2018年02月14日

甘くて苦い比較文化論

今日をドキドキしながら過ごしているのは、
一部のティーンエイジャーくらいだと思いますが、
製菓業界の巨大な市場を支えているのは、
圧倒的に大人だそうな。

そうなるといわゆる『本命』は氷山の一角で、
大人のビジネスは義理チョコと友チョコ
(最近はこういうのもあるのね)
で成り立っていることになります。

こうした風潮にゴディバさんがもの申しておりましたが、
その議論はさて置き、
中立的な位置に立つ僕としては、
とても興味深い現象だと思っているのですよ。

と申しますのもマーケティング的なものではなく、
もうちょっと文化人類学的な観点でね。

先日、小売業界のお客さまと話をする機会がありまして。
なんでも住宅街の店舗で、
バレンタインデーのチョコレートを買って行くのは、
ほとんどが50歳以上の女性だそうです。

その場合、総合的に判断して『本命』は限りなくゼロに近い。
(でもゼロではありませんよ!)
で、誰にあげるかというと、
お孫さんやお世話になっている病院、
美容室など日ごろお世話になった方たちとのこと。

これは告白の媒体であるチョコレートが、
一種のご馳走やお歳暮、お中元などと同様、
社会的な潤滑油に変化していることを意味しているのではないか?

さらに興味深かったのは、
バレンタインデーとジェンダーにおいて対極にある、
ホワイトデーとの対比。

ま、これは本来のバレンタインデーとは縁もゆかりもない、
純粋に製菓業界の『販促』なんですけど、
ここに着目すべきおまけがあるのですよ。
それは包装紙の選び方。

女性は自分の好きな色でラッピングする方が圧倒的。
対して男性はプレゼントする相手の好みを考えて選ぶのが、
これまた圧倒的だそうです。

そして女性は内容のさまざまな組み合わせを細かく選び、
男性はオールインワンのセットものを好むとか。

ん〜・・・その心理的背景は何なんだろう?

風習の形骸化、いや、変化を嘆くのも分からなくはありませんが、
変遷を立体的に捉えると、親族構成や婚姻と同じく、
その社会の特性が文化人類学的に炙り出されて来るのではないか?

そういえば2016年のこの時期にエチオピアを訪れた際、
かの地でもバレンタインデーが祝われていましたが、
その内容は日本と大分異なるものだったと思います。

元来はローマ時代に遡る、
キリスト教と男女の結婚に関連した一種の祭だったものが、
時と場所を経てどのように変化していったのか比べることは、
一種の比較文化論になるような気がするのですよ。

え? そんな論文を書いても学位はもらえない?

だろうね〜。

僕は読みたいけど。

えーじ
posted by ととら at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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