僕らは4日前の夕方、ジョージアのトビリシに空路で戻りました。
戻ってきました、夕暮れのトビリシ国際空港
ここからジョージア取材の後半です。
で、到着翌日に行ったのが、
ヒンカリ発祥地にほど近い山岳部のステパンツミンダ(旧名カズベギ)。
ここが前回お話しました2014年のリベンジなのですよ。
ギョーザ本でも触れていますが、あの時は出発直前に腰の爆弾が小爆発し、
キャンセルせざるを得なくなってしまったのです。
そこで今回は慎重に行動し、無事、ステパンツミンダに行ってきました。
まずご報告しなければならないのが取材対象のヒンカリ。
僕らの旅のパターンと申しますか、アゼルバイジャンのグバでもありましたけど、
せっかく念願の場所まで行ったのに、結果は空振り。
シーズンオフで飲食店が軒並みクローズしており、
現地での確認はできなかったのです。
しかし、ほど近いパサナウリやトビリシのレストランで、
原型に近いといわれる山ヒンカリをチェックしました。
パサナウリて食べたヒンカリ 見かけは街ヒンカリと同じ
で、肝心の結論は・・・
よけいわからなくなりました!
というのも現場で料理の歴史を調査した方なら肌で知っていると思いますが、
発祥地やオリジナルの特定は極めて困難なのですよ。
(ねぇ塚田さん、塩崎さん)
その理由は料理が常に変化し続けているものであること。
正確な記録がほとんどなく、
インタビューすると人の数だけ違う答えが返ってくること。
そして変化はA→B→Cのように単純な一方方向ではなく、
相互に干渉し合いながら波及していること、などなど。
とどのつまり、料理には物理の法則や数学の定理のような、
不変のルールがないのですよ。
ヒンカリは山間部の縁に当たるパサナウリが発祥地との説がありますけど、
その根拠は曖昧で、異論もたくさんありますしね。
ただ都会ではなく地方でスパイスやハーブを使わない、
シンプルなバージョンが生まれ、
トビリシやクタイシなど商業地域で複雑化していった痕跡は認められました。
その根拠は、かつて経済が貧弱で物流も限定的だった時代に、
限られた素材でヒンカリは生まれ、その後、素材の選択肢が増えるにつれ、
次第にレシピが複雑化していったという仮説は説得力があります。
但し、更なる謎は、「ヒンカリ」がジョージア語で意味がないこと。
アゼルバイジャンの麺料理、ハンギャルと音が似ていること、
ハンギャルもまた、アゼリー語で意味がないこと。
アゼルバイジャンのハンギャル
そしてギャ、ギュ、ギョという音は、トゥルク系言語で顕著に見られることから、
中央アジア北部のトゥルク系民族がキャリアとして、
粉ものの総称であるヒンカル/ヒンカリ/ハンガル/カンガルという言葉と文化を伝え、
それがローカライズされ、固有名詞を持つ固有の料理になったのではないか?
そんな仮説も立てられるかと思いますが、
む〜・・・調べるたびに話がマクロになってしまう。
なんて頭をひねりつつも、
ま、そうまじめに考え込むなよ! と背中を叩いてくれたのがこの景色。
標高5,033mのムツヴァリ(カズベギ山)
そう、ステパンツミンダまで来てトレッキングしないって手はありません。
教会が経つ頂の直下はこんな道を歩きます
正直に言うと、ヒンカリ以上にこの11年間思い続けていたのが、ここでした。
一般的には自動車でゲルゲティ三位一体教会までさっと登ってしまいますが、
頂上で僕らを迎えてくれた、天国に一番近いと言われるゲルゲティ三位一体教会
高低差約400メートル、距離片道約3キロほどの山道は人影もなく、
ほぼ僕らの貸し切り。
そして夕方はツアー客で混みあう教会も、午前中ならひっそりとしています。
まさに「ここまで来て良かった!」なひとときでした。
さて、感傷にふけっているのもここまでです。
明日はアルメニアのギュムリに移動ですからね。
無事に国境を越えられるかどうか、微妙なんですよ。
そう、僕らのパスポートには、宿敵アゼルバイジャンのスタンプが押されています。
僕のパスポートはスタンプがごちゃごちゃで見落とすかもしれませんが、
ともこのは今年の4月に更新したばかりで、
緑のアゼルバイジャンスタンプが目立ちまくっておりまして。
2014年のときは出国時に気付かれて、
それまでフレンドリーだったインスペクターからギロっと睨まれた一幕がありました。
「敵の友は敵」ルールが今回は採用されていませんように!
to be continued...
えーじ
ゲルゲティタワーの前で もうすぐゴールだ!