2024年12月31日

End Roll of 2024

今年は旅をいっぱいできた充実した1年でした。
長いあいだ夢みていたユーラシア大陸横断の旅もスタートできました。
そして柴又でも、野方からも、そしてもっと遠い所からも、
「お帰りなさい!」と言ってくれる、
お客さまが沢山いることに幸せを感じました。

旅も大好きだし、ととら亭での日々も大切なので、
毎日が新鮮で、一日が、一年があっという間に感じます。

夢を持てたこと、夢に向かってがんばれること、
そして、夢を一緒に楽しむ相棒がいることが私の宝物です。

来年は今年以上にワクワクする毎日になりそうです。
パワー全開で、走り続けたいと思います。

ともこ

2月に行ったメキシコの旅。
6月に行ったフィリピンと台湾の旅。
8月から12月にかけて横断したヨーロッパの旅。
そして、柴又で送る日々の旅。

今年もこれらの途上で、たくさんの人々のお世話になりました。
僕らの旅は、基本的にD.I.Y.ですが、
さりとて、すべてが自力で出来たわけではありません。

本当にありがとうございました。

それから、ときに厳しく、困難なことの多い旅を、
一緒に歩いてくれたともこへ。

お疲れさまでした。

来年もよろしくお願いいたします。

えーじ

thanks2024.jpg
Thank you sooooo much!
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2024年12月30日

仕事納め2024

今日は今年の営業最終日。

息を切らせて山を登っているとき、
見えているのは、すぐ目の前の退屈な斜面ですが、
立ち止まって振り返れば、
それまで踏破した遠大な世界が広がっています。

今年は僕らにとって特別な年だったせいか、
ここから見渡せるのは、
1年を越えて、ずっと、ずっと彼方まで続く、、
ととら亭と歩んだ15年の月日でした。

北千住に始まり、野方を経由し、柴又へ続く、
長く、曲がりくねった道。

ふたたび自由な旅に出られるようになるまで、
なんとも長い時間がかかりましたけど、
それでもどうやら、
僕らは正しい方向へ進んできたのかな?

さて、あともう少し登れば頂上。
そこから今度は過去ではなく、未来の風景を眺めてみましょう。
そしてルートを定めたら、また歩き始めるのです。

旅とは、そういうものですから。

えーじ
posted by ととら at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月26日

クリスマスも Let it be

昨日はクリスマス。
例によって、ととら亭にリースの飾りつけなし、
クリスマスツリーも、特別メニューもなし、
僕もサンタのコスプレをしないで営業しておりました。

え? 一昨日のイブ?
休んじゃいましたよ、定休日ですから。

こんなことを続けて15年になりますが、
その理由はと申しますと、
僕らが「つむじ曲がりのへそ曲がり」だからでございます。

この協調性に欠ける性格は遺伝子レベルなのか、
「×××はかくあるべし」のような、
暗黙の了解というか、いま風に言えば同調圧力を感じると、
本能的に逆を行ってしまうのですよ。

その一例がこれ。

クリスマスだから何なんだ?

いや、僕は、
クリスチャンでもないのに真似ごとだけするとはけしからん!
と、のたまう原理主義者ではありません。

やりたい人はやればよろしい。
(実は僕も若かりし頃、さんざんやりましたので・・・)

ただ、ぷいっと横を向いてしまうのは、
「クリスマスだからこう過ごさなくちゃ」
というイデオロギーなんですよ。

そこでこうしたムードに加担したくなかったから、
ととら亭では(販促)イベントとしてのクリスマスを、
特別あつかいしないのです。
(宗教行事じゃないでしょ?
ことクリスチャンが人口の2パーセント程度しかいない日本では)

もっというと、
イブの晩にひとりで牛丼食べて何が悪い?
と同じように、

40歳過ぎて結婚していなくて何が悪い?
(僕らも政略ならぬ「戦略」結婚ですし)

結婚したのに子供がいなくて何が悪い?
(わが家は自分たちの意思で作りませんでしたし)

男性が男性を、女性が女性を好きになって何が悪い?
(僕らはヘテロセクシャルですが)

こう延々と続きます。
いずれも他人さまに迷惑をかけていないにもかかわらず、
周りがあれこれプレッシャーをかけることの方に違和感を感じている。

「わたし、わき毛がぼうぼうなんですけど、どう思います?」

以前、20歳前後の女性から唐突にこう訊かれたことがありました。
(一瞬たじろぎましたが・・・)

そこで僕はこう答えたのです。

「君が望むのなら、それでいいじゃないか」

Let it be.

あるがまま、それが自然じゃないですか?

えーじ
posted by ととら at 08:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月23日

終わるまもなく始まりへ

今年も残すところ、あと9日。
いろいろお世話になりました。

と、巷はエンディングモードですが、
僕らはフライングのまま走り始めております。
ととら亭の再起動は、そのままスタートですからね。

そしてこの週末の営業で、さらにやる気はレッドゾーン!
待っていてくれた方々の声は、まさに気合の源です。
僕らのような仕事でいちばん励みになるのは、
売上高や集客数ではなく、
個々のお客さまのご理解と、その反応なのですよ。

さっそくご紹介したモルドバのコルティナシや、
シュトゥットガルト版マウルタッシェンの食べっぷりを見ていると、
ああ、あの旅に出て良かったな・・・
と、しみじみ思いました。

それからこのブログを通して、
いろいろなことをシェア出来たことも嬉しく思っています。

残念ながら、僕は答えを持っていません。
ご存知のように、見たなり、感じたなりを、
ダイレクトにお伝えしているだけ。

でも、それはいわゆる丸投げや、次世代への責任転嫁ではなく、
(少なくとも本人はそう思ってます)
一緒に考えてもらうきっかけになれば、
と願ってのことなのですよ。

僕らが開けられるドアはけして大きなものではありません。
しかし、そこを抜けた君が思索し、旅する世界は広大です。

終わるまもなく始まりへ。
僕らは次の旅へ向けて走り出しました。
この年末年始も、どうやらのんびりしてはいられないようです。

さぁ、旅を続けましょう。

えーじ
posted by ととら at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月20日

ととら亭再起動202412

4カ月間の旅は初めてのチャレンジでしたが、
同じく4カ月間留守にして、
お店を再起動するのも初めてのこと。

取りあえず余裕をみて準備期間は10日間とっておいたものの、
ふたを開けてみれば・・・

ぎりぎりでした。

メニュー替えが重なったこともさることながら、
公私の「私」の部分が尋常ではなかったのですよ。
ふたりして病院関係だけでも何軒はしごしたことか。
(まぁ、そういう年齢なんでねぇ・・・)

それから掃除はすべてが大掃除級。
食器もすべて洗わなくてはならないし。
とにかくやってもやっても終わらない。

「ふふ・・・はは・・・わははは〜、終わらねぇ〜!」

と最後は意味不明の笑いが出る始末でありました。

それでもご予約が入るたびに、はっとわれに返り、
そうだ、待っていてくれた人たちがいるんだ!
と思うと、がんばれるものですね。

2009年の長旅との、この違いは大きい。
あのときは、ほんとに僕たち二人きりでしたから。

さて、ともこは概ね終わったようだし、
僕の方も原稿があらかた仕上がったので、
あとは印刷してメニューブックに綴じるだけ。

旅のメニューの特集は、
さっそく今回の旅の成果が反映されています。

世界のギョーザ特集パート7

気合を入れていくぜ。

えーじ
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2024年12月17日

難しい質問

「どこがいちばん良かったですか?」

この仕事を始めて14年余。
最も頂いた回数が多く、
また、回答の難しいご質問がこれ。

とりわけ今回のように1回で20カ国以上を周った旅となると、
いちばんどころか、
ベスト3に絞るだけでもほぼ不可能なのですよ。

逆説的に申しますと、今まで行った国で、
「もう2度と行きたくない」ところはありません。
むしろ、どこももう一度行きたいところばかり。

では答えになっていませんよね?
それも分かります。

そこで僕らの「感動する」傾向を掘り下げてみますと、
大都市より小さな地方都市を好むような気がします。
たとえばイタリアではローマやミラノより、
サッサリ(サルデーニャ島)や、
ちょっと大きくてもジェノバくらいとか。

それから二人とも根がアウトドア派のせいか、
都会より、自然の方に惹かれますね。
オーストラリアを旅したときなど、
おお! と思ったのは、メルボルンやアデレードではなく、
ウルル・カタジュタやアーネムランドでしたから。

そこから振り返ると、
スイスのツェルマットなんか理想的なのかな?

いや、絞り込む前に、もうひとつ大切なことを忘れていました。
なるべく自分の日常と違うところがいい。
となると、スイスはちょっと近過ぎるか。

では今回のヨーロッパ横断で、
小さくて、自然があって、東京と経済レベル、文化ともに違う場所、
それは・・・

北マケドニアのオフリドやコソボのペーヤあたりが該当するかな?
あ、ボスニアのモスタルもいいかも。
あとクロアチアのスプリトとか。

いずれもおいしい郷土料理のレストランが多く、
それでいて観光地スレしていないところがいい。
こうした街なら1週間から10日くらい滞在して、
じっくりいろいろ調べたいですね。

あ、これらはあくまでも僕らの好みの話で、
けして「お勧め」という意味ではありませんよ。
別の観点で共通する特徴は、
アクセスが悪く、インフラが不便で、
英語もあまり通じない、ですから。

えーじ
posted by ととら at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月14日

再起動へ向けて

お待たせいたしました!

再起動の目途がたちましたので、
12月と1月の営業スケジュールを発表します。
(ご予約の受付も開始です!)

いやはや今回の長旅は初めてのチャレンジでしたから、
帰国後の再起動プロセスも異次元レベルになっていたのですよ。
とりわけともこの担当部分は、すべてゼロからのスタート。
ここまで冷蔵庫から冷凍ストッカーが空っぽになったのは、
開業準備以来ではないかしらん?
仕込みを始める以前に、大量の仕入れもしなければならず、
ここ数日、納品と片付けだけでもえらいこっちゃになっておりました。
彼女は今朝も早くからキッチンにこもり、
ケンシロー並みのスピードで下処理等をやっています。

僕の担当部分も、
山となった郵便物を捌くだけで半日以上かかりました。
(溢れた郵便物を一時保管してくれた郵便局さん、
ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます!)
部屋の掃除からウェブサイトの更新など、
その他の雑務で、あっという間に一日が終わってしまいますね。

それでも4カ月ぶりに生活習慣が元に戻せて、
体調はとてもいいです。
「取材で食べる」というのは実のところ、
そのときの気分ではないものを、
腹の空き具合を無視して食べるわけでして、
ま、確かにおいしいとはいえ、
心身ともに負担がかかるのは避けられません。

それからトレーニングも再開できました。
少しずつですけどね。
帰国して体重を測ったら、やっぱり4キロほど落ちてました。
僕はもともとヒョロヒョロ体形なので、
筋トレをさぼると3カ月ほどで元に戻ってしまうのですよ。
ここは次の取材旅行までに調整し直さなくては。

さて、今日はランチを食べたら、
メニュー作りと写真データの整理だな。
おっと店頭の営業スケジュールも張り出さなくちゃ。
がんばります!

えーじ
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2024年12月10日

第24回取材旅行 その48(最終回)

帰ってまいりました!

昨日、僕らが柴又に戻ったのはちょうど21時。
東京の気候は直前にいたイスタンブールとあまり変わらず、
環境適応の必要はありませんでした。

しかし、この心持はどう説明したらいいでしょうね?
帰国後になかなか頭が切り替わらないのはいつものことですけど、
今回は今までにない、妙な感じになっておりまして。

いや、これは帰ってからではなく、
帰国プロセスに入った、この1週間くらい前から始まったのかな?
何だか旅がずっと、ずっと、
どこまでも続いているような気がしてならないのですよ。

だから東京に「帰った」、「戻った」ではなく、
「到着した」と言った方がしっくりくるような・・・
自宅に入ったときも「帰宅」というより、
「チェックイン」したような・・・
たぶん、これも4カ月を超える旅の余韻なのかもしれませんね。

そんな浦島太郎の頭を現実に引き戻してくれたのは、
商店街のフェローたちでした。
今朝、長旅から戻った挨拶に回っていて、
彼、彼女たちと話をしていたら、ようやく、
ああ、僕は帰ってきたんだ、ここは僕の街なんだ、
という実感が湧いてきたのです。
そういえば、初めて訪れる街を流れ流れて旅をしているときは、
知っている人に挨拶する機会なんてありませんからね。

昨夜は5カ月ぶりくらいの風呂に入り、
(シャワーは浴びてましたよ!)
ベッドで体を伸ばして眠ったせいか、二人ともすっかり元気です。
疲れもほとんど残っていません。
体質的に時差ボケもしませんし。

そこで朝食後から、さっそく旅装の片付けや洗濯、
(もうどれもこれもドロドロのボロボロ・・・)
食材の発注から山積みになった郵便物さばきを始めました。
ついでにインフルエンザの予防接種も。
(流行っているようですね)

この辺の大まかな流れは通常の取材旅行と同じ。
ただし今回は営業中の店を休眠し、
過去最長の4カ月を超える旅行期間となったので、
量、質ともに内容が変わってきました。
実はこの辺のデータを細かく集めておりまして。
このあと課題を洗い出したら、
次回の長旅にフィードバックしようと思っています。

旅慣れているとはよく言われますが、
旅の内容が変われば僕らとて素人に変わりはありません。
とりわけ今回は、
準備段階からルーキーのつもりで取り組んでいました。
やったことのない旅ですからね。
なので最初から最後まで「げげっ!」となっても毒づかず、
クールに応急処置をしてデータを取る。
だいたい100点満点なんて、あり得ないのですよ。
初めてのチャレンジなんですから。

今回はインプットが膨大すぎて、
消化するのにもだいぶ時間がかかりそうです。
でも、手ごたえは予想以上にしっかりしたものでした。
これらをどのような形で皆さんとシェアするか?
まずは年末の特集で予告編くらいできるかな?
営業スケジュールの発表とご予約の受付は、
12月14日(土)までお待ちを。

応援ありがとうございました!

End

えーじ

goodbye-sl.gif
See you on the next TRIP!!
posted by ととら at 17:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月08日

第24回取材旅行 その47

ともこです。

ユーラシア大陸を横断しよう!

もうずいぶん前のことですけど、えーじからこう聞かされたときは、
まさか本当に行けるなんて、まったく思っていませんでした。
大きな夢を持つのはいいことだよね、くらいにしか考えられなくて。
その夢が現実になり、出発してから新しいことの連続で、
ワクワクしっぱなしでした。

振り返れば大変だったこともたくさんありました。
でも、それを二人で協力して乗り切れたことが、
大きな自信に繋がったと思います。
(えーじがひとりでやってたこともありましたけど・・・)
それでパート1のゴールのイスタンブールに着いたとき、
前に普通の取材できた時には感じられなかった達成感があったのかな?

きっとアジアを旅するパート2は、
今回と比べものにならないくらい、いろいろ起こる気がします。
それにもワクワクしながら今回の経験を活かせるよう、がんばらなくちゃ。

こうして旅を続けられる幸せを感じつつ、
さらに見たことのない場所、
食べたことのない料理を探して行きたいと思います。

to be continued...

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イスタンブール空港にて
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2024年12月07日

第24回取材旅行 その46

Merhaba!(メルハバ(こんにちは!))

昨日の昼過ぎ、僕らはイスタンブールに到着しました。
ここはユーラシア大陸横断旅行のパート1、
ヨーロッパ編のゴール。
途中、予想どおりの時間切れでジャンプしましたが、
金角湾を渡る橋から旧市街を見渡したときには、
ああ、遂にここまで来たぜ・・・という気持ちになりました。

会社で携わった大きなプロジェクトが終わったとき、
その会社を辞めたとき、
南米を3か月間旅したとき、
野方のととら亭を立ち上げたとき、
そして柴又に移転したとき・・・

自分が歩いてきた長い道を振り返ったときにだけ見渡せるこの光景。

誰かに認められたいからではなく、
報酬のためでもなく、
自分の価値観で、自分の意志で、自分の力で、自分のやり方で歩いた旅。

わかってるよ。100点満点じゃない。
間違いを犯し、失敗を繰り返してここまで来たんだ。
それでも、お前にしちゃあ、上出来じゃないか?

そして傍らに立つ相棒を見て思う、信頼と感謝の気持ち。

そうだ、ひとりじゃできなかった。
このチームだからこそ、ここまで来れたんだ。

「はい、コニチワ! サバサンド、めっちゃウマイよ!」

エミノニュの港に着けば、
イスタンブールは以前と変わらず、
喧騒と荒っぽいやさしさで僕らを迎えてくれました。

「もう昼過ぎか」
「ちょっとお腹が空いたね」
「そうだな、ここで小腹満たしといくか?」
「うん、サバサンドはお約束だよ!」

海鳥が飛び交い、足元を猫と犬がうろつき、
物売りが現れては消えて行く・・・

ああ、これが旅なんだ。

僕らは夢中でバリックエキメッキにかぶりついていました。

to be continued...

えーじ

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posted by ととら at 16:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月06日

第24回取材旅行 その45

今朝のキシナウの天気は曇り。
気温はマイナス2度です。
この旅も残すところ4日となりました。
取材という意味では今日が最終日。

出発当初から予想はしていましたが、
127日間というのも振り返れば「あっという間」ですね。
最初は「4か月以上か〜、かなり長いな」と思っていたのが、
1か月が経ち、2か月が過ぎた頃には、
「わぁ、もう60日も経ったのか? 半分おわっちゃった!」
という具合に。

そしてまた不思議なのは、
前半部分を数年前の別の旅だったように感じていること。
たとえば8月のモロッコや9月のスペインを巡っていた部分は、
だいぶ前の旅だったような気がしてならないのですよ。
まぁ、確かに季節があの頃は40度を超える真夏でしたしね。
それに移動もバスや電車とレンタカーでは別物です。

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灼熱のサハラ砂漠で

toredoeiji_es.jpg
酷暑のラ・マンチャで風車の撮影中

加えて文化が違うことも、
連続性が感覚的に途切れる大きな要因かもしれません。
西ヨーロッパとバルカンを「欧州」の一言で括るには無理がありますし。
個別に見ても、同じラテン語系の言語を話すモルドバとイタリアに、
ほとんど共通点は見出せませんから。

しかし料理は、
いつも僕らをひと繋がりの世界に引き戻すきっかけとなってくれます。
なぜならそこには「オリジナル」とか「元祖」という、
排他的な独立性なんてありませんから。
すべてはどこかで何かと繋がっており、
伝播の方向も特定するのが難しい。
ときにはそれが一度消滅し、空間と時間を飛び越えて、
別のところに現れることさえある。

たとえば以前もお話したアゼルバイジャンのギューザと、
サルデーニャ島のクルルジョネス。

gyurza01_az.jpg
アゼルバイジャンのギューザ
2014年にバクーで撮影

culurgiones_az_02.jpg
サルデーニャ島(イタリア)のクルルジョネス
今回の旅で撮影

ご覧のとおり、ちょっとまねできない特徴的な包み方は同じですが、
地理的距離は直線で4000キロメートル以上も離れており、
歴史的に直接つながるエビデンスは今のところ見出せません。
さらに、その中間の地域で両者に共通する手がかりも見つからない。
にもかかわらず、
無関係とは考えにくい複雑な包み方の料理が離れて存在している。
ということは、今はまだわかりませんが、
どこかで何かが繋がっているとしか考えられない。

はてさて真相はどうなのでしょうね?
ここは来年行く予定のコーカサス地方で何か見つかるかも。

さて、今日は取材ノートをまとめつつ、
明朝から始まる帰国プロセスの準備も進めています。
まずは明日9時55分のフライトでイスタンブールへ。
ここではオフもかねて2日間ゆっくり過ごし、
(実質的には1日半かな?)
8日、日曜日の14時にトランジットポイントのドバイへ向かいます。
そして9日早朝のフライトでいよいよ成田へ。
予定どおりなら、
日本時間12月9日、月曜日の17時過ぎには到着するかな?

ん〜・・・ここでもまた奇妙な感じがします。
まるで東京に帰るのではなく、次の取材地へ向かうような・・・
感覚的には、旅がずっと続いている・・・そんな気がして。
ととら亭に戻ったら、どんな感じがするかな?
取材先のレストラン?
それじゃ2階の自宅へ上がったら?
今夜のゲストハウスにチェックイン?

かもしれませんね。

to be continued...

えーじ

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キシナウのValea Morilor Parkにあるカスケードで
もうすぐ帰ります!
posted by ととら at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月04日

第24回取材旅行 その44

「あ、ママ、ガイジンだよ!」(と言ったと思う)

カテドラル公園を歩いていたとき、
5歳くらいの子供が僕を指さしました。
それくらいアジア系が少ない国、モルドバの首都キシナウに滞在しています。

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カテドラル公園の中心にあるナステレア大聖堂

確かに中華系観光客の姿すらまったく見ませんね。
モルドバは観光資源が少ないからかな?
外務省のウェブサイトによれば、
在モルドバ邦人数も、たった33人だそうで。
大使館関係者を除くと実質15人くらいなのではないかしらん?
(一方で在日モルドバ人は173人)

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質素な社会主義デザインのままのキシナウ国際空港
規模は日本の地方空港くらい

それから移民もほとんど見かけません。
ま、それも無理からぬお話で。
モルドバは今でもコソボと共に欧州最貧国といわれ、
実際、1991年のソビエト崩壊後、30年以上が経ってなお、
キシナウ市内には社会主義時代の残骸が放置されたままです。

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かつての多目的競技場のゲート
内部の広大な土地はうっそうとした林に

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行政機関が入っていたのか?
こうした廃墟が首都の中心にいくつもあります

当然、懐事情はジェネラルインフォメーションを参照するまでもなく、
道を歩けば一目瞭然。

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傷んだまま放置されている歩道
日本で例えるなら東京都千代田区に相当する場所で

しかし、それを政治家の怠慢に帰することはできません。
国民が怠惰だからでもない。
この国の生まれ(歴史)、そして置かれた状況を鑑みると、
同情を禁じ得ない、というのが僕の個人的な所感です。

端的に言ってしまうと、もめごとが絶えないコーカサスの国々と同様に、
(今もまさにジョージアが、えらいこっちゃですね)
国境の画定が当該国同士によるものではなく、
近所の大国(当時のオスマン帝国やロシア帝国)のパワーゲームによって行われ、
その歪みが現在も尾を引いているのですから。

さらに、これまた旧ソビエト連邦構成国のお約束と申しますか、
国内のロシア人人口が多かった地域で内戦が起こり、
「自国民の救済」をお題目にロシアが参戦することで、
未承認国家(トランスリストニア地域)を抱えてしまっていること。
(ジョージアではアブハジア、南オセチア、ウクライナではドネツク、ルガンスク)

皆さんもご存じ、戦場と化したウクライナの延長線上に
モルドバもあるといってよく、字義どおり他人事ではないムードになっています。
実際、キシナウからオデッサまで200キロメートルも離れておらず、
自動車でなら3時間ほどで行ける距離しかありません。
その隣国が武力で蹂躙され、避難民を受け入れているリアルな現状は、
経済のみならず、人々の心にも大きな影を落としているでしょう。

一見無関係に見える僕らの専門、料理の面ですら、
レストランのメニューを一瞥しただけで、
この複雑な状況を看て取ることができます。

現在、モルドバは独立国家ですが、
文化的、民族的にはほぼルーマニアなのですよ。
(モルドバ語とは実のところルーマニア語)
ですからミティティやサルマーレ、ママリガなど、
ルーマニアで一般的な料理がここでも日常的に食べられています。
しかしまた、そこにはハンガリーのグラーシュ(マジャール語ではグヤーシュ)から、
トルコのチェバプ(ケバブ)、ロシアのペリメニも混在しており、
伝播した料理を換骨奪胎したものまである。

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ペリメニ ロシア(コミ族)のギョーザ
サンクトペテルブルグで食べたものと同じ

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コルディナシ モルドバのギョーザ
これはポーランドのピエロギのようなフルーツバージョン
中身がチェリーコンポートで添えられているのがチェリージャム
このほかに肉、ポテト、チーズそれぞれのバージョンがある

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何かの間違い?
としか思えないほど変化してしまったグラーシュ 汁気がない!
黄色がママリガ、白い液状のものがサワークリーム、
粉末状がヤギの乳で作るショプスカチーズ

こうした料理を現地で取材しながらいつも感じるのは、
料理だけではなく、政治も、民族も、宗教も、
同じテーブルの上に並んで、人々の幸福に貢献できないものか、ということ。

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クリスマスが近づき、デコレーションが点灯し始めた市中のカフェで、
両親に連れられた子供がケーキを口いっぱいに頬張っていました。
楽しそうな3人の笑顔。
方や氷点下の北風が吹く戸外で、施しを求めて立ちすくむ老婆。

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街の中心に位置するシュテファン・チェル・マレ大通り

今、僕らが戦うべき相手とは、隣国の軍人ではなく、
身近な同胞の困窮の根なのではないか?
そしてその根とは、他人の庭にあるのではなく、
自分の尻の下に張り巡らされているのではないか?

かじかんだ手をさすりながら、僕はそんなことを考えておりました。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月01日

第24回取材旅行 その43

Добар дан! (ドーバルダン!(こんにちは!))

一昨日のクロアチア、セルビア間の国境越えは、
コソボの問題からどうなることやらと気合を入れて臨みましたが・・・

あっけなく通りました。

というより、ぜんぜんパスポートの情報を見てないし。
ブースに二人いた若い女性のインスペクターは、
機械的にパスポートをスキャンし、
ぱぱっと余白を探して入国スタンプをがしゃん!

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中央がセルビアの入国スタンプ
何もこう込み入った場所に押さなくても・・・

こうして7年ぶりのベオグラードに着いたわけですが、
国際バスを降ろされたここはどこ?

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今回のバルカンルートで何度かお世話になったFlixBus
使い勝手、乗り心地、コストともに良かったです

GoogleMAPで位置を確認すると、
繁華街のあるサバ川東岸の反対側じゃないですか。
それも造りが新しい。
2017年に来たときは、
ベオグラード駅前にあった古いバスターミナルに着いたのですけどね。
あそこからなら今夜のホテルまで徒歩圏内だったのに。
と、思いつつ、トラムに乗れば、これがなぜか無料・・・
で、いいのかしらん? ま、いいか。
翌日、市場の取材で出かけた際に、
以前のターミナルがあった場所まで行ってわかりましたが、
駅も何も解体されて工事中でした。どうやら再開発が進んでいるようです。

しかし、懐かしい街並みは変わっていませんでした。
僕らが投宿しているのは雑然としたスカダルリア地区。

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郷土料理レストランが多いので取材しやすかったです

いろいろな商店が並び、人通りの絶えないクネズ・ミハイロ通り。

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そして何より、サバ川が広大なドナウ川と合流するところ。
7年前も、ここでこうしてこの風景を見ていたんだな・・・
そう思うと、旅情と一言では言えない気持ちになりました。

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手前のサバ川が後ろのドナウ川に合流する場所。
さすがは17か国を通る国際河川の雄大さが感じられます

また、レベルの高いウォールアートで知られるベオグラード。

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今回も新しい作品を楽しませてもらっていますが、
なかでもうれしかったのは、「この人」との再会。

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覚えていらっしゃる方は相当なととらマニアですね。
短い期間ですが、
前回撮影したものを店内のディスプレイに使っていたことがありまして。
どこで撮ったかは覚えていなかっただけに、
限られた時間で勘を頼りに歩いていて、
「あっ!」と思ったときには向こうから、
「よぉ、久しぶりじゃないか!」と声をかけられた気がしました。
この不敵な表情、いかにもバルカン的なんですよね。

前回はマケドニア(当時)で崩した体調が完全に回復せず、
到着した夜に再びダウンしてしまったため、
この中心部以外は行けませんでしたが、
今回はこうして少し離れたところまで足を延ばしています。
取材も順調・・・

ですが、困っているのが喫煙。

これ、セルビアに限らず、
EU未加盟のバルカン諸国では常に非喫煙者の悩みのタネでして。
端的に申しますと、日本に例えるなら「昭和の世界」なのですよ。
どこもかしこも喫煙オーケー。しかも喫煙率がとても高い!
屋外ならまだしも、狭いレストランやカフェに入ろうものなら、
ほとんど全身が燻製されてしまいます。
この状況下で取材するのはマジできつい。
アルバニアの某レストランでは、さすがの僕もたまりかねて、
寒い店外の席へ移動してしまいました。
ですから取材時は、お目当ての料理のあるなしだけではなく、
外から大気汚染度を確認するのも必須なのです。
まぁ、最初は良くても後で悪化するのは避けられませんけどね。

さて、8時間の時差がある日本は、もう日付が変わって12月。
僕らの長い旅も、残すところあと9日になりました。
モロッコのタンジェであわや金欠、
スペインではガソリン車にディーゼル油を入れてレンタカーが病院送り。
イタリアを周っているときは鉄道とフェリーでスト。
それに熱が出た、下痢をした、と実にいろいろなことがありましたが、
あり過ぎて、やっぱりプランAには収まり切れませんでした。
なんと現時点でプランBをはるかにオーバーしたプランJ!

当初はここセルビアからハンガリーへ北上し、
ルーマニアの北部を東へ横断、
その後、モルドバで取材した後にブルガリアを南へ下り、
ゴールのイスタンブールへ・・・
だったのですが、時間がもはや足りません。

そこで明日は飛行機でモルドバのキシナウへジャンプ。
ハンガリーとルーマニア、ブルガリアは、
来年予定のEGTパート2にお預けとなりました。
ま、ある意味、これもまた「予定どおりの想定外」なのですけどね。
さぁ、ラストスパート。
最後まで気を引き締めて行かなければ!

to be continued...

えーじ

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バルカンのワインは個性的で実においしいです
日本で手に入るかな? 輸入会社を探さなくては!
posted by ととら at 03:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記