2016年11月18日

昨日と1996年の秋

昨日のランチでご予約のお問い合わせを頂いたお客さま、
すみませんでした。
営業スケジュールには載せておいたのですが、
僕はパシフィコ横浜国立大ホールで行われた、
ダライ・ラマ法皇の講演を聴講しに行っていたのです。

30分ほどの講演は、
幸福への鍵としての共感をテーマに、
かつて本で読んだ内容とあまり変わらないものでしたが、
その後の聴講者との質疑応答は興味深かったですね。

Yes or No 型の回答を求める質問者に、
その答えは自分で探すべきであり、
彼が教えられるのは、その方法でしかないという、
極めて仏教的な対応をしていたのが印象的でした。

また質問者は日本人だけではなく、
モンゴル人や韓国人の方もおり、
突然場内に流れた言葉に関係者が顔を見合わせ、
ダライ・ラマ法皇自ら、
「え? モンゴル語を喋っているのですか? 
 誰かモンゴル語を通訳できる方はいませんか?」

こうしたやり取りを聴いていると、
言葉や文化が違っても、人間の悩みと言うのは同じなんだなぁ・・・
とつくづく思います。

敵を作り、壁を作り、敵愾心を煽ることで、
批判の矛先をかわしながら集団をまとめるという手法は、
大は国から小は小学校や幼稚園まで、
広い範囲で採用されているポピュラーなものですが、
「あいつらは俺たちと違う」という考え方は、
事実の表面を一方からみたものでしかありません。
より深い所まで降りて立体的に捉えることが出来れば、
そこにあまり違いはないのではないか?

これは宗教的な発想ではなく、
僕にとっても旅の中で教えられたものです。
とどのつまり地球人なんですよ、みんな。
あなたと僕との間にある違い以上のものが、
地球の裏側にだけある訳じゃない。

また彼の独特なユーモアを垣間見れた時もありました。

司会者が写真撮影をしないよう英語で注意したところ、
「写真くらいいいでしょう? カメラは危険物ではありませんから」
と応じたのは彼らしいところ。
すると同時に場内から、
写真アプリの音が鳴り響き始めたのには苦笑していましたが。

僕が思い出すのは1996年の秋。
チベット仏教と出会ったのは、カトマンドゥの書店でした。
そこの柱に貼ってあった一枚のステッカー。

Chinese army go home!

なんだろ? これ?

そして手にした中古のチベット仏教についての本。
帰りに寄ったカフェで、
チャイを啜りながら読んだ時のことを今でも覚えています。

僕がまだロン毛のお兄ちゃんだった頃のことでございます。

えーじ
posted by ととら at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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