2019年07月08日

第18回取材旅行 その12

ん〜・・・
ザミンウードからの夜行列車移動に続き、
後半のビジュアルレポートモンゴル編は1回でまとめようとしたのですけど、
やっぱり無理がありました。

なにせ肝心の写真が絞り込んでも43枚あったもので。
(実際に撮影したのはモンゴルだけで856枚)

そこで2回に分割し、
今日はウランバートルを中心にお伝えしようと思います。

mn_citycentre.jpg

とその前に、
モンゴルの概略からお話した方がいいかもしれません。
意外と近くて遠い国ですからね。
面積は日本の約4.1倍、しかし人口は東京都民の約1/4(約324万人)という、
日本とはかけ離れた人口密度の薄い国です。
確かに前回ご覧いただいた大草原の風景を思い起こすと、
なるほどそうだろう、という気がしてきますよね?
ところがその人口の約1/3以上に相当する約1300万人が、
ここウランバートルに住んでいるとなると、
これまた首都の事情は変わってきます。
中心となるスフバートル広場の周囲はこんな風に、
ビルが立ち並んでいました。

mn_traffic.jpg

当然、ところによって道路は大渋滞。
プリウスなどのハイブリッド車がだいぶ走ってはいましたが、
これらの排気ガスに加え、暖房で使われる化石燃料の煤煙で、
冬のウランバートルの大気汚染は深刻なレベルになっているそうです。

mn_ubstationrain.jpg

しかしながら新宿のような高層ビル群に埋め尽くされているかというと、
そういうわけでもなく、スフバートル広場周辺を除けば、
人口と経済規模に応じた社会主義時代のレガシーが広がっていました。
僕らが到着したウランバートル駅は街の南西のはずれにあり、
周辺はどちらかというと所得の低いローカルタウンです。

mn_hotel01.jpg

で、予約していたホテルが消滅していたため、プランBで泊ったのがここ。
駅の北側200メートルくらいのところにあります。
1泊朝食付きのダブルルームが日本円で約3,560円也。
窓枠やシャワールームのドアが壊れていましたが、
居心地はけっこう良かったです。

mn_money.jpg

通貨はトゥグリク。(TgもしくはMNTで表します)
物価はウランバートルで東京相場の1/4程度でした。
それもそのはず、モンゴル人の平均月収は約81,500円。
これは日本人の23.8パーセントに相当します。
でも収入格差は日本より少ないのですよ。

mn_apart.jpg

ホテルの周囲には、
こうした社会主義時代からある古いアパートがたくさん残っていました。
いずれも老朽化が進み、ご覧のような外観です。
何年も修繕していないのでしょうね。
夜になると外灯が少なく初日はちょっと怯みましたが、
僕らが行動した範囲で治安に不安を感じることはありませんでした。

mn_street01.jpg

昨年は6.9パーセントもの経済成長率をマークしているとはいえ、
こうした路地が錯綜する街を見ていると、
実体経済の中身は伴われていないような気もします。
あ、これは日本も同じでしたね!
(でしょ? 麻生さん!)

mn_toyokoinn.jpg

建築途中のビルと言えば、平和通りで東横インを見かけました。
走る車の9割が日本製と言われ、
ちょっと洒落たレストランでは日本人ビジネスマンの姿もあったことから、
日本との経済的なパイプは細くないのでしょうね。

mn_corporate.jpg

しかしながらこうしたボードを見ていると、
両国関係の軸足はハードよりソフトのような気もします。
貿易は輸出入ともに大きく中国に依存し、
日本は輸入相手としてはロシアに次ぐ第3位。
JICAさんの支援内容を見てみると、
鉱物資源の開発やインフラ整備より、
環境、医療、教育にポイントを置いていることが分かります。
ODAのあり方も変わって来ましたね。

mn_temple.jpg

翌日は再建されたガンダン寺へ行って来ました。
これ、僕も取材が決まって下調べをするまで知らなかったのですけどね、
モンゴルはソビエトに次ぐ、史上2番目の社会主義国だったのですよ。
ということは・・・『宗教は毒』ということになりまして、
当時の寺院はことごとく破壊されてしまっただけではなく、
僧侶たちも粛清の対象となってしまいました。
なので今あるこうした寺院は1992年に民主化されて以降、
再建されたものがほとんどなのです。

mn_mani.jpg

その弾圧された宗教とはチベット仏教。
これはネパールなどでも寺院で見かけるマニ車です。
側面にマントラ(真言)が刻まれており、右回りに回転させると、
回転した数だけお経を唱えたのと同じ功徳があると言われる便利もの。
実はモンゴルとチベット仏教の関係は深く、
ダライ・ラマという称号は、モンゴルのアルタン・ハーンから、
チベットで1543〜88年に在位したスーナム・ギャツォ、
(ダライ・ラマ3世)に贈られたものなのですよ。
で、なるほどその意が、
ダライ(大海(モンゴル語))+ラマ(師(チベット語))となったのですね。
さらにダライ・ラマ4世となったユンテン・ギャツォは、
アルタン・ハーンの曽孫にあたるモンゴル人。

mn_panda.jpg

閑話休題。
真面目なお話が続いたのでクイズです。
上の写真のキリル文字はなんと書いてあるのでしょう?
答えは文字の右側に・・・

mn_zaha02.jpg

さて、飲食店に次いで僕たちの取材場所と言えば市場。
民主化されてショッピングモールなども増えたとはいえ、
やはり庶民の生活を支えているのは大小さまざまな市場です。
これはウランバートル最大級のナラントール・ザハの入り口。

mn_zaha01.jpg

この市場は生鮮というより衣料品から家具などの生活雑貨が中心です。
中にはモンゴルならではの商品を扱うエリアがありました。
そう、馬具や放牧用品です。
あ、なぜか西洋式のキャンプ用品もたくさん売っていたな。
ゲルがあるのにナイロンテントなんて使うのかしらん?

mn_market01.jpg

生鮮系は市内中央に近いメルクーリ・ザハの担当ですね。
規模はそれほど大きくありませんが、食料品はひと通り揃っています。

mn_vegetable.jpg

新鮮な野菜や肉がところ狭しと並んでいました。
質、鮮度ともに抜群。買って帰りたい!
しかし野菜の殆どは中国から輸入しているのですよ。
そもそもモンゴル人は今でも野菜はあまり食べないので。
その反面、肉食う人ゆえに、
ラムを中心とした肉類のグレードはさすがでした。
この辺は『地球でオオカミの次に肉を食べているのは自分たちだ!』
と豪語するカザフ人とも共通していますね。

mn_market02.jpg

おっと、日本とのパイプはこんなところにもありました。
中国、韓国とならんで日本の食材もけっこう充実しています。
これなら長期滞在も苦になりませんね。

mn_fish.jpg

少ないながらも鮮魚の取扱いだってあります。
と言っても内陸国ですから基本は淡水魚。
ん〜・・・ちょっと種類は・・・分からないな。

mn_frozenbuush.jpg

最近は一人暮らしや忙しい共働きの家庭が増えたのか、
日本と同じく、冷凍食品も一般的になっていました。
で、やっぱりありましたね。
ボーズとバンシ。

mn_cheese.jpg

しかし、モンゴルらしさを一番感じる食品は、
なんと言ってもチーズでしょう。
遊牧民が持つ乳を使った食品製造技術は極めて高いレベルなのですよ。
ウシだけではなく、ヒツジ、ヤギ、ウマそしてラクダまで、
その採乳時期と成分特性に合わせた様々な乳製品が作られています。

mn_milkseller.jpg

そしてこと乳製品に関してなら、
工場ではなく各家庭、つまり遊牧民のゲルで作られているので、
街角にはこうした『即席直販所』が現れます。
これはミルクではなく、馬乳酒かもしれないな。

mn_cheeseguy.jpg

市場でチーズのサンプルを買おうとしていたら、
片言の英語が話せる親切なお兄さんが、各種類を少しずつ分けてくれました。
で、お代はどうなるのだろう?
明らかに相場を知らない外国人なのだからふっかけて来るかな?
と思ったら、値段からしてまったくのローカルプライス。
こういうところもモンゴリアンらしいですね。
バイラルラ(ありがとう)!

さて、次回はゲルに泊ったテレルジのキャンプと、
ととら亭ならではのチョイスで取材した、モンゴル料理をご紹介します。

お楽しみに!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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