毎朝、ざっとニュースサイトを閲覧していますが、
政治欄の読後感は大抵、「なんだかなぁ・・・」なもの。
しかし先日、秋晴れの朝にふさわしい内容がありました。
それは野田元首相による安倍元首相への追悼演説。
政敵に贈る言葉としての体裁をとっていましたが、
行間からにじみ出ていたのは、
同じ方向を向いて進んだフェローへの哀悼だったような気がします、
それというのも、そもそも論でいうと、
政党は敵同士になっちゃダメなのですよ。
(なれ合いも困りますが)
なぜならお互い究極の目的は、
「この国を良くしよう」でしょ?
違いは「良いの定義」と、「そのための方法」だけじゃないですか?
けして相手は親の仇ではありませんからね。
僕が野田元首相の言葉からくみ取ったのは、
先日お話した50プラス1型民主主義を超える希望でした。
繰り返しになりますが、
数で押し切るだけであれば、結果はヘゲモニー国家と変わりません。
しかし、合意形成型民主主義は、
多数派だけの意見が通るのではなく、
少数派の意見を組み込む懐の深さがあります。
たとえば、
「この法案は多数決の結果によって通させてもらいます。
しかし、少数派のあなたがたもそれぞれ有権者の代表でしょう。
ならば可能な範囲で、
あなたたちの意見を取り入れる議論をしませんか?」
ここにあるのは「我々か彼らか」のOR思想ではなく、
「我々と彼ら」というANDの発想です。
妥協とは敗北の結果ではなく、共存の条件であり、
社会的生物である人類が生存するために不可欠な叡智なのですよ
政治的議論がこの認識を欠いて行われる限り、
僕らの民主主義はいつまでも勝者の論理の先へ進むことができず、
少数派の居場所はやがてどこにもなくなってしまうでしょう。
野田元首相の言葉からは、少なくとも何人かの政治家が、
このヴィジョンを持ちつつあることを感じられたような気がします。
政治にも勝ち負け以外の選択肢はある。
僕ら個人の人生と同じようにね。
えーじ
2022年10月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189893351
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189893351
この記事へのトラックバック