2016年07月04日

悲しみとお願い

昨今、民間人を狙ったテロが`各地で頻発していますが、
バングラデッシュの事件は、僕にとっても衝撃でした。

こうした仕事をしているからか、JICAさんとはご縁があり、
外国で関係者と偶然出会うケースだけではなく、
青年海外協力隊として活躍していた友人、
現地で取材に協力してくれたJICA事務所の方々、
そして、ととら亭のお客さまとして来て頂いている方々。

不慣れな環境、貧弱なインフラ、刻々と変化する条件・・・
理想と現実のギャップに苦しみつつも、
現地の人々の幸せを第一に考え、
業務から学んだことを政策にフィードバックし、
時には己を捨てて仕事に打ち込んでいる彼、彼女たち。

ととら亭レベルの仕事しかできない僕たちにとっては、
様々なご経験や、ご意見を拝聴しているだけで、
頭の下がる思いがいつもしています。

今回、お亡くなりになられた協力会社の方々とは、
直接的な面識はありませんが、
心からご冥福をお祈り申し上げます。

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テロ。

その背景には白黒付け難い複雑な事情があるでしょう。
しかし、いかなる理由であれ、
無抵抗の人々に武器を向け、それを使うことは、
ただの人殺しでしかありません。

しかし、僕が常々恐れているのは、
こうしたピンポイントのテロよりも、
憎しみの連鎖反応なのです。

タリバーンから始まり、アルカイーダ、イスラム国。
そして、その底辺にあるイスラム原理主義。

無差別攻撃、おぞましい処刑の映像など、
恐怖を持って、それを最大の武器とするテロリズムは、
確実にその「効果」を上げつつあります。

いつしか、スクリーンの向こうで醸成された暗黒のイメージが、
イスラム教と結び付き、
ムスリム(イスラム教徒)は危険な存在だと思われるムードが、
外国だけではなく、足元の東京ですら感じられるようになりました。

僕は原理主義同様、この連鎖が怖い。

イスラム教を国教とする国を旅したり、
ムスリムの人々と知り合った、僕の個人的な経験では、
彼、彼女たちは、僕たちと何も変わりません。
楽しければ笑い、悲しければ涙を流し、
人を愛し、幸せを求める、同じ人間です。

だから僕は、今日、ふたつのお願いをしようと思ったのです。

ひとつめがイスラム教徒への理解。

ひとりでも皆さんに友だちが出来ればいいのですが、
日本国内では絶対数が少ない為、
それは少々難しいかもしれません。
そこで夏と言えば読書。
一度コーランを読んでみませんか?

そうですね、
多分、この一文で殆どの方が引いたと思います。

そんな長大で難解なものを読むなんて、
考えただけでも目眩がする。
それにムスリムに改宗するつもりもないし。

僕も最初はそう思いました。
しかし、モロッコを旅した時に出逢ったムスリムの友人から勧められ、
日本語訳を読んでみると、
その平易な表現と簡潔な内容に驚いたのです。
もともとマホメットは文盲で、学者ではなく商人だったため、
市井の言葉で語っていたようなのです。
それに長さも500ページくらいですから、
(メッカ啓示・メディナ啓示)
読了するのに、それほど時間はかかりませんでした。

そして何より大切なのは、その内容。
僕自身もそうでしたが、
メディアの情報だけでイメージを膨らませた方には、
目から鱗だと思います。
好戦的な宗教書としてではなく、
世を憂う、一人の熱血漢の姿が、そこにはあったのですから。

もしご興味を持った方がいらっしゃいましたら、
以下の本をお勧めします。

中央公論社
中公バックス 世界の名著17 コーラン

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そしてもう一つ。

テロリストがなぜ生まれてくるのか、
その理由を一緒に考えて欲しいのです。

「イスラム国」を武力で制圧するのもひとつの方法かもしれません。
しかし、たとえ彼らを全滅させたとしても、
彼らが生まれて来る原因から目を背けるのであれば、
場所を変え、呼称を変え、
第二、第三の「イスラム国」が現れて来るでしょう。

だから、僕たちと何ら変わりのない、彼、彼女が、
なぜ非情なテロリストになるのか?
僕たちにとって、
その理由を考えることは、無意味なことではないと思うのです。

面識がなく、哀願する相手を至近距離で殺し、
場合によっては自らも自爆するという行為は、常識的に考えて、
ほんの思い付きや酒の勢いで出来ることではありません。
その背景には、複雑で深い理由があると考えるのが自然です。

グローバリズム。

情報だけではなく、モノとカネ、武力と権力の網の目が、
この星を遍く包み込んだ現在、
全ての事象は遠く離れた彼岸のことではなく、
手を伸ばせば届く日常へと変わりつつあります。

そこで僕たちは意識的に、無意識的に、
思わぬイベントの当事者になっているのではないでしょうか。
そう、一杯のコーヒーを気軽に飲むことで、
隣の県から運ぶより「安い」、
遠く離れた国で収穫された輸入野菜を買うことで、
数千キロ彼方に住む貧農たちの汗と涙を流させているように。

残念ながら、僕の拙い経験と知識では、せいぜい、
憎しみの連鎖に囚われず、
世界の当事者として身近な現実にコミットする、
これくらいの漠然とした道しか見えていません。

だけど、もし、あなたが一緒に考えてくれるなら、
今、僕たちが何をすべきか、何が出来るのかが、
少しずつ、はっきりしてくるかもしれない。

そんな風に、僕は子供っぽい望みを抱いているのですよ。

えーじ
posted by ととら at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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