2019年07月17日

第18回取材旅行 その14 最終回

あいやぁ〜・・・今年もやっとここまで来ました!

僕たちの1年間の仕事の波は、
11月上旬に行く研修旅行に始まり、そこから年末年始の繁忙期、
冬のメニュー変え、冬の取材旅行、決算、春のメニュー変え、
ゴールデンウィーク、夏の取材旅行、夏のメニュー変え・・・

絶え間なく続くビッグイベントを乗り越え、
この7月の連休が終わったところで、
はぁ〜・・・ようやく今年も上期が乗り切れたな・・・
と、ひと区切りつくのです。

ここから9月の連休までが、
年間を通じて最も時間的な余裕のできる時期。
今はあれこれ予定を詰め込まず、
とりあえず、読書の時間をもう少し取ろうかな?
くらいに考えています。

さて、その前に、ここまでの締めくくりとして、
夏の取材旅行をまとめておかなければなりませんね。

今回訪れたのは中国の東北部とモンゴル。
準備編でお伝えしたミッションその1は、
『日本ギョーザの源流を探る』でした。

取材地はハルビン、長春、瀋陽、北京の4都市。
そこで胃袋の限界まで餃子を食べ続けて分かったのは、
瀋陽で食べた煎餃(チェンジャオ)が、焼くという加熱方法、
焼いた面を上にする盛り付け方の点で、
日本ギョーザに最も近かった、ということです。

しかしながら、ここで一足飛びに、
『日本ギョーザは瀋陽タイプが伝わったのだ!』とは言えません。
なぜなら、
煎餃は餃子を主に売り物とする専門店以外では見かけておらず、
主流は圧倒的に茹で型の水餃(シュイジャオ)だったからです。
煎餃の通時的な位置づけがはっきりしない限り、
確率的にもなんとも言えないでしょう。

では、最も一般的に食べられている水餃に起源を求めるなら、
皮の厚みの点でハルビン型が最も近いのですが、
ここでも時間的なギャップの問題は避けて通れません。

なぜなら、
もし日本ギョーザが中国の東北部に展開していた、
関東軍や満州開拓団の引揚者が伝えたのだとしたら、
その時期は太平洋戦争が終わった1945年前後が中心となるので、
約74年もの時間差がありますからね。

ん〜・・・
この辺はいずれも水餃と煎餃の通時的な変化をどのように調べるか?
その方法を考えることが次の課題でしょう。

次はミッションその2、
『モンゴルギョーザと中国餃子の関係を調べる』です。
取材対象はボーズとバンシ。
このふたつ、ボーズの方は料理名からして、
包子(パオズ)と呼ばれていた頃の餃子が伝わった可能性が高いのではないか?
これは中央アジアにギョーザとして伝わった饅頭(マントゥ)が、
変名後の中身のない肉まん状態であることからも、
裏付けられているではないかと考えられます。

しかし、では『モンゴルのギョーザはすべて中国起源のものである』
と言いきれるかというと、これまた断言するには材料が足りません。
その不足した材料とは、もうひとつのギョーザであるバンシの出どころ。

バンシという料理名にはモンゴル語としての意味がなく、
かつ中国語(北京語)にも該当する語がないと分かった次の疑問は、
その語はいったいどこから来たのか? です。

そこで、その手掛かりは中国餃子が生まれたとされる華北平野、
そこに多く住んでいた満州族が持っているのではないか?
次はそこをつついてみる価値がありそうですね。

こうして駒を進めた今回の取材旅行。
例によってひとつの答えがふたつの疑問を生み出してしまいましたが、
そもそも2週間の旅で答えが見つかるとは考えていませんでした。

僕らの旅は、まだこの広大な星の上で点を打つ程度のものなのですよ。
その点と点がどんな線で結ばれるのか?
そしてその線が描く絵は、いったいどんなものなのか?

残された次の課題に取り組みつつ、
探し続けて行きたいと思っています。

mn_us.jpg

See you on the next trip!!

ともこ & えーじ
posted by ととら at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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