2021年02月13日

旅の記憶のささやき

あれは2001年の春。

インドを旅していた僕にとって、
もっとも印象に残ったことのひとつがレストランの入り口でした。
そこは vege と non vege という言葉のもと、
ふたつに分かれていたのです。

この言葉を字義どおりに読むと、
ベジタリアンと非ベジタリアンですが、
真に意味するところはハイカーストとローカースト。

社会的階級によって、
公共のレストランでさえ入り口も食事をする場所も別々にされる。
これがあのカースト制度なのか・・・

21世紀になってもまだ、
出自の階級で一生の社会的運命が決まってしまう。
そんな差別のない日本に生まれて良かった。

この話を友人のエディーにしたとき、
彼は少し間をおいて、
何かを思い出したかのように切り出してきました。

「日本にも差別はありますよ。
 経済差別は堂々とまかり通っているじゃないですか」

経済的に困窮した家庭で育った彼が意味したのは、
いわゆる経済格差の是非ではありません。
格差からもたらされた社会的な差別のことです。

確かに、日本にも持っている(払える)おカネの量によって、
入れる場所と入れない場所が普通にあります。
これは僕にもすぐ思い当たりました。

たとえば空港のディパーチャーフロアには、
Important ではない僕が入れないVIPラウンジがありますし、
その先のボーディングゲートは、
ビジネスとエコノミーのふたつに分かれているでしょ?
そして行き着く先のシートとサービスはもっと違う。
あれがインドの vege と nonvege とどう違うのか?
アパルトヘイトの White と Colored とどう違うのか?

これはこのブログのThink Togehterでもぜひ取り上げてみたい議論ですが、
経済差別が倫理的かつ人道的に正当で、
カーストや人種による差別は間違っていると明確に説明するのは、
富の分配や所得格差の是非などメタレベルまで掘り下げた場合、
なかなか難しくなることが想像されます。
(少なくとも僕はとても歯切れが悪くなります)

まぁ、この程度であれば無害なものですが、たとえばこれを、
新型コロナウイルスのワクチン争奪騒動に当てはめてみるとですね。

世界で断トツの接種率を誇るイスラエルは、
相場の1.5倍の価格でワクチンを確保したと報道されています。

もし接種率がワクチンの入手量を前提とし、
それが相場を上回るコストを支払える経済力に依存しているとしたら、
今や全世界は『健康と生命もまたおカネ次第』という原理で動いている。
そう言えなくもありません。(よね?)

さて、森会長の辞任で揺れる東京オリンピック開催の是非。

これは僕の、旅人としての、個人的な意見なのですけどね。
オリンピックの開催条件が、
世界規模で新型コロナウイルスの感染を制御することだとすると、
WHOのワクチン配分計画COVAXが機能不全に陥いりかけている現状、
やることありきの強行開催が歴史に刻むのは、
菅首相のいう『人類が新型コロナに打ち勝った証し』ではなく、
東京オリンピックは、
『おカネ持ちと特権階級の祭典だった』という苦い記憶になるのではないか?

性差別で森会長は辞任に追い込まれました。
では追い込んだ僕らは、差別を知らない、清廉潔白で無垢の民なのか?
ワクチンの到着を待ちつつ、遠くから傍観していた開発途上国の人々には、
このドラマがどんな風に映っているのか?

能力と努力の結果である収入格差からもたらされる社会的待遇の差は、
不当な差別ではなく正当な区別である。

あなたがそうためらいなく言い切れるのであれば、
それでいい。

ただ、僕には、もうその自信がないのですよ。
なぜなら、積み重なった旅の記憶が、
見て見ぬふりをしようとする僕に、

「お前は噓つきになろうとしているな?」

そう囁くもので・・・

えーじ
posted by ととら at 10:09| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
難しい命題ですね。
ただ、人類が新型コロナに打ち勝つだなんてのは、恐れ多いことだし、そもそもオリンピックとは関係ない話だとは思います。
社会的待遇の差については、個人的には「完全なる機会の均等の結果ならば、差は正当な区別である」というのが立ち位置なのですけど、この前提条件だけでも議論が尽きないテーマになりますよね…。
Posted by よせなべ at 2021年02月17日 22:11
よせなべさま

『格差』を考える場合に避けて通れない『平等』の定義ですが、
このメタレベルの議論は僕の中で高い壁に突き当たってしまいました。

実はつい最近まで、良くも悪くも、
『今の自分は過去の自分の選択(努力)の結果である』
と公言して憚らなかったのですが、
これには看過できない深刻な例外があり、
その例外は『平等』の概念そのものを根本的に無効化しかねない。
いい歳をして、それにようやく気付きました。

この辺はちょっと長くなりそうですので、
また機会をあらためてシェアさせて下さい。
Posted by えーじ at 2021年02月18日 14:54
ありがとうございます。
興味深いですね(^ - ^)。楽しみにしています。
Posted by よせなべ at 2021年02月18日 21:58
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