2024年08月31日

第24回取材旅行 その11

Bonjour!(こんにちは!)

スペインのサン・セバスチャンから雨の中を走ること56キロメートル。
僕らは昨日の昼前、4番目の渡航国、
フランスのバイヨンヌに到着しました。
たった1時間半ほどの自動車移動で別の国です。

baiyonnestation_fr.jpg
朝もやに包まれるバイヨンヌ駅
このすぐ近くのホテルに投宿しています

しかし、これまた僕ら島国生まれの日本人にはピンときそうもない話で、
国境を越えても文化圏としては、ほぼ同じバスク地方なのですよ。
それと申しますのも、
バスク地方に住むバスク人とは独自の言語(※)を持ち、
スペイン語を話すエスパニョール系とは別の民族なのですね。

これ、フィクションで日本に置き換えると、
たとえば福岡県に住んでいるほとんどの住民は、
古来、別の言語を母語とする別民族の人々で、
朝鮮半島の南部にも韓国籍の、同言語を話す同じ民族が住んでいる。
こんな感じになりましょうか。
こう想像すると、
この地域の社会的な複雑さが何となくイメージできるかと思います。

で、多民族国家のよくある悪習として、
マジョリティーは自分たちの文化をマイノリティーに押し付けます。
となれば、これまた自由を求めての衝突が起こるのも必然的結果。
こうしてバスクは1968年以降、
ETA(バスク祖国と自由)による分離独立を目指す、暴力を辞さない行動や、
バスク民族主義穏健派が勝ち取った政治的な自治権と、
その後の拡大など、独自の民族性を守る動きが活発化しています。

スペインの中には同様な状況がガリシアとカタルーニャでも起こっており、
特に後者は度重なる住民投票で独立派が過半数を越えたにもかかわらず、
中央政府に鎮圧され続けている経緯から、きな臭いムードが現在も進行中。

この緊張感は、僕らのような旅人ですら感じ取ることができます。
ビルバオからバスク地方に入った途端、
スペインの国旗を見かけることはまったくなくなりましたから。
かわりに、至るところで目にするのがバスクの旗。
とにかく、われわれはバスク人であり、ここはバスクなのだ!
というスピリットに満ちている。

basqueflag_fr.jpg

街中で耳にする言葉もバスク語が増え、
これが店名や料理名にまで及ぶのですから、かなりリアルです。
ある意味、別の国に入ったかの印象を受けてもおかしくありません。

しかしながら、スペインからフランスに入った変化もまた、
目と耳ではっきりわかるものでした。
道路標識と耳にする言葉がフランス語になりましたからね。
今朝、ホテルのカフェで「Buenos dias」と挨拶していたのが、
ほんの1時間半で「Bonjour」に変わったのは、
ちょっと不思議な感じがしましたよ。
あ、今回は時差なし。JSTマイナス7時間です。

それから街の雰囲気も大きく変わり、
色彩のトーンというか、デザインというか、
お洒落度がぐんと増した気がします。
とにかく地味にもかかわらず、絵になる風景が多い。
それこそ気の向くままぶらぶら歩き、
心に触れた風景にカメラを向けるだけでも楽しめる。
そんなところなのですよ、バイヨンヌは。
疲れたら一息入れる素敵なカフェも、そこかしこにありますしね。

riversidebuld_fr.jpg
リズミカルに立ち並ぶ旧市街の街並み

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ウォールアートもレベル高し

今日はこれから市場の取材。
その後は旧市街で店内ディスプレイ用のバスク旗を探しに行きます。
ここはスペインバスク地方に比べて観光客が少なく、
街の規模も小さいせいか、
素顔のバイヨンヌと向き合っている感じ。
賑やかな観光地も悪くありませんが、
どちらかというと、僕はこうした雰囲気の方が好きですね。

bridge_fr.jpg
アドゥール川にかかるポン・サン・エスプリ橋の夜景

to be continued...

えーじ

baiyonnnerest_fr.jpg
フレンチバスク料理のレストランで取材中。
偶然、Tシャツが同じ色でペアルックのようになってしまった!
ちょっと恥ずかしい。

※ バスク語
ヨーロッパの中では珍しい、ラテン語系でもゲルマン語系でもない、
出自不明の独立語。
かつては「イルレギーの手」に刻まれたようなバスク文字もあったが、
今ではラテン文字が使われている。
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2024年08月28日

第24回取材旅行 その10

日本を出てまだ24日ですが、
いったい何件の飲食店に入ったか、
取材メモを見ないと分からなくなってしまいました。

それにもかかわらず、前回のブログの締めでお話したように、
「ここはイマイチだったな」という店には当たったことなし。
とくかく打率は大谷選手越えですね。
これを行く先々で出会った旅人と話していると、

「え? ホントに?
 私たちが昨日いったレストランなんて、
 トリアドの評価は高いのに、
 お勧め鶏料理のチキンがパサパサだったんですよ!」

のように、残念なご感想がとても多い。
それから続けて聞かれるのが、

「どうやっておいしい店を探しているのですか?」

これ、ととら亭で仕事をしているときもよく頂く質問ですが、
端的に回答してしまうと、
まず、「ネット上の星の数は無視する」ことです。

いや、もちろん僕らだってネットの情報は参考にしてますよ、
文明人の端くれですからね。
でも、それはあくまで場所と料理の内容の確認でしかありません。
加えて、ただそれだけで入ることもない。
ざっとエリアの網掛けをして、歩いて立地や雰囲気、
そして店頭に張り出されているメニューを確認するのです。

第1の基準は取材対象料理があること。
お仕事ですからね。
次に、ファサードに年季が入りつつも掃除が行き届いていること。
そして、お客さんが観光客よりローカルが多い点・・・かな?

たいていそういうお店は表通りではなく、
わき道によくあります。
そしてメニューも現地語のものしか出していないことが多い。

bilbaorestaurant_es.jpg
ビルバオで入ったレストラン

sebarestaurant_es.jpg
サン・セバスチャンで入ったバル・レストラン

外からメニューが分からないときは、
実際に入って見せてもらいます。
このとき観察するのは料理内容と値段だけではなく、
店内とスタッフの雰囲気。
活気のある店はやはりそれを反映したムードがあり、
また、スタッフも自分が働く店に誇りを持っていて、
やる気が感じられるものです。

さて、僕らは今、
美食で知られるスペイン北部のバスク地方に来ています。
取材は3日前のビルバオから始まり、
昨日、サン・セバスチャンに移動しました。

concyabay_es.jpg
きれいな弧を描くコンチャ湾

sansebast_es.jpg
趣のある新市街の風景

この時期、世界各地から涼と食を求めた人々が集うだけあって、
旧市街にはたくさんの飲食店が軒を連ねています。

sansebastreet_es.jpg
レストランとバルがより取り見取りの旧市街

確かに料理もお酒もおいしいですね。
席についてまず注文する飲み物ですが、
ポルトガルのヴィーニョヴェルデに似たチャコリがとにかくうまい!
とりわけ今のような晩夏の陽気には、この爽やかワインがピッタリです。
驚きは味のみならず、量と値段も掟破り。
たとえばビルバオでランチセット(現地ではMENUという)の取材中、

「白ワインのグラスとミネラルウォーターをお願いします」

こうして待つこと1、2分。
戻ってきたホールの女性がおもむろに目の前で、
フルボトルの白ワインのスクリューキャップをパキっ!

「あ、いや、グラスでいいんですけど」
と口まで出かかった矢先、彼女はこちらの気持ちを読み、
にっこり笑いながら、

「It's included!」

botllewine_es.jpg
昼からボトル飲みで大感激!
・・・はいいのですけど、午後のお仕事は?

ランチのおまけワインがボトルでサーブとは!
しかもキリっとドライでおいしいし。
さらに約2,500円のランチにもかかわらず、
前菜に当たるプリメラがととら亭の主菜と同様の量があり、
それを超える量のセグンドが続き、ダメ押しでポストレまで付いて来る!
お店を出るころにはお腹がはちきれそうになってしまいました。

これ、ポルトガルのコインブラでも同じようなことがあり、
ランチだったので同じくグラスワインをオーダーしたら、
ホールのファンキーなおじさんが持ってきたのはハーフボトル。
とうぜん僕らは「いや、グラスでいいんですけど・・・」
だったのが、彼はものおじせず、

「グラスで? ここにゃそんなんありませんぜ。
 これくらいすぐ飲んじゃうでしょ?」

で、気になるお値段が日本円にして約490円!
にもかかわらず、これまたうまい!

いやはや、恐るべきは白人の胃袋。
そして、さすがは産地のコスパ!

ヨーロッパでの取材は、
いつもこうしたフードファイトになってしまうのですよね。
老体には堪える仕事でございます。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月25日

第24回取材旅行 その9

今日はポルトから北へ約230キロメートル走り、
再びスペインに入りました。

国境はほぼその中間に位置し、
北東から南西に向かって流れるミーニョ川の中間。
目に見える国境を持たない日本人にはぴんと来ないかもしれませんが、
橋を渡っていると「SPAIN」の標識があり、
それを過ぎれば時計も1時間先へ進みます。

滞在しているのはキリスト教三大聖地のひとつ、
サンチャゴ・デ・コンポステーラ。

sanchago_es.jpg
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂

14時ごろ、前回お話したビッグブラザーホテルに到着した僕らは、
早速チェックインしようとチャットの指示に従い、
3D室のベルを押しました。
なんでもその時間はハウスキーピングの女性がいて、
彼女がドアを開けてくれるそうな。

ところが!

何回押しても無反応。
(ほらね、こうなるでしょ?)

「まったくお約束だな! 仕方ない、電話してみるか」

そこへ被害者2号が到着。
30歳代中ごろの男性二人のいで立ちは、
さながら長いトレッキングから戻ったばかりのよう。
ふたりとも英語は話しませんでしたが、
片言の会話に含まれていた、
「Camino」の単語で何をしてきた人たちか分かりました。

そう、巡礼です。

お互い「まいったね!」な面持ちでスマホを取り出そうとしたとき、
ガラスドアの向こうに外へ出ようと近付く住人の姿が。
双方ともに「今だ!」とばかりドアに飛びつき、するりと建物の中へ。
そしてホテルのある3階へ上がると、
なんど呼んでも出なかった掃除のお姉さんが、にっこり「HOLA!」。

おいおい・・・

こうして僕らは彼ら巡礼の功徳に肖かり、
今日も無事にチェックインできたのでした。

しかし、ここでのんびりくつろいではいられません。
時差で1時間のロスタイムがあり、急いで取材に出かけなければ。
こうしてバックパックを部屋に放り込むなり、
まずはアバストス市場へ駆け込み、遅いランチで取材開始。

marketbal_es.jpg
市場の中のバルは大盛況!

restaurant_es.jpg
取材はこんなレストランで。

empanada_es.jpg
エンパナーダはこんな変わった形でした。
中身もいろいろなバリエーションがあり、
僕らが食べたのはミートパイタイプ。

octopas_es.jpg
名物のガリシア風タコ料理。
とろりと柔らかく、ガーリックとパプリカ、
オリーブオイルの香りが芸術的に溶け合った絶品。

さて、ひと仕事終わったところで、
せっかくここまで来たのだから大聖堂へ行ってみよう!
と、やや軽い気持ちで足を向けた僕らでしたが、
オブラドイロ広場に集う、
長い旅路を踏破した巡礼たちの姿を見たときは、
さすがに心を打たれました。

仲間同士で抱き合う人。
ひとり、汚れたバックパックを背に横たわる人。

誰のためでもなく、自分の信じる何かのために、
800キロメートルの距離を歩いてきた彼、彼女たちの姿は、
ただそれだけで、ひとりひとりがひとつの生きた証だったのです。

そう、誰かに評価されるためではなく、
ただ、自分のために、困難に挑戦し、何かをやりとげること。
その経験こそが、どんなときも自分を支え、
曖昧な社会の中で、行くべき所へ導いてくれる光なのではないか。

「みんな素敵だね」
「ああ、それぞれが自分の物語の主人公なんだよ」
「私たちもあんな風になれるかな?」
「そいつは107日後にわかるよ」
「そこがゴール?」
「ああ、その場所が、
 僕らだけのサンチャゴ・デ・コンポステーラだからさ」

to be continued...

restaurantsanchago_es.jpg
取材は順調です!
posted by ととら at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月24日

第24回取材旅行 その8

ポルトの天気は快晴。
日中でも最高気温が27度までしか上がらず、
朝晩は風が吹くと肌寒いくらい。
まさしく避暑地には持ってこいですから、
オンシーズンの今は平日でもたくさんの観光客で賑わっています。

people_pt.jpg
聖カタリーナ通りを埋め尽くす人々

となるとバックパッカーにはつらいのがホテル代。
日本のゴールデンウィークや正月料金ではありませんが、
地の利がイマイチのボロ宿でさえダブルが一泊9,000円前後はしますからね。

というわけで僕らが投宿しているのは、
比較的安価な「ビッグブラザー型ホテル」。
これまでも何度かお話した管理者不在の無人ホテルです。
このタイプ、日本も含めて各国で増え始めましたけど、
僕があまりお勧めしないのは訳がありまして。
たいてい何かしらのバッドサプライズが待っているのですよ。

まず、場所を探すのが大変です。
(GoogleMAPを使ってもね)
建物一棟がまんまホテルであれば見つけやすいのですが、
アパートメントの一室を貸しているだけの場合、
どれがその部屋のある建物なのか外観ではわかりません。
住人に聞いても当然のことながら知らないケースがほとんどです。

buiding_pt.jpg
今回も外見はこうですよ。

door_pt.jpg
中に入ってもドアはこうだし・・・

で、次にあるのがチェックインのトラブル。
トップ3は以下の三つで、

1.キーボックスに鍵が入っていなかった!
2.キーボックスのナンバーが違っていて開けられない!
3.キーを受け取ったものの、開け方が分からない!

keybox_pt.jpg
ダイアル式キーボックス

項番1は去年のマレーシアでやられましたが、
今回は項番2が待っていました。
そして項番3は毎回のように起こるトラブルで、
ドアのカギを開けるにはちょっとしたコツがあり、
ただキーを差し込んで回せばいいというわけではないのですよ。
昨夜も22時半ごろ、
共用部に入れず禁じ手のベルを鳴らしたお客さんを僕が入れる始末。
(ベルは他の住民の迷惑になるため禁止されています)

また、鍵が複数ある場合が多く、
今回も建物に入る鍵、共用部に入る鍵、
自分の部屋に入る鍵の3つを使い分けています。

keys_pt.jpg

困ったときはメールかチャット、
もしくは電話で管理者にコンタクトするしかありませんが、
ほとんどの場合、英語が共通語ですからね。
(今回はスペイン語のみというところも!)
不慣れな場合、スマホの翻訳機能を使うにしても、
疲れて夜遅く着いたときなど「勘弁してくれ」な気分になるでしょ?
だから僕はあまりお勧めしないのですよ。

といいつつも、実は明日から回るガリシア、
バスク地方はポルト以上に混雑していて、
取材地のサンチャゴ・デ・コンポステーラ、
ビルバオともに予約したのはビッグブラザー型ホテル。
例によって「イヤな予感」がしますから、
事前にチェックインや駐車場のことをチャットで聞いているものの、
どうも意思疎通の怪しいところがありまして・・・

ま、結局、出たとこ勝負になるのでございます。

to be continued...

えーじ

dourosunset_pt.jpg
ドン・ルイス一世橋から見たドウロ川の美しい夕焼け
posted by ととら at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月22日

第24回取材旅行 その7

Olá!(こんにちは!)

自爆ミスのリカバーに成功し、
僕らは昨日、トレドから約480キロメートルを西北西に走って、
3番目の渡航国、ポルトガルに入りました。
最初の街はコインブラ。
ヨーロッパでもっとも古い大学街です。

SantaCruz_pt.jpg
旧市街の中心にあるサンタ・クルース修道院

移動中に驚いたのは、高速道路(無料)を走っていて、
ポルトガル内にサービスエリアがほとんどなかったこと。
国境を超える手前、50キロ付近の田舎町で給油した以降(今回は大丈夫!)、
その後にポルトガル中央西部を200キロメートルほど走ったのですが、
僕らのルート上には食事はおろか、給油する場所すらなし。
(お腹空いた!)
どうしてもというなら、途中で一般道におりて、
その近辺で探すしかありませんでした。
(スペイン内はぼちぼちあったのですが・・・)

highwat01_pt.jpg

しかしながら道路は整備されていて交通量が少なく、
制限速度も120キロのため、効率よく移動するには良かったですね。
国境付近では一般道を通過するところがあり、
田園風景を楽しめたものの、
狭い道での対面交通は冷や汗ものでしたけど。

countryroad_pt.jpg
この道がまもなく曲がりくねる対面通行の1車線になりまして・・・

さて、出発前に複数のお客さまから、
「これからポルトガルへ行きます!」という声を聞いていたので、
昨今、いちばん気になる物価のお話をしましょう。

パックツアー代金については未確認ですが、
現地での移動、宿泊、食事に関して申しますと、
スペインも含めて、コロナ禍前と大幅に変わった印象は受けませんでした。
確かにホテル代は若干上がったようですが、
それでも一泊7,000〜9,000円も出せば、
ダブルで結構まともなところに泊まれます。(ととら標準でね)

移動についてなら、
アルヘシラスからグラナダまでの高速バス料金も、
約280キロメートルの距離でひとり約5,000円。
ガソリン代はオーストラリアと同じくレギュラーがリッター260円。

食費はコインブラの中心にあるこんなレストランで、

coimbrarestaurant_pt.jpg

グラスワインとミネラルウォーター付きのこんな食事をしても、

bacarhau_pt.jpg
バカリャウのフライ(すんごいボリューム)

feijoada_pt.jpg
お肉たっぷりのフェイジョアーダ(これまたフツーで特盛!)

ふたりで3,100円くらいです。(おまけのおいしいパンも付いて!)
お酒はグラスワイン、グラスビールともに一杯約600円前後。
ボトルだと、お店にもよりますがハーフで約620円、フルで約1,100円程度。
ま、東京と同じか、パンやワイン、サラミ、ソーセージ、オリーブなど、
ものによっては安いくらい。
もちろんハイエンドの店は別として、僕らレベルの旅であれば、
今のところ、メニューを眺めて目玉が飛び出たことはなかったです。

むしろこの時期は場所による価格差が大きく、
酷暑のアンダルシア地方は安く、
避暑地にあたるコインブラから北は、
ハイシーズン価格になっているようです。
実際、コインブラの気温は最高で31度。
朝晩はエアコンがいらないくらいで、
東京のゴールデンウィークの陽気といったところでしょうか。

明日は午前中に120キロ北のポルトへ移動します。
天気予報は晴れときどき曇り。
最低気温は15度、最高は20度で一足先に秋の気配かな?
なるほどヨーロッパ南部の人に人気があるのも頷けます。

おっと、料理の取材も進めていますよ。
モロッコ料理に続いて、スペインのアンダルシア地方、ラ・マンチャ地方、
そして今いるポルトガル中部の料理、いずれもおいしいものが盛りだくさん!
皆さんに紹介すべき候補が多すぎて、迷ってしまうくらい。
仕事上の問題は料理の量が多いことかな?
ポルトガルでは前菜抜きのメイン2品で精一杯です。
今日もこれから市場へ出かけ、場外の店で取材開始。
ん〜・・・朝食のカフェでパンを二人で一つにしておけば良かった。
おいしそうだったので、つい朝から欲張ってしまって・・・
頑張らねば!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 05:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月20日

第24回取材旅行 その6

I have a bad feeling about this...
(イヤな予感がする)

とは、スターウォーズでピンチが訪れる前に、
登場人物の誰かがつぶやくセリフですが、
僕らの旅でもこれはお約束。
とりわけ僕の「イヤな予感」はその的中率が有名でして。

グラナダ駅のAVISで予約しておいたレンタカー(FIAT500)を受け取り、
空いていた駐車場内で軽く練習。
そこからコルドバまで180キロメートルを走り、
翌日、トレドに向かったところまでは順調でした。

ところが昨日の14時20分ごろ、ラ・マンチャ地方のペドロムニョスという、
風車の街から15キロメートルほど離れた田舎町で給油した直後、
僕はあの言葉をつぶやいたのです。

「・・・ん? あれ・・・」
「どしたの?」
イヤな予感がする
「え?」
「エンジンの回転が上がらないんだ」
「どうして?」
「エンジンがアクセルに反応しない。
 マズイな、脇に停めよう」

路肩に自動車を停めた僕はしばらく考えていました。

街はずれにぽつねんとあった、
無人で24時間営業のボロいガソリンスタンド。
SHELLやESSOのようなブランドマークもなく、
客も誰ひとりいなかった。
ポンプは4台。
どれも表示はGasolineだったと記憶してる。
最初に入れようとした1番と2番はどうしたわけかNot allowで使えず、
僕が使ったのは4番。
値段は1、2番よりやや高めだった。
ということはハイオク?
いや、オクタン価の違いでエンジンがここまで回らなくなることはない。
いった何が起こったのか? そうだ、

「さっきのレシートを見せてくれる?」

えっと、ガソリンの種類は・・・
あった、これだ、Gasoleoと書いてある。
これはガソリンを表すスペイン語か?

そこへFiat500を停めた前の家から、
怪訝そうな表情を浮かべたおじいさんが出てきました。

「オラ! すみません、自動車の調子が悪くて調べているところです」

すると彼はスペイン語でゆっくり何か話し始め、
時おり通りの先の方を指さしています。

「申し訳ありませんが、僕はスペイン語を話しません」
「修理工場が近くにあるって言ってるのかな?
 わたし、あっちを見に行って来るよ」

ほどなく、ともこが慌てて戻ってくるなり、

たいへん!
「どうした?」
「そこの角を曲がったらガソリンスタンドがあったの。
 で、ポンプを見るとね」
 
ここで彼女はポンプの写真を見せてくれました。

なんてこった!
 Gasoleoってのはディーゼル用の軽油じゃないか!
 じゃ、ガソリンは・・・Gasolinaだって!?」

ほらね、的中したでしょ?

「長い運転歴でガソリン車に軽油を入れたのは初めてだ」
「どうするの?」
「どうするもこうするも、お手上げだよ。
 タンクから燃料を全部抜いて、
 レギュラーガソリンに入れ替えるしかない」
「え〜っ!」
「レンタカー会社に電話してみよう」

rescurecalling_es.jpg
気温38度の路肩に座り込んで電話中。
ブログには書ききれない、かなり細かい質疑応答があったので、
終わった時にはへろへろ・・・電話での英会話は疲れる。

僕はキーホルダーに書いてあった番号をコールしてみました。
すると日曜日にもかかわらず、すぐ電話がつながり、

「Hello, Can you hear me?」

と話しかければ、流れてきたのはスペイン語の自動音声。

マジか、何をいってるのかさっぱりわからん。

やがてそれが英語に変わり、
要件によって押すプッシュ番号を説明し始めました。

ん〜・・・該当する番号がないな。
いいや、適当に押してみよう。

次に出たのはスペイン語を話す女性。
僕は構わず英語で、

「こんにちは。お借りしたレンタカーでトラブルがあってですね、
 助けが必要なのですよ」
「もしもし、
 あの、英語を話すものと替わりますので少々お待ちください」

ここで声が男性に変わり、

「こんにちは。どうしましたか?」
「大変申し訳ないのですが、
 こちらのミスで、ガソリン車に軽油を入れてしまいまして。
 残念ながら自動車はもう走行不能です」
 
ここで自動車ナンバーと契約番号を伝え、

「分かりました。今どちらにいらっしゃいますか?」
「ラ・マンチャ地方のペドロムニョスで、
 ドクター・フェルナンド・マジョルドモ通りと、
 カルロス・ガルサラン通りとの交差点付近です」
「特定しました。
 それではアシスタントを向かわせます。
 その後に手配するタクシーでマドリッドのAVISオフィスまで来てください」

そうして待つこと30分。

recker_es.jpg
「あお丸」と名前まで付けていたのに。病院送りにしてしまいました。
すまん。

アシスタントとはレッカーのことで、僕らは自動車を引き渡し、
再び待つこと40分。

今度は黒いワンボックスが迎えに来て、
マドリッドのアチャール駅まで1時間半のドライブとなりました。

「ねぇ、今日中にトレドまで行けるかなぁ」
「ん〜・・・わからない。今は17時15分。
 マドリッドに着くのはおおよそ18時45分だ。
 そこで代車が借りられれば19時半に出発したとして、
 トレド着は21時ごろ」
「でも、また貸してくれる?」
「そいつもわからないよ。
 一応、保険はフルで入っているけど、
 同じタイプの自動車があるかは聞いてみないとね」
「じゃ、もしかしたらトレドのホテルをキャンセルしてマドリッド泊まり?」
「その可能性もある。
とりあえずどこまでリカバーできるか、やれるだけやってみよう」

こうして送り届けられた、
アトーチャ駅の端にあるAVISのオフィス兼カープール。
そこでお詫びをしつつ、状況を説明すると、
親切なスタッフさんが、

「同じ車種のFIAT500を用意しておきました」

newrentcar_es.jpg
新しい旅の相棒。
白に赤い屋根のお洒落なイタリア娘なので「ぶち子」と命名。

はぁ〜、いろいろすみません、AVISさん。
大変ご迷惑をおかけしました。

こうして僕らは新しい自動車に乗り換え、トレドに向かったのでした。

to be continued...

えーじ

toledowindmil_es.jpg
なんとか自爆ミスのリカバリングに成功。
ラ・マンチャ地方に残る風車まで行けました。
posted by ととら at 01:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月17日

第24回取材旅行 その5

Hola!日本の皆さまこんにちは!
僕らは今、2番目の渡航国、スペインのグラナダに滞在しています。
いやはやモロッコではのっけからいろいろありましたが、
砂漠ツアーの後、フェズとタンジェで無事に取材を済ませ、
昨日、フェリーでジブラルタル海峡を渡ったのです。

tangerport_sp.jpg
タンジェ新港

気温はフェズ以降にぐんと落ち、
北端のタンジェではエアコンがいらないくらい。
ここグラナダでも日中は以下のとおりの気温まで上がりましたが、

41degree_sp.jpg

湿度が低いので東京の暑気ような重みがありません。
今朝、カフェに行ったときなどTシャツだけでは肌寒いくらい。
すごく過ごし易いです。

さて、旅といえば人生と同じく山あり谷あり。
一昨日はフェリーをブッキングする前に、
グラナダまでの移動手段を手配しようとしたら、
鉄道、バスともにタリファ、アルヘシラス両港からの便がほぼ満席。
こりゃすぐにゲットしなくては!
と慌ててネットから手配を試みれば、今度はカード決済がブロックされてストップ。

加えて乏しくなったディルハムを補充しにATMへ行くと、
どの端末で試してもInvalid Transaction!
残った軍資金はたったの70ディルハム(約1,050円)で文無し寸前。
モロッコではカードが使えないところがまだ多くてね。
こりゃ駅のATMでリトライし、
アルヘシラスまで行ったら出たとこ勝負でやるしかないな・・・
こんな「何をやっても裏目に出る」呪われた一日でございました。

で、気分を変えて仕切りなおした昨日。
ホテルを6時半にチェックアウトした僕らは、
まだ暗いロータリーで最初のハードルのタクシーに挑戦。
一昨日のタンジェ駅前と同じく、最初の1台は乗車拒否してきましたが、
すぐ次に声をかけたお兄さんは、
言い値の40ディルハムでネゴしなかったせいか、快くOui!
さらに、

「駅前っすね。マラケシュに行くんですか?」(フランス語)
「いや、あっちから来たんだよ。次はアルヘシラスなんだ」(英語)
「じゃ、タンジェ新港行きのバス乗り場だね」(フランス語)

こうして駅前から歩くつもりが目指すバス停まで行ってくれて、
お金を払うと、
そこにはタンジェ新港行きのl3番バスが今まさに出発するところ。

Heeeey! Waaaait!」(英語でシャウト)

で、待ってもらって運よく乗車。
タンジェ新港のアフリカモロッコリンク社カウンターでは、
これまたツイていることに、一本早い9時半のフェリーに間に合いました、

P8151041ferrydeparttime_sp.jpg

そしていろいろ悪評の多かった出国審査は、
キュートな女性インスペクターが担当で、

「モロッコは何回目ですか?」
「2度目です。今回も、とても楽しめましたよ」
「それは良かった!」

tangeramd_sp.jpg

フェリーは30分遅れて10時に出港したものの、
スペイン時間12時30分(時差はモロッコプラス1時間)にアルヘシラス港に接岸。

heracures_sp.jpg
英領ジブラルタルのヘラクレスの柱
雲を被っていて桜島みたい。

EU側の入国審査も緩く、
ここもまたキュートな女性インスペクターが担当で、
にっこり笑ってスタンプぽん。
僕らはすんなりとヨーロッパに入ったのでした。

さぁ、ここからが今日の本番だ。
ネットの情報によるとグラナダ行きのチケットは、
バス、鉄道ともに残りわずかだった。
それも一番早くて16時30分の便のみ。
とりあえずバスターミナルまで行って話を聞いてみよう。

こうしてアルヘシラス港から約1キロメートルをフル装備で歩き、
汗まみれで着いたチケット窓口。

busticketcounter_sp.jpg 
アルヘシラスバスターミナル窓口

「オラ(こんちは)! 一番早い便でグラナダに行きたいのですが」
「ならば・・・1時45分発ですね」

まじ、夜行か! 
このべとべとボディで12時間待ってから乗車とは。
さらにグラナダ到着は明日の早朝・・・
どうやら今朝からやたらスムーズだった幸運もここで尽きたか。

「どうします? 乗りますか? あと30分で出発ですよ」

え? 1時45分って午後の? ネット上では完売だったのに。

も、もちろん乗りますっ!

で、ここでも幸運に恵まれ、
僕らは予定どおり当日の夕方、グラナダに着いたのでした。

guranadabusterminal_sp.jpg
グラナダのバスターミナル

明日はレンタカーを借りて、コルドバへ移動します。
左ハンドル右側通行で運転するのは初めて。
うへぇ〜、緊張するな!

to be continued...

えーじ

alhumbra_sp.jpg
夕方のアルハンブラ宮殿
posted by ととら at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月15日

第24回取材旅行 その4

ツアーバンが交通検問で止められ、
30分待たされた挙句、
僕たちだけが降ろされて別のボロセダンへ。
そして、その車が停まった岩と砂の道端で待っていたのは、
謎の黒い4WD。
いったい彼らは何者で、僕らはどこへ連れて行かれるのか・・・

「この車に乗り換えてください」

強面のサングラスドライバーが英語で話してきました。
ならば、

「僕らはどこへ行くのですか?」
「キャメルライドです」

・・・?
ツアーの行程書にはロッジに行ってバックパックを置き、
着替えたあと、軽装でキャンプサイトまで行くはずだったけど。

ここで車内を覗き込んだ僕は、少し安心しました。
中には先客の若いカップルが乗っていたのです。

「この際、細かいことは抜きにして、成り行きに任せよう」

こうして砂漠のヘリを走ること10分弱。
辺鄙な町はずれにラクダが10頭ほど集まっているところで4WDは停まり、

「あれに乗り換えてください」
「バックパックはどうなるのです?」
「私が運びます」

やれやれ・・・

「どうするの?」
「ここで靴をサンダルに履き替えよう」
「え? ロッジじゃなくて?」
「そいつはパスらしい」

こうして路上でバックパックからサンダルを取り出し、
サブザックのみを背負ってラクダの方へ。
ここでの先客は大柄の白人男性と小柄なアジア系の女性。

「ではこれに乗ってください」

こうして約2時間、サハラ砂漠の西端をラクダに乗って進み、
目指すは今夜のキャンプサイト。

お、あれかな?

僕は後ろのともこを振り返り、

「2時の方角にキャンプサイトが見えてきたよ」

ところがそれはだんだん右にそれはじめ、
やがて到着したのはくすんだテントが並ぶ、
どう見ても先のキャンプサイトとは見劣りするところ。

campsite_ma.jpg

おかしいな。
申し込んだウェブサイトに出ていた写真は先の方だったけど。

この悪い予感は残念ながら的中してしまいました。
古絨毯で作ったようなテントに、
同じ素材で作ったぼよよんベッドがぽつんとあるだけ。
おまけに中は砂が吹き込んでじゃりじゃり。
しかし、いい方のサプライズとして、
僕らのメインザックがここまで運ばれてきていました。
これまた最初の話では、ロッジで一晩預かることになっていたのですけどね。

deserttent_ma.jpg

もうひとつ悪い方にはずれたのは気温。
夕暮れでもぜんぜん下がらず、
テント内は34度前後のドライサウナ状態です。
やがて時計は20時を回り、

こりゃくつろぐというより、じっと我慢の一晩だな。

腹をくくってダイニング用の大きめのテントに行きましたが、
ここでまた、待てど暮らせど誰も来ない。
で、人声がする裏側に回ってみれば、
そこには高校生くらいの少年4人がご歓談中ではないですか。

まじ? 彼らが料理を作るの?
いや、このキャンプサイトには彼らしかいないのでは?

顔を見合わせた僕らに今度は自然が追い打ちをかけてきました。
次第に風が強まり、
Sound of silenceが売りの砂漠のキャンプは、
サンドストームナイトになってしまったのです。
しかも早々にサイト内の照明が切られ、
僕らはトイレに行くにも砂嵐の暗がりを30メートルほど、
歩かねばならない始末。

すべてを諦めてベッドに身を投げても、暑さと風の音でほとんど眠れず、
翌朝会ったキャラバンメンバーはみな汗でべとべと、
砂でじゃりじゃりの哀れな風体でございました。

ま、これも経験だな。

と、ポジティブに考えてみましたよ。
しかし、まだまだ試練は終わりません。
再びラクダに乗ってピックアップポイントまで戻ったところで、
とどめが待っていました。

迎えが来ない。

waiting_ma.jpg

そういえば、
検問で引っかかったあと、ドライバーと他の連中はどうなったのか?

別のツアー客は次々と迎えのバンに乗って去りますが、
僕らは砂漠の道端で待ちぼうけ。
連絡を取ろうにも、当然電話は圏外。
せめてもの救いは曇っていて日に焼かれないことだけ。

ようやく昨日のバンが現れたころには、
別の意味で素晴らしい運命共同体が誕生していたのでありました。

to be continued...

えーじ

desertteam_ma.jpg
ぼろぼろミニキャラバン
posted by ととら at 08:51| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月13日

第24回取材旅行 その3

すみません。
間隔がちょいと開きました。

実は昨日の朝までサハラ砂漠におりまして。
ネットはおろか、電話も通じなかったのですよ。

こうした公共の交通機関ではアクセスが難しい場所へ行く場合、
僕らはしばしば現地ツアーに参加します。
グループ行動は無縁と思われているかもしれませんけど、
これはこれで利便性とはまた別のいい点があってですね。
いろいろな国からの参加者と触れ合えることは、
情報収集以上にメリットがありますから。

今回もマラケシュを出発したミニバンですし詰めにされたのは、
イタリア、スペイン、ポーランド、イギリス、韓国、
日本からなる18人の混成チーム。
また、行く先々でこれにオランダ、タイからメキシコも加わり、
実にインターナショナルな雰囲気が楽しめました。

tourvan_ma.jpg

おもしろいもので、最初はみな距離を置いているのですが、
やはり好奇心には勝てないのか、
「やぁ、どこから来ました?」で口火を切った途端に、
お互いの質問合戦が始まります。
とりわけ僕らの場合、行ったことがある国や、
これから行く国の方ばかりなので、
途中から、ととら亭のPR活動となるのがお約束。
道中、たいへん参考になるお話が聞けました。

で、肝心のツアーですが、
当然のことながら安い所に参加したのが運の尽き、
出発後まもなくからサプライズの連続です。
まず「当日はホテルでピックアップします」だった話が、
前日の夜にWhat's Upのメッセージで、
「近くのカフェの前まで出てきてくれます?」に。

これはまぁ、
メディナの奥にあるホテルじゃ自動車は入れないので仕方ない、
でしたが、迎えに来た新車のバンに乗り込み、
「わぁ、空いてるね!」と喜んだのも束の間。
5分も走らないうちに路肩で停まり、
「車を乗り換えますから降りて下さい」
で、ドライバーの後について行けば、
待っていたのは、ほとんど席が埋まった古いバン。

tourroad01_ma.jpg
(地平線が見えていても標高は1300メートルを超えており、
アトラス山脈の大きさが感じられます)

その後は気温40度の炎天下でカスバ観光に連れて行かれ、

kasba_ma.jpg
(カスバはアラビア語で城塞の意。
御覧のとおりの威容なので映画「グラディエイター」などのロケ地にも)

ようやくランチにありつけたのが14時過ぎ。

tourlunch_ma.jpg
(熱々のタジンコフタ以上においしかったのが冷たい水!)

しかし、思えば初日はまだマシでした。

tourroad02_ma.jpg
(オアシスと岩山のあいだを通り抜けて)

翌日はトドラ渓谷を訪れ、時間どおりのランチまではみなハッピー。

todora_ma.jpg
(泉から湧く清流が涼しげなトドラ渓谷。
トドラはととらに似ていますが「命」を表すベルベル語)

状況が急変したのは、
「さぁ、ここからラクダに乗ってキャンプサイトまで行こう!」の直前です。
無事、メルズーガまでたどり着いた僕らは、
「どこのロッジで降ろされるのかしらん?」と思っていたところを、
交通検問で引っかかってしまったのでした。
モロッコでは至る所で検問が張られ、
けっこう厳しく取り締まりが行われておりまして。

免許証から車検証、その他の旅行関連書類を見せているうちは、
にこやかだったドライバーの表情が、
車載している消火器やファーストエイドキットまで見せ始めたころには、
だんだん険しくなって来たではないですか。
どうやら警察官は、なんとか落ち度をみつけられないか、
躍起になっているようです。
理由? それはもちろん、
反対車線側で止められた乗用車の対応で分かりました。
そのドライバーは50ディルハム紙幣をさっと渡し、
受け取った警察官は表情も変えず、「うむ、行ってよろしい」。

ほぉ〜、露骨だねぇ・・・

で、こっちはどうかと申しますと、「袖の下」作戦は効かないのか、
ドライバーはパトカーまで連れて行かれてしまったのです。
彼は携帯電話で誰か(たぶん会社)と連絡を取り、
あれこれ説明を試みているものの、
時間は20分経ち、30分が経ち・・・

おいおい、こりゃどうなるんだ?

と思った矢先、ドライバーがドアを開け、

「トモコ、エージ、降りて下さい」

え? 僕たちだけ?

心配そうに見守る他の乗客を後ろに出て行けば、
後部ドアが開かれ、バックパックまで降ろしています。

マジ? この路上で持ち物検査をやるの?

と眉間にしわを寄せたところで、

「あの車に乗ってください」

指さす方を見れば、埃だらけのボロ車の前で、
背中にDESERTと書かれたアラブ風の服を着た50代の男が手招きしています。

え? あれに乗る? 僕らだけ? なぜ?

しかし質問をしている暇はありません。
トランクにバックパックを放り込んだ途端、
僕らは押し込められるようにして車内へ。
すぐに走り出した自動車は、来た道を戻っているように見えます。

「どこへ行くのですか?」

・・・ん〜、黙っているということは、英語が通じてないか、
答えたくないってことか。

「どうなってるの?」
「まったくわからない。
 たぶん、5分後には次の運命がわかるよ」
 
ところが5分もかからず次に待っていたのは、
砂と岩の荒野を突っ切る道路の路肩で停車中の黒い4WD。
そのすぐ横で僕らの自動車が停まり、
ドライバーはアラビア語で「あれに乗り換えて下さい」
(と言ったと思う)

何だこりゃ? 
僕らはどこに連れて行かれるんだ?
どうもヤバそうなムードになってきたぞ。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 02:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月09日

第24回取材旅行 その2

カサブランカでの初日は長距離移動で疲れ果て、
なんと21時前に僕がダウン。
暗い部屋でふと意識が戻ると、時計は朝の5時でした。

というわけで一夜明けた今日は、
身も心も100パーセント旅モードに切り替わり、
絶好調のスタートです。

まずはホテルの朝食から大感激!
場所は海風の吹く涼しいテラス、しかも8時に行ったら貸し切り状態。
そして出てきたのは焼き立てのハルシャ(セモリナ粉を使った香ばしいパン)。
それにラブネというアラブのカッテージチーズを添えていただきます。
お供は淹れたてのコーヒーと搾りたてのオレンジジュース。
シンプルですが、すばらしいご馳走でした。
有名観光地もいいのですが、
僕らが旅を感じるのは、こんなひとときなのですよ。

breakfast01_ma..jpg

腹ごしらえが済んだらさっそくお仕事です。
場所はメディナから徒歩10分ほどのところにある中央市場。
ところがモロッコは朝が遅いのか、
生鮮売り場でさえ9時ではまだ開店準備中。
そこで場外にならぶ開店前の飲食店でメニューを調べていたのですが、
そこかしこで話しかけられることしきり。
とにかくラブリーなのですよ、モロッコの人々は。

people01_ma.jpg

これ、トルコやウズベキスタン、メキシコでもそうでしたけど、
見ず知らずのよそ者にも、道行く人が挨拶してくれるのです。
ここモロッコでも、まだ到着して24時間足らずですが、
子供からお年寄りまで、いったい何人の人に声をかけられたか分かりません。
もちろん僕らはアラビア語を話せませんが、
こうした事情から挨拶だけは覚えておきました。
これは別に難しいお勉強ではなく、
サラーム(こんにちは)とシュクラン(ありがとう)の2語だけでも十分。
要は気持ちが伝わればいいのです。

会話といえば、ともこも初日から「ともこ語」全開。
25年ほど前、海外に行き始めた当初は僕の後ろで静かにしていたのが、
今では気が付けば売店のお兄さんやレストランのスタッフと、
何やらあれこれ話しているじゃないですか。
価格交渉に至っては、はっきりいって僕より一枚上手です。

さて、ローカル食堂でランチ取材をした後は、鉄道でマラケシュへ。
乗った2等客車はチケット購入時の情報とはだいぶ違う、
暑くて小便臭い(トイレが悲劇的状態)車内でしたが、
モロッコの人々の日常を垣間見るには絶好の場所でした。
お孫さんを連れたお婆さん。
子連れのお母さん。そっくりの姉妹。
そしてマッチョなフレディ・マーキュリー風のお兄さん。
それぞれの席にそれぞれのドラマがあります。
車窓を流れる風景と相まってまったく退屈しない3時間でした。
確かにエアコンの効いたきれいな1等客車は快適ですけど、
こっちの方が僕らの好みかな?

train01_ma.jpg

そうそう、モロッコの気候はアフリカにもかかわらず、
カサブランカはなんと東京より涼しかったです。
最高気温28度くらいで湿度が低いため、
ちょっと暑い五月晴れの日という感じ。
しかし南に下って内陸に入ったマラケシュはプラス10度!
昨日の最高気温は40度ほどでした。
それでも同じく湿度が低いので、6月のフィリピンや台湾のように、
僕らが汗まみれの異臭漂う物体化はしません。

13年ぶりのマラケシュ駅に着いたときは感慨深かったです。
ととら亭として初めて野方から行った取材旅行地ですからね。
駅自体は、ほとんど変わっていないと思います。

marrakechstation_ma.jpg

そしてメディナのジャマ・エル・フナ広場で繰り広げられるカオスも、
あの頃のまま。

jamaelfuna_ma.jpg

ヘビ使いやベルベルバンドの音楽に屋台から飛び交う客引きの声、
さまざまなモロッコ料理と汗とゴミと排泄物の臭い、
屋台のけばけばしい照明、それを包む美しい夕焼け・・・
情報化は絶対にできない、
いま、ここで感じるしかない世界がここにあります。

そういえばメディナに着いて驚いたのが、観光客の多さ。
この酷暑にもかかわらず、夏休みのせいか、
白人のツーリストでメディナはいっぱい。
これもコロナ禍のリバウンドかしらん?
ヨーロッパに住んでいるなら、
マラケシュは日本人のバリ島感覚で来られますからね。

people02_ma.jpg

片やアジア系はざっと5パーセント未満かな?
物価は高くありませんが、いかんせん遠いですからね。
僕らレベルの予算ではホテル代がダブルルーム1泊で7,000円前後。
食費はローカル食堂なら一食ふたりで1,300円くらい。
コストを優先するなら、もっと節約することも可能です。

ここで時計は22時30分。
フル装備の遠征バックパックを背負い、
(メインの重さが18キロ、サブが7キロの計25キログラム)
トラムとローカル鉄道とタクシーを乗り継ぎ、
最後は気温40度の炎天下を750メートル歩かされたおかげで、
意識が遠のいてきました。
というわけで、続きはまた今度。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月07日

第24回取材旅行 その1

Freedoooooooom!

帰る日を気にしない旅に出るときの、この感覚。
究極的な解放感とでも申しましょうか、
これまで僕も数回しか経験していませんが、
本当に独特なものなのですよ。
まぁ、これに魅せられると僕らのようになってしまうので、
お勧めはできませんが。

さて、時計を5日に戻しましょう。
僕らは15時半ごろ柴又を出て成田空港第2ターミナルへ。
ここ2年間の取材旅行でもお話しているように、
出発ロビーを行き交う乗客のほとんどは外国人です。
アウトバウンドの少なさが目に見えて実感できますね。
当然、ドバイへ向かう機内の乗客も日本人はざっと2割程度でしょうか。

今回、お世話になったのはエミレーツ航空。
ホスピタリティの良さと機内食のおいしさで、
僕らのお気に入りにのひとつです。
とりわけドバイ出発便の食事がご機嫌でして。
今回もラムのクスクスとムタバル(焼きナス)のサラダは絶品でした。

ドバイ国際空港は2017年のオマーン取材以来、7年ぶり。
エアバス社のA380がずらりと並ぶ光景は相変わらず壮観ですね。
空港というよりSF映画に出てくる宇宙港という感じ。
(僕らが乗ったのもこれ。
ま、エコノミーですからシートピッチと機体の大きさは無関係だけどね)

カサブランカ行きに乗り換えると、乗客の日本人率、
いや、アジア人率はぐんと下がり、中国人団体ツアー客を除けば、
僕らを含めて、ほんの数名しかいませんでした。
東南アジア系はゼロ。
出発ゲート前で見渡せる乗客の国籍、民族分布は、
世界情勢が読み取れるという点で、信憑性が高いと僕は考えています。

その意味では日本人と同じように、激減しているのがバックパッカー。
円安で賑わう成田空港はおろか、
外国の空港でも全くと言っていいほど見かけなくなってしまいました。
これはコロナ禍以降、どこへ行っても共通した傾向で、
世界的に所得格差が進み、
経済がいびつな構造になっているとしか思えません。
バックパッカーというのは、
一般的に収入が少なくても旅がしたいという人の旅行スタイル。
それがほとんどおらず、それでいて旅行者が増えているというのは、
まさに貧乏人はより貧乏に、
金持ちはより金持ちになっているということになりません?
実際、チェックインカウンターに並んでいると、
爆買い系の乗客の数が明らかに増えているのを実感できますから。

フライトは乗継便も含めてオンタイム。
僕らは無事、昨日の12時半ごろ、
13年ぶりにモロッコの地を踏みました。
カサブランカ空港はあまり変わっていなかった気がします。
入国手続きは緩く、入国カードの提出、写真撮影、指紋のスキャンはなし。
インスペクターから「ホテルはどこですか?」と聞かれただけ。
これは2月に行ったメキシコとも共通していますが、
コロナ禍の前後で状況が大きく変わったのかもしれません。
パスポートコントロールブースには、
電源の入っていないカメラと指紋スキャナーが、
鵜造作に置きっぱなしでしたから。
税関も形だけのX線スキャンを通してスルー。
しかし、

さぁ、モロッコだ! 

と意気込んだところでストップがかかりました。

予約しておいたタクシードライバーと接触する前に、
当座のディルハムをゲットしにATMを探し始めたのですが、
見つかったのはたった3台だけ。
そのうち1台は壊れており、
残る2台もデビットカードが使えるPlusに対応していないじゃないですか。

国際空港でこれか? やれやれ、しょうがないな。
それじゃ日本円を両替するか。
(こんな時のための米ドルは、
円高時代に両替したものが底を尽きていまして)

そこでレートのいい両替屋に行くと、
「日本円は取り扱っていません」
表示板には日本円のレートも出しているのに、
別の店に行っても答えは同じ。

マジですか?

「どうだった?」
「ダメだよ。VISA対応の機械でキャッシングという手もあるけど、
 後でちまちま返すのは面倒だからな」
「どうする?」
「ここであんまり時間をかけて、
 タクシードライバーを待たせるのはまずい。
 帰ってしまうかもしれないからね。
 とりあえずホテルに向かいつつ、次の手を考えよう」

さいわいドライバーはある程度英語が話せたので、
事情を説明し、

「Plus対応のATMがある場所を知っていますか?」
「ああ、それなら分かります」

そこで走り始めて程なく立ち寄ったのが銀行の外にあるATM。
見ればPlus対応マークがあります。

よっしゃ。

で、端末を操作すると、最後まで進んだところで、
Your transaction do not proceed. とな?
あれこれ試しても結果は同じ。

おいおい、メキシコの悪夢の再来か?
待てよ、金額が大きすぎるのかもしれない。
マラケシュからのツアー会社に支払うキャッシュを入れて、
指定したのは4000ディルハム。(日本円にして約6万円)
モロッコ人の平均月収とほぼ同じだ。
それを日本の口座から引き落とすとなると、
なんらかのリミッターがかかるのかもしれない。

そこで半分の2000ディルハムにしたら、

お、やっぱり通ったぞ。
細かく両替すると手数料がかさむけど、仕方ない。

僕はもう一度同じ操作を繰り返し、
予定していた金額の現地通貨をゲットしたのでした。

カサブランカでのホテルはメディナの外縁にあるリヤド。
古い住宅を改造したモロッコらしい宿です。

成田からドバイまでのフライトタイムは10時間。
ドバイからカサブランカまでが8時間。
ここまで柴又を出てからだと概ね32時間か・・・
日常から非日常へジャンプするなら、ま、妥当な時間かな?

僕らはバックパックを部屋に降ろし、
懐かしの雑然としたメディナに繰り出したのでした。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 15:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月05日

第24回取材旅行の準備 その4

いよいよ出発。
22時30分、成田発ドバイ行きのエミレーツ航空で旅立ちます。
予定どおりなら現地時間6日の12時45分には、
モロッコのカサブランカに着いているでしょう。

いやはや準備に長い時間を費やしましたが、
結局、出発前の2日半は、鉄道やフェリー、レンタカーの手配から、
直近で泊まるホテルの予約など、
最後の詰めに追われてパツパツでした。

しかし、寝不足でも心は晴れやかです。
15年前の長い旅にはなかった、
たくさんの「いってらっしゃい!」を頂きましたから。

帰る場所と、待っていてくれる人がいるというのは、
なんとも嬉しいものですね。

どうもありがとうございます。

127 Days Journey...
We know it sounds crazy, but you know who we are.
Yeah, let's go further!

ともこ & えーじ
posted by ととら at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月03日

第24回取材旅行の準備 その3

どうやったら数カ月単位の長い旅に出られるのか?

このご質問の回答の続編です。

答えは「選択」

生まれた環境と生物学的な特徴を除けば、
基本的に今の自分は、
過去の自分が下した「選択の結果」といえます。
(良くも悪くもね)

そして選択とは、
いくつかの選択肢から「ひとつを選ぶ」こと。
たとえば、A,B,Cの中からBを選んだのであれば、
AとCは選べない。
意識的にせよ、無意識的にせよ、
人生はこの判断の連続じゃありません?

そこである意味、僕らが意識的に下した究極の選択のひとつは、
「安定」を取るか、「自由」を取るか、でした。

ととら亭を始めて、
「うらやましい」と言われることがよくあります。
「ふたりで気ままな旅が出来るから」と。

ではなぜ、僕が「じゃ、あなたもどうぞ!」と言わないのか?

それは、「自由」を選択すると、「安定」は選択できないからです。

独立して思い知らされたのは、
組織に属していたとき、いかに自分が守られていたか、でした。
端的にいえば、風邪をひいて仕事を休んでも、
給料は減らないでしょ?
好き嫌いは別として、会社も、仕事も、「あって当然」です。
(特に公務員の場合はね)

ところが、個人事業主になると、
雇われていた時の「当たり前」は、もうどこにもありません。

そして自由を得るということは、
指示してくれる人を失うという意味でもあります。
そう、すべては自分で判断しなくてはならない。
事業で失敗しそうになっても、
その前に警告してくれる人すらいません。
「失敗する自由」を選んだのですからね。

それでもあなたは、
命綱なしのフリークライミング人生を選択しますか?

もうひとつの究極的な選択が「家庭」。

僕らは意識的に子供を持ちませんでした。
(その詳しい理由はまたいずれ)

これはお子さんのいる方なら説明不要ですが、
子供ひとりを成人させるまでにかかる費用は、
僕らの旅費の比ではないでしょう。
また、子育てにかかる時間も膨大です。

しかし、これもまた選択ですから、
身軽で自由度の高い家庭には、
子供が生まれ、成長を見守る喜びはありません。
仕事に疲れて帰っても、愛らしい笑顔は待っていない。
わが家には、冷蔵庫のドアに貼るママやパパの似顔絵はないのです。

そう、逆説的にいうとですね、
皆さんが持っているものを、僕らは持っていないのですよ。
換言するなら、僕らが皆さんの非日常であるのなら、
皆さんもまた、僕らの非日常に他ならない。

Nobody can get everything.

ま、いろいろ大変ではありますが、
皆さんと同じように、
僕らは僕らの選択の結果を、よしとしているのでございます。
自分で選んだことですからね。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年08月01日

第24回取材旅行の準備 その2

「留守中、お店は誰かに貸すのですか?」
「ホテルはぜんぶ予約して行くのですか?」
「4カ月間着る服はどうやって持って行くのですか?」

長い旅をアナウンスしてから、
いろいろなご質問を頂いておりますが、
最も多かったのが、

「どうやったら、そんな長い旅が出来るのですか?」

で、その答えは、

400時間です。

え? 意味不明?
すみません、また端折ってしまいました。
先のご質問、正確には、

「おカネはどうするんだ?」

だと思いますが、
実は僕のオヤジが自民党の国会議員で・・・

は、残念ながらありませんでした。

しかし、ビットコインの投資でがっぽり!
・・・でもない。

さて、「こうすればあなたも儲かる!」な話をご期待でしたら、
読むのはここまでにして下さい。
僕にカネ儲けの才能なんてありませんので。

え? ヒマだから最後まで付き合う?
いいのですか? それでは退屈なお話を続けましょう。

飲食店のビジネスとは単純で、
日々の足し算(売り上げ)と月末締め、翌月払いの引き算(支払い)、
そして確定申告後の引き算(納税)で構成されています。
単純にいえば小学校で習う算数レベルで十分こと足りる。

しかし、ビジネス本や、
なんちゃってコンサルのセミナーで教えているのは、
基本的に「日々の足し算」だけです。
「経理や確定申告は?」と聞けば、
口をそろえて「税理士に頼みましょう!」ですからね。

販促にしてもそう。
ウェブサイトを自前で開発、運営している飲食店なんて、
そうそうありません。

これが一般的なのですよ。
すると、
ととら亭サイズの飲食店を経営する個人事業主の月間労働時間は、
おおむね300時間くらい。
(業態にもよりますが)

ところが僕らは2010年から現在まで、
ひとり月400時間を切ったことはまずありません。

なぜか?

引き算を最小限度にしているからです。

つまり、経理を税理士に依頼せず、
メニュー作りやウェブサイトの運営を内製化し、
店舗のメンテナンスも自分たちでやる。
料理に至っては、これまたとことん手作りすることで、
支払いを最小化する。

これを通常の営業と合わせてやると、
月の労働時間が一人当たり400時間になるわけです。
で、それを14年以上続ければ、
自ずと数カ月に及ぶ旅の費用くらい溜まるってのも、
不思議じゃないでしょう?

目いっぱい働いて貯める。

なんとも地味な話でございます。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記