ちょっと前のお話『旅の記憶のささやき』で背負いこんだ宿題。
やらなきゃなぁ・・・と思いつつも3カ月以上が経ってしまいました。
考えていると、やっぱりどうも気が重くなってしまって、
腰が上がらなかったんですよ。
しかし先延ばしにしてばかりはいられません。
答えが出せたわけではないのですが、
ここまでのプロセスを皆さんとシェアさせて頂きたいと思います。
テーマは『平等』。
本題に入る前に、
まず僕がこの問題の再考を始めたきっかけからお話しましょう。
あれは昨年の10月、2度目の膝の手術で入院していたときのこと。
同室になったトラブルメーカーS氏の話をご記憶の方もいらっしゃると思いますが、
怒りが渦巻く病室の中で、僕は彼を見ながら別のことを考えていたのですよ。
それは・・・
なぜ僕は彼が持っていないものを持っていて、
なぜ彼は僕が持っているものを持っていないのか?
周囲の多大な迷惑にもかかわらず、
彼が必死になって求めているものは単純にして明白でした。
それはたった3つ。
体の苦痛や不快感からの解放。
飲み物を買い、テレビを見るための僅かなおカネ。
シェーバーなどレンタル品に含まれていない日用品。
しかしそのいずれも彼は得ることができなかったのです。
なぜなら知的障害と難聴という精神的かつ肉体的なハンディキャップを背負い、
生活保護を受け、家族から孤立した生活を送っていたから。
つまり支援を得るためのコミュニケーション能力を欠き、
おカネがなく、助けてくれる人もいない。
ここで僕は従前の考え方を持ち出して、
自分が納得するために彼の置かれた現状を説明しようとしました。
現在の自分とは過去の自分の自由選択の結果である。
言い換えると、
S氏と僕は人生における『平等』なスタートを切ったが、
個人的な『努力の差』により、
今日、この日の『持つものと持たざる者』の状況(結果)を作り出したのだ。
なるほど、その通り。
僕が心地よい入院ライフをエンジョイし、
S氏が苦痛と不満にまみれた日々を送るのは当然の帰結なんですね。
以上、判断終了!
にはならねぇじゃねえか、どう考えても。
個人の努力に結果責任をすべて負わせる僕の説明は破綻している。
そしてその行き詰まりを決定づける事実が、
翌日の談話室で僕を待っていたのです。
それは・・・
to be continued...
えーじ
2021年06月02日
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