2026年01月05日

第27回取材旅行 その35

日本は今日から仕事始めの方が多いそうですね。
僕らは1月3日にアムリトサルから路線バスで、
インドの北西部の小さな街、ダラムサラに移動しました。

arrivaldharamsala_in.jpg
標高1680メートル、冷え込んだ20時30分のバスターミナルに到着

この移動が「もろインド」。
まずアムリトサルのバスターミナルがこんな感じ。

amritsarbusstand_in.jpg
周辺はオートリキシャとタクシーがひしめき合うカオス
デスメタル並みのクラクションで話し声も聞こえず

とにかく路線図や時刻表、案内板がほとんどないので、
いろいろ人に聞きながら出発プラットホームにたどり着き、
チケットをゲットしたのです。ひとり400ルピー(約695円)也。
そして待っていたのがこのバス。

hrtcbus_in.jpg
やぁ、君はもしや僕と同世代? の博物館級バス
こいつが実にがんばってくれました

hrtcbus02_in.jpg
乗ってさらに驚き こりゃ本当に動くのかしらん?
しかも車内は掃除と修理の2語とは生涯無縁の状態
ヒンドゥーの神々のご加護は大したもんですな

これに揺られて7時間30分の移動は、ほとほと疲れました。
暖房はなく窓は割れ、風が吹き込んで全身埃っぽく、くすんだ感じに。

antthingontheroad_in.jpg
道路はこうして何でも走ってます ときには牛、馬、ロバ、犬もね

しかし生のインドを知るにはいい機会だったと思います。
車窓を流れる市井の風景のみならず、
たとえば無秩序に停めてある自動車がバスの通行を妨げてしまったとき、
車掌のお兄さんがバスを降り、
通行人を集めて人力で自動車を持ち上げて移動させたり、
混んだ車内に2歳くらいの子供2人を連れたお母さんが乗ってきたものの、
動きようがなかったので、僕らがとっさに子供を抱き上げ、
しばらく膝の上に座らせていたり・・・
言葉はほぼ通じませんでしたが、肌でこの国の生活が感じられましたからね。

そして「ようやく着いた!」と転がり込んだ安宿は、

「今日は混んでいて空きは一部屋しかありません。
 湯沸し器が壊れているのでシャワーが使えない部屋です
 
さんきゅう、べりまっち。

ま、シャワーはともかく、ここも暖房がなく、部屋の中で息が白い。
室温は5度。仕方なく、温かい食事でお腹から温め、
重ね着してベッドにもぐり込みました。

bpentrance_in.jpg
一泊約1,650円の安宿は110段の細い階段を降り、さらに奥まった所にありました
下りはいいのですが、登りは・・・

ダラムサラと聞いてピンと来た人はチベットに関心を持っていますね。
そう、中国による侵略からダライ・ラマたちが亡命し、
インド政府(ネルー首相当時)の計らいで難民キャンプが作られた場所です。
地形は山の斜面で、ホテルの部屋からも雪を頂くダウラダー山脈が見えます。

dharauder_in.jpg
ホテルの部屋から見た、夕焼けに染まるダウラダー山脈
こういう風景を見ながら、ぼ〜っと過ごすのも旅の醍醐味のひとつでしょう

macloadganjiview_in.jpg
山の斜面に張り付くように形成された街 平地はほとんどありません

実際、チベット亡命政府の施設があるのは、
ダラムサラよりさらに8キロほど上がったところにあるマクロードガンジ。

tibetanhq_in.jpg
チベット亡命政府の建物 この奥に御年90歳のダライ・ラマが住んでいます
残念ながらお会いできませんでしたが・・・

ここのロータリーでバスターミナルから乗ったタクシーを降りて驚きました。
ホテルやレストラン、土産物や密集し、
さながらカトマンドゥのタメヤン通りそっくりの、
もろツーリストタウンじゃないですか!
映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の印象からは、かけ離れた場所です。

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平地がほとんどないので中心のロータリーもこれくらいの広さ

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アップダウンとワインディングが繰り返す路地 ちょっとした散歩も体力勝負です

なんでも、60年前に難民キャンプが作られてから、
チベット人が経済的に自立するため、食堂や手工芸品店、宿泊所をつくり始め、
それが拡大し、現在のような姿になったとか。

そうそう「セブン・イヤーズ・イン・チベット」といえば、
主人公ハインリヒ・ハラーと親友ペーター・アウフシュタイナーの、
別れのシーンでバター茶が登場しますよね。
皆さん、飲んだことはありますか?
僕は30年近く前にネパールで一度試したので、ここで再度トライ。
で、その味なんですが、
ん〜・・・ここはハインリヒの言葉を引用しましょう。

「Ugh! Butter tea, it was never my cup of tea.
 (うぇ、これだけはどうも苦手なんだよ)」

残念ながら僕も同意見なんですよ。
本来はヤクのバターを使いますが、身近な素材で再現するなら、
牛乳にセイロンなどのタンニンが濃い茶葉を使って濃厚なミルクティーを淹れ、
それにバターと塩を少々加えて分離しなくなるまで攪拌します。

この塩味紅茶、カトマンドゥでホームステイ中、
お腹を壊したときに、その家のお母さんが作ってくれたのが初体験。
一口飲んで吹き出しそうになり、最初は何かの間違いか?
と思いましたが、脱水症状を防ぐための電解質を補給する効果があるそうな。
まさしく薬のつもりで飲み干したのも、今では懐かしい思い出です。

しかし今回、久しぶりに飲んだら、やっぱり「うぇ・・」。
で、砂糖を入れると飲みやすくなりましたが、これは邪道だそうで。
ともあれ、映画のあのシーンは心に残りましたね。
嫌がるハインリヒをしり目にピーターは2杯目を注ぎ、こう言うのです。

「伝統に従って、愛する者が旅立つときはバター茶をふるまうんだ。
 でも2杯目は今飲むんじゃない。
 その人が戻ってくるまで、ここにこのまま置いておくんだよ」

さて、ダラムサラまで来たのは、
まさしくここにチベット文化の一部が再現されているからです。
今回の取材のテーマはインド料理と他文化の融合。
ダラムサラでは亡命の地で変化したチベット料理のほか、
インドとヒマラヤ山岳文化、
交易路の影響を受けたヒマーチャリー料理を調べる予定。
まず、とっかかりとして、
日本で知られるチベット料理と言えば、モモでしょう。

momo01_in.jpg

加熱方法は蒸し型で、
系統は中国のジャオズよりモンゴルのボーズに近いと思われます。
そういえばモンゴルは仏教の文脈でチベットと縁が深く、
そもそもダライ・ラマという言葉からして、
モンゴル語のダライ(海のように広大な)+チベット語のラマ(師)の合成語。
チベットの精神的指導者を16世紀モンゴルのアルタン・ハーンが、
そう呼んだところから始まったそうな。
指導者の制度からすると前任者が2人いたので、
初めて呼ばれたにもかかわらず、ダライ・ラマはその時点で3世。

閑話休題。
大陸の文化は近隣の文化からの影響を受けやすく、
チベットもまた例外ではありません。その一例が麺料理のトゥクパ。

tukpa01_in.jpg

塩味ベースのあっさりしつつも出汁のきいたスープに太麺が入り、
ちょっとタンメンに似た一品です。
これが凍えて疲れた体にじわ〜っと染み入りました。
場所柄ベジタリアン料理が多く、ここでも注文したのは豆腐バージョン。

うまいといえば、ここまで自分の文化に近い料理を食べたのは、
この長い旅で102日ぶり。
インディアンもおいしいんですけど、やっぱり刺激が強く、脂っぽいですからね。
毎日食べ続け続けるにはちょっと・・・
この街で気持ちと体、特に消化器系を休め、
残りの1か月を充実したものにしたいと思います。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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