12人乗りのマルシュルートカで首都のエレバンに移動しました。
エレバン駅脇のバスターミナルに到着
社会主義デザインの駅は威風堂々としたものですが
肝心の鉄道は細々としか運行していません
この街はトビリシやバクーと同じく11年ぶり。
共和国広場は何も変わっておらず、懐かしかったです。
天気は晴れ。気温は最低がマイナス2度で最高が7度。
東京の1月くらいの気候でしょうか。
エレバンの中心 ピンク色の石造りが美しい共和国広場
アルメニアは北海道の約1/3くらいの面積に、
京都府の人口よりちょっと多い約280万人の国民が暮らす小さな内陸国ですが、
エレバンはさすがに都会ですね。
一昨日までいたギュムリとは規模も雰囲気もだいぶ違います。
都市間には標高1500メートルを超えるこうした風景が広がっています
物価はジョージアに近く、東京のおおむね1/3くらいかな?
輸入品はそれなりの値段になりますけど、
国産品なら、円安の今でさえ割安に感じます。
経済的な面ではバルカンから東は出費がかなり下がりました。
去年の西ヨーロッパはインフレがひどくて泣けましたからね。
日用品が揃うエレバンのアルメニアンマーケット
経済指標より物価が一目で分かります
コーカサスの国々を旅していて物価以上に驚かされるのは、
その文化的多様性。たとえば日本に置き換えると、
青森から名古屋までの地域は、3つの異なる言語圏に分かれており、
それぞれの文字もまったく違う。で、共通語が日本語、だとしたら?
つまり東北や中部の人がととら亭に来ると、
僕とともこが共通語を使わない限り何を話しているのかわからないし、
メニューも読めない。すごいでしょ?
さらに人種構成も複雑です。
社会主義は原則差別を禁止していましたから、
崩壊後の今でもその思想的レガシーが残っています。
先日、グバのエピソードで触れた赤町ほど大きくはありませんが、
そこかしこにユダヤ人のコミュニティ−があるのは、
街中で見かけるシナゴーグやダビデの星でわかりますし。
そうした意味では同じ旧社会主義圏でも、
民族対立が先鋭化したバルカン半島とかなり違いますね。
トビリシのメイダン広場近くにあるシナゴーグ(左側の茶色の建物)
前にはダビデの星をあしらったハヌッキーヤが建てられています
ポピュリズムが世界的に蔓延しつつある昨今、
民族主義者が自国第一主義を鼻息荒く喧伝していますが、
コーカサスのような地域を旅していると、
そうした人々は何をもって自国民を定義しているのか、
首を傾げたくなることがあります。
つい数日前、ホテルで朝食を食べていたときに相席したのは、
モスクワに住むウクライナ系ロシア人のご夫婦。
エレバンにいる息子さんを訪ねた序にギュムリまで来たそうです。
出身を聞いたときから、当たり障りのない話題に舵を切っていたのですが、
彼は聞いてくれ、とばかりに、
なぜ息子がエレバンにいるのかを語り出しました。
その理由はいわずもがなウクライナ紛争。
もし息子さんがそのままモスクワに留まっていたら、
戦場に駆り出された可能性は高かったでしょう。
そしてそれは本人の命の問題だけではなく、
彼が武器を向けるのは国籍の違う自民族なのです。
僕はかけるべき言葉が見つからず、
ただ黙って彼の言葉に耳を傾けていました。
もともとソビエト連邦の一部分だったコーカサス地方には、
今でも多くのロシア人が訪れ、また住んでもいます。
ステパンツミンダからの戻りのバンでは、
僕らと話すとき以外、ジョージア人のドライバーが話していたのはロシア語。
わかってはいましたが、隣席の男性に「どちらから?」と聞いたとき、
彼はちょっと間をおいてから「ロシアです」と答えたのです。
この「微妙な間」は、
2年前のオーストラリア横断中に出会った女性にもみられたものです。
何より彼女は僕の質問に「シベリアから来ました」と答えましたけどね。
彼、彼女は知っているのですよ、祖国が何をしており、
多くの西側の国々がそれをどう見ているのかを。
だからこそ、バンで一緒だった男性が補助シートを倒すの手伝ってくれた際、
僕が「スパシーバ(ありがとう)」とロシア語でお礼を言ったら、
驚くと同時にそれまで見せていなかった笑顔になったのでしょう。
続けて、
「僕はあなたの国に行ったことがあるのですよ。
サンクトペテルブルグだけですけどね」
「ああ、そうだったんですか!」
「ぜひまた行きたいと思ってますよ。だからその日が来るのを待っているのです」
言外の意味を汲んだであろう彼は少し悲しげな笑顔で応えてくれました。
コーカサスには戦争を避けて国を出たロシア人が少なくないそうです。
そして中には単純に観光で来ている人もいます。
こうした複雑な事情は。
「ロシア人」という一言で彼らをくくれない現実を現していました。
アルメニアもまた、
内容こそ違いますが、複雑な苦境に置かれている点は同じです。
2023年9月、
ナゴルノカラバフの領有権をめぐるアゼルバイジャンとの戦いに破れ、
CSTO(集団安全保障条約機構)に加盟しながらも守ってくれなかった、
ロシアへの恨みを募らせつつも、
エネルギーや食糧供給の依存度の高さから縁を切れず、
トルコとの因縁の対決も勝てる見込みはまったくなし。
これぞ絵にかいたような四面楚歌なんですよ。
しかし、クリスマスを前にデコレーションの進む共和国広場を見ていると、
人々の間に残るかすかな希望が感じられたような気がしました。
それはまるで、
薄氷の上を渡りつつも、いつか必ず対岸にたどり着いてみせる。
そして封印されたブランデーのアララトの栓を抜き、ともに祝杯をあげるのだ。
そんな思い映されているかのように。
もちろん、その日が来ることを、僕も祈っています。
しかし目指すべき対岸とは、新たな戦争に勝利することではなく、
本心から握手できる共存の道をみつけること。
そう、若者に銃を取らせる未来ではなく・・・ね。
今日はカスケードからアララト山が見えるな?
to be continued...
えーじ
ティグラン・メッツ通りから見た聖グレゴリー・イルミネーター大聖堂