スペインのサン・セバスチャンから雨の中を走ること56キロメートル。
僕らは昨日の昼前、4番目の渡航国、
フランスのバイヨンヌに到着しました。
たった1時間半ほどの自動車移動で別の国です。

朝もやに包まれるバイヨンヌ駅
このすぐ近くのホテルに投宿しています
しかし、これまた僕ら島国生まれの日本人にはピンときそうもない話で、
国境を越えても文化圏としては、ほぼ同じバスク地方なのですよ。
それと申しますのも、
バスク地方に住むバスク人とは独自の言語(※)を持ち、
スペイン語を話すエスパニョール系とは別の民族なのですね。
これ、フィクションで日本に置き換えると、
たとえば福岡県に住んでいるほとんどの住民は、
古来、別の言語を母語とする別民族の人々で、
朝鮮半島の南部にも韓国籍の、同言語を話す同じ民族が住んでいる。
こんな感じになりましょうか。
こう想像すると、
この地域の社会的な複雑さが何となくイメージできるかと思います。
で、多民族国家のよくある悪習として、
マジョリティーは自分たちの文化をマイノリティーに押し付けます。
となれば、これまた自由を求めての衝突が起こるのも必然的結果。
こうしてバスクは1968年以降、
ETA(バスク祖国と自由)による分離独立を目指す、暴力を辞さない行動や、
バスク民族主義穏健派が勝ち取った政治的な自治権と、
その後の拡大など、独自の民族性を守る動きが活発化しています。
スペインの中には同様な状況がガリシアとカタルーニャでも起こっており、
特に後者は度重なる住民投票で独立派が過半数を越えたにもかかわらず、
中央政府に鎮圧され続けている経緯から、きな臭いムードが現在も進行中。
この緊張感は、僕らのような旅人ですら感じ取ることができます。
ビルバオからバスク地方に入った途端、
スペインの国旗を見かけることはまったくなくなりましたから。
かわりに、至るところで目にするのがバスクの旗。
とにかく、われわれはバスク人であり、ここはバスクなのだ!
というスピリットに満ちている。

街中で耳にする言葉もバスク語が増え、
これが店名や料理名にまで及ぶのですから、かなりリアルです。
ある意味、別の国に入ったかの印象を受けてもおかしくありません。
しかしながら、スペインからフランスに入った変化もまた、
目と耳ではっきりわかるものでした。
道路標識と耳にする言葉がフランス語になりましたからね。
今朝、ホテルのカフェで「Buenos dias」と挨拶していたのが、
ほんの1時間半で「Bonjour」に変わったのは、
ちょっと不思議な感じがしましたよ。
あ、今回は時差なし。JSTマイナス7時間です。
それから街の雰囲気も大きく変わり、
色彩のトーンというか、デザインというか、
お洒落度がぐんと増した気がします。
とにかく地味にもかかわらず、絵になる風景が多い。
それこそ気の向くままぶらぶら歩き、
心に触れた風景にカメラを向けるだけでも楽しめる。
そんなところなのですよ、バイヨンヌは。
疲れたら一息入れる素敵なカフェも、そこかしこにありますしね。

リズミカルに立ち並ぶ旧市街の街並み

ウォールアートもレベル高し
今日はこれから市場の取材。
その後は旧市街で店内ディスプレイ用のバスク旗を探しに行きます。
ここはスペインバスク地方に比べて観光客が少なく、
街の規模も小さいせいか、
素顔のバイヨンヌと向き合っている感じ。
賑やかな観光地も悪くありませんが、
どちらかというと、僕はこうした雰囲気の方が好きですね。

アドゥール川にかかるポン・サン・エスプリ橋の夜景
to be continued...
えーじ

フレンチバスク料理のレストランで取材中。
偶然、Tシャツが同じ色でペアルックのようになってしまった!
ちょっと恥ずかしい。
※ バスク語
ヨーロッパの中では珍しい、ラテン語系でもゲルマン語系でもない、
出自不明の独立語。
かつては「イルレギーの手」に刻まれたようなバスク文字もあったが、
今ではラテン文字が使われている。