2022年01月25日

D.I.Y. as usual. その3

先日、看板用の流木拾いで北千住に行ってきました。
独立前の5年間を過ごしたこの街は、
ある意味、ととら亭の揺籃の地でもあるんですよ。
開業プロジェクトがスタートしたのはここからですし、
オリジナルメニューが生まれたのも借家の狭いキッチンでしたからね。

駅の東口側は東京電機大学ができて大きく様変わりしました。
それでもよくよく見てみると、この街の本質はあの頃のまま。
銭湯だって健在です。(ノラ猫たちも!)
という訳で、歩き始める前の腹ごしらえは、
神保町ではお馴染みだった天丼のいもやさんへ。
なんと支店が西口の日光街道近くにあるんですよ。

お店の佇まいは12年前と同じでしたが暖簾をくぐってびっくり!
ホールとキッチンは30歳代と思しき男性じゃないですか。

いもやさんに通ったことのある方ならいわずもがな、
働いている方々は、みなさん僕より年上でしたからね。
(神保町のお店が閉まったのはそれが原因との説も・・・)
思えばここで年下のスタッフに会ったのは初めてでした。
こんなところにも月日の流れを感じます。

しかし、変わらないのは味。
美味しかったですね。
お腹の中からタイムスリップした気分で店を出た僕らでした。

さて、満腹になったところで出発。
今日のルートは僕がよく走っていたジョギングコースです。
柳原2丁目付近の荒川河原から北上し、千住大橋を渡って対岸へ。
そこから南下しつつ、堀切橋を渡って足立区側に戻る。
実は野方のととら亭で使っていた看板や店頭什器は、
このルート上で拾ったものなんですよ。
(もちろん柴又でも使います)

今回もあるかな?

arakawa01.jpg
(この土手のすぐ左下にある借家に住んでいました)

っと期待を膨らませて歩くこと1時間余り。
残念ながら目ぼしい収穫はありませんでしたけど、
僕らは清々しい気分で帰途についたのです。
ここにきて初心に戻るという、思わぬオマケがありましたからね。

始まりの街、北千住。

帰りの電車の中で気付いたのは、
僕らもまた変わっていないんだな・・・

ということでした。

えーじ
posted by ととら at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189294661

この記事へのトラックバック