2018年11月21日

社会主義者じゃないけれど

「僕らにとって、どんな社会がいいんだろうね?」

カウンターに座った僕より一回り以上若いお客さまと、
そんな話をすることがあります。

ます「自由な社会」。

がちがちに監視されて、
言論や移動が制限されるような社会には住みたくない。

それから「差別のない社会」。

性や容姿、出身、
身体能力の違いで差別されるような社会はフェアじゃない。

その辺までは簡単に「そうだよね〜」と頷き合います。

しかし、話が経済に及ぶと途端に歯切れが悪くなる。

「努力が報われない社会はイヤだ」

と言いつつ、
その結果である『格差』という言葉はネガティブな響きで聞こえちゃう。
この奇妙な矛盾は、子どもの頃から『共存と競争』という、
ダブルバインドの中で生きている僕たちにとって、
珍しいものではないでしょう。

産業革命以降、
近代国家に住む僕たちはふたつの両極端の思想の間で揺れ動いてきました。
個人の欲望をフルドライブさせる資本主義と、
社会の利益を優先させる共産主義。

後者は本家のソビエトが自壊し、
残りもキューバを除いて形骸化した今では、
新たな追随者を生み出すことはまずないでしょう。

では不戦勝となった前者がベストなのかというと・・・

正直、どう思います?

キリスト教でいうところの七つの大罪。
そこで挙げられた貪欲(greed)。

仏教の十善戒では、
行き過ぎた欲を戒める不慳貪(ふけんどん)なんてのもありますが、
リミッターを外した資本主義は、
まさしく古来の教えの対極にあるような気がしません?

20歳代前半の社員とトップである会長の所得差が、
300倍以上あっても『問題がない』僕たちの日本。

でもね、世界銀行が集計した、
2013年の人口1人あたりの国民総所得(名目GNI)によれば、
首位カタール(123,860ドル)でさえ、
171位の中央アフリカ共和国(600ドル)との差は約200倍しかありません。

ま、こうしたマクロな話じゃピンと来なくても、
自分が所属する組織内での収入格差を考えてみることは、
あながち無駄なことではないような気がします。

もちろんそれは隣の人の収入にやきもきするためではなく、
経済とは富の循環であり、
営利組織とは富の生産分配装置である、
との観点に立ってのことですけどね。

そうした意味で、『おいらが一番』のトランプさんのとこはともかく、
この小さな島国の経済がまっとうなのかどうか、
霞ヶ関や永田町で働く人だけではなく、
市井の僕たちひとりひとりが自分の意見を持つことは、
大きな変化の礎になり得る。
と僕は思っているのです。

そう、権力の集中だけではなく、
富の集中もまた社会という一種の集団生活の場では、
利より害の方が多い。

んじゃないのかな?

えーじ
posted by ととら at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185020067

この記事へのトラックバック