2024年09月29日

第24回取材旅行 その21

Bonjour!(こんにちは!)
3日前、ルクセンブルグを出発した僕らは再びフランスに入り、
ノンシーに2日間滞在した後、
昨日の昼ごろ、ストラスブールに到着しました。

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イル川に囲まれた美しい旧市街

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赤色砂岩で作られた大聖堂

シェルブールに続いて、フランスでの取材パート2に入ったわけですが、
ここで今更ながらに、この旅の取材方針をご説明したいと思います。

え? ちゃんと仕事をしているってアピールしたいだけだろう?

アタリです。
いや、本当にちゃんとやっているのですよ。
旅の料理のレパートリーが底を尽きちゃいますからね。

まず、いつもながらのととら亭で紹介する料理探し。
ただおいしいだけではなく、何らかの歴史的な背景や、
ストーリーがないと合格ラインは越えられません。

たとえばこの時期、
ベルギーやオランダではムール貝が旬に入りましたが、
ただの白ワイン蒸しでは面白味に欠けるでしょ?
(おいしいんですけどね!)
同様に個人的には大好きなベルリンのカリーブルストも、
料理としては、ひねりが足りない。

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名店Curry36のカリーブルスト

そこでこれまでの取材と変更したのは。
特集を組むことへのこだわりを捨てること。
ハードルを越えた料理がひとつしか見つからなければ、
スポットの黒板メニューで紹介し、
3つ以上揃った場合にだけ特集を組めばいい。
こう肩の力を抜いて調べることにしたのです。
これで大分プレッシャーが下がりました。

そしてもうひとつの軸が、ともこの仕事の再チェック。
彼女のバックグラウンドはフレンチとドイツ料理ですけど、
それぞれ修業時代にシェフから習った料理が、
現地のそれと比べてアレンジされていたのか、
それともオリジナルに忠実だったのか、わからなかったのです。

もちろんそれぞれのレシピは完ぺきでしたし、
それを引き継ぐことも弟子であれば当然です。
しかし、旅の料理人として、
経験をシェアする仕事をするとなると、
話が変わってくるのですね。

こうして今回の長い旅でフランスとドイツを回っているときは、
ともこが作ってきた料理を選んで再確認し、
引き継いだレシピと現地の料理を比較していました。
一例を挙げますと、

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ベルリンのケーニヒスベルガークロフセ

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トゥールーズのソーセージ

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ノンシーのキッシュロレーヌ

長い料理人のキャリアの中で、
シェフからレシピを習い、自分で作ってきた料理。
そのオリジナルとの出会いは、
差し向かいで一緒に食べている僕のそれとは、
まったく違う意味を持っているでしょう。

「どうだい?」
「うん、やっぱりシェフたちはスゴイね。
 どれも現地の料理とそっくりだったよ」

そんなわけで、今回訪れている国々の中でも、
フランスとドイツは、
僕らにとってちょっと特別な意味を持っていたのでした。

to be continued...

えーじ

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2024年09月25日

第24回取材旅行 その20

Moien!(モイヤン(こんにちは!))
3日前、ベルリンを出発した僕らはフルダを経由し、
12年ぶりのフランクフルトへ。
そして昨日は11番目の渡航国、ルクセンブルクに到着しました。

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教会と見紛いそうな美しいルクセンブルク駅

天気は久しぶりの雨。
気温は13度まで下がり、またダウンジャケットを着こんでいます。

これでベネルクス3国への渡航は終わりですが、
ベルギーやオランダに比べて、
ルクセンブルクの知名度は日本であまり高くありませんよね?

かく言う僕らも来る前は同じようなもので、
ざっとおさらいしますと、
面積は神奈川県くらいの約2,586キロ平方メートル、
人口は鳥取県民よりやや多い約67.2万人。
ベルギー、フランス、ドイツと国境を接した小さな内陸国です。

先の挨拶にも書きましたが、
公用語はドイツ語方言の一種とされるルクセンブルク語。
(話者数はたった20万人ほどだそうな)
しかし、これまでの国々と同じく、
飲食店やホテルなどでは概ね英語が通じています。

推測ですが、これはインターネットの普及だけではなく、
移民の人口比率が増えたことも大きく影響していのではないかしらん?
今回、ここまで周った国でも、
街中で見渡せは白人はだいたい半分くらいで、
アフリカ系、中東系、アジア系などが、
合わせてその半分前後を占めているのですよ。
労働力と税収に直結する少子高齢化対策は、
先進国の共通課題ですからね。

ここルクセンブルクもまた例外ではなく、
総人口の約1/3、おおよそ12万人が外国人といわれています。
しかし、ここで早合点するなかれ。
移民といえば有色人種のイメージが強いと思いますが、
実は東ヨーロッパ出身者も多く、
コブレンツから乗ったローカル列車で話をした女性は、
なんとドイツ在住のアルバニア人でした。

僕ら日本人からすると、
金髪碧眼の欧州人はみな同じに見えるかもしれませんが、
大きく分けても西と東では文化的、経済的差異が大きく、
東から西へ向かう白人の移民も少なくありません。
実際、ルクセンブルクの移民で人口比率が最も高いのは、
ポルトガル人、 イタリア人、 フランス人、ベルギー人、
ドイツ人の順だそうな。
そのせいか、駅前から旧市街をざっと歩いてみると、
確かに飲食店はイタリアンが圧倒的に多いですね。

僕らが滞在しているルクセンブルク市は山間に位置し、
川が街の中心地を流れているところなど、
どことなくアンドラを彷彿させるところがあります。
しかし世界文化遺産にも指定されている旧市街地を歩くと、
前者にはなかった歴史の堆積が感じられますね。

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グルント(谷合の低地)の遠景

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旧市街地の目抜き通り

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夜は中世にタイムスリップしたような雰囲気に

それからこの国が世界的に知られていることのひとつは、
個人の平均所得が世界で1、2を争うということ。
なんでも平均月収が約950,000円とな!
すんごいですね。
これをほぼ金融業と情報産業で叩き出しているのですから。

でも、これはあくまで「平均値」であって「中央値」ではありません。
一説によれば、
億万長者とまではいかないくらいの高額所得者が多いとのことですが、
当然ながら「そうではない」人々もたくさんいるはずです。
(ん? どっかで聞いた話だな)
実際、たった半日歩いただけで、
どうやっても高額所得者とは思えない方が(失礼!)たくさん、
いや、ほとんどでしたからね。
(これもどっかで聞いた気がするな)
どおりで旧市街地から街の中心部に、
おカネ持ち御用達のブランドショップや、
トランプタワーのような富を象徴する高層建築物がなかったわけです。

ここで僕は、先にお話した、
アルバニア出身の女性との会話を思い出しました。

「へぇ、東京でレストランをやってるの? 素敵ね!」
「ありがとうございます。 
 でも僕ら夫婦だけでやっている小さな店で、
 席数だって、たった16席しかないんですよ」
「16席? 十分じゃない!
 ビジネスはともかくとして、幸せとスケールは関係ないのよ。
 私がよく行くお店なんかたった8席しかなくて、
 やっぱりご夫婦でやってるの。
 スープの専門店のくせにメニュー数はたった3、4種類。
 それでもおいしくて魅力があるから、毎日大盛況でね。
 ふたりもすごく幸せそうよ」

アルバニアといえば、旧ユーゴスラビアから独立した国。
(11月初旬に取材予定)
経済的には依然きびしい状況から抜け出せず、
ときに欧州最貧国とまでいわれることがあります。
そこからEUの経済優等生、ドイツに移住した彼女は、
ドイツの平均月収(708,500円)と、
その1/7にも満たないアルバニアの90,000円のギャップが意味するものを、
肌で感じているでしょう。

しかし、また同時に、アルバニアでの幸せが所得と比例して、
ドイツの1/7しかないとは考えていない。
あれは、その一見矛盾するアンビバレンツな立場から経験したことを、
彼女自身の言葉で語っていたのではないか?

「豊かな」国、ルクセンブルクの雑踏を行き交う、
多様な肌の色の人々を見ながら、
僕はそんなことを考えておりました。

to be continued...

えーじ
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2024年09月23日

第24回取材旅行 その19

Guten Tag!(グーテンターク!(こんにちは!))

昨日の夕方、僕らは再び鉄道でドイツに戻り、
いま、ベルリンに滞在しています。

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新しいガラス張りの巨大なベルリン中央駅

場所もさることながら、
この40日間あまり、気候も目まぐるしく移り変わり、
モロッコとスペイン南部が40度越えの酷暑。
ポルトガルからスペイン北東部がカラッとした夏の終わり。
スペイン北部とフランス南西部がひんやり秋の始まり。
アイルランドとイギリスはダウンジャケットを着こむ冬の入り口。
そしてベルギー以降は再び秋の始まりくらいになりました。

天気にはずっと恵まれており、徒歩で移動するときに限れば、
シェルブールでお約束の雨に降られた以外、傘をさしたことはなし。

そうだ、雨といえばヨーロッパに来るたびに驚くのが、
濡れながら歩くヨーロピアン。
どうしたわけか、かなり雨が降っていても、
皆さん、傘をささないのですよ。
コートやパーカーのフードを被るか、
何もしないでそのまま歩いてる。それも老弱男女を問わず。

これ、初めて気付いたのは2011年の秋のこと。
デンマークのコペンハーゲンへ行ったときに、
びしょ濡れで歩く人々を見て、何ごとかと思いました。
ほんの霧雨でも傘をさす日本人とは対照的ですね。

寒暖の感覚も体格のいい白人と細身のアジア人では大きく違うようで、
僕らがダウンジャケットを着ているのに、
ノンスリーブ、ショートパンツ、
おまけに「おへそもこんにちは」のうら若き女性とすれ違ったりすると、
別の意味で「Wow!」と口に出そうになります。
そういえば前回ご紹介した友人のカタリーナをハグすると、
冬場でもポカポカしてたな。

さて、前回といえば言葉のお話でしたが、
覚えたのが挨拶だけでものちのち役に立つことがあります。

先ほど夜の取材で、
ブランデンブルク門にほど近いレストランに行ったときのこと。
広い店内は大盛況で、
近隣のテーブルからいろいろな会話が聞こえてきました。
僕らの右隣はアメリカから来た年配のカップル。
ホールの人がビールを持ってくると、

「おいおい、こりゃ泡が多すぎないか?」
「ドイツではこのくらいの比率で出しています」
「へぇ、3000マイルも離れると、ずいぶん習慣が違うもんだな。
 ところで君の出身はどこだね?」
「バングラデッシュです」
「そりゃまたお互い遠いところから来たんだ!」

そこで彼が僕らのテーブルをサーブした際、

「ドンノバット(ベンガル語でありがとう)」
「え? いま何ておっしゃいました?」
「ドンノバット」

彼は急に笑顔を浮かべ、

「どうしてその言葉を?」
「失礼、となりの会話が聞こえてきてね。
 もう20年くらい前になるけど、
 あなたの国に行ったことがあるんですよ」
「20年前! 僕はまだ9歳でした」
「僕が滞在したのはダッカだけですけどね」
「僕もダッカの出身なんですよ!」
「それじゃ9歳のあなたに、
 まだ髪が黒かったころの僕が会ったかもしれないな」

それから彼が欧州にいる理由や、
お互いの国の国旗がそっくりだという話で盛り上がり、
短くも楽しいひとときを過ごしました。
そしてデザートのアップルシュトゥルードルを食べていると、
再び彼がさっと現れ、

「これは僕からです」

僕の前に置かれたのは淹れたてのエスプレッソ。

名前も聞きませんでしたが、
これは僕の今日のハイライトになりました。

to be continued...

えーじ

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কফির জন্য ধন্যবাদ
Thanks for the coffee.
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2024年09月20日

第24回取材旅行 その18

Goededag!(フッデダッハ!(こんにちは!))

目まぐるしく移動が続く僕らの旅。
あれから前回お話したブリュッセルを出て、
ドイツのケルンで友人に会い、

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20年来の友人家族と。
彼女たちはなんと今日から日本旅行に出発!
最初は9月23日にフランクフルトの新居を訪れる予定でしたが、
すれ違いが分かり、急遽繰り上げてケルンで会うことに。

そして一昨日、10番目の渡航国、
オランダのアムステルダムに入りました。

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運河に囲まれたアムステルダム セントラル駅

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市内に張り巡らされた美しい運河

いずれもEU加盟国でシェンゲン協定が発効しており、
パスポートコントロールはありませんから、
毎回「ん? いつ国境を越えたんだ?」と不思議な感じ。

しかし電車を降りて駅の雑踏に紛れ込むと、
言葉の違いがはっきり分かりますね。
そして街や建物の作りが違うことから、
ああ、別の国に入ったんだ・・・と実感できるのです。

そこで困るのがコミュニケーション。
僕がまともに使える外国語は英語だけ。
となると、挨拶ぐらいは現地語を覚え、
あとは一夜漬けで必要なフレーズを暗記して・・・

といつものようにお茶を濁すつもりが、
これまでのところ、
勉強を前にして困ったことはほとんどありません。
驚くほど広い範囲で英語が使われているのですよ。
これにはたいへん楽をさせていただいております。

いつの間にか、英語が世界の共通語になりつつあるのですかね?
たとえばブリュッセルの飲食店でも、
お客さんが外国人だと分かったとたん、
スタッフは英語で話しかけていました。

また、ここオランダでも、
レストランやホテル、美術館など外国人が訪れる場所では、
表記も含めて英語が共通語になっているではないですか。
これには唖然としましたね。
ほんの数年前までヨーロッパを旅していたときは、
不慣れな現地語を使わなければならず、けっこう苦労したものです。
それが今では40歳以下の人なら、かなり高い確率で英語が話せますから、
国境を越えても、あたふたすることはほぼなくなりました。
これもインターネットが普及したからでしょうかね?

しかし、これから東に進むにつれ、
のんきに構えてはいられなくなるかもしれません。
さすがにモンテネグロやボスニアなどバルカン半島の国々では、
西ヨーロッパのようにいかないでしょうから。
あの辺はギリシャを除いてスラブ語系が多く、
ルーマニアとモルドバがラテン語系か・・・
今のうちに予習を始めなくては。

あ、ちなみにフランス人はいじわるで、
「英語が話せてもフランス語を話さないと知らん顔をする」
との風説がありますけど、
僕らが旅をした限り、そうした事実はまったくありませんでした。
反対に、皆さんとても親切で、英語が不慣れな方でも、
なんとか意思疎通を計ろうと、あれこれ手を尽くしてくれたものです。

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フランスのポントルソンの宿でお世話になったマドレーヌさんと。
ご覧のとおり、すんごくラブリーな人でした。

これはフランス人に限ったことではなく、
この星を旅していて、どこでも共通したことなのですよ。
そう、地球人というのはね、基本的に心やさしい生き物ですから。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年09月17日

第24回取材旅行 その17

Bonjour!(こんにちは!)、 それから Goeiedag!(こんにちは!)

一昨日の朝、ロンドンを出たユーロスターは、
約2時間で8番目の渡航国、ベルギーのブリュッセルに到着しました。

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ブリュッセルと言えば、
EUやNATOの本部が置かれていることから、
しばしばヨーロッパの中心として注目されていますが、
僕らが滞在しているブリュッセル中央駅の西側は、
華やかな一大観光地といった趣き。

とりわけその中心にあるグランプラス広場は、
17世紀に建てられた重厚な建築物に囲まれ、
昼夜を問わず、各国から来た多くのツーリストで賑わっています。

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レベルの高い飲食店が多いおかげで取材は順調です。
ベルギーといえばビールですが、
さまざまな銘柄を楽しむだけではなく、
これを使った料理も忘れてはいけません。
たとえば、

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カルボナーダ

グレービーとビール、
そして隠し味のディジョンマスタードで煮込んだ柔らかいビーフ。
ビールの深いコクとほのかな酸味のバランスが絶妙な一品。
お供は国民食のフリッツ(フライドポテト)がお約束です。

チコリ(エンダイブ)を使った料理も名物で、
なかでも苦みの効いたグラタンは大人のご馳走でしょう。
下茹でしたチコリをハムで巻き、軽いベシャメルソースをかけて、
チーズを乗せたらオーブンでこんがり。
グラタンは数あれど、このコンビネーションは盲点でしたね。

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シコン・グラタン

赤ワインビネガーとリエジュシロップの甘酸っぱいソースで煮込んだ、
リエージュ風のミートボール(手前右)もいけますよ。
マジョラムの香りがまた食欲をそそります。
ビールにもワインにもよく合うし。

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香ばしいパイ生地にチキンやシーフードのクリーム煮を詰めた、
ヴォル・オ・ヴァンもはずせない一品。(手前左)
中身もさることながら、とにかくパイ生地がおいしい。
で、同じクリーム系といえばこれ。

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ワーテルゾーイ

こんなバージョンもあります。あっさりしたクリームシチューで、
北欧のフィスクソッパを軽くした感じ。
具はチキンのほか、シーフードも。
店によってはセロリの香りが効いていて、とてもおいしい。
そして忘れてはならないのが、

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日本ではマネケンで知られるベルギーワッフル。
ここ本家のブリュッセルならば、
至る所でワッフル屋が甘い香りを立ち昇らせています。
四角いブリュッセル型と丸いリエジュ型があり、
どちらが好みか食べ比べが楽しい。
とにかくトッピングよりも「焼き立て」にこだわるのが大切。
ほんと、熱々を頬張ると幸せになりますよ。

とまぁ、取材した一部をざっとご紹介しました。
いかがです? みんなおいしそうでしょ?
他にもウサギのシチューやムール貝のワイン蒸しなど、
魅力的な料理がてんこ盛り!
さらに数えきれないほどの種類があるビールを飲み比べていると、
何日滞在していても足りなくなります。

ん〜・・・ベルギーはまた来たい国のひとつになってしまいました。
しかし、後ろ髪引かれつつ、明日は次の国へ出発です。

to be continued...

えーじ

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食べすぎ&飲みすぎのともこさん
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2024年09月14日

第24回取材旅行 その16

グラスゴーからレンタカー区間のパート3が始まり、
今度の相棒はなんと!
ラ・マンチャで病院送りにした「あお丸」が帰って来ました!

と、一見して本当にびっくりしたのですが、運転席を見れば右ハンドル。
そりゃそうですよね。彼と別れたのはスペインです。
そこで乗ってみれば、オドメーターは、
まだ4400マイル(7040キロ)ほどしか走っていないFIAT500のニューモデル。
ハンドルの位置が左から右に変わっても、
他は一番長い付き合いとなった「ぶち子」と同じですから扱いやすい。

そう安心してグラスゴー空港のパーキングを出てハイウェイを走り始めたら、
2度目のグッドサプライズが待っていました。
加速がぜんぜん違うじゃないですか!
ほとんどフランスでの相棒、KIAのPICANTOと同じくくらい。
たぶん排気量がアップしたのでしょうね。
「あお丸」の弟分であり、「ぴかぞう」の走りを受け継いでいるということで、
今度は「あおぞう」と命名。

彼とはまず湖水地方を南下してモアカムへ。
ここで一泊し、翌日は古い街並みが残る、
コッツウォルズ地域のチェルトナムに投宿。
そして昨日、ストーンサークルで知られるエーヴベリーと、
ソールズベリーを経由し、僕らはイギリス最後の目的地、
ロンドンに到着したのでした。
(頼もしかったあおぞうはサウサンプトン空港のEnterprise支店で返し、
そこからは鉄道で)

え? また話がダイジェスト過ぎる?
しかも写真がない?

すみません。
前回に引き続き、ここで釈明を。

とにかくこの旅は中身が濃く、
毎日、いや、1時間ごとにいろいろなことが起こりまくり、
限られた字数で何をお伝えすべきか、絞るのが難しいのですよ。

それから物価の高いロンドンで宿泊費を節約するため、
ウエストブロンプトン駅にほど近い安ホテルに投宿したのですが、
何ごとにも安いからにはそれなりの理由があるもの。

たいてい古くて設備が老朽化していて掃除が行き届いていない、
つまりボロくてばっちいのはお約束。
それに加えてここはアクセスポイントが遠いのか、
Wi-Fiはほとんど使いものになりません。
ちょっとでもデータ量を増やすと通信はみなタイムアウト。
ベッドもこの旅で一番の「ぼよよんベッド」です。

それでもチェックインしたときにはホッとしました。
料理がマズイと定評のイギリスで、
ぼちぼちうまいものを見つけられましたからね。

それにレンタカーでの移動もあお丸を病院送りにした以外、
パート1のスペイン、ポルトガルが2582キロメートル、
パート2のフランスで914キロメートル、
そして最後のイギリスが820キロメートルで、
計4316キロメートルを無事走破!

いずれこの部分だけに特化したお話をしようかと思っていますが、
ヨーロッパでの運転は、そりゃおとろしかものでございました。
オーストラリアと違い、
ともこはまったくハンドルを握れなかったくらい。
ほんと、無事故で終わったのは奇跡かな?

でも一番の成果は、イギリスの地を踏んだことで、
ふたりの旅キャリアが3か国差に縮んだことかな?
僕は2000年に一度渡英していますが、ともこは初めてでしたからね。
ロンドンは一度見せたい街だったので、いい思い出になりました。

さて、明日は早朝のユーロスターで、再びユーラシア大陸に戻ります。
訪れるのは・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年09月10日

第24回取材旅行 その15

今日は9時45分にホテルをチェックアウトし、
タクシーとフェリーとバスを乗り継いで、
17時ごろ、スコットランドのグラスゴーに着きました。

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荒々しくも美しいスコットランドの沿岸

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重厚なグラスゴーの街並み

え? ベルファストはどうした?
話が飛び飛びで、よくわからない?

すみません。
日々あれこれ忙しく、
きちんと話の繋がるレポートができていませんでした。

言い訳をさせていただきますと、
僕らがやっているような低予算個人旅行は、
とにかく次から次へとやらねばならないことがてんこ盛りでして。
そこで今日は、
一般的には非日常であるところの「旅の日常」をお話しましょう。

朝は予定にもよりますが、たいてい7時ごろ起きて、
8時前後に近くのカフェで朝食を軽く頂きます。
このときに当日の移動や取材についてのブリーフィング。
ホテルに戻ったら荷物をまとめて撤収です。

移動方法はさまざまで、
たとえば今日の場合、朝食後にフロントへ行ってタクシーの手配。
それからフェリーターミナルへ移動し、
フェリー会社のカウンターでチェックイン。
約2時間30分の航海でスコットランドのケイルンライアンに着いたら、
バスに乗り換えてグラスゴーのブキャナンバスターミナルへ、
また2時間30分のドライブ。
そこからホテルまでは徒歩で800メートルほど移動。

移動中の取材は難しいのですが、
宿泊した翌日のランチで取材できる場合は、
前日中にネットであたりを付けた店まで行き、
メニューと雰囲気を確認してから入ります。
ここまで調べるのにかなり時間がかかりますね。
食べられる回数が限られているので、
ハズレを引くのは是が非でも避けなければなりません。

ホテルにチェックインしたら、
僕は情報機器4台のネット接続と、それら給電環境のセッティング。
ともこはせっせと洗濯を始めます。

電気ポットがある場合はここでお茶を入れて、ちょっと休憩。
短いながらも、1日でほっとできる僅かなひととき。
その後、ディナーの場所の検討を始め、20時前後に取材開始。

22時ごろホテルに戻ったら、シャワーを浴びて、
その日の結果をノートにまとめたり、こうしてブログを書いたり。
最後に翌日の移動方法を確認して、
24時前後にベッドへ入ります。

サマリーはざっとこんな感じですが、
初めて行った場所でこれらをやり続けるというのは、
とにかく骨の折れることでして。
実際はいろいろなバッドサプライズが次々と起こり、
そのシューティングもまた日常の一部。
日本を出発して今日で36日が経過しましたけど、
のんびりできたのは半日すらないのが実情なのですよ。

明日は9時前にグラスゴー空港へ行き、
レンタカーを借りて湖水地方へ。
予定では300キロメートルほど走って、
18時ごろ、ランカスターのちょっと西にある、
モアカムという小さな海沿いの街に着いている・・・はず。

ん〜・・・明日は何が僕らを待っているのか?

というわけで、そろそろ寝ます。
おやすみなさい。

to be continued...

えーじ
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2024年09月08日

第24回取材旅行 その14

一昨日、雨のシェルブールをフェリーで出港した僕らは、
19時間後の翌午前11時15分、
6番目の渡航国、アイルランドのダブリンに着岸しました。

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ダブリン港

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ダブリンの街並み

天気は晴れ。
最高気温は20度で最低が15度。
北アフリカから出発し、ヨーロッパ西部を北上するここまでのルートでは、
8月20日のコインブラ以降、気温が急激に下がりだし、
一足早く、秋の爽やかさを満喫しています。

アイルランドに興味を持ったのはずいぶん前のことでした。
そう、あれは僕がCDに乗り換える前、
最後に買ったLP、エンヤのウォーターマーク(1989年)で、
(あまりの美しさにジャケ買い)
「へぇ、アイルランドにはケルトっていう文化があるんだ・・・」
と知ったときです。
以降、バンド小僧だった僕は、エンヤの姉のモイラ・ブレナンや、
当時まだ粗削りの魅力に満ちていたU2を聴き始め、
ますますアイルランドにハマり始めたのでした。

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パブが連なり熱気に包まれるテンプルバー

そんな青春時代の記憶が蘇ったのは昨晩のこと。
ディナーでの取材が終わって、
腹ごなしに夜のテンプルバー界隈をぶらついていたら、
そこかしこでストリートミュージシャンたちがプレイしていたのです。
そのレベルの高さといったら、ちょっと驚きで、
皆さんプロで十分通用する才能の持ち主。
僕らは都度、足を止めざるを得ませんでした。

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そこで夜風に紛れて聞こえたのが、特徴のあるギターサウンド。
シンプルなフレーズにディレイマシンで深みを与えたそれは、
まさしくU2の個性派ギタリスト、エッジのものではないですか。
続いたのはやはり、「With or Without You」のメロディー。
年若いストリートミュージシャンが奏でた、
このアコースティックバージョンには、本当に心が打たれました。
まるで憧れのミュージシャンの曲を、
必死でコピーしていたころに戻ったようでね。

明日は午前中に鉄道でイギリス領の北アイルランドへ入ります。
街の名はベルファスト。
そう、U2の「Sunday Bloody Sunday」の舞台です。

限られた時間で書くブログではなかなか表現しきれませんが、
旅の空間には、テレビ(ネット)で見たり、
新聞で読んだりする「情報の次元」とは異なるリアリティがあり、
それはときに深く旅人の心を揺さぶることがあります。

答えのない問い。
やり場のない思い。
そして思い知らされる、間抜けで無力な自分。

この旅でも何度かそんな場に立ち会いましたが、
きっとベルファストは、
そのひとつに加わるような気がするんですよね。
「平和の壁」まで行くかどうかは、まだ思案中でして・・・。

to be continued...

えーじ
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2024年09月05日

第24回取材旅行 その13

このところ、アンドラから一泊移動が5日続いていたので、
けっこう忙しい日々を送っていました。
ルートは再びフランスへ戻り、
トゥールーズ → ナント → ポントルソン、
そしていま滞在しているのが、
コタンタン半島先端に位置する港湾都市、シェルブールです。

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僕らが投宿してるホテル近くの広場

なかでも名前が知られていないのがポントルソンだと思いますが、
モン・サン・ミッシェルといえば説明は不要でしょう。
そう、フランス随一の観光地。
ということは、ホテル代相場もいいお値段。
そこでちょっと離れた小さな宿場町のポントルソンに投宿していたのです。

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ポントルソンの目抜き通り。
ほんの300メートルくらいしかありません。
街というより村かな?

ここが落ち着いた、実に感じのいいところでね。
駅なんか、たまに発着する電車が来るとき以外は、
ドアがロックされて入れないくらい。
僕はよそ行きの顔をした有名観光地より、
素顔の雰囲気が楽しめる、こうしたところが趣味なんですよ。

しかしながら大都市も魅力的でした。

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トゥールーズ
ポン・ヌフ橋の幻想的な夜景

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ナント
いろいろなお店がたくさんあって、そぞろ歩きが楽しい

いずれも見どころとおいしい料理が盛りだくさんだったので、
いつかはフランス南部に特化した取材もありかな?

この区間の移動は再びレンタカー。新しい相棒はKIAのPICANTOです。
FIATT500の「ぶち子」よりエンジンパワー、積載量もアップされ、
精悍な顔つきから「ぴかぞう」と命名。

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4日間の短い付き合いでしたが、
高速道路での走行がとても楽になり、たいへんお世話になりました。
昨日、実家のEnterpriseシェルブール支店に返したときは、
ちょっと寂しかったですね。

さて、今日はいよいよシェルブールから、
夜行フェリーでアイルランドのダブリンへ向かいます。
と、その前にやることがひとつ。
旅に出て1か月。そろそろ散髪の時期がやってまいりました。
そこで早めに到着した昨日は、
アドリブでローカルのバーバーショップへ。

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飛び込んだのは、こんなお店

外国で髪を切ってもらうのは15年ぶりです。
(前回はウルグアイのモンテビデオで)
当然、好みを正確に伝えるには言葉がビミョーですから、
こうした場合、僕はほぼ相手任せで切ってもらいます。

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雑多なオブジェに囲まれた、理髪店とは思えない店内

お店に劣らず、ご主人のパトリックさんも個性的。
なんでもパリで10年修業し、シェルブールでは開業して20年目になるそう。
そんな話をしていたら、

「俺も61歳だからさ」
「え? 何年生まれですか?」
「1963年だよ」
「僕も同じですよ!」

パトリックさんはパリ時代、日本人のお得意さんもいたそうで。

「名前はなんて言ったかな? えっと・・・そうだ、ヨシノだ。
 女性の友達もいたんだよ。彼女の名前はジュンコ・ヤマモト」

昔を思い出しつつ遠くを見つめる彼は突然、

「そうだ、いいものを見せよう!」

彼が取り出したのは、古い日本のファッション雑誌。
ページを繰ると、男性のヘアスタイルの写真がたくさん載っていました。
そのレトロなセンスからして、40年くらい前のものかもしれません。

「当時、これで勉強してね。
 それから、あなたの髪を切っているこのハサミは日本製なんだよ」
「高そうですね」
「ああ、とても大切にしているんだ」

修業を始めた年齢からして、彼も転職組。
そして自分に合う道を探し出し、やがてその延長で独立。
国が違っても、肌の色や言葉が違っても、
年齢だけではなく、生き方まで似た人と偶然出会い、
日本製のハサミで髪を切ってもらう。

ん〜・・・これがただの偶然なのだろうか?
旅っておもしろいと思いません?

to be continued...

えーじ

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posted by ととら at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年09月01日

第24回取材旅行 その12

Buenas noches!(こんばんは!)

え? またスペインに戻ったのか?
いえいえ、僕らは5番目の渡航国であり、
最初のレンタカー移動区間のゴールでもあるアンドラに到着しました。

え? どこそこ?
って、なりますよね?

アンドラは南側をスペインに、北側をフランスに挟まれた、
面積468平方キロメートル(ほぼ金沢市くらいの大きさ)しかない内陸国。
正式にはアンドラ公国(Principality of Andorra)といい、
僕らはその首都、アンドラ・ラ・ベリャに滞在しています。

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アンドラの中心は谷間の街。
標高は900メートルほどあります。

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街の中心を流れるラ・ヴァリラ川
どことなく鬼怒川や修善寺を思わせる光景
ウィンタースポーツのリゾート地ながら温泉はありませんけど。

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中心部の夜景

で、なぜスペイン語で挨拶したのかと申しますと、
まずカタルーニャ語が公用語で、
それに続きスペイン語やポルトガル語、フランス語が使われているからです。
僕らが立ち寄ったレストランやガソリンスタンドでは、
向こうからスペイン語で話しかけてきたので、
とりあえず僕もそれに倣え、というわけでして。
バイヨンヌからは東南東へ、ほぼ400キロメートルの山間に位置し、
朝9時に出発した僕らは無事、16時ごろ到着しました・・・

と、ご報告するつもりでしたが、
例によって「バッドサプライズ」が起こったのは、
ホテルのチェックインを済まし、
まさに「さぁ、ぶち子を実家に返しに行こう!」
と、AVISのアンドラ営業所をGoogleMAPにセットしたときのこと。
スマホを繋いだぶち子のスピーカーから流れてきたのは、

「AVISのアンドラ営業所は営業を終了している可能性があります」

となっ!?

「え〜っ! どうしよう!」
「そんなわけはないだろう。先方が印刷した契約書にも、
 はっきり18:00に返却って書いてあるんだし」
「だって閉まっちゃったんでしょう?」
「Googleが勝手に言っていることさ、まだ真に受けるには早いよ。
 ここから4キロメートルくらいだから、とりあえず行ってみよう」

そしてAVISアンドラ営業所の狭いスロープをぶち子で走り上ると・・・

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ガレージのシャッターが閉まっており・・・

まじ?

BGM:Theme of Mission Impossible

「やっぱり閉まってるじゃん!」
「はぁ〜・・・いつもこうなるのね」
「どうするの?
 明日の朝は8時にバスでトゥールーズへ移動だよ」

僕は自動車を降りて事務所に向かいました。

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オフィス内は真っ暗・・・

なんてこった。本当に閉まってる。
待てよ。営業時間は・・・
19時までか、早くても18時までやってるはずだぞ。
今は16時40分。どうなってるんだ?

そこでスロープを下ってもう一度表示を読むと、

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下の方に小さく、
Non-comercial hours car return at REPSOL petrol station.
そして住所が・・・

え? 閉まっているときはガソリンスタンドに返せだって?

ならばとばかり、その住所をMAPにセットすると、

おいおい、この建物のすぐ裏側じゃないか!

急いで回り込んでみたら、
大きなガソリンスタンドがあるじゃないですか。

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まずは店員さんに聞いてみよう。

「Hola! AVISでレンタルした自動車を返却できますか?」
「え? はい、できますよ」

やった!

「どこに停めればいいですか?」

彼は広いガソリンスタンドの端を指さし、

「あの辺に停めてください」
「Grasias!」

僕は急いでともこのところに戻り、

「わかったよ。大丈夫だ。
 この建物の裏にあるガソリンスタンドで返却できる」
「ほんと? 良かった〜っ!」
「スロープをバックで下るから誘導してくれる?」

こうして「あわやなムード」が現実になる前に、
どうにかなった僕らでした。

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ありがとう、ぶち子!

で、ちょっとしたオマケがこれ。

「それではこの返却書にサインをお願いします」

ここで僕が契約書に書いたサインのとおり、漢字で名前を書くと、
スタッフさんは一瞬、眉間にしわを寄せました。

「これじゃ読めませんよね?
 僕は日本人なんで、正しくはこう書くのです。
 文字は中国のものですけどね」
「あ、日本の方ですか。
 それじゃ、これは・・・えっと・・・なんて言ったかな?
 ひらがなですか?」
「いや、カンジといいます。で、ひらがなはこう。
 それからカタカナはこう。あなたが読めるラテン文字でこう」
「へぇ〜、すごいな! 名前の書き方が4種類もあるなんて!」
「いや、その分たくさん覚えなくてはいけませんから、
 不経済な文化なんですよ」

この後、僕らは歩いてホテルまで戻り、
日が落ちたころのレストランで、
レンタカー区間パート1の終了打ち上げを楽しんだのでした。

to be continued...

えーじ

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ささやかな打ち上げディナー。
路上のテーブルで風が気持ち良かったです。
posted by ととら at 07:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記