中東とはいえ、標高が1105メートルありますから、
最低気温が6度、最高は15度と朝晩少し寒いくらいです。
あ、わかってますよ、そんなことより皆さんが一番気になっているのは、
大丈夫か?
ですよね?
それはもちろん、僕らも出発前のルート選定時からずっと気になるところでした。
とりわけ、「さぁ、もうすぐ出発だ」となった今年の春ごろ、
イスラエルとミサイルの撃ち合いになりましたしね。
で、結論を申し上げますと、
大丈夫です。
あくまでも僕らが移動した範囲に限っての話ですが、
治安上「なんかおっかねぇな・・・」と不安を感じたことは一度もありません。
強いて言えば最大の脅威は自動車とバイク。
少なくともテヘランでハンドルを握る気にはなれないな。
でも、ヨーロッパのように電動キックボードが歩道を爆走していない分、
安心して歩けると思います。
もちろんバイクはどこでもお構いなしで走ってきますが、音がしますからね。
取材を始めて驚いたのは経済です。
バザールに行くとモノが溢れ、狭い路地はお客さんで溢れているじゃないですか。
40年以上に渡って経済制裁を受けている国とは思えないくらい。
確かに商品の質はお世辞にもいいとはいえません。
しかし、同じ境遇のキューバに比べると、あきらかにものがある。
そして最大の特徴は、バザールの光景がさながら昭和の日本を彷彿させる点です。
そう、僕が子供のころはまだ大手資本や外資に市場が牛耳られておらず、
商店街には元気な個人経営の店が軒を並べていました。
また、「買い替え」「使い捨て」ではなく、
「直して使う」手わざ職人の文化が色濃く残っていたものです。
たとえば自転車。
僕が小学生の頃は、当時の価格で5万円前後はしていましたから、
とうぜん、とても高価な買い物です。
そこで日頃の手入れもさることながら、壊れたら直すのが当たり前。
それが現在の価格で1万円を切る商品が普及し始めたとたん、
簡単に乗り捨てられるようになってしまったでしょう?
タブリーズやテヘランのバザールにはバイクから家電品まで、
さまざまな修理屋がたくさんあります。
だから街中に新品は見当たらなくても、使い込まれた製品が溢れている。
そう、ものを大切にする文化が、まだ残っているのですよ。
「やぁ、どこから来ました?」
食材より、そんな光景に感心しながら歩いていたとき、
後ろから、たどたどしい英語で声をかけられました。
振り返ると、そこには小柄な初老の男性が柔和な笑みを浮かべています。
「日本からですよ」
「やぁ、そうですか、イランへようこそ!
私はすぐそばで店をやっておりまして。お茶でもいかがですか?」
僕らはすかさず警戒モードに入りました。
こういうケースはたいてい物売りです。
場所がら高価なペルシャ絨毯のセールスでしょう。
「いや、お誘いはありがたいのですが先を急いでいるもので」
「お時間はとらせません、
すぐそこなんですよ、ぜひお見せしたいものがあるのです」
ほぉ〜ら、始まった。
「本当にすみませんが、行かなければならないところがあるのです」
「ではここで、小さなお願いがあるのです、
すぐに戻ります、ちょっと待っててください!」
ふぅ、やれやれ。
こんな僕らでも異国の地では「日本代表」。
物売りが相手とはいえ失敬な態度はとるべきではありません。
そこで待つこと数十秒。男性は急いで戻ってきました。
手にしているのは一冊の使い込まれたノート。
「これにメッセージを書いていただきたいのです」
・・・?
ノートを開くと、そこにはさまざまな言語でメッセージが書かれているではないですか。
ほんの2日前には日本語のものまである。
ざっと内容に目を通した限り、彼は怪しい人ではなさそうです。
「ああ、では書きましょう」
「ならばここではなんですから、私の店へどうぞ」
彼の店は、本当にすぐ近くでした。
2坪ほどの小さな店の正面には使い込まれたミシンが数台並べられています。
そしてカウンターの壁には、これまた年季の入った工具がずらり。
「修理がお仕事なのですね」
「ええ、そうです。なんでも直します。でもどこかで習ったわけではありません。
技術も、ペルシャ語の読み書きも、こうして話している英語も、
10歳のころから少しずつ独学で身につけました」
「それはすごい」
「しかし、私の生きがいはこれです」
彼が指差したのは工具の棚の下にある中くらいの箱。
その中には僕らが手渡されたものと同じようなノートが何冊も入っていました。
「たくさんの人と出会い、話をして、メッセージを頂く。
私はここで、とても幸せなのです」
僕らはだんだん警戒モードに入っていた自分が恥ずかしくなってきました。
「数えきれないくらいの人々と出会ったのですね。それは素晴らしい」
「私はアリといいます」
彼はメッセージを書くともこを満足そうに眺めています。
「では僕からもお願いしていいですか?」
「なんでしょう?」
「僕のノートにアリさんのメッセージを書いていただけませんか?」
「もちろん、喜んで!」
彼はペルシャ語(文字はアラビア文字)で右から左へ向かって、
丁寧に書き始めました。
「あなたたちのお名前は?」
「僕はえーじ、ワイフはともこです」
「ではえーじとともこの幸せを祈って、と書きましょう。
あなたたちが幸せであれば、私もまた幸せだからです」
遠く離れた中東の街。
昭和の香りがする小さな修理屋。
そして、令和の日本人が忘れてしまった心をもつ人。
僕らはまるで過去にタイムスリップしたような気持になって、
アリに別れを告げました。
さて、今はイラン時間18時30分。
僕らは24時発の夜行列車で東部の街、マシュハドに移動します。
通信環境が不安定で、また音信不通になるかもしれません。
しかし10日もすれば、たぶんネットに入れるところまで行けるでしょう。
心配しないでくださいね。
to be continued...
えーじ
Thanks Ali.
充実した時間を過ごしています。
道行く人々が「ウェルカム!」と笑顔で言ってくれることの多さに驚いています。
ほんの一言がうれしいですね。