2023年04月24日

見えている日常と気付けない世界

僕は運命論者ではありませんが、
ときどき理屈で説明できないものを感じることがあります。

たとえば先日、
ディナータイムにご来店されたお客さまは、
以前、西武新宿線の鷺ノ宮駅近くにお住まいだったそうで、
野方にいたころの僕らと、どこかで会っていたかもしれません。

そんな話をしていた隣のテーブルの方は、
なんと職場が15年ほど前から北千住の柳原2丁目とな!
そこは僕らが野方に引っ越す前に5年間住んでいたところで、
小さな街ですから、何度も会っていたと考えた方が順当でしょう。

はたしてこれが偶然なのか?
それとも僕らは何かの必然性に導かれて、
今日の、この場で顔を合わせているのか?
ならばその意味とは何なのか?

偶然というのは、説明できない必然の謂いである。
そんな話を聞いたことがありますが、
では、こうした出会いが必然であるのならば、
その意味とは何なのでしょう?
そして何者がそれを組み上げているのでしょうか?

ん〜・・・

僕は全知全能の神を信じていませんが、
人間の認識を超えた力の存在を感じることはあります。

そこでそんなとき、こんな風に思うのですよ。

「僕に何を知らせようとしているんだ?
 で、何をさせようとしているんだ?」

と。

世界は人間の目に見えて、
手で触れられるものだけで出来ているのではありません。
それはすなわち、僕らが何の疑いもなく生活している日常にも、
気付けない部分がたくさんあるということでもあります。

たぶん、それを知るための方法のひとつが、
旅なのかもしれません。

そういえば、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」は、
まさしくそんな物語でしたね。

えーじ
posted by ととら at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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