2021年03月14日

ポキポキしないで

今を去ること35年。
僕はラグビーとバイクとバンドに明け暮れつつ、
(あと女の子も!)
萩原朔太郎や中原中也を耽読するロマンティックな少年でもありました。

そこでたびたびユリイカや現代詩手帖などの文芸誌に詩を投稿したり、
出版社が主催する詩の研究会に出入りしていたのです。
その研究会は、持ち寄った作品を朗読し、
それを先輩詩人の先生方が批評をするというものでした。

そんなある日のこと。
僕が朗読を終えると、リーダー格の年配の詩人が開口一番、

「観念的すぎる。どこがおもしろいのかさっぱりわからんね」

室内はし〜ん・・・
駆け出し詩人(のたまご)の僕は神妙な面持ちのまま。
するとすぐ別の先生が、

「そうかな? 私はおもしろいと思うけど」

僕はここでも黙っていました。
しかし心の中で、

僕の詩は「おもしろい」のか? それとも「おもしろくない」のか?
どっちなんだろうね?

この問いは、ここで始まり、ここで終わったものではなく、
詩や音楽、ひいては本やととら亭など、
ゼロからなにかを創り、それを世に問うことを続けている僕にとって、
常に向き合うものとなったのです。

これを読んでいる皆さんには意外かもしれませんけど、
ととら亭の料理をおいしいと言ってくれる人もいれば、
のどを通らん、という人もいる。
(本当ですよ)

僕のブログや本をおもしろいと言ってくれる人もいれば、
つまらんという人もいる。
(これも本当ですよ)

試しにGoogleで『ととら亭』や『久保えーじ』を検索してみて下さい。

いかがです? まさにこれまな板の上のコイ!
いろんなことを言われているでしょう?

そこでネガティブな批評を読んだ僕はどう反応すべきか?
(って、あんまり自分の評価って読んでいないんですけど)

けしからん!
なんにも分かっていないやつだ!

とは思いません。

それでいいんですよ。

何をどう感じるかはその人の自由です。
いずれも自分の感想を素直に言っているだけ。
かくいう僕だっておもしろいもつまらないも自由に感じている。
だから相手も当然その権利を持っているし、
誉め言葉だけしか認めないというのはフェアじゃない。

そもそも人はそれぞれ違っているじゃないですか?
僕の評価とともこの評価だって完全に一致することはまずありません。
つまり100人ひとがいて満場一致の評価なんてない。
(あったら教えてください)
それが人間の世界のナマのリアリティなんですよ。

3月も中旬。
学校や会社での評価で一喜一憂する、
試験と人事の季節がやってまいりました。
最近ではこれにSNSのコメントや『いいね』の数も加わり、
なにかと「心が折れました」という話を聞きます。

でもね、僕の個人的な例を持ち出すまでもなく、
そんなに真面目にポキポキ折れなくてもいいんですよ。

100人を相手にして100人から認められることはまずありません。
しかし同じように、
100人を相手にして100人から否定されることもない。

換言するなら、分かってくれる人は分かってくれる。
たとえその場にいなくても、分かってくれる人は必ずどこかにいる。
(本当ですよ)

だったら、それでいいじゃないですか?

少なくとも僕は、自分の仕事の結果にたいへん満足しています。
いずれも自分なりのベストを尽くした結果だし、
なによりほら、
今日もあなたはこうして最後まで僕の話を聞いてくれたでしょ?

だから僕は創り続けていられるのです。

季節は春。
ポキポキしないで前に進みましょう!

えーじ
posted by ととら at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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