2024年07月29日

心のタイムカプセル

先日、ともこの実家の片付けに行ったとき、
古いアルバムをたくさん見つけました。
なかでもいちばん印象に残ったのが、
生まれて最初の写真が綴じられたもの。

かわいかったですね。
大学生になった頃からの写真は見たことがありましたけど、
赤ちゃんのときのものは僕も初めてです。

なるほど気の強いところは、
こんな小さなころからも感じられるんだな。

そんなことを思いつつ、ページを繰っていて気付いたのは、
カメラを見つめて浮かべる笑顔の多さ。

ポートレイトというのは人物を撮影したものですが、
そこに写っているのは、撮影された人だけではありません。
被写体の表情は鏡のように、撮っている人を映しているのですよ。
そう、子供の表情はカメラにではなく、
その後ろにいる人に向けられたものですからね。

それに気付いた瞬間、ずっしりしたアルバムの手ごたえが、
ともこの父と母の、愛情の重さであることがわかりました。
写真に添えられた手書きのコメントからは、
若い夫婦の言葉にできない喜びが生き生きと感じられます。

そうか、生まれて最初のアルバムというのは、
まさに親の愛情が形になったものなんだ。

思えば、これは僕にも当てはまる気がします。
僕はよくある崩壊家庭の申し子ですが、
最初のアルバムだけは、
あきらかにその後のものと違っていましたから。

聞けば、デジタル世代は紙のアルバムを作らないそうな。
ま、確かに場所を取りますからね。

でも、もしあなたに子供がいるなら、
生まれて最初の一冊だけ、作ってみてはいかがでしょう?
それはきっと、
その子が生まれたときの、お二人の気持ちを伝える、
タイムカプセルになりますから。

えーじ
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2024年07月26日

第24回取材旅行の準備 その1

「体調は大丈夫ですか?」

出発を11日後に控え、
老朽化の進んだ体を心配してくれた方々から、
こんなお言葉を頂いております。

これは当然のことながら本人も気にしているところで、
(ハーフおじいさんですからねぇ・・・)
日頃のトレーニングに加え、
1カ月前には健康診断も受けていました。

結果は二人ともオールグリーン。

これで不安要素はなくなったか。
体の調整も終わったことだし、
あとは出発まで現状維持を心がけよう。

と安心していた先週の木曜日。

ランチ営業が終わった後、仕事部屋でブログを書き終えた僕が、
まさにアップロードボタンを押そうとしたとき・・・

ん? いかんいかん、仕事に没頭していて姿勢が悪かったな。
きちんと深く座り直さなくちゃ。

そう体を動かしたとたん、

ビキっ!

え? なんだこりゃ、腰の安全装置がはずれたぞ!

僕は両腕で座面の縁をつかみ、上半身を持ちあげました。
そうすると腰の電撃は消えたのですが、
再びお尻をつけて背骨に体重を乗せた瞬間、

ビキっ!

おわっ・・・ヤバイじゃん!
どうなってんだこりゃ?

こうなった場合、やるべきことはただひとつ。
それはまず、爆発させない安全な姿勢を探がすこと。
僕はもう一度、両腕で上半身を持ちあげ、
いろいろな角度で着地点を探し始めました。
しかし、どんな姿勢を試みても、爆発する気配が濃厚です。

ピ〜ンチ!

落ち着け。
この段階なら薬を飲めば何とかなる。
でも、それにはともこを呼ばないと・・・

僕のすぐ目の前には電話の子機があります。

内線で彼女を呼ぶには・・・
両腕は上半身を持ちあげるので忙しい。
かといって足でボタン操作は無理だ。
ここはどうしても片腕だけで姿勢を保ち、
もう片方で内線電話をかけるしかないな。

僕は背骨にかかる体重を最小限にする姿勢を探し、
椅子の上でもがき始めました。
それはさながらヨガの初心者が、
慣れない練習をやっているように見えたことでしょう。

こ、これなら・・・だいじょうぶ・・・か?
ダメ? お、これで・・・どうだ?

僕はほぼ左腕だけで傾けた体を支え、受話器に手を伸ばし、
トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、

「はぁ〜い、なぁに?」
「も、もしもし? 腰の薬一式と水を持ってきてくれる?
 それから座薬も!」

ここまで話したところで無理な姿勢を保つのはもう限界。
ほどなくしてともこが駆けつけてくれました。
そして椅子の上で汗びっしょりの僕を前に、

「筋トレやってるの?」

うう・・・ラブリーな質問だ。

「腰の安全装置が外れちゃったんだ。
 その薬をプラシートから出して飲ませてくれるかな?」

時計はまもなく16時。
あと30分もすれば、効果が出始めるだろう。

ここで幸い、体を微妙に前傾させれば、
背骨に体重をかけられる姿勢がわかりました。

「今夜の予約は何件だったっけ?」
「2件だよ」
「それじゃ満席ということにして、
 すまないけどワンオペで対応できる?」

こうして当日はダウンしましたが、
初動対応が奏功したのか金曜日のディナーには、
コルセットを付けて出動。
そこから急速に回復し、
5日後にはジョギングできるようになりました。

どうやらこのところ増えたデスクワークで座っていることが多く、
そのときの悪い姿勢が原因だったようです。

気を付けねば。

to be continued...

えーじ

P.S.
新しい読者の皆さまへ
僕の「ビキっ!」につきましては、こちらをご参照くださいませ。

入院日記 その1
posted by ととら at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年07月23日

今日は宿題やってます

今日は葛飾納涼花火大会。
好天に恵まれ(暑すぎですが)、予定どおり開催されそうですね。
で、昨年、初の屋台営業をやったととら亭は・・・

お休みです。

え? なぜだ? 楽しみにしてたのに?
すみません、長旅前の準備で立て込んでおりまして。
さすがに4カ月超の期間ともなると、
事前にやらねばならないTodolistもかなりの長さなのですよ。

また、初めての挑戦ですから、
出発前の段階でも何が起こるか分かりません。
そこで予定をパツパツにしてしまうと、
どうにもできなくなっちゃうでしょ?
不測の事態に対処するには、
おカネより時間が最も重要なリソースですからね。

というわけで、
僕は朝からマラケシュ、フェズ間での砂漠を越える移動手段と、
スペイン、ポルトガル、アンドラ間とフランス内でのレンタカーの手配。
アイルランドに渡るフェリーのタイムテーブルも調べなくちゃ。
ともこは各都市で取材する料理のリスト作りに没頭しています。

それから現地で会う友人たちとの調整も忘れてはいけません。
長旅とはいえ、一都市に滞在できるのは長くても3日程度。
ランデブーはピンポイントで決めておく必要があるのです。

マラケシュの友人はOK。
ところが運命のいたずらか、
ハンブルグの友人は僕らが通過するころ留守とのこと。
なんと時を同じくして日本に行くというじゃないですか!
こりゃまたとんでもない行き違い!
そこで会う日にちを前にずらし、
僕らがドイツで最初に訪れる予定のケルンで会えないか調整中。

これ、バンコクのブラザーにも当てはまり、
先月、「10月に東京へ行くから新しいととら亭を訪れるのが楽しみだよ!」
というメールが・・・
やれやれ、そのころ僕らはイタリアのどこかにいるというのに。
こればかりはどうしようもない。
ま、タイは来年のパート2ルートに入っていますから、
そのとき会えるでしょう。

このほか、現地で引き出す資金の口座間移動や、
夜逃げと思われないよう、パートナー企業への支払期日の調整など、
あれこれ細かいタスクがてんこ盛り。
なんとか夜までに片付けて、花火を見に行けるといいのだけどな。

えーじ
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2024年07月20日

柴又2周年記念!

これでも一応、経営者の端くれですから、
中長期計画なんぞも教科書的に作ってはいるものの、
現実はといいますと、飛んで来た球を打ち返す日々。

そこでふと、われに返れば、

あれからもう2年が経ったのか・・・

と、気分は浦島太郎でありました。

ほんと、あまりに多くのことが起こりまくったおかげで、
時間の感覚がずれてしまったのでしょうね。

2年前のこの日。

柴又での再スタートは、
野方でのデビューとはまた違った重みを感じています。
いうなれば、それは仕事という枠を超えた、
人生の新しい舞台と申しますか。

ですから2010年3月3日と同じく、
2022年7月20日もまた、一生忘れることはないでしょう。

そして僕らが生きている限り、
たとえ、ととら亭がなくなってしまったとしても、
この日を祝い続けると思います。

夢を形に。
旅を現実に。

ともこ & えーじ

柴又2周年記念
モロッコの祝祭料理パスティラ
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2024年07月18日

アヴァンギャルドの化石

昨日は長旅前の最後のオフ。
久しぶりに上野の東京都美術館に行ってきました。
ジョルジョ・デ・キリコ展をやっているのですよ。

これまた少々マニアックな話で恐縮ですが、
若かりし頃からアウトサイダーだった僕は、
学校で教えてくれない世界に興味を持っておりまして。
当時、そんな若造のガイドだったのが渋澤龍彦。
彼の本を乱読しているうちに、
出会ったもののひとつがシュールレアリスムだったのです。

これ、日本では「シュール = とっぴなもの」
のような使われ方をする俗語のひとつになってしまいましたが、
元来は思想のムーブメントでね。

あ、「思想」なんて言葉を使うこと自体、おじいさんなんだろうな。

ま、いいか。
先を続けましょう。

約100年前、思想的な行き詰まりに陥っていたヨーロッパでは、
それを打開すべく、さまざまな試みが行われておりました。
なかでもダーウィンの進化論、ソシュールの記号論に次いで、
フロイトの精神分析理論は、
学問や芸術の分野を横断して大きな影響を及ぼしていたのですね。
これをアートの世界に応用したのが、
ダダイズムの流れをくむシュールレアリスムだったのです。

昨今はサルバドール・ダリやジョアン・ミロなどの絵画が有名ですけど、
もともとは発起人のアンドレ・ブルトンが詩人だったように、
文学系を中心とした思想でね。
自我の干渉を排除した創造行為(オートマティズム)が骨子になっていて、
それは技術手法にとどまらず、思想、
つまりイデオロギーのレベルのムーブメントになっていました。

それゆえ、当然のことながら生まれた途端にトラブルが絶えず、
(内紛ばかりしてたからね。ダリも除名されちゃったし)
結局、ブルトンの死とともに活動もまた終わってしまいましたが、
コラージュやデカルコマニーなど、
偶然を利用して作品を制作するテクニックは今でも受け継がれています。

僕のお気に入りはルネ・マグリットとレメディオス・バロ。
かつての実家には、
前者の「アルンハイムの領地」の大型ポスターが貼ってありました。
また、造形系では四谷シモンや天野可淡、押井守らが影響を受けた、
ハンス・ベルメールが好きで、
当時あった池袋のリブロポートや神保町を徘徊し、
高価な写真集を買い集めたものです。
(残念ながら球体関節人形のレプリカは高すぎて買えませんでした)

しかし、アバンギャルドも様式化されれば、その命を失います。
今では学校でもフツーにシュールレアリスムを教えてくれるようになり、
古典の一種になってしまいましたからね。
ブルトンがもしまだ生きていたら、何ていうだろうな?

ん〜・・・たぶん寺山修司が力石徹の葬儀を行ったように、
擬人化したシュールレアリスムを処刑するのではないかしらん?
(ぞれも十字架にかけて火を付けたりして!)

とまれ、作品ではなく、作品を見る人々を見ていて、
僕はキリコの十八番、
「破たんした遠近法」をリアルに感じていたのでございます。

えーじ
posted by ととら at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年07月16日

僕が齢を感じるとき

ジェフ・ベック、クリスティーン・マクヴィー、
そしてチャーリー・ワッツ・・・

バンド小僧だったころのヒーローやヒロインたちが次々と他界し、
世の無常をひしひしと感じている昨今、
さらにショックの追い打ちをかけたのが楽器メーカーの衰退。
2018年のギブソンに続き、
まさかフェルナンデスが倒産するとは!

生身の人間はともかく、
企業は引き継いでいけると楽観していたのですが、
今の音楽業界を鑑みると、そういうわけにはいかないようですね。

思えばステレオやミニコンポからスマートフォンへ、
変わったのは音楽の聴き方だけではありません。
はやりのジャンルもまた、この40年間で様変わりしました。

僕の若かりしころ、演歌が年配のかた御用達だったように、
今ではロックがおじさんとおばさん向けのジャンルなのですよね。
とりわけハードロックなんて、ファッション的にもレトロそのものでしょ?
(下手すると時代遅れのパロディー!)
となると、エレキギターが売れなくなるのも当然か・・・
そういえば最近は、
ギターを背負って歩いているハイティーンを見かけなくなったし。

ロック、オートバイ、詩と小説、演劇、そして旅・・・

僕は身体能力の衰えや外見の変化なら、すんなり受け入れています。
とはいえ、
自分のライフスタイルに深く組み込まれたものが消えて行くとなると、
何も感じないではいられません。

先に挙げたいずれもが、ほとんど50歳以上の人々の対象となった今、
若手に思い入れのあることを熱く語るのは、
おじいさんが昔を懐かしむのと同じではないか?

なるほど、歳を取るというのは、こういうことなのかもしれないな。

僕は使い込んだフレットレス5弦ベースをチューニングしながら、
そんなことを考えておりました。

えーじ
posted by ととら at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年07月13日

旅の落とし穴

皆さまご存知のように、僕は経験主義者です。
何を信じているかといえば、それは自分の経験ですから。

しかし、ここには危険な落とし穴がありまして。
これ、10〜20カ国程度を周ったころの旅人がよく落ちるもので、
(僕も例外ではありませんでした)
それは、

オレは知っている。

との思い込み。

たとえば、ある国境を越えたとしましょう。
そこでは本来イエローカード(※)の提示が求められるはずでしたが、
自分のとき、なぜかそうではなかった。
すると誰かに質問された際、

「ああ、あれはもう必要ないよ。オレは何も言われなかったから!」

こんな風に答えます。
(ネットにもそう書き込んだりしてね)

これが前回お話した情報の拡大解釈と同じエラーであることは、
説明するまでもありませんよね?
まさに断片的には事実でも、全体的にはフィクション(空想)ですから。

この傾向は外務省が退避勧告を出している国に入り、
武勇伝をぶち上げる輩にも共通していて、
「ウクライナ? アフガン? ソマリア?
 ぜんぜん大丈夫っすよ。オレ、行ってきましたから!」
てな具合で。
それが自分の実力ではなく、運に救われただけとは知らずに。

経験は確かに信用できます。
しかし、それはあくまで個人用で、
けして一般化できるものではありません。

個人が経験できることなんて、本当に限られた範囲だけなのですよ。
僕らに見えているのは現実のごく一部だけであって、
けして全体ではない。
その場で見えない影の部分を勝手に補足し、
きっとそうに違いないと都合よく解釈しているに過ぎません。

ともあれ、この若気の至りも旅を続けていれば、
ほどなく修正されます。
いや、改心せざるを得なくなるのですよ。
なぜなら、旅はいつもクールに現実を突きつけてきますから。
どんな幻想を抱いているにせよ、遅かれ早かれ、
「どうだ? お前の思ったとおりになってるかい?」
と無慈悲に打ち砕いてくる。
そこで今更ながらに気付くわけです。

オレはぜんぜんわかってない。

ってね。

しかし、この落ち込みこそが旅を楽しむ最大のコツなのですよ。
だって、知らないからこそ、知ろうと思うんでしょ?
知ったつもりでいたら、どこへ旅しようとも、
見えているようでいて、何も見えなくなってしまいます。

そう、これを「好奇心」っていうんじゃなかったっけ?

えーじ


※ イエローカード
黄熱病予防接種の証明書
posted by ととら at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年07月10日

情報が現実になるとき

今回の長い旅では移動範囲が広いため、
事前に調べなければならない情報の量も膨大です。

なかでも料理以上に重要なのがセキュリティ。
僕はスリルとサスペンスが大キライですからね。
(誤解なきよう!)
平和で楽ちんでハッピーな旅が好き。

しかし、イヤでもトラブルは向こうからやってくるのですよ。
どうやら僕がお好みのようで・・・
そこで可能な限り出っくわさないよう、
細心の注意を払って情報を分析しているわけです。

ここでポイントとなるのがその確度。

こと旅に関してなら、僕は他人の話をあまり真に受けません。
たいてい「ふぅ〜ん」って感じ。
たとえそれが国の公式発表であったとしてもね。
実際、外務省のウェブサイトの情報が、
現地の状況と一致していなかったことなんて、
珍しくもなんともないですから。

となればメディアの伝えることは押して知るべしですし、
個人がインターネットで発信している情報に至っては、
話10分の1程度にしか受け取っていません。
(僕の話も怪しいですよ!)

そこで確度をざっと10段階評価でソートすると、

8 現地で現地の人に聞いたこと
7 民主主義政府の発表
7 知っている人から聞いた本人の経験
6 紙で発行された本
6 バイアスの低いメディア
5 他人の経験
4 バイアスの高いメディア
3 独裁政権政府の発表
3 他人が持っていた情報
2 実名で発信されたネット上の情報
1 匿名で発信されたネット上の情報

こんなところでしょうか。

さらに重要な判断を行う場合は、
複数のソースから情報を収集し、内容を突合します。
それでも情報確度は最高が9で、10と評価はしません。
このひとつの違いはとても大きいのですよ。

取りあえず進むにしても、常に1の不確定要素はある。
だから可能な範囲で不測の事態に備えたカードを用意する。
こうして僕らは単独の旅をしてきました。
情報の解釈を誤ると、ときにはおっかないことになりますからね。

日常でも注意しているのはメディアの情報です。
いつぞやもお話したことがありましたけど、
事実の組み合わせや選別の仕方で、
フィクションを描き出すことは可能なのですよ。

旬なトピックでいうなら「物価」。
新型コロナ禍以降、取材に行くと必ず言われるのが、
「よくおカネがありますね!」
続いて、
「だってグラスワインが3千円くらいするんでしょ?」
「ラーメンが1万円だって!」
「2人でディナーを食べたら6万円もしたって聞きました!」
この手の話が実に多い。

いずれも嘘ではありません。
しかし、事実でもない。
言い換えると、断片的には事実ですが、
全体としてはフィクションなのです。
メディアが醸し出したかったイメージは、

円安で日本経済はもうダメだ!
政府が無能なせいで海外旅行も行けなくなった!

ではないかしらん?

しかし、新型コロナ禍以降、昨年の1月から、
インドネシア、マレーシア、タイ、オーストラリア、メキシコ、
フィリピン、台湾の7カ国を旅した経験から申しますと、
店を選べばフツーに旅ができます。
「うへぇ〜、これじゃ水も買えなきゃ飯も食えない!」
なんてことは一度もありませんでした。

よく引き合いに出されるのがオーストラリアのミネラルウォーター。
確かに空港では600mlのボトルが650円前後しましたけど、
スーパーで買えば2リットルで200円くらい。
食事にしてもそう。
店を選べば1000円未満でお腹いっぱい食べることはじゅうぶん出来ます。
要は高い店で買えば高く、安い店で買えば安い。
これは今も昔も、外国も日本も同じことです。

でもそう言っちゃおもしろくもなんともない。
話題にならなきゃ、
(僕らがヘッドラインに釣られてクリックしなくちゃ)
メディアさんも飯の食い上げでしょ?
それで針小棒大の報道を繰り返しているのかも。

僕らの頭の中は、自分の経験より、
他人からもらった情報で出来ている部分が多いような気がします。
にもかかわらずリアリティを感じていられるのは、
どこかで情報が事実にすり替わっているからかもしれません。
それも無意識的に。これはちと怖いと思いません?

しかし、自分の頭の中で動くこのプロセスに気付けば、
情報との付き合い方がうまくなり、
ひいては印象操作やガセネタに引っかかることも減るのではないか?

そんなことを考えながら、今日も資料を読んでいます。

えーじ
posted by ととら at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年07月07日

School of Life

バンド、オートバイ、ラグビー、友だち、そしてガールフレンド。

振り返れば僕の青春時代はシンプルなもので、
この5つで世界が回っていました。

同年齢に比べると大人びた小僧でしたが、
それでもハッピーな人生に必要なのは、
たったこれだけだったのです。
そして実際、これらがあれば僕は幸せでした。

もちろんバイトもしていましたよ。
いずれも資金が必要でしたからね。
でも、おカネそのものは目的ではなく、
あくまでスタジオ代やガソリン代にデート費用のための手段。

え? 勉強はどうした?

平日は授業が終わると部活で汗を流し、
18時ごろバスに乗って、
学生服のまま野毛(横浜のうさん臭いオヤジの街)へ。
そこの居酒屋で賄いの夕飯をかき込み、23時までバイト。
終バスで自宅に帰り、シャワーを浴びたら気絶。
で、週末は試合がなければバンドの練習かデート。
そうなると授業中は・・・

爆睡キングでした。
とうぜん成績は落第寸前です。

この価値観、大人になってからもほとんど変わらず、
(成長していませんな)
ラグビーが一人でもできる登山やロッククライミングになったくらい。
あ、それに旅が加わりましたね。

え? 仕事はどうした?

おカネが溜まれば旅に出る。
それも長い旅のときは仕事を辞めちゃう。
ですからプロパーで働いていたときですら、
僕の頭に昇進とか定年という単語はなかったのです。

とうぜん銀行残高はいつも底をつくかつかないか。

こうした価値観や生き方が正しいのか間違っているのか、
正直、当時の僕にはわかりませんでした。
なにより「先のことを考える」なんて余裕はなく、
「いま、目の前のこと」にフォーカスしていましたから。
そう、いま何がやりたいか? 
そして、それをやるにはどうしたらいいのか?
このふたつをコンパスに生きていたのです。

まさにこりゃ、アリとキリギリスの物語!

しかし、キリギリスがハーフおじいさんになって振り返るに、
この価値観と生き方を後悔したことはありません。
いや、むしろ今はあれが正しい選択だったと確信しているくらい。

そう、青臭くても、汗臭くても、
あのとことん何かをやって、とことん誰かを愛した日々が、
僕の学校だったんだ。

この山あり谷ありのトラブル人生で、
いつも僕を支えてくれるのは、
微分方程式の解き方や暗記した世界史年表ではなく、
生身でコミットした教科書のない世界の経験なのですよ。

ま、この学校ですら、
優等生というわけではありませんけどね。

えーじ
posted by ととら at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年07月04日

長い旅への長い道

この長い旅を具体的に考え始めたのは、
たしか、ととら亭を始めた2年後の2012年だったと思います。
旅の食堂という、得体のしれないビジネスモデルの実現を試み、
それがようやく形になり始めたころでした。

ああ、大丈夫、これで食べて行ける。
そしてまた旅に出られるんだ!

こう安心したのも束の間、
できることが分かれば、自ずとできないことも分かってきます。
そのひとつが長い旅。

会社員のときは有給を5日取り、
前後を週末で挟む9日間の旅が限界でした。
次に独立後のととら亭では、
固定費の支払いを考えると、1回15日くらいがまた限界。

まぁ、一般的には15日間のオフですら夢のまた夢ですから、
贅沢な話に聞こえるかもしれませんけどね。
しかし、料理の取材ともなると、これがなかなかこの日数でも難しい。
実際、ととら亭としての最初の取材旅行は2011年の2月、
それ以降、年に3回のペースで出かけていましたけど、
毎回、後ろ髪引かれる思いで帰国していたのですよ。
現地で新しい発見があっても、
掘り下げるには時間が足りませんでしたからね。

そこで原因を突き詰めると、固定費を下げればどうにかなる、
そして最大の固定費とは家賃だ! との結論に至ったのです。
とりわけ僕らはテナントの他に、アパートも借りていたので家賃はダブル。
さらに6年ごと(2年更新と3年更新の最小公倍年)にやって来るダブル更新時は、
更新費用だけで35万円が吹き飛ぶ大出血!
(この他に通常の家賃の合計24万円が加算され、実際は59万円!)

これをゼロにするのは僕らの懐事情から不可能ですが、
店舗付き住宅を手に入れれば、
住宅ローンと事業融資の合計に置き換えても、
やりようによっては今よりずっと固定費を圧縮できる。
そこで動き始めたのがTReP(ととら亭移転計画)だったのです。

そう、僕らがいま柴又にいるのも、ひとえにこの理由からなのですよ。
いやはや何とも長い道のりでございました。
しかし、あきらめの悪さが幸いして、
ようやく、また長い旅に出られるようになったのです。

TRePと並行して進めていた、この旅のコードネームはEGT
(Eurasian Grand Tour)
合計51カ国におよぶ下調べは新型コロナの自粛期間の時間を活用して、
じわじわと進めておりました。
とにかく数が多いので、読まねばならない資料も膨大な量になりまして。
とてもではありませんが通常の取材旅行のように、
2、3カ月程度の準備では間に合わなかったのです。

さて、出発まであと1カ月。(いよいよだなぁ・・・)
座学のほかにトレーニングも忘れてはいません。
現場では知識と経験のほか、それなりの身体能力が求められますからね。
高温下の環境適応だけでも結構なハードルの高さなのですよ。
スタートはモロッコでしょ?(しかも8月の!)
最初のカサブランカは19度〜27度と東京より涼しいくらいですが、
次のマラケシュは19度〜39度!
そしてフェズに向かう途中、
経由するサハラ砂漠のワルザザードは22度〜44度!!

この厳しい環境がスペインのセルビアや、
コルドバなどアンダルシア地方まで続き、
酷暑から解放されるのは・・・
たぶん、ポルトガルのコインブラに入ったあたりかな?

というわけで、トホホな還暦バックパッカーは、
猛暑日の江戸川河川敷を厚着で走っているのでございます。

えーじ

長い旅のおしらせ
posted by ととら at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年07月01日

長い旅のお知らせ

僕はいったい何者なのか?

ありていに言えば、
飲食店の「経営者」とか「オーナー」なのでしょうけど、
相変わらず僕の名刺に肩書は書いてありません。
どれも感覚的にしっくりこなくて・・・

で、いちばん違和感がないのは、やっぱり「旅人」かな?

というわけで、
8月5日からユーラシア大陸横断の旅に出かけます。

これ、唐突に聞こえるかもしれませんが、
予定に縛られない、自由な長い旅に出ようというのは、
10年くらい前から頭にあったことでした。

遡れば、ととら亭を始めたのも、
柴又に移転したのも、
実はこうした旅を目指してのことだったのです。

魚は海へ、鳥は空へ、そして旅人は旅へ。

詳しくはこちらをご覧ください。

長い旅のおしらせ

えーじ
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