2023年08月27日

迷ったときには その3

う、うう・・・
息が・・・出来ない・・・
何も・・・見えない・・・どうなってるんだ!

苦痛で意識を取り戻しましたが、
頭が混乱して何が起こったのか理解できません。
何かが全身に覆いかぶさっているような・・・

うぉ〜っ!

力任せにもがくと、突然、両腕が自由になりました。

はっ、雪だ! 雪に埋まってるんだ!

頭上の雪をかき分けて頭を上げた途端、
粉雪の混じった冷たい空気が肺に流れ込み、
僕は咳き込みながらも自分の置かれた状況が、
次第に分かってきたのです。

そうだ、山頂直下から滑落したんだ。
新雪の吹き溜まりに突っ込んで止まったのか?
ふぅ・・・ラッキーだったな。
怪我は? 体はどうなってる?

落ち着いてくると左ひざの裏側に痛みを感じ始めました。

いててて・・・曲げられるか? 大丈夫。
骨は・・・良かった、折れてないみたいだ。
でもひざ裏の筋を傷めた感じがする。

次は装備です。
幸いバックパックはすぐ近くに落ちていました。
そして手首に巻いたコードを引っ張ると雪の中から、

よし、いいぞ、ピッケルもある!

しかし左足のアイゼンが無くなっていました。

まぁいい、これならここから脱出できる。
とはいえ、

ここはどこだ?

僕は自分が滑り落ちてきた急な斜面を見上げ、

ん〜・・・ざっと150メートルから200メートル、ってとこか。
これを登って戻るのは・・・片足アイゼンじゃ難しそうだ。
どうする?

あたりはだいぶ暗くなり、気温もさらに下がってきたようです。

急がなくては! ここで雪洞を掘ってビバークするか?
いや、こんな雪崩の巣みたいなところに留まるのはまずい。
かといって・・・
そうだ、稜線上から反対側の尾根に小屋が見えていたな。
あれは・・・こっちの急な斜面の上か・・・

角度はおおよそ60度から70度。
高さはだいたい50メートル。
僕は寒さに震えながら目を閉じて考え始めました。

選択肢は?
頂上側の稜線には戻れない。
かといって、ここでビバークするのも危険すぎる。
他には? 考えろ。考えるんだ・・・

このとき、僕は人生で初めて死神の息吹を首筋に感じたのです。
これは言葉にできない、背筋が凍るような感じでした。

マジでピンチだ。じっとしていたら、たぶん死ぬだろう。
しかし、残された方法は・・・この反対側の急な斜面を、
このコンディションで登るしかない・・・のか?

よし、一か八かだ。
アイスクライミングの方法でやってみよう。

僕はピッケルを手の届く、最も高い位置に打ち込みました。
次にぐいっと体を持ち上げ、
アイゼンを付けている右足で雪の壁をけり込み、
体重を移して左足を右足より高い位置にけり込む。
そして再びピッケルを打ち込み・・・

オーケー、この調子でいけば、
何とか小屋のあるテラスまで登れるだろう。
でもザイルで確保は出来ない。落ちたらそれまでだ。
気を付けなくては。
常に動かすのは一カ所だけ。3点確保を忘れずに。
行くぞ!

こうして登ること10数メートル。
コツが呑み込めたと思った矢先、

うわっ!

アイゼンを付けていない左足で、
体重をかけた雪が崩れてしまったのです。
頼みのピッケルも同時に抜け、
僕は再び斜面を転げ落ちてしまいました。

くっそ〜、振り出しに戻ったか!
せっかくあそこまで登ったのに。
やっぱりアイゼンがないと深くけり込めない。
つま先の爪もないから引っかかりが悪い。
こんな状態で登れるわけないじゃないか!

って泣き言を言ったところで聞いてくれる人すらいないんだ。
自分でどうにかするしかない。
もう一度やろう。もう一度。
今度はペースを落とし、けり込みを深くするんだ。
気持ちを集中して、落ち着いてやればできる!

僕はまた雪の壁に取り付きました。
そしてこの単調な作業を繰り返し続けたのです。

もう一回やったらテラスに出る。
もう一回やったらテラスに出る。
まだか?
もう一回やったらテラスに出る。
まだか? 気が遠くなるぜ。

日はとっくに沈み、西の空の残照が唯一の明かりです。

もう一回やったらテラスに出る。
余計なことは考えるな。
もう一回やったらテラスに・・・

何分が経ったのかわかりません。
僕はただひとつひとつの動作に集中していただけ。
ここでピッケルが崖の縁に引っかかりました。

はっ!おおっ!やった!登り切ったぞ!
最後の力を振り絞って懸垂で体を引き上げると、
目の前には頂上直下の稜線から見えた、
あの山小屋が半分雪に埋もれて佇んでいたのです。
僕はその場で仰向けにひっくり返りました。

オーケー、えーじ、よくやった!
雪のドツボから脱出したぜ!

息が整ったところで体を起こし、
僕はピッケルで山小屋の鎧戸をこじ開けました。
そして中に転がり込み、達成感を噛みしめながら、
一杯の熱い紅茶を淹れたのです。

外は再び雪が降り出していました。

to be continued...

えーじ

P.S.
下山して山小屋の持ち主を探し出し、後で謝ってきました。
そして春、山開きの前に山小屋へ戻り、壊した窓を直して来たのです。
posted by ととら at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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