています。

そのせいかグアナファト以上に観光客が多く、
なかでもアメリカ人の比率は断トツ。
とにかく歩いていてサンミゲルほど英語が耳に入る街はありません。

そこはレストランのメニューにも現れており、
テクスメクスのファヒータやナチョスが載っているとは!
まさに逆輸入と申しますか、
料理というのは、こうしていい加減に混ざり合い、
単なるデファクトスタンダードも100年経つと、
「伝統」なんて呼ばれたりするんですよね。

僕はこの傾向が料理のみならず、
文化や文明そのものにも当てはまると考えています。
僕らが話す自然言語と同じく、
そこには厳密な規則や法則なんてないんですよ。
まさしく恣意性に支配された「だってそうなんだもん」な世界。

ちなみにメキシコでも寿司は人気ですが、
MAKIS(マキス)と呼ばれるケースが多く、
ご推察どおり、
これは巻きずしを作るときに使う「巻き簾」が語源と思われます。
このネーミングだけでも「・・・?」ですけど、
売られているのは握りより巻き寿司、
それも海苔が内側になる裏巻きが主流なんですよ。

え? それを寿司と呼ぶのはけしからん?
だから言ったじゃないですか、文化は恣意性に支配されているって。
そもそも僕らがいう江戸前の寿司だって、
華屋與兵衛や堺屋松五郎が200年ほど前に考案したファーストフードでしょ?
それ以前に熟れ寿司を食べていた人たちからは、
やっぱり「まがい物はけしからん!」といわれていたのかも。
今では銀座に江戸前寿司の高級店があって、
外国から来たお偉いさんを招待するほどなのにね。

閑話休題。

フランスと並び、
料理が世界文化遺産として初めて登録されたメキシコも、
その例外ではなく、スペインをはじめとし、
さまざまが影響を受けつつ、現在の形になっています。
そしてそれは今でも止まらず進行中。
もしかしたら100年後の旅人は、
メキシコの「伝統料理」としてMAKISを食べているのかも。

そう、だから料理は、いや、人間の文化は、
ばかばかしくて、おもしろいんですよ。

さて、帰国便の出発が明後日に迫り、僕らも忙しくなってきました。
この次はいつお話しできるかわからないので、
取り急ぎサンミゲルのハイライトをご紹介しますね。

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サンミゲル遠景

見どころが集中した旧市街は、
半日で歩いて回れるコンパクトなところ。

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バスターミナル

そのせいかバスターミナルもこじんまりしており、
ちょっとした食事ができるところどころか、
朝はドリップコーヒーを飲める場所もありませんでした。

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路線バスのなか

バスターミナルからセントロまでは路線バスで10分くらい。
というわけで、来たバスに都度「セントロ行きます?」と聞き続け、
頷いた運転手さんの車両でGo!
こうした交通手段は素顔の街に触れられる、いいチャンスです。

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イグナシオ・ラミレス市場の食堂

ホテルに荷物を置いたら早速市場で取材開始。
まずは市場内で飲食店ブースに突撃です。
しかし、御覧のとおり、数ある店の中からどうやってベストを選ぶか?
一般的にはググって星の数を見て・・・でしょ?
それよりずっと確実なのは、

 1.清潔度
 2.スタッフのモチベーション
 3.混雑度

これを自分の目で観察するだけ。
あ、最後は野生の勘ですけどね。

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アルボンディガス

ほぁ〜ら、やっぱりアタリでした!
盛り付けはイケていませんが、茹でて油を落としたミートボールを、
あっさりしたトマトソースで煮込んだアルボンディガスは、熱々で最高!
付け合わせのメキシカンライスやフリホーレスも手抜きなし。

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エンモラーダス

たかが市場の軽食堂とあなどってはいけません。
このモーレなんて、高級レストランのそれに比較しても遜色なし。
フライドポテトも揚げたてで、かつ皿も別途温めていて、
コックさんの気合を感じました。

ちなみにこの店は狭いスペースをシェアする相席型。
僕らの前にはお孫さんの4歳くらいの女の子を連れたおばあちゃん。
(といっても僕より若いと思いますが)
ふたりの食事風景が微笑ましかったです。

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アルテサニス市場で

苦しいお腹を抱えて次に向かったのは、隣の建屋のアルテサニス(工芸品)市場。
ここではともこと僕がそれぞれ店のディスプレイをゲット。
どんなものを手に入れたかは・・・公開までナイショです。
どちらも他の店では見かけなかったもの、とだけ言っておきましょうか。

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ソカロの中心

サンミゲルもまた、街の中心はソカロ。
しかし、ローカルが集まるのは市場に近い市民広場の方です。
というのも・・・

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Parroquia de San Miguel Arcangel

美しいでしょう?
この街もグアナファトのようにフォトジェニックな場所が多く、
メキシコシティから長距離バスで4時間程度という立地も相まって、
ソカロ側は観光客御用達の状態。

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回廊のレストランで

ムード満点の回廊にあるレストランでは、
エストディアンティーナと呼ばれる楽団が廻り、
素晴らしいプレイを聞かせてくれます。
土地の有名な曲の場合は、お客さんたちが揃って歌い出すこともあり、
脇から見ているだけで心が温まりますよ。

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魅力的な細い路地で

そして僕らを引き付けてやまないのは、先に挙げた有名観光ポイントではなく、
こうして自分の足で探して出会った光景。
サンミゲルのような街では、スマホにお伺いをたてず、
自分の感性だけで歩いてみてはいかがでしょう?
え? そんなことをしたら迷ってしまう?
いいじゃないですか、迷子になったって!
それが旅ってもんです。

さて、明日は9時の長距離バスでメキシコシティに戻ります。
最後のミッションは食材の買い出し。
北バスターミナルからメルセー市場に移動して、
いろいろ買い集めなくては。
チレは日本で買うとむちゃくちゃ高いですからね。
それではおやすみなさい。

to be continued...

えーじ

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賑やかな市民広場に近いローカル食堂で。
posted by ととら at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月09日

第22回取材旅行 その9

今回の取材旅行も佳境に近付き、
僕らは7番目の街、グアナファトに着きました。

ここもまた以前訪れたところなのですが、
他の街と同じく、ほとんど変わっていなかったですね。
前回泊まったホテルやレストランが健在で懐かしいやら嬉しいやら。
そこで取材は街の中心に位置するイダルゴ市場から。

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イダルゴ市場

この市場は他と少々違っていて、外周部分が2階建てになっており、
そこはすべてお土産物屋になっています。

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2階のお土産物屋

そのココロは・・・
観光資源に恵まれたオアハカ以上の観光地なんですよ。
たとえば、

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バジリカ

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グアナファト大学

ほら、すんごくフォトジェニックでしょ?
グアナファトは、かつて銀鉱山で栄えた街で、
往時の坑道を自動車用道路に転用し、
盆地状の地形も相まって、街が立体的なのです。
絵になるところがたくさんありますよ。

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しかも地上では道幅の狭い道路が複雑に絡まりあい、
ちょっとした迷路になっています。

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そして日が暮れてくると・・・

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細い路地のディスプレイ

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ピピラの丘から臨むグアナファトの夜景

いかがです? 美しいでしょう?
というわけで、ここまで周った街とは違い、
一挙に外国からの観光客が増えました。
しかもなかには日本人の姿さえちらほらと。

ここで、ほぁ〜、と思いつつも、やっぱり・・・となったのは、
日本人の旅人の男女比。
ソロもペアも女性ばかりなんですよ。
男性の姿を見たのは、わずかなペアの相方だけ。

なぜだ?

もっと言うと、実年世代のバックパッカーなんて、
絶滅危惧種のレッドリスト入りしているんじゃないかしらん?
ここまでのルートで僕らは何かと目立った存在でしたが、
観光地に一歩踏み込むと、別の意味で浮いているような・・・
(もちろん僕が)

こういうのは以前からきれいな街、
たとえばバルト三国の旧市街なんかで感じていましたけど、
コロナ禍以降の旅では、
どこでも毎回ひしひしと実感するようになりました。

青春時代に旅先で出会った連中はどうしちゃったのかしらん?
ねぇ、ブラザー、旅に出ませんか?

to be continued...

えーじ

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おもちゃ箱をひっくり返したような夕暮れのピピラの丘で。
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2024年02月07日

第22回取材旅行 その8

昨日と変わらない今日が来たのだから、
今日と変わらない明日も来るだろう。

そう無邪気に信じて、僕らは未来を予測したつもりでいます。
でなければ、5年先、10年先のことなんて考えられませんからね。

でも、それは実のあることなのでしょうか?

モレリアに着いた僕らは、
ミチョアカン料理を提供するレストランを探して、
あれこれネットを調べていました。

取材リストにあったシャンドゥカータという郷土料理。
これを出す飲食店は少なく、いろいろ探して唯一見つかったのが、
ソカロから脇道に入ったところにある、
ラ・グアレチッタ・デ・サン・オウガスティンという老舗のレストラン。

早速初日の夜に行ってみると、横道に入った途端、
僕らが揃って感じたのは、不思議なデ・ジャヴです。

ここは・・・どこかで見たような?

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物売りの声、重なり合う音楽、家族連れの談笑。
行き交う人々を縫って歩き、ほどなくしてレストランの前まで来ると、
その感覚は更に強まりました。

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二人の記憶に残っていたのは、
店舗右端にあるチュロス売り場。
前回、取材したレストランを出たとき、
ちょうどチュロスを揚げているところに出くわし、
興味本位で写真を撮っていたのです。
しかしその写真はピンボケで、どこの店か特定することはできません。

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もしかして、ここは15年前に入った店では?

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そして店内に入った瞬間、
その予感は確信に変わりました。

間違いない! ここはあの時に来た店だ!

僕らは意図せずして、15年前に入った店に再び来ていたのです。
それも取材対象だったシャンドゥカータという料理に導かれて。

僕らはその時に座った席まで思い出しました。

2009年7月初旬。
まさにこの店の、この席で取材していたのです。
当時の賑わう店内には、
奥さんがヴォーカル、ご主人がギターで伴奏というデュオがいて、
料理ともども素晴らしいひとときを過ごした記憶あります。

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15年前の店内

あの時の僕らは、仕事を辞め、ととら亭を立ち上げる前の、
初めての料理取材に出たところ。
その長い旅の最初の国がメキシコでした。

昨日と変わらない今日が来たのだから、
今日と変わらない明日も来るだろう。

その仮説は、少なくとも僕らには当てはまらなかったようです。
なぜなら、あの時、まだととら亭は存在せず、
野方という街ですら、まったく知らなかったのですから。

あれから15年。
まさか僕らがその半年後、野方にたどり着き、
翌年の3月3日にととら亭を開業し、
震災があり、コロナ禍があり、
そして柴又に移転した後、
再びここを訪れることになるなんて、想像できたと思いますか?

答えはもちろんノー。

そんなことをしみじみ考えていたら、
おもしろい発想が思い浮かびました。

もしあなたが時間を遡る力を得て、15年前の世界に戻ったとき、
偶然、15歳若い自分を見かけたらどうします?

そっとしておきます?
それとも何か話しかけますか?
話しかけるとしたら、何を話します?

ん〜・・・僕だったら、どうするかな?
この後の南米の国々で降りかかるトラブルを未然に防げるよう、
何かアドバイスをするってのはどうだろう?

いや、やっぱりそれはやめよう。

僕らがした15年間の旅は、大変なことも山ほどありましたけど、
それはそれで、とても素晴らしいものでした。

だから、すれ違いざまに、いい旅を、とだけ囁いて、
その場を立ち去るほうがいい。

ん? だとしたら、
グアナファトの丘ですれ違ったあの人は、
同じく15年先の未来から来た、75歳の僕だったのかもしれないな。

to be continued...

えーじ

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2024年の旅で
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2024年02月05日

第22回取材旅行 その7

僕らは今、取材の北ルートで最初の街、
ミチョアカン州のモレリアに滞在しています。
ここもまた15年前に訪れた場所のひとつ。
その懐かしい話は次回に譲るとして、
今日は「その6」で触れたローカルタウン、
パパントラをビジュアルにご案内しましょう。

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ベラクルス発のバスはすぐ郊外に出て、
景色は岩山とサボテンのメキシコ高地とはまったく異なる、
深い緑とヤシの木に変わりました。気候は亜熱帯。

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北西に向かって100キロメートほど走ったあたりから、
進行方向右側(東方向)にメキシコ湾の海が広がります。
ほんと、この国は自然の多様性に富んでいるのですね。
更に文化的にも60以上の民族がいるとなれば、
料理もまた地域差が大きいというのも頷けるじゃないですか。

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パパントラは30キロメートルほど内陸部に入った小さな街で、
メキシコ高地に続く斜面に位置しています。
いわゆる坂道の街ですね。
雑然とした感じから、ちょっとボリビアのラパスを思い出しました。
これで1等バスターミナルですよ。
駐車場が道路と反対側なので、知らないと見落としてしまいそう。
ちょうど待合室が工事中だったこともあって売店もなく、
ターミナルというよりバス停に近い風情。
ちなみに2等バスターミナルは・・・ちょっとしたカオスでした。

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投宿したのはバスターミナルにほど近い、こんなホテル。
内容はよくある安宿ですが、
宿泊施設があまりないので競争原理が働かず、
値段はちょっと不相応だったかな?
といっても日本円で6,500円くらいですけどね。

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たとえば修繕という発想がないので、カーテンなんかこの通り。
(写真からはわかりませんがカビだらけ)
これまたよくある価値観で、
カーテンが使えるか、使えないか、ではなく、
カーテンがあればいい、というわけです。
そのほかの部分がどうだったかは・・・
ご想像にお任せしますね。

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街の中心は他と同じくソカロ(広場)。
坂の中腹にある一辺が50メートル程度の小さな公園ですが、
昼夜を問わず、人と自動車でごった返しています。
左側に並んでいるのは靴磨きの屋台。

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ここは市民の憩いの場所なんでしょうね。
夜になると家族連れや若い恋人たちでさらに賑やかに。
そんな人々に交じって彼らを観察していると、
国や文化や人種が違っても、
人間というのは同じなんだなぁ、としみじみ思います。
そう、人は人が好きなんですよ。

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僕らが到着した翌日は、
ちょうど郷土料理のタマレスとアトーレのフェスティバルが開かれていました。
タマレスとはトウモロコシの粉で硬めの生地を作り、
それに何らかの具を入れてバナナやトウモロコシの葉で包んで蒸したもの。
バスターミナルの屋台からレストランまで、
タコスと同じく、どこでも食べられるメキシコのソウルフードです。
ととら亭ではキャセロール焼きにした、
ギソ・デ・タマレスを紹介したことがありましたね。
アトーレは同じくトウモロコシの粉で作った重湯風の飲み物。
朝食の定番です。

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それぞれのブースで自慢のタマレスやアトーレが売られ、
子供たちのブラスバンドの演奏と司会のマシンガントークで、
それはそれはすんごい盛り上がり!
僕らもひとつモーレ入りのタマレスを買って試食。
ん〜・・・マイス(トウモロコシ)の素朴な味を楽しむなら、
やっぱりトルティージャよりタマレスですね。
ピリ辛のモーレがアクセントになってとってもおいしい。
これは日本でいうとおにぎりなのかしらん?
そういえばマレーシアのナシルマもこれに近い発想でしたね。


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このフェスティバルは有名なのか、
ローカルメディアが複数取材に来ていました。
例によって目立っていた僕らは何度かインタビューを受けましたが、
僕のスパニッシュじゃまともな話にならないので、
「僕、日本人です!タマレスおいしい!
 メキシコの料理大好き!メキシコばんざ〜い!」
こんな受け答えしかできませんでした。(トホホ)
とまれ、こちらも取材する側ですので、
「一枚いいですか?」のカメラマンに、僕からも「一枚いいですか?」

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なるほどよく知られているのですね。
メキシコ人の観光客も来ていました。
僕らがローカルと話していたら、
少年たちがちらちら物珍しそうに見ながら通り過ぎ、
こっちから「Hola!」と声をかければ、戻って来るなり質問攻めに。
さらにお願いがあるというので聞いてみれば、
日本語で何かメッセージを書いてほしいとのこと。
そこで先のインタビューの回答とほぼ同じ内容を、
漢字、ひらがな、カタカナを交えて書いて渡しました。
彼らは何でもプエブラから来たそうな。

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夕食はソカロに面したこんなローカル食堂で。
こういう店は常連さんが沢山いて、
みなさんお気に入りのマイテーブルに付くと、
ホールスタッフは何も聞かずに「いつもの」を出してきます。
そして間もなく始まるお客さん同士のよもやま話。
もちろん何を言っているのかわかりませんけど、
こういう雰囲気が僕らは大好きです。

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で、お仕事も忘れちゃいませんよ。
外国人をほとんど見かけないローカルタウンの料理はどんなものか?
一般的なものを試してみましたが、
どれも素朴な味わいでおいしかったです。
これはスープタイプのアルボンディガス。
やさしい味のミートボールです。

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続いてポージョ(チキン)のアドボです。
アドボとはスペイン語の「漬け込む」から生まれたスペイン発祥の料理で、
ととら亭でもペルーバージョンを紹介したことがありますけど、
メキシコではプエブラ版、パパントラ版ともに、
御覧のとおりモーレで煮込んだものになっていました。
おもしろいのは、こうした料理を頼むと、どこの肉の部位か聞かれること。
たとえばチキンなら「ムネ肉とモモのどちらにします?」って具合に。
ここのアドボはモーレでも甘味がまったくなく、
辛味と苦みが効いた大人の味でした。ん〜・・・ディープだなぁ。

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メキシコシティへの移動日は朝イチでエル・タヒン遺跡へ。
ここもまたメキシコの文化的多様性を知るにはお誂え向きの場所で、
アステカ文明以前にトトナカ文明の拠点として建設された建造物は、
メキシコシティのテオティワカンやオアハカで訪れた、
サポテカ文明のモンテ・アルバンとも異なる様式。
なんでもマヤ文明の影響も強く受けているそうな。
なるほどチチェン・イッツァのピラミッドと、
似ている部分があると思いません?

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なぁ〜んて見入っていたら、遺跡警備の警察官の方が話しかけてきて、
ん? 写真を撮ってあげましょうか? ではないらしく、
自分のスマホを僕に渡してきたのですよ。
どうやら、「本官は外国人の来場者が来た場合、
職務(?)として一緒に記念撮影をすることになっております」
と言っているような・・・
そこで彼のスマホを向けると、いきなりまじめな表情になって、
要人と接するように、軽くお辞儀をしつつ、
ともこと握手をし始めたじゃないですか!
そこを横から撮って見せれば「うんうん、ムイビエン!」とな!
ただ歩いているだけで、こんなサプライズが次々とやって来る。
これが外国人観光客スレしていない、ローカルタウンのおもしろさなんですよ。

ん〜・・・いいですね。
これらの他にも、
買ったばかり温かいカモテ(サツマイモの煮たもの)をくれたタクシードライバーや、
片言の英語で他の人との通訳をしてくれたサポテカ人のおじさんなど、
たった2日間にもかかわらず、いろいろな人々との出会いがありました。
時間があればもっと長く滞在して、深くお付き合いしてみたいと思いつつも、
後ろ髪引かれながら移動した僕らなのでございます。

to be continued...

えーじ

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ソカロに面したローカル食堂で
posted by ととら at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月03日

第22回取材旅行 その6

この旅も折り返し。
ベラクルスからパパントラを経由して、
20時にメキシコシティの北バスターミナルに到着しました。

前半の南ルートでは、
オアハカ以外で外国人観光客を見たことはありませんでしたが、
パパントラともなると、
メキシコ人ですら観光で来ている人はいるのかどうか・・・
それくらいローカル色の濃い小さな街でした。

ま、それが一泊した理由でもあるのですけどね。
すっぴんのメキシコと出会うには、
こうしたところが一番なのですよ。

いやはやバスターミナルからして、
これまで訪れた街のそれとはまったく違っていました。
メキシコの北バスターミナルなんて東京駅級ですし、
ベラクルスやプエブラも長距離バスが10台以上は同時に駐車できる、
鉄道駅ぐらいの大きさがありましたが、
パパントラは街中の自動車修理工場といった風情。
バスが3台も停まればいっぱいです。

そこから歩いてソカロにほど近い安ホテルまで行けば、
待っていたのは、まさに素顔のメキシコでした。
当然、英語はまったくといっていいほど通じず、
例によって僕らは目立ちまくっていましたけど、
ローカルたちはほんと、とことんラブリーです。

道を歩いていて目があえば、
「Hola!」「Buenas tardes!」と声をかけてきますし、
そのときのスマイルは、
何か人間の根源的な純朴さを感じさせるじゃないですか。
こういうのって、東京ではまず経験できませんからね。

さて、明日からこの旅の後半。
北ルートの最初の街は、ミチョアカン料理の取材地、モレリアです。
ここも実は15年前に訪れた街のひとつなんですよ。
どうなったかな?
古い友人を訪ねるようで楽しみです。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記