2017年06月25日

第14回取材旅行 その9

昨日の朝9時。
定刻をちょっと遅れてバスターミナルを出発したミニバスは、
リガ国際空港に寄った後、南南西へ向かって走り出しました。

道が空いており、
車体がコンパクトなのでドライバーは結構飛ばします。
トラックや大型バスが現れる度に追い抜きをかけ、
1時間半も走ると、そこはラトビア側の国境の街 Meitene です。

牧草地と森を走り抜けつつ、
間もなく国境だな、と思っていたら、
右側に古びた小さい料金所のような建物が一瞬見えました。

ミニバスは一切スピードを落とさずに走り続けています。
気が付けば僕たちは、
今回の旅の4番目の国、リトアニアへ入国してたのです。

人影がなく、見捨てられたように静まり返った国境の建物は、
さながら歴史の彼方に霞んだ、
戦争の遺物のような印象を僕に残しました。

国境と呼ばれる国と国を区切る線。
いや、人と人を隔てる壁は、やがてこうなるべきなんだろうな。

これはあくまで僕の個人的な意見なんですけどね、
国境だ、パスポート審査だ、税関だ、
ってな旅に付きもののしゃらくせぇ制度は、
やがて淘汰されて行く文化なんじゃないかな、
と思っているんですよ。

更に言ってしまえば、
『国』って概念もまた、捨てきれないもんじゃないと思う。
(あ〜、ナショナリストが聞いたら怒りそうだな)
血を引き継いだ民族としての記憶は尊重すべきですが、
近代国家の玉虫色に輝くフレームは、
必ずしも個人のアイデンティティに不可欠の要素ではないような、
気がするんですよ。

ま、昨今はこうした考え方と真逆の保護主義なんてのが、
幅をきかせているみたいですけどね。

今朝は地方都市のシャウレイを朝8時半の鉄道で出発。
6人用のコンパートメントで一緒になった、
リトアニア人のエヴェリナと2時間半の道中、
いろいろな話をしました。

彼女は今年30歳。
ソビエト連邦が崩壊し、
リトアニアが独立を回復した年は、まだ3歳でした。
それでも初めて隣国のラトビアに行った時のことを覚えているそうです。

僕たちが素通りしたあの建物。
あの中で彼女はまっさらなパスポートを提示し、
入国審査を受けたのです。
そして彼女は今日、僕たちに笑顔でこう言いました。

「リトアニアはEUに加盟してシェンゲン協定も発効したでしょ?
 だから今はここから南国のスペインやポルトガルまで行っても、
 私は誰にも何も言われないわ!」

移動。

行きたい場所に行くという自由は、けして奪われるべきではない、
人間の基本的な権利の一つだと僕は信じています。
(奪われたら僕たち旅人ってのも存在しませんからね)

確かにそれは、現時点で代償を伴わないものではないでしょう。
移民、治安、経済の問題など、制限と管理を軸にした既存のパラダイムは、
それなりに広い範囲の秩序を保ってきました。
しかし、それもまた、
多くのものを僕たちから奪っているという事実は、
あながち否定できないでしょう。

EUという社会主義に次いだ人類の壮大な試みは、
いま大きな試練を受けています。
このことはマクロ経済や政治の専門家ではなくても、
十分議論できると思います。
端的に言えば、目先の個人的な利益と、
長期的な視点に立った集団の利益のどちらを優先するか、
とどのつまり問題はそこに収斂していますからね。

そしてそれは遠く離れたヨーロッパ固有の問題ではなく、
地球温暖化対策の取り組みなどを例にとれば、
僕たち一人一人が実はこの挑戦の当事者なんですよ。

ありゃ、また話がマクロになってしまいましたね。
先日写真をアップロードして気が緩んだのか、
つい筆が滑ってしまったようです。

次回はまた頑張って、
エストニアの風景をご紹介したいと思っています。

えーじ
posted by ととら at 04:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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