先日、小用で外出したときに、
駅で袴姿の女性を見かけました。
そうか、卒業式なんだな。
僕にもそんな日があったわけですが、
(もちろん袴ではありませんでしたけど)
あれは青春時代のワンシーンだけのことかというと、
そうとも限らないような気がします。
精いっぱい打ち込んでいた何かをやめるとき、
僕らは「卒業した」という表現を使うことがあるでしょう?
会社を辞めたときや、
(転職大王だったもので・・・)
野方を旅立ったときは、
同じような気持ちになったことを思い出します。
ところがこと趣味の話になると、
いずれも「在学中」のまま齢を取っているような・・・
たとえば度々このブログでも触れている、
読書や物書きから音楽まで、
いずれも10代の頃から続いているものなんですよ。
その意味で僕の部屋はあの頃のまま、
本と楽器とCD(当時はレコード)に埋もれており、
子供部屋のままなんですね。
やっていることにしても、
神保町での古本あさりや、中古CD屋巡りは、
ハーフおじいさんになった今でさえ年中行事ですし。
そこで肝心の旅はどうなるのかしらん?
行き先が国内から海外に変わり、
ライダーがバックパッカーになりこそすれ、
これまた40年近くやっていますからね。
いつかは旅を卒業する日が来るのかな?
ん〜・・・それはもしかしたら、
人生を卒業する日と同じになるような・・・
そんな気がしないでもない春の日でございます。
えーじ
2024年03月29日
2024年03月26日
旅を勧めるそのわけは
「可愛い子には旅をさせろ」と昔の人はいいましたが、
これは現代でも十分当てはまるのではないか?
思うに、旅の効能のひとつが、「選択肢の拡大」なのですよ。
え? 旅に出ると何かの資格が得られるのか?
それとも職業スキルが身に付く?
いや、残念ながらそうではありません。
しかし、それ以上に役立つものが手に入るときがあります。
それは「広い視野」。
「価値観の多様性」と言ってもいいかな?
実際、僕はこれに随分助けられてきました。
さまざまな異文化に接することは、
異なる価値観で構成された社会を知るという意味でもあります。
僕らを常日ごろ、最も苦しめるのが、
「これしかないんだ!」という視野狭窄だとしたら、
そこで「いや、プランBがあるじゃないか」と思えたらどうでしょう?
受験に失敗した!
希望した企業に入れなかった!
組織で評価されなかった!
好きな人と片思いで終わった!
こういう人生における超ド級「がび〜ん!」なときに、
ポジティブにまた立ち上がれると思いません?
白状しますと、僕は個人的絶望を経験していません。
では順風満帆な人生を送ってきたのかと申しますと、
そうじゃないのは皆さんもご存知のとおり。
ではなぜ絶望しないのかというと、
「これしかないんだ!」という視点に立たなかったからなのですよ。
もちろん夢や目標は人並みにありましたし、
それに向かっての努力は惜しみませんでした。
しかし、たとえば会社員をやっていたときも、
「俺にはこれしかない、これを一生やって行くんだ!」
そう思ったことは一度もなかったのです。
だから僕の辞書に「昇進」はおろか、「定年退職」という単語もなかった。
いま、ここに、登るべき山がある。
ならば精いっぱい、これを登ろうじゃないか。
で、頂上まで登ったら?
そこからでしか見えない景色を楽しんで、
次を考えればいい。
じゃ、もしダメだったら?
山はこれだけじゃないのだから、別の山を探そう。
プランBは挫折や妥協の産物ではありません。
方法論的な戦略なのですよ。
大切なのは、目標や目的を見失わず、手段にこだわらないこと。
いい学校も、いい就職先も、いい待遇も、
とどのつまり、ひとつの手段でしかない。
でしょ?
では、目指すところとは何なのか?
旅はそれ知る有効な手段のひとつにもなり得るんですよ。
えーじ
これは現代でも十分当てはまるのではないか?
思うに、旅の効能のひとつが、「選択肢の拡大」なのですよ。
え? 旅に出ると何かの資格が得られるのか?
それとも職業スキルが身に付く?
いや、残念ながらそうではありません。
しかし、それ以上に役立つものが手に入るときがあります。
それは「広い視野」。
「価値観の多様性」と言ってもいいかな?
実際、僕はこれに随分助けられてきました。
さまざまな異文化に接することは、
異なる価値観で構成された社会を知るという意味でもあります。
僕らを常日ごろ、最も苦しめるのが、
「これしかないんだ!」という視野狭窄だとしたら、
そこで「いや、プランBがあるじゃないか」と思えたらどうでしょう?
受験に失敗した!
希望した企業に入れなかった!
組織で評価されなかった!
好きな人と片思いで終わった!
こういう人生における超ド級「がび〜ん!」なときに、
ポジティブにまた立ち上がれると思いません?
白状しますと、僕は個人的絶望を経験していません。
では順風満帆な人生を送ってきたのかと申しますと、
そうじゃないのは皆さんもご存知のとおり。
ではなぜ絶望しないのかというと、
「これしかないんだ!」という視点に立たなかったからなのですよ。
もちろん夢や目標は人並みにありましたし、
それに向かっての努力は惜しみませんでした。
しかし、たとえば会社員をやっていたときも、
「俺にはこれしかない、これを一生やって行くんだ!」
そう思ったことは一度もなかったのです。
だから僕の辞書に「昇進」はおろか、「定年退職」という単語もなかった。
いま、ここに、登るべき山がある。
ならば精いっぱい、これを登ろうじゃないか。
で、頂上まで登ったら?
そこからでしか見えない景色を楽しんで、
次を考えればいい。
じゃ、もしダメだったら?
山はこれだけじゃないのだから、別の山を探そう。
プランBは挫折や妥協の産物ではありません。
方法論的な戦略なのですよ。
大切なのは、目標や目的を見失わず、手段にこだわらないこと。
いい学校も、いい就職先も、いい待遇も、
とどのつまり、ひとつの手段でしかない。
でしょ?
では、目指すところとは何なのか?
旅はそれ知る有効な手段のひとつにもなり得るんですよ。
えーじ
2024年03月23日
旅のゲートウェイとして
「この前、マラッカに行ってきました!」
「今度、ペナン島へ行ってきます」
昨年の6月、マレーシアへ行って以来、
あの旅に言及するなかで、
自分も行ってみる!という方が現れ始めました。
嬉しいですね。
そうしたきっかけになることが、
僕らのミッションのひとつだと思っています。
でも、それは、
僕らのように旅をして、僕らのように感じてほしい、
という意味ではありません。
旅は人生に例えられるように、ふたつとして同じものがない。
だから、それぞれの人の、それぞれの旅がある。
IT稼業で独立資金を稼いだ僕が言うのもなんですが、
情報に攪乱された社会だからこそ、
経験の世界に踏み込んでほしい。
そうした思いが、この仕事の根底にあるのですよ。
スマホの小さな画面に表示されているのは、
現実の一部が、多くのフィルターを通ったものでしかありません。
そして断片化した事実を再構成することで、
どのようなフィクションでも構築可能なのです。
しかし、そのトリックを見破るには、
情報の小部屋から自分の意思で飛び出すしかない。
広大な経験の世界では、
しゃらくせえAIの魔法も通用しませんからね。
現実の世界には、現実しかないのです。
現実なんですから。
この意味を体感するのに、外国まで行く必要はありません。
肩書を外した、素の自分で、ちょっとした小旅行に出れば、
帰った後の日常が、どこか違って見える。
え? なんか難しそうだ?
大丈夫、そのコツはね、旅の空間で心を開くだけ。
いってらっしゃい。
えーじ
「今度、ペナン島へ行ってきます」
昨年の6月、マレーシアへ行って以来、
あの旅に言及するなかで、
自分も行ってみる!という方が現れ始めました。
嬉しいですね。
そうしたきっかけになることが、
僕らのミッションのひとつだと思っています。
でも、それは、
僕らのように旅をして、僕らのように感じてほしい、
という意味ではありません。
旅は人生に例えられるように、ふたつとして同じものがない。
だから、それぞれの人の、それぞれの旅がある。
IT稼業で独立資金を稼いだ僕が言うのもなんですが、
情報に攪乱された社会だからこそ、
経験の世界に踏み込んでほしい。
そうした思いが、この仕事の根底にあるのですよ。
スマホの小さな画面に表示されているのは、
現実の一部が、多くのフィルターを通ったものでしかありません。
そして断片化した事実を再構成することで、
どのようなフィクションでも構築可能なのです。
しかし、そのトリックを見破るには、
情報の小部屋から自分の意思で飛び出すしかない。
広大な経験の世界では、
しゃらくせえAIの魔法も通用しませんからね。
現実の世界には、現実しかないのです。
現実なんですから。
この意味を体感するのに、外国まで行く必要はありません。
肩書を外した、素の自分で、ちょっとした小旅行に出れば、
帰った後の日常が、どこか違って見える。
え? なんか難しそうだ?
大丈夫、そのコツはね、旅の空間で心を開くだけ。
いってらっしゃい。
えーじ
2024年03月20日
プラナカン料理特集が始まります!
この2日間は旅のメニュー替えでお店は休業。
例によって、
ジョギングに出かけた以外は自宅に籠っておりました。
今回の仕事は久しぶりのフルコース。
そう、野方時代のお客さまも知らない、
完全書き下ろしならぬ、レシピから起こした初のご紹介です。
店内の写真も一部入れ替えることから、
哀れなキヤノンのプリンターは悲鳴を上げていましたが、
何とか最後まで持ち応えてくれました。
プラナカン料理特集
この料理を目当てにマレーシアを取材したのは去年の6月。
え? 再現するのに半年以上もかかったのか?
いやいや、今でも取材旅行から帰国するなり、
「来週は今度行った国の料理が出るんですね!」
としばしば言われてしまうのですが、
残念ながら、ととら亭には、
未来からやって来たネコ型ロボットはいません。
たった二人しかいない人間が、
通常の営業の合間にレシピ調べから試作までしなければならないため、
どう逆立ちしても、これくらいの時間がかかってしまうのですよ。
それでも思い入れが深かっただけあって、
今回の再現レベルにはとても満足しています。
ほんと、プラナカン料理はおいしかったですからね。
なんとかあれを皆さんとシェアしたいと思っていまして。
それに旅そのものも良かったなぁ。
メニュー作りで写真を見返していたら、
いろいろなことを思い出しました。
あまりに盛りだくさんだったため、
限られた紙面に収めるのが難しくてね。
で、的を絞って作ったメニューブックの扉がこれです。


さて、一緒に旅に出かけませんか?
えーじ
例によって、
ジョギングに出かけた以外は自宅に籠っておりました。
今回の仕事は久しぶりのフルコース。
そう、野方時代のお客さまも知らない、
完全書き下ろしならぬ、レシピから起こした初のご紹介です。
店内の写真も一部入れ替えることから、
哀れなキヤノンのプリンターは悲鳴を上げていましたが、
何とか最後まで持ち応えてくれました。
プラナカン料理特集
この料理を目当てにマレーシアを取材したのは去年の6月。
え? 再現するのに半年以上もかかったのか?
いやいや、今でも取材旅行から帰国するなり、
「来週は今度行った国の料理が出るんですね!」
としばしば言われてしまうのですが、
残念ながら、ととら亭には、
未来からやって来たネコ型ロボットはいません。
たった二人しかいない人間が、
通常の営業の合間にレシピ調べから試作までしなければならないため、
どう逆立ちしても、これくらいの時間がかかってしまうのですよ。
それでも思い入れが深かっただけあって、
今回の再現レベルにはとても満足しています。
ほんと、プラナカン料理はおいしかったですからね。
なんとかあれを皆さんとシェアしたいと思っていまして。
それに旅そのものも良かったなぁ。
メニュー作りで写真を見返していたら、
いろいろなことを思い出しました。
あまりに盛りだくさんだったため、
限られた紙面に収めるのが難しくてね。
で、的を絞って作ったメニューブックの扉がこれです。


さて、一緒に旅に出かけませんか?
えーじ
2024年03月18日
次の3月3日に向けて
昨日でととら亭14周年記念週間が終わりました。
今年も皆さんとこの奇跡をシェアできたことは、
僕らにとって大きな喜びであり、
次の3月3日を目指す力強い励みです。
ただ漫然と歩いているだけでは、
目指す場所に着けません。
ここからの新しい旅は、
かつてなかったものになるでしょう。
そこで迷ったときに立ち返るのが、この原点の日です。
どちらの方向に進めばいいのか?
今、すべきことは何なのか?
地図を持たず、標識もない場所で佇み、
途方に暮れるのは珍しいことではありません。
それでも、静かに目を閉じて、
心の声に耳を傾ければ、答えはやがて見えてくる。
あとは自分を信じて進めばいい。
2025年の今日、僕たちはどこにいるのか?
とても楽しみにしています。
えーじ
今年も皆さんとこの奇跡をシェアできたことは、
僕らにとって大きな喜びであり、
次の3月3日を目指す力強い励みです。
ただ漫然と歩いているだけでは、
目指す場所に着けません。
ここからの新しい旅は、
かつてなかったものになるでしょう。
そこで迷ったときに立ち返るのが、この原点の日です。
どちらの方向に進めばいいのか?
今、すべきことは何なのか?
地図を持たず、標識もない場所で佇み、
途方に暮れるのは珍しいことではありません。
それでも、静かに目を閉じて、
心の声に耳を傾ければ、答えはやがて見えてくる。
あとは自分を信じて進めばいい。
2025年の今日、僕たちはどこにいるのか?
とても楽しみにしています。
えーじ

2024年03月15日
柴又よいとこ
「いい物件はありましたか?」
ととら亭で春の風物詩といえばこれ。
ランチタイムのお客さまが料理を待つ間に広げているのは、
部屋の間取り図。
入学や就職に伴う引っ越しですね。
「住む」という目的で新しい街を見て歩くのは楽しいものです。
物件の間取りと家賃以外にも、
駅からの距離、日常の買い物の利便性、
そして住居周辺の環境は大切ですから。
で、ここ柴又はどうか?
なんでも先日のニュースによると、
このエリアは家賃相場が都内でもかなり安いそうな。
具体的な賃料は分かりませんが、
確かに小耳に挟んだ数字は懐に優しいものでした。
では不便かというと、そういうこともない。
まず住環境はとてもいいと思います。
自動車がスピードを出す広い道路や、
急行電車が疾走する線路がないのでとても静か。
江戸川の河川敷がほど近く、自然にも恵まれています。
一言でいえば「のんびりした街」かな?
それでいて日常的な買い物をする店や、
各科の病院も揃っていることから、
選択肢こそ多くはありませんが、
暮らしていて不便はほとんど感じません。
ただ都心への通勤となると、
本数の少ない金町線がややネックかな?
一区間乗ってすぐ乗り換えがないぶん、
やはり上野や日暮里に一本でアクセスできる、
高砂や金町のアドバンテージが高いでしょう。
まぁ、その分、家賃が高めなのでしょうけどね。
というわけで、柴又は在宅勤務が多い人、
自動車通勤の人にベストマッチの街といえると思います。
え? かくいう僕らはどうか?
間もなく移住して2年になりますが、
とりわけ便利な柴又4丁目は、これ以上ない選択でした。
駅から徒歩1分(というか真裏!)、
日常の買い物や郵便局、ATMはみな150メートル圏内、
それでいて静かですからね。
あと忘れてはいけない、もうひとつ良さは、人のやさしさ。
寅さんは架空の存在ですけど、
映画「男はつらいよ」で描かれている人情深い下町は、
本当のことなんですよ。
えーじ
ととら亭で春の風物詩といえばこれ。
ランチタイムのお客さまが料理を待つ間に広げているのは、
部屋の間取り図。
入学や就職に伴う引っ越しですね。
「住む」という目的で新しい街を見て歩くのは楽しいものです。
物件の間取りと家賃以外にも、
駅からの距離、日常の買い物の利便性、
そして住居周辺の環境は大切ですから。
で、ここ柴又はどうか?
なんでも先日のニュースによると、
このエリアは家賃相場が都内でもかなり安いそうな。
具体的な賃料は分かりませんが、
確かに小耳に挟んだ数字は懐に優しいものでした。
では不便かというと、そういうこともない。
まず住環境はとてもいいと思います。
自動車がスピードを出す広い道路や、
急行電車が疾走する線路がないのでとても静か。
江戸川の河川敷がほど近く、自然にも恵まれています。
一言でいえば「のんびりした街」かな?
それでいて日常的な買い物をする店や、
各科の病院も揃っていることから、
選択肢こそ多くはありませんが、
暮らしていて不便はほとんど感じません。
ただ都心への通勤となると、
本数の少ない金町線がややネックかな?
一区間乗ってすぐ乗り換えがないぶん、
やはり上野や日暮里に一本でアクセスできる、
高砂や金町のアドバンテージが高いでしょう。
まぁ、その分、家賃が高めなのでしょうけどね。
というわけで、柴又は在宅勤務が多い人、
自動車通勤の人にベストマッチの街といえると思います。
え? かくいう僕らはどうか?
間もなく移住して2年になりますが、
とりわけ便利な柴又4丁目は、これ以上ない選択でした。
駅から徒歩1分(というか真裏!)、
日常の買い物や郵便局、ATMはみな150メートル圏内、
それでいて静かですからね。
あと忘れてはいけない、もうひとつ良さは、人のやさしさ。
寅さんは架空の存在ですけど、
映画「男はつらいよ」で描かれている人情深い下町は、
本当のことなんですよ。
えーじ
2024年03月12日
気が付けば絶滅危惧種 その4
動機なくして行動はなし。
ならば旅という行動の動機は、
なぜ薄れてしまったのでしょうか?
僕が思うに、
それは僕らの世代に責任の一端があるのかもしれません。
と申しますのも、話は終戦直後に遡ります。
戦後の焼け野原から、
僕らの親の世代は家電の三種の神器と、
マイホーム、マイカーのある社会を実現しました。
続く僕らの世代は、それを土台に、
個人用家電を備えたマイルームを創り出したのです。
この目覚ましい経済的成果は、
僕が旅先で出会った多くの外国人の羨むところでした。
しかし、ものごとには常に日の当たる表と暗い裏側があるものです。
この「豊かさ」を具現化した、心地よい6畳一間の空間こそが、
旅の動機を奪ってしまった原因のひとつなのではないか?
それも最も大きな。
「その2」で僕が行った旅人の定義は、
「自由を愛し、好奇心を持ち、ビンボーでも旅に出る人」でしたね。
ではもし、旅以上に自由があり、
好奇心を満たせる場があったとしたら、どうします?
それでもあなたは、ないおカネを工面して旅に出ますか?
そう、情報家電が揃った冷暖房付きのマイルームは、
旅を越えて、青年たちのニーズに応えていたのです。
なぜなら僕らが最も個人的自由を享受できる空間は、
公共の場ではなく、自分の部屋でしょう?
(裸になったって逮捕されないし)
さらに情報のレベルで好奇心が満たされるのであれば、
インターネットは無限の満足を与えてくれるはずです。
その環境を提供した僕らの世代が、
皮肉にも、自ら生み出した夢のマイルームに収まり切れないのは、
情報より先に経験の世界を知ってしまったからかもしれません。
思春期を過ぎるまで、パーソナルゲームやインターネットがなく、
自分の部屋に籠っても退屈なだけでしたからね。
(僕なんか典型的なバーチャル不感症だし)
で、これまた逆説的な話なのですけど、
僕らが作った情報の世界に適応できなかった若者が、
経験の世界に漕ぎ出しているのではないか?
そう、数少ない、新しい旅人としてね。
End
えーじ
ならば旅という行動の動機は、
なぜ薄れてしまったのでしょうか?
僕が思うに、
それは僕らの世代に責任の一端があるのかもしれません。
と申しますのも、話は終戦直後に遡ります。
戦後の焼け野原から、
僕らの親の世代は家電の三種の神器と、
マイホーム、マイカーのある社会を実現しました。
続く僕らの世代は、それを土台に、
個人用家電を備えたマイルームを創り出したのです。
この目覚ましい経済的成果は、
僕が旅先で出会った多くの外国人の羨むところでした。
しかし、ものごとには常に日の当たる表と暗い裏側があるものです。
この「豊かさ」を具現化した、心地よい6畳一間の空間こそが、
旅の動機を奪ってしまった原因のひとつなのではないか?
それも最も大きな。
「その2」で僕が行った旅人の定義は、
「自由を愛し、好奇心を持ち、ビンボーでも旅に出る人」でしたね。
ではもし、旅以上に自由があり、
好奇心を満たせる場があったとしたら、どうします?
それでもあなたは、ないおカネを工面して旅に出ますか?
そう、情報家電が揃った冷暖房付きのマイルームは、
旅を越えて、青年たちのニーズに応えていたのです。
なぜなら僕らが最も個人的自由を享受できる空間は、
公共の場ではなく、自分の部屋でしょう?
(裸になったって逮捕されないし)
さらに情報のレベルで好奇心が満たされるのであれば、
インターネットは無限の満足を与えてくれるはずです。
その環境を提供した僕らの世代が、
皮肉にも、自ら生み出した夢のマイルームに収まり切れないのは、
情報より先に経験の世界を知ってしまったからかもしれません。
思春期を過ぎるまで、パーソナルゲームやインターネットがなく、
自分の部屋に籠っても退屈なだけでしたからね。
(僕なんか典型的なバーチャル不感症だし)
で、これまた逆説的な話なのですけど、
僕らが作った情報の世界に適応できなかった若者が、
経験の世界に漕ぎ出しているのではないか?
そう、数少ない、新しい旅人としてね。
End
えーじ
2024年03月09日
Let's 決算2024
毎年、この時期になると感じる社会の大きな矛盾。
それは納税。
いや、税金が高いと嘆いているのではありません。
キックバックがけしからんと怒っているのでもない。
とにかく大変なんですよ、納税が。
いやいや、払うおカネがないと言っているのでもありません。
納付までのプロセスがハンパじゃないのです。
これ、天引きされていた会社員の頃には知りませんでしたが、
個人事業主となって驚きました。
決算書と確定申告書の作成がこれほど厄介とは!
まず、簿記のスキルがないと躓きますが、
それはITリテラシーで何とかカバーできます。
しかし細かいレシートの打ち込みだけでも、
かなりの時間を取られるのですよ。
(インボイスの導入でさらに!)

A4ファイルいっぱいの領収証の束。氷山の一角です。
さらに、ソフトウェア任せとはいえ、
いろいろ分からないことが出てきます。
そこでヘルプやFAQを調べるのですが、
それで解決できるのは半分くらい。
で、最後の手段のサポセンにすがろうにも、
ご察しのとおり、この時期に電話をすると、
「ただいま電話が大変混みあっております」の無限リピート。
チャットも同様で立ち上がらないし、
メールで問い合わせてもいつ回答が来るのやら・・・
え? そういうのは本家の税務署で訊けばいい?
って僕も最初は考えましたけど、
この時期に近付いちゃならない場所の筆頭が税務署なんですよ。
移転プロジェクトの関係で別の申請があったため、
3年前に確定申告締め切り間際の中野税務署に出向きましたが、
待っていたのは窓口にたどり着く前の長蛇の列。
さらに窓口で飛び交う怒号。
(今年はさらに荒れていそうだなぁ)
まことにおとろしか場所でございました。
それにそもそもいきなり行っても質問には答えてくれません。
質問は相談という取り扱いになり、事前予約が必要なのです。
(内容によっては相談すら応じてくれません)
となると急ぎは国税庁に電話で訊くしかない。
しかし同じ申請書を見ながら話すのとは違い、
電話では簡潔な一問一答式に進めないと、
なかなか「なるほど」とはならないのです。
困りました。
そういうと職員さんは、ほぼ確実のこうおっしゃいます。
「税理士に相談しては?」
ここで突き当たるのが冒頭でお話した「大きな矛盾」なんですよ。
納税は国民の三大義務のひとつでしょ?
義務の履行が自力では困難な現状って、おかしいと思いません?
実のところ、僕はこれまで自力で確定申告している同業者に、
ひとりも会ったことがありません。
(みんな税理士さんに丸投げ)
アプリ版e-taxユーザーに至っては、野方時代の仲間を含めてもゼロ!
住澤さん。それから河野さんも。
まずご自身で環境構築からやってみて下さい。
僕の言わんとすることがお分かり頂けるかと思います。
えーじ
それは納税。
いや、税金が高いと嘆いているのではありません。
キックバックがけしからんと怒っているのでもない。
とにかく大変なんですよ、納税が。
いやいや、払うおカネがないと言っているのでもありません。
納付までのプロセスがハンパじゃないのです。
これ、天引きされていた会社員の頃には知りませんでしたが、
個人事業主となって驚きました。
決算書と確定申告書の作成がこれほど厄介とは!
まず、簿記のスキルがないと躓きますが、
それはITリテラシーで何とかカバーできます。
しかし細かいレシートの打ち込みだけでも、
かなりの時間を取られるのですよ。
(インボイスの導入でさらに!)

A4ファイルいっぱいの領収証の束。氷山の一角です。
さらに、ソフトウェア任せとはいえ、
いろいろ分からないことが出てきます。
そこでヘルプやFAQを調べるのですが、
それで解決できるのは半分くらい。
で、最後の手段のサポセンにすがろうにも、
ご察しのとおり、この時期に電話をすると、
「ただいま電話が大変混みあっております」の無限リピート。
チャットも同様で立ち上がらないし、
メールで問い合わせてもいつ回答が来るのやら・・・
え? そういうのは本家の税務署で訊けばいい?
って僕も最初は考えましたけど、
この時期に近付いちゃならない場所の筆頭が税務署なんですよ。
移転プロジェクトの関係で別の申請があったため、
3年前に確定申告締め切り間際の中野税務署に出向きましたが、
待っていたのは窓口にたどり着く前の長蛇の列。
さらに窓口で飛び交う怒号。
(今年はさらに荒れていそうだなぁ)
まことにおとろしか場所でございました。
それにそもそもいきなり行っても質問には答えてくれません。
質問は相談という取り扱いになり、事前予約が必要なのです。
(内容によっては相談すら応じてくれません)
となると急ぎは国税庁に電話で訊くしかない。
しかし同じ申請書を見ながら話すのとは違い、
電話では簡潔な一問一答式に進めないと、
なかなか「なるほど」とはならないのです。
困りました。
そういうと職員さんは、ほぼ確実のこうおっしゃいます。
「税理士に相談しては?」
ここで突き当たるのが冒頭でお話した「大きな矛盾」なんですよ。
納税は国民の三大義務のひとつでしょ?
義務の履行が自力では困難な現状って、おかしいと思いません?
実のところ、僕はこれまで自力で確定申告している同業者に、
ひとりも会ったことがありません。
(みんな税理士さんに丸投げ)
アプリ版e-taxユーザーに至っては、野方時代の仲間を含めてもゼロ!
住澤さん。それから河野さんも。
まずご自身で環境構築からやってみて下さい。
僕の言わんとすることがお分かり頂けるかと思います。
えーじ
2024年03月06日
夢を形に
「へぇ〜、こうなるんだったのですね!」
柴又で再スタートしたとき、
お礼のレセプションで職人さんたちから口々にそう言われました。
いま皆さんに来て頂いているととら亭がいちばん最初に出来たのは、
工事現場ではなく僕の頭の中。
施工業者さんにデザインイメージを伝えていたものの、
本当の完成形を知っていたのは、僕だけだったのですよ。
(もちろん、ともこには都度説明していましたが)
店舗を作るプロセスは実にエキサイティングなもので、
他に例えるのが難しいくらいの感動があります。
なんといっても、
無から生まれたイメージが現実の形になって行くのですからね。
とりわけすべてが初めての経験だった野方では、
14年経った今でも忘れられない素晴らしい思い出になりました。
毎年、春に野方の税理士さんを訪れるのは、
その建物に再会し、
自分の原点に返るセレモニーの意味もあるのですよ。
夢を形に。
すべては一枚の紙の上から始まったのでした。
えーじ

野方のととら亭のイメージ(一部)
柴又で再スタートしたとき、
お礼のレセプションで職人さんたちから口々にそう言われました。
いま皆さんに来て頂いているととら亭がいちばん最初に出来たのは、
工事現場ではなく僕の頭の中。
施工業者さんにデザインイメージを伝えていたものの、
本当の完成形を知っていたのは、僕だけだったのですよ。
(もちろん、ともこには都度説明していましたが)
店舗を作るプロセスは実にエキサイティングなもので、
他に例えるのが難しいくらいの感動があります。
なんといっても、
無から生まれたイメージが現実の形になって行くのですからね。
とりわけすべてが初めての経験だった野方では、
14年経った今でも忘れられない素晴らしい思い出になりました。
毎年、春に野方の税理士さんを訪れるのは、
その建物に再会し、
自分の原点に返るセレモニーの意味もあるのですよ。
夢を形に。
すべては一枚の紙の上から始まったのでした。
えーじ

野方のととら亭のイメージ(一部)
2024年03月03日
14回目の奇跡
楽しいことも、大変なことも、いっぱいあった14年間でした。
無事、15年目の初日を迎えられたことに感謝しています。
今年もいつもお世話になっている、
近所の八百勝さんの皆さんが総力戦で探してくれた、
大きなピーマンを使った、
チレス・エン・ノガーダを作れることをありがたく思ってます。
移転しても遠くから通ってくれるお客さま、
新しくととら亭を知ってくださったお客さま、
協力してくださっているパートナーの企業さま、
仲間に入れてくれた柴又の商店街の皆さま、
野方から応援してくれる仲間のお店の人たち、
心配してくれる家族、
そして一番近くで私を支えてくれているえーじに、
本当にありがとう! って言いたいと思います。
今年は今まで以上にパワフルに生きたいと思います!
ともこ
当たり前が当たり前ではないのが僕らの旅。
それはととら亭での仕事にも当てはまり、
お店があって当然と思ったことは一度もありません。
むしろ毎年3月3日を迎えるたびに、
ととら亭が存在しているのはひとつの奇跡なのだ、
そう、考えざるを得ないのが正直なところです。
そしてその奇跡とは、出会いの謂いでもあります。
あの日、あのとき、あの場所で、
あなたと出会っていなければ、今日のこの日はなかった。
だから、すべてのあなたに、
どうもありがとう!
えーじ

14個目のダルマに目が入りました!
無事、15年目の初日を迎えられたことに感謝しています。
今年もいつもお世話になっている、
近所の八百勝さんの皆さんが総力戦で探してくれた、
大きなピーマンを使った、
チレス・エン・ノガーダを作れることをありがたく思ってます。
移転しても遠くから通ってくれるお客さま、
新しくととら亭を知ってくださったお客さま、
協力してくださっているパートナーの企業さま、
仲間に入れてくれた柴又の商店街の皆さま、
野方から応援してくれる仲間のお店の人たち、
心配してくれる家族、
そして一番近くで私を支えてくれているえーじに、
本当にありがとう! って言いたいと思います。
今年は今まで以上にパワフルに生きたいと思います!
ともこ
当たり前が当たり前ではないのが僕らの旅。
それはととら亭での仕事にも当てはまり、
お店があって当然と思ったことは一度もありません。
むしろ毎年3月3日を迎えるたびに、
ととら亭が存在しているのはひとつの奇跡なのだ、
そう、考えざるを得ないのが正直なところです。
そしてその奇跡とは、出会いの謂いでもあります。
あの日、あのとき、あの場所で、
あなたと出会っていなければ、今日のこの日はなかった。
だから、すべてのあなたに、
どうもありがとう!
えーじ

14個目のダルマに目が入りました!
2024年03月01日
気が付けば絶滅危惧種 その3
はっきり申しまして、僕らの世代は、いわゆる、
なに考えてんだ?
な人が少なくなかったと思います。
僕なんかその典型的な一例の、
快楽追及・刹那型・自己チュー男で、
その日、その瞬間に没頭して生きていました。
仲間もそうした連中が多かったものですから、
「老後」なんて言葉を口にしようものなら、
白眼視は免れない雰囲気だったのですよ。
いや、老後どころか、明日の心配をしただけで、
(明日早いから・・・なんて言って誘いを断ると)
「ダサイやつ!」のレッテルを貼られたものです。
そのムードでは「疲れた」とため息をつくのもNGでしたね。
こうした輩に共通したモットーは、
やらないで後悔するより、やって失敗する方がまし。
とにかく考えるより先に行動するから、
なに考えてんだ?
と問われても答えがない。
考えてないんですから。
なので、旅人になぜ旅に出るのか訊いても、
即答できる人はまずいなかったでしょう。
自分でも分かってないんですよ、その理由が。
僕もまた例外ではなく、
「俺はなぜ雨の国道を震えながら走っているのだ?」
「俺はなぜ雪山で一人、黙々とラッセルしているのだ?」
と素朴に自問したことが何度もありましたけど、
それはこれこれの理由があるから、
と納得したことなど、ついぞなかったのです。
やがて悟ったのは、
探しても理由はない、
ということ。
つまり旅は何かの手段や目的ではなく、
自分自身の在り様なのですね。
換言するなら、旅なくして自分もない。
現在に至る新しい時代に適応したのは、
こうした無思慮な輩ではなく、
後先のことをきちんと考える人たちだったのでしょう。
30年前から日本は分別の、まじめな時代へと変わって行った。
これが旅人の減少を説明する僕のひとつの仮説です。
to be continued...
えーじ

1990年代前半。阿蘇のどこかの草原でキャンプ。
この後、鹿児島まで走り、フェリーで沖縄に渡りました。
ソロの気ままな時代。
なに考えてんだ?
な人が少なくなかったと思います。
僕なんかその典型的な一例の、
快楽追及・刹那型・自己チュー男で、
その日、その瞬間に没頭して生きていました。
仲間もそうした連中が多かったものですから、
「老後」なんて言葉を口にしようものなら、
白眼視は免れない雰囲気だったのですよ。
いや、老後どころか、明日の心配をしただけで、
(明日早いから・・・なんて言って誘いを断ると)
「ダサイやつ!」のレッテルを貼られたものです。
そのムードでは「疲れた」とため息をつくのもNGでしたね。
こうした輩に共通したモットーは、
やらないで後悔するより、やって失敗する方がまし。
とにかく考えるより先に行動するから、
なに考えてんだ?
と問われても答えがない。
考えてないんですから。
なので、旅人になぜ旅に出るのか訊いても、
即答できる人はまずいなかったでしょう。
自分でも分かってないんですよ、その理由が。
僕もまた例外ではなく、
「俺はなぜ雨の国道を震えながら走っているのだ?」
「俺はなぜ雪山で一人、黙々とラッセルしているのだ?」
と素朴に自問したことが何度もありましたけど、
それはこれこれの理由があるから、
と納得したことなど、ついぞなかったのです。
やがて悟ったのは、
探しても理由はない、
ということ。
つまり旅は何かの手段や目的ではなく、
自分自身の在り様なのですね。
換言するなら、旅なくして自分もない。
現在に至る新しい時代に適応したのは、
こうした無思慮な輩ではなく、
後先のことをきちんと考える人たちだったのでしょう。
30年前から日本は分別の、まじめな時代へと変わって行った。
これが旅人の減少を説明する僕のひとつの仮説です。
to be continued...
えーじ

1990年代前半。阿蘇のどこかの草原でキャンプ。
この後、鹿児島まで走り、フェリーで沖縄に渡りました。
ソロの気ままな時代。