2018年06月01日

20分後の未来で

遅ればせながら観てみましたブレードランナー2049。
で、その感想は・・・

良かったです。

というか、安心しました。

まだ観ていない方もいると思うので詳しい内容には触れませんが、
『ハリウッド版惑星ソラリス』のように、
精神性が抜け落ちたコケ方はしていませんでしたから。

でも厳しい意見を言うと、
テーマといい全体の構成といい、
前作を踏襲した域を超えていなかった・・・と思うのですよ。

だからコケていなかった。

ただ『人間にとってヒトの定義とは何か?』という重いテーマを描くために、
人間と見分けのつかない工業製品のレプリカントのみならず、
昨今、巷で話題のAIが登場したのは示唆的でしたね。

なぜなら、
バイオテクノロジーがレプリカントを作れるレベルまで進化するより、
映画の中で登場したジョイのようなAIを実現する方が、
遠い未来の話ではないからです。

ホログラムではなく、マックス・ヘッドルーム(※1)のような、
サイバースペースに棲む疑似人格を製品化するのに、
もはやさほど時間はかからないでしょう。

それはすなわち、
古くて新しい疑問の再来に他なりません。

『人間にとってヒトの定義とは何か?』

これは哲学的なヒマつぶしでも分類学上の議論でもなく。
僕たち市井の市民にとって、今ここにある問題となりつつあるのです。

意識的にも、無意識的にも、
僕たちはヒトから生まれた生物を人間と呼んでいます。

しかし、この認識は少なくともギリシャ神話の昔にはほころびかけていました。
そう、ピュグマリオーン(※2)にとって人形は人間と等しかったじゃないですか?

コギト(我)以外の全てを疑ってかかったデカルトですら、
フランシーヌと呼んだ人形を人間のように溺愛していた。

そしてそれは時と場所を隔てた例外的な事例ではなく、
ロボット犬のAIBOの葬式が真面目に行われている現代の日本において、
十分すぎる土台が完成していると思いませんか?

僕は確信しているのですよ。

やがてAIと恋に落ちる人が現れる。
必ずね。

その先に待っているのは、
あなたのお子さんがフィアンセを紹介したいと言ってきた時、
その相手が生身の人間である保証のない世界なのです。

だからいま、僕たちは考え始める必要があると思うのですよ。

『人間にとってヒトの定義とは何か?』を。

えーじ


※1 マックス・ヘッドルーム
1987年、アメリカのABCで放送された近未来ドラマに登場する、
人間の記憶をサイバースペースに移植して再構成された疑似人格。

※2 ピュグマリオーン
現実の女性に失望し、自ら彫り上げた彫刻のガラテアと恋に落ちたキプロス島の王。
posted by ととら at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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