2021年08月27日

夏の夜のシンクロニシティ

(ネタバレが含まれています。
 これから1Q84を読もうとしている方はご注意を)

と、カッコつきで切り出した今回の舞台は、
僕が住んでいる野方5丁目にあるアパートの寝室。

夏の夜のベッドタイムストーリーは、
これまた冒頭で挙げた村上春樹さんの『1Q84』です。

実は僕、村上さんの作品を読むのはこれが初めて。
で、なぜこの作品を選んだのかというと、
深い意味はありませんでした。
ただ、なんとなく・・・という感じ。
(相変わらずの乱読ですので)

それゆえ内容についての予備知識もまったくなし。
タイトルからジョージ・オーウェルの1984のもじりかな?
くらいに思ってページを繰り始めました。

へぇ〜・・・ノーベル文学賞候補と言われているけど、
ずいぶんポップな文体で書く人なんだな。

ヤナーチェクのシンフォニエッタ?
どこかで聴いた気が・・・
そうだ、あれはエミール・ヴィクリッキー・トリオのCD。
クラシックではなくジャスだけど・・・
確かまだ持っていたはずだ。あとで聴いてみよう。

で、主人公の女性は殺し屋かい?
アイスピックで急所を一刺し?
なんか現代版必殺仕置人みたいじゃないか。
ふ〜ん、そういうお話なのね。

てな具合にぐいぐい引き込まれ、
気が付けば毎晩1時間以上のお付き合いに。

そして、ある雷雨の夜、
2巻目の中盤に差し掛かっていたときのこと。
深田絵里子が買い出しに行ったスーパーの名前を目にした途端、
僕もまた1984年ならぬ1Q84の世界へスリップアウトしてしまったのです。

マルショウだって?
それって野方にもあるスーパー丸正のこと?

そういえば、もう一人の主人公、川奈天吾が住んでいるのは高円寺。
そしてスーパーマルショウは彼のアパートから200メートルほどの距離。
ってことは・・・

この小説の一部は、僕がいまこれを読んでいるアパートから、
直線で250メートル程度の場所を舞台にしているんじゃないか!?

外はいつしか雷雨が止んでいました。

小説1Q84は完全なフィクションであり、
その時間設定ですら今から37年も前のことです。
しかし、僕は全身で奇妙なリアリティを感じ始めていました。

小説は主人公の一人、
青豆雅美が首都高速の非常口を徒歩で出るところから始まります。
それは異次元へ通じるゲートウェイのアナロジーでもあり、
首都高速上は1984年ですが、
下りた先は似て異なる現実が支配する1Q84年だった。

青豆が最初に感じた異質感って、こんな風だったのかも・・・

だとしたら、いま外へ出ると、
僕が筋トレで訪れる公園の滑り台の上で、
天吾が二つの月を見上げており、
通りを隔てて隣接する6階建てのマンションの3階のベランダからは、
青豆が彼を探しているのかもしれない。

そして天吾にWIZの公衆電話から電話をかけた深田絵里子が、
スーパーマルショウに入り、
ロータリーのバス停から牛河がそれを監視している。

確かめに行ってみようか?

僕がこのまま本を閉じれば、
これは紙に印刷されたフィクションのまま終わってしまいます。
でももしいま、外に出て公園へ向かったら、
僕にも月が二つに見えるのではないか?
そう、1984年が1Q84年になったように・・・

よし、服を着替えて行ってみよう!

「んごっ・・・」

僕を夢想の世界から2021年8月の夜に引き戻したのは、
NHK集金人の天吾の父が叩くドアの音ではなく、
横で寝ていたともこの一発いびきでした。

んなわけないよね?

長引く非常事態宣言の影響で本の虫が目を覚ましたせいか、
僕は最近、
支離滅裂なアドベンチャー風の夢をよく見るようになりました。

ときにはこうして、それが現実の世界にちょっかいを出すのも、
無理からぬことなのかもしれませんね。

やれやれ・・・

僕は本を閉じ、読書灯を消しました。

えーじ

P.S.
小説を読み終わった後、
ちょっと気になったので街を歩いてみると、
やっぱり1Q84の舞台の一部になったのは、
僕が住む野方5丁目のアパートのすぐ近くだと確信しました。

まず、その根拠となるキーワードは『マルショウ』です。

作家が一般名詞のスーパーマーケットではなく、
マルショウという実在の固有名詞を使うからには、
リアリティを求める以上の意図があったとみていいでしょう。
そしてわざわざ天吾の住むアパートから200メートルという、
具体的な距離感まで示している。(2巻P208,8行)
そうなると場所は高円寺というより、
大和町2丁目7番地から8番地が該当するんですよ。
(僕が住むアパートから直線で約150メートルの距離)

しかしこれと矛盾する記述が後で出てきます。
牛河が天吾を尾行して行った公園から天吾のアパートへ戻るとき、
彼は高円寺駅に向かいつつ、小学校の前を通り、
もう少し先まで進んでいる。(3巻P409,15-16行)
後述しますが、舞台となった公園が中野区立大和公園だとすると、
高円寺駅と公園を結ぶ直線上の小学校は、
中野区立啓明小学校しかありません。
ところがここはマルショウから直線で500メートルはある。
これは2巻P208,8行と矛盾しています。
(ちなみにスーパー丸正は高円寺にはない)

単身世帯を対象としたアパートが密集しているという点では、
どちらの地域も条件を満たしています。
しかし、天吾の通勤ルートが高円寺駅であり、
青豆が潜伏するマンションとの距離感を考えると、
(これも後述します)
どうも後者の方がぴったりくるような気がするんですよ。

さて、物語後半のハイライトとなる場所の公園ですが、
先に天吾のアパートの候補地となった大和町2丁目7番地から、
西に50メートルほど行ったところに中野区立大和公園があります。
なるほど東の児童館前には小説のとおり、(第3巻P392,8〜9行)
滑り台とブランコ、小さなジャングルジムに砂場、水銀灯、
けやきの木がありました。
ここは啓明小学校からも直線で200メートルしか離れていません。
耳をすませば環七の音だって聞こえます。(第3巻P549,15行)
近隣にこれ以上の条件が合致する公園はないため、
大和公園が舞台となったとみていいでしょう。

しかし作品に水を差すようですが、
重要な舞台装置である滑り台には少々無理があるようです。
と申しますのも、滑り台は子供用ですから、
上部は大人がひとり腰かけるスペースしかないのですよ。
従いまして感動的なラストシーンにあるように、(第3巻P550,5行)
天吾に青豆が寄り添って手を握りながら座るのは不可能です。

次に青豆が隠遁するセーフハウス(ルーム?)のある、
6階建てのマンションを探してみましょう。(第2巻P550,14行)
残念ながら公園の滑り台に登っても見当たる建物はありません。
しかし東に80メートルほど行ったところにはあるんですよ、
まさしく6階建てのマンションが。
これまた小説とは違って新築ではありませんけど、
条件からするとこのマンションがモデルになった可能性が高い。
また、ここは天吾のアパートが大和町2丁目7番地付近と仮定した場合、
直線でたった50メートル程度しか離れていません。
これではいくら何でも近すぎるというのが、
啓明小学校近隣説をとった理由です。

ちなみに、
もしかしたら小説に出てくる公園は、
明正寺川を挟んで対岸側にあった沼栄橋公園がイメージとして、
混ざっているかもしれません。
(ここは現在、環状七号線地下広域調節池工事のため撤去されました)
そこであればその6階建てのマンションからよく見えるんですよ。
しかし遊具はいっさいありませんでしたし、
天吾が住む大和町2丁目からは、
最短だと騒々しい環七を通って行かなければならないため、
物思いにふける彼があえてそこへ行くとは考えにくい。
結論として、作家は中野区立大和公園のすぐ近く(東側)に、
古い6階建てのマンションを新築にして配置したと考えるのが順当な気がします。

次に深田絵里子がマルショウの前から天吾に電話をかけるシーン。
(2巻P208,7行)
マルショウやロータリーに公衆電話はありませんが、
正面にあるWIZの区役所出張所前にはありました。
そこからは確かにマルショウが目の前に見えます。
彼女はここから電話をかけたのでしょう。

そして深田絵里子がマルショウに買い物に入ったところを、
牛河が監視するシーン。(3巻P316,4行)
なるほどロータリーのバス停に並んでいれば、
風景に溶け込んでマルショウの入り口を見張ることができます。
しかし、小説では入り口はひとつしかないとなっていますが、
実際はアーケード内の通路に面してスーパーは3つのセクションに分かれており、
ロータリーから監視しているセクションも、
ロータリー側と通路側それぞれに出入口があります。
これでは簡単に逃げられてしまいますね。
ですからここは作者の創作でしょう。

とまぁ、こうして物語をベースに現実の世界をトレースしたのですが、
12年近く住んでもなお感じたことのない、不思議な感覚を味わえましたね。
さながらこれもまた1Q84の世界に一歩踏み込んでいたからかもしれません。

そのうち営業中に1984年に戻った天吾と青豆がふらりと入ってくるかも。
ふたりとも年齢は70歳近く。

え? リトルピープルは?

そ、そいつはちょっと・・・

P.S.2
いま一度、大和公園の写真を検索してみました。
それも過去のものです。
とういうのも公園では昨年リニューアル工事が行われ、
一部の遊具が交換されていたのですよ。

そこで問題の滑り台を確認してみると、
今のものより大型で、
上部にはカゴ状の子供が滑り待ちするスペースがあります。

とはいえ大柄な柔道選手の天吾と一緒に座るのは、
いかにスリムな青豆とはいえきつかったかな?
いや、20年振りの待ち焦がれた再会ですから、
ムギュっていうのも、まぁいいかもしれません。
季節は真冬ですし。

ちなみに当時の滑り台の設置方向は東を背中に西側の砂場に向いています。
(今はやや南向き)
ということは滑る方向に向かって座ると、
80メートルほど東にある6階建てのマンションに背を向ける格好となり、
これは距離は別とすれば小説どおりですね。


posted by ととら at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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