2019年10月16日

飯はメシのネタならず

昨日は久し振りに神保町を徘徊していました。
やっていたのはこのところの気分転換で音楽CDの仕入れ・・・

だけではなく、次に行く研修旅行の資料探しです。

今回、訪れるのはUAEとレバノン。
毎度のことながら、僕たちが行くような場所は日本語の文献が少なく、
とりわけ食文化ともなると、
1冊にまとまったものは、ほとんどありません。

これはよくよく考えてみると結構ディープな問題でして、
日本という国は、情報が溢れ返っているようでいて、
その実、国際レベルに照らすと、
欧米バイアスのかかっているものばかり、
とも言えなくはありませんから。

たとえばですね、
料理書を主に取り扱う古書店に入っても、
フランス料理やイタリア料理の本は棚を埋め尽くしていますが、
アフリカや中東、コーカサスや中央アジア、南米となると、
まったくと言っていいほど見当たらない。

ここで僕の表現に違和感を感じたあなたはスルドイ。

そう、僕は先にフランス、イタリアという国名を挙げ、
次は同じ文脈であるにもかかわらず、地域名や大陸名を使ったでしょう?

こういうもの言いこそ欧米バイアスのもっともたるもののひとつなのですよ。
なぜなら、欧米は個別の国まで認識していながら、
気候も文化も大きく異なっているにもかかわらず、
たとえば、オマーンとレバノン、
アゼルバイジャンでアルメニアであれば一つの地域で、
南アフリカとエチオピア、
エクアドルとチリであれば、
なんと巨大な大陸として十羽一絡げにしてしまっているでしょう?

でもま、それも無理からぬことではあるのですけどね。

ちょっと前に、メディアの方から、
世界の食文化を俯瞰的に網羅した研究者はいませんか?
とのご質問を頂いたことがありました。

僕の頭にぱっと浮かんだお名前は、
文化人類学者であり民族学者でもある石毛直道氏でしたが、
『俯瞰的に網羅した』となると、
それはちょっとなぁ・・・

確かに僕も石毛氏の著作には毎回助けられており、
特に氏が監修した『世界の食文化』や『講座 食の文化』の両シリーズは、
これなくして取材の事前準備なし、と言い切れるものです。

しかし、残念ながら、
いずれも疑問が氷解するような内容ではありません。
各巻は基本的に、
取り上げられた地域に『別件』で在住していた方が複数名で執筆しており、
本の企画ありきで現地取材した結果ではなく、
個別の記憶に頼った内容のため、フォーマットに統一感がないのですよ。
厳しいことを言ってしまうと、
ほとんどの執筆者は料理の専門家ではないため、
時折「・・・・?」な部分があるのも否めません。

と苦言を呈しつつも、僕は同時に納得もしているのですよ。

そもそもね、『食文化』って、学問として認められてないでしょ?
ぱっと見回した限り、最も近いものでも家政学の一部としての栄養学とか、
医学の一部の人体生理学だろうし、
水産学や農学にしても扱っているのは原料部分という、
目の前の料理とはかけ離れた、ずっと上流の分野なんですよ。
文化人類学ですら『食事』や『料理』というのは傍流亜流もいいとこで、
単独で単位が取れるようなシロモノとは思われてない。

となると、
膨大なフィールドワークが求められる分野であるにもかかわらず、
つまりおカネのかかる研究であるにもかかわらず、
官民ともに予算が出せません。
だから本を書くにも、ありもののネタで書くしかない。

話がマクロになりました。

こうした事情の結果が、呆然と見回していた古書店の書架に、
そのまんま反映されているのような気がしてならないんですよね。

そう、飯は学のネタならず。
いや、飯はメシのネタならず、と言った方が的確かしらん?

というわけで、僕は音楽CD以外に収穫はなく、
神保町を後にしたのでした。

えーじ
posted by ととら at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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