2019年09月02日

僕の労働観 その3

アルバイト、派遣社員、契約社員、正社員。

雇用形態こそ違いますが、どんな働き方をしても、
僕のメンタリティーはいつも同じだったというお話をしました。

では、9年半前からやっている個人事業主はどうかというと・・・

完全に違います。

何がどう違うって、
もう何もかもが根底からしてまったく違う。

まず、労働は誰かのためにするものではなく、
直接的に、自分自身のためにするものとなりました。
もちろんおカネは頂きますけど、
雇用主という特定の人物からではありません。
だから社長や上司という人事権を持つ一握りの人物に、
人生の運命を握られることはない。

この解放感は実に大きい。

そうなると『割り切り』が限りなく減りました。

本意ではなくても、
「お仕事だからね・・・」と自分に言い聞かせて、
別の人格を演じるような必要はもうありません。

だからいま僕は、いわゆる素で仕事をしているのですよ。

たぶん、そのおかげで9年以上、月に400時間前後を働いても、
体は疲れこそすれ、気持ちがバテることがないのかもしれません。
サザエさんだって好き。(見れないけど・・・)

ここで不思議なことが起こりました。

それまでは仕事一色のひとを、
「あれしかやることがなくて可哀想だな」なんて憐れんでいた本人が、
朝から晩どころか定休日にだって働いている。
それでいてなんか楽しい。

そんな自分を見ていてふと思い出したのは、
『労働は人間の本質である』というマルクスの言葉でした。

これ、いろいろな文脈で使われていますけど、
人間の行動が太古の『食』を得る時代から、
現代の『職』を得る時代に変わったとしても、
みんなが寝転がっていたら飢え死にしてしまうという現実がある以上、
『労働は人間と対立しない』というのが僕の素直な解釈なのですよ。
(働かざる者食うべからず、という選民的な意味じゃなくてね)

とはいえ、独立というパンドラの箱を開けて飛び出して来た、
雑務の大群にはほとほと手を焼いています。
お店の営業だけではなく、
経理からトイレ掃除、はてや壊れた機材の修理まで、
なんでもやらなくちゃならない。

やれやれ、労働は人間の本質と言えども、
今度は孔子さまの言う
『過ぎたるは及ばざるがごとし』を絵に描いたような生活になってしまいました。

む〜・・・困ったもんだ。

それでも僕らの場合だって箱の底に残っていたものがあるんですよ。

それは『希望』ではなく、『自由』でしたけどね。

えーじ
posted by ととら at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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