「方便で結婚するなんて信じられない!」
前回のお話でそう思った方は少なくないかもしれません。
いや、けっこういるんじゃないかな?
しかし、僕らを知る人はお察しのとおり、
このずれた結婚観は異端の一角でしかないのですよ。
どうせ暴露するならもう少し言ってしまうと、
僕らにとって結婚とは、人生における必須事項ではなく、
個々人が自由に選ぶべきライフスタイルの選択肢にしか見えないのです。
つまり結婚する自由があれば、しない自由もある。
しなければならない、しなければおかしいというものではない。
その延長でいうと、子作りもそう。
子供を作るも作らないも、当事者の自由であって、
生まねばならない、生まなければおかしいというものではない。
夫婦ふたりで生きるという選択肢だってある。
さらに勢いでいってしまうと、
僕らは相手が異性であらねばならん理由や根拠を理解できていません。
同性婚の何が悪いのか、まったく分かってない。
僕らは偶然ヘテロセクシャルですけど、
それがワールドスタンダードであり、
違う人々を再教育キャンプに送り込むべきだとは思わない。
え? 同性愛は生物学的に不自然だ?
主の保存に反している?
それを言うなら、そもそも人類は本能が破綻した動物じゃないですか?
発情期を失って四六時中発情型の動物なんていないでしょ?
(僕なんかハイティーンの頃は夢もエッチな内容でしたから、
24−365型でしたし)
とまぁ、こんな調子ですから、
夫婦別姓うんぬんかんぬんの議論も「はぁ〜、まだやってるの?」な感じ。
家族の定義をこねくり回す前に、核家族化の結果をシビアに受け止める方が、
よほど社会不安を少なくできるんじゃないかしらん?
でも、こういいつつ誤解されたくないのですが、
僕らはアナーキストではありません。
ましてやニヒリストでもない。
(少なくとも自分たちはそう思ってます)
ただ、「まともな人間ならかくあるべし」という暗黙の社会圧を、
手放しで受け入れられないだけ。
そう、あるがままの自分でいいんですよ。
僕らも。
そして、あなたもね。
えーじ
2021年10月30日
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