2022年04月14日

Think together case3 #2

正解はひとつしかないとするヘゲモニー政党制国家と、
正解がひとつとは限らない複数政党制国家。

僕は個人的趣味からいうと、複数政党制国家が好きです。
そして個人的経験からいうと、ヘゲモニー政党制国家は怖い。
なぜならそこには原理的かつ致命的なバグがあるから。

極右のナチス政権であろうが極左のスターリン政権であろうが、
はたまた大東亜共栄圏で大暴れしていたころの大日本帝国であろうが、
イデオロギーこそ違っても、奇妙な共通点がありました。

それは、国家と人民にとってわが党こそが唯一正しい。
従って、わが党に反対することは、国家と人民に反対することである!
このロジックを全面的に押し出していたことです。

つまり、無謬の存在を頂点に抱き、その存在と自作の大義名分で、
反対はおろか、疑問を持つものまで粛清することを正当化してしまう。

このシステムでは、無謬の存在が判断を誤った時に誰も何も言えない。
言ったが最後、国家と人民に対する反逆ですからね。
(良くて再教育キャンプ行き、悪いと処刑か暗殺)

歴史上、人間が大量に殺された惨事では、
たいていこのシステムが関係してるように見えます。
とりわけポル・ポトのクメール・ルージュのように、
自国民を殺しまくったケースは、まず無関係ではないでしょう。

しかし、相田みつおさんに聞くまでもなく、
僕らはみな例外なく間違っちゃうのです。人間なんだから。
でもヘゲモニー政党制国家は、
党首や党を例外的な超越的存在にまで祭り上げているため、
自己検証機能を端から実装していません。

そんなわけで、一時的には成果が出せても、
遅かれ早かれ自壊せざるを得ない運命が待っている。
まさにソビエトがそうだったようにね。

こんな話をすると、たぶん旬な話題からロシアや北朝鮮、
中華人民共和国、シリアあたりを思い浮かべる方もいるかと思います。
でも、僕が冒頭「個人的経験から」と言ったのは、
そうした外国だけが対象ではないから。

僕が恐れ、常日ごろから避けている無謬のシステムというのは、
小は関白亭主からワンマン社長まで、
僕らの身近に幾らでもいる人々と、その取り巻きなんですよ。

自分だけが正しい、自分たちだけが優れていると信じることは、
対話のドアを閉ざし、
異質性を排除の対象としてしか見ないことでもあります。

でも、僕らはどこかでこうした相手とも、
対峙しなければならないときが来るでしょう。
いまウクライナがロシアと戦っているようにね。
ほら、たぶん、
あなたの身近にもプーチン大統領はいるのではないですか?

そこで僕が考える最初のステップは、
プーチン大統領を目の前にして、
僕ら自身がプーチン大統領にならないこと。

100パーセント否定してきた相手を同様に100パーセント否定したら、
同じ穴のムジナなんですよ。

実はこのワナがなかなか巧妙でして・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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